本屋に舞い降りた天使に俺は恋をした   作:Kohya S.

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9. 舟を手に入れろ (1)

 結局、文集はそれなりに売れて、残り五冊というところで文化祭は終わりになった。「まずまずね」とは泉の弁だ。

 部活も平和になり、だらだらと本を読んでいても泉もうるさくいわなかった。とはいえ、部活があるのも期末試験の期間までで、あと一週間ほどだ。

 

 また文集の作品が仕上がったことで、俺は新人賞のほうに本格的に取りかかっていた。まずはアイデアからプロットを練り始めたものの、まだまだ形にはならず前途多難だった。

 

 次の金曜日はいつものように図書館へ行った。数日前に梅雨入りしていて、天気はあいにくの雨。しかし再会の期待で俺の心は軽かった。

 

 約束はしていなかったが、幸運なことに花丸とは無事に落ちあうことができた。

 

 棚を眺める彼女の制服は夏服にかわっていた。襟を飾るのはリボンからスカーフになり、冬服よりも一般のセーラー服に近い。

 

 へえ、浦の星の夏服はノースリーブなんだ。ちょっと目に毒だよな……。

 

 柔らかそうな白い腕がまぶしかった。

 ちなみに俺のほうもしばらく前から半袖の開襟シャツだ。

 

 気づかれる前に声をかける。

 

「こんにちは、花丸さん」

「あ、遼さん。こんにちは」

 

 遼さん……。花丸に名前で呼んでもらって、俺は感動に震えた。

 

「……あの、遼さん?」

 

 はっと我に返る。

 

「あ、ごめん」

 

 花丸はくすっと笑った。

 

「あの、文集、読ませてもらいました。よかったら、感想をお伝えしたいんですけど」

 

 き、来た。花丸がどんな評価を下すのだろうか……。気になる。

 

「それじゃ、帰り、喫茶店にでも行こうか」

「はい」

 

 俺たちはそれぞれ借りる本を選び、いつもより少し早めに図書館を出た。傘を並べて通りを歩いていく。

 同じ傘に入れれば、いいんだけど……。

 

 どこか別の店にしようかと思うものの、心当たりはなく――結局、以前と同じ店に入った。

 

 注文をすませてから、花丸に気になっていたことを話す。

 

「あの、花丸さん」

「はい?」

「名前で呼ぶことにしたし……よかったら、ですます、じゃなくてもいいけど」

 

 人のことはいえないがすこし他人行儀な気もしなくもなかった。

 

「あ、そうですよね。……あれ? えっと、そうだよね。かな?」

 

 花丸は、はあっとため息をついた。

 

「難しいずら。オラ、じゃなくて、マルもそのほうがいいのかなって思うんですけど。ほら、マル、ちょっと言葉遣いが変だから……」

 

 目を落として恥ずかしそうにする。

 

 そこも含めて可愛いんだと思うけど……。それに俺に対しても結構、オラとかずらとか、いってる気がするぞ。本人は気がついてないのかな。

 

「気をつけようって思うと、どうしてもこういう感じになってしまって……」

 

 なるほど。

 

「でも、そうですよね。せっかく、遼さんがそういってくれたから」

 

 花丸はぐっと右手を握る。

 

「それじゃ、えっと、この前の文集の話、なのだが。……あれ? 文集の話をしたいずら……じゃなくて……」

 

 俺は吹き出しそうになるのをこらえる。

 

「文集の話したいんですずら。でもなくて、あわわ……」

 

 花丸は目を白黒させた。

 

 俺は助け舟を出す。

 

「友達に話すときと同じでいいよ」

「それだとなまっていて恥ずかしいずら……。あっ、また」

「俺は、気にしないけど……。それじゃ、いままで通りで」

 

 花丸に笑いかける。

 

「それが嬉しい、です」彼女もほっとしたように微笑んだ。「それで、この前の文集の話ですけど――」

 

 花丸が話しかけたところで店員が注文を持ってきた。

 

「先に、食べようか」

「はい、そうですね」

 

 花丸は抹茶ミルクとコーヒーゼリーの盛りあわせ――白玉やあんこが添えられ和風になっている――俺はコーヒーとショートケーキだ。

 

「いただきます」

 

 花丸は両手をあわせる。

 

 花丸は上品にひとくちずつ丁寧に食べていた。

 うん、こういうところにも育ちのよさが出てるな。

 

 スイーツを食べているあいだ、花丸はときどき手を止めてスクールアイドル部のようすを楽しそうに話してくれた。

 

「ルビィちゃん、さすがなんです。振り付けにも、しっかりついていって。リズム感もいいし」

「へえ」

「それにくらべたら、マルは体力も動きも、まだまだだなぁ」

「これからトレーニング、していけばいいんじゃないかな」

「うん、マルもがんばります」

 

 途中、フォークを置いて花丸が聞く。

 

「遼さんは、パソコン、持ってますか?」

「うん、うちにあるけど」

 

 高校に入るときに兄のおさがりで専用のパソコンをもらった。原稿書きに使っている。

 専用でなくても、たいてい一家に一台くらいはあるんじゃないかな。あ、でも、スマートフォンですべてすます、というのも最近はあるかもしれないけど。

 

「インターネット、というやつにも、つながってますか?」

「そうだね」

 

 いまどきつながっていないほうが、めずらしいと思う。

 

「はーっ、うらやましいずら!」

 

 花丸は羨望(せんぼう)のまなざしで俺を見つめた。

 

 ん、花丸の自宅にはパソコンがないのかな。

 

 俺の疑問に満ちた視線に気づいたのか花丸は続けた。

 

「マル、スクールアイドル部に入って、初めてパソコンをさわったんです」

「え、でも、中学の授業でやらなかった?」

「そのときは、同じ班の、パソコンが得意な子が、ぜんぶやっちゃったから……」

 

 ああ、ありがちだ。

 

「それで、マル、感動したずら! インターネットは知識の海で、パソコンはそこに()ぎ出す舟ずら!」

 

 花丸は右手をぐっと握りしめ、上を向いて宣言した。

 うーん、詩的だ。しかし、よほど嬉しかったみたいだな……。

 

「それじゃ、家の人に買ってもらったら?」

「そんな高いもの、ダメだって、じっちゃが……」

 

 一転してしょんぼりする花丸。かわいい。ただ、そんなに高いかな。

 

「いまならたぶん、数万円で買えるんじゃないかな」

「えっ、そうなんですか。マル、今度また説得してみます!」

「うん、それがいいよ」

 

 花丸、あの本の量は、知識欲のあらわれなのか。パソコン、買ってもらえるといいな。

 

        ・

 

 それから花丸はきれいに食べ終えると、ふたたび手をあわせた。

 

「ごちそうさまでした」

 

 店員が空になった皿を下げていった。

 

「それで、この前の文集の話ですけど」

 

 花丸はテーブルを軽くふき、鞄から文集を取り出して置いた。俺は居住まいを正した。

 

「どうだった?」

 

 彼女は笑みをたたえる。

 

「遼さんのお話、面白かったです。もしかしたらこんなこともあるかも、って感じで、わくわくしました」

 

 ふう、まずまず好評価のようだ。よかった。

 

「それに、マルが勧めた本、ちゃんと読んでくれたんですね」

「うん、結構、参考にさせてもらった」

 

 花丸はうなずいた。

 

「しっかり吸収して、書いてたと思います。ただ……」

 

 そういって、ためらうそぶりを見せる。

 

「なんでもいってくれたほうが、嬉しいな。正直、まだまだだって、思ってるし」

「そうですか。それじゃあ……」

 

 花丸は思い出すように上を向きながら、言葉を選んで話し始めた。

 

「あの、登場人物が、無個性かなぁ。状況に流されてて、もうすこし、自分自身で動いてほしいずら」

 

 ふむ。

 

「それと、人物の外見が、よくわからなかったずら。状況の説明も、もっとほしいかなぁ。どんな場所で、誰が、どんなふうに、イメージできるといいと思うずら」

 

 たしかに。俺の頭の中にはあるのだが、それを説明する努力を放棄していたかも。

 

「雰囲気は悪くないずら。途中、女の子の話の理由がわかるところとかも、驚きがあったし。でも……」

 

 そんな調子で花丸はしばらく続けた。

 

「はっ、マルったら長々と。ごめんなさい」

 

 花丸は顔を赤らめて下を向いた。

 

「いや、ありがとう。すごく、参考になったよ」

 

 俺の言葉に花丸は顔を上げる。

 

「じっくり読んでくれて、嬉しいな」

「それなら、よかったかなぁ」

 

 花丸は照れくさそうに微笑んだ。

 

 彼女は文集をぱらぱらとめくる。

 

「ほかの部員さんの作品も読みました。泉さんのお話、どきどきしたし、北村さんの詩も素敵でした」

 

 俺はうなずく。

 

「どの作品もみんな、生き生きしてて……。マル、すこしあこがれたずら」

 

 部員たちにそう伝えれば、きっと喜ぶだろう。

 

 俺は素直な気持ちを口にする。

 

「花丸さんも、なにか書いてみたら?」

「マ、マルには無理だよ。いままで書いたこともないし……」

「でも、スクールアイドルよりは、よっぽど現実的だと思うけど」

「そっか……。ん、そうかもしれないずら」

 

 彼女はくすりと笑った。

 

 なんとなくふたりとも黙り込む。俺は()をつなぐためにコーヒーを飲んだ。

 

 カップごしに花丸を見つめる。抹茶ミルクを飲む、緊張を解いたようすの彼女は穏やかな表情で、こちらまで心が(いや)された。

 それは花丸の優しさのあらわれのようで、あらためて彼女を可愛いと思う。

 

 カップを置いて考える。

 

 花丸、さすがたくさん読んでるだけあるよな。俺のもしっかり読み込んで、いいところも悪いところも的確に挙げてくれて。きっと、思いを言葉にする才能があるんだな。

 ……花丸が書いた小説、読んでみたいな。

 

 俺が見ているのに気づいたのか花丸は目を上げた。視線があうと、花丸はにこっと微笑んだ。

 

        ・

 

「あ、そうだ。大事なことをいい忘れていました」と花丸。

「ん、なに?」

 

 なんだろう。まったく心当たりがないぞ。

 

「マル、金曜日の用事がなくなったので、毎週、沼津に出てくるのは今日が最後なんです」

「そうか、残念だなあ」

 

 俺は思わずもらす。花丸もため息をついた。

 

「オラも残念ずら」

 

 ん、それは俺に会えなくなって、ということだろうか。

 

「本屋さんとか図書館に、来られなくなってしまうずら」

 

 違うらしい。落胆しかけるが次の言葉で救われる。

 

「あ、でも、沼津まではときどき来るつもりなんです。そのときは、遼さんにも連絡しますね」

「そうしてもらえると、嬉しいな」

 

 花丸は笑みを浮かべてうなずいた。

 

「それで、遼さんの電話番号なんだけど」

「あ、そうか」

 

 そういえば花丸の自宅の電話は教えてもらったが、こちらからは教えてなかった気がする。

 俺は自分のスマートフォンを出して番号を読み上げた。花丸はそれを自分のメモ帳に書いた。

 

 花丸は興味深そうに俺の手元を見つめる。

 

「それ、携帯電話ですか?」

「そうだね」厳密にはスマートフォンだけど。「携帯も、家の人に買ってもらえないの?」

「携帯電話は、現在交渉中ずら!」

 

 たしかに年頃の女の子が携帯も持っていないと、いろいろ不安だよな。そのへんが説得材料になりそうだけど。

 

「買ってもらえるといいね」

「はい!」

 

 あ、そうだ。

 

「この際だから、スマホを買ってもらったら?」

「スマホ? スマートフォンのことかな?」

 

 俺はうなずく。

 

「携帯電話とは、どこが違うんですか?」

 

 うーん、あらためてそう聞かれるとなかなか難しいな。

 

「そうだなあ、携帯電話でできるのは通話とメールくらいだけど、スマホはネットが見られたり、アプリが使えたり、かな。それと、だいたい携帯は二つ折りの形だね」

 

 こんなとこでどうだろうか。

 あ、ネットはいちおう、携帯でも見られるか。でもやっぱり画面も狭いしな。

 

「はぁ、となると、ルビィちゃんも善子ちゃんも、みんなスマートフォンってやつみたいだなぁ。うらやましいずら」

 

 うんうんとうなずく。

 

「それなら、花丸さんもどうかな」

「うーん、マル、スマートフォンは使いこなせそうにないかなぁ」

 

 どうだろう、知らないだけで意外に使いこなせそうな気がするぞ。それに、さっき花丸がパソコンに見せたこだわりは……。

 

「でも、スマホなら、パソコンと同じようにネットにつながるよ」

「ほ、ほんとずらっ!」

 

 花丸は腰を浮かす。椅子が動いて、ガタンと音を立てた。

 

「あっ」

 

 花丸はあわてて座り直した。

 

「失礼したずら……」

 

 小さくなる花丸。俺は思わず、くすっと笑ってしまう。

 

「ふう」

 

 彼女は一口、抹茶ミルクを飲んで少し落ち着いたようだった。

 

「それで、詳しく聞かせてほしいんですけど」

「詳しくもなにも、インターネットが見られる、ってことだけど。たとえば……なにか見たいもの、ある?」

「こ、弘法大師空海の情報を……」

 

 操作する俺の手元を花丸は身を乗り出してのぞきこんだ。あの、ひらいた胸元から、中が見えそうなんですけど……。

 

 気を散らされながらも、とりあえずウィキペディアを表示して花丸に手渡す。

 

「はぁ、パソコンと同じずら……未来ずら……」

 

 花丸は目を輝かせ、両手で押しいただくようにしてしばらくスマートフォンを見つめていた。

 

「オラも欲しいずら」

 

 きらきらした目を俺に向ける。すごく買ってあげたくなるけど、俺にいわれてもちょっと困る。

 

「うん、買ってもらったらどうかな」

「交渉してみます! あ、でも……きっと、高いんですよね」

「うーん、俺もあまり詳しくないけど、最近は安いのもあるみたいだよ」

「それなら、大丈夫かなぁ」

 

 彼女はうなずいた。

 

 スクロールと、リンクのタップの方法を教えると、花丸はしばらくスマートフォンに夢中になっていた。

 

 あ、パソコンだけ買っても、ネットの回線も引かなきゃなのか。となるとやっぱりスマートフォンがよさそうだ。

 花丸が無事にスマートフォンを買えたら、連絡とかもいろいろと便利になるしな。無事に買えるように祈っておこう。それに、どんな機種があるか、とか、すこし調べておくか。

 

 俺は花丸からスマートフォンを受け取り、思い出して次に貸すラノベを一冊、渡した。

 

「読ませてもらいますね。楽しみです」

 

 花丸はにこりと笑った。

 

 今日は伝票は花丸が持っていき――「前回の約束です」とゆずらなかった――俺はごちそうになった。

 

 バス停まで傘をさし、ふたりで歩きながら、そういえば花丸に定期的に会えなくなるのか、と寂しさがこみあげてきた。

 縁がこれきり、とは思いたくないけど……。

 

 傘をさしているので会話がしにくいのが、もどかしかった。

 待合所の屋根の下に入り傘をたたむ。

 

「内浦に行ったら、お寺に顔を出しますね。明日は、この天気じゃ無理みたいだけど」と俺。

「はい、そうしてください。あ、でも……」

 

 ん?

 

「アイドル部の練習が始まったら、毎朝の歌の練習は、どうなるかわからないかなぁ。部活の朝練に行ってるかもしれません」

 

 うーん、そうか。

 

 俺の落胆を感じたのか、花丸はいう。

 

「大丈夫、仏さまはいつも、おわしますずら」

 

 そうかもしれないけどさ……。

 

「うん、わかった」

 

 そういうしかなかった。

 

 花丸はお辞儀をしてからバスに乗り込んでいった。俺はバスが見えなくなるまで見送った。

 

 はあ、ほんと、花丸に携帯電話でもスマートフォンでも買ってもらわないと、前途多難だな。

 

        ・

 

 雨はまだ降り続いていて、やはり明日は無理そうだと考えていた、その日の夜。俺のスマートフォンがめずらしく着信音を立てた。

 表示された通話相手は花丸(ただしイエデン)で――俺はあわてて受話ボタンをタップした。

 

「はい、里見ですけど」

 

 下の名前で名乗るのはまだ恥ずかしい。

 

「花丸ずら。いま、お話しして大丈夫かなぁ」

 

 花丸の声は日中とは一変して暗かった。胸騒ぎがする。

 

「うん、平気だけど」

「あの、オラ、助けてほしいずら……」

 

 花丸の言葉に、俺の胸はどきりと鳴った。

 


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