おばさんは薬学教授の娘に転生しました。   作:angle

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幼少期1

 

周りが、やけに騒がしく感じた。

徐々に意識が浮上しているらしく、その流れに自然に身を任せて目を開ける。

どうやら私が寝ているのはベッドのようで、視界の中に白衣を着た人が何人か映ったところをみると、ここは病院かなにかなのだろう。

なぜ自分が病院にいるのかなんて判らない。

でもとりあえず状況を把握しようと顔を動かすと、いきなり視界に飛び込んできた男の人に怒鳴られて驚いた。

 

 

「 ―――――――――――――――― !!」

 

 

え? ……もしかして英語ですか?

驚きのあまり呆然としていると、私に対して怒鳴っている人を別の白衣の人がたしなめていて。

そこの言葉も英語で、しかも私の目の前で口論したかと思うと、男はまた私に対して怒鳴ってくる。

怒鳴ってる人は真っ黒な服を着てるから医者じゃないのかもしれない。

年の頃はたぶん20代半ばくらいで、顔色が悪く、眉間に深いしわを寄せていてすごく怖かった。

 

 

「ふぇ……」

 

 

気がついたら私は目に涙をいっぱいにためて泣いていた。

ただただ怖いという感情だけが押し寄せてくる。

この狂ったような感情の奔流も信じられなかった。

すぐにのどの奥が痛くなって、私は感情に流されるままにしゃくりあげて泣いていたんだ。

 

 

え? ちょっと待ってよ! なんで私、こんな子供みたいな泣き方してるワケ!?

こんな泣き方したの、子供の頃の一時期をのぞいたら、もう10年以上前だけどちょっとしたきっかけで子供の頃のトラウマを思い出した時だけだったんだけど!

 

 

だいたい私はもう40を過ぎた立派な大人で、ある程度感情を抑えるすべだって知ってたはずなのに。

こんな、誰も知ってる人がいない、しかも英語をしゃべる外国人に囲まれてるのになんでこんな手放しで泣いてるんだろう私。

確かに怒鳴りつけてくる黒い人はめちゃくちゃ怖いけど、でも泣いてたってなにが解決する訳でもないし、なによりトラブルに遭っていきなり泣くなんて社会人として恥ずかしいじゃないか。

 

 

でも、そんなことを思ったのは恐怖で支配された頭の中のほんの片隅でのことで。

泣き疲れてしまったのか、私は再び眠ってしまったようだった。

 

 

 

 

トイレを探しまわる夢を見て。

目が覚めた瞬間、どうやら粗相をしてしまったことに私は気がついた。

 

 

(いやいや、さすがにないでしょおねしょとか……)

 

 

あ、いや、うん。

実はこれまでの人生で最後におねしょした日のことは覚えてたりするんだけどね。

 

 

今から20数年前、私がまだ高校卒業したてのぴちぴちの18歳だった頃。

就職して最初の日、ガチガチに緊張して一日を過ごした日の夜はあまりに疲れてたらしく、翌朝なんの意識もなく布団を濡らしてたんだ。

いやもうその時は恥ずかしいとかそういうんじゃなくひたすらショックだったよ。

こういうときいつもならバカにし倒すうちの母親も茶化せる状況じゃないと悟ったようで、『よっぽど疲れてたんだね』と言ったあとは黙ってあと始末をしてくれて、この時ほど親のありがたみを感じたことはなかった気がする。

 

 

……ああ、判ってるよ、自分が現実逃避したがってる、ってのは。

おねしょ、やばっ!とか思って暗闇の中、起きあがって布団に手を押しあてたけど、そこにはぬれた感触はまったくなかった。

なんのことはない、私はおむつを履かされていたんだ。

それもショックですぐに手探りでおなかのあたりを探ると、ようやく闇夜に目が慣れてきた私の視界に映る身体はいつものそれじゃなかった。

 

 

なんだか、異様に小さいのだ、私の身体が。

確かに私はそれほど長身の方じゃないがそれにしたってあまりに小さすぎる。

 

 

どうやら今は真夜中のようで、個室らしい病室には私以外の誰の姿もなかった。

見回せば壁にかかった時計の針は3時を過ぎたあたりを指している。

とりあえず自分の状態を確かめようと思って、灯りと鏡を探しにベッドを降りるつもりだったのに、ヘリに腰かけた私の足はあまりに短く床まで軽く50センチ以上は離れていた。

ベッドの高さが高いんじゃない、私の身体が縮んでるんだ。

 

 

いやいやいやいやいや、だって私、昨日まで45歳の大人だったよね??

普通の ―― って言っていいかは微妙だが ―― 結婚できない独身の会社員で、そんなにスタイルがいい訳じゃないけど、少なくとも見た目は普通のおばさんだったのに。

 

 

 

ベッドに腰かけたまま、薄明かりの中で手足を見る。

もしかして身長、1メートルもないかもしれない。

私が身長1メートル超えたのって確か幼稚園の頃だった記憶があるから、下手したら今は3、4歳くらいなんじゃないだろうか?

それって私がやっと物心ついたかな、って年齢だよ。

 

 

その後、私はなんとかベッドから降りて(まさに清水の舞台から飛び降りる心境だった)、病室からドアを隔てたユニットバスにあった姿見で自分の姿を確認した。

子育ての経験がない私、子供の年頃なんかほんとに判らないけど、でも鏡に映ったのはたぶんまだ幼稚園にすらも行ってないくらいの幼い子供の姿だった。

しかもあり得ないことに、純日本人だったはずの私は、なぜか西洋風の顔形をしていて。

髪は黒くはあるけれどちょっとしたくせ毛で、瞳の色も茶色に変わっていたんだ。

 

 

……ええっと、これはトリップ? それとも生まれ変わり?

夢小説用語でいうところの若返りトリップとかなのか??

え? でも私、元の世界で死んだりとかしてないよね???

 

 

そう思ってここへ来る前のことを思い出そうとしたのだけど、なぜかまったく思い出せなかった。

いやほんとに、かけらも浮かんでこない。

せめて昨日寝る前にどうだったとか思い出せないかと思ってたんだけど、頭の中にいろいろ浮かんではくるのにそのうちのどれが最後の記憶なのかが判らないんだ。

私は45歳の独身会社員、そういう記憶はあるのに、昨日が何月何日だったとか、昨日仕事でどんなことがあったとか、そういう具体的なことがぜんぜん思い出せなかった。

 

 

 

いったいどのくらいの時間、私は冷たい床に座り込んでいたんだろう。

気がついたとき、私の隣には看護師さんなのだろう、白衣をきた女の人がしゃがんで顔を覗き込んでいた。

 

 

「ミューゼちゃん、いったいどうしたの? こんなところで」

 

 

自慢じゃないけど私、この年になっても英語はまるでできなかった。

でも、なぜか彼女が言ってる言葉が理解できたんだ。

こんなに英語が頭にすんなり入ってきたのは生まれて初めてだった。

 

 

「ミューゼ……? それ、私の名前……?」

 

 

自然と英語が口をついて出る。

こんなにちゃんとした発音ができたのも初めてだ。

ちょっとたどたどしいのは、私の舌がまだ幼児のそれだからだろう。

 

 

私の答えに看護師さんが笑顔を消して不安そうな表情を見せる。

でもまたすぐに今度は作ったような笑みを浮かべた。

 

 

「寝ぼけちゃったのかな? ミューゼちゃんはまだお怪我が治ってないから、あんまり動くと傷が開いちゃうのよ。さあ、一緒にベッドへ戻りましょうね」

 

 

そう言うと、看護師さんは私を軽々と抱き上げて、夜が明けて明るくなった病室のベッドへと寝かせてくれた。

 

 

 

そのあと、私のベッドに昨日の白衣のお医者さんらしい男の人がやってきて。

いくつも質問を投げかけられた私は、正直訳が判らずほとんどの問いに判りませんと答え続けた。

先生の話から察するに、どうやら私はミューゼという名前の4歳の女の子で、家の木の上から落ちて頭を打ったらしい。

(そういえば鏡の中の私の頭には包帯が巻いてあった)

じっさい私にはそんな記憶はないのだから、先生が私が頭を打ったせいで記憶を失ったという結論を出したのは至極当然のことだった。

 

 

 

質問タイムが終わって、もらった薬を飲み干して横たわると、先生達が部屋を出ていって独りになった。

どうやら私、本格的にトリップしてしまったらしい。

しかも、45歳会社員だった私の記憶はあいまいで、この身体の私が4年間生きてきた形跡があるということは、私はおそらく生まれ変わったということなのだろう。

 

 

(たぶん、ミューゼという名前の女の子が木から落ちて、頭を打った拍子に前世の記憶を思い出したとか、そういうことなんだろうな)

 

 

それなら私に英語が理解できた訳も判る。

ミューゼは生まれてからずっと英語を聞いて育ったわけだから、彼女の脳は英語が聞き取れる脳になってるんだ。

記憶だって、私という意識が思い出せないだけで、ちゃんと彼女の脳の中には存在してる。

つまり、45歳の私の記憶がよみがえることで、4歳のミューゼの意識を乗っ取っちゃったんだ。

 

 

(えーっと、もしかして私、果てしなく悪いことをした……とか?)

 

 

4歳のミューゼはやっと物心がついたくらいの幼い子供だから、あまりはっきりした自我なんてものはなかったのだろうけれど。

でも、45歳の私の記憶が蘇らなければ、きっと私とはまったく違った自我を形成したのだろう。

その可能性を私の記憶は潰してしまったんだ。

……でも、蘇ってしまったものを今更どうすることもできないんだけど。

 

 

(そっか、たぶん、初めて目覚めたあの時の恐怖の感情、あれが彼女の自我だったんだ)

 

 

ただ怖さに泣くことしかできなかった。

あの感情が、私がミューゼであることの証だったんだ。

 

 

(ごめんね、ミューゼちゃん。私、あなたを乗っ取っちゃったよ)

 

 

でも記憶が蘇ってしまった以上、私はこの記憶を抱えて生きていくことしかできない。

せめて彼女が完全に消えてしまっていないことを、私は祈りたいと思った。

 

 

 


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