本屋に舞い降りた天使に俺は恋をした   作:Kohya S.

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18. 取材という名のデート

「あ、わざわざ電話、ありがとうございます。夜分(やぶん)遅く、申し訳ないずら」

 

 花丸はそう続けた。

 しかし暗い声は相変わらずで、俺の心は動揺した。

 

「だめって、どういうこと。みんなに酷評されちゃった、とか」

「ううん、違うずら」

「それじゃ……」

「……ぜんぜん歌詞が、出てこないずら」

 

 花丸は涙声でひっくひっくとしゃくりあげた。

 

 そういうことか。たしかに、ありがちだよな。なんとか助けになりたいけど。

 

「梨子さんは編曲があるし、曜さんも服のデザインには歌詞が必要だから……早く出す必要があるのに……」

 

 花丸は鼻をすすって続けた。

 

「オラ、もうちょびっと、なにかできる気が、してたんだけどなぁ」

 

 俺も締め切りが近いと、似たようなもんだな。

 

 電話口でうなずく。

 

「うん、なかなか難しいよね。俺もさんざん、悩んだよ」

「遼さんも……?」

「まあね。一度、そうなっちゃうと、なかなか抜け出せないんだよね」

「そういうときは、どうしてたずら?」

「そうだなあ……いったん離れて忘れてみるとか、新しい視点で見直すとか、誰かの意見を聞くとか」

 

 実際こんなところかな。なんか偉そうなこと、いってるけど。

 

「忘れる、のは難しいかなぁ。時間もないし……」

「まあ、そうだよね」

 

 花丸はいったん黙りこむ。俺が口を開こうとしたとき。

 

「……あの、明日、会ってもらえますか」

 

 いままさに話そうとしたことを、花丸がいった。俺は嬉しくなる。

 

「うん、もちろん。約束したしね。ていうか、いままでなにもしなくて、ごめんね」

「ううん、それはいいずら。マルも、いっぱいいっぱいだったし。明日は、ちょうど練習はお休みなんです。どうしようかな……」

「俺が行くよ。作詞するのに、内浦のほうがいいでしょ」

 

 環境も重要だよな。たしか水族館のライブっていってたから、足を運んだほうがいいだろうし。

 

 沼津市内にはいくつか水族館があり、そのうちのふたつは内浦にある。おそらくライブを行うのはそのうちのひとつだろう。

 

「はい、そうですね。お願いするずら」

「うん、わかった。朝……九時ごろでいいかな」

「わかりました。マル、おうちで待ってます」

 

 花丸は最初よりもずいぶん明るい声で笑った。

 

 おやすみをいって電話を切った。

 

 そうだよな、少しでも会えるように、努力すればよかった。明日はせめて力にならないとな。

 

        ・

 

 翌朝、自転車で内浦まで行った。ほぼ時間通りに花丸の自宅へ着くと、花丸は笑顔で迎えてくれた。

 

 とりあえず花丸の自室で詳しい話を聞くことにする。

 

「あの、昨日はすみませんでした。わざわざ電話してもらっちゃって」

「いや、こっちこそ、電話に出られなくてごめんね」

 

 あんな夜に着信があって、電話したら花丸が暗くて……びっくりしたけど、頼ってもらえるのは嬉しいな。それに花丸のめずらしい声も聞けたし。あ、そんなこといったら悪いか。

 

 花丸の祖母が持ってきてくれたお茶をいただいてから本題に入る。

 

「それで、いまのところ、どんな感じなのかな」

「えーと、水族館の人には、詳しい話を聞きました。夏のイベントでライブをしてほしいって」

 

 花丸はなぜか目を伏せた。

 

「それで……あの、夏なので、あの、カップルにアピールしたいってことで……」

 

 ん?

 

 花丸は顔を真っ赤にして続ける。

 

「ラブソングにしてほしいって、いわれてしまったずら……。梨子さん、もうすっかり乗り気になっちゃって……。すごくいい曲が、できたんだ」

 

 ラブソング、か。

 

「でも、マル、ラブソングなんて……。恥ずかしくてなにも出てこないずら……」

 

 だからあんなに悩んでたのか。でも、これから花丸と一緒に考えるわけで……俺も恥ずかしいぞ。

 

「それは、その、困ったね」

 

 俺は照れ隠しにお茶を飲んだ。

 

「あ、でも、いいこともあるんです。衣装は、マルたちがデザインを出したら、水族館のほうで提供してくれることになって。曜さん、喜んでました」

 

 なるほど。

 

「そういえば、ラブライブでも使う曲なんだよね」

「はい、だからあまり極端でもいけなくて……難しいずら」

 

 だいたい事情はわかった気がする。

 

「曲、聴かせてもらえるかな?」

「はい、梨子さんにスマートフォンに入れてもらいました。すごく便利ずら」

 

 あとでデータはコピーさせてもらうとして、まずは花丸のスマートフォンを使うことにする。

 

「あの、これでいいかなぁ」

 

 俺は花丸に少し近づいてイヤホンの片側を借りた。花丸はもう片側を耳に入れる。

 うーん、このシチュエーションは、なかなか悪くないぞ。

 

「それじゃ、行きますね」

 

 花丸はそういってスマートフォンを操作した。

 

 曲は伴奏のついていないコードとメロディだけの仮歌だった。梨子だろう、透き通った声がラララと歌っている。

 Aqours(アクア)のここ何曲かに比べるとずっと明るく、聴くだけで楽しくなるようなメロディだ。特にBメロからサビに移るところ、いったん曲調が変化する個所は印象的だった。

 

 でも、これに歌詞をつけるのか。それも恋の歌、と。偉そうなことをいっちゃったけど、なかなか前途多難かもしれないな。

 

 曲はサビに戻ってきて盛り上がり、余韻を持って終わった。

 

 ふうっと俺は息をはいた。

 

「うん、いい曲だね」

「はい。マルの詞がこれに乗ると思うと、嬉しいんだけど」

 

 花丸の顔にふっと影がさした。

 

「プレッシャーずら……」

 

「水族館には、行ってきた?」

「はい、話を聞いたときに、一通(ひととお)り見てきました」

 

 まあ、そうだよな。

 

「これからもう一度、行ってみる? なにかヒントとか、イメージとか、得られるかもしれないし」

「マルもそう思ってました」

「メモでも持っていって、思いついた言葉やシーンを、なんでも書いてくるといいかもね」

 

 これは北村の受け売りだった。

 

「はい、そうします!」

 

 花丸はお茶を片づけに行き、俺は玄関の外でしばらく待った。

 

「お待たせしました」

 

 花丸は帽子を用意してきていた。

 あらためて見ると、花丸はいつになくお洒落をしている気がした。黄色のワンピース姿で、白い襟と、同じく白のウエストのリボンがアクセントになっている。シンプルなワンピースは彼女の雰囲気にぴったりで、可愛かった。

 

「えーと、その服、よく似合ってるね」

「あ、ありがとうずら」

 

 花丸は顔を隠すように、帽子を深くかぶり直した。

 

        ・

 

 ライブの行われる水族館は歩いて十分もかからないということだったので(ふたつのうちの花丸の家に近いほうだった)、自転車はそのままにしてふたりで歩いた。

 そこはこのあたりでは有名な観光地で、地元では遠足の定番になっている。俺も小学生のころに遠足で行ったものの、今日はそれ以来だった。

 

 歩くうちにだんだんと潮のにおいが強まる。暑い夏の日が照り付けるが、海からの風は涼しかった。

 

 途中で花丸に聞いてみる。

 

「新しい曲のセンターは、誰にするか決まったの?」

「水族館、ということで、泳ぎの得意な曜さんです! 満場一致ずら!」

 

 そうか。花丸じゃないのはちょっと残念だけど、あの子なら曲にぴったりだな。

 

 水族館は夏休みだけあって、かなりの混雑だった。

 

「マル、チケットを何枚か、いただいてます。お友達とどうぞ、っていってたから」

 

 花丸はそういってチケットを出してくれた。

 

 館内の入口のあるフロアから階段で下りていくと、最初の水槽にウミガメが浮かんでいた。ゆっくりと水面を行き来している。

 

「ウミガメ……甲羅……ゴツゴツ……」

 

 花丸はまるで連想ゲームのように唱えていた。そして鞄から取り出したノートにときおりメモを取る。

 

 つづけてセイウチの水槽の前を通った。

 

「おお、迫力ずら。うむむ、牙、パワー……」

 

 大丈夫かな、ラブソングらしくない単語ばかり、挙がってる気がするけど。

 

 その次は屋内での魚の展示だった。中央に大水槽、その先には駿河湾の魚のコーナーもある。

 

「うわぁ、マリンブルーできれいずら」

 

 花丸は大水槽を見つめ目を輝かせた。

 

「すいすいっと気持ちよさそうですね……。マルも魚さんになりたいずら……」

 

 熱心に眺める花丸をつんつんとつつく。花丸ははっと思い出したようにメモを取った。

 

 ほかにいくつもの水槽が並んでいたが、なかでもクラゲは印象的だった。暗い水のなかをライトアップされたクラゲがゆっくりと泳いでいた。

 花丸の隣に立って一緒に見つめる。

 不定形に揺れるクラゲはいつまで見ていても飽きなかった。

 

「ふわふわで、ゆらゆらで、幻想的ずらー」

 

 頬を(ゆる)める花丸は、いつにもまして魅力的だった。

 

「ファンタジックだね」

 

 俺はクラゲと花丸、両方に向けてつぶやいた。

 すると花丸がくるっとこちらを向いた。

 

「ファンタジックではなくて、ファンタスティックが正しいずら」

 

 そういって右手の人差し指を左右に振ってみせる。

 

「へえ、そうなんだ」

「はい。あ、ノートに書いておこうっと」

 

 ファンタジックな小説、とか普通にいっちゃうけど、知らなかったな。

 

 順路を通りちょっと不気味な深海魚のコーナーへ。花丸はあまり苦手ではないようで一心に見入っていた。

 

        ・

 

『まもなく、イルカの海のショーステージにて、イルカショーが始まります。ご覧の方は、イルカの海までお越しください……』

 

 館内アナウンスが流れた。

 

 花丸と視線を交わすと彼女は大きくうなずく。

 

「前回は、時間があわなくて見られなかったんです。行きましょう!」

 

 スキップをするように歩く花丸のあとについて、屋外のイルカのプールへ向かった。

 海のすぐそばにある巨大なプール――高校のプールの数倍はあるだろう――のまわりに階段状に観客席が並んでいる。すでにほぼ満席だったが幸い最上段が()いていた。

 

 やがて女性スタッフと、ウェットスーツ姿の男女のトレーナーがあらわれて一礼した。ほかの観客たちと一緒に拍手する。

 

「それでは、当館のバンドウイルカ、クララとマルをご紹介します!」

「マル! 同じ名前ずら!」

 

 花丸は偶然の一致に嬉しそうに微笑む。

 

 イルカたちは一頭ずつ、観客に向かって挨拶した。

 マルと呼ばれたイルカは、たしかにクララよりも体が丸みを帯びていて愛嬌があった。

 

 花丸は、決して丸いって感じじゃないよな。それはまあ、うん、ふくよかで丸みを帯びたところもあるけどさ。

 

 ふと、すぐ隣に座っている彼女の体温と甘い香りが意識された。

 

 掲げられた棒を飛び越えたり、トレーナーを背中に乗せてプールを泳いだり、空中のボールにジャンプでタッチしたりと多彩なショーが続く。

 

「マルちゃーん、がんばってー」

 

 花丸はすっかり感情移入していた。

 

 ハイライトは二匹揃っての回転ジャンプだった。タイミングをぴったりとあわせて跳躍したイルカたちは、くるくると空中で回ってから着水した。大きなしぶきが上がる。

 

「おおーっ、すごいずら!」

 

 花丸は童心にかえったように手をたたいて喜んだ。

 

 ショーが終わり観客たちが席を立っていく。

 

「はあ、堪能したずら。マルちゃん、かわいかったなぁ」

 

 頬を上気させた花丸は、両手を祈るようなポーズで組んだ。

 

「なにか、歌詞の着想は得られた?」

「はっ、マル、すっかり忘れてました……」

 

 花丸はしゅんと肩を落とす。俺は微笑ましくなって軽く彼女の肩をたたいた。

 

「まあ、きっとあとからなにか、わいてくるよ。こういう経験からさ」

「はい、そうですよね」

 

 花丸はうなずいた。

 

        ・

 

「遼さん、そろそろおなか、すきませんか?」

 

 観客席から下りてプールサイドの広い通路に出たところで、花丸がいった。

 

「そういえば、へったかも」

 

 あえて時計は確認しなかったが、腹時計によればもうすぐ昼だろう。

 

「よかったら、お昼にしましょうか」

「そうだね」

 

 入館後に確認した館内地図によれば軽食を出す店があるようだった。

 そこへ行こうといいかけたとき、花丸がはにかむように笑った。

 

「えへへ、マル、お弁当を作ってきたんだ。遼さんのぶんも、ありますよ」

 

 おお、女の子の手作り弁当。男子なら誰しも一度は夢見る展開だ。

 

 感動にふるえている俺に花丸は続けた。

 

「それとも、遼さんも、なにか用意してきちゃったかなぁ? マル、なにもいわなかったから……」

「いや、大丈夫、ぜんぜんなにも準備してないから」

 

 俺はあわてていった。もしあったとしても花丸の弁当のほうが優先だろう。

 

「よかった。それじゃ、行きましょう。あっちに食べられる場所が、あるみたいです」

 

 ふたりでプールをぐるっと回る。

 次の建物にフードショップと、テーブルと椅子の用意されたちょっとした休憩スペースがあった。奥からは外に出られて、そちらにも席があるらしい。

 

「どうしようかな、外に行く?」

 

 俺は花丸に聞いた。屋内にも空席はいくつかあったが昼時らしくすこし騒がしい。

 

「そうですね、日影があれば、外でもいいですね」

 

 屋外の席にも幸いオーニングとパラソルがかけられていた。気温は高いものの海からの風は涼しく心地よかった。

 丸いテーブルに花丸と向かいあわせに座る。

 

「マル、あまり自信、ないんだけど……」

 

 花丸はすまなそうにしながら鞄から風呂敷包みを取り出した。

 なかからは、おいなりさんと太巻き、それにおかず――だし巻き卵ときゅうりの漬物――があらわれた。

 

「おっ、おいしそうだね」

 

 それは素直な感想だった。全体的に地味なのは、おばあちゃん子らしい。

 

「お口にあえば、いいんですが。あ、ちょっと待ってください」

 

 花丸はポケットからウェットティッシュを取り出し俺に渡す。ありがたく受け取って手をふいた。

 

「それでは、どうぞ」

「いただきます」

 

 神妙に頭を下げてからおいなりさんを手にした。

 それはふっくらとしていて絶妙な握り加減だった。油揚げも、だしがしっかり効いていてそれでいて甘さは控えめで、いくらでも食べられそうだった。

 

「うん、おいしい」

 

 俺がそういって笑いかけると、花丸も大きく微笑んだ。

 

「マルも、いただきます」

 

 花丸は自分も食べ始める。

 

 太巻きもおかずも、どちらもおいしかった。味付けも意外に濃くなくて、健康に気を遣っているのかもしれない。

 弁当はあっという間になくなった。花丸も俺と同じくらい食べたのではないか。

 

「ごちそうさまでした。おいしかったよ」

 

 もう一度頭を下げる俺。

 

「おそまつさまでした」と花丸も頭を下げた。

 

 ほんと、いいお嫁さんになれるんじゃないかな……。いやまあ、俺がどうとか、いうつもりはないんだけど。

 

        ・

 

 それから残りの展示をふたりで回った。花丸はメモを取るのを忘れなかった。

 

 最後にチケット売り場のある建物に戻ってきた。大水槽を今度は裏側からのぞく。ダンスを踊る魚たち、ふわふわと浮かんでいく泡、ゆらゆらと揺れる海藻。底には天井からの光が明暗の模様を(えが)いていた。

 俺たちはしばらく無言で見つめた。

 

 出口の近くにはミュージアムショップがあった。

 

「見て行っていいかなぁ?」と花丸。

「もちろん」

 

 花丸は嬉々として棚を眺めはじめた。

 

 俺もなにか買って行くかな。あ、でも、一番おみやげを買って行きたい相手は、ここに一緒にいるんだよな。

 

 その花丸は、ひとつひとつ商品を手に取り、ためつすがめつしている。

 俺は生理的欲求を覚えて声をかけた。

 

「まだしばらく、見てるかな?」

「はい、もうすこしかかりそうずら」

「了解」

 

 記憶にしたがって館内へ戻りトイレを探す。意外に遠くにあり、時間がかかってしまった。急いでショップに戻る。

 

 あれ、いない……。

 

 よく見るとショップのすぐ隣にもトイレがあった。もしかして花丸も、と思いしばらく待つが彼女は戻ってこなかった。

 

 まいった、きちんと話せばよかった。こうなったら、探しに行くか。

 

 順路を逆に戻っていく。大水槽からペンギンのプール、休憩スペース、大プールとみていくが、花丸はいなかった。

 クラゲの水槽も家族連れが眺めているだけだった。

 

 まさか、帰っちゃった、ってことはないよな。

 

 だんだん花丸が心配になり、そろそろあきらめようかと思ったとき。

 大水槽のところで花丸が視界に入り、俺は一瞬、息を飲んだ。

 

 ゆらめく光の向こうに見える花丸は、まるで水のなかにいるようだった。ちょうど底の岩が彼女の足元を隠していて、スカートが尾びれに見えて――不安そうな面持(おもも)ちの彼女は、これから魔法にかけられるのを待っている人魚姫に思えた。

 

 あらためて見直すと、なんのことはない、大水槽の反対側に花丸がいたのだった。

 

 ああ、びっくりした。しかし、ここからぐるっと回って行くとたいへんだな。なんとかならないのかな。

 

 探してみると大水槽の横に通路があり、ショートカットできるようになっていた。そこを通って急ぎ足で花丸のもとを目指す。

 

 花丸はきょろきょろとあたりを見回していた。

 

「花丸さん」

 

 声をかけると花丸はこちらを向いた。

 

「遼さん!」

 

 安堵の表情を浮かべて、たたっと駆け寄ってくる。

 

「いなくなってしまって、びっくりしたずら」

 

 ちょっとすねるような口調。

 

「ちょっと用があって……ごめんね」

「ううん、オラのほうこそ。遼さんが、展示を見に行ったのかと思って、探してしまったずら。待ってればよかったのに」

「いや、ちゃんと伝えておけば、よかったんだよね。ごめん」

 

 俺は改めて頭を下げた。

 

「いえ、こちらこそ。気にしないでほしいずら」

 

 花丸はそういって目を細めた。

 

「あまり見つからないから、そろそろ電話かけようかと、思ってたんだよね」

 

 花丸はきょとんとしてから、すぐに目を見張る。

 

「ああっ、スマートフォンがあったずら。すっかり忘れていたずら……」

「でも、こうやって会えたから、いいじゃない」

「それは、そうだけど……せっかくなのになぁ……」

 

 花丸は残念そうに息をはいた。

 

「まあ、また機会があるよ」

「あまり迷子になる機会は、あってほしくないずら」

 

 花丸はうなずく。うん、たしかに。

 

「そういえば、さっき、大水槽の反対側から、花丸さんを見つけたんだ。花丸さんが水の中にいるように見えて、びっくりしたよ」

 

 あ、写真、撮ればよかったな。さっきはそれどころじゃなかったけど。

 

「それは素敵ですね。水の中、かぁ。マルも見てみたいです」

「それじゃ、あっちに行ってみたら」

 

 俺が通路を案内すると花丸はそちらへ向かった。

 

 大水槽を眺めながら待つと、花丸が戻ってきた。

 

「たしかにそうだったずら。遼さんがゆらゆらして見えたずら!」

 

 興奮したようすで話す。

 

「でしょ」

「はい!」

 

 俺が笑いかけると花丸もにこりと笑った。

 

 花丸には悪いことしたな。でも、不安そうな花丸も、ちょっと可愛かったかも……。

 

        ・

 

 出口から外に出ると、水族館の暗い館内に慣れた目に陽の光がまばゆく感じられた。

 

「はぁ、満足ずら」

 

 花丸はふうっと息をはく。

 

「楽しかった?」

「はい、前回来たときよりも、ずっと!」

 

 大きくうなずく花丸。俺と一緒に来たせいなら、いいんだけどな。

 

「ミュージアムショップで、なにか買ったの?」

「水族館のマスコットのグッズ、買いました。見てください!」

 

 花丸は鞄からタオルを取り出して広げた。謎のセイウチっぽいキャラクタがプリントされている。

 

「お、なかなか、可愛いね」

 

 そういってはみたものの、可愛い……かな?

 

「はい! 可愛いですよね!」

 

 うん、可愛いな。

 

 内浦の中心部のほうに戻りながら聞く。

 

「作詞の参考になりそうなこと、見つかった?」

「そうですね」

 

 花丸はぱらぱらとノートを見直した。

 

「……いろいろ想像がふくらみそうな言葉が、ありました。あと、頭の中には、よさそうなシーンもいくつか、浮かびましたよ」

 

 お、いい感じだな。このまま花丸ひとりでも、進められそうな気はするけど……。

 

「よかったら、どこかで歌詞、一緒に考えようか」

 

 あくまでさりげなく聞く。

 

「はい。そうしてもらえると、嬉しいかなぁ」

 

 花丸はにこっと微笑み、うーんと考えこむ。

 

「……それじゃ、松月(しょうげつ)にでも、行きましょうか」

「うん、いいね」

 

 五分ほど歩けば松月だ。店内は空調が効いていて涼しかった。

 おやつにはまだ早いが、デザートは別腹ということで、俺も花丸もお菓子とドリンクを頼んだ。

 

 カフェスペースには家族連れやカップルがいたが、今回は浦の星女学院の生徒はいなくて安心する。

 

 椅子に座った花丸はさっそくノートとペンを取り出した。

 

「マル、メモした単語からイメージを広げて、ちょっと考えてみますね。すこし形になったら、見てほしいです」

「うん、わかった」

 

 花丸は頭をひねって考え始めた。

 ノートになにか書いたかと思ったら、線を引いて消し、また書き込む。ペンをつんつんと頬をにあてる。ぶつぶつとなにかをつぶやく。腕組みをして天井を眺める――。

 くるくるとかわる花丸の表情と格好は、見ていていつまでも飽きなかった。

 

「ずらっ? なにかついてるずら?」

 

 花丸は俺の視線に気づいて目をぱちぱちとさせた。

 

 あ、邪魔しちゃったな。

 

「いや、なんでもないよ。ごめん。……あ、そうだ」

 

 花丸に頼んでもう一度、曲を聴かせてもらう。

 そのあいだも花丸は悩み続けていた。

 

 曲が終わり花丸のスマートフォンをテーブルに置いてから、俺はパソコンを使わずに曲データを転送する方法を調べた。どうやらいくつか方法がありそうだった。

 

 しばらくして花丸は顔を上げた。俺を上目遣(うわめづか)いで見上げ、おずおずと話す。

 

「なんとか、ワンコーラス、できた気がするずら……」

「お、早いね」

「そんなことはないずら。でも、いままでもいろいろ、考えてたから」

「それじゃあ……」

 

 うながすような目を向けると、花丸はノートをくるっと回して俺の前に押しやった。

 

「ありがと。読ませてもらうね」

「恥ずかしいずら」

 

 花丸は頬を赤らめて目をそらした。

 

 そんな花丸を可愛いと思いながら、俺は読み始めた。

 

 歌詞は曲にあわせたポップな雰囲気だった。花丸が水族館でメモしていた言葉がちりばめられている。片思い――なのだろうか――の女の子が、水族館で自分の気持ちに気づくという内容で――。

 

 こういうと悪いけど、花丸らしくないな。もっと落ち着いた感じになるのかと思ったら、すごく明るくて、ロマンチックで……。

 

「うん、いいんじゃないかな」

 

 俺はそう口にした。花丸は目に見えてほっとしたようだ。俺のときと同じだな、と内心で苦笑する。

 続けて頭のなかでメロディを追いながら口ずさんでみた。花丸は無言で俺を見つめる。

 

「歌いにくい場所は、あまりなさそうだね」

「歌詞っていうことで、そのへんも悩んだずら」

 

 花丸は微笑みながらうなずいた。

 まあ、歌うことについては花丸のほうがずっと得意だよな。

 

 コメントを期待されているようなので、必死に考える。水族館、恋、魚……。

 

「うーん、ここのところ、もう少し抽象的にしたらどうかなあ。たとえばオノマトペを使うとか」

「なるほど、ずら。ふわふわ、ぷかぷか、ゆらゆらって感じかなぁ」

「うん。あとは……Aメロのところ、こっちが似た単語を繰り返してるから、こっちも同じようにしたらどうだろ」

「たしかに、よさそうずら!」

 

 花丸はふたたびノートに向きあった。

 

 うーん、なんとかそれっぽいこと、いえたかな。すこしでも役に立てばいいんだけど。

 

 花丸をしばらく見守る。

 コーヒーを飲むとすっかり冷めていた。空席はあるものの、あまり長居しても悪いかもしれない。

 ちょうどそのとき花丸がペンを置いた。

 

「どうかな、遼さん」

 

 俺は花丸からノートを受け取る。

 

 言葉のつながりがぐっとスムーズになった気がした。コミカルな雰囲気も付け加えられている。

 

「……うん、さらによくなったと思うよ」

 

 花丸はにこりと微笑んだ。カップから緑茶を飲み、ふうっと息をはく。

 

「マル、こういうの、憧れてたんです」

「こういうのって?」

「おしゃれなカフェで、原稿用紙に向きあって、文章を書くっていうことです」

「ああ、なるほど」

 

 それはわかる気がする。

 

「でも……実際にやってみたら、あまりいいものじゃないかなぁ。プレッシャーで、緊張しちゃって」

 

 花丸は苦笑してみせた。

 それも、わかる気がするな。

 

 最後に花丸に曲のデータをコピーしてもらう。

 花丸のスマートフォンをのぞき込むようにしながら、操作を教えていると、どうしてもふたりの顔が近づいて――花丸の呼吸や香りが気になるのだった。

 転送が終わり、名残惜しく思いながら体を起こした。

 

「そろそろ、出ようか」

「はい」

 

 花丸と横に並んで住宅街の中を抜けていく。

 

「今日は、ありがとうございました」と花丸。「あとは、二番も考えてみますね」

「ひとりでも、なんとかなりそうかな」

「ええ、なんとなく感覚が、つかめたような気がします」

 

 花丸は笑顔とともにうなずいた。

 

「よかった。もしなにかあったら、メールで送ってくれれば、読ませてもらうから」

「はい」

 

 あーあ、結局、ほとんど手助け、できなかったな。

 花丸のなかで、もうかなりの部分ができあがってて……きっかけが必要だっただけなんだろう。

 もし、きっかけになれたとしたら、それだけでもいいのかも。

 ……編集者として、多少は仕事ができたのかな。

 

 花丸の家がすぐ近くなのが残念だった。参道の下で俺は自転車にまたがる。

 

「それじゃ、また」

「お気をつけて」

 

 手を振る花丸に送られて、俺は内浦をあとにした。

 

        ・

 

 翌日の夜にはメールで続きが届いた。「がんばってみました」と本文にあるとおり、なかなか大胆な歌詞だった。

 

 キスとか、I Love Youとか、踏み込んできたなあ。でも、アイドルソングなんて、そんなものなのか。

 もしかして俺のことを、意識して書いてくれたとか……いやいや、自意識過剰だな。そういうことを期待しちゃ、だめだ。俺も小説を書くとき、たいして意識してないし……ん、最近は結構、意識してるかもしれない。花丸とか、北村、泉とか。

 

 どうにももやもやするのだった。

 

 気を取り直して曲を聴きながら小声で歌ってみる。花丸の歌詞は元気なメロディによくあっていて、曲に生気が吹き込まれたようだった。

 

 俺はそのままの勢いで花丸に電話をかけた。花丸はすぐに電話に出た。

 

「あの、歌詞、読ませてもらったよ」

「あ、どうでしたか」

 

 挨拶もそこそこに話すと、不安のにじむ声で花丸はこたえた。

 

「うん、いいと思う。一番からさらに踏み込んでる、っていうのかな。勇気を持って、変わっていく感じがよく出てるよ」

「はぁ、そう聞いて安心したずら」

 

 花丸は穏やかに笑った。

 

「なにかあったら、なんでもいってほしいずら」

「うーん、そうだな……」

 

 正直なところ、アドバイスなんか思いつかないんだけど。

 

 俺は無理やりひねり出す。

 

「えーと、もうすこし、女の子っぽく、語尾とか工夫してみたら、どうかな」

「おお、なるほど。オラには思いつかない視点ずら!」

 

 花丸は感心したようにいった。

 

「うーん、ルビィちゃんとか、鞠莉(まり)さんとか、参考にしたらいいのかな……。うん、オラ、考えてみるずら! ありがとう、遼さん」

 

 嬉しそうな花丸の声に俺は聞いてみたくなる。

 

「でも、この歌詞、もしかして……ううん、なんでもない」

 

 やはり恥ずかしかった。

 

「……?」

「あの、これからどうするのかな」

「みんなに見てもらって、よさそうなら、梨子さんに編曲してもらう感じですね」

「それじゃ、なにか決まったら教えてよ」

「はい、わかりました」

 

 花丸は元気よく答えた。

 

 電話を切る。

 

 曲ができるまでには、編曲をして歌詞も手直しして、まだまだかかるんだろうな。

 それに衣装も曜がデザインするのか。そのあとは振り付けも決めて、練習して……。時間もないのに、ほんと、大変だよな。

 

 それでもきっと、花丸たちならなんとかするだろう。来月のライブが、いまから楽しみでならなかった。

 


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