本屋に舞い降りた天使に俺は恋をした   作:Kohya S.

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誕生日記念の番外編です。上・下で完結予定。


21. 【番外編】異世界は本屋で出会った彼と・上

 放課後の部室。扉を開けると部屋は薄暗く、寒かった。

 

 旧棟の暖房はセントラルヒーティングで窓際に設置されたパネルが温かくなるのだが、いつも暑いか寒いかで快適というにはほど遠かった。

 そして今日は寒い日らしい。

 

 俺はカーテンを開けて太陽の光を部屋に入れた。二月のなかば、ようやく寒さの底を超えたところだが、今日はよく晴れていて風も弱くこの時期としては温かかった。

 俺は誰もいない部室を見渡す。

 

 俺が一番か。最近は珍しいな。

 

 このところ、理由はわからないが一年生の島崎と永井もよく顔を出すようになっていた。北村もあいかわらず陸上部よりも文芸部を優先してくれている。もっとも奴の場合は部活にかこつけて本を読みたい、というだけかもしれなかったが。

 

 三年生の泉は昨年末に発行した冬の文集で引退して、俺は消去法で部長になっていた。

 

 冬の文集は、文化祭でも販売する春の文集とくらべて販路が限られるのだが――生徒たちとその友人がメインになる――それでも去年よりは売れたらしい。

 

 もちろん、花丸も買ってくれた。

 

 文集の小説の題材に俺はSFでもファンタジーでもなく一般小説を選んだ。花丸の好みを意識しなかった、といったら嘘になる。

 高校の部活を舞台にした青春もので、励ましあったり衝突したりしながら目標に向かって突き進む男女の友情を――恋愛はまだ恥ずかしかった――さわやかに切り取ったつもりだった。

 

「遼さんの作品、素敵ずら……」

 

 文集を読み終わった花丸は、開口一番、そういってくれた。

 

瑞々(みずみず)しくて、青春って感じで、マルまでほっこりしました」

 

 花丸の言葉はいま思い出しても嬉しくなるものだった。

 

 その花丸は無事にスクールアイドルを続けていた。

 俺が見たところではずっとずっと歌も上手くなり、ダンスにも切れが出て、Aqoursの一員として誰に劣ることなく活躍していた。

 

 Aqoursは夏休みのラブライブ地区予選では残念ながら敗退したもののの、二学期になってから次のラブライブに向けて再始動していた。

 浦の星女学院の廃校が決まったときには花丸もずいぶん落ち込んでいたが、彼女の話では、千歌の決断もあって花丸たちメンバーは気持ちを切り替えたらしい。

 それからはとんとん拍子で勝ち進み、いまも来月の本選に向けて厳しい練習を続けている。

 

 ただなあ。

 

 俺は内心、ため息をついた。Aqoursの活躍は嬉しいし、ステージ衣装の花丸はかわいい。なにより彼女が楽しそうなのが一番だ。でも、どうしても会う機会はすくなくなるわけで――。

 

 クリスマスはAqoursが函館でライブをすることになり、結局、会うことはできなかった(Saint Snowとの合同ライブは鳥肌ものだった)。正月は晴れ着を見せてもらったが(もちろんすごくかわいくて何枚も写真を撮った)ごく短い時間だけだったし善子とルビィも一緒だった。

 

 図書館で会ったり、おすすめの本をお互いに紹介したり、休日にときどき買い物デートに行ったりはしているものの、あまり仲が進展しているとはいえないだろう――。

 

 そこまで考えて、いや、と思いなおす。こうやって挙げてみたら、それなりに充実していた。申し訳ないくらいに。ただ、と思ってしまうのは男子高校生として仕方ないと思う。

 

 あれ以来、キスもしてないし……。

 

 花丸の柔らかくて温かい唇の感触は今でも思い出せる。花丸の吐息、白檀の香り――。

 

 ガラガラと音を立てて扉が開き、俺は飛び上がる。

 

「お、遼、早いな」

 

 北村だった。

 

「い、いや、いま来たところだよ」

 

 思わずデートの待ち合わせのようなことを口走ってしまった。

 

「ふーん?」

 

 北村は面白そうな顔をしたが、それ以上はなにもいわなかった。そのまま扉を閉めて椅子に座ると、どこからともなく本を取り出す。

 俺も彼にならって腰をおろし、鞄からいま読んでいる本を取り出した。

 

 さて読むか、というところで北村がぽつりといった。

 

「どうせ花丸ちゃんのことでも、考えてたんだろ」

 

 北村に隠しておけるわけがなかった。俺は顔を上げて無言でうなずく。

 

「やっぱりな」にやりと笑って続ける。「昨日、バレンタインデーだもんな。どうだったんだ?」

「いや、チョコはもらったけど……それだけだよ」

 

 それは残念なことに事実だった。

 

        ・

 

 Aqoursは二学期からときどき沼津市街で練習をしていて、昨日はなぜか練習は早めに終わりになり、花丸は俺がバイトをしている本屋に来てくれた。

 

 花丸は数冊の本を買い――毎週のようにうちの本屋に来ているので、以前のように大量に買うことはすくなくなった――俺は菊池さんに話して時間通りに上がらせてもらった。

 

 本屋の前で待ちあわせた俺たちは喫茶店へ向かった。俺はあえて普段はあまり行かない、すこしだけ遠い住宅街のなかにある店を提案した。

 

 俺も花丸もバレンタインのことについてはなにもいわなかったが、花丸のようすはいつもとあきらかに違っていた。

 

 洋菓子店の前を通りがかり俺はいつものように話す。

 

「あ、この菓子、チョコ掛けか。おいしそうだね」

 

 いつもなら花丸はショーケースに張り付いて、「おいしそうずらー」と相好(そうごう)(くず)すのだが、今日にかぎっては――。

 

「えっ! 遼さん、そういうのが好きなんですか? 失敗したずら……」

 

 と肩を落とすのだった。俺はあわてて付けくわえる。

 

「あ、チョコはどんなのでも好きだよ」

 

 特に、花丸が作ってくれたのなら。

 

「それならいいんだけど」

 

 俺の言葉に花丸はほっとしたよう笑って、俺はそんな彼女をあらためてかわいく思った。

 

 こじんまりとした喫茶店で席に落ち着く。注文したメニューが届いて話が一段落したころから、俺はだんだんそわそわし始めた。

 

 いくら和風な花丸とはいえ、バレンタインを知らないってことはないよな。それにさっきも、いかにもな感じだったし。

 

 それでも落ち着かなかった。

 テーブルの向こうの花丸は、もじもじしながらテーブルを見つめていた。俺は水を向けることにする。

 

「そういえば、鞄、いつもより大きいね。なにか入ってるの?」

 

 花丸はなにか決断するようにこくっとうなずくと、横においてあった手提げ鞄を体の前に持ってきた。

 

「あの、今日、なんの日か知ってるずら?」

 

 花丸はほんのりと頬を染めて上目遣(うわめづか)いで聞いた。俺はどきりとして、言葉を出せずにうなずいた。

 

 花丸が鞄に手をかけたとき、突然、声がした。

 

「あれ、花丸ちゃん」

「ずら丸?」

 

 花丸は声こそ出さなかったが飛び上がらんばかりに驚いた。もちろん、俺も。

 

「る、ルビィちゃん、善子ちゃん」

 

 花丸は鞄をかくすように両腕で押さえながら、上半身で振り返った。

 

「めずらしいね、こんなところで会うなんて」

 

 微笑むルビィのうしろで、善子は嘆くように額に手を当てていた。俺も同感だった。

 

 ふたりは俺たちの隣の席に座った。

 

 花丸とルビィが話しているすきに善子が俺を手招きして、俺は耳を近づける。

 

「どうしてこんなところにいるのよ? せっかくいつもと違うところに来たっていうのに」

 

 俺の耳に善子がささやいた。

 

「同じだよ」と俺はささやき返す。「ここなら誰も来ないだろう、って思ったんだ」

「そういうこと? おたがい裏目に出たわね」

 

 善子はあきれたようにいった。ただ結果はともかく善子の気持ちは嬉しかった。

 

「まったく。でも、ありがとう、気を遣ってくれて」

 

 俺はそれだけ話して体を起こした。花丸に見られてまたなにか誤解を生むとまずい。善子はくすりと笑った。

 

 しかし、困ったな。バスの時刻もあるし長居してたら時間が無くなるぞ……。俺がいい出すのは変だし。

 

 会話が途切れたタイミングで俺は花丸の視線をとらえる。きっとこの半年のおかげだろう。花丸と心が通じあった気がした。

 

「あの、マル、そろそろ失礼するずら」

 

 花丸はルビィと善子に微笑んだ。

 

「もう行くの、花丸ちゃん?」とルビィ。

「ちょっと寄るところがあるんだ」

 

 花丸はごく自然にそういった。

 

 花丸に続いて俺が席を立って、ふたりに挨拶すると、善子はパチッとウインクしてみせた。

 

        ・

 

 店を出ると(今日は俺が払った)冬らしい冷気が俺たちを包んだ。

 花丸は俺を見て、にこっと笑った。俺も笑みを返す。

 

 幸いバスまではまだ時間があるので花丸に提案する。

 

「こっちから帰ろうか? 車もすくないし」

「そうしましょう」

 

 すこし――いやかなり遠回りになるが、喫茶店の近くから駅のほうに伸びている、住宅街のなかを抜ける緑道(りょくどう)へと足を向けた。

「寄るところ」については花丸も俺もなにもいわなかった。

 

 花丸は浦の星女学院の深いベージュ色のコートで、襟元にはクリーム色のマフラーを巻いていた。頭には黄色いニットのキャップ。同じコートでもAqoursのメンバーはみな、小物で個性を出していた。

 彼女の吐く息が街灯に照らされて規則的に白く広がる。

 

 手袋をしていないことに気づいて俺は彼女の手を握った。

 花丸は視線こそあわせなかったが、ぎゅっと握り返してくれた。

 

 そういえば半年たつのに、花丸はあいかわらず常体と敬体、標準語と訛りが混ざった不思議な言葉遣いで話した。善子やルビィと話すときにはもうすこしくだけた感じなので、俺にもそうしてほしい気もしたが、逆にいえば俺にしかしない話し方かもしれなかった。

 そう考えるとそんなところもかわいかった。

 

 花丸の手の温かさを感じながらしばらく無言で歩いて、市街に行くなら次の交差点で右に曲がらないといけない、というころ。

 花丸は手を放してすこし俺から離れると、くるっとこっちを向いた。

 

 彼女は鞄からなにかを取り出すと、両手で俺に向かって差し出した。リボンと包装紙できれいにラッピングされた、ちょうど文芸書の大きさくらいの箱だ。

 

「遼さん、これ。受け取ってほしいずら」

 

 花丸の顔は青白い街灯の光でもはっきりわかるくらい朱に染まっていた。

 俺の内心にも緊張と安堵(あんど)とが吹き荒れていたが、つとめて冷静を(よそお)ってうなずく。

 

「ありがとう。すごく嬉しいよ」

 

 俺はそういいながら両手で受け取った。花丸はふにゃっという感じで表情をくずして、やさしく微笑んだ。

 俺は丁寧に箱を自分の鞄に入れた。

 

 頬を赤らめたまま視線を落としている花丸の右手を取る。花丸は、はっとしたように顔を上げた。ごく自然に距離が縮まって――。

 

「ワン!」

 

 背中から突然、犬の鳴き声がした。花丸と俺は同じタイミングでびくりと体を震わせた。

 

 俺たちがわきによけると、小型犬を連れた小学生くらいの女の子がぺこりと頭を下げて通り過ぎていった。

 

 俺と花丸は顔を見あわせて――くすりと笑った。

 

 もう一度、花丸の手を取って市街地のほうへ歩き出す。

 

「花丸さん」

 

 人が増えてきて大通りの明かりが近づき、俺は声をかけた。

 

「ん?」と花丸。

「お返しは、なにがいいかな?」

「遼さんがくれるものなら、なんでもいいですよ」

「やっぱり食べ物がいい?」

「えへへ、マルは大歓迎ずら」

 

 花丸は花丸らしく微笑んだ。

 

        ・

 

 昨日はそれから、あの特別な瞬間は二度と訪れることはなくて――何事もなく花丸はバスに乗って帰った。

 

「まったく、じれったいな、お前ら」と北村。

「ほっといてくれよ」

 

 しかし、もしなにかあったとしても北村に話せるわけがないのだが。

 俺は当然ながら言い返す。

 

「そういう北村はどうなんだよ。部長からチョコ、もらったんじゃないのか?」

「あー、まあ、いちおうな」

 

 途端に北村は挙動不審になる。

 外見に似あわず自分の恋愛については(俺と大差ないくらいに)シャイらしく、泉と付きあっていると認めさせるまでには相当苦労したのだった。

 

 三年生はもう高校には来てないから……デートしたってことだよな。それこそ、どこまで進んでるのかは気になるけど。

 

 下手に追及すると逆に根掘り葉掘り聞かれそうだった。

 

「失礼します」

 

 一年生の女子、島崎が来て会話は終わりになった。

 

        ・

 

 部活を終えて自宅に帰る。

 自室で着替えて一息ついて、俺は机の上に置いてあった箱を開けた。花丸からもらったチョコレート。和風な花丸にはすこし意外なことに、ごくオーソドックスなトリュフだった。店のロゴなどがなにもないところをみると、手作りらしい。

 ひとつだけ食べるとカカオの香りと苦み、それにミルクの甘みが口の中に広がった。

 

 昨日いくつか食べて残りは半分ほど。大切に食べよう、と思った。

 

 それから家族と夕飯を食べてまた自室に戻り、パソコンを開いた。

 締め切りの近い、春のラノベの新人賞に応募する作品は、ほぼ出来上がっていた。

 

 去年秋の新人賞は俺としては初めて二次選考まで(とお)った。そのことを花丸に話したときには彼女は我がことのように喜んでくれた。

 しかし残念ながら最終選考では落選だった。まだまだ実力が不足している、ということだろう。

 それでも二次選考を超えられたのは花丸や北村、泉のアドバイスのおかげに違いなかった。

 

 今度の作品――近未来物のSFだ――でも花丸は貴重な助言をしてくれた。もはや花丸なしでの執筆は考えられない。夏の結果発表が楽しみだった。

 

 次の文芸部の文集は初夏の文化祭で出す予定なので、まだ余裕がある。

 そこで俺は、長編までは無理でも、短編を対象としたネット小説の賞にでも応募しようかと考えていた。

 

 最近は小説投稿サイトが盛り上がっていて、つねにどこかでなにかの賞を募集しているような状態だった。

 

 いまのところ応募する賞は決めていないので、いいものがないかと探していく。

 

 これは……ミステリーか。俺にはちょっと難しいかな。こっちは、出会いと別れ。悪くないぞ。

 恋のショートストーリー。恋愛か……難易度高いなあ。

 ローファンタジー。うーん、10万字だと長いな。ちょっと締め切りも近いし。

 

 ()(ごの)みをしている場合ではなく、とにかく書くのが大事だとわかってはいても、なかなか難しかった。

 

 ふうっと息を吐いたところで、脇に置いてあったスマートフォンが着信音を鳴らした。

 画面の発信者名を見て俺は唇をゆるめる。花丸だった。

 

『あ、遼さん? いま大丈夫かなあ?』

「もちろん、花丸さん」

 

 花丸からの電話ならいつでも大歓迎だった。

 花丸はいったん黙る。パソコンの時刻表示を見ると思ったよりも遅い時間で、俺は自分から電話をかけなかったことを後悔した。

 

 昨日の晩、メールでお礼を書いたけど……。

 

 俺はあらためて話す。

 

「花丸さん、チョコレート、ありがとう。とてもおいしいよ」

『本当ですか? よかったずら……』

 

 花丸の言葉から安堵が伝わってきた。

 

「もしかして、手作りかな?」

『えへへ、そうなんです。善子ちゃんに教わりながら、ふたりで作ったんだ』

 

 やっぱり手作りなんだ。花丸の真心にじんわりと胸が温かくなる。

 

「……すごく、よくできてたよ」

『ありがとうございます』

 

 花丸は嬉しそうに笑った。

 

 それから新人賞の話やAqoursの練習の話をして――話題は尽きなかったが翌日も学校だ。あまり長話はできなかった。

 俺は名残惜しく思いながら聞く。

 

「次は、いつ会えるかな」

『来週、練習の前に、図書館に行きます。もしよかったら、そこで』

「また前日にでも、連絡くれるかな」

『はい、わかりました』

 

 おやすみの挨拶をして、電話を切った。

 

 ホワイトデーのお返し、しっかり考えないと、と思う。さすがに手作りのお菓子は厳しいけど。

 

 それに、俺にはホワイトデーよりも気になっていることがあった。彼女の誕生日が間近に迫っている。日付は、来月の四日。

 

 もちろんなにか贈り物をするつもりでいた。

 彼女も年頃の女の子だから、アクセサリーなんかいいんじゃないかと思う。高校生男子にアクセサリーの買い物はハードルが高いが、彼女のためなら苦にならなかった。

 

 きっと花丸は喜んでくれると思うけど……ほかになにか、できることはないかな。

 

 花丸はお菓子作りに挑戦してくれた。俺もなにかに挑戦してもいいかもしれない。手作りのアクセサリーはと考えて、無理だなと思いなおす。俺にはセンスのかけらもない。

 俺ができることといったら文章を書くことくらいだ。

 

 文章。花丸は本を読むのが大好きだ。たとえそれが、俺の書いた小説でも……。

 

 俺の連想はさっき見かけたネット小説の賞につながっていった。

 

 恋愛小説。

 最初に花丸とデートしたとき、彼女は「恋愛小説みたいだなぁ」と話していた。

 花丸が喜ぶようなものが――なにか書けないだろうか。

 一年前の俺なら絶対に無理だが、いまの俺なら――花丸と出会えた俺なら、もしかすると――。

 

 俺にできることは、それくらいしかないような気がした。幸い二週間以上ある。短編なら書き上げられるかもしれない。

 

 俺はパソコンに向き直りさっそく話を練り始めた。

 

        ・

 

 部室や自宅、昼休み、それに退屈な授業中など、俺はずっと考え続けた。すこしずつプロットが形になっていった。

 

 主人公は本好きの女の子。ある古書店に(かよ)ううち、店番をする少年と顔見知りになる。何度目かの訪問で、店が買い取ったばかりの本を彼女は手にする。彼女が本を開くと――。

 

 異世界への扉がいいだろうか。それとも謎めいた手紙がはさまっている? どす黒く変色した手形――は()めておいた方がいいだろう。

 

 いずれにしても少女と少年は恋に落ちる。純粋な恋愛小説というよりも恋愛SFとかファンタジーになりそうだった。

 

 翌週の平日のある日、俺は放課後、図書館に直行した。

 

 閲覧席で適当な本を読みながら待つとすぐに花丸があらわれた。

 

「こんにちは、遼さん」

「あ、花丸さん。こんにちは」

 

 花丸はにこやかに笑って隣の席に腰を下ろした。

 俺はしつこいかなと思いつつ、再度お礼をいう。

 

「この前はありがとう。その、チョコレート」

「あっ、えっと、どういたしまして」

 

 赤面する花丸。こんな恥ずかしそうな花丸を見られるなら何度だっていいたい。そう思った。

 このまま花丸と話したいところだがこれから彼女は練習がある。

 

「あまり時間、ないよね。先に本を借りようか」

「はいっ!」

 

 俺たちは閲覧席から離れて書架のあいだを歩いた。

 思い出してさりげなく花丸に聞く。

 

「花丸さん。おすすめの恋愛小説とか、あるかな?」

「恋愛小説ですか?」

 

 花丸は目をぱちくりとさせて聞き返した。俺がそんな小説を読みたいというのは初めてだから無理もない。

 

「うん、その、ちょっと読書の幅を広げようかなって思ってさ」

「なるほど。いい考えずら」

 

 花丸はうんうん、というようにうなずいた。

 

「でも、恋愛小説といっても、いろいろありますよ。新しい作品に、古典。日本のものに海外翻訳。『舞姫』とか『こころ』『初恋』も立派な恋愛小説ずら。遼さんはどんなのがいいかなあ」

「うーん、こだわりはないけど。どちらかというと直球の恋愛ものより、恋愛要素のある小説、のほうかな」

「マルもあんまり、恋愛だけの小説は読まないから、そのほうがおすすめしやすいです」

 

 そういって花丸は微笑む。

 花丸の「あまり読まない」はあくまでも花丸基準だということは、よくわかっている。きっと甘い話もたくさん知っているに違いない。ただ今日のところは置いておこう。

 

「それじゃあ、本を見ながら話しましょうか」

 

 花丸は日本文学のコーナーへ歩いていく。

 

加納(かのう)朋子(ともこ)先生の『ななつのこ』は面白かったですか?」

 

 最初のときにおすすめされた本だ。不思議な事件を題材にした推理小説だった。

 うなずいた俺に花丸は続ける。

 

「続編の『魔法飛行』と『スペース』は、ぐっと恋愛要素が濃くなってるずら。主人公は小説を書いてるし、遼さん向けじゃないかなあ。よいしょ!」

 

 花丸は背伸びして書架から二冊の単行本を取り出し、渡してくれた。

 

「あとは、えっと……」

 

 花丸の目が獲物でも探すように動く。

 

「『空色勾玉(そらいろまがたま)』とか、いいと思います。荻原(おぎわら)規子(のりこ)先生の古代日本を舞台にしたファンタジーで、恋愛小説としても一級ずら。デビュー作とは思えない完成度です」

 

 今度の本はかなり分厚い。デビュー作という点には親近感がわいた。

 

 そんな感じで花丸はさらに二冊ほど紹介してくれた。

 お礼をいおうとした俺に花丸はにこっと微笑んだ。

 

「次は文庫に行きましょう」

 

 うむ、さすがだ。

 

「文庫にもいい話がいっぱいずら。あと、SFとかも、あったほうがいいですよね」と歩きながら花丸が聞く。

「そうだね。頼むよ」

 

 文庫の書架で花丸はしばらく棚を眺めてから、振り返る。

 

「『ゲイルズバーグの春を愛す』と『竜宮ホテル』は紹介しましたよね」

「うん、両方とも面白かったよ」

 

 そういえばどちらも恋愛要素が強い。とくに前者は不思議な愛のかたちを描いていた。

 

「遼さん、『夏への扉』はもう読んでるかな?」

「あ、それは読んだよ」

 

 北村のすすめで読んだのだ。あれも年の差恋愛だ。

 

「猫がかわいいよね」

「はいっ!」

 

 花丸は大きくうなずいた。

 

「ハインライン先生には『愛に時間を』っていう作品もあるけど、おすすめはしにくいずら」

 

 花丸はひとりごとのようにいってまた本の背を探し始めた。

 

「SFだと、やっぱりタニス・リー先生の『銀色の恋人』は外せないです。タイトルが半分、ネタバレですけど、読んでみてほしいな。はいっ」

 

 うむ、少女漫画のような表紙だ。

 

「あ、そうそう。ロバート・F・ヤング先生! 恋愛もの中心にお書きになってて、マル、これはっていうのも、うーんっていうのもあるけど、読むべきだと思うずら」

 

 花丸が渡してくれた本には「たんぽぽ娘」とある。題名からはちょっと中身が想像できなかった。

 

「えーと、あとは日本の一般小説から……」

 

 花丸は追加で数冊、選んでくれた。そろそろ貸出上限だろう。

 あらためて俺は読書家としての花丸に舌を巻いた。

 

「あ、『時をかける少女』も忘れないでほしいずら」

 

 以前紹介してもらって読んだがそういえば立派な恋愛小説だ。

 

「ありがとう。助かるよ」

「どういたしまして」

 

 花丸は嬉しそうに笑った。そして壁の時計に目をやっていう。

 

「あっ、もうこんな時間だ」

 

 あわてて花丸は何冊か本を選びカウンターで貸出手続きをした。俺も一緒に手続きをすませて図書館を出る。

 

 Aqoursの練習場所は線路の向こうだった。俺も何度か、すぐ近くまで花丸と一緒に行ったことがある。

 直線距離はそれほどでもないのだが、沼津駅のあたりは南北に通りぬける通路がないのでぐるっと大回りする必要があった。

 

「ごめん、花丸さん、遅くなっちゃって」

 

 俺は早足で歩きながら花丸にあやまった。

 

「ううん、まだ大丈夫です。遼さんこそ、わざわざ来てくれなくてもかまわないですよ」

「いや、一緒に行くよ」

 

 君とすこしでも一緒にいたい。そんな言葉は半年たったいまでも、なかなか口に出せなかった。

 でも花丸はそんな俺の気持ちを、きっとわかってくれていると思う。

 

 その証拠に花丸は俺に微笑んでくれた。

 

 しばらく歩いて、花丸は俺に目を向ける。

 

「そういえば遼さん、恋愛小説ってもしかして……」

「ん?」

 

 心なしか花丸の顔が赤い。

 

「その、なにかオラに……。な、なんでもないずら!」

 

 花丸は元のように前を向いた。

 

 意外なところで勘のいい花丸だ。俺が恋愛小説を書こうとしていることに気づいたのだろうか。そうではないと思いたかった。

 

 線路の下をくぐって抜けて、交差点で俺たちは信号待ちをする。ここを渡れば練習場所はすぐだ。

 

 花丸をちらっと見ると彼女も名残惜しそうな雰囲気だった。俺は勇気づけられる。次の言葉は自然に出てきた。

 

「そういえば、花丸さん。そろそろ誕生日だよね」

「あっ。覚えてくれてたんですね」

 

 ぱっと顔を輝かせる花丸。

 

「今年は日曜日だよね。その……よかったら、どこかで会えないかな。食事でも、ごちそうするよ」

「本当ですか? 嬉しいずら……」

 

 花丸は顔を赤らめて目をそらした。

 

「練習の予定がわかったら、連絡くれるかな」

「はい、わかりました」

 

 信号が青になる。横断歩道のなかほどで花丸は俺の手を握ってくれた。

 

        ・

 

 その日の晩、花丸から早速電話があった。午前中は学院で練習があるが、午後は半日、オフらしい。俺たちは午後、沼津市街で待ちあわせることにした。

 

 花丸のすすめてくれた小説はどれも面白かった。恋愛といってもいろいろな形があってさらにそれを書き出す筆致もさまざまだった。共通しているのは感情を丁寧に描くこと――いまの俺に不足しているものかもしれない――だった。

 

 これは、意外にいい練習になりそうだな。

 

 俺はそう思った。

 

 次の週末には市街地にアクセサリーを買いに行った。

 善子に相談することも考えたが、アクセサリーについて相談するには彼女の趣味嗜好からしてあまり適任ではない気がした。

 それに、またなにか花丸を誤解させるようなイベントが発生する可能性だってあった。

 

 何軒も見て回り、ある商業施設のなかの店で、五弁の花をモチーフにしたシルバーのブローチを選んだ。透明な石がひとつだけあしらわれたシンプルなデザインで、きっとどんな服装にもあうだろう。

 

 店員を呼ぶときには緊張した。

 ただ、きっとホワイトデーのお返しを探しているのだろう、売り場に同年代の男子がいたことで多少それもやわらいだ。

 

「贈り物ですか?」

 

 店員にそう聞かれて俺はなんとかうなずいた。

 

 また夕食についても俺はすこし背伸びをして予約を入れておくことにした。友人と行く以外で飲食店を予約するのは人生で初めての経験だ。

 

 こちらについては素直に北村に助けを求めた。きっと北村――というより、むしろ泉なら知っているだろうと考えたのだった。

 

「雰囲気のいい店、ね」

「うん、値段はそれなりで」

「難しい質問だよな」

 

 ある日部室で聞くと北村は頭をかいた。

 

「椅子とテーブルの洋食がいいのか?」と北村。

 

 俺はすこし悩む。たしかに雰囲気はいいが、あまりかしこまった店だと花丸も緊張するだろう。

 

「あまりこだわりはないかな」と答える。

 

 北村はしばらく考えたあと、スマートフォンを取り出してなにか操作する。

 

「だとしたら、ここかな」北村は俺に画面を見せた。「和食中心のレストランだけど、全席個室だ。窓から沼津市街の夜景も見えるし」

 

 俺はスマートフォンを借りて画面をスクロールする。

 

「よさそうだね」

 

 画面に表示された値段もなんとかなりそうだった。

 

「それに、コースなら結構ボリュームもあるぜ」

 

 北村はにやりと笑った。うん、花丸には実に向いている。

 

「わかった。予約してみるよ。ありがとう」

「ま、応援してるっていった手前な」

 

 北村は肩をすくめた。スマートフォンを返すと彼は画面を何度かタップし、俺のスマートフォンがメール着信音を鳴らした。店の情報を送ってくれたのだろう。

 

「健闘を祈る」

 

 北村はもう一度、笑った。泉とのことを聞くのは、あとにしておこう。


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