4歳だったあの日、私 ―― ミューゼ・スネイプは庭の木から落ちて、その衝撃で記憶を失ってしまった。
父親である教授はきっと、彼女がなぜ木に登ったりしたのかも知りたかっただろうし、彼女の記憶が戻ることへの期待なんかもあっただろうから、その時の彼女に開心術を使ったとしてもおかしなことじゃなかっただろう。
でも、たった4歳の彼女は、教授の開心術に抵抗して見せた。
その後、折をみて何度か同じことを試したとしても、親としてとくだん非難されるべきことではないと思う。
そう、理屈をこねまわしながら自分への説得を試みてはいるんだけど。
教授が自分に対して開心術を繰り返してきたという事実が、まるで私が教授に信用されてなかった気がして、気持ちがどんどん沈み込んでしまうんだ。
教授自身はいったいどう思ってたんだろう。
なんど試してもいっこうに心が見えない私が、以前より懐いてるように見えても本当には教授に心を開いてはいないんだと、そう感じて傷ついてきたんじゃないんだろうか。
(確かに、今私に閉心術が使えるなら使ってるとは思うけど)
私には教授に知られたくないことがたくさんあって、だから知られてなかったことにほっとする部分もあるのだけれど。
私が心を閉ざしている限り、教授も本当には私を信用してくれることはないはずだと気付いてしまったんだ。
教授が私に対して開心術を使っていることを知らない間は、もしかしたらいつかは教授に心から信頼される娘になれるんじゃないかと思っていたんだけど。
開心術という、目に見える手段がある限り、私が心を見せないうちは教授もこれ以上歩み寄ることはしてくれないだろう。
そんなことをつらつら考えているうちにも月日は順調に流れたようで。
グリフィンドールの点数が一気に減ったことを知って、私はようやくここが物語のパラレルワールドだってことを思い出したんだ。
ええっと、ドラゴンのノーバートがルーマニアに連れていかれて、そのあとがユニコーンで、罰則でヴォルデモートだったっけ?
流れはなんとなく覚えてるけど、このへんはけっこうあいまいかもしれない。
まあ、基本忙しいのはクィレルとハリー達だけで、教授の仕事はドラコを森での罰則に送り出すくらいだろうからね。
そもそも私は罰則がいつ行われるのかも知らなかったし、罰則が終わっただろうあともその情報が流れてくることはなかった。
学年末試験まで2週間余りとなったその日、私はようやく監禁生活から解放されることができた。
「試験勉強は寮の部屋でやりたまえ。極力外出は避け、移動中はけっして独りにはなるな」
「……判りました。努力します」
「なにか問題でもあるのか?」
「いいえ。ただ、相手があることなので。独りにならない方を優先するということでいいでしょうか?」
「……いいだろう」
「はい」
だって、寮のみんなが図書館で勉強したいって言って、そのあと大広間へ直行しちゃったら、私は食事に行けなくなっちゃうからね。
どうやら教授も私の食事する権利まで奪うつもりはなかったらしいです。
それまでと一転して寮のみんなと行動するようになった私を、みんなはちゃんと迎えてくれた。
「むしろミューゼがいると助かるわ。判らないところは教えてもらえるし」
「じゃあ、基本は部屋で勉強して、必要が出てきたらみんなで図書館へ行きましょう」
「ありがとうみんな」
「要するに元に戻っただけでしょう? 気にすることないわ」
一時期のぎこちなさがすっかりなくなってくれたのがすごく嬉しいよ。
私もそうだけど、やっぱりみんなもこの7年間ずっと同室で過ごす友達とはできるだけ仲良くしていきたいと思ってくれたんだろう。
試験前でレポートの宿題もほとんどなくなってきたのだけれど、授業の空き時間には寮まで戻る時間がもったいないから図書館で過ごすことが多くて。
放課後は部屋に戻って勉強というのが平日の日課になっていた。
試験まで残り1週間を切ったその日、授業が終わって寮へ戻ろうと廊下を歩いていると、私はまたしてもグリフィンドール三人組に声をかけられたんだ。
「ミューゼ!」
「ちょっと話があるんだけど。大事な話なの」
「僕たち森でたいへんな目にあったんだ! 傷ついたユニコーンを探してたらそこに ―― 」
「いきなりやめてよ。悪いけど話を聞く気はないから」
私が踵を返して離れようとすると、逆にスリザリンの3人が私を取り囲むようにすーっと前へ出たんだ。
「グリフィンドールのみなさん、私たちスリザリンになにか用かしら?」
「君たちには用はないよ。僕たちはミューゼに ―― 」
「あら、グリフィンドールの方たちって、ずいぶん礼儀に欠けるのね。知らなかったわ」
「そうね、とつぜん廊下で声をかけて、嫌がる人に無理やり話を始めるなんて、スリザリンでは考えられないわ」
「私たちはミューゼと話したいの。悪いけれどそこをどいてくださる?」
「ええ、構いませんわ。ミューゼが話をしたいというなら」
「ミューゼ、お願いよ。私たちの話を聞いて。スネイプ先生がもしかしたら大変なことに手を出してるかもしれないの」
「何度も言うけど、私の父は悪いことは何一つしてないから。いいかげん妄想で人を巻き込むのやめてくれないかな」
「という訳だから、ごきげんよう、グリフィンドールの礼儀知らずさんたち」
「え? ちょっと、お願いよミューゼ!」
スリザリンの3人は、そのまま私を囲むようにしてその場を離れてくれて。
十分距離を置いたと思った時、ミリーが心配そうに顔を覗き込んだ。
「ミューゼ、あれでよかったの?」
「うん。ありがとう。助かったわ」
「ハリー・ポッターでしょ? マルフォイがよく絡んでる」
「前にミューゼを呼びに来たことがあったわよね。私、彼らはミューゼの友達だと思ってたんだけど」
ん、まあ、友達といえば友達なんだけど。
にしても、ミリーもアスリンもテイジーも、ふだん優しいのにあんな態度も取れるんだね。
さすがは上流階級のお嬢様方と言わざるを得ないわ。
「教授に言われてるんだ。ハリーに関わっちゃいけない、って」
「そういえばスネイプ先生のことも言ってたみたいだけど」
「うん。なんかいろいろ勘違いしてるの。教授が泥棒だとか人殺しだとか」
「ひどいわねそれ。いくら授業で厳しくされてるからって、学校の先生をそこまで中傷するの?」
「ましてミューゼにとっては父親じゃない! ちょっと許せないわあの3人」
「もっと言ってやればよかったわ」
私のために怒ってくれる3人に、私は気持ちが暖かくなる。
自然に笑顔になっていて、怒り顔の3人についでに怒られてしまった。
ともあれ、余計な出来事もあるにはあったけれど、翌週には学年末試験が始まって。
パイナップルをタップダンスとか(足がないものをどうやってタップダンスさせろって!?)、ネズミを嗅ぎ煙草入れとか(そもそも嗅ぎ煙草ってなんだよ!?)、訳のわからない実技試験と筆記試験を次々とこなしていく。
確かに試験が年1回っていうのはある意味ありがたいのかもしれないけど、勉強する範囲が広すぎてヤマが張れないから勉強する方としてはとんでもなくしんどかったよ。
って、私は夢小説のおかげで多少は問題を覚えてたから、フェアじゃないと言われても仕方がないのだけれど。
(でも覚えてるものはしょうがないからね、許されてくれ)
試験最終日の最後は、スリザリンの1年生のクラスは闇の魔術に対する防衛術の実技で。
1人ずつランダムに教室へ呼ばれて、そこで初めて言われた課題をこなしたあと、別の出口から帰るという方式で進められた。
「私がトップみたいね。じゃあ、出口で待ってるから」
「うん、がんばって」
4人のうち最初に呼ばれたアスリンをみんなで見送る。
試験時間は1人1、2分くらいだったから、隣の待合教室にいる人数は比較的早いスピードでどんどん減っていった。
「呼ばれてる順番はほんとに適当みたいね」
「心の準備ができなくてちょっと怖いわ」
「最後の方だったら緊張だけで疲れちゃいそう」
そういえば気にしてなかったけど、夢小説で闇の魔術に対する防衛術の実技試験なんて出てきてたっけ?
課題をぜんぜん思い出せないんだけど、もしかしたらこのあたりは原作でも語られなかった部分なのかもしれない。
やがてテイジーが、それからすぐにミリーが呼ばれていって。
待合教室に残ったクラスメイトもずいぶん減って、私はラストの2人にまでなってしまった。
でもって、次に呼ばれたのは残されたもう1人の方。
つまり、どうやら私は最後の1人ということらしかった。
(えーっと、確かこのあとハリーが、ハグリッドがドラゴンの卵を手に入れたいきさつの不自然さに気付いて)
急いでダンブルドア校長に伝えようとしたら、校長は偽手紙でロンドンに呼び寄せられていたんだ。
それで彼らは、賢者の石が盗まれるのが今日だと確信して ――
(って、つまり今日が物語のクライマックスじゃないですか!?)
いやいやけっして忘れてた訳じゃないんだけどさ。
私、ほんとに原作に関わるつもりなんかなかったから、ミリーやアスリン、テイジー達と一緒にいればハリー達に無理矢理引き込まれることはないと思ってたんだよ。
でも、たとえ試験とはいえ、最終日の最後にクィレルと2人っきりになると知って、別の可能性に気付いちゃったんだ。
……いや、ないよ、だって私はただ教授の娘だってだけのキャラクターなんだし。
教授を懐柔するための手駒にされる可能性は考えてたけど、いよいよ賢者の石を盗む段階になったら、私なんて別になんの役にも立たないんだから。
「ミューゼ・スネイプ」
「あ、はい!」
ドアのところでクィレル先生に呼ばれて部屋に入る。
もともとあった机なんかはすべて壁際に寄せられていて、中央に広い空間が作られていた。
「ではMs.スネイプ、闇の魔術に対する防衛術の実技試験を始めます」
「……はい」
先生、なんでどもってないんですか?
さっきまで他の生徒を呼んでた時はいちいちおどおどびくびくしてたじゃないですか。
「私が魔法を放ちますので、盾の呪文で防いでください。それが試験の課題です」
「……え?」
盾の呪文、って。
そんなの習ってないでしょ先生!
「ステューピファイ!」
「マホ○ンタ!」
って呪文間違えたし!!
もうだめかと思ったけど、私が苦し紛れに放ったマ○カンタ(byド○クエ)はかろうじてクィレル先生の赤い光をはじき返してくれた。
「ほう、変わった呪文ですね」
「……お疲れさまでした。失礼します」
「待ちなさい。まだ試験は終わっていません」
「防いだら終わりじゃないんですか?」
「1回とは言ってません」
よもや誤魔化せるのでは、と思ったけど無理でした。
今度は無言呪文で飛んできた赤い光を、私はもろに身体に浴びてしまった。
倒れる瞬間頭をよぎったのは、ドアの向こうで待っていてくれてるはずの、3人のルームメイトの顔だった。