正直、たかだか1週間やそこらの休暇のために、片道丸々1日をかけて電車で移動する意味ってあるのかと思うんですけど?
私の家族といえる存在は今ぜんいん、ホグワーツのお城の中にいるというのに。
「ほう、生徒があらかた帰省して静まり返る校内に、残されたのは数人の生徒と教師のみ。さぞかし交流が深まることでしょうな」
……はい、素直に帰りますよ。
ハリーがクリスマス休暇に帰省しないと決めている以上、私がホグワーツに残るのは不可能だってことですね、教授。
ルームメイトの3人はとうぜんのように帰省組で、家族に会える嬉しさから興奮気味の彼女たちと一緒に、私もホグワーツ特急に乗り込んだ。
コンパートメントの中でお菓子をつまみながら楽しくおしゃべりして。
そうこうしているうちに列車は駅へと到着して、ほとんど時間というものを感じさせなかった。
「じゃあ、いいクリスマスを」
「うん。また新年に会いましょう」
「プレゼント送るからねー」
3人と別れのあいさつを交わして、迎えがいない私は一人でマグルの街をぶらぶら歩きながら、クリスマスムードに染まった風景を楽しんだ。
実は、クリスマスプレゼントは最初からマグルのお店で買うつもりでいて、今月のお小遣いは教授に頼んでポンドでもらってたりする。
というのも、私以外のルームメイトはぜんいん魔法使いの両親を持っていて、マグル界のことはまったく知らなかったりするんだ。
だからたまには私がマグルの世界のことを話してあげたりもするんだけど、やっぱり聞いているだけでは実感できないからね。
みんなにぜひにと頼まれちゃったりしたこともあって、私はマグルのお菓子でおいしいと思ったものをクリスマスプレゼントで送ってあげることにしたんだ。
とはいっても、マグルのお菓子に類似するものの大半は魔法界のお店でも売ってたりするから。
私が買ったのはコアラのマーチ的なチョコレート菓子とか、ポッキー的なチョコレート菓子とか、カール的なスナック菓子とかだったけれど。
(なんとなく機械で大量生産された雰囲気があるヤツね。クッキーみたいなものは食べ慣れてるから)
てきとうに数種類買って、あとクリスマスカードもいくつか選んで、私は本命の教授へのプレゼント選びに取り掛かった。
……買い物に来るたびに思うけど、私は買い物が大嫌いだ。
クリスマスといえば父の日、父の日といえばネクタイ、タイピン、カフス、靴下、お酒、おつまみ、etc。
クリスマスプレゼントに最適なお店はたくさんあって、お店の中にはプレゼントに出来そうな品物もたくさんあるのに、私は遠巻きに眺めるだけでなかなか選ぶことができない。
……怖いんだ、教授に『どうしてこんなものを選んだ』って目で見られるのが。
じっさい教授にそんなことを言われたことも、プレゼントを拒否されたことも一度もないのに。
(前世の母、あれだって立派な虐待だったよな)
朝仕事に出かける前には、毎度毎度私が着てる服を見て『そんな格好じゃ暑いでしょ』だったし。
私がサプリメントを飲んでれば『またあんたはそんな薬みたいなものばっかり飲んで』だったし。
私がどんなに寒がりかを説明しても、暑がりの母はぜったいに認めなかった。
現代社会の食の偏りとサプリメントの有効性を説明してもまったく耳を貸そうとしなかった。
買い物に来ると、母に『またこんなもの買ってきて』と言われた時の気持ちを思い出して、それ以外のいろんなことまで思い出していたたまれなくなる。
これが虐待じゃないならいったい何なんだろう?
これだけ私の心に傷を残しておきながら、あの人は露ほども私を虐待したなどと思ってはいないのだ。
(……ああ、私はまったく、いったいなにをやってるんだ。この世界にもうあの母はいないのに)
私が子供を産めないと思ったのも、この虐待とはみなされない虐待を、自分の子供に与えてしまうのが怖かったからだ。
前世で付き合ってた人にプロポーズされたこともあるし、付き合ってなかった人に告白代わりにプロポーズされたこともあったけど、私は結婚に踏み切ることができなかった。
私の子供嫌いは、本当は子供が嫌いだったんじゃない。
子供に虐待してしまう自分が怖かっただけなんだ。
(とにかく、今は教授へのクリスマスプレゼントだ。教授に私の買い物嫌いは改善してるって証明しないと)
服とかアクセサリーとか、残るものはまだ怖いから。
ワインかブランデーにしようと思って、私は酒屋に入って、悩んだ末にクリスマス向けのお酒の中からシャンパンを1つ選んで購入した。
もしも教授が好きな味じゃなかったとしても、ひと瓶くらいなら飲んでくれるか、飲んだふりくらいはしてくれるだろうし。
……なんかとことんうしろ向きになってる自分がものすごく嫌だけど。
そんなこんなで、家に辿りつく頃にはぐったり疲れ切ってました。
ホグワーツでは会うことができなかったメイミーが夕食を用意しながら待っていてくれて、買い物袋を抱えた私をねぎらってくれる。
私はメイミーに、プレゼントをフクロウ便で送ってもらうように頼んだあと、食事をしてお風呂を使ってすぐに眠ってしまった。
そうして迎えたクリスマスの日。
私の部屋には、同室の3人からのプレゼントのほか、なぜかスリザリン寮の先輩やら同輩やらのプレゼントが大量に届いていて。
見ればお菓子の類が多かったのだけど、中にはアクセサリーやら羽根ペンやら、明らかに知り合いぜんぶに一括で送ったのとは違うだろうと思われる値段のものまで含まれていた。
……クリスマスカード、たくさん用意しておいて本当によかったよ。
(実は来年以降は買わずに済ませるつもりで年号が入ってないのを40枚くらい追加で買っておいたんだ。……ポンドを使い切る勢いで)
私は名前が書いてあって顔が判る人にカードを書いて、またメイミーにフクロウ便で送ってもらった。
教授からのプレゼントは毎年数冊の本で、今年も1冊が魔法薬の本、1冊が薬草、あとの2冊は学校では習わないけど使い勝手がいい魔法の本だった。
去年までは私も手作りお菓子や料理で誤魔化してたんだけどね。
(ちなみにメイミーとは一緒に作って互いに贈り合ったことにしてました)
だからこそ今年のプレゼントへの教授の反応は正直めちゃくちゃ怖いです。
まあ、今年はハリーが学校に残ってるから、教授はたぶん25日のうちには帰ってこないけどね。
確か原作でハリーが透明マントを使って図書館に入って、フィルチと教授に追いかけられるのが25日の夜だったと思うし。
……あれ? 教授が出てくるのって映画だけの設定だったっけ?
賢者の石は夢小説でかなり読み込んだはずだけど、ところどころ細かいところが抜け落ちてるのは経過した年月からも仕方がない部分だったりする。
そんな訳で、クリスマスディナーはメイミーと一緒に作って一緒に食べて、夜は教授にもらった本を読みながら眠りについて。
教授が帰ってきたのは26日の夕方になってからだった。
「おかえりなさい。お疲れさまでした」
「ああ」
「教授、本をありがとうございました。さっそく昨日読みました」
「そうか。……おまえのシャンパンも届いた。今夜飲ませてもらう」
「はい」
昨日のうちに開けてフィルチさんとでも飲むのかと思ったけれど、どうやら開けずに持って帰ってきてくれたらしい。
テーブルにメイミーと一緒に作った夕食が並ぶと、教授はコルクを飛ばすようなことはせず、丁寧にシャンパンを開けてグラスに注いだ。
一口飲むのを待ってから恐る恐る訊ねてみる。
「お味はいかがですか?」
「……」
いや、そこで沈黙されるとめちゃくちゃ心臓に悪いんですけど。
教授は少し私を見つめたあと、ついっとグラスを差し出してきた。
「飲んでみるか?」
……未成年にお酒を勧めていいんだろうか?
(私が子供の頃にはいたけどね、水だと偽って日本酒や焼酎を子供に飲ませて笑うような親戚の大人が)
恐る恐るグラスを受け取って口に運んでみる。
……やっぱり、子供の舌ではお酒の味をおいしいとは思えないか。
苦みにちょっとだけ顔をしかめたあと、グラスを教授にお返しした。
「少し甘すぎましたか?」
「いや。悪くない」
「そうですか。それならよかったです」
マグルのお店で買ったものだからどうかと思ったけれど、教授の舌に合ってくれたのならよかった。
私はほっと息をついて、目の前に並べられた料理に手をつけた。
肩もみの間、教授はシャンパンを飲みながら何かを考えていたようで。
私も無言で肩もみを続けていると、教授の考えがまとまったらしくふっと口に出していた。
「……透明マントか」
あ、なるほど、昨日の夜のことを考えてたのか。
今ホグワーツに残ってる人数は多くないから、図書館に侵入した犯人の目星はついてたんだろうけれど、どうやって逃げおおせたのかが今まで判らなかったということらしい。
確かハリーの透明マントはもともと父ジェームズのものだったはずだから、浅からぬ因縁をもつ教授もその存在は知ってたのだろう。
「懐かしいですね。教授が読んでくださった絵本の中に出てきたのを覚えてます」
「……飲みすぎたようだ」
「そうですか。では、私が紅茶を淹れてきます」
口に出してるつもりはなかった、ってことなのかな?
私はテーブルまで行って丁寧に紅茶を淹れ始める。
教授ほどの腕はないのだけれど、酔っ払いが飲む分にはさほど気にならないだろう。
「そういえば、クリスマスプレゼントでアクセサリーをいただいたんですけど、お返しはカードだけで問題なかったでしょうか」
紅茶を淹れ終えてテーブルに置きながら訊ねると、教授は酔って少しうるんだ目で睨み上げてきた。
「誰からだね?」
「名前は失念しましたが、スリザリン寮の先輩からです」
「……持ってきたまえ」
「……はい」
なんか、教授の目が少し怖いんですけど。
とりあえず言われたとおり部屋に戻って箱とカードを一緒に手にして再びリビングへと戻る。
差出人はスリザリンの確か4年生で、薬学教室でよく声をかけてくれる優しい先輩だ。
もらったのは琥珀かなにかでできたペンダントで、カードには『君の瞳に似合いそうなので贈ります』と一言だけ書いてあった。
そういえば前世で友達と旅行中、似たようなのを観光地の土産物屋で買ったことがあるけど、確か当時で千円くらいじゃなかったかな?
(当時とはいっても私が若い頃なので時代は今とほぼ同じだ)
その場のノリで友達とお揃いで買ってはみたものの、使うことはほとんどなかった気がする。
ペンダントを手にした教授は少し眺めたあと、杖を振って何かを確かめたようで。
やがて憮然とした顔のまま、ペンダントを私に返してくれた。
「気に入ったのかね?」
「私、アクセサリーのことはほとんど判らないです」
「その生徒に特別な好意は?」
「ありません」
「ならばカードだけで十分だ。突き返すほど高価なものではない。だからといってわざわざ付けて見せてやる必要もないだろう。……呪いなどは掛かってないようだから、付けたいと思ったら付けてもかまわんが」
「判りました。見てくださってありがとうございました。助かりました」
「……」
うん、やっぱりこの父は頼りになるよ。
これからもなにかもらったら真っ先に教授に見せることにしよう。
再び肩もみに戻って、私はこの広い背中に守られてるんだな、ってことを実感した。
前世では、父親に守られる感覚とか、実感したことがなかったから。
私が仕事を始めた頃は、まだセクハラって言葉すらなかった時代で、20年後なら一発で問題になるようなこともかなり大っぴらに横行していて。
私は同期の他の人たちと比べてとくべつ魅力的な訳でも社交的な訳でもなかったのに、頭をなでる、肩をたたく、くらいの被害にはしょっちゅう遭遇していた。
やがて周りが結婚し始めて、既婚女性でも働きやすかったうちの職場には、ちょうど不景気で採用が減ったこともあって独身女性が少なくなってきて。
ある1人の上司が、私以外の人にはまったくセクハラをしてないことに気がついたことで、私ははっきりと自覚したんだ。
私は、誰にも守られてないんだってこと。
父親がいなくて、結婚もしていない私は、上司にとってセクハラしやすい人だったんだ。
他の人たちはみんな、独身の頃は父親に、結婚してからは旦那様に、見えないところで守られている。
じっさいに誰かに睨みを利かせてる訳じゃなくても、背後にその存在が“ある”という事実だけで、彼女たちは守られていたんだ、って。
今、私の目の前には、広い背中で私を守ってくれる存在がある。
この人がここにいるだけで、私に対して邪なことをしようとする人は確実に減っているだろう。
これから先、私が性の対象として見られる年齢になってからも、それだけが目的で近づいてくる人はほとんどいないはずだ。
……まあ、もしかしたら、まじめに好意を持ってくれた人が二の足を踏むこともあるかもしれないけれど。
(でもそれでいいんだ。私は、教授だけが傍にいればそれで満足なんだから)
子供としては、せめて教授に孫の顔くらい見せてやらなきゃなのかな、とは思うけど。
(これも子供としての義務ではあるんだよね。……果たせる気はしないけど)
今はただ、せめてもの親孝行と思って、私は誠心誠意教授の肩をもんでいた。