本屋に舞い降りた天使に俺は恋をした   作:Kohya S.

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22. 【番外編】異世界は本屋で出会った彼と・下

 花丸のための恋愛小説は前日の土曜日にようやく書き上がった。だれにも相談せずに書くのはひさしぶりで、飾らない助言のありがたみをあらためて認識した。

 ちょうど一万字くらいになった小説はプリンターで印刷して、文芸部で得た知識を生かして小冊子のかたちにまとめた。

 

 翌日。俺は午前中、バイトに入った。

 午後のことを考えて、きっと俺の顔は、にやけていたのだろう。菊池さんからいつものように冷やかされてしまった。

 

 いったん家に帰って軽く昼食をとり、念入りに服装と髪を整えて待ちあわせの沼津駅前に向かった。もちろんアクセサリーと小冊子を入れた袋も忘れずに。

 

 すこし早めについて機関車の動輪のオブジェの前で待つと、花丸は時間通りにやってきた。

 花丸はダークグリーンのコートに、膝丈のカーマインレッドのスカートをあわせていた。スカートからのぞく脚はいつものようにタイツだ。

 

 決して派手ではないが制服を見慣れた俺には新鮮だった。そんな花丸の姿を見られただけで俺は心がわき立つのを感じた。

 

「こんにちは、遼さん」

「こんにちは。誕生日おめでとう、花丸さん」

 

 俺の言葉に花丸は「ありがとう」と、はにかんだ。

 

 俺たちは歩き出す。日差しは暖かく昨日は強かった風も今日はおさまっていて、絶好のデート日和だった。

 隣を歩く花丸は本当に天使のようで俺は思わず口にする。

 

「その服、よく似あってるね。その……かわいいよ」

「そんなこと……。オラ、嬉しいなあ」

 

 花丸は頬を染めて顔をそらした。そこまでは予想通りだった。でも、花丸はぐっと力を込めるようにうなずいてから、俺に向き直った。

 

「遼さんも、かっこいいずらっ!」

 

 花丸は耳の先まで真っ赤になると、足を速めて俺と距離を取った。

 

 俺は驚いて――そしてなによりも嬉しくて、急ぎ足で花丸の横に追いついて、彼女の手を握った。

 

 しばらくはふたりとも無言だった。

 ようやくすこし鼓動が落ち着いて俺は話す。

 

「Aqoursの練習、がんばってるんだね」

「うん。もうすぐ本選だから。みんな張り切ってるんだ」

「アキバドーム、俺もいくから。応援してるね」

「ありがとう、遼さん」

 

 運のいいことに俺はラブライブ本選のチケットを手に入れていた。

 

「でも、花丸さんと一緒にいけないのは残念だな」

「当日だと忙しくなっちゃうから、前日にいくことにしたんだ。申し訳ないずら」

「いや、ぜんぜん気にすることないよ。でも帰りは、もしかしたら会えるかな」

「まだわかんないけど……そうできたら嬉しいなあ」

「また神保町にいきたいね」

「はい!」

 

 花丸は満面の笑みを浮かべた。

 

「でも、今日はオフになったんだ」

「休むことも大切だよって、果南ちゃんが」

 

 俺はうなずく。まだ直接話したことはないが――果南に感謝だった。

 

「Aqoursのみんなは誕生日会とかするの?」

「お昼は、みんなでマルの誕生日をお祝いしてくれました」

「じゃあ、おなか一杯?」

「いまのところは。でも、こうやって歩けば、おなかも減るずら」

「それはよかった。夕食、予約してあるから」

「えへへ。マル、すごく楽しみです」

 

 花丸は本当に嬉しそうに笑った。

 

 花丸がいきたいところにいこう、と俺が提案すると花丸は買い物に付きあってほしいと話した。

 

 駅近くの商業施設や商店街を俺たちは歩いた。

 

 雑貨店で楽しそうに小物を眺めたり、服飾店で服をあててみたりする花丸は、年相応の女の子らしくてかわいらしく、俺はまったく退屈しなかった。花丸と一緒だと、どこにいっても新しい発見があった。下着のコーナーはふたりとも足早に通り過ぎたが。

 

 ゲームセンターに立ち寄ってクレーンゲームを遊んでから、最後は(俺がバイトしているのとは別の)本屋に入った。このあたりは花丸らしかった。

 

 もうすぐ予約した時間というところで俺は花丸に声をかける。

 

「花丸さん、おなかすいたかな。そろそろなんだけど」

 

 バスの時刻があるので予約は早めに入れた。夕食というにはまだすこし早いが――。

 

「あ、マルは……」

 

 花丸がそういいかけたところで、彼女のおなかがぐーっと鳴った。花丸はあっという顔で目をそらす。俺は思わず出そうになる笑みをかみ殺した。

 

「ちょうどいいみたいだね」

 

 花丸は頬を赤らめてうなずいた。

 

        ・

 

 花丸は数冊の本を買った。

 店を出ると街はオレンジに染まっていた。三月にはいってずいぶん長くなった日もそろそろ終わろうとしていた。

 

 俺は頭に叩き込んでおいた地図を頼りに花丸を案内した。

 

「最近、沼津に来てなかったから、マル、今日は楽しかった」

 

 ゆっくりと歩きながら花丸は話した。

 

「俺も楽しかったよ」

 

 つい俺は本音を口にする。花丸は照れたように視線をそらした。そんなところは最初のころからずっと変わらなかった。

 気を取り直したように花丸は聞く。

 

「そういえば遼さん、新人賞、もう応募したんですか?」

「うん、あまり引っ張ってもどうかなって思って」

「発表はいつごろかな?」

「一次選考が六月だね。超えられればいいんだけど」

「マル、無責任なことはいえないけど、きっと合格すると思います」

「ありがとう、花丸さん。……あ、この前紹介してくれた小説、読んだよ」

「どうでしたか?」

「うん、すごく……」参考になった、といおうとして口を閉じる。あぶない。「面白かったよ」

「それならよかったなあ」

 

 花丸は唇をゆるめた。

 

 店は駅からはすこし遠く狩野川(かのがわ)のほとりだった。

 

「予約した里見です」

 

 店員にそう告げると俺たちは二階へ案内された。

 

「こちらへどうぞ」

 

 部屋は二畳ほどとごく狭かったが、ふたりなら十分だった。入って左右に席があり、テーブルは掘りごたつで足がのばせるようになっていた。

 入り口の扉は障子で、向かいにはやはり障子の入った窓がある。

 

「料理はコースになっております。最初のお飲み物はどうされますか」

 

 俺はジンジャーエールを頼んだ。

 

「あの、緑茶はありますか」と花丸は聞く。

「はい、ございます」

「それじゃ、緑茶をお願いします」

 

 店員はうなずくと「どうぞごゆっくり」といって出ていった。

 

 障子が閉まると意外なほどに室内は静かだった。まだ時間が早いせいかもしれなかった。

 花丸と俺はコートを脱いだ。

 

「あ、掛けますよ」

 

 花丸は俺からコートを取り、背中側の壁にあったハンガーに掛けた。

 

 掘りごたつに向きあって座る。

 花丸はざっくりとしたクリーム色のニットで体の線はあまり出ていなかった。俺はすこし残念になる。

 それでも胸のあたりはたしかな量感と質感を持って主張していた。

 

 店員はすぐに飲み物を持ってきた。

 店員が去り、俺はコップを手にした。場違いかもしれないな、と思いながらも花丸をうながす。花丸も気づいて茶碗を取った。

 

「誕生日おめでとう、花丸さん」

 

 俺はもう一度いった。

 

「ありがとうございます」

 

 コップと茶碗がぶつかる音が響いた。

 両手でこくこくと花丸はお茶を飲んだ。

 

「障子、開けてみていいですか」

 

 茶碗を置いた花丸の問いに俺はうなずく。偉そうな顔をしているが俺もここに来るのは初めてだ。とはいえ北村のことは信じていた。

 

 花丸がゆっくりと障子をあけると、青い光が俺たちの目に飛び込んできた。

 

「わあっ」

 

 花丸が感動の声をもらした。

 狩野川の先にかかる橋がライトアップされていた。LEDが点々と、赤みを残す空に弧を描く。対岸には街灯と民家の、温かいオレンジ色が輝いていた。

 

「きれいずら……」

 

 北村を信じてよかった。

 

 花丸の息でガラスが曇る。花丸は右手を握ってキュッキュッとガラスを拭き、ふたたび見入った。

 いつまでも花丸の横顔を見つめていたい。俺はそう思った。

 

 花丸が外を眺めるあいだにも空は急速に黒へと変化していった。

 

「失礼します」

 

 障子越しに店員の声がして、花丸は窓から離れた。

 

 店員が最初の皿を置いていくと、花丸はもう一度外に視線をやってから、障子を閉めた。

 

「いただきます」

 

 手をあわせる花丸。俺も同じように手をあわせた。

 

 鶏肉と魚を中心にした料理はおいしかった。花丸も俺もひとつ残らず平らげた。

 

 デザート(和風のシャーベットだった)と緑茶が来て、俺は気合を入れなおす。幸い時間もまだ余裕があった。

 

 花丸がスプーンを置いたところで俺は話しかけた。

 

「花丸さん」

「ん?」

 

 花丸はかわいらしく首をかしげた。

 俺は背中側に置いてあった鞄から紙袋を取り出し、さらにそのなかの箱を手に取る。

 

「あの、これ。よかったら受け取ってくれないかな」

 

 シルバーの包装紙にオレンジのリボンの掛かった小さな箱。リボンの色は俺が選んだものだ。

 花丸の顔がぱっと輝くのがわかった。

 

「オラ……もらっていいのかな?」

 

 俺はうなずく。

 

「ありがとう」

 

 花丸は両手で受け取った。上目遣いでたずねる。

 

「ここで開けても、いいかなあ」

「もちろん」

 

 俺がふたたびうなずくと彼女はゆっくりとリボンを解いた。

 

「わあっ……」

 

 シルバーが部屋の暖色系の照明を反射してきらきらと輝いた。花丸はしばらく見入ってから顔をあげて、もう一度、「ありがとう」といった。

 彼女はゆっくりと箱にふたをした。

 

 気に入ってくれたかな。それならいいんだけど。

 

 花丸はこくっと緑茶をひとくち飲んだ。

 

 俺は思い出す。花丸のかわいらしさに危うく忘れるところだった。

 

「その、もうひとつあるんだ」

 

 恥ずかしさでいったらこちらのほうが上だ。

 俺は同じ紙袋に入れておいた冊子を取り出して、きょとんとした彼女に差し出した。

 

「あー、えーと、ネットの賞に出そうと思って、小説を書いてたんだ。いちおう形になったから、最初に花丸さんに読んでほしくて」

 

 題名は「異世界は本屋で出会った彼と」とつけた。

 

 花丸はにこっと微笑んだ。

 

「いま読んでも、いいかな」

「うん、よかったら」

 

 花丸はうなずくと冊子を手に取った。

 

「オラが最初の読者ずら」

 

 そうつぶやくのが聞こえた。

 

 

        ◆

 

 

「いらっしゃいませ」

 

 硝子戸を開けると彼のいつもの声が聞こえた。

 

「こんにちは」

 

 私は小さな声でこたえる。

 

 私は内村とう()。すぐ近くの中学に通う三年生だ。

 一か月ほど前に見つけた古書店。ガラスの扉に、天井まで本の詰め込まれた書棚。狭い通路。いかにも昔ながらという感じだが、すこし懐かしい感じのSFやファンタジーの本が多くて、私はすっかり馴染みになっていた。

 ただ今日も店内には誰もいなくて、やっていけるのかなと不安になる。

 

 店の奥へ進むと、カウンター脇にある積み上げられた本の山が目に入った。店番をしている彼――田山(たやま)君が気付いて声を掛けてくれた。

 

「ああ、それ、今日買い取った本。好きに出していいよ」

 

 彼の存在も私がここによく来る理由のひとつだった。この(いえ)の子なのかそうでないのかはまだわからない。

 私はうなずいて二番目の本を(一番上の本は古い時刻表だった)を手に取った。

 

 かなり古い、おそらく二十年ほど前の整理術の実用書だった。いまさら役に立つのかしらと思いながら私は本を開いた。

 

 

        ◆

 

 

 俺は花丸の目が文字を追うのをじっと眺めた。

 

 古い実用書。そこにはなぜか、ほぼランダムにマーカーが引いてあって、とう華はその文字を一文字ずつ読み上げる。実はそれは、そのすぐ下にある本の力を引き出すための呪文だった。

 とう華は本の力でパラレルワールドに飛ばされる。彼女の手をとっさにつかんだ店番の少年、田山と一緒に――。

 

 こんな話を花丸が気に入ってくれるかはわからなかった。

 

 でも、はっと目を見開いたり、くすりと笑ったり、悲しそうになったりと、花丸はいつものように表情豊かだった。

 

「ふうっ」

 

 最後のページを閉じて花丸は大きく息を吐いた。

 俺はごくりと唾をのむ。

 

「素敵でした。本が異世界への扉を開く……。すぐれた小説って、本当にマルに別の世界を見せてくれます。それを具体化したのかなあ、ってちょっと思いました」

 

 うん、それは意識したところだ。

 

「それに、この作品……」

 

 そういって花丸は黙りこんだ。だんだん頬が赤く染まっていく。

 

 そう、とう華は田山直也(なおや)とパラレルワールドで恋に落ちるわけで――。

 

「……素敵でした」

 

 花丸はちいさな声で繰り返した。

 

 冊子を返そうとした花丸の手を俺は押しとどめた。

 

「よかったら、花丸さんに持っていてほしいんだ」

 

 花丸はこくりとうなずいた。

 

        ・

 

 デザートを食べ終え、最後に花丸は障子を開けて、もう一度窓の外を見つめた。

 

 会計をすませて外に出る。先に出て待っていた花丸はぺこりと頭を下げた。

 

「ごちそうさまでした」

「どういたしまして」

 

 俺が芝居がかって頭を下げると、花丸はくすりと笑った。

 

「バス停まで送るよ」

「はい」

 

 内浦から沼津方面とは異なり、沼津から内浦へはわりと遅い時間までバスがある。すこし寄り道しても大丈夫そうだった。

 

「さっきの店、気に入ってくれた?」

 

 俺は歩きながら聞く。

 

「はい。夜景もきれいで、料理もおいしくて……最高でした」

「実は、北村に紹介してもらったんだよね」

 

 俺が打ち明けると花丸は面白そうに答えた。

 

「そうなんですね。ぜひ、お礼をいっておいてほしいな」

「わかった」

 

 すこし歩くと図書館からバス停への道に出た。

 

「あ、ここに出るんだ」

 

 花丸は笑顔になる。花丸と何度も歩いた道だった。

 歩道は狭く花丸との距離が近づいて、どちらからともなく俺たちは手を握った。

 

 中央公園の前で俺は提案する。

 

「すこし寄り道してもいいかな」

「はい」

 

 花丸は不思議そうな顔でうなずいた。その瞳には――なにかを期待するような光が輝いてはいないだろうか。

 

 俺は公園を抜けていく。きっと花丸は、夜、ここに来たことはないだろう。

 

 公園の奥、ゆるやかな坂をのぼっていくと、手前から奥へと規則正しく二列に並ぶ、オレンジ色の光が見えてきた。狩野川を渡る人道橋。その足元を照らすフットライトだ。

 暗い水面の上へと続く明かりはまるで空中に浮かんでいるようだった。

 

 気づいた花丸が目を細めるのがわかった。

 

 坂をのぼりきってビルのあいだから抜けると、一気に視界が開けた。

 右手にはさきほどの店から見た橋が、より近くに輝いていた。

 

「わあっ」

 

 花丸が息をのんだ。

 

「花丸さん、夜景が気に入ったみたいだから」

「はい、さっきよりも、もっときれいずら……」

 

 花丸は欄干に近付いた。

 

 ごおっと音を立てて風が抜けていった。俺は花丸の横に風をさえぎるように立つ。花丸の横顔は、闇のなかでほの白く光って見えた。

 

 いつか、月が照らすお寺の境内で見たときのように、水族館の水槽の前で見たときのように――。

 

 あのころよりもきっと距離は近づいたと思う。でも、花丸のことを知ることはできただろうか。

 意外性のかたまり、花丸。

 きっとまだまだ俺の知らない花丸の横顔(プロフィール)があるに違いない。

 俺はそれを知りたいと思う。

 

 やがて花丸は俺のほうを向いた。

 

「遼さん」

「ん」

「本当に、今日はありがとう。素敵な贈り物をふたつも……ううん、みっつもいただいたずら」

「どういたしまして」

 

 三つめは――この夜景のことだろう。花丸は続けた。

 

「もしかして、あの小説……」

 

 花丸は黙る。俺はきちんと話さなくてはいけないと思った。

 

「うん。花丸さんをモデルにさせてもらったんだ。その……気を悪くしたら、ごめん」

 

 花丸は微笑んだ。

 

「ううん、それは大丈夫。あんな風に活躍して。あんな風に、その……恋をして……。オラ、嬉しかったずら」

 

 その言葉を聞いて、俺の心は温かくなった。

 

 そう、俺にできることは文字をつづることくらいだ。それが花丸を喜ばせることができたなら、これほど嬉しいことはない。

 

 ちょっとした思い付きだったが実行に移してよかったと思った。

 

「考えれば、マルと遼さんが知りあったきっかけも、本でした」

 

 俺はうなずいた。花丸があの日、本屋に来なかったら。俺がバイトに入っていなかったら。いまの俺たちはなかっただろう。

 いや、それとも、運命はどこかで俺たちを引きあわせただろうか――。

 

 花丸も同じことを考えていたのかもしれない。

 花丸は小さく顔をふって俺に話す。

 

「遼さん、恋愛小説が読みたい、っていってました」

「そうだね」

「今日の話の参考にするためだったんですね」

「まあね。隠しておいて、そっちもごめん」

「マル、気にしてないです。先に聞いてたら、楽しみは半減してたから。でも、マル、いろいろ考えてしまったずら」

「いろいろ?」

 

 花丸は目をそらして続ける。

 

「……マル、遼さんとお付きあい、してるつもりずら」

「うん」

 

 俺もそのつもりだ。花丸は不安そうに唇を震わせた。なにか不満があるのだろうか。

 

「でも、恋愛小説を読みたい、なんて……。オラ、あとからしゅんとしてしまったずら。遼さん、オラにそういうドキドキ、感じてないのかもって」

「いや、そんなことないよ」

 

 俺はあわてていった。むしろ、その逆だ。

 

 花丸は俺に視線を戻す。

 

「うん、オラ、遼さんを信じていたし、遼さんの気持ち、わかってるつもりずら」

 

 はにかむように笑う花丸。

 

「そしたら今度は、もしかしてオラのために勉強してくれてるのかなって思ったんだ。なにかこう、ロマンチックなことでも、してくれるんじゃないかって」

「あー、それは、ごめん」

 

 そんなことは考えていなかった。申し訳ない。

 

 花丸はそんな俺を見てくすっと笑った。目を細めて続ける。

 

「あやまるのは、マルのほうです」

「え、どうして?」

「遼さん、小説家ずら」

「いや、俺なんかまだ、ぜんぜん……」

「それじゃ、物書きさんでいいずら。遼さんがいままで、マルに聞いたのは執筆に悩んだときだったずら」

 

 そういえばそうだ。

 

「それに気づけないマルは、まだまだだなって」

 

 花丸の心遣いが俺の胸にゆっくりと染みこんでいった。

 

「ごめん。いや、ありがとう、花丸さん」

「遼さんがお礼をいうことは、ないずら」

「そうかもしれないけど……。花丸さんの気持ちが、嬉しくて」

「ん、だって、オラは……」

 

 なにかいいかけた花丸はついっと目をそらす。橋の明かりが彼女の瞳に映る。

 

「花丸さん」

「ん?」

 

 俺は花丸の手を握った。距離がすこしだけ近づく。花丸がもう一度、こちらを向いた。

 

「大好きだ、花丸さん」

 

 俺はささやく。

 

「ん、オラも、ずら」

 

 彼女はちいさな声で、でもしっかりとそうつぶやいた。

 距離がさらに縮まって――。

 

 そのとき、花丸はくしゅん、とかわいらしく、くしゃみをした。

 

 俺はいつもの間の悪さを嘆く。でも、特別な時間は、今回は逃げていかなかった。いや、逃がしてはならないと思った。

 

 ばつの悪そうな花丸の肩を、俺はそっと引き寄せた。そのまま両腕を彼女の背中に回す。

 花丸は一瞬、はっと体を固くして、すぐに力を抜いた。花丸の両手がおずおずという感じで俺の体にふれる。

 

 俺は彼女を抱き寄せた。

 目を閉じる花丸。

 

 花丸の身体はたしかな質感を持ってそこに――俺の腕のなかにあった。それは想像通りに柔らかく、想像よりもずっと細かった。

 伝わってくる体温。この鼓動は俺のものだろうか、花丸のものだろうか。

 花丸のまつ毛がかすかに震えている。

 白檀の上品な、それでいてどこか懐かしい、花丸らしい香りがした。

 

 俺も目を閉じて、彼女の唇に、そっと自分の唇を重ねた。

 

 短いような長いような、とても貴重な時間がすぎて、俺は体を離す。花丸が吐息をもらすのがかすかに聞こえた。

 花丸と視線があったとき、もう一度風が吹いて――。

 

「ハクション!」

 

 俺は顔をそらして、盛大にくしゃみをした。

 花丸がくすりと笑った。

 

        ・

 

 手をつないで中央公園のほうに戻る。バスの時間が近づいていた。

 歩きながら俺は話す。

 

「なにかあったら、いつでも聞いてほしいな。その、いろいろ考える前に」

「そうさせてもらうずら」

 

 うなずく花丸に、俺も花丸のことをもっと知らなくては――距離を近づけなくてはと思う

 

 花丸は唇をゆるめると続けた。

 

「でも、素敵な小説をいただいて、あんなこともあって……今日は十分、ロマンチックだったずら」

 

 それは、俺にとって最高の褒め言葉だった。

 なにか答えようかしばらく悩み、結局、ぜんぜん別の話を振ることにした。

 

「あの、あとで感想、聞かせてもらえるかな」

「はい、喜んで」

 

 花丸のアドバイスは必ず参考になるだろう。いや、俺の作品にはすでに必須になっているに違いなかった。

 

「あの作品、賞に応募するんですか?」

「うん、そのつもりだけど」

「マル、恥ずかしいなあ」

「やめておいたほうがいいかな?」

「ううん、すぐれた作品は、みんなに読んでもらうべきずら」

「そういってもらえると、嬉しいね」

「えへへ。……本当は、マルひとりだけのものにしたいって気も、すこしあるけど」

 

 花丸は――どこまで本気なのかわからないが――そういって微笑んだ。

 

 うん、今度は本当に花丸のためだけの作品を書こう。

 

 バス停につくとバスまでは五分ほどだった。

 誰もいないベンチにふたりで並んで座る。花丸はいつになく無防備に、俺の肩に頭をあずけた。

 

 彼女の肩に手をまわそうかどうか悩んでいると、花丸が突然、いった。

 

「はあ。……オラ、帰りたくないずら」

「えっ!」

 

 俺は息をのんだ。身を固くした俺に花丸は一瞬、きょとんとした顔を向けて――ぶわっと赤くなった。

 

「ああっ!」

 

 花丸は、ばっと体を起こして俺に向かってあたふたと手を振った。

 

「そういう意味じゃないずら! 誤解ずら! 今日は楽しかったなっていうことで……」

 

 花丸はそこまでいって下を向いてしまった。

 

 俺はそんな花丸がいとおしくてたまらなくなる。

 

「えーと、ありがとう、でいいのかな?」

「はい、そんな感じで、お願いします」

 

 花丸はちいさな声で答えた。

 

 やってきたバスが俺たちのあいだの微妙な空気を払ってくれた。

 

 花丸はなにかを吹っ切るように勢いよく立ち上がった。俺も立ち上がる。

 

「ラブライブの本選、がんばってね」

「はい。マル、がんばります」

 

 手を振る俺に頭を下げ、花丸はステップを上っていった。ドアが閉まり、バスが動き出す。

 窓越しに花丸はずっと手を振ってくれた。

 

 バスが見えなくなって俺は自宅に向けて歩き出す。

 花丸の台詞が別の意味になってくれる日を、祈りながら。


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