本屋に舞い降りた天使に俺は恋をした   作:Kohya S.

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13. 彼女との遭遇

 花丸から聞いた、東京で行われるというイベントについて調べてみた。「東京スクールアイドルワールド」というのがそれで、Aqours(アクア)の名前が参加グループ一覧に並んでいた。観客の投票で順位を決め、上位は表彰もされるらしい。

 ただ、予想した通りチケットはすでに売り切れていて、観覧は難しいようだった。ネット配信で我慢するしかないだろう。

 

 イベントの近づいたある日の夜、スマートフォンのメール通知音が鳴った。花丸からのメールだ。さっそく開く。

 

「こんにちは、遼さん」という書き出しのメールは、いつものように端正な文章だった。メールにしては整いすぎている気がするが、それもまた花丸らしくて微笑ましい。

 

 続きにはイベントをひかえてどきどきしていること、東京での一日目にすこし自由時間が取れそうなこと、そこで神保町へ行ってみようと考えていることなどが書かれていた。「東京は初めてで不安ですが、迷わずに行けるよう祈っていてください」という文からは、花丸の心細さが伝わってきた。

 末尾は「なにか欲しい本があれば買ってきますので、教えてください」と締めくくられていた。

 

 へえ、神保町か。いいなあ。俺も去年、行ったっけ……あそこは本好きには聖地みたいなもんだよな。そんなにわかりにくい場所じゃないし、花丸でも大丈夫だと思うけど。

 欲しい本……うーん、いまはだいたい通販で買えるからな。あそこに行ってその場で探すのが醍醐味(だいごみ)なんだよな。それこそ百円均一の文庫本とか。

 

 そういう趣旨のメールを返信しようとして、思いついて電話にする。しばらく彼女の声を聞いていなかった。

 

「はい、花丸です」

 

 彼女は元気そうな声で電話に出た。

 

「あ、里見ですけど、いま大丈夫かな」

「はい、平気ですよ」

「あの、メールありがとう。いよいよだね、東京のイベント」

「はい、マル、すごく緊張してるけど……みんなもいるし、精一杯がんばろうって思ってます」

「行けないのは残念だけど、ネット配信の動画、見てるから」

「うぅ、恥ずかしいずら……。でも、そんなこといってる場合じゃないですよね。よろしくお願いするずら」

 

 赤くなっているのが目に見えるようだ、

 

「それで、神保町に行くんだ。よく時間がとれたね」

「イベントは日曜日……二日目の午前中で。もともと、イベントが終わったらみんなで観光しようっていってたんだけど、一日目もすこし早めに行こうか、って話になったんだぁ」

「いいね、神保町。うらやましいよ」

「遼さんは、行ったことありますか?」

「うん、去年行ったよ。すごいね、あそこは。本屋さんが何十軒もあって。花丸さんなら、何時間でもいられると思うよ」

「楽しみです!」

 

 花丸の声ははずんでいて、本当に嬉しそうだ。

 

「……でも、たぶん、いられるのは二時間くらいかなぁ。残念です」

「そうなんだ。じゃあ、お目当ての本屋、事前にネットで調べていくのがよさそうだね」

「はい、そうします」

 

 メールに書いてあったことを聞いてみる。

 

「神保町までは、迷わずに行けそう?」

「秋葉原でいったん解散する予定なんです。そこから電車かなぁ、って。ルビィちゃんが一緒にいってくれるから」

「なるほど。秋葉原からなら、JRで御茶ノ水駅に行くのがいいよ」

「えっ。神保町駅じゃないずら?」

「うーん、地下鉄だとかえって時間がかかるかな」

 

 去年、行ったときに同じ間違いをしそうになったからなあ。スマートフォンの乗換案内でことなきを得たけど。

 

「む、難しいずら……」

 

 花丸は困惑したようすだった。

 

 俺はなんとなく考えていたことを口にする。

 

「……あ、そういえば、俺もそろそろ、東京に行こうかと思ってたんだよね。どうせなら、同じ日にしようかな」

「えっ、遼さんも?」

 

 ちょっとわざとらしいかな……。

 

「うん、年に何度か、買い物とかで行ってるんだけど」

「じゃあ、もしかして……」

 

 期待に満ちた声。

 

「花丸さんの自由時間のあいだ、秋葉原から神保町まで、案内するよ。俺はそのあと、適当にうろうろして、沼津に帰ってくるから」

「そうしてもらえると、ありがたいずら!」

 

 花丸が素直でよかった。

 

「みんなと一緒に行きましょう」という花丸をほかの用事があるからと説得して、別々の電車で行くことにした。

 さすがに善子たちと一緒だと居心地が悪いよな。

 

「当日は、よろしくお願いします。秋葉原に着いたら連絡しますね。はぁ、スマートフォン、便利ずら」

「うん、そうだね」

「それじゃ、おやすみなさい」

「おやすみ」

 

 俺は終話ボタンをタップして電話を切る。

 

 よし、東京で花丸と会えるわけだな。ルビィが一緒なのは、ちょっと残念な気もするけど……三人でも、きっと楽しいだろうな。

 

        ・

 

 次の土曜日、内浦まで行く日と同じように早起きをした。

 きっと必要になるという確信があったので、キャスター付きのキャリーバッグを用意した。街を歩くときにはすこし邪魔かもしれないが、仕方ないだろう。

 

 風呂敷を背負うのは、コツがいりそうだしな。

 

 沼津駅から電車に乗った。東京まで直通の電車もあるものの本数がすくない。この時間だと熱海で乗り換えたほうが早く着けると、乗換案内は言っていた。

 

 熱海までは二十分ほどだった。乗り換えてからは二時間近く、電車に揺られることになる。

 それに備えてホームの自販機で飲み物を買った。

 蓋を開けて一口飲むとベルが鳴り出した。予想以上に待ち時間は短かった。あわてて東京行きの電車に乗り込む。

 

 ふう、危ない。次の電車だとたぶん花丸たちと一緒になるからな。まあ、別の車両に乗れば大丈夫だと思うけど。

 

 空いている座席を探そうとして、俺は見覚えのある姿に気づいた。四人掛けの席に座っている女の子。黒い髪に白い肌、日本人形のような――黒澤ダイヤだ。

 

 どうしてここに? あ、そうか。もしかして、俺と同じか……。

 

 きっとルビィと落ちあうに違いなかった。一緒に行かないのは、やはり似たような事情かもしれない。

 話しかけようかどうしようか迷ったが――結局、話しかけることにした。

 

 きっと花丸と知りあう前なら、たとえ顔見知りの女の子でも、絶対に話しかけなかっただろうな。

 

「こんにちは、ダイヤさん」

 

 車窓から外を眺めていたダイヤは、俺に気づくと目に驚きを浮かべた。

 

「あなたは……里見さん? 奇遇ですわね」

「そうですね。……あの、ここ、いいですか」

 

 はす向かいの席を示す。ほかにも空席はあるので不自然だが……。

 

「どうぞ、()いてますから。私には関係ありませんわ」

 

 まあ、それはそうだ。俺はなんとなく頭を下げて、腰を下ろした。

 

 とりあえず鞄から――キャリーバッグとは別にメッセンジャーバッグをさげている――本を取り出して読み始める。バスと違って電車なら、本を読んでも大丈夫だった。

 

 ダイヤはきちんと足を揃えてシートに座り、物憂げに風景を見つめていた。背筋をしっかり伸ばしていて、その雰囲気は気品を感じさせた。

 

 電車はトンネルに入る。窓から視線を外したダイヤと目があった。

 

「あの、どちらまで行かれるんですか」と俺。

「……東京までですわ。里見さんは?」

「俺もです。もしかして……Aqoursのライブを見に行くんでしょうか?」

「違いますわ」

 

 ダイヤは即座に否定した。想像以上に語気が強くてすこし驚く。ダイヤも気づいたのだろうか、穏やかな声に戻って続けた。

 

「たまたま、東京に用事があるだけですわ。……そういうあなたは?」

「俺は……」

 

 花丸と会うことを話すか、それとも単に買い物だというか迷う。あまり隠すのはよくない気がした。

 

「花丸さんと東京で会うことになってます」

 

 ダイヤは眉をぴくりと動かした。俺は続ける。

 

「ダイヤさんも、ルビィさんに、たまたま会うかもしれませんね」

 

 ダイヤは真っ黒な窓へ目をそらす。

 

「まあ、そういうことも、あるかもしれませんわ」

 

 会話は想像以上に、はずまなかった。

 だんだん電車のなかは混雑してきて、キャリーバッグを網棚に上げ俺はダイヤの目の前の席に移った。そのときに言葉を交わしたくらいだった。

 

        ・

 

 車窓から見えるビルはどんどん高くなっていき、密度も増していった。

 高層ビルが当たり前のように何棟も並ぶころ、車内アナウンスが流れた。

 

『まもなく東京、東京です。新幹線、山手線、京浜東北線……』

 

 俺は本をしまい、シートの上で小さく伸びをした。

 

 やれやれ、ようやく到着だ。ダイヤも降りると思うんだけど。

 

 ダイヤに目をやる。彼女はなんとなく落ち着きがないように見えた。不思議に思いながら声をかける。

 

「ダイヤさん、東京ですけど」

「わ、わかってますわ。ここでおりればよろしいんですよね?」

「え、はい、たぶん」

 

 ルビィに会いにいくなら、俺と一緒だと思うけど。それでいいのかな。

 

 俺は席から立ってバッグをおろし、同じように東京で下車する乗客に流されるように、ホームに出た。ダイヤもあとからついてきた。

 

 人混みからすこし離れて、思い切り伸びをした。東京の空気は沼津よりもずっとずっと蒸し暑く感じた。

 ダイヤは所在なさそうに近くでたたずんでいた。

 

 さて、行くかな。

 俺が歩き出そうとするとダイヤが口を開いた。

 

「さ、里見さんは、これからどちらに行くんですか?」

 

 心なしか顔が青い気がする。

 

「俺は、秋葉原へ行きますけど……。大丈夫ですか、どこか具合が悪いとか」

「い、いえ、大丈夫ですわ。奇遇ですわね。私も秋葉原へいくのです。ご、ご一緒してもよろしくて?」

「もちろん、いいですよ」

 

 本当に大丈夫だろうか。

 

「それでは、ついてまいりますわ」

 

 駅の案内にしたがって別のホームへ移動する。ダイヤはぴったりあとをついてきた。ちょうどホームに到着したうぐいす色の電車に乗る。

 

『次は秋葉原、秋葉原。お出口は左側です』

 

 車内アナウンスが流れると、あきらかにダイヤはほっとしたようすだった。

 

 トイレとか我慢してるのかな。東京駅で行けばよかったのに……。

 

「あの、トイレなら下みたいですよ」

 

 一緒にホームにおりたダイヤにそう伝える。

 

「……ち、違いますわよ!」

 

 ダイヤは顔を真っ赤にして否定した。余計なお世話だったらしい。

 

 はあっ、とダイヤは盛大にため息をついた。

 

「まあ、ここまで、ありがとうございました」

 

 彼女は優雅に頭を下げた。

 

「それでは、失礼いたします」

 

 そういって階段を上ろうとする。

 

「あ、そっちだとルビィさんたちに、会えないと思いますが……」

 

 花丸たちが来るのは電気街口で、階段を上ると昭和通り口だ。

 

 ダイヤはくるっと振り向いた。目が泳いでいる。

 

「もうしばらく、ご一緒しますわ」

「はあ」

 

 別の階段を下りて電気街口の改札を出る。右手に曲がって外へ。

 駅前の大きな広場は土曜日とあってかなりの混雑だった。広場の奥からペデストリアンデッキに向かう階段が伸びていて、その先は二棟の高層ビルへつながっている。

 

 あと二、三十分もすれば花丸たちが来るだろう。

 それまで秋葉原の書店――ラノベの在庫は豊富だろう――で待とうかと思っていた。しかし――。俺はちらっと脇を見る。

 ダイヤは大きく深呼吸していた。

 

 ようやく落ち着いたみたいだけど、もう少し、一緒にいたほうがいいかな。

 

「座って、待ちましょうか」

 

 駅ビルの影になっているベンチへとダイヤをさそう。彼女は大人しくついてきた。

 

 高層ビルの一棟、壁面にある大型ディスプレイでは、東京スクールアイドルワールドの映像が流れていた。

 俺の視線に気づいたのかダイヤがうなずいた。

 

「あれが、ルビィたちが歌う予定のイベントですわ」

 

 日程と配信情報、参加各グループの紹介など、映像はつづく。

 

「ラブライブは知っていますか?」と彼女。

「うん、だいたいは」

 

 スクールアイドルについて調べているといやでも目につく。全国のグループが優勝を目指して競う大会らしい。

 

 ダイヤは遠くを見るようにして続ける。

 

「……Aqoursもラブライブを目指していることでしょう。今回のイベントは、全国から三十のグループが招待されておりますわ。いわばラブライブの前哨戦……」

 

 そんなに大きいイベントだったのか。花丸たち、大丈夫かな……うまくやれるのかな。無責任に応援しちゃったけど……。

 

「果たしてAqoursが、どこまで通用するのか……。いえ、むしろ、ここで実力を思い知ったほうが、いいのかもしれませんわ」

 

 最後のほうは、つぶやくような調子だった。

 

 Aqoursを応援してるのか、そうじゃないのか、微妙な口ぶりだな。

 しかし、ダイヤ、スクールアイドルに妙に詳しいけど。ルビィの影響かな。

 

        ・

 

 喧噪(けんそう)のなか、ふたりで待った。やがてスマートフォンが軽快な音を立てる。花丸だ。

 

「はい、里見ですけど」

「いま、自由行動になりました! 遼さん、どこにいるのかなぁ」

 

 花丸の声は生き生きとしていて興奮が伝わってきた。

 

「花丸さんは、どこにいるの?」

「えーと、秋葉原駅の出口を、出たところです」

 

 ふむ。

 

「目の前になにが見えるかな?」

「赤いビルと、エスカレーターが丸見えの未来っぽいビルがあるずら」

 

 となるとたぶん反対側だ。

 隣ではダイヤが耳をそばだてている。

 

「わかった。すぐ行くから、そのまま待っててくれる?」

「わかりました」

「あ、ルビィさんもいるのかな」

「はい」

 

 ダイヤが表情を(やわ)らげるのが見えた。

 

 電話が切れる。俺はダイヤにうなずきかけて、駅の構内を抜け、ガードの反対側を目指した。

 

「あ、遼さん!」

 

 外に出ると、左手、ビルの下で花丸が手を振っていた。隣にはルビィもいる。

 俺は足早に近づいた。

 

 花丸はオレンジのカットソーに黄色い半袖シャツを羽織り、青いロングスカートをあわせていた。胸元には羽根をかたどったアクセサリ。白いリボンがあしらわれたカチューシャが、よく似合っていた。

 ルビィは白いワンピースだ。裾や袖口がピンクのフリルで飾られているのが、可愛らしい。

 

「どうも、花丸さん、ルビィさん。ここまで、迷わずに来れた?」

「はい、みんなと一緒だったから。無事に会えてよかったずら」

 

 花丸はにこりと笑った。

 

「あれ、もしかして、ダイヤさん?」

 

 花丸が俺の背後に目をやった。

 

「お姉ちゃん。どうしてここにいるの……? それに、どうして里見さんと一緒に?」

 

 ルビィは意外そうな口調だ。

 

 ん、事前に話、してたわけじゃないのか。

 

「たまたま、東京に来る用事があっただけですわ」

「ふーん、そうなんだ。でも、東京でもお姉ちゃんに会えて、嬉しいな」

 

 ルビィは満面の笑みでダイヤと会話を始めた。

 

「何時ごろまで大丈夫なのかな?」と花丸に聞く。

「えーと、三時に、ここに集合です」

 

 いま昼前だから……あと三時間とすこしか。

 

「それじゃ、さっそく行こうか」

「はいっ!」

 

「ルビィちゃん、一緒に行く?」

 

 花丸がルビィに呼びかけた。

 

「あっ、あの、お姉ちゃんが、ルビィの行きたいところに、連れて行ってくれるって」

 

 ちらっとルビィはダイヤのほうを見る。

 

「だからね、ルビィ、アイドルショップに行きたいなぁって」

「そっか」花丸はルビィに優しく微笑む。「うん、行ってくるずら」

「ありがとう、花丸ちゃん」

 

 ルビィは突然、なにを思ったのか俺のほうにたたっと近づいた。俺と花丸に、やっと聞こえる小さな声で話す。

 

「あのね、お姉ちゃん、子供のころ、東京で迷子になったことがあったの。だから乗り換えとか、すごく苦手みたいで……。あの、どうも、ありがとうございました」

 

 それだけいうとルビィはダイヤのもとに戻っていった。

 

 なるほど、だから挙動不審だったのか。

 

 不思議そうな目で俺を見つめる花丸。花丸には移動中にでも話そう。ダイヤの名誉を傷つけない範囲で。

 

 ルビィとダイヤは、俺たちに一礼してから秋葉原の街へ歩いていった。

 

 さて、俺たちも行くか。

 はっ。気づけば花丸とふたりきりだ。東京デートをすることになってしまった。……ダイヤには感謝だな。

 

 ふたりの背中を見送り花丸に視線を移す。知ってか知らずか、彼女は期待をこめたまなざしで俺を見返した。

 その仕草(しぐさ)と表情がたまらなく可愛くて、俺の胸はどきりと鳴った。

 


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