Fate/GrandOrder ~憎悪と慈愛と復讐の救済を~   作:三枝 月季

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 前話、後書きにて近日中に後悔すると言っておきながらこの体たらく、本当に申し訳なく思います。


天地昏冥

 外界から隔絶された世界の中で、剣を振るう腕は重たかった。

 

「――ッ!!」

 

 斬りかかった太刀へと返って来る、拒絶の衝撃の重量に神経がやられる。数を重ねるたびに蓄積される、両腕の麻痺の感覚に精神が荒んだ。

 

「……毒婦が」

 

 唾棄するように呟いて、セイバーは防備を解く。この語に及んで守りの姿勢など一体、何になるだろう。毒が回ったせいか、敵の宝具の影響かは分からないが、魔力が上手く生成できなくなった今、使える力は全て押しの一手へと編纂させる。

 

「卑王鉄槌、極光は反転する。光を呑め」

 

 腰を低く。呼吸を整え、剣を握り直す。

 

約束された――(エクスカリバー)

 

 風の刃が肌を裂くのも厭わずに、セイバーは駆け抜けた。

 

勝利の剣(モルガァァアァン)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 その驚嘆は言われた事の意味を図りかねたからであり、同時に心の奥底で引っかかっていたものの正体と相対した衝撃に起因していた。

 

(二人が似ている?)

 

 そう言われてみれば確かに、彼女達は宝石のような瞳と髪、すらりとした手足に凹凸のハッキリとした身体のラインに至るまで、よく似た“美”を纏っていた。同じ、女である事に引け目を感じるほどに整ったそれらは、恐ろしい戦場においても鮮烈な印象を残している。

 

(いや、違う)

 

 正しくは、恐ろしく美しい(・・・・・・・)から記憶に残っている。と言ったほうが良い。

 

 尤も、メドューサは美しさゆえに女神の不況を買い、怪物に変えられたという伝承を持つ女怪なのだから、そういった感慨を覚えても可笑しくはないだろう。問題は同じ感想をアヴェンジャーにも抱いてしまったその理由にある。

 

(なぜ?)

 

 マシュの頭の中を数多の情報が駆け巡る。今までは一つ一つの点に過ぎないものだったそれらを結ぶ線は――

 

『これはなんらおかしな話でもない。至極、当然とも言える理だよ』

 

 天啓の様に脳裏を掠めた言葉と、視線の先で嵐にはためく黄金。

 

(ああ、そうか)

 

「……血です。つまり、ダ・ヴィンチ女史は彼女達が血縁関係にある。と仰るのですね」

「ご明察。およそ真っ当な血縁とは呼べないにしても、彼女達は正しく、血で血を洗う戦いを繰り広げたわけだ。いやはや、血は争えないというのに、殺し合いの舞台で引き合わされるとは何たる因果か」

 

 確信的な響きのある声に返された。婉曲的で抒情的な言い回しは、確かに稀代の芸術家らしかった。

 

「それじゃ、アヴェンジャーさんの正体って――」

「今、君の頭の中に浮かんだ人物で、まず間違いないだろう。問題は、どのようにして彼女にもう一つの宝具を使わせるかだ」

「もう一つの宝具、ですか?」

「ああ、マスターが何を思ってキャスターの側に残ったのかは分からないが、ライダー戦の時の様に、彼が今回も間に合うという保証はないからね」

 

 つまりは、現状の戦力だけで騎士王を討ち果たさなければならない状況に、既になっている可能性が高いという事なのだろう。無論、そうであったとして今更、覚悟が出来ていないなどと喚くつもりは毛頭ない。ただ――

 

「ダ・ヴィンチ女史。そのもう一つの宝具でセイバーを斃せるという保証はあるのですか?」

 

 依然として戦いを恐れている事実は否定しようがなかった。だから、嘘でも構わないからマシュは皆を護れるのだと、激励されたかったのだ。

 

「……うん、まぁ、それはどれを使うかにもよるだろうが、兎に角、私の予想が正しいなら彼女のもう一つの宝具は――」

 

 しかし、そこから先は誰にも聞き入れられる事はなく、甲高い悲鳴と共に黒い極光が辺りを蹂躙した。

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 その異変に誰よりも早く気付いたのはアヴェンジャーだった。

 

「いけない!!」

 

 思わずと上ずった悲鳴が漏れるも、一足遅く。

 

(喰い破られる!!)

 

 魔力の渦の中から生じた膨大な別の魔力は、一瞬の拮抗を見せたのち、竜巻を切り裂き迸る。その剣筋の先に居たのはアヴェンジャーではなく、盾を携えた少女。

 

「マシュ!!」

 

 と、その名を叫んだのは――

 

我が子(マスター)!!」

 

 群青の魔術師の腕から戦場へと降り立った漆黒の少女。刹那、その右手の甲が淡く発光した。

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 アヴェンジャーの腕がセツナを捉えるのと、マシュの盾が間に合ったのはほぼ同時、まさに紙一重の奇跡だった。

 

「宝具展開しますッ!!」

 

 次の瞬間、黒い極光の重みを一身に受け止めながら、マシュは苦悶の悲鳴をあげる。その奮闘をアヴェンジャーの腕の中から見守りながら、カルデアのマスター、イモリ・セツナは勝利を確信して疑わなかった。但しそれは、他者の働きを信じたからではなく、純粋に己の鑑識眼と判断力(経験則)に自負があったからである。生き死にの介在する場において、虫の知らせ(宿業の導き)は憎い程に心強い。死の淵に立たされれば立たされるほどに介入される呪いは、セツナの意志に反して、彼女を生かしているのだから。

 

(呪詛返しとは、確かに言い得て妙だ)

 

 冷めた表情で展望を睨んで、少女は豪胆にも感慨に耽る。そうしていないと決定打を前に意識が保てない気がしたから。

 

「――――フ、護る力の勝利か。なるほど。穢れなきあの者らしい」

 

 永遠のようにすら感じられた攻防は、盾の乙女へと軍配が上がる。懐かしむように、ともすれば誇らしげに目を細めたセイバーは、潔く敗北を認めたのか、はたまた抵抗するだけの余力を有していなかったのかは知れないが、キャスターの宝具を避けなかった。

 

灼き尽くす炎の檻(ウィッカーマンッ)!!」

 

 咆哮と共にセツナの身体が砕ける。アヴェンジャーの支えがなければ、そのまま膝を折って地に伏していただろう。

 

令呪(アレ)だけでは足らないか)

 

 と心の中で毒づきながらも、黒騎士の火葬に確実を求めるのなら、これぐらいの代償は払って然るべきなのだろうと腹の虫の騒ぎを抑えつける。

 

 そうして、死に逝く彼女を、その場にいる誰一人として瞬き一つせずに見送ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

「――っと、どうやら、オレもここまでみてぇだな」

「……逝くのね」

「おう、次があるんなら、そん時はランサーとして喚んでくれ!!」

 

 焔にまかれて消えたセイバーと同じように、存在を希薄にしながらキャスターは快活に笑う。結局、最期まで相容れない男ではあったが、互いにそれを承知している距離感は悪くはなかった。

 

「……折角の打診だけど、約束はできないわ」

 

 薄い痣の浮かぶ手の甲を擦る。セイバーを斃せと言う厳命は、死ね。と言い放つ事と何が違うだろう?尤も、全ては今更で避けられようのない話ではあったのだが、(英雄)を使い潰すのは一度でたくさんだ。

 

「……ハッ、そう言うだろうとは思ったぜ。ま、イイ女と縁がないのは昔からだ。納得はいかねえがしょうがねえ。お嬢ちゃんたち、あとは任せたぜ!!」

 

 私からの拒絶の意図を汲んだのか、キャスターは一方的に捲し立てて消え去った。マシュは少しだけ涙ぐんで、アヴェンジャーは少しだけ頭を垂れ、所長は少しだけ毒気を抜かれたような表情でキャスターの退去を偲んだようだった。

 

「……セイバー、キャスター、共に消滅を確認しました。わたしたちの勝利、なのでしょうか?」

「ああ、よくやってくれたマシュ、セツナ。そしてアヴェンジャー、貴女の協力に最大限の感謝と敬意を」

「……面をお上げなさい。母は当然のことをしたまでです。過分な評価は受け取れません」

 

 相変わらず、私を懐に収めたままのアヴェンジャーは、彼女にしては厳かな声音でドクターの礼へと答える。その、私を抱く腕が微かに震えている事に、私以外に気付いた者はいないようだった。キャスターの分の負担が減った事で、幾らか調子は楽にはなったのだが、彼女の為に、もう少しこのままでいてあげた方がいいのかもしれない。

 

「……ともかく、よくやったわ。不明な点は多いですが、ここでミッションは終了とします。まずあの水晶体を回収しましょう。セイバーが異常をきたしていた理由、冬木の街が特異点になっていた原因は、どう見てもアレのようだし」

「はい、至急回収――な!?」

 

 瞬間、切り換えと立ち直りの早い所長の命に勢いよく応じたマシュは、何処からともなく聞こえてきた拍手に驚愕の表情で固まった。

 

「いや、まさか君たちがここまでやるとはね。計画の想定外にして、私の寛容さの許容外だ。48人目のマスター適性者。まったく見込みのない子供だからと、善意で見逃してあげたのに、人間というものはどうしてこう、定められた運命からズレたがるんだい?」

「……傲慢ですね。でも貴方のそういう愚かさは嫌いではありませんよ。レフ教授」

 

 あからさまに侮蔑的な態度に私は意識的に眉を顰める。高台からこちらを見下ろす深緑色の特徴的な衣服の男(レフ・ライノール)は、思えば最初からいけ好かない奴だった。具体的には鏡を見ているようで反吐が出る。歪んだ正義ほどに救いようのないものもないのだから。

 

「レフ教授だって!?彼がそこにいるのか!?」

「レフ!!ああ、レフ、レフ、良かった。生きていたのね!!」

 

 途端、驚嘆と歓喜の声が上がる。彼のものには疑心が、彼女のものには安心が滲んでいた。そんな両極端な反応を前に、マシュとアヴェンジャーは状況をどのように受け止めるべきか逡巡している様子だった。

 

「やあオルガ。君も大変だったようだね」

「ええ、そうなのよ。レフ!!予想外の事ばかりで頭がどうにかなりそうだった!!でも、あなたがいれば何とかなるわよね!?」

「もちろんだとも。本当に予想外のことばかりで頭にくる。ロマニ、君にはすぐに管制室に来てほしいと言ったのに――」

 

 私達の戸惑いなどお構いなしに、所長は喜色満面といった風に声高に捲し立て、レフはその歓迎をあくまで柔和な表情で受け止めながら、不穏な響きで言葉を並べた。

 

「君もだよ、オルガ。爆弾は君の足下に設置したのに、まさか生きているなんて」

「え?」

「いや、生きている。というのは違うな。君はもう死んでいる。肉体はとっくにね」

 

 告げられた言葉の意味を頭で理解しきる前に、本能的な部分が現実を悟ったようで、所長の表情は先のものとは打って変わり、不自然に痙攣する。

 

「ほら。君は生前、レイシフトの適性がなかっただろう?肉体があったままでは転移はできない。ああ、分かりやすく言おう。君は死んだ事ではじめて、あれほど切望した適性を手に入れたのだよ」

 

 自分以外の人間には脳みそがない。とでも思っているのだろう口ぶりで、仔細を説明し、おめでとう。と卑しく目を細めたレフに、所長の喉がヒュッと鳴る。その様を最高の見世物のように愉しみながら、レフは口元を醜く歪めた。

 

「だが、残念なことにね。カルデアに戻った時点で、君のその意識は消滅する」

「……消え、る?」

「そうだとも。だがそれではあまりにも哀れだ。生涯をカルデアに捧げた君のために、せめて、今のカルデアがどうなっているか。見せてあげよう」

 

 発言と同時、気障ったらしく指を鳴らしたレフの背後の世界が歪曲した。

 

「さあ、よく見たまえアニムスフィアの末裔。これが、おまえたちの愚行の末路だ」

 

 ショーの開幕を謳うように両手を広げたレフの頭上に、真っ赤に染まったカルデアスが映し出される。自分達の住む惑星を模したそれが、赤色に燃えている光景にはやはり、原初的な恐れを抱かずにはおれない。そして、それはこの場に居る全員が共有した感情だったのだろう。アヴェンジャーの腕には力がこもり、視界の端ではマシュが盾を構え直したようだった。

 

「――何、よ。これ、ふざけないで!!わたしの責任じゃない、わたしは失敗なんてしてない、わたしは死んでなんかいない!!アンタ、どこの誰なのよ!?私のカルデアスに何をしたのよッ!?」

 

 ガチガチと歯を鳴らしながら、半狂乱で絶叫する所長の姿は、まさに悲劇のヒロインといった感じで、場の空気をそれらしく高めている。

 

「ふむ、では改めて自己紹介をしようか。私はレフ・ライノール・フラウロス。貴様たち人類を処理するために遣わされた、2015年担当者だ」

 

 自らを滅亡を告げる使者である。と高らかに宣言した男は、静まり返る観衆を前に弁舌を振るった。

 

「聞いているな、ドクター・ロマニ?共に魔道を研究した学友として、君には忠告をしてやろう。未来は消失したのではない。焼却されたのだ。カルデアスの磁場でカルデアは守られているだろうが、外はこの冬木と同じ末路を迎えているだろう」

「……そうでしたか。外部と連絡がとれないのは通信の故障ではなく、そもそも受け取る相手が消え去っていたからなのですね」

 

 すると、存外冷静なドクターの反応が返る。レフはそれをつまらなそうに一瞥して鼻を鳴らし、小賢しい男を排せなかったことを悔やむ呪詛を吐いてから、演説を再開した。

 

「……ああ、そうとも。おまえたちは進化の行き止まりで衰退するのでも、異種族との交戦の末に滅びるのでもない。自らの無意味さに!!自らの無能さ故に!!我らが王の寵愛を失ったが故に!!何の価値もない紙クズのように!!跡形もなく燃え尽きるのだ!!」

 

 語れば語る程に哄笑へと近づいていく言の葉に、共鳴するように空間が振動する。

 

「おっと、この特異点もそろそろ限界か。セイバーめ、聖杯を与えられながらこの時代を維持しようなどと、余計な手間を取らせてくれた」

 

 苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てて、レフは私達を睥睨した。お気に入りの玩具を目の前にした幼子のように、その瞳が弧を描く。

 

「……では、オルガ。最後に君の望みを叶えてあげよう。さぁ、宝物とやらに触れるといい」

 

 発言と同時、所長の身体が見えない力に引かれ浮かび上がる。その異常さに、誰ともなしに悲鳴が溢れた。

 

「ちょ――――、なにを言っているの!?いや!!やめて!!だってカルデアスよ!?」

「ああ。ブラックホールと何も変わらない。それとも太陽かな。まあ、どちらにせよ。人間が触れれば分子レベルで分解される地獄の具現だ。遠慮なく、生きたまま無限の死を味わいたまえ」

「ひっ――、いや、いや!!助けて、誰か助けて!!どうして!?どうしてこんなコトばっかりなの!?」

 

 信頼していた男からの無常なまでの宣告に、女の金切り声がこだまする。

 

「しょ――」

「あの男に近づいてはなりません!!」

「けどッ!!」

 

 思わずと、アヴェンジャーを振り払って駆け出した私は、手首を引いた彼女の制止の力強さに噛みつくように声を返す。折角、痛い思いをしてまで救った命を目の前で散らされるのには我慢がならない。例え、その行為や思いが仮初に過ぎないものであるとしても、辿る結果に変わりがなかったとしても。

 

「やだ、やめて、いやいやいやいやいやいやいや!!だってまだ何もしていない!!まだ、誰にも褒めてさえもらえなかったのに――!!」

「では、さらばだ。ロマニ、マシュ、そして48人目の適性者」

 

 所長の絶叫が断末魔へと移行し始める。悠然と男が笑い、そして――

 

「覚醒なさいっ!!不眠番竜(※※※※)!!」

 

 アヴェンジャーが冷然と唸る。覚悟と苦悩の滲む声音だった。詳細は不明だったが、確かにはっきりとしているのは、今の彼女の言葉には魔力が込められていた。

 

「な、貴様っ――」

 

 途端、空中で身をよじっていた所長は雷にでも打たれたかの様に硬直し、レフの見えない力を弾く。達観の色をのせた瞳と感情の抜け落ちたようなその表情からは、先程までの焦燥はうかがえない。支えを失った事で緩やかに落下していく――

 

「マシュっ!!所長をお願い!!」

「はいっ!!」

 

 目に見えて狼狽えたレフの姿に、かえって私は冷静に状況を直視する事が出来た。しかし、そんな私と反比例するかのように、傍らの淑女の震えは大きくなっていく。

 

「……くも、よくも!!母の目の前で我が子(・・・)を手にかけようとしてくれたなっ!!地獄の具現は何も貴様だけに許された特権ではない事を、その命を持って知るがいいっ!!」

 

 ガツンッ!!とヒールを折りそうな勢いで踵を鳴らして、アヴェンジャーが牙を剥く。

 

「吠えたてよ!!己が護りの誉れの全てっ!!」

 

 詠唱に呼応するかのように、アヴェンジャーを起点として淡く暗い紫の光が蛇の様に地を奔る。

 

「なっ――」

 

 やおら、浮かびあがった巨大な魔法陣にレフが目を剥き

 

怪妊母胎(パイデス)――」

 

 ここに、彼女の真の力が開帳される。

 

獄門番犬(ケルベロス)!!」

 

 瞬間、地面に浮かんだ紋が陥没し、あるはずのない大穴が開く、奈落と形容して差し支えないだろうその深淵からは、怖気の走る冷気と共に三首の獣が這い出した。地球上に生息している陸上動物など比ではないその巨躯は、銀に光る闇色の毛皮に覆われ、六つの眼はそれぞれが異なる色彩に輝いていた。

 

「――お喚びですか、母上」

 

 この世ならざる端厳な魔物が(あぎと)を開く、低く深みのある声がアヴェンジャーへと投げかけられ、発言と共に地には紫の毒花が咲き乱れた。

 

 そんな、美麗ながらも恐怖心を煽る幻想的な光景に、言葉を失う私達の前で、神代の母子(おやこ)は再会の喜びも一塩に物騒な言の葉を交わし合う。

 

「久しいわね、我が愛息。お前を喚び出したのは他でもない、我らが怨敵足り得る男を手ずから粛清せんため!!」

「……怨敵、ですか」

 

 ふと、憤りに身を焦がすアヴェンジャー越しに、獣の六色の眼が私達を射すくめた。途端、身体の奥底が泡立つ、アレがここまでの反応を示すのは珍しい。と思考しながら私は自分の口角がつり上がるのを止められなかった。

 

「……なるほど、事情は分かりました。一族の者を殺戮せんとする輩には、我が誇りにかけて地獄を見せましょう」

 

 数瞬の沈黙の後に、獣は全てを見透かすような瞳を私から逸らした。色とりどりのそれは崖の上の男へと移される。

 

「――フ、ハハハハハ!!ここにきて、過去、現在、未来を象徴する三首と相対するとはな」

「……申し訳ありませんが、貴方個人の述懐には何の興味もありません」

 

 鞭の様にしなる尾の一閃が、文字通りに鎌首をもたげてレフへと迫る。尾であると同時に頭でもあるそれは、鋭い息を吐きながら裂くように大口を開いた。

 

「お覚悟を、愚かなる反逆者。我が偉大なる母神の命により、貴君を我が主神の民とする」

 

 蛇、否。竜と形容したほうが正しかろうそれが、レフもろともに岸壁を抉る。本体は静かに座したままに、牙も爪も使わずに理不尽なまでにあっさりと地形が変えられた。しかし――

 

「……面妖な」

「おや?ハデスの犬に面妖と言われる日が来ようとは、予想だにしていなかったよ」

 

 レフは傷一つ負うことなく、涼しい顔で空中に浮かんでいた。しかも、その姿はよく見れば霞みがかっている。

 

「――そうか!!聖杯だ、聖杯を狙って!!」

「素晴らしい助言です。母上!!」

 

 私の叫びに獣が右の首をこちらへと向ける。暖色の瞳が私を讃えるように細められ、同時に息子に呼ばれたアヴェンジャーがすぐ脇を駆け抜ける。それからは母子だからこその阿吽の呼吸だった。しなる尾の先端を足場に勢いよくアヴェンジャーが飛ぶ。弾丸のようなスピードで瞬く間にレフへと肉薄した。

 

「――ッ!!」

 

 一瞬で眼前に迫ったアヴェンジャーの気迫に押されるようにレフが息を呑み。

 

「逃がさぬッ!!」

 

 鋭い怒号と共に伸ばされたアヴェンジャーの腕を紫電が走った。それはレフの手中に光る結晶を飲み込んだ後、獣の尾に喰われて消える。

 

「チッ」

 

 不快感も露わに舌打ちを一つ、レフはアヴェンジャーをねめつけ、アヴェンジャーの爪先はレフを切り裂いた。

 

「やったか!?」

「いえ、仕留めきれてはいないでしょう」

 

 ドクターの問いかけに獣が三首を振る。六色の瞳は霧散した男の行方を掴むように、拳を握り続ける母親へと注がれていた。しかし、今の状況はそう悠長にしていられる場面ではない。

 

「急いで撤退しましょう。空間が安定していないわ!!」

「ええ、全員、私の傍に!!」

 

 地鳴りの激しさに大声を上げた私を獣の尾が絡めとる。すぐさま、失敬。と謝罪の声がかかったがとんでもない。彼の機転が利かねば、私は今頃、落石の下敷きになっていたところである。

 

「先輩!!」

我が子(マスター)!!」

 

 血相を変えたマシュとアヴェンジャーが即座に私の元に急行するくらいには間一髪だったのだ。

 

「ああ、良かった。ケルベロス。お前も無事ですね」

「無論です」

「マシュ、所長の様子は?」

「気を失ってはいますが、大丈夫かと!!」

 

 それから獣の巨躯のもとで私達は速やかに互いの安否を確認し合った。

 

「そう、良かった。ドクター!!至急レイシフトを実行してください!!」

「分かってる、もう実行しているとも!!でもゴメン、そっちの崩壊の方が早いかもだ!!」

 

 その言葉通り、モニター越しの彼は私達ではなく手元を注視しながら、忙しなく手を動かしていた。

 

「とにかく、意識だけは強く持ってくれ!!意味消失さえしなければサルベージは――」

 

 瞬間、途切れた音声と同時、地の底から突き上げるような轟音がした。凍った湖面に亀裂が入るように地面が割れ、私達は絶望感と共に暗闇へと投げ出された。

 

 ――墜ちる。

 

 反転する世界で、踏みしめるものを失くした身体が傾ぎ、血液さえも行き場を失くした。

 

「ッ!!母上達だけでもッ!!」

「何をッ!!」

 

 刹那、銀に輝く黒い鼻先が焦燥の声音で私達を掬い上げ、崩れゆく不安定な足場を跳躍する。次第に小さくなる地をギリギリまで踏みしめて、三度目の着地で遂にその後ろ脚が滑落した。

 

「クッ!!」

 

 牙を剥き唸った彼は前足で岩にしがみつきながら、渾身の力をもって私達を上空へと放る。獣の執念の籠った膂力は凄まじい高度にまで私達を押し上げ、それと引き換えの様に彼のしがみつく岩は砕けた。咆哮を長く轟かせて獣は瓦礫と共に奈落へと呑み込まれる。

 

「ケルベロスッ!!」

 

 凄惨な光景に呼び声は叫び。しかして彼女は両翼が折れるのも厭わずに、石の雨から私を庇った為に、息子を見殺しにせざるを得なかった。だからだろう。その研ぎ澄まされた刀のような鋭い残響は、私の鼓膜に深く刺さって抜ける事はなかった。

 

「先輩ッ!!」

 

 すると、感傷に苛まれる私を叱咤するように上がる声があった。回る視界の先で彼女もまた盾を用い懸命に所長を護っている。それでいてその表情には今にも泣き出しそうな儚さがあった。

 

「……マシュ」

 

 天の欠片すらもが降り注ぎ始めた中で、血に汚れた金色の隙間を縫って、彼女の透き通った紫水晶が煌めいたのを最後に、私の意識は断絶した。

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 覚悟をしていないわけではなかった。だからと言って怖くないわけではなかったけれど、自分の生死については元よりゴールが明確だったのもあって、割と達観できていたのだ。ただ、それが、誰かの命を負う事と繋がると途端に頑なになってしまう。守れないという事がどれだけ恐ろしい事なのか。もう、分かってしまっていたから――

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 眠りと言うのは本来、心地のよいものであり、目覚めと言うのは元来、不快を伴うものであるはずなのだが、今のマシュは己の覚醒に震えるほどの歓喜と恐怖を覚えていた。

 

「ご無事ですかっ!?皆さん」

 

 靴底がコツンと懐かしい感触と音とを身体に運ぶ、異変が起こる前までは当たり前に享受できていたそれが、この瞬間には得難い奇跡の様に感じられ、マシュは思わずと声を上げていた。

 

「貴女こそ」

 

 と答える声は、優しく傍らに寄り添っている。態度こそ確かに落ち着いてはいるものの、彼女の瞳もまだ多分に興奮の色を残していた。

 

「わたしは、盾。ですから」

「……ええ、そうね。貴女とてサーヴァントなのは同じでした。非礼は詫びましょう」

「…………その、実はわたしたち(・・・・・)もアヴェンジャーさんにお詫びしなければならない事があります」

 

 互いの無事と腕の中に眠る人命を認識しながら、健闘を讃え合う。そんな、二人の空気に突如として第三者の靴音が割り込んだ。

 

「やあ、お初にお目にかかる。怪物王妃(・・・・)。私はカルデアに召喚されたキャスター。真名をレオナルド・ダ・ヴィンチ。気軽にダ・ヴィンチちゃんとでも呼んでくれるとありがたい」

 

 やおら、飄々とした声音と共に軽やかに姿を現したのは、芸術的な美しさに溢れた美女だった。自身もまたそれをよく理解しているのか、どことなく勝気な自信が透けて見える。

 

「……なるほど、既に母の真名は看破されている様子。となれば、黙っているわけにはまいりませんね」

 

 史実では男性であるはずのダ・ヴィンチは、今や自身の最高傑作と言えよう美女の姿形でアヴェンジャーを見据えていた。その齟齬にアヴェンジャーも気付いていたのかは知れないが、警戒心も露わに身を固めていた自身を宥めるように目を閉じると、深い息を吐いてから唇を震わせた。

 

「初めまして。天才画家。我がクラスはアヴェンジャー。真名をエキドナと申します。そして――」

「私は、ケルベロス。アヴェンジャーの宝具(エキドナが息子)として、ここに参上いたしました」

 

 そう言って、エキドナの嫋やかな言葉を継ぎ頭を垂れたのは、一人の美丈夫だった。人型への変化はあれど、銀の光沢を持つ黒髪と左右で異なる虹彩を有した瞳の異様さに、魔性が色濃く表れていた。また、よく見ればその手には淡く輝く結晶体が握られている。どうやら、それが彼の命綱となったようだった。

 

「うんうん、君達親子については、いろいろと疑問は尽きないが。まずは無事の帰還、何よりだ。そして歓迎しよう。ようこそ、人理継続保障機関フィニス・カルデアへ」

 

 すると、モナリザの満足そうな微笑みを起爆剤としたかのように、辺りには少数精鋭による数多の歓声が溢れたのであった。

 




 アヴェンジャーの真名判明と新キャラの登場と所長?の生存が確定されました。ただ、詳しい情報については次?の更新までお待ちくださいませ。(陳謝)

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