本屋に舞い降りた天使に俺は恋をした   作:Kohya S.

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7. 彼女には向いてる職業

 花丸に会った――そしてとうとうデートをした――翌日の土曜日は、あいにく天気が悪かった。雨は弱いものの自転車で内浦まで行くのは無理だろう。そのまま雨は日曜まで降り続いた。せっかくやる気になったのに運が悪い。

 

 とはいえ金曜日には、また図書館で花丸に会えるはずだ。そう思えば退屈な平日も苦にならなかった。

 

 金曜日。

 

「はあ」

 

 俺は何度目かのため息をついた。

 

 俺は部活にも行かずバイト先の書店に直行していた。

 昨晩、菊池さんからの電話で「悪いんだけど、急にひとり熱が出たらしくて」と急遽(きゅうきょ)、頼まれたのだった。残念だが、いつ逆の立場になるかわからないので仕方がない。せっかくの俺厳選のラノベも次の機会だ。

 

 二階のレジは暇だった。

 

 誰もいなくていいんじゃないかと思うけど、そうはいかないよな。

 

 花丸が来るかもしれないのが唯一の希望だった。しかし、確率的にどうだろうか。前回、図書館で会ったときには書店に立ち寄ったようすはなかったし……。

 

 気が抜けたようにぼんやりとしていたのは責められないと思う。

 

「こんにちは」

 

 突然の声に俺は飛び上がった。

 

「あ、国木田さん」

 

 微笑む花丸がそこにいた。きっと俺は相当間抜けな顔をしていたと思う。

 

「今日は、アルバイトなんですね」

「は、はい」

 

 あわてて背筋を伸ばした。

 

 花丸は数冊の本をカウンターに出した。

 

「お願いします」

「はい。……今日は控えめですね」

「いつもたくさん、買ってるわけじゃないですよ」花丸はくすりと笑った。「そういう日も、あるずら」

 

 レジを打ち紙袋に本を入れて渡す。

 両手で本を受け取りながら花丸がいった。

 

「今日は図書館はお休みですね」

「そうですね」

「お仕事、がんばってください」

 

 花丸は微笑み、会釈すると階段をおりていった。

 

 はあ、花丸が来てくれた。よかった。

 

「里見君、彼女と話せるようになったんだね」

 

 背後からの声に俺はびくりとする。

 

「菊池さん、いつの間に……」

 

 振り返ると菊池さんがカウンターのなかに入っていた。

 

「彼女を見かけて、面白そうだから来てみたんだ」

 

 目が楽しそうに輝いている。

 

「……一階はいいんですか」

木下(きのした)さんがいるから、すこしなら大丈夫だよ」

「はあ」

「そうか、国木田さんっていうんだね」

 

 そんなところから聞いてたのか。

 

「それじゃ、俺は戻るよ。悪いけど、もうすこし頼むね」

 

 菊池さんは手をひらひらと振ると一階へ向かった。

 

 ほんと、菊池さんは趣味が悪い。

 ただ、がぜんやる気が出てきたのは現金なものだ。そうだ、明日はひさしぶりに内浦に行こう。俺はそう決意した。

 

        ・

 

 翌朝。早起きしてクロスバイクを準備した。天気は晴れ。風も弱くて自転車日和だろう。内浦に行くにはあいにくの向かい風だが。

 花丸に貸したい本を持っていくか悩んだが、やめておく。重いし、会えるかどうかわからないのに持っていくのは、さすがにどうかと思う。

 

 時間を見て走り出した。

 国道に出てスピードを上げる。六月に入ったせいか、湿度が高いようですこし蒸し暑かった。早々に前面のファスナーを下げることになった。

 

 しばらく走ると両側の建物の高さがだんだん低くなっていく。

 ゆるい左カーブを抜けると右側の建物が途切れ、いままで、ちらちらとだけ見えていた海が視界に大きく広がった。いきなり強くなる磯の香り。ここの変化は劇的で気に入っていた。

 

 そのあと、道は海に近づいたり離れたりしながら続いた。一分以上、海が見えなくなることはなかった。

 

 内浦についたころには前回よりすこし遅れていた。途中、すこしペースを上げたものの、風の影響は大きいらしい。

 参道の下に自転車を止め、急ぎ足で(のぼ)る。

 

 山門をくぐると、ちょうど花丸がすぐそばにいた。

 ふう、どうやら間にあったみたいだな。

 

 目があって俺は軽く一礼する。

 

「おはようございます」

「おはようございます、里見さん」

 

 花丸も微笑みとともに頭を下げた。

 

 花丸はオレンジのタンクトップに、猫の肉球柄の白いTシャツを重ね着していた。それに黄色のハーフパンツ。

 昨日の今日だが会えると嬉しい。それに胸元のボリュームが制服よりも強調されていて……たいへん気になる。

 

 ストレッチかなにかをしている花丸を横目に、俺は急いで参拝を済ませた。

 

「お勤めご苦労さまです」

 

 戻ってきた俺に花丸がいう。

 

「いいえ、ついでですから。これから、歌の練習ですか?」

「えっと……はい」

 

 花丸は一瞬、ためらってからうなずいた。

 

 俺は思い切っていってみる。

 

「あの、少し聞かせてもらっていいですか」

 

 花丸は驚いたように目を見開き、次に頬を赤らめて下を向いた。ああ、早まったかな……。

 

「あ、やっぱり帰ります。ご迷惑ですよね」

「ううん」

 

 花丸は顔を上げた。

 

「恥ずかしいけど、どうせ人前で歌うんだから、同じずら」

 

 それは自分にいい聞かせるようだった。

 

 俺は一歩下がって待った。

 

 こほん、と可愛く喉を鳴らしてから、花丸は歌い始めた。

 

「……(たっと)きかな~、尊きかな~」

 

 いつか聞いたのと同じ讃美歌だった。

 豊かなアルトが、境内に、山々にこだました。

 

 花丸は目を閉じ、ゆったりとしたメロディを気持ちよさそうに追っていく。

 

「……永遠(とわ)にあらん、(しゅ)に幸あれ」

 

 歌い終えて花丸は、はあっと息をはいた。目を開ける。

 

 視線があうと花丸は、はにかむように笑った。俺の心臓はどきりと跳ねた。

 あわてていう。

 

「すごく素敵でした。心が洗われるような……。あの、こんなことしかいえなくて、すみません」

「いいえ、ありがとう」

 

 まごつく俺に花丸はもう一度、微笑んだ。

 

 さて、これ以上いても迷惑になるだけだよな。

 

 俺は帰ろうとして――明日のことを思い出した。

 

「そういえば、明日、浦の星女学院のライブですよね。国木田さんは、行きますよね?」

「はい。ルビィちゃんと一緒に」

「俺も、行ってみようと思います」

 

 花丸はこくりとうなずいた。

 

 花丸に会釈して山門を出る。

 来るときとは逆に、ゆっくりと歩く。

 

 うん、いいものが聞けた。花丸の声、きれいだし、ボリュームもあるし、きっと以前から練習してるんだろう。

 聖歌隊もいいけど、アイドルは、どうなんだろうな……。決して向いてないわけじゃ、ないと思うけど。

 

 参道から見える内浦の海はきらきらと輝いていた。しかしその先、西の空には、厚い雲がかかり始めていた。

 

        ・

 

 翌日は昼前から雨になった。昼にかけて雨脚はどんどんと強くなり、ときおり雷鳴も聞こえた。

 浦の星女学院までは自転車で行くつもりだったが、この雨ではとても無理だろう。素直にバスを使うことにする。

 

 ライブは午後二時から。余裕を見て一本前のバスに乗った。

 バスは意外なほどに混んでいた。俺が乗ってからすぐ、沼津市街を出るあたりで空席がなくなった。途中からも人は増え続ける。高校生くらいの男女が多いがその他の年代もいた。まさに老若男女だ。

 

 もしかして……。

 

 近くの席の女子高生ふたり連れ――ちなみにうちの高校だった――の手元を見ると、例のビラが握られていた。

 

 そうか、みんなライブに行くのか。スクールアイドル人気もあるだろうけど、あの子たち、集客、がんばったんだな。

 

 俺は途中で席を譲り吊革につかまった。

 

「あれ、停電?」

 

 そろそろ浦の星というところで、窓際の女子高生が話す。

 外を見るとたしかに信号が消えていた。バスは対向車の切れ目を待って、ゆっくりと右折した。

 この雨のせいだろうか。

 

「ライブ、やるのかなあ」

 

 そんな声が聞こえてきた。

 

 浦の星女学院前のバス停でほかの乗客とともにバスを降りた。

 傘を差して十分ほど坂道を歩く。歩くうちにも何台かの車が追い抜いて行った。

 

 見えてきた校舎は真っ暗だった。それだけなら休日ということもあるのかもしれないが、敷地の外灯も消えていた。

 不安に駆られながら校内に入る。幸い左手にある体育館からは光がもれていた。

 

 体育館の入口の脇に非常用発電機が数台、置かれていた。俺は準備のよさに感心した。

 

        ・

 

 体育館の中にはすでに大勢の人が来ていた。椅子はなく立ち見らしい。

 

 たしか、花丸とルビィがいるはずだよな。挨拶だけはしておこう。

 

 俺はゆっくりと歩きながらふたりを探す。――いた。最前列に近い右側だ。ふたりとも制服姿だ。

 背中から声をかける。

 

「こんにちは、国木田さん」

「あ、里見さん」

 

 ふたりが振り返った。

 

「こんにちは、黒澤さん」とルビィにもいう。

「こ、こんにちは……」

 

 花丸の手にしがみついているが、背中に隠れることがないぶん、前回よりましだろう。

 

「すごい雨でしたね。それに停電までして……でも、ライブができそうで、よかったです」

「はい!」

 

 俺の言葉に花丸はうなずく。そしてルビィと顔を見あわせて、微笑みあった。

 

 ライブが無事に開催されて、嬉しいんだろうな。

 

 俺はふたりから少し離れてライブが始まるのを待った。

 

 客はそれからも増え続ける。ほぼ体育館がいっぱいになったとき。

 

『みなさま、お足元の悪いなか、わざわざ浦の星女学院までお越しいただき、ありがとうございます』

 

 すこしたどたどしいアナウンスが流れた。

 

『これよりAqours(アクア)の初めてのライブを始めさせていただきます』

 

 ゆっくりと幕が上がっていった。

 

 照明の落とされた暗いステージには三人の女の子。シルエットの背丈は似たような感じだった。

 

 曲のイントロが流れ始める。

 

「あ、これ、μ's(ミューズ)の……」

「START:DASH!!だね」

 

 花丸とルビィが小声で話すのが聞こえた。

 

 イントロが終わりスポットライトが照らされる。三人が歌い始めた。歌にはどこかで聞き覚えがあった。有名な曲のカバーらしい。

 三人とも緊張の色が見えて、動きはぎこちなく、声もときどき裏返っていた。

 

 でも、こういうと三人には悪いかもしれないけど……意外に悪くないぞ。スクールアイドルはよくわからないけど、短期間でここまで、よくできたよな。

 

 俺は俄然(がぜん)、興味をひかれていた。

 曲が終わり拍手が上がる。三人はステージ上に整列した。

 

「みなさん、今日は雨のなか、ありがとうございました」

 

 真ん中の子が話し始めた。

 

「私たちは、スクールアイドル、Aqoursです!」

 

 メンバー紹介へと続く。黄色の衣装のこの子が高海(たかみ)千歌(ちか)、ピンクの子が桜内(さくらうち)梨子(りこ)、青の、以前ビラをもらった子が渡辺(わたなべ)(よう)というらしい。

 

「最初の曲は、私たちの尊敬するμ'sの『START:DASH!!』でした。二曲目は、A-RISE(アライズ)の『Private Wars』です」

 

 二曲目が始まった。センターが曜に変わったが、この曲も悪くなかった。観客も盛り上がる。それほど広くない体育館だがそのぶん一体感が感じられる気がした。

 

 それから二曲ほどカバー曲を歌ったあと。

 

「次の曲が、最後です。私たちの、オリジナルの曲で……いまはこの一曲しかありませんが、これからもっと、増やしていけたらいいなって思ってます」

 

 千歌がいった。三人は視線を交わしてうなずきあう。声をそろえて続けた。

 

「聞いてください。『ダイスキだったらダイジョウブ』!」

 

 三人はステージに広がり、歌い始めた。

 緊張が解けたのか、いままでで一番、動きがよかった。これから新しいことを始める期待と不安をつづった歌詞は、彼女たちにぴったりだ。曲も作ったのだろうか。とても素人とは思えない完成度だった。

 花丸とルビィも目を輝かせてステージに見入っていた。そして俺も。

 

 決してうまい、ってわけじゃないけど、楽しんで歌ってる、って感じが伝わってくるな。それに、やっぱり生で見ると、迫力が違う。

 

 最後の決めポーズもバシッと決まる。俺は心からの拍手を贈った。

 

「ありがとうございました!」

 

 三人は互いに手を握ったまま客席に向かって大きく頭を下げた。

 

 うん、来てよかった。

 余韻にひたっていると、ひとりの生徒がステージに近づいた。黒髪のロングヘアでリボンの色と形が違う。三年生のようだ。

 

「これはいままでの、スクールアイドルの努力と、街の人たちの善意があっての成功ですわ! 勘違いしないように!」

 

 彼女は三人に向けていい放った。

 

「わかってます。でも……でも、ただ見てるだけじゃ始まらないって。うまくいえないけど……。いましかない瞬間だから……。だから……」

 

 千歌はそう答えた。三人揃って続ける。

 

「輝きたい!」

 

 どうも、なにかあったらしい。俺にはわからないことだが――あとで花丸に聞くのがよさそうだ。

 

『……みなさま、本日はありがとうございました。どうぞお気をつけてお帰りください』

 

 アナウンスがふたたび流れる。

 

 ステージの三人はクラスメイトだろうか、ステージ下まで来た浦の星の生徒と話し込んでいた。

 このあたりは本物のアイドルとは違うかも。

 少しおかしくなった。

 

 俺は花丸とルビィに声をかける。

 

「ライブ、よかったですね。来て正解でした」

「はい、オラ、とても楽しかったずら」

「ル、ルビィも、すごくすごく、楽しかったぁ」

 

 ふたりとも興奮さめやらぬ、というようすだった。

 

 気になるけど、さっきの黒髪の子のことはあとにしよう。

 

「それじゃ、俺は帰ります」

「はい、お気をつけて」

「さ、さようなら」

 

 花丸は頭を下げる。今回はルビィも話してくれた。

 

 体育館の外に出ると雨はすでに上がっていた。傘を片手にゆっくりと坂道を下りていく。

 

 浦の星女学院スクールアイドル、Aqours、か。思ったよりもずっと、しっかりしたライブだった。いままでライブなんて行ったこともなかったけど、スクールアイドルって意外にすごいんだな。

 それに、花丸。

 

 ライブを見たことでイメージが一気に具体化していた。

 

 あんな感じの衣装で歌って踊る、っていうことだよな……。

 

 俺は想像してみる。

 

 可愛くて優しい笑顔。美しい声。それに……あー、メリハリのあるプロポーション。うん、絶対に悪くない。あの三人にも、勝るとも劣らないぞ。

 

 俺の思いは確信に近いところまで来ていた。

 ふと足を止めると、西の空の切れ目から太陽が顔を出すところだった。

 


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