本屋に舞い降りた天使に俺は恋をした   作:Kohya S.

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8. 君の名は

 翌週、文集の締め切りはあと一週間に迫っていた。

 

 文集の印刷などの事務手続きは泉と島崎に任せていたが、オフセット印刷というやつに出すらしい。

 前回、秋の文集はコピーに追われたものの、一年前にはその記憶がないから、そのときはオフセット印刷だったのだろう。

 

 今回は五十部印刷して一冊五百円で売り出すそうで、正直、どこまで売れるか不安だ。「これでも、昔にくらべると安くなったのよ」と泉はいっていたが。

 

 スチール棚に並んでる過去の文集みたいに、ならなきゃいいけど。

 

 俺は原稿と並行して、北村、永井と共同で台割(だいわり)――どのページになにを印刷するか――を作ったり、各ページのレイアウトを決めたり、美術部員に頼んだ表紙のイラストを催促したりといった作業を進めていた。

 ちなみに永井は最近ようやく出てくるようになった一年男子だ。

 

 とはいえ、今までの文集の蓄積があるので作業そのものは比較的簡単だった。

 

 問題は原稿のほうか。ある程度書けてはいるけど、まだまだ満足にはほど遠いよな。この前、北村に見せたら、「マシにはなったが、まだまだ」って感じだったし。

 それでも、ずいぶん自分の文章の欠点がわかるようになったかも。うん、花丸に読まれるわけだし、もうひとがんばりしよう。

 

        ・

 

 金曜日には図書館へ行った。図書館通いがすっかり習慣になっていた。

 花丸は来ていると思うが――約束をしていないのは、どうにも不安だった。

 

 ただ、もし事前に約束しても、花丸が携帯電話を持っていないからなあ。なにかあったら、困ったことになりそうだ。

 少し前の小説を読んでると、当然、登場人物たちは携帯電話と無縁なわけだよな。花丸には悪いけど、相当不便だろう。もっとも、それだから成り立つ話、っていうのもあるけど。

 そう、ファンタジーとかでも同じか。いやもっとひどいぞ。水晶玉とか、誰でも持っているわけじゃないだろうし……。

 

 そんなことを考えながら図書館へ到着する。

 

 返却手続きを終えて館内を歩くが、花丸はいなかった。また閲覧席で待つか、とそちらに向かう途中で、花丸が入ってくるのが見えた。

 誰かと一緒だった。

 

 初めて見るその誰かは、花丸と同年代に見える女の子だった。花丸よりわずかに背が高い。すこし青みがかった髪は長く、サイドでひとつ、丸くまとめていた。

 白い肌に形のよい(あご)、すっきりと通った鼻筋が印象的だった。正統派の美少女といっていいだろう。

 花丸は制服姿だが彼女は私服で、七分袖の薄紫のゆったりしたシャツに紺のロングスカートだった。

 

「ねえ、ずら丸。本当にマスク取って、大丈夫でしょうね」

「大丈夫ずら。浦の星の子が、わざわざここまで来るのはめずらしいずら」

 

 そんな会話をしながら、ふたりは返却カウンターに近づいていく。

 

 ルビィもそうだけど、美少女のまわりには美少女が集まるのかな。類は友を呼ぶ、というやつかも。

 しかし、うーん、とりあえず邪魔しちゃ悪いかな。

 

 俺は距離を取ろうとした。

 

「あ、里見さん」

 

 間にあわなかった。仕方なく俺は振り返る。

 

「こんにちは、国木田さん」

「こんにちは」

 

 花丸はいつものように手をそろえて頭を下げた。

 

 俺は謎の美少女と視線を交わした。彼女はふっと目を細め、唇に笑みを浮かべた。

 

「里見さん、こちら、オラの友達で、同級生の津島(つしま)善子(よしこ)ちゃんずら」

 

 その紹介に善子はぴくりと唇をひきつらせた。気を取り直すように、笑みを深くしてから口を開く。

 

「……初めまして、津島ヨハ」

「善子ちゃん!」

「よ、善子です」

 

 ん、いまの花丸の突っ込みはなんだろう。

 

「そして、こちらがお友達の里見遼さんずら」

 

 あ、友達っていってくれた。嬉しい。本屋の店員さんとかいわれたら、救いようがなかった。

 

「里見です、よろしく」

 

 そんなことを思いながら善子に頭を下げた。

 

 善子は俺をじっと見つめた。

 

「あなたがずら丸のリトルデーモンね。ふーん、可愛いじゃない。……って、痛っ!」

 

 花丸が善子の頭をぴしゃりと叩いていた。

 

「善子ちゃん!」

「なによ、ずら丸!」

「とめて、っていったのは善子ちゃんずら」

 

 ふたりは小声でいいあっていた。善子のふるまいといい、なにか複雑な事情があるらしかった。

 

 この前のライブのことや、本のことを話したかったが、残念ながら次にしたほうがよさそうだ。あ、それでも。

 

「あの、国木田さん。これ」

 

 俺は鞄からラノベの文庫本を取り出す。

 本人は気にしないのかもしれないが、花丸にあまり重いものを持たせても悪い。今日は一冊だけ持ってきていた。

 

「お勧めの本です。よかったら、読んでみてください」

「ありがとう、里見さん」

 

 花丸は顔を輝かせた。まぶしいほどに。俺は一瞬、心を奪われて――うなずくのがやっとだった。

 

 なんとか気を取り直して口を開く。

 

「それじゃ、また」

「はい、また来週に」

 

 にこり、と花丸は微笑んだ。

 善子にも軽く頭を下げると、彼女は目礼で(こた )えた。

 

 図書館から出る俺の足取りは軽かった。

 花丸から来週、っていってくれたぞ。これを喜ばなくて、なにを喜べばいいのか。

 

 本をなにも借りてこなかったことに気づいたのは、家まで半分ほど来てからだった。

 

        ・

 

 翌日の朝は、内浦まで自転車で行ってみた。しかし、時間はいつも通りにも関わらず花丸はいなくて――まあこんなこともあるか、と思うしかなかった。

 帰り道は逆風と沈んだ心とで、いままでで一番、時間がかかった。

 

 その週末になんとか原稿を完成させ、月曜日、USBメモリに入れて部室に持って行った。

 例によって泉たちがパソコンを取り囲んで原稿を読み始めた。

 

 俺は神妙な顔をして待った。

 そういえば先週は泉の作品を読ませてもらった。社会人になってから再会した、高校の先輩、後輩の淡い恋を描いた恋愛小説で――透き通るような空気感がいい雰囲気だった。少なくともいまの俺には書けそうにない。

 

 待つ時間は長く感じたが、二十分もかからなかっただろう。

 

 まず北村が顔を上げた。

 

「うん、よくなったんじゃないか。だいぶ納得感が出てきたぞ」

「そうね、まだ硬いところはあるけど、キャラクタを掘り下げようという努力は認めるわ」

 

 泉はウィンドウを上下にスクロールしながら話す。

 

「それに、非日常の感じは、よく出てると思うわ」

 

「読みやすくなりました」「僕も、悪くないと思います」

 

 島崎と永井もうなずいた。

 

 うむ、まあまあ、ってところかな。俺は胸をなでおろした。

 

「でもここ、誤字、残ってるわよ」

「あ、すみません。明日までに直してきます」

 

 自分だと気づかないんだよな……。

 

「それに……これ、ずいぶん長くなったんじゃない? 台割、作り直さないとかも」

 

 ああ、そうか。(いち)ページくらいならイラストでごまかしたりもできるけど。

 

「それは、遼にお願いするぞ」と北村。

「はいはい、いまからやります」

 

 俺は泉と席をかわり、ワープロソフトを立ち上げて修正に入った。

 

        ・

 

 自宅で最後の見直しをして原稿は翌日には完成し、他の部員たちの原稿やイラストなどとあわせて、ひとつのファイルにまとめ終わった。

 あとは泉たちが印刷所に送ってくれるらしい。

 

 うん、今回は本ができあがるのが、前回よりもはるかに楽しみだな。

 

 そして金曜日。事前に約束をしているし、今日はデートだといって差し支えないと思われる。俺はいそいそと――その形容がぴったりだろう――図書館へ向かった。

 花丸はいなかった。早く着きすぎたかもしれない。借りる本を探しながら待った。

 

 何冊か選んだとき。

 

「こんにちは、里見さん」

 

 可愛らしい声に俺は向き直る。

 

「あ、こんにちは、国木田さん」

 

 よかった。今日はひとりのようだ。

 

「あの、里見さん」

 

 花丸は小首をかしげて続けた。気のせいか頬を赤らめている。

 

「帰り、よかったら少し、お話しできるかなぁ」

「も、もちろんです」

 

 俺としても、勧めた本のこととかライブのこととか聞きたかったし、ちょうどいいな。でも、花丸から誘ってくれるとは。小躍りしたくなるぞ。

 

 花丸はにこっと笑う。

 

「それじゃ、マル、すぐ選んできます」

 

 そういってぱたぱたと速足で歩いていった。

 

 十分ほどあと、俺たちは貸し出し手続きを終えた。

 図書館の外に出る。まだまだ日は高く少し蒸し暑かった。もうそろそろ梅雨入りだろう。

 

「あの、また同じ店でいいですか」と聞く。

「ん、マルは公園とかでいいけど」

 

 俺はうなずいた。ここからすこし歩くと中央公園だ。

 

 ふたりで日陰のベンチに座った。

 花丸は視線を落としていた。しばらく待っても、彼女はなにもいわなかった。

 

 花丸から誘ってくれたんだけどな。うーん、こちらから話したほうがいいのかな。

 

「あの、お貸しした本、どうでしたか?」

「あ、そうでした」

 

 花丸は鞄から本を取り出し頭を下げる。

 

「ありがとうございました」

「いいえ」

 

 俺は差し出された本を受け取り自分の鞄にしまった。

 

「すごく、面白かったずら」

 

 花丸は微笑む。

 

「SFっていうのかなぁ、オラ、あまり読まないんだけど、猫型の宇宙人が可愛くて……。それに、宇宙と対峙(たいじ)したときの、孤独と不安、とても共感できました」

 

 うん、気に入ってもらったようでよかった。

 

「続きはあるずら?」

「いや、これ、一巻完結なんですよ」

 

 最後が少し思わせぶりなのに、次巻は出てないんだな。

 

「そうなんだぁ」

 

 花丸はしゅんとした。俺はあわてて続ける。

 

「また別の本、持ってきますね」

「はい、よろしくお願いします」

 

 花丸はぺこりと頭を下げた。

 

 やっぱり本の話をする花丸は楽しそうだ。そう思ったものの、ふたたび花丸は硬い表情に戻り、目をそらした。

 沈黙が流れて、もう一度なにか話したほうがいいかな、と思ったとき、花丸がこちらを向いた。

 

「あの、この前のAqours(アクア)のライブ、どうでしたか?」

「とてもいいライブでした。歌も踊りも、予想してたよりずっと」

 

 それは本音だった。

 

「マルも、そう思いました」

 

 そういって遠くを見るような目になる。

 

「……高海さんも、みんなも、すごく輝いてたなぁ」

 

 俺は気になっていたことを聞く。

 

「最後、三年生の人と、高海さんが話していた……。あれは?」

「あの人は黒澤ダイヤさんで、生徒会長です。ルビィちゃんのお姉さんで」

 

 へえ、と思いながらうなずく。

 

「……スクールアイドル部の設立の条件が、体育館を満員にすること、だったんです」

 

 ふーん、三人でスクールアイドルを始めて、部を認めてもらうためにライブをした、ってことか。

 

「ということは……」

「無事にアイドル部ができたずら! ルビィちゃん、すっごく喜んでて。オラも嬉しいずら!」

 

 なるほど。ルビィという子は、きっとアイドル部に加入するんだろうな。

 

 花丸は微笑みを消して、迷うような顔になった。

 俺はじっと見守った。

 

 やがて彼女はゆっくりと話し出した。

 

「里見さんは、前に、マルがスクールアイドルに向いてる、っていってくれましたね」

 

 もちろん覚えている。俺はうなずいた。

 

「……あれって、本当に、そう思ってますか? その、お世辞とかじゃなくて……」

 

 花丸がずっとなにか考えていたのは、このことだったのかな。もしかして、彼女は……。

 

「もちろん、心から、そう思ってます」

 

 俺は彼女の瞳を見つめて静かにいった。

 

 花丸は、はっと息をのんでから、表情を(やわ)らげる。

 

「ありがとうございます、里見さん」

 

 穏やかな笑顔で笑った。

 

「そろそろ、行きましょうか」

 

 花丸の言葉に俺たちは立ち上がった。

 

 バス停までの歩きもバスを待つあいだも、花丸は口数が少なかった。

 

 そうだ、と思い出す。

 

「あの、来週金曜日は、俺、文化祭なので……。図書館には行けないかもしれません」

「はい」

 

 彼女はうなずいた。俺は付け加える。

 

「……土曜日は一般公開なので、よかったら来てください」

「はい、わかりました」

 

 バスが来て、花丸は軽く頭を下げて乗り込んだ。

 俺はバスを見送る。

 

 少しでも、彼女の助けになったなら、いいんだけどな。

 

        ・

 

 翌週。

 校内ではいよいよ文化祭の準備が大詰めだった。とはいえ、文芸部のメインの活動は文集の発売のみ。準備といえばポスターをコピーしたり、部室の前の廊下に出す看板を作ったりするくらいで、たいしてやることはなかった。

 週なかばには印刷所から本が届き――俺は、がらにもなく感動してしまった。データでなく物理的な本になるというのは、やはり感慨深い。

 

 部員もきちんとお金を出して買うことになっていたので、自分と花丸のぶん、二冊を買っておいた。

 

 すでにパソコン上では部員たちの原稿を読んでいたが、活字になるとまた印象が違った。

 北村は数編の詩を上げていて、意味はよくわからないながら、なんとなく響くものがあった。

 島崎は驚いたことに時代小説で、妙に描写がリアルだった。

 永井の作品はガチガチのSFで、どうにも読みにくかった。もっとくだけた感じのほうがいいと思うが――まあ、偉そうなことをいえる立場ではない。

 

 文化祭初日は校内展示のみで、俺は部員たちと店番を交代しながら、北村やクラスメイトと各クラスや部活を見て回った。文集は十部ほどしか売れなかった。

 

 翌日の一般公開日、事前に店番を調整して、スクールアイドル部のライブに行かせてもらうことにした。

 

 体育館で、軽音楽部のあとに行われたライブはなかなかの盛況だった。

 どうしてもAqoursとくらべてしまうが、レベルとしては――いい勝負か、下手をするとAqoursのほうが上かもしれない。とはいえ、一生懸命やっていることは伝わってきた。

 

 うちの体育館は浦の星よりも広く、必死に探したものの花丸やルビィを見つけることはできなかった。

 来てないのかもしれないな。

 落胆しながら部室に戻った。

 

 北村と島崎に代わって、泉と一緒に長机で店番を始めた。

 

 机はいつもとは九十度回転してあり、長辺が入口に向けられていた。机にはテーブルクロス――実はカーテンだ――がかけられて、それらしくなっている。その上には見本誌と文集の山。

 

 旧棟の三階まで来る客は少ないらしく静かだった。中庭や新棟の喧騒がひとかたまりになって聞こえてくる。

 ときおり客が来て見本誌を手に取り、そのうちのごくわずかが買っていった。

 

 やがて泉はなにか本を読み始めてしまい、俺はぼーっとしてすごした。

 

「こんにちは」

 

 はっと顔を上げると、部室をのぞき込む顔と目があった。花丸だった。にこりと笑う。続いてルビィも花丸の背中から顔を出した。

 

「あ、どうも」

 

 俺は間の抜けた答えを返した。

 

 ふたりとも長袖の制服姿だった。ただ花丸はカーディガンを着ていない。

 ふたりはきょろきょろと部屋のなかを見渡しながら、机に近づいた。

 

「よかったら、見てください」と見本誌を花丸にすすめる。

「文集、できたんですね。拝見します」

 

 花丸は表紙をしばらく見つめてから、なかを開いた。目次を見て微笑む。ルビィに見えるように体をやや斜めにして、すこし読み、ぱらぱらとめくり、またすこし読み、と進めていった。

 

 そのあいだに「知りあい?」と聞いた泉に、うなずいておく。

 

「すごくしっかりしてるんだなぁ」

 

 文集を閉じた花丸は感心したようにいった。

 

「マル、一冊、いただきます」

「あ、俺、国木田さんのぶん、用意してあります。だから持って行ってもらって、いいですよ」

「ん、それはいけないずら。価値のあるものには、ちゃんと代金を払うべきずら」

 

 そういってポシェットから財布を取り出し、五百円硬貨を俺に手渡した。

 

「ありがとうございます」

 

 俺は硬貨を、レジ代わりに使っている手提げ金庫へ入れた。その硬貨はいつになく重いように感じた。

 

「はい、どうぞ」と文集を渡すと、花丸は両手で受け取った。

 

「うちのスクールアイドルのライブ、見てきたんですか?」と聞く。

「はい、ルビィちゃんと一緒に」

「ライブ、すごくすごくよかったです」ルビィが顔を輝かせた。「ルビィも、あんな風になりたいな、って思いました!」

 

 俺は勢いに圧倒される。

 

「そ、そうですか。ルビィさんなら、なれそうですね」

「はいっ!」

 

 ルビィは顔をほころばせ、元気よくうなずいた。

 

 そんなルビィを花丸はどこかまぶしそうな表情で見ていたと思う。

 

「それでは、また」

 

 花丸とルビィは入口で会釈して出ていった。

 

 はあ、無事に花丸に会えてよかった。それに、文集も買ってもらったし。

 

 俺がほっとしていると、隣から声がかかった。

 

「里見君、ぼーっとしてないで、行きなさいよ」

「えっ」

「女の子が来たのにうちの学校を案内しないなんて、なに考えてるのよ」

 

 泉はあきれたような口調だ。

 

「でも、店番は……」

「ひとりで大丈夫よ。ほら、早く」

「ありがとうございます」

 

 俺は泉に一礼して駆けだした。

 そうだよな、なにしてたんだろ。泉に感謝だ。

 

 廊下を走り、階段のところでふたりに追いついた。よかったら案内する、という俺に、花丸は笑顔で応えてくれた。

 

        ・

 

 まずは旧棟を案内していく。旧棟にはいくつかの部活とサークルが展示を行っていた。

 化学部の実験体験はふたりに好評だった。また被服部の制作衣装紹介にはルビィが興味を示していた。

 

 中庭を通って新棟へ。こちらでは同じく一部の部活――広い教室が使いたいところ――と一部のやる気のあるクラスが展示を出していた。

 クラスの展示は、展示というか催し物で、お化け屋敷や喫茶店、占いコーナーなど、千差万別だった。

 

「あ、ここも楽しそうずら」

「アクセサリ展示即売? 何部かなぁ……」

「漫研がやってるみたいですね」

 

 俺は花丸とルビィのあとについていった。

 

 よく考えたら、案内なんかいらないんじゃないかな。端から端まで順にのぞいていけば、いいわけだし。

 

 ただ、ふたりとも楽しそうで見ている俺まで楽しくなった。それに花丸もルビィもとても可愛い。

 美少女をふたりも連れて歩いているのは、きっとクラスメイトに目撃されているはずで――来週はさんざん冷やかされるだろう。それでもかまわない。そう思うほど幸せだった。

 

 一通(ひととお)り見てまわって新棟と旧棟のあいだの通路に戻ってくる。ここは中庭のはずれで、多少静かだった。

 

 花丸は大きく息をはく。

 

「はあっ、すごい数ずら」

「浦の星は、もっとすくないんですか」

「なにしろ生徒がいないからなぁ」

 

 花丸は腕組みをしてうなずいた。

 

 たしかに廃校が近い、となればそうだろうな。浦の星の文化祭も、行ってみたいところだけど……。

 

「あ、お姉ちゃん」

 

 ルビィの声に視線を向けると、ダイヤが旧棟のほうから歩いてくるのが見えた。以前、ライブのときに千歌と話していた子だ。

 

「お姉ちゃんも来てたの?」

「ええ、こちらの生徒会の(かた)にお招きいただいて。いわば、表敬訪問、兼、視察ですわね」

 

 彼女はルビィよりも背が高く、漆黒の――()羽色(ばいろ)というのだろうか――長髪だった。前髪は眉のあたりで切りそろえている。ルビィとは感じが違うものの美しい子だった。口元のほくろが印象的だ。

 

「ふーん、参考になった?」

「ええ。……そちらの(かた)は?」

 

 鋭い瞳が俺を見つめた。

 

「えっと、花丸ちゃんのお友達の、里見さん。案内してもらってたの」

「里見です」

 

 俺はしっかりとダイヤの目を見て挨拶する。

 

「……妹がお世話になりました」

 

 わずかに眼光が和らいだのは気のせいだろうか。

 

「ルビィ、私はこれで帰りますが……。一緒に帰りますか?」

「うん! あっ、でも、花丸ちゃんは?」

「マルはもう少し、見ていくずら」

「わかった。それじゃあね、花丸ちゃん」

 

 花丸はルビィに微笑んだ。

 ダイヤとルビィは俺に一礼して、通路を新棟のほうに歩いていった。

 

 花丸、一緒に帰らないのは、もしかして……。いや、考え過ぎだよな。

 

        ・

 

 俺はのどの渇きを覚える。

 

「国木田さん、疲れてませんか?」

「えっと、少しだけ」

「ちょっと待っててください」

 

 そういい残して中庭の模擬店へ向かう。記憶の通りテイクアウトの飲み物を出しているところがあった。花丸はなにが好みだろう、と思ったものの、あまり選択肢は多くなかった。紙コップのコーラをふたつ買って戻る。

 

「飲み物、買ってきました。どこかですこし、休みましょうか」

「そうですね」

 

 花丸はうなずいた。

 

 どこがいいかな……。そうだ。今日はたしか、()いているはずだ。

 

 花丸を新棟の階段に案内する。混雑する階段を抜けて屋上へ。

 

 階段室から屋上へ出ると、開放的な景色が広がった。すぐ近くには校庭。その先に緑の公園が左右にのびて、さらに先には海が広がっていた。

 すこし傾いた日の光を受けて、波濤(はとう)がきらきらと輝いていた。

 

 わざわざ屋上まで来る物好きは少ないのか、誰もいない。

 

「わあ、いい景色ずら……」

 

 花丸は柵に近づいて、しばらく海を眺めた。俺はその背中を見守る。彼女の髪が風でふわりと揺れた。

 

 やがて花丸は振り返る。

 

「浦の星からの海もきれいだけど、ここの海もきれいずら」

「俺も気に入ってます」

 

 俺は屋上の構造物――通気口かなにかだと思うが、ちょうど座りやすくなっている――に座った。花丸はポシェットからハンカチを出し、それを敷いてから俺の隣に腰を下ろした。

 

 紙コップをひとつ、花丸に手渡す。

 

「ありがとう。お金、出しますね」

 

 花丸はポシェットを手に取る。俺はそれをさえぎった。

 

「あ、いいですよ。さっき文集も買ってもらったし」

「でも……」

「今度、どこかでおごってください」

 

 花丸は笑ってうなずいた。

 

 コーラを飲む。すこし気が抜けていた。花丸も両手で紙コップをつかみ、こくこくと可愛く飲んだ。

 それからしばらく、花丸は屋上の床を見つめてなにもいわなかった。

 

 やがて花丸は意を決したように、こちらを向いた。明らかに頬を染めている。こ、これはもしかして……。

 

「里見さん、ご報告があるずら」

「……?」

 

 あらたまった口調に戸惑う。

 

「実は、オラ……」

 

 花丸の緊張が移ったのか俺までどきどきしてきた。

 

「す、スクールアイドルを始めることにしたずらっ!」

 

 花丸は一気にいって、また下を向いた。耳まで赤くなっている。

 

「えっ」

 

 俺は驚きに打たれた。しかし、その驚きは、ゆっくりと納得にかわっていった。

 

「……そうなんだ。おめでとう」

「あ、ありがとう、ございます」

 

 花丸は小さな声で答えた。

 

 そうか、スクールアイドル、始めることにしたんだ。花丸なら絶対に向いてる。

 俺が一瞬、考えていたことは勘違いだったわけで、それは残念だけど……。まあ、ありえないよな、いままで何度か話、しただけだし。

 

 花丸は静かに続けた。

 

「ルビィちゃんに、一緒にスクールアイドルがやりたいっていわれて……。でも、マル、それは予想してたずら。そうなったら、マルはいいよって断ろうと思ってた」

 

 以前、自分について話したときの口ぶりからは、それもうなずける。

 

「……でも、マル、いつのまにかスクールアイドルが好きになってた。それを、ルビィちゃんに気づかせてもらったずら」

 

 ルビィも友人だけあって、花丸のことをよくわかっている、ということだろう。なにしろ俺でもなんとなく気づいたくらいだ。

 

 花丸はいったん言葉を切り、顔を上げた。視線があう。

 

「それでね、里見さん。マル、里見さんにいわれたこと、最後に思い出したんだ。それを信じてみようかなって、思ったずら」

 

 花丸は、はにかむように笑う。

 

「だから、里見さんにも報告しなくちゃ、って」

 

 俺の心はじんわりと温かくなった。

 花丸、真面目だな。うん、もし役に立ったなら、よかった。

 

「わざわざ、ありがとう」

 

 少し恥ずかしくなって、視線をそらして答えた。

 

 今日、一日だけでふたりの距離が大きく近づいた気がする。それは勘違いだとは思いたくなかった。

 

 あらためて花丸に向き直る。

 

「国木田さん。あの」

「はい?」

 

 俺は思い切っていった

 

「花丸さんって呼んでもいいですか?」

 

 花丸は一瞬、びっくりしたように目を見開いた。すぐに、くすっと笑う。

 

「もちろんです。国木田さんって、ずっと落ち着かなかったずら」

「そうですか……。どうも」

「マルも、遼さんってよばせてもらいますね」

 

 それは大歓迎だ。俺はうなずいた。

 

 それにしても、花丸がスクールアイドル、か。

 

 思いついて聞いてみる。いたずら心がなかったといったら嘘になる。

 

「次のライブは、いつごろの予定なの?」

「オ、オラにライブなんて無理ずら!」

 

 そういってから花丸は手で口を押さえた。

 

「……まだなにもきまって、いません」

 

 花丸は小さくなって答えた。そんな花丸がたまらなく愛しくなる。

 

「ライブ、絶対、見に行くね」

 

 こくりと彼女はうなずいた。

 

 しばらくふたりとも黙ったままだった。俺にとってはいつになく幸せな時間だった。

 

 やがて花丸は立ち上がる。

 

「マルは、そろそろ帰りますね」

「昇降口まで送るよ」

 

 俺も腰を上げた。

 

 昇降口で花丸はぺこりと頭を下げた。

 

「今日はありがとうございました。文集、帰ったら読みますね」

「あ、えーと、はい、よろしくお願いいたします」

 

 頭を下げた俺に、花丸はにこっと微笑んだ。

 

 花丸はすこし歩いてから一度、こちらを振り向き会釈した。

 俺は彼女が人混みに消えて見えなくなるまで見守った。

 

 さて、そろそろ部室に戻らないと、さすがに泉に悪いな。今日は終わりまで店番を担当しよう。

 俺は部室に急いだ。

 


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