私がベッドの上で寝たり起きたりを繰り返していると、ときどき看護師さんはやってきて、私に薬を飲ませてくれたり、着替えやおむつを替えてくれたりした。
……まあ、1回経験しちゃえばどんな体験でも開き直れるってもんだ。
そんなことより私が驚いたのは、看護師さんが持ってる杖を振ると、なぜかおむつや衣服やゴブレットが宙を舞うことだった。
「あら、ミューゼちゃんは魔法が珍しいの?」
「……うん」
「でもミューゼちゃんのお父さんも魔法使いでしょう? お父さんが使うのを見たことは覚えてない?」
どうやら私には魔法使いの父親がいるらしいです。
……もしかして、いやもしかしなくても、きっとあの人なんだろうな。
目覚めていきなり私を怒鳴りつけてきた、黒い服を着た怖いお兄さん。
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいのよ。今すぐには思い出せなくても、頭を打った人にはよくあることだから、すぐに思い出せるようになるわ」
お父さん、か。
確かに同じ黒髪だったし、親子だと言われればそうなのかな、とは思えるな。
母親の話がでないってことは、私はきっと父一人子一人の境遇なんだろう。
若気の過ちで子供が出来て、でも5年も経たないうちに愛想尽かされて離婚とか……うん、あの人ならありそうな気がする。
にしても、この杖に魔法って、私がハマってた某作品にそっくりだよね。
いや、原作はぜんぜん読んだことはないんだけど。
映画は確か3作目まではテレビで見たことあって、でも昔すぎて断片的にしか覚えてないんだけど。
実は45歳の私の趣味は夢小説サイト巡りなのだけど、ちょっと前まで別の作品の夢小説にハマってて。
そのジャンルの中でものすごく気に入ったウェブ作家さんが、同じサイトでハリーポッターの夢小説を書いてて、それをちらっと読んだのが始まりだったんだよね。
その人、もともと文章がうまくて原作知らなくてもちゃんと話の筋が理解できたから、最後まで読んだらすっかり原作も読んだ気になっちゃったんだけど。
確かあの夢小説で生きてた人の何人かは原作では死んでるって、そのあといろんな人のハリポタ夢を読んで知ってちょっとショックだったのを覚えてる。
トリップ救済も、成り代わりも、いろいろ読んだけど。
一番読んだのはやっぱり教授夢。
学生セブたんとかもハマったなぁ。
確かに私は四捨五入すれば50歳だけどさ、独身女はいくつになっても夢見がちなんですよアナタ!
そんな、杖と魔法でそこまで脳内展開しちゃってたんだけど、まさか夢小説の世界が現実になるなんてさすがの私も思ってなかった。
でも、夜になって先生と一緒に入ってきた人を改めて見て、私はそのまま呆然と彼を見つめてしまったんだ。
「ミューゼちゃん、お父さんが来てくれたよ」
黒いねっとりとした長めの髪を真ん中で分けて、土気色の肌に眉間の深いしわ。
鉤鼻と黒づくめの服装が特徴的な、育ち過ぎた蝙蝠のような容貌の薬学教授。
胸の中にわき上がる恐怖はきっと、幼いまま私に飲み込まれてしまった、小さなミューゼの唯一の自我。
セブルス・スネイプ教授は、ミューゼこと私のたった一人の父親だった。
「……お父、さん……」
口に出した瞬間、私は鋭い目にギリッと睨まれた。
恐怖に私の肩がぴくんと震える。
「スネイプさん、そんな顔をされたら娘さんがおびえますよ」
「……この顔は元からです。放っておいてくださいますかな」
「ミューゼちゃん、お父さんはミューゼちゃんのことを心配してるんだよ。だから早く元気になって退院しなくちゃね」
…………いったい何をしたんですか、スネイプ教授。
実の娘がこれだけおびえるって、よっぽどのことですよ。
もちろん私自身はスネイプ教授に萌えを感じていた立場なので、彼女ほどには教授を恐れてはいなかった。
まあ、確かに怖いのは怖いけどね。
だいたい45歳にもなる自分が、その半分ちょっとの年齢の青年なんぞ恐れる訳にいかないというか。
酸いも甘いも乗り越えてきた私にはその年齢なりのプライドってものがあるんですよ。
「怪我は大したことはないのでしょう」
「ええ、外傷はほとんど治っています。ただ、記憶が戻らないのが気になりますが」
「ならば明日退院させます。私も暇ではないのでね」
「……判りました。でも、明日までは私の患者です。また昨日みたいに怒鳴りつけるようなことがあれば魔法省に通報しますからそのつもりで」
「……」
……うん、あれはヤバかった、虐待並みに。
夢小説の教授はけっこうツンデレさんで可愛い性格のが多かったけど、私は原作の教授を知らないからな。
原作の彼は自分の子供に虐待するような人なのだろうか?
いやいや、そんな彼ならあそこまでの人気キャラにはならないような気がするけど。
ていうか、そもそもスネイプ教授って子持ちじゃなかったよね?
確かネタバレサイトによれば教授は幼馴染のリリーのことがずっと好きで、生涯彼女を愛し続けるんだった気がする。
ということは、ここは“ハリーポッター”の原作とはすこーし違う歴史を辿ったパラレルワールド、ってことでいいのかな?
それとも私がいるせいで原作が歪んだとか?
……いや、私が彼の娘だってことは、この世界には私を産んだ母親がいるはずだから。
原作を歪めた人がいるとしたらその女性だろう。
そっか、つまり、どう転んでもこれはセブたん夢にはならない、ってことか。
ミューゼは血がつながった娘の設定なんだから、どこまで行っても私は彼の娘にしかなれないんだから。
教授が出ていって、ベッドに横になると、私はすぐに寝入ってしまった。
朝起きる頃には、せめてセブたんの娘である今の境遇を堪能しようと、私はいろいろな意味で開き直っていた。