二度目の内浦訪問では前回ほどの筋肉痛にはおそわれなかった。ペースを守ったのと、帰ってきてからしっかりストレッチをしたのが効いたらしい。
その日はそれから気ままに過ごし、最終日の日曜日にはバイトに入り――俺の大型連休は終わった。
はた目には充実していたとは言い
大型連休が終わると日常が戻ってきた。六月下旬の文化祭が次のイベントで、その先はしばらくなにもない。
これまでなら淡々と学校生活を送るだけだが、今年は花丸の存在があった。退屈になるかどうかは俺自身の行動にかかっている。そんな気がした。
次の金曜日、俺は部活を少しだけ早めに切り上げた。用事があるといって部室を出る俺に、北村はにやりと笑った。
まあ、どこに行こうとしているかはお見通し、ってことだな。
すこし暑さを感じる日差しの中、道を歩く。だんだんと早足になるのは否めなかった。
さすがに途中でばったり、というような運命的な出会いは訪れず、なにごともなく図書館についた。
正面玄関から入ると、ホールの左手に貸出や返却のカウンターがある。さらにその左は児童書のコーナーに通じていた。カウンターの右、ホールの正面には雑誌コーナー。右手のほうはずっと一般図書――文芸書や専門書、歴史、実用など――の書架が並んでいた。一般図書の奥の一角には窓に沿って閲覧席がある。
ホールは四階までの吹き抜けになっていて、そこから光が差し込んでいた。
借りていた本を返却してから、適当に館内をうろつくことにする。もしかしたらあとから花丸が来るかもしれない。
背の高い書架が並んでいるものの、図書館の一階は天井も高く、吹き抜けとあわせて開放感があった。
俺はまず外国文学のコーナーへ行った。
文集の作品は連休中にかなりのところまで書き進めていた。高校を舞台にした日常もので、登場人物がすこし不思議な出来事に遭遇するという、SFともファンタジーともいえる短編だ。
また、新人賞のほうはまだまだアイデアのレベルだが、こちらもファンタジー、ただしいわゆる異世界物で、硬派な感じにしようかと考えていた。
どちらもラノベでは参考になりそうな作品を何作も読んだが、視野を広げるなら翻訳ものもよさそうだ。
まず目に留まった「指輪物語」はさすがに読んだことがあったが、描写がどうも冗長な気がしてあまりピンとこなかった。特に序盤。ただ、もちろん翻訳ものにも俺にあう作品もあるだろう。
不案内なジャンルだが、それでもなんとなく聞き覚えのある本を手に取っていった。ぱらぱらとめくってみる。
ん、子供向け作品が結構あるんだな。もちろん、それでもいいんだけど。
ああ、これは聞いたことある。たしか、タンスの中から異世界に行く話で……あれ、タンスでどうやって行くんだっけ? ただ、実は身近にそういう入口がある、っていうのは定番だよな。
そうか、海外の作品にも、主人公がこちらの世界から行くのがあるんだよな。うーん、異世界ものだと、そのほうがやっぱり書きやすいだろうか。
いや、あえて向こうの世界だけで完結させて……オチで現実世界との関連性をにおわせる、とか。
斜め読みと考えごとを繰り返しながらしばらく物色したが、どうも決め手にかけて借りたい本は見つからなかった。
・
気づけばずいぶん時間がたっていた。花丸は来ているだろうか。
日本文学のコーナーへ行ってみる。外国文学よりもずいぶん蔵書数が多い。書架のあいだをのぞいていくが花丸は見つからなかった。
あれ、いるとしたらここが一番、確率が高そうなんだけどな……。
落胆しながら閲覧席のほうへ。窓に向かって机が作りつけられていて、椅子がずらりと並んでいる。半分くらいの席が埋まっていた。
視線を動かしていくと――いた、花丸だ。
熱心に読書中のようだ。机の上にはハードカバーが五冊ほど積み上げられている。
隣の席は両方とも
俺は深々と息を吸い込み気持ちを落ち着けた。
よし、行こう。
「あれ、国木田さん?」
あくまでもたまたま出会ったというように、さりげなく。
「ずらっ?」
花丸は顔を上げた。
「あ、里見さん」
彼女はにこりと微笑む。そう、それは俺が彼女を好きになるきっかけになった、あの穏やかな笑顔で――。
「ど、どうも、こんにちは」
そのまま見とれてしまいそうになって、あわてて言葉を
「はい、こんにちは」
さて、どうしよう。しまった、先に考えてくるべきだった。
「えーと、隣、いいですか」
俺はなかばやけになってそう口にする。
む、本を持ってないのに席に着くのは、恐ろしく不自然じゃないか。ああ、なんでもいいから、一冊、持ってくればよかった。
「どうぞ」
花丸は俺の内心にはまるで気づかないように、うなずいた。
机の上の本をちらっと眺める。やはりジャンルはまちまちなようだ。
うん、へんに構えすぎるからいけないんだ。北村がいっていたように……もし同性の友人だったら、普通に本の話をしてるよな。
俺は席について話しかける。
「あの、国木田さん。ちょっといいですか」
「ん?」
本に視線を戻しかけていた花丸がこちらを向く。
「国木田さんって、いろいろな本を読んでますよね。あの、本屋さんでも、ここでも」
「えへへ、そうですね」
花丸はすこし恥ずかしそうする。
「……もうすこし、種類は絞ったほうがいいのかな、ってマルも思うんだけど。読んでみると、面白くて……新しい発見があるんだ」
「俺は逆に、狭いジャンルしか読まないので、国木田さんはすごいって思います」
「ええっ、そんなことないずらー」
花丸は頬をかすかに赤く染めた。両手を頬にあててぶんぶんと顔を振る。
こういう反応は初めてなので新鮮だな。これもまた……悪くないぞ、うん。それにこの口調。機嫌がよさそうだ。
俺は勇気を得て続ける。
「それで、お願いがあるんですけど」
「ずらっ?」
「ちょっとお勧めの本を、聞きたくて……」
「マルに?」
「はい」
経験からしてお勧めの本を聞かれて喜ばない本好きはいない。と思う。とはいえ、泉のようにひたすらまくし立てられても困ってしまうが。
「そうだなぁ」
花丸は首をかしげる。
「……オラは、一番好きなのは、
腕を組んでうんうんとうなずく。
ふーむ、おすすめしにくい、か。それはそれで興味があるな。ちょっと覚えておこう。
「里見さん、どういう本を、探してるんですか?」
「えーと」
逆に聞かれてしまった。趣味で小説を書いていることを話そうか。いや、まずは文集のほうか。そちらなら知られてもさほど恥ずかしくない。
「小説を書く、参考にしようかと……」
「小説……!?」
花丸は腰を浮かせて俺のほうに身を乗り出した。
花丸の顔がすぐそばまで来て、俺の心臓が跳ね上がる。
「国木田さん、声……」
それに、距離が近いです。
「あっ。……申し訳ないです」
花丸は椅子の上で小さくなった。
彼女はすぐに気を取り直したように俺を見つめてきた。
「里見さん、小説、書くんですか?」
目がきらきらと輝いている。
「あの、大したことないです。高校の文芸部で、今度、短編を……」
「ああ、なるほどー。でも、小説を書けるなんて、オラ、尊敬するずら」
「本当に、ぜんぜん大したことなくて……」
新人賞も一次選考止まり、文集でも泉に酷評されるような出来だ。冷汗が止まらない。
「マルも、いつか書いてみたいって思ってるんだけど、なかなかうまくいかないんだなぁ」
彼女はふうっとため息をつく。
「里見さん、今度、ぜひ読ませてほしいずら!」
「あ、はい……」
すごいプレッシャーになってしまった……。
ただ、こんなに食いつかれるとは思わなかったな。思わぬ収穫かもしれないぞ。
「それで、どんな小説を書こうとしてるんですか?」
ずばっと切り込んできたな。俺は正直に答える。
「その、ちょっと変わった感じの。いつもの日常のなかに不思議が顔を出す、というようなのを、考えてます」
「ローファンタジーとか、SFとか、かなぁ」
「そうですね」
「うーむむむ、マル、あまりそういうのは、読まないんだけど……」
ローファンタジー……たしか現実世界を舞台にしたファンタジー小説のことだよな。こういうのがすらっと出てくるあたり、花丸はすごいな。
俺が見守っていると花丸はいきなり立ち上がった。
「ついてきてほしいずら!」
そういってずんずんと歩いていく。
あ、本。このままにしておけないよな。読みかけも含めて手に取った。
ん? この読みかけの本、雑誌だ。それもスクールアイドルの。どういうことだろう。ルビィだけでなく、花丸も興味があるってことか。
疑問に思いながらも、急いで彼女のあとを追った。
花丸は日本文学のところで立ち止まった。
「まず思いついたのは、
そういいながら一冊を手に取り俺に差し出す。上半分がマンガ的なイラストでとっつきやすそうだ。
「それから……っと。……
「はあ」
「加納先生は、推理小説をお書きになるんだけど、ファンタジー的な要素も多いから……。まずは、推理小説だけど、『ななつのこ』かなぁ。……よいしょっ!」
棚の上のほうにささっていた本を背伸びして取ってくれた。
「はいっ」と俺に。
「どうも」
「あ、マル、本、持ってもらっちゃって……」
「ああ、大丈夫ですよ。持ってますから」
俺は安心させるように微笑んだ。
「すみません」
花丸はぺこりと頭を下げた。
「文庫のほうにいけば、『モノレールねこ』があったはずです。あとで行きましょう」
「はあ」
「それに、不思議なSFなら
「あ、俺も何冊か読みました。面白いですよね」
俺の言葉に花丸はにこっと笑う。
「はい、ぜんぜん古びてなくて、すごいと思います」
多少は読んだことのある本があってよかった。一冊もないと、ちょっとあれだしな。
「あとは、このへんかなぁ……」
そんな調子で花丸はさらにいくつか紹介してくれた。
「文庫のほうにも行ってみましょうか。文庫、文庫、と。文庫だと、えーと……」
花丸は日本文学のコーナーを離れる。視線を落としたまま歩きながらも前から来る来館者をひょいひょい、よけていくのは訓練の
文庫のコーナーで花丸は一冊を手に取る。
「ジャック・フィニイ先生の『ゲイルズバーグの春を愛す』。これはもう、切ない感じでお勧めずら」
お、翻訳ものだ。
「
ふむ、猫耳の女の子が表紙だ。
「あとはさっき話してた本、と……」
すこし離れたところから別の本を取り出した。
「うーん、とりあえずこんなところかなぁ」
さらに数冊、上乗せしたところで、花丸はうなずいた。
「オラ、あまり紹介できなくて、申し訳ないずら」
彼女の口調からすると本当にそう思っているようだが、俺としては十分だ。たぶん貸し出し上限に近い数だ。それに、重い……。
「あっ、里見さん、ずっと持っててもらったんですね。すみません!」
「いえ、大丈夫ですよ」
俺はいつのまにか近くまで戻ってきていた閲覧席に、本の山を
「おすすめしてもらって、ありがとうございました」
「いいえ、もし気に入った本があったら、マルは嬉しいなぁ」
花丸はにこりと笑った。
うん、やはりおすすめの本を聞かれて不機嫌になる人はいないな。花丸も例外でなくてよかった。
・
花丸はスクールアイドルの雑誌を雑誌コーナーに戻した。
ふたりでカウンターへ行き貸し出し手続きをする。俺は鞄になんとか本を詰め込んだ。
そのまま図書館を出て歩き出した。ずいぶん日がのびて、まだまだ明るい。
「国木田さんは、もう帰るんですか?」
よかったらお茶とか……。
「はい、内浦まで行くバスは、そろそろ最後なので」
ああ、なるほど、大変だな。はあ。
「里見さんは?」
「今日はバイトもないし、俺も帰ります。たしか、大手町ですよね、バス停」
「そうです」
「じゃ、そこまで同じ道ですね。俺も帰り道なので」
これは本当だった。ただし、花丸と少しでも一緒にいたかった、というのも事実だ。
「退屈しないですみます」
そういって花丸は微笑んだ。
どういう意味だろう。でも、たぶん、言葉通りにとらえるのがいいんだろうな。いずれにせよ、嫌われてはいないみたいだし。
花丸と会話しながら歩くバス停までの三百メートルほどは、あっという間だった。
「それじゃ、里見さん。読んでみてくださいね」
バス停について花丸は頭を下げた。
「はい」と俺。
連絡先を聞くなら、いましかない。ごくりと唾をのむ。
「……あの、連絡先とか、教えてもらえませんか。その、感想とか送りたいので」
つい早口になってしまう。
「えっ、オラの?」
ぽかんとする花丸。しまった、早まったか。
「えーと、だめかな?」
「……ううん」花丸は首を振った。「ばっちゃがいってた。本好きに悪い人はいないって」
よかった。ばっちゃに感謝だ。
「でも、連絡先かぁ……」
しかし、すぐに花丸は困ったような表情になる。あれ?
続く花丸の言葉は予想外だった。
「……オラ、携帯電話とか、そういうのは持ってないずら。みんなが使ってるのを見て、ほしいなぁ、とは思うんだけど」
あ、そうなんだ……。
「お寺の住所と電話番号でいいかなぁ、里見さん」
すまなそうな顔をする花丸。それが可愛くてすべてが許せた。ただ、たぶん住所は――電話番号も、調べればわかりそうな気がした。
いちおう、電話番号を教わっておいた。
イエデンか……ハードル高いな。でも、教えてくれるということは、望みがあるってことだよな。
未練がましく俺は聞いた。
「あの、次はいつごろ、図書館に来ますか?」
「そうですね」すこし考えていう。「たぶん金曜日には……」
「わかりました。俺、本、読んできますね」
「はい」
バスが来るまで待つのは、わざとらしい気がした。
「それじゃ、俺はこれで」
「はい、里見さん、お気をつけて」
さりげない言葉がいちいち嬉しい。
「国木田さんも、気をつけて」
軽く頭を下げた俺に、花丸は会釈を返し微笑んだ。
・
週末は、読書と執筆に追われることになった。
花丸が紹介してくれた本はそれぞれ傾向こそ違ったがどれも面白かった。俺は花丸の読書家としての力量に感心する。
たださすがに十冊近いとすべてを読み切ることは無理だ。あとは平日に読むとしよう。
それに、執筆。花丸がああいっていた以上、多少ともクオリティを上げなくてはならない。俺としては初めてだが北村や泉の意見を聞くのがよさそうだ。
そろそろ中間試験で部活は休みになる。となると早めに書き上げる必要があった。
翌週、なんとか短編を形にして部室に持って行った。
北村と泉、それに一年女子の島崎――泉と異なりぽっちゃり型で小柄だ――が来ていた。
「あら、もう書けたの。予想外に早いじゃない」
とりあえず読んでほしい、といった俺に泉はそう答えた。
「へーっ、意外だな」と北村。
「みんな俺のこと、なんだと思ってるんですか。やるときはやりますよ」
花丸が理由だとは口が裂けてもいえない。
三人は一台のノートパソコンをのぞき込んで俺の作品を読み始めた。
「ちょっと、スクロール、一行ずつ送るのやめてよね」
「どうしろっていうんですか」
「ページ送りしなさいよ、仮にも小説なんだから」
「私もそのほうが読みやすいです……」
なんという羞恥プレイだ。
それを見守りながら、俺は厳しい評価を覚悟していた。というのも昨日、新人賞の一次選考結果の選評が届いていたのだった。
文章力は及第点でさらさらと読みやすい。ただし事実の羅列に終始している。また登場人物が類型的で魅力がない。設定にも既視感がある……。
厳しい現実を突きつけられていた。
三人とも書くほうはともかく、読むほうは一流だよな。きっと、きっついんだろうな……。
「ふーん、悪くないんじゃない」
最初に口を開いたのは泉だった。
「うん、そうだな」と北村。
島崎もうなずく。
あれ、意外に評価が高いな。
「前回もそうだったけど、少なくとも小説になってるわ」
あ、そのレベルか。残りのふたりも同じ意見のようだ。
「でもねえ……。キャラクタがなに考えてるか、わからないわね。不思議だ不思議だ、っていってるだけで」
「うん。それに、こいつは彼女のこと、どう思ってるんだ? この時点ですこしでも
「ディテールが不足していると思います」
散々ないわれようだった。ただ、島崎はわからないが、泉はかなり読ませる話を書くのだった。そのレベルに達していないということだろう。
重く受け止めなければ。
「まだあと一か月あるから、がんばって直してきなさいよ」
泉がはげますように微笑んだ。
はあ、花丸に見せられるようになるまでには、まだまだかかりそうだな。
アニメでは花丸は携帯電話を持っていますが、本作ではストーリーの都合上、持っていない設定としております。ご了承ください。