「教授、お忙しいところをすみません」
「なんだ」
「この2人、文章の構成も、文体もほぼ同じ、教授から見て右の生徒の方にはスペル間違いが1か所あるのに、どうして右の生徒の方が評価が高いんですか?」
「……カンニングをしたのが左の生徒だからだ」
「え?」
「いいから黙ってやりたまえ。邪魔をされては手伝ってもらっている意味がない」
「……はい」
休暇の最終日、教授が食事に出てこなくなってしまったので、部屋を尋ねたところレポートの採点が終わらないとかで。
私が手伝うと言ってどうにか朝食だけは済ませたのだけれど、昼食は返上して今も採点の真っ最中だったりする。
しかも、私が手伝ってるのは、採点し終わったレポートに書かれた評価を別紙に書き写すだけの簡単な仕事だ。
確かにこれだけでも時間短縮にはなるかもしれないが、残されたレポートの山を見る限り、ほとんど焼け石に水でしかないような気がする。
それにしてもこの2枚のレポート、文字はおそらくそれぞれ本人が書いてるだろうに、どうしてカンニングしたのが左の生徒だって判るんだろう?
文章構成のクセ? それとも2人の性格と力関係?
いずれにしても、教授が生徒一人一人を完全に把握してるのはよく判ったよ。
「教授、3年生の残りのレポートはひとまずあとまわしで、先に4年生からお願いします」
「なぜだ」
「効率のためです」
深く考えるのも時間の無駄だと思ったのだろう。
教授が4年生の束を手元に引き寄せて採点を始めたので、私は残りの3年生の束を引き取った。
教授が採点を終えて積み上げていくレポートの評価を書き写す作業をしながら、まだ採点されていない3年生のレポートに目を通す。
それらに勝手に評価を書き込んで、教授が採点したのとは別の山を作っていった。
「教授、切りがいいところで5年生に移ってください」
「……」
教授にも私がなにをしているのか、既に判っているのだろう。
なにも言わずに4年生を中断して5年生の束を始めたので、私は今度は4年生の残りの分を引き受ける。
さすがに作業自体には教授の方が圧倒的に慣れているし、私は評価を書き写す作業も続けながらなので、私が4年生の採点を終える頃には教授は5年生の採点をあらかた終わらせていた。
作業にひと段落ついて、私は教授があとまわしにした二つの束を、改めて教授に差し出した。
「どういうつもりかね?」
「効率を重視したらこちらのやり方の方が最良だと思いました。ただ、私には生徒個人の性格や能力は判りませんので、違うと思ったら容赦なく訂正してください」
「……いいだろう。見せてもらう」
さっきまでよりもいくらか早いペースで採点済みのレポートが回されてくる。
いくつかのレポートで私が書いた評価が書きなおされてきたけれど、ほとんどのレポートは私の評価のままで返された。
ほんとにわずかな時間だったけれど、いくらかは時間短縮になったのだろう。
夕食までの間に少し休憩をはさむことができた。
「50点だな」
「私の評価ですか?」
「減点した50点はその生意気さに対してだ」
「はい。……光栄です」
つまり、レポートの評価に関しては減点はなかったってことだ。
真面目に魔法薬学の勉強を続けてきてよかったと思う。
夕食後の肩もみタイムも返上して、私が2年生、教授は1年生のレポートを採点する。
(1年生のレポートはレポートと呼べるようなものじゃないので、それまでのテンプレが役に立たないのだ)
6年生以上はその前に終わらせてあったからこれで最後だ。
今回は記録の方をあとまわしにしてあったため、教授が2年生の再採点をしている間に記入して、どうにか就寝前にすべての作業を終えることができていた。
さすがに若い私も肩がガチガチに固まっていた。
「教授、肩をお揉みします」
「……ああ」
教授は椅子に腰かけたまま、魔法で淹れた紅茶を飲む。
こうして教授の部屋で肩もみするのはもしかしたら初めてかもしれない。
たまにはこういうのも気分が変わっていいと思う。
「明日の準備はできているのか?」
「はい。……ひとつだけ忘れていました」
「なんだ」
「お小遣い帳です。今日が12月の最終日ですから、今日のうちに書いてお見せするつもりだったんですけど」
「……」
「明日にさせていただきます」
「……」
これは言わなくていいことだったな。
背中越しに教授のうんざりオーラが漂ってきたことだし。
「今日は……助かった」
「はい。お役に立ててよかったです。私の方こそ勉強させていただいてありがとうございました」
「おまえは……」
「……はい?」
「あんな技術をどこで習った」
「魔法薬学は教授に習ったのと、あとは本で勉強しただけです。教授の部屋の本は勝手に読ませていただきましたし」
「そうではない。……レポートの評価の技術は、薬学を勉強するだけでは身につかん。あれはたかが薬学に詳しい1年生ごときができることではない」
……いや、確かに私は前世の記憶があるから多少のことはできるけど。
さすがに魔法薬学のレポート採点の技術なんか、その中に含まれてるはずがない訳で。
「たぶんですけど、教授が採点したレポートから、だと思います。最初に見せていただいたのが3年生のレポートで、テーマはぜんぶ同じでしたし、読んでいるうちに教授の採点基準が判ってきたので」
「……」
「ですから、今ほかのレポートを採点しろと言われてもできないと思います。最初にいくつか見本を見せていただかなければ」
「見本があればできるというのか」
「4年生くらいまではたぶん。それ以上はまだ勉強不足で無理だと思います」
さっきの感触だと、ギリギリ5年生くらいまではいけるかな、と思ったけどね。
まあ、教授が疑問に思うのも判るよ。
1年生の子にレポートを多角的に見るような芸当、とうていできる訳がないし。
これは私が今52歳で、それまでの人生経験があるからこそ自然に身についてる感覚なんだ。
こういうとき、私は焦って言い訳をしたり、自分でそれらしい結論を口にしたりはしないようにしている。
教授がなにかを疑ったとしても、そこから一足飛びで私に前世の記憶があるなんて結論を導き出せるはずがないのだから。
私は現実にできてしまっているのだから、教授は教授で勝手に想像して、いちばん現実的な結論を出してくれるんだ。
だから私は、ただ知らないふりをしていて、教授が自分で結論を出すのをひたすら待っていればいい。
ふうっと、教授が溜息をついて、思考を手放したのが判った。
おそらく何らかの結論が教授の中で生まれたのだろう。
「もういい。今日は早く休め」
「はい。ではおやすみなさい」
「ああ」
教授に夜の挨拶をして部屋を出る。
さすがに私も疲れたので、お風呂のあとは読書をせずにそのまま寝入ってしまった。
翌日はまたホグワーツ特急で。
再会したルームメイトたちに新年のあいさつと、クリスマスプレゼントのお礼を言って、一通りみんなの休暇中のエピソードを聞いた。
「じゃあ、ミューゼはずっと家で過ごしていたの?」
「うん。ほとんどは教授のお手伝いをしてたかな。有意義で楽しい休暇だったよ」
「あなたって……」
「一言でいえば教授中毒?」
相変わらずテイジーはずばりと言ってくれちゃいます。
中毒でもなんでもいいよ、それがいちばん楽しいんだから。
もちろんレポートの採点まで手伝ってたとはさすがに洩らさなかったけどね。
(これはもろ個人情報だし……ってこれもまだこの時代にはない言葉だったか)
おかげでこの次に提出する自分のレポートにどんな採点がされてくるのかが何気に楽しみになってきたよ。
そのあとも、寮の談話室ですれ違う先輩たちにプレゼントのお礼を言ったり。
荷物を片つけたりしてたらすぐに1日が過ぎてしまった。
今週は明日から2日授業を受ければすぐに土曜日がやってくるのだけど。
来週はいよいよ教授の誕生日があるので、私はまた思案に暮れているところだったりする。
今までは当日にバースデーカードと、その週の土曜日の夕食でさりげに誕生日を演出してたんだけど。
ホグワーツでは自分で料理を作ることができないので(厨房があることはいちおう夢小説で知ってる)、やっぱりちゃんとしたプレゼントを用意する必要があると思う。
でもお酒はクリスマスにやっちゃったから、そろそろほんとに形あるものを考えた方がいいよね。
……まだ怖い気持ちは変わってないんだけど。
「スネイプ先生への誕生日プレゼント?」
「うん。ミリーはいつもどうしてるの?」
「私の父は夏休み中だから、旅行に行った先で思い出の品を買ってプレゼントしてるけど」
「テイジーは?」
「うちはカードだけ。私が健康で元気でいてくれるのがいちばんのプレゼントなんだって」
「アスリンは?」
「去年はブローチとカフス。一昨年は写真入りのロケットだったかな。その前は手編みのマフラーだったような気がする」
なんか参考になりそうでならないかもしれない。
手編みは確かに魅力的だけど、今からどうにかするにはちょっと厳しいと思うし。
「ミューゼ自身は先生になにをもらったの?」
「私は洋服。ほら、夏に着てたワンピースとか」
「ああ、あれ素敵だったわよね。清楚な感じが出てて」
「確かに似合ってたわね。中身とのギャップを気にしなければ」
……ま、そうなんだけど。
「プレゼントって、人によってかもしれないけれど、自分が欲しいものをあげる傾向があるっていうし。洋服もいいんじゃない?」
「よりによってなんでいちばん自信がないものを挙げるかな。私にはセンスがないって言ってなかったっけ?」
「一緒に選んであげるわよ。スネイプ先生なら、黒を選んでおけばほぼ間違いないし」
「そうね、ある意味楽かもしれないわよ」
「……うん、そうかも」
「じゃあ決まり。確か談話室に通販カタログがあったと思うから、私借りてきてあげるわ」
「ありがとうミリー」
そんなこんなで。
私のありがたい友達は、ああだこうだと言って一つのシャツを選んでくれて。
サイズの方はメイミーに訊けばすぐに判るからと、私は洗濯物にメモを紛れ込ませるいつものやり方で無事教授のサイズをゲットすることができた。
うん、持つべきものはセンスに富んだ友達だとマジで思いました。
誕生日の前日までに、プレゼント用にラッピングされたシャツが通販で届いて。
それに手書きのカードを添えて、私はわざわざフクロウ小屋から誕生日の朝に届くよう教授の部屋へ送った。
すると、その日の朝食の時、フクロウ便の時間にいつもはない私への手紙が配達されたんだ。
もちろん教授からで、カードには『プレゼントが届いた。大切に着させてもらう』と書かれていた。
「よかったじゃない」
「うん。みんなのおかげだよ。ありがとう」
「いいえ、どういたしまして。今度私の相談にも乗ってくれる?」
「うん、もちろん」
教員席の方を振り返ると、教授もこちらを見てたのだけど。
教授のもとにフクロウからいくつかの手紙や小箱が配達されてるのに気がついたんだ。
……やっぱりそれなりに慕われてるんじゃん、教授って。
私の表情が曇ったことには、ルームメイトのみんなは気付いたみたいだった。
「どうしたの?」
「ううん。……なんか、他にも教授にプレゼントが届いてるの見たらなんとなく」
「少なくともカードのうち3通は私たちのよ」
「あ、そうなんだ。みんなありがとう」
そうだよね、知ってたらカードくらいふつう送るか。
小箱の方は気になるけど、いつもお世話になってる教授にスリザリン生が贈り物をしたとしてもたぶんよくあることだし。
教授の誕生日は木曜日で、その日はフクロウ便のやり取りだけでとくに顔を合わせることもなく。
翌日金曜日は魔法薬学の授業があったけれど、相変わらずネビルを中心としたグリフィンドールがわいわいがやがやうるさかったくらいで、教授と個人的に話をするようなことはなかった。
そして、さらに翌日の土曜日。
やっと直接おめでとうが言える夕食会のその日、同室のみんなと朝食を食べている時に少し遅れて現われた教授に、真っ先にアスリンが気がついた。
「ミューゼ、ほら見てごらんなさい。スネイプ先生、ミューゼがプレゼントしたシャツを着てるわ」
「え?」
「あ、本当! あの襟の形は間違いないわよ。よかったわね、ミューゼ」
「……うん」
アスリンと、あとミリーが言う通りだった。
さっそうと現れて教員席にまっすぐ向かって歩いていく教授は、確かに私が贈ったシャツを身に着けていたんだ。
……なんだかちょっと気恥ずかしい。
そのシャツが似合ってるのかどうかすらも私には判らないのだけど、たぶん教授がこの日を選んで着てくれたのは間違いなかったから。
夕食の時間が待ち遠しかった。
部屋で本を読んでいてもなかなか頭に入らなかったし、切り替えるつもりで授業の予習をしてみたけれど、やっぱり頭に入らなかったし。
今日一日、教授があのシャツを身につけて過ごしているんだと思うと、やっぱりちょっとだけ恥ずかしくて。
誰かになにか言われたんじゃないかとか、もしかしたらセンスがないとか思われたんじゃないかって、急に心配になったりもした。
ふだんの私はあまり物事を気にしないタイプではあるんだけど、ひとたび気になりだすと持ち前の妄想力で思考が暴走する傾向があるみたいで。
夕食までの数時間、私は悪い方へばっかり暴走する妄想と必死に戦い続けていた。
そして、ようやく教授の部屋を訪ねても早すぎないだろう時刻がやってきて。
私ははやる気持ちを抑えながら、教授の部屋をノックした。
「教授、ミューゼ・スネイプです」
「入りたまえ」
「はい」
私がドアを開けて中へ入ると、教授はソファから立ち上がって、いつものようにドアに杖を一振りした。
「教授、そのシャツ、さっそく着てくださってありがとうございます」
「ああ」
「あらためてお誕生日おめでとうございます」
「……改めて祝ってもらうほどのことでもない」
言葉はぶっきらぼうだけどけっして嫌がってる訳じゃないのは判った。
それまでの悪い妄想も、教授の声を聞いたら一瞬にして消えてなくなっていた。
食事中はいつものように会話はなくて。
食後、私はソファでくつろぐ教授のうしろへと回って、肩もみをしながら声をかけていた。
「そういえば、おとといの朝、フクロウ便で教授にプレゼントが届いたのを見ました。贈り主はスリザリン生だったんですか?」
教授の肩が少し緊張したので、立ち入ったことを訊いて怒られるかと思ったのだけれど。
教授の答えは意外なものだった。
「あれは贈り主に突き返した」
「……へ?」
「学生が贈り物に選ぶには高価すぎるものだったのだ。よっぽど親に吠えメールでも送りつけてやろうかと思ったが」
教授が吠えメールって……恐ろしすぎる。
思いとどまってくれたみたいでほんとによかったです。
「ちなみにおいくらぐらいのものだったんですか?」
「あのブランドなら軽く百ガリオンはくだらないだろう。特注品ならさらにその3、4倍はしたはずだ」
「……」
えーっと、1ガリオンが私の感覚だとだいたい千円ちょっとくらいだから。
百ガリオンなら十万円以上、その4倍だと40万円……!?
「その人、まさか将来私の母親になったりしませ ―― 」
言い終えることができなかったのは、勢いよく振り返った教授がギリッと私を睨みつけたからだ。
「馬鹿も休み休み言いたまえ!」
「……はい。すみませんでした」
「ふん!」
照れてるって感じじゃないから、ほぼ間違いなく教授は迷惑してる方なんだろうな。
とりあえずそういう常識がない女の子が教授の好みじゃないと判って心底ほっとしたよ。
まあでも、今すぐじゃないにしても、教授が再婚するってパターンは十分ある可能性なんだよね。
原作中では若い女教師がホグワーツに来るようなことはなかったはずだけど、ハリーが卒業したあとのことは判らない訳だし。
まずは教授の命を救うことが第一の関門になるんだけど、たとえ私が教授の老後の世話をしたいと願っても、私といくらも変わらない年齢の後妻を迎えちゃったらその夢もついえることになるのか。
……いろいろ難しいなぁ。
「なにを考えている」
どうやら肩もみの手が止まってたらしい。
私は慌てて肩もみを再開させながら、特になにも考えずに答えていた。
「あ、将来のことを少し」
「なにかやりたい仕事でもあるのかね?」
……だよね、11歳の女の子が自分の将来について考えてたら、まさかそれが父親の老後のことだなどとは誰も思うまい。
「お話しできるようなことではないです」
「……そうか」
私の言い方が悪かったのか、教授の声は低くてわずかな苛立ちを含んでいるのが判る。
いやでも、正直に話す訳にはいかないしな。
「いえ、今考えていたのはお話しできるようなことではないんですけど、進路については教授に相談しないで決めるようなことはしませんから」
「……」
「その時はぜひ相談に乗ってください」
「……」
それ以上、フォローの言葉も思いつかなかったので、教授と一緒に私も沈黙したままで。
しばらく肩もみを続けていると、ふっと教授がソファから立ち上がった。
そのまま執務机の方へ行って、引出しから取り出した羊皮紙の束の中から一枚を抜き出して私の目の前にぶら下げた。
「なにか問題でも?」
「今まではこれでも“優”をやっていたが、どうやらおまえには易しすぎたようだ。今後は3年生レベルのレポートを要求する」
「課題は1年生のままでですか?」
「そうだ。同じ課題で、3年生で優を取れるレポートを仕上げろ」
「……判りました」
なにげに難しいよこれ。
教授のレポートは授業内容をまとめるとか、そこから少し発展して何かを調べるとか、そういう課題が多いんだけど。
3年生の授業を受けて3年生レベルのレポートを書くのと、1年生の授業を受けて同じレベルで書くのとじゃ、それだけで難易度が格段に上がってくる訳だから。
でもそれを言うなら教授もだよね。
今までぜんぶの生徒を画一的に採点できたのに、私のレポートだけ基準が変わる訳だから、それだけでも手間が増える。
つまり、私だけ教授に個人授業をしてもらうのと同じだってことだ。
それはそれで嬉しいことだったから、私は自然に笑顔になっていた。
「そのレポートも書き直しますか?」
「次からでかまわん。……そろそろ時間だろう」
「そうですね。ではこれで失礼します。おやすみなさいませ」
「ああ」
いつものように就寝の挨拶をして教授の部屋を出る。
そろそろ寮の門限が近いから、あたりに人影はなく薄暗い廊下を自分の足音だけを聴きながら寮へと戻っていった。
このときには、私はこれから起きる出来事について、まったく予想もしてなかったんだ。