本屋に舞い降りた天使に俺は恋をした   作:Kohya S.

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14. 神保町で買い物を

 移動を開始する前に、スーツケースをコインロッカーに入れるように花丸に話した。重いスーツケースを持ち歩くのは大変だろう。

 

「遼さんはいいんですか?」

 

 鍵をかけた花丸が俺を見ながら聞いた。

 俺は肩をすくめてみせる。

 

「俺のは(から)だよ。ほら、本を買ったら運ぶのが大変だと思って、持ってきたから。花丸さんが買った本も持つよ」

「マル、風呂敷を持っていますけど……」

「まさか風呂敷で二日間、ずっと持ち歩くわけには行かないでしょ」

「はい、だから買う本は厳選しなきゃ、って思っていました。ということは……」

 

 花丸は目を輝かせる。

 

「たくさん買っても大丈夫ずら?」

「まあ、バッグに入るくらいなら、ね」

「でも、遼さんに悪いです。重いものを持ってもらって、さらに沼津まで……」

 

 花丸は逡巡(しゅんじゅん)するように目を落とした。

 

「ほら、俺も結構、買おうと思ってるから、そのついでだよ。大丈夫」

 

 花丸に笑いかける。

 

「そうですか……。すみません、それでは、お願いします」

 

 花丸は両手をそろえて一礼した。

 

 うん、花丸の力になれるならお安い御用だ。

 

 ふたたびJR――今度は黄色い電車だ――に乗った。

 

「地下鉄だと乗り換えが必要なんだよね」

「そうなんですね」

 

 花丸は感心したようにうなずく。

 俺も一度しか来たことがないが、花丸に先輩風を吹かせるのはどうにも()められなかった。

 

「でも、遼さんがいてくれて、よかったなぁ。危うくひとりになるところだったずら」

 

 花丸はふうっと息をはいた。

 

「ん、でも、ダイヤさんもついてきてくれたと思うよ」

「それだとルビィちゃんに悪いずら。遼さんには重ね重ね、感謝です」

 

 ぺこりと頭を下げる花丸。

 

「いや、俺も来たかったから」

 

 花丸と一緒にいたかっただけなのにそういわれるのは、すこしこそばゆかった。

 

 東京までダイヤとたまたま同じ電車だったことを話す。さらにたまたま行き先が同じだったので案内してきた、というと花丸はうなずいた。

 

「偶然って、あるものなんですね」

 

 必然だという気もしたが――黙っておいた。

 

 御茶ノ水駅で降り、西口から外に出て広い通りを歩き出す。秋葉原ほどではないがこの通りも混雑していた。

 

 それとも、東京だとこのくらい当たり前なのかな。

 

「花丸さん、行きたい本屋さんは、チェックしてきたの?」

 

 俺は歩きながら聞いた。

 

「はい。何軒か、調べてきました。スマートフォンに、ブックマークっていうんですか。してあります」

 

 お、使いこなしてるみたいだな。

 

 ビルの前のスペースに立ち止まり、花丸に見せてもらう。

 

「この、大宮書店と、ほりかわ書店は、外せないずら」

 

 花丸が持つスマートフォンを隣からのぞき込むような形になった。ふわりと花丸から清潔感のある香りがした。

 

「くすのき書店も行きたいかなぁ……」

 

 花丸はすこし前かがみになっている。そこで身長差のせいで自然に、シャツの胸元から内側が見えそうで――。

 

「……遼さんは、どこに行きたいですか?」

 

 花丸がくるっと俺のほうを向く。

 俺は急いで体を起こした。

 

「……?」

 

 花丸は首をかしげる。

 

 気づかれて、ないよな。うん。

 

 素知らぬふりで続けた。

 

「そ、そうだなあ、俺はなんとなく、歩きながらのぞいていくのがいいかな」

「あ、それもいいですね」

「えっと、一軒だけ離れてるけど、あとは通り沿いだね。そこは最後にして、このまま行けばよさそうだよ」

「はい!」

 

 花丸は無垢(むく)な瞳で微笑んだ。

 

        ・

 

 神保町。それは魅惑の地だ。スクールアイドルの聖地が秋葉原なら、本好きの聖地は神保町だろう。

 

 坂を(くだ)り終えて大きな交差点を渡る。ここまでも数軒、書店があったが、ここからが本番だ。

 

「はぁ、このビルが丸ごと、本屋さんなんだぁ」

 

 花丸はタイル張りのやや古風な外見のビルを見上げた。この新刊書店はたしか売り場が六階まであって、おそらく神保町でも一、二を争う広さだ。

 

「こっちに来ると、もっとすごいよ」

 

 俺は花丸をうながしてもう少し通りを歩く。ゆるい左カーブを曲がると、その先はずっと真っすぐだ。

 

「ふわぁ、たしかに、これはすごいずら」

 

 花丸はぽかんと口を開けて歩道の真ん中で立ちつくした。

 

 通りには書店の看板がずらりと並んでいた。視界の果てまで続いている、といってもいいだろう。

 ネットで調べて本屋の数はわかっているつもりでも、実際に見るとまた違う。花丸の驚きは想像できた。

 

 でも、ちょっと場所が悪いかな。

 

 そのままだと通行人にぶつかりそうだった。一瞬、迷ってから、思い切って花丸の手を取った。

 

「花丸さん」

 

 歩道の端へと引き寄せる。

 

「あ、すみません」

 

 花丸はあわてて移動した。そのまま俺の手を両手でつかみ、まっすぐに俺を見つめる。

 

「すごいずら。オラ、感動したずら!」

 

 なにかをお祝いするように手をぶんぶんと上下に振る花丸。

 

「もう、こんなに本屋さんがあると、どこから行っていいのか、迷ってしまうずら!」

「う、うん、そうだね。よさそうなところから、見ていけばいいんじゃないかな」

「はい、そうします!」

 

 花丸は白い歯を見せて笑い――自分がなにをしているか気づいたようだった。

 

「あっ、オラ……すみません」

 

 ぱっと手をはなし、視線をそらした。頬が赤いのは、本屋に感動したことだけが理由だろうか。

 

「とりあえず、ここは?」

 

 近代文学全般と書いてあるすぐ近くの店を身振りで示す。

 

「はい、行ってきます」

 

 花丸はいそいそと店内へ入っていった。

 

 はあ、びっくりした。手を握ったのは俺のほうだけど、まさかあんなふうに握り返してくるとは。

 しかし、手を握るくらいで喜んだりして、中学生みたいだな。

 

 俺は内心で苦笑した。ただ、花丸の手は思った以上に柔らかくて、温かかった。

 

        ・

 

 目の前の書店は、神保町のほかの大多数の店と同じく古書店だった。ここもタイル張りですこし懐かしい感じの店構えだ。

 

 通りに面した戸は一面ガラスで、店内がよく見えた。通路の部分以外には、戸の内側に(たば)になった古本がいくつも積み上げられ、それぞれに値札が付けられている。値札の数字は四桁前半から五桁後半まで幅広かった。

 戸の上には伸縮式のオーニング――というほど洒落(しゃれ)たものではなく、いわゆるビニールの(ひさし)が付いている。

 

 店の前にはワゴンがふたつあった。片方は文庫本が無作為に詰め込まれていて、どれでも百円だ。もう片方は判型の大きな本だが、旬を(のが)した実用書や新書などばかりで、二、三百円の値が付いていた。

 

 ワゴンをざっと確認してから書店に入った。

 

 店内に入ると、まず古書店特有のにおいが鼻をついた。かび臭いような、干し草のような、なんともいえないものだ。沼津の古書店でも同じにおいがするが、神保町のそれは密度が何倍にも濃い気がした。俺はこのにおいが嫌いではなかった。

 

 店内の壁際には天井まで、中央にも天井ぎりぎりの高さの書棚が、ぎゅうぎゅうに並んでいた。さらに書棚の上にも本が積まれている。

 棚のあいだの通路は人がすれ違うのがやっとだ。何人かの客が本の背中をじっくり眺めたり、本を手に取ったりしている。

 店の一番奥には小さなカウンターがあり、カウンターの向こうで白髪の店主が本を読んでいた。

 

 俺は並んでいる本に目を走らせた。

 

 うーん、あまり俺向けの本は、ないみたいだ。花丸にはどうかな……。

 

 花丸は隣の通路で見つかった。上気した顔で一心に棚を見つめている。

 

「花丸さん、なにかよさそうな本、あった?」

 

 小さな声でそう呼びかけると、くるっと花丸は振り返った。

 

「素晴らしいずら!」

 

 同じく小さな、しかし熱気のこもった声で花丸は答えた。両手を胸の前で祈るように組あわせる。

 

「オラの好きな作家さんの本が、こんなに並んでるなんて! オラ、どれを買えばいいか、悩んでしまうずら」

 

 花丸の目はきらきらと輝いていた。

 

「それはよかった。でも、あまり、悩んでる時間、ないよ」

「ええっ、どうしてですか」

 

 花丸は一転、悲しそうな顔になる。俺はにやりと笑った。

 

「なにしろあと、何十軒もあるわけだし」

「はわわ、そうでした」

 

 花丸は目を白黒させた。

 

「とりあえず、よさそうな本屋さんの目星をつけておいて、あとでまた来ようか」

「はい、そうします!」

 

 俺と花丸は一通り店内の本を確認してから次の書店へ向かった。

 

        ・

 

「はあぁ、まさか芹沢(せりざわ)光治良(こうじろう)先生の自選作品集が手に入るとは……。それもこんなにお安く……オラは幸せ者ずら……」

 

 何軒目かの――十何軒目かもしれない――店を出た花丸はうっとりとした表情だった。

 

 俺は花丸から六冊ぞろいの箱入りの古本を受け取った。値札は見ないことにする。

 

「すみません、遼さん」

「いや、大丈夫だよ。毎回、いわなくていいから」

 

 俺は花丸に微笑んでみせた。

 

 とはいえキャリーバッグは順調に重さを増していた。俺の買った本もあるものの八割ほどは花丸だった。うむ、予想通りだ。自分をほめてあげたい。

 

 ふと空腹を覚えてスマートフォンを確認する。午後一時をすぎていた。

 

「花丸さん、そろそろ食事にする? それとも、時間がもったいないかな」

「うーん、悩みますね。でも、腹が減っては(いくさ)ができぬ、っていいますから」

 

 戦か。花丸にとってはそうなのかもしれない。

 神保町はカレーが有名らしいと俺が提案すると、花丸も乗ってきた。

 

 事前に調べておいた店へ――前回来たときには混雑していてあきらめた――行ってみる。

 雑居ビルに入ると古書店の隣がその店だった。今日は幸い、数人が待っているだけで、すぐに順番が来た。

 

 カレーはどこか懐かしい味で、まろやかだった。なぜかついてきたふかしたジャガイモもおいしかった。

 

「本屋さんと一緒っていうのは、神保町らしいですね」

 

 花丸も気に入ったようだった。

 

 昼食を食べ終えて書店めぐりを再開した。

 

「本屋さんは、通りの南側と西側に集中してるんだよね。どうしてかわかる?」

「ええと、どうしてですか?」

「本が日光で焼けないように、らしいよ」

「おお、なるほど」

「見て歩くほうは、片側だけですむから、楽だよね」

 

 そんな豆知識を披露しながら歩く。

 

 ふたりとも興味のない店は冷やかすだけにして、どちらかが見たい本屋だけ、じっくり見ていった。

 

 一軒の前で花丸が立ち止まり、なかをのぞき込む。

 

「ここは、善子ちゃんが喜びそうずら!」

 

 オカルト専門書店だった。ふむ、この前、沼津で会ったときもそうだったし、そういうキャラなんだな。納得だ。

 そのまま店内に入るのかと心配したが、花丸は歩みを再開した。

 

「ここは、どんな本屋さんかな?」

 

 次の書店も、店頭のワゴンには例によって雑多な格安本が並んでいた。通りに面した窓からは、中がちらりと見える。あれ、ここはもしかして。

 俺が止める間もなく花丸は自動ドアから店内に入っていった。

 すぐに花丸は出てきた。顔を真っ赤にして。ああ、やっぱり。

 

「オラには早すぎるずら……」

 

 アダルト専門書店だった。

 

 まあ、そういう店もあるな。俺ひとりなら、立ち寄るにはやぶさかではないけど……。

 ちらっと隣の花丸を見る。うん、今日はやめておこう。

 

 次の書店までなんとなく気まずい雰囲気が流れた。

 

 読み(ふけ)りそうになる花丸をつついたり、「これはぜひ買うべきです」という推薦に従って百円均一ワゴンの本を買ったり、花丸の話す作家のうんちくに耳を傾けたりと、本屋デートは想像以上に楽しかった。

 

 しかし楽しい時間がすぎるのはあっという間で……そろそろ花丸が最初に挙げた書店に行かないとまずそうだ。

 

「はぁ、もうそんな時間ですか。まだまだ足りないですね」

「うん、俺もそう思うけど」

 

 その書店は御茶ノ水駅への帰り道から少し外れたところにあった。わかりにくい場所だったが、地図アプリを使って無事にたどり着く。

 雑居ビルの一階のごく狭い書店だった。ぎっしりと棚に本が詰め込まれていて、いままでの本屋よりもさらに密度が高い。

 

「うわぁ」

 

 花丸は感動の吐息をもらした。俺にはよくわからないものの、品ぞろえは花丸の心を(とら)えたらしい。

 花丸は気合を入れて棚を見ていき、最終的に古書を一冊、買い求めた。表紙の版画らしきイラストが美しかった。

 

 その本も無事にキャリーバッグに収まった。

 

 うん、アキバでなにか買って帰ろうかと思ったけど、このままだと無理だな。

 

 キャリーバッグを引きながら駅へ歩いていく。

 裏通りは表通りとは打って変わって静かだった。

 

「どうだった、神保町は?」

「想像以上に、すごかったずら。あんなに本屋さんばっかり、並んでるなんで、思わなかったなぁ」

 

 花丸は興奮冷めやらぬようすで話した。

 

「そうだよね、ほんと」

「また来たいずらー。今度は、丸一日、堪能したいずら!」

 

 それは同感だった。もしよかったらそのときも、一緒に来られればいいな。

 

 坂道に差しかかって俺は手に力を入れる。

 

「あ、遼さん、本を持ってもらって、すみません」

「いや、キャスターついてるから、大丈夫」

 

 花丸はキャリーバッグを引く俺の手の上に、自分の手を重ねた。はっとして花丸を見ると、花丸はにこりと微笑んだ。

 

「駅まで、マルが持ちます」

「えっ、本当に大丈夫だけど」

「いいからいいから。遼さんには、沼津まで持って帰ってもらわないと、ですから。よいしょ!」

 

 花丸の手は(なか)ば強引にキャリーバッグを奪っていった。

 

 まあ、駅までなら、任せるか。

 

 花丸の手の感触を思い出しながら駅までゆっくりと歩いた。

 

        ・

 

 電車の車内で花丸のスマートフォンが鳴った。花丸はあわてて電話に出る。ちょうどそのとき、電車は秋葉原駅に到着した。

 

「ルビィちゃんからでした。駅に着いたって」

 

 花丸は電話を切ってそう話した。ぴったりのタイミングらしい。

 

 電気街口から左手、店の並んでいるほうへ出ると、ルビィが手を振っているのが見えた。となりにはダイヤもいる。

 

「ルビィちゃん、お店は回れた?」

「うん、すごいんだぁ。何軒も、専門のお店があって。ルビィ、μ's(ミューズ)のグッズ、たくさん買っちゃった!」

「よかったねぇ、ルビィちゃん!」

「うん! 花丸ちゃんも、本は買えた?」

「もう、ばっちりずら。ねえ、遼さん」

 

 ふたりのやり取りを微笑ましく見守っていた俺は、突然、話を振られて動転する。

 

「そ、そうだね。ずいぶん、買ったんじゃないかな」

「えへへ、そういうことずら」

 

 花丸とルビィは楽しそうに微笑みあった。

 

「じゃあ、俺はこれで」

 

 花丸に声をかける。

 

「遼さんは、みんなと会わないんですか? 紹介しますけど」

「いや、俺はいいよ。これから、行きたいところもあるし」

 

 もちろん、それは言い訳で……なにより恥ずかしかった。

 

「そうですか……」

 

 花丸は残念そうにしたものの、それ以上、引き留めなかった。

 

「あの、本当にありがとうございました。沼津までもうすこし、お願いしますね」

「うん、わかった。花丸さんも……ライブ、がんばってね」

「はい、全力を出します」

 

 花丸は笑顔で頭を下げた。

 

 ラブライブの前哨戦と聞いて、花丸たちがうまくパフォーマンスを出せるか不安になったが、このようすなら心配なさそうだ。

 むしろ、へんにプレッシャーをかけるようなことは、いわないほうがいいだろうな。

 

「それじゃ、失礼します」

 

 俺はルビィとダイヤに一礼してから電気街口へ向かった。

 

 さて、花丸には行くところがあるっていったけど、どうしようかな。コインロッカーに(あず)けて秋葉原を観光するか。それとも帰るか。

 結構、疲れたよな。とりあえず帰りの切符を買って、と。

 

 そういえば花丸はまったく疲れたそぶりを見せなかった。きっと練習を積んでいるせいだろう。

 

 俺もがんばらないとな。……あれ?

 

 切符売り場へ向かおうして、うしろからついてくるダイヤに気づいた。目があう。

 ダイヤは俺に近寄ってきた。

 

「里見さんは、これから、どちらにいくのですか?」

「秋葉原に行こうか、帰ろうか、というところですけど」

「そ、そうですか……」

 

 これはもしかして……。

 

「ダイヤさんは、どうされるんですか?」

「私は、用件もすみましたので、なにもなければ帰ろうかと……。で、でも秋葉原観光というのも捨てがたいですわね」

 

 まさかとは思うが、俺が秋葉原に行くなら、ついてくる気だろうか。

 

 俺としては別に困らない……いや、店によっては困るか。とにかく、デートみたいになるのは、ちょっと願い下げだな。花丸が知ったとしても、事情が事情だし、どうにかなるとは思わないけど。

 

「やはり、俺は、帰ります」

 

 ダイヤは安堵の色を浮かべた。

 

「それでは、偶然ですが、一緒ということになりますわね」

「そうですね」

 

 偶然ということにしておこう。

 

 ダイヤは俺のキャリーバッグに視線をやった。俺は肩をすくめる。

 

「花丸さんの荷物を、あずかったので」

 

 ダイヤは眉を上げて、唇の端に笑みを浮かべた。

 

 切符を買って駅に入る。ダイヤはずっとつかず離れずの距離を保っていた。

 東京駅から東海道線に乗った。土曜日の午後、時間もそれほど遅くないので、無事に座ることができた。キャリーバッグは網棚に乗せ、ダイヤとは向かいあわせだ。

 

 ダイヤ、わざわざ東京まで行ったのは、ルビィに会うためだよな。俺は、その、不純な目的だけど。ルビィを応援してるってことかな。

 

 行きのときよりも、ダイヤには話しやすいように思えた。途中、思い切って口を開く。

 

「ダイヤさん、二日目、残らなくてよかったんですか?」

 

 ダイヤは、はっと顔を上げた。すぐに目をそらす。

 

「あそこに残っても、なにもできませんわ」

 

 それはそうだろう。ルビィとともに楽屋に入れれば――むしろAqours(アクア)の一員なら別だが。

 一日だけでもルビィと一緒にいてあげたかった、ということだろうか。ただ、それを(たず)ねても、ダイヤはなにも答えてくれない気がした。

 

 俺は少し話をかえる。

 

「Aqours、ライブでは、どのくらいまで行けますかね」

「さあ、わかりませんわ。ただ……最悪の結果も、覚悟しておくべきかと」

 

 最悪の結果……最下位、ということだろうか。

 

「でも、Aqoursは人気みたいですけど」

「あくまでも、それは人気が上昇している、ということにすぎませんわ。上位に比べれば、実力差は歴然としております」

 

 そんなに厳しいのか。たしかに俺は、上位グループの動画を頻繁にチェックしているわけでじゃない。たまに目にするだけで……。

 

 俺はごくりと唾をのんだ。

 

「ここで一度、自分たちの力を思い知ったほうが、あの子たちのために、なるのかもしれませんわ」

 

 ダイヤは自分自身にいい聞かせるように、そうつぶやいた。

 

 途中、電車は特急の通過待ちでしばらく停車した。

 ダイヤは席を立ったかと思うと、缶コーヒーを二本手にして帰ってきた。俺に一本を差し出す。

 

「どうぞ。お口にあうかどうか、わかりませんが」

「……どうも」

 

 彼女なりの感謝の気持ちの(あらわ)し方なのだろう。俺はありがたくいただいた。

 

 日がかなり傾いたころ電車はようやく熱海に到着した。そこで乗り換えて、沼津に着いたときには、すっかり街はオレンジ色に染まっていた。

 改札を出たところでダイヤと目礼を交わして別れ、家路につく。

 

 いまごろ、花丸たちも旅館に着いたかな。今日は神保町をふたりで歩いて……本当に楽しかったな。また、行く機会があればいいけど。

 

 明日は、いよいよライブか。ダイヤのいっていたこと、気になるな。

 

        ・

 

 翌日の午前中、自宅のパソコンの前で待機した。

 イベントの生配信は予定通り始まった。

 

 Aqoursは二番目だった。順番が抽選でないのなら――あまり期待されていない、ということかもしれない。Aqoursのライブは悪くなかった。曲はPVと同じだが、そのときよりも声に張りが出て、動きも切れがあった。

 そこで()めてもよかったのだが、ダイヤの言葉が気になっていた。そのまま見続ける。

 

 レベルはだんだんと上がっていった。最後の数グループにもなると、まさに玄人はだしという言葉が当てはまる、そんなライブだった。ヒートアップする会場のようすも映像越しに伝わってきた。

 

 すごい。これが高校生なんだ。

 

 俺は半ばあっけにとられながら映像を見つめた。

 たしかにAqoursはがんばっていた。でもそれは、スポーツでいえば県大会準優勝と全国上位入賞を比べるようなもので――求めるレベルが違いすぎた。

 最後に上位のグループが表彰されたが、Aqoursはそこに含まれていなかった。

 

 花丸の可愛さは誰にも負けていない、それだけは断言できる。それでも……あのレベルを目指すのか、花丸たちは。

 それはもしかしたら、(いばら)の道なのでは……。止めておいたほうが、いいのかもしれない。

 

 そこまで考えて、はっとダイヤがいっていたことを思い出した。

 

 そうか、ダイヤはこれを知ってたんだ……。

 

 今日の夜には、花丸たちが帰ってくる。どんな言葉を花丸にかければいいのか。俺はしばらく悩み続けた。

 


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