本屋に舞い降りた天使に俺は恋をした   作:Kohya S.

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20. 彼女は花丸

 花丸からの連絡を待つあいだ、ステージのあるプールからいったんミュージアムショップに行った。

 いろいろな商品が並んでいたが、ふと懐かしいものが目に留まった。ガラス玉のなかに液体が入っていて、きらきらと輝く小さなオブジェが液体の動きにあわせて舞う置物で――説明によればアクアドームと呼ぶらしい。

 

 昔、こういうのあったな。たしか、雪に見立てた、スノードームってやつだったけど。

 

 小ぶりのものをふたつ買い求めた。

 

 それから館内に戻り、なんとなく見てまわった。大水槽、セイウチ、深海の魚たち――最後にはクラゲのところへ。

 ゆらゆらと物憂げに揺れるクラゲをぼんやりと眺める。

 

 花丸に会う約束をしちゃったけど、俺は、どうしたいんだろう。そして、花丸は俺のことを……。

 

 どのくらいそうしていただろうか。ポケットのスマートフォンが振動とともに着信音を立てた。

 花丸だ。どきどきしながら電話に出る。

 

「はい、遼ですけど」

「花丸です」

 

 ライブの余韻が残るのか、すこしはずんだ声。

 

「いま、着替え終わりました。遼さん、どこにいますか」

「クラゲの水槽のところだけど」

「わかりました。いまから行きますね」

 

 花丸はあっという間に電話を切った。

 

 すぐに花丸はやってきた。制服に着替えている。

 

「あ、遼さん。わざわざ来てもらって、ありがとうございました」

 

 上気した顔でぺこりと頭を下げた。

 

「とんでもない。ライブ、すごくよかったよ」

「そういってもらえると、嬉しいです」

 

 花丸は白い歯を見せた。

 

 ふたりでゆっくりと歩き出す。

 

「どうでしたか、その、曲は」

 

 背中で手を組んで、もじもじと花丸は聞いた。

 

「やっぱり、九人だと迫力が違うね。ソロのところ、それぞれ特徴が出てて面白かったよ」

 

 俺は思い出しながら話す。ライブの記憶はしっかりと焼き付いていた。

 

「それに、ダンスも切れがあって、よく揃ってたし。大変だったでしょ」

「はい、マルたち、しっかり練習したんだ」

「衣装もよく似合ってた。みんな可愛いね」

「えへへ、マルもお気に入りです。おへそのところ、ちょっとあれだけど」

 

 花丸は照れたように笑った。

 

「その、特に花丸さん、可愛かった、かな」

「えっ、あの、ありがとうずら」

 

 花丸は赤くなって視線を落とした。

 

 いつの間にか大水槽の裏側まで来ていた。

 

 花丸はまだすこし頬を赤らめていて、ぼうっとしたようすで大水槽を見つめていた。そんな花丸に勇気づけられる思いで、俺は気になっていたこと――この前、聞けなかったことを口にする。

 

「あの、花丸さん」

「……?」

 

 花丸は顔をこちらに向けた。

 

「あの曲の歌詞だけど……」

「はい、遼さんには、感謝してます」

 

 穏やかに唇をゆるめる。

 

「……あの歌詞、もしかして、その、俺のことを考えてくれたのかなって……思ったんだけど」

 

 花丸は、はっと目を見開いてから、くるっと俺に背中を見せた。耳が真っ赤に染まっている。

 

 俺はちらっと周囲を気にした。順路から外れているせいか、まわりには人気(ひとけ)がない。

 

 俺は続けた。

 

「もし、そうだとしたら、俺、嬉しいなって思ってるんだ」

 

 花丸は体を半分、こちらに向けて振り返るようにしたが、視線はあわせなかった。

 

「それは……どういうことですか?」

 

 ささやくような声が聞こえた。

 

「それは……」

 

 ごくりと唾を飲み、花丸の横顔に向けて話す。

 

「花丸さんのことが、好きなんだ。その、最初に会ったときから」

 

 そこまでいって恥ずかしくなり、大水槽のほうに目をやった。

 

 花丸は少し時間を置いてから話し出した。

 

「オラは……マルは、あやまらなくてはならないずら」

 

 どういうことだろう。俺の背中を冷たいものが走った。

 

 思わず花丸を見ると、彼女もこちらに向きなおった。頬を染めたまま目を潤ませている。

 

「オラ、大胆になろう、オラからいおうって、考えてたんだけと、とても無理だったずら」

「えっ、それって……」

「遼さんの、想像通りずら」

 

 俺の胸に温かいものが広がった。

 

「……オラ、歌詞を考えていて、まっさきに遼さんのことが浮かんだんだ。それで、遼さんに手伝ってもらったら、歌詞がだんだん、かたちになって……嬉しかったなぁ」

 

 花丸は目を細めた。

 

「俺もそれを聞いて、嬉しいよ」

 

 俺が微笑むと、こくりと花丸はうなずいた。

 

「……それで、今は、もっと嬉しいずら」

 

 花丸は顔を落として続ける。

 

「遼さん、オラがなまってても、はじめっからちっとも馬鹿にしなかったずら」

 

 ん、それは、そんなことを思う以前に、花丸が可愛かったからで……。そして、あっという間に、まったく気にならなくなったんだ。

 

「それで、遼さん、優しくて、いろいろ助けてくれて……」

 

 花丸の顔がますます火照(ほて)っていく。

 

「だから、オラも、遼さんのことが、いつの間にか……その、その、その……あぁ、恥ずかしくて口に出せないずら」

 

 花丸は両手を頬にあててぶんぶんと顔を振った。

 

 やっぱり、花丸は、花丸だな。

 

「花丸さん」

 

 呼びかけに花丸は顔を起こした。俺は彼女の手を取り体を引き寄せる。

 

「あっ……!」

 

 片腕で抱いた花丸の体は、服の上からでもわかるしっかりとした存在感があって、柔らかかった。上品な白檀(びゃくだん)の香りと、かすかな汗のにおいがした。

 花丸は目を閉じてわずかに(あご)を上げる。

 俺はゆっくりと顔を近づけた。

 

 彼女の柔らかな唇の感触は忘れられないものになった。

 

 一瞬のあと、花丸はぱっと体を離した。

 

「おっおっおっ、オラ、ごめんなさい!」

 

 真っ赤な顔のまま、目を白黒させる。

 

「あっ。オラ、なにいってるんだろ。あの、ありがとう! じゃなくて」

 

 あわてぶりがたまらなく花丸らしくて、俺はふふっと笑った。

 

「落ち着いてからで、いいよ」

 

 そうはいったものの、俺も花丸に劣らず赤面していたと思う。

 

「……はい、そうですね」

 

 花丸は小さくなって、くすりと微笑んだ。

 

 花丸は大きく息を吸って、はいた。

 

「その、よろしくおねがいするずら」

「はい、こちらこそ」

 

 俺たちは顔を見あわせて笑いあった。

 

        ・

 

 一緒に水族館を出て、敷地内にあるバス停まで歩いた。

 途中、また深呼吸している花丸が、いつにもまして可愛かった。

 

 ベンチでバスを待ちながら花丸と話す。

 

「これから打ち上げなんだっけ?」

「はい、学校の部室で。買い出し組はコンビニに行ってます」

「いいなあ、青春だね」

「遼さんだって、部活、やってるじゃないですか」

「文芸部は、あまりそういう感じじゃないよなあ……。でも、文集ができたら、提案してみるかな」

「きっと、楽しいですよ」

 

 思い出して鞄からアクアドームを取り出す。

 

「これ、そこのミュージアムショップで買ったんだけど。ライブの記念になるかなって」

「わあっ、ありがとうございます。あの、開けてみてもいいですか?」

「もちろん」

 

 花丸は目を輝かせて箱を開いた。

 

「あ、アクアドームですね! これ、みんなでおっきなのを買ったんだ。曜さんに、センターの記念にって」

「へえ、偶然だね」

「はい! マルも欲しかったので、嬉しいずら!」

 

 花丸は満面の笑みを浮かべた。そして目を落として、つぶやく。

 

「ライブ以外にも、別の記念になったずら」

 

 俺は胸がどきりとして、なにもいえなかった。

 

 花丸はしばらく眺めたあと、元通り箱におさめて自分の鞄にしまった。

 

「これから、立て続けにライブなんだよね」と気を取りなおして聞く。

「そうですね、まだまだ、忙しいです」

「えっと、花丸さんにあまり会えないのは、その、残念だな」

 

 まだまだ恥ずかしかった。それは花丸も同じようで――。

 

「はい、オラも、さ、寂しいずら」

 

 頬を染めて下を向いた。

 

 いつか、もうすこし普通に話せる日が、来るのかな。

 

「体とかには、気をつけてね」

「はい。遼さんも、作品、がんばってくださいね」

 

 花丸は微笑む。

 

「完成、楽しみにしているずら」

 

 花丸は歌詞を無事に完成させたし、たしかに今度は、俺の番だな。

 

「わかった。夏休み中には、なんとかするよ」

「期待しているずら!」

 

 バスが駐車場にゆっくりと入ってきて花丸は立ち上がる。

 

「あ、善子ちゃんだ」

 

 バスの窓越しに善子が手を振っていた。俺は軽く手を振り返す。善子がにまっと笑うのが見えた。

 

 バスが止まり扉が開く。

 

「また、連絡しますね」

「うん、待ってる」

 

 花丸は最後にぺこりと頭を下げて、バスに乗り込んだ。

 

 ブザーが鳴り扉が閉まると、すぐにバスは走り出した。

 俺はバスが見えなくなるまで見送った。

 

        ・

 

 それからの俺の夏休みは、バイト、部活、執筆、それにたまに花丸に会う、と残念ながらそれまでとあまり変わらなかった。

 ただ、花丸に遠慮なく連絡できるのは――そして花丸も同じように連絡してくる――日々に彩りを与えてくれて、途方もない喜びだった。

 

 ほんと、バラ色の日々って、こういうこというんだな。

 

 花丸たちAqours(アクア)はずいぶんと人気も上がり、すぐ近くの目標であるラブライブ予備予選に向けて努力を続けているようだった。

 

 それでも花丸は――俺の安心したことに――あいかわらず、ふわふわで恥ずかしがり屋で、ときどき、なまりの出る女の子だった。

 とはいえ、歌詞を作ったことが彼女をなにか変えたのだろう、自信のなさそうなふるまいは、すっかり影をひそめていた。

 

 もし自分が、それに一役買えたなら嬉しいんだけど。……いや、もともとの花丸の素質、だよな。

 

 ある暑い日、俺たちはひさしぶりに図書館で落ちあった。

 

「こんにちは、遼さん」

 

 閲覧席に座っていた俺は花丸の声で顔を上げた。彼女はにこっと微笑み、隣に座る。

 

「こんにちは、花丸さん」

「原稿は、進んでますか?」

 

 書き進めてきた原稿はようやく終盤の山場を超えたところで、ここまでくればあとは推敲を重ねて、質を上げて行けるだろう。

 

「まあね、もう少ししたら、見せられるかな」

「楽しみにしてます。あ、お借りした本、読みました」

「どうだった?」

「はい、面白かったです! 文芸部が舞台のラノベなんて、あるんですね。主人公の女の子、マルに似てるかなって思ったずら。それだけじゃなくて、意外な設定が隠れてるなぁって……」

 

 本のことを話す花丸は、本当に楽しそうだ。

 

 アイドルとどっちが楽しいのかな……。

 

 そんな意地悪な質問が頭に浮かんだが、俺は永遠に、封印しておくことにした。

 




 最後までお読みいただき、ありがとうございました。ご感想、ご評価等お待ちしております。
 書き終えての所感は活動報告に書きたいと思います。

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