「どうしたの、花丸さん?」
なにか悪いことでなければいいけど。
「オラには無理ずら!」
「とりあえず落ち着いて……」
悲痛な声に俺はなだめるようにいう。
花丸は、はーっと大きく息をはいてから、続けた。
「……オラ、今日、スマートフォンのこと、じっちゃに話したんだぁ。そしたら、普通の電話ならともかく、そんなのはいらんって、いわれてしまったずら……」
それは困ったことになったな。
「ネットにつながって便利だ、とか話したの?」
「話したずら! 知識の海ずら!」
ふーむ。
「お値段も控えめって、オラ、いったんだけど、どれくらいだって聞かれて、答えられなかったずら」
「普通の携帯は買ってもらえそう、なのかな」
「それはたぶん。ばっちゃも、そろそろ必要だべ、っていってくれてるし」
花丸はいったん言葉を切って、鼻をすすった。
「それで、マル、遼さんに助けてもらおうと思って、電話したんです」
ということなら、具体的な話があれば、説得できるかな。
「そうか。じゃあ、ちょっと調べてみるよ。料金とか、買い方とか。明日、連絡すればいいかな」
「うん、お願いします」
花丸はあきらかにほっとしたようすだった。頼られてるのかな、と嬉しくなる。
「明日、そうだなあ、できるだけ早いうちに、電話するから」
「ありがとうございます」
もう少し話していたかったが今日の昼間、会ったばかりだ。早めに切り上げて早速行動したほうがいいだろう。
「それじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
花丸は電話を切った。
よし、それじゃ、少しでも力になれるように、がんばるか。イエデンに電話するのは、ハードル高いけどな。
・
調べてみるといわゆる格安スマートフォンというやつが該当するらしい。
えーと、まず会社がいろいろあるのか。どこがいいか、評判を調べてみるか。
データ量は……花丸ならあまり動画とかは見ないよな。ん、それともスクールアイドルの動画とか、見たりするのかな。となると少し多めで……。
結局その日の夜には調べきれず、翌日の土曜日の朝までかかった。
会社も機種も料金プランもたくさんあって頭が痛くなったが、なんとかよさそうな組みあわせをいくつか選んだ。幸い沼津市内の家電量販店でも購入できるようだ。
ふーん、結構、料金が違うもんなんだな。
下がったぶんの携帯料金が小遣いにしてもらえるなら、俺のスマートフォンもかえてもいいかもしれないぞ。
さて。
目の前には調べたことをメモした紙が山になっている。
雨の音を聞きながらスマートフォンの連絡先から花丸を選び、発信ボタンをタップした。
呼び出し音を聞きながら、花丸が出ますように、と祈るような気持ちで待つ。
「はい、
太い男性の声だった。ああ、賭けに敗れた。
「あ、あの、里見と申します。花丸さんはご在宅でしょうか」
こんな挨拶をするのは恐ろしくひさしぶりだ。そのわりにはうまくいえたと思う。
「花丸は、外出しております。用件をお聞かせいただけますか」
丁寧な言葉遣いだが有無をいわせぬ口調だった。
「えーと、昨日の件で、折り返しお電話をいただけますでしょうか、と」
「わかりました、伝えておきます」
「よろしくお願いいたします」
俺は電話を切った。ふうっと息をはく。緊張していたらしい。
あれが花丸のじっちゃ、だろうな。老人とは思えない、しっかりした声だったな。
花丸からは昼前に電話が来た。
「すみません、遼さん。マル、アイドル部の練習に行ってたんです」
「いや、大丈夫だよ。練習は、楽しい?」
「はい、それはもう。毎日、よくなってるのが実感できるずら」
花丸の声ははずんでいた。
「それで、昨日の件だけど、調べてみたよ」
「あ、ありがとうございます」
「えーと、メモを用意してもらえるかな」
「は、はい」
俺はひとつずつ説明していった。
「……ということで、この会社のプランCがいいんじゃないかな。月三千円、かからないみたいだよ」
「む、難しいずら……」
困惑した口調の花丸。
「うん、俺もそう思う」正直な感想だった。「でも、たぶん大きくは間違ってないと思うんだ」
「わかりました。マル、今日、もう一度話してみますね!」
「買いに行くときは、俺も付きあうから」
「ぜひお願いします」
花丸は嬉しそうにいった。
「それじゃ、うまくいくように祈ってるね」
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
電話が切れる。
さて、無事に説得できるといいんだけど……。
・
きっと花丸のことだから、いずれにしても結果は電話してくれるだろう。昼過ぎから書店にバイトに行き、夕方に帰宅する。そのあいだ、彼女からの連絡はなかった。
雨は夕方には上がった。
夕食を食べて自室に戻ったとき、着信音が鳴った。
どきどきしながら電話に出る。
「はい、里見ですけど」
「うぅ、オラ、説得できなかったずら……」
花丸は開口一番、泣きそうな声でそういった。
「まずは携帯電話で十分だって……」
「そうか。残念だったね」
「オラのインターネットが……知識の海が……」
鼻をすする花丸を俺はなぐさめる。
「まあ、携帯でもネットは見られるから」
「えっ、ほんとずら!」
「あ、でも、料金が結構、高くなっちゃうみたいなんだよね」
「それじゃダメずら……」
一瞬、明るくなった花丸の声はすぐ元に戻った。
花丸、かわいそうだな。スマートフォンくらい、いまは当たり前なのに。なにより花丸の知識欲が満たされないのは、世界の損失な気がする。
うーん、じっちゃ、か。なかなか気が強そうな感じだったけど。ただ、それでも、な。
「花丸さん」
「ん?」
「よかったら、俺が説明しようか。その、家の人に」
ちょっと差し出がましいかもしれないけど。
「えっ」花丸は息をのんだ。「そんな、遼さんに悪いずら……」
「でも、せっかくの機会だし、もったいないと思うんだ」
「うぅ、そういわれると心が動くずら……」
花丸は悩んでいるようだ。
俺はもうひと押ししてみる。
「花丸さんの、力になりたいんだけど」
「オラの……」
花丸はしばらく黙り込んだ。
俺はひやひやしながら彼女の反応を待った。
やがて花丸は小さくつぶやいた。
「……ありがとうございます」
「それじゃあ……」
「はい、お願いします」
今度はしっかりとした声でいった。
その一言が俺の心に火をつけた。
「うん、説得できるかどうかわからないけど、やるだけやってみるよ」
「すみません、遼さん」
「いつごろ、行けばいいのかな。早いほうがいい?」
「そうですね。明日でも、大丈夫ですか」
「うん、大丈夫」
おそらくバイトの時間は調整できるはずだ。
「それじゃ、午後四時くらいに、来てもらえるでしょうか。そのころなら、じっちゃも
その時間なら、少し早めにバイトを抜けさせてもらえばよさそうだ。
「本堂の隣にマルの家があるので、呼び鈴を押してください」
「わかった」
おやすみの挨拶をして電話を切った。
よし、何とか説得してみるぞ。プレゼンテーションってことだな。花丸の……そして俺の将来のお付きあいのため、だもんな。
俺はその夜、調べたメモを読み返して頭に入れ、じっちゃとの想定問答を繰り返した。
・
翌日、バイトは早めに上がらせてもらった。いったん自宅まで帰り、自転車にまたがる。もしかしたら帰りのバスがなくなるかもしれない。ライトの電池もチェックしておいた。
ペダルをリズミカルに踏んでいく。すでに何度も通った道だ。スピードが乗ってくると妙に頭がさえてくる気がした。
一時間もかからずに内浦までついた。最初にくらべるとずいぶん体力がついたんじゃないだろうか。
自転車を止めて参道を
いままでに来たときにはあまり気に留めていなかったが、本堂の右手の奥にもうひとつ建物があった。やや古めかしい和風の住宅だ。
玄関の引き戸の前に立つ。
うーん、ばあちゃんち、建て替える前はこんな感じだったな。花丸が出てくれればいいけど、いきなりじっちゃとかだったら、どうしよう。
俺は落ち着かない気分で呼び鈴を押した。遠くでピンポンと鳴る音がして――「はーい」という声と、ぱたぱたという足音が聞こえた。よかった、花丸だ。
ガラガラと扉がひらき、顔を出す花丸。
「あ、遼さん。お待ちしていました」
にこっと花丸は微笑んだ。
花丸はいつかと同じく、タンクトップに猫の肉球柄のシャツだった。
俺は玄関からなかに通される。
「どうぞ、上がってください」
「おじゃまします」
いちおう脱いだ靴を揃えてから花丸についていった。
花丸の家は外見にそぐわず昭和な雰囲気だった。なんとなく線香の香りもする。
「まだじっちゃは帰ってないので、マルの部屋へどうぞ」
おお、いきなり女の子の部屋へご招待だ。先に待つものを考えると緊張するが、花丸の部屋に入れるのは素直に嬉しい。
片側に障子の並ぶ廊下を通り、急な階段を上がって二階へ。
「ちらかってて恥ずかしいですけど」
花丸はふすまを開けた。
花丸の部屋は八畳ほどの和室だった。
正面に窓、左手に押入れがあり、勉強机とベッド、衣装
「きれいに片づいてるね」
俺は本音を口にする。
「そんなことないずら。あ、どうぞ、適当に座ってください」
「どうも」
俺は座布団のひとつに座る。
「いま、お茶を用意しますから」
花丸はそういって部屋を出て行き、俺は手持ち無沙汰で待った。
ふと気になって膝立ちで本棚まで近づく。
並んでいる本の傾向は花丸が書店で買うのと同じだった。ただ、あれだけ本を買っているなら、ここに収まるわけもない。ここにあるのは本当のお気に入りで――別の場所にさらにあるのかもしれない。
「お待たせしたずら」
声がして俺はあわててふすまを開く。
お盆を持った花丸がにこっと笑った。
花丸はお盆を床に置いた。座布団に正座して花丸と向きあう。
「お寺って聞いてたから、どんな感じかと思ったんだけど、家は普通だね」
「それは、そうですよ。どんなのを想像してたんですか」
花丸はおかしそうに笑う。
それは、なんか、こう、お堂? のようなところなのかと……。とはいえ、そんなことは、口に出せないよな。
「ルビィちゃんとかも、ときどき遊びに来ますよ」
ふーん、そうなのか。
花丸のいれてくれたお茶をいただく。濃くておいしかった。
「ところで、遼さん」
花丸は居住まいを正す。
「遠いところ、わざわざありがとうございます」
両手をついて頭を下げた。
「あ、いや、たいしたことないよ」
手を振って否定する。いろいろ下心があるのは黙っておこう。
「じっちゃには、お友達が来るって、話してあります」
俺はうなずく。
「もうすこししたら、帰ってくると思います。そうしたら、よろしくお願いします」
「わかった」
じっちゃ、か。そういえば父母はどうしたんだろう。まさか……。
「花丸さんは、おじいさんとおばあさんと、暮らしてるんだね」
「はい」
「その、ご両親は……」
「ああ」花丸は微笑む。「いま、ほかのお寺に行ってるずら。住職さんがお亡くなりになったお寺があって……あとつぎの方が
なるほど、一時的に代理の住職をしている、ということだろう。灌頂は……なんだろ。あとで調べよう。
「ほら、マルのところはじっちゃもいるから」
「そうなんだ」
俺はほっとしてうなずいた。とりあえず、もう会えない、とかいう事態でなくてよかった。
しばらくして階下から物音が聞こえた。
「あ、帰ってきたみたいです。呼びに来ますから、ちょっと待っててくださいね」
花丸は緊張した面持ちで部屋を出ていった。
俺はもう一度、説明することを整理しておくことにした。
・
頭のなかでの問答はどうも悪い方向に進みがちだった。なにしろ相手は、お坊さんだからなあ。こういうの、お手のものだろうし……。
緊張しながら待つうちに、足音がして花丸が顔を出した。
「あの、お願いするずら」
期待と不安に満ちた表情だ。
花丸のあとについて一階へ。花丸が廊下から障子を開けると、そこが居間だった。
「お友達を連れてきたずら」と花丸。
彼女にうながされてなかに入る。
十畳ほどの大きな部屋で、廊下の反対側も障子になっていた。おそらく縁側だろう。奥はふすまで次の間に続いているらしい。
部屋の中央に四角い大きなちゃぶ台があり、その向こうに男性が正座していた。白髪の老人で、小柄だががっしりしている。じっちゃに違いない。
その男性は俺をじろりと見て、かすかに驚きを浮かべたようだった。鋭い眼光に俺はひるみそうになるが、なんとかまっすぐに見返して目礼した。
「どうぞ」という花丸にしたがい、座布団に正座する。すぐ近くに彼女も腰を下ろした。
「こちら、オラのじっちゃずら。そしてこちらが、友達の里見さん」
「花丸の祖父の
祖父は深く頭を下げた。仕事がら、といっていいのか、彼の声は太くてよく通った。
「あの、里見です。よろしくお願いします」
俺も彼にならって礼を返した。
「……花丸が、世話になっているようですな」
「僕のほうこそ、本を紹介してもらったり、いろいろ助言してもらったり、花丸さんには学ぶことが多いです」
「うちの孫は、そこまで出来た子ではない」
「いえ、花丸さんの博識なところには、頭が下がります」
ふむ、というように彼は軽くうなずいた。
むむむ、こういうの、苦手なんだけど。いまのところなんとかなってる……のか?
「失礼いたします」
そのとき障子が開いて、ひとりの女性が入ってきた。花丸の祖母だろう。すこし腰が曲がり、やはり白髪交じりだ。
祖母は俺たちのまえに茶碗を置いていく。
そして彼女はそのまま祖父の隣、花丸の向かいあたりに座った。
祖父は続ける。
「それで……花丸とはどういう理由で、知りあったんだね?」
ああ、やっぱり聞かれたか……。花丸は説明してないんだな。そりゃまあ、気になるよな。
「僕が沼津の書店でアルバイトをしていて、そこに花丸さんが来たんです」
「オラ、本を運ぶのを手伝ってもらったずら」
花丸がわきから言葉をそえる。俺はうなずいた。
「そのあと、たまたま図書館で出会って挨拶して……お勧めの本を聞いたりして、だんだんと親しくなりました」
「親しく」というところで、祖父の眉がぴくりと動いた気がした。まずい。
「黒澤さんにも紹介してもらったり、友達としてお付きあいさせてもらってます」
「ふむ」
彼は茶碗からお茶を飲んだ。
「あの、今日は、スマートフォンのことずら」
花丸がしびれを切らしたのか口をはさむ。
祖父は花丸をちらりと見てから、俺に向けて話した。
「それで今回、花丸が君に相談した、ということだね」
「そうです」
「私も、花丸の父がここを離れてから、携帯電話を使っている。とても便利だね」
失礼ながら、俺には意外だった。
「はい」とうなずく。
「だからこそ、私は携帯電話で十分だと思っておるのです。たしかに、年頃の女の子に緊急時の連絡手段は必要……ただ、逆にいえばそれ以上は不要」
「あの、すでに花丸さんからお聞きかと思いますが、料金はそれほど変わりません。だとしたら、スマートフォンにしておくのが、いいと思います」
「私の携帯電話と大きくは変わらないようだね。しかし、お金の問題ではない」
彼は首を振った。
うーん、やっぱりそうか。さて、どうやって説得しよう。
「あの、スマートフォンならネットにつながります。花丸さんには、とても便利だと思います」
横で花丸がこくこくとうなずいた。
「ネットといえば、いろいろな有害なものもあふれているのだろう。花丸にそれが必要かね」
「それはごく一部です。いろいろ有益なものもあります」
「学校にパソコンがあるだろう。そこでみんなと一緒に、見せてもらえば十分だし、安全じゃないのか」
俺はいったん言葉に詰まる。花丸はすっかり肩を落としていた。
「スマートフォンとやらに夢中になり、勉学がおろそかになる、という話も聞く。私は花丸が心配なのだよ」
そういって彼は花丸を見る。その目は厳しいながらも、優しさが隠れている気がした。
「オラ、そんなことはないずら! 本と同じずら! 最近は徹夜してないずら!」
花丸は顔を赤くして反論した。
あー、やっぱり徹夜とかするんだ、花丸。親近感がわくな。
「まあ、最近はそのようだな」
祖父は苦笑する。俺も笑みが浮かぶのを抑えられなかった。花丸は口をとがらせて横を向いた
すこしだけ雰囲気が
「失礼ですが、花丸さんが本を買うお金は、隆照さんがお出しになっているのですか?」
「だから、お金の問題ではない」
「でも、それは、花丸さんに学んでほしい、知識を得てほしい、ということですよね」
「もちろん。花丸は本が好きなようだ。これからのために、見識を広めてほしいと思っている」
「それなら……ぜひ、花丸さんをネットにふれられるように、してあげてください。いまのネットは、知識にあふれています。日本語だけじゃなくて、英語も、ほかの言語も」
俺は彼をじっと見つめた。彼はなにもいわずに見返す。
俺は心を奮い起こして続けた。
「それに、花丸さんは、有害な情報なんかに、影響されることはないと思います。そんなに、彼女は弱くありません」
花丸が顔を引き締めてうなずいた。
「しかし、ネットなどに頼らなくても、本だけで十分だろう。花丸でも読み切れないほどの本が、世の中にはあふれている」
彼は話は終わりだというように、茶碗からお茶を飲んだ。
ああ、ダメか。どうしようか。俺は必死に頭をめぐらせた。
しかし、なにも思いつかないまま、時間だけが過ぎていく。花丸も言葉を持たないようだった。
あきらめかけたとき、援軍は思わぬところからやってきた。
「おじいさん、いいんじゃありませんか」
初めて祖母が口を開いた。
「ばあさん、なにを聞いていたんだ。ネットなど有害無益だろう……」
やれやれというように祖母は頭を振った。
「私たちの花丸は、そんなに馬鹿な子じゃありませんよ」
「でもな……」
「ぜいたくをいわない花丸が、たまに欲しいものができた。それなら
俺は花丸と視線を交わす。花丸の目に希望が宿っている。
祖父は、はあっと息をはいた。
「里見君。君はネットには詳しいのかね?」
「はい、あの、人並みには」
「……それなら花丸に、基本のところを教えてやってくれ。危ないところに近づかないように」
「じっちゃ、それじゃあ……」とはずんだ声の花丸。
「ああ、スマートフォンでもなんでも、買うがいい」
「ありがとう、じっちゃ!」
そういって花丸は祖父に抱きついた。彼の顔はまんざらでもなさそうだったが、俺は見て見ぬふりをした。
「……ただし、一日一時間。料金も控え目にな。そのぶん、本のほうから、減らすから」
「わかったずら!」
俺は祖母に目をやった。目があうと彼女は優しそうに、にこりと笑った。俺は感謝の気持ちを込めて頭を下げた。
彼女の微笑みは、花丸によく似ていた。
・
ちなみに灌頂とは僧侶になるための儀式らしかった。
その週に一度、花丸と電話をして、料金プランと機種をしっかりと決めた。祖父の説得に力を貸してくれたことを、花丸にはあらためて感謝された。
そして次の土曜日、晴れてスマートフォンを買いに行くことになった。うむ、これは買い物デートに違いない。
家電量販店は郊外、沼津の中心部をはさんで内浦とは反対のほうにあるので、バスで行くことになる。花丸の家からだと沼津駅で乗り換えだ。駅前のバス停で待ちあわせた。
内浦方面からのバスが到着して花丸が下りてくる。花丸は制服ではなく私服姿だった。クリーム色の半袖シャツの裾を前結びにして、グリーンのフレアスカートとあわせている。
制服とはまた違った可愛さに、俺の胸は高鳴った。
花丸は振り返り、誰かに手を貸す。続いておりてきたのは花丸の祖母だった。
そうだ、俺たちは未成年だから携帯電話を買うには保護者の許可が必要で――祖母が一緒でなければ困る。うん、すっかり忘れていた。
「おはよう、花丸さん」
「おはようございます、遼さん」
「今日は、お世話になります」
俺の挨拶にふたりは似たような感じで頭を下げた。
薄緑色のバスに十分ほど揺られ、バイパスのバス停でおりる。家電量販店までは歩いてすぐだった。
「えーと、このへんのやつから選べばいいみたい」
俺はふたりを売り場まで案内した。大手の携帯電話会社にはおよばないが、格安スマートフォンも機種が充実してきているらしかった。
「いろいろあって、迷いますね」
花丸は並んでいるスマートフォンを嬉しそうにさわっていた。
「これは、色が素敵です。大きくて見やすいし」
花丸がひとつを手に取る。
「うん、性能もいいみたい。でも……すこし予算オーバーかな」
「そっかぁ」
花丸は残念そうに元に戻した。
そのとき、ずっと黙っていた祖母が声をかけた。
「花丸、気に入ったのを買えばいいずら」
「えっ、でも……」
「おじいさんには、どうせばれないずら」
祖母は花丸と俺に、にっこりと微笑んだ。
「まあ、そう思います。毎月の料金は、同じですし」と俺はうなずく。
「ほら、大丈夫ずら」
「……ありがとう、ばっちゃ!」
花丸は祖母に両手で抱きついた。
うーん、花丸、愛されてるな……。花丸の性格は、この祖父母と、両親あってこそ、なんだろうな。
土曜日とあってすこし待たされたが、一時間ほどあとには、花丸は無事にスマートフォンを手にしていた。
「こ、これが知識の海につながっているずら……! 未来ずら!」
目を輝かせる花丸に、俺と祖母は顔を見あわせて笑みを交わした。
それから沼津駅まで戻り、駅近く店で昼食を食べながら――祖母にありがたくごちそうになった――花丸に基本的なことを教えた。
「はっ、遼さんからメールが届いたずら!」
「ルビィちゃん、返信が速すぎずら!」
「弘法大師のご尊顔が出たずら!」
いちいち感動する花丸はたいへんに微笑ましく、可愛かった。
「危険な情報」の話は、次にあったときにさらに詳しく教えることにしよう。とりあえずいまは、なにかあったら連絡してほしい――または友達に相談すること――と話しておいた。
ほんと、買えてよかった。一時は、どうなることかと思ったけど。これで花丸と連絡が取りやすくなるな。彼女との関係も進展する、はず。
いや、それよりも……いつでもネットを使えるようになって、花丸が嬉しそうでよかった。彼女の知識欲に、インターネットの海原が解き放たれて……きっと彼女のためになるんじゃないかな。
食事を終えて駅前まで三人、一緒に歩く。
バスターミナルに止まっている始発のバスの前で、花丸はあらためて頭を下げた。
「今日はありがとうございました」
「いや、たいしたことしてないよ」
「でも、じっちゃのこととか、本当に世話になったずら」
「それは……花丸さんの助けに、なりたかったから」
そういってから少し恥ずかしくなって、俺はなんとなく視線を外した。もろもろの下心は永遠に黙っておこう。
「ん、ありがとうずら。……マル、しっかり使いこなすよう、がんばりますね」
花丸はそういってスマートフォンを握りしめた。
バスの車内アナウンスが聞こえてきた。そろそろ出発らしい。
「それじゃ、また連絡します」
「うん、メールでもなんでも」
花丸と祖母がバスに乗ると、すぐにバスは発車した。
それを見送って俺は自宅に向けて歩き出した。いったん帰ってからバイトだ。今日のバイトは、いつもより前向きに取り組めそうな気がした。
お寺と祖父の名前は独自設定になります。