まさか、自分の疑問の一文があそこまで皆さんを過剰反応させるとは……
今回はちょっとした日常回です。
薄ぼんやりとした視界の先には見慣れない白い天井があった。
いつも自分が使用しているベッドと比べ、固めのそれに横たわっている事に眉を顰めそうになるが、そもそも自分がどうしてそのベッドに寝ているのかを思い出せないことに、セシリア・オルコットは首をかしげた。
「……目が覚めたか?」
「っ!――――織斑先生?」
上半身を起こし、記憶を探ろうとした彼女の隣から、担任教師の言葉が掛かる。
そのいきなりの登場に、身構えてしまうセシリアであったが、スーツ姿でありながら授業中のようなピリピリとした雰囲気がない彼女に、自然と硬った筋肉が解れた。
「織斑先生、私は――――」
「色々と尋ねたいことはあるだろうが、少し待て。保健医を呼び、軽い検査を終えてからだ」
そう言ってからの千冬の対応は早かった。
セシリアが寝ていたベッドから少々離れた位置にいた保健教諭に、彼女の診断をしてもらい、特に異常がないことを確認させる。
そして、それらのことを全て終えて、保健教諭からの安静にしていなさいというお言葉を頂戴してから、千冬はベッドの隣に丸椅子を持ってきて、そこに腰を下ろした。
「さて、尋ねたいことは多々あるだろうが、まずは確認しておこう。何故この保健室で寝ているのかを覚えているか、オルコット?」
「確か……いえ、少し記憶が曖昧ですわ。私の格好からしてISに乗っていたのは確かなのでしょうけど」
セシリアの格好は三日月と試合をしていたときと同じで、ISスーツのままであった。
その格好で眠るのは寒そうだなと、他人ごとみたいに思いながらも千冬は説明を始める。
「オルコット、回りくどいことを言っても混乱するだけだと思う。だから、事実だけを言うが、お前は昨日の試合で三日月・オーガスに敗れ、気絶した」
「……はい?――――――っ!」
その言葉を理解すると同時に、蓋をされていた記憶が溢れ出した。
破壊されるビットの音。
空気を叩くスラスター音。
上空を飛んでいた時に感じた風。
そして、一瞬だけ向けられた明確な敵意。
それらが全て、明確に、正確に思い出される。
あの一瞬の間に覗き込んだ彼の瞳を思い出す。只々透明で、何処までも澄んでいて、それでいて何も感じさせない瞳。
だからこそ、明確な敵意が直接叩き込まれたような錯覚をさせる。
「――――」
呼吸が乱れそうになる。思い出しただけだというのに、その事柄が怖い。
武器を向けられることも、自身に攻撃されることも怖くない。
怖いのは、あんな瞳を同じ人間がしていることだ。無感情に戦闘をするのは機械と同じだ。それを同年代の子供がしているのが、今になって怖くなる。
暑くはなく、寧ろ嫌な寒気を感じるというのに、汗がセシリアの体から吹き出てくる。
このまま頭から布団に包まり、思う存分震えることができればどれだけ楽だろうと思うが、それができないほどに身体が言うことをきかない。
身体が端の方から凍っていくように感じている中、ソレは唐突に肩に置かれた。
「大丈夫だ」
肩に乗ったそれは暖かく、それがじわりと広がるように伝わってくる。セシリアは肩に乗ったソレにゆっくりと視線を移していくと、そこには千冬の手が置かれていた。
「試合はもう終わった。今はゆっくりと休め」
「は、い……」
起こしていた上半身をゆっくりとベッドに寝かせてやりながら、千冬は少しだけ乱れたセシリアの髪を手漉きではあるが、軽く整えてやる。
その仕草に安堵したのか、身体を完全に脱力させたセシリアはスイッチが切れるように再び眠りについた。
彼女の眠るベッドの仕切りとなっているカーテンをくぐり、この場を後にしようとした千冬はチラリと彼女の寝顔を確認すると一言だけ呟いた。
「……無理もない」
その呟きは部屋に響くこともなく、静謐な白い壁に染み込むようにして消えた。
難しい顔をして、目の前のタブレットの画面を人差し指でなぞって行く。
世界中に存在する文字の中でも日本語というのは、殊更難しいというのを聞いた三日月は、その中でも一番の基本である平仮名を習っていた。片仮名の方が覚えやすいという部分はあるが、現代日本に住む場合は平仮名の方が多用されると真耶が判断したが故であった。
「……そう言えば、これってなんて読むの?」
「えっと、三日月くんが今書いているのは、『さいばい』ですね」
「……サイバイって何?」
タブレットの画面に映し出された四文字を、三日月はとにかく書けるようになる事で精一杯だったのか、読み方や意味が分かっていなかった。
「簡単に言えば、植物に水や栄養をあげることで育てることです。そうですね……三日月くんは何か好きな食べ物はありますか?」
「おばちゃんがよく作ってくれるのは、お米を使ったご飯だけど……」
食生活が改善された三日月たちであったが、未だに食事を楽しむほどの心の余裕はないようであった。その事に気落ちしそうになるが、真耶は笑顔を絶やさずに口を開く。
「お米という種を土にまき、水を与えて、稲が育ち、その稲にお米が実る。そうした植物を育てることを栽培といいます」
その教室の黒板はデジタル仕様で、様々な映像を映し出すことができる。
彼女は説明の言葉に合わせるように、稲作の映像を一定の段階に分け、映し出していく。それをどこか不思議そうに見つめる三日月はポソリと呟いた。
「……そうか……食べ物って作れるのか」
いつも食べている植物の種子を一つ取り出し、それを見つめる三日月であった。
「マヤちゃんセンセー!できました!」
「あ、私も!」
元気な声にはいと返事をしながら、真耶は双子の机に進むのであった。それから間も無くして、授業は電子音声のチャイムにより終わりを告げられる。
「三日月くん。これからホームルームがあるので、私と一緒に上の教室に来てください」
「今から?」
「今からです」
そのままバルバトスの置かれている格納庫を目指そうと席を立とうとした三日月に、真耶は声をかける。
「行こう!クラッカ!」「待ってよ!クッキー!」「二人共、走っちゃダメでしょう!」「「はーい」」などという掛け合いをBGMにしつつ、二人は本来在籍している一年一組の教室に向かうのであった。
「さて、今日は最後に決定すべき事項がある。このクラスの代表者の選出だ」
教室内で三日月と真耶が入ると、セシリアを除く全員が揃い、教壇に立つ千冬がそう切り出した。
「このクラス代表者は、主に一般の学校で言う学級委員長のような立場だ。一般の学校と違うのは主に学級対抗の試合などにクラスの代表として参加できるという部分だ」
そう言いながら、千冬はデジタル式の黒板にその特徴を書き込んでいく。
「他に言えば、教師側からすればそのクラスの生徒の基準として扱うことになる。実習の内容や重点的または反復させる学習内容も変化してくる。その事を踏まえた上で選出したい」
その説明にクラスの大半はなりたくないという表情をする。
つまりは、選ばれた生徒次第では、他のクラスと比べ出遅れる可能性があると言われれば、進んでなりたい考える生徒は希であった。
その、ある意味で“例年通り”の生徒の反応に、千冬は苦笑しそうになるのを堪え、続けるように説明を挟んだ。
「あぁ、とは言っても、これが適応されるのはほぼ二年生となってからだ」
その説明に首を傾げそうになる生徒たちであったが、補足説明は続けられる。
「ここ、IS学園に入ったとはいえ、入学した人間が全員搭乗者になるわけではない。整備士、運営側、開発分野等など、言い出せばきりがないがそういったIS関連の道に進む人間もいる。もちろん、学んだことを活かして違う道に進んだものもいる。私の知る卒業生は、整備士志望であったが今は自国に戻って自転車から飛行機までなんでも直す修理屋になっていたりするからな」
彼女の言葉に生徒たちは驚いた表情を浮かべる。
何故なら千冬が喋った卒業生の件で、嬉しそうな優しい微笑を浮かべていたのだから。
「……話がそれたな。一年生の授業のカリキュラムは基本的にISに関わる分野の基礎を満遍なく行うようになっている。そして、それらを学んだ上で二年生に上がる時に細分化された学科に別れることになる。主にクラス代表がそのクラスの基準とされるのはそれからだ」
「あの……では、今はどうやって決めればいいのでしょうか?」
恐る恐る手を挙げて尋ねてくる女生徒に対し、千冬はなんでもないことのように答える。
「今の時点では、長くISに触れられる機会が欲しい人間がなればいい。若しくは今の時点で二年に上がっても搭乗者を目指すと決めている生徒とかだな。ただ、教師側からすれば他薦よりは自薦でなってほしくはある」
最後の発言は、発言者の感性かそれとも教育者としての発言かはわからなかった。
千冬は短時間なら相談しても構わんと、言葉を残すと教室に備え付けの椅子に座る。その彼女の態度に最初は遠慮がちであったが、ざわざわと教室のあちこちから話し声が聞こえ始めた。
そんな中で、一夏は箒と相談する為に席を立とうとしていたが、椅子に座った千冬が自分に小さく手招きしていることに気づくと、向かう先を変える。
「何ですか?」
「クラス代表には関係ないが、織斑には専用機が支給されることになった」
その言葉に一夏は静かに驚いた表情を見せる。
一夏はここしばらく、夜遅くまで教科書を開いてIS関連の情報を詰め込んできた。その内容の最初の方に書かれていたISコアの絶対数の少なさを思い出し、その内の一つが自分に渡されると言われ、それがどれだけ異例なことなのかを自分がここにいることの異質さと共に理解させられる。
「でもそれは……」
「これはお前の安全確保の為の保険だ。個人がISを所持することがどれだけの力を得るのかをよく理解しろ。そうすれば、自身が立っている場所にどんな意味があるのかも再認識できる」
要するに『織斑一夏という男性のIS操縦者はそれだけの価値がある』と大人たちが認識しているということだ。
本人がどれだけ自分には不相応だと思っていようが、それが客観的な価値に繋がるとは限らない。
その男性が人間的、またはIS操縦者としての能力がどれだけ平凡でも、『ISを動かせる』という事実さえあれば、それ以上の価値など求めてはいないのだ。寧ろ、飼い殺しにできる分、そういった部分は劣っている方が都合が良いと受け取ることもできる。
「っ」
そういった部分をどれだけ察しているのかは知らないが、一夏は千冬の物言いに少しだけ悔しそうな表情を零した。深読みのしすぎかもしれないが、“ISを纏わなければ自衛もできない”と言われていると感じてしまったのだ。
(…………これは自覚があるってことなのか?)
千冬は今朝、一夏に言った。
「他人の気持ちなど、口に出してもいないのに分かってたまるか」
突き放すような言葉ではあるが、事実そのとおりである。実際、今この瞬間、家族である目の前の女性が何を考えているのかなど一夏には理解できないのだから。
だからこそ、彼女がこういうことを伝えようとしていると考えた内容は、全て自分がそう思っている証拠なのだと一夏は考えるのであった。
「センセー」
兄弟ではなく、教師と教え子としてのやり取りの間に割って入るように、その声は二人の耳朶を打つ。
「どうした、オーガス?自薦……自分から代表者になりに来たのか?」
ぐるぐると回る思考の深みに嵌りそうになった一夏がハッとして、そちらを向くとそこには三日月がいつものように野菜の種を取り出しながら立っていた。
三日月がわかり易いように言葉を選ぶ千冬。そんな彼女の他人を気遣う様子が珍しく感じると同時に、それを向けられる三日月が少しだけ羨ましいと感じる一夏であった。
「そんなのに興味はないよ。聞きたいことがあるんだけど」
手に持っていた種を口に放り込むと、種を入れた小袋の入っていない別のポケットを漁り出す。
「これだけあれば、米とか野菜の種って買える?」
ポケットから千冬に見せるように取り出したものを見せながら、三日月は尋ねた。
取り出され、三日月の手に握られているのは二カ国の紙幣であった。片方は三日月が戦争をしていた国のもので、もう片方は日本銀行券である。
財布ではなく、直接ポケットにねじ込まれていたせいか、くしゃくしゃになっているそれを見せてくる三日月に首を傾げそうになる千冬であったが、取り敢えず思ったことを口にした。
「……紙幣があれば幾つかの野菜の種は買えるだろうが、米の方はわからんな。それに買えたとして、それをどうするのだ?食べるのか?」
「さっき、真耶ちゃんから教わった……サイバイ?っていうのをやろうと思って」
その三日月の言葉に千冬は驚く。この学園に来てから、自発的に行うことといえば朝のトレーニングぐらいであった三日月が、自分からやりたい事を口にしたのだから。
「……野菜はともかく、米はここではできない」
「そうなの?」
自発的な三日月の行動に嬉しい半面、しっかりと言うべきことは言っておかなければならない。この時ほど、彼女は教師という立場が堅苦しいと感じたのは初めてであった。
「そういった事をしている園芸部という団体がある。彼女たちに話を持ちかけてみるといい。山田先生に言えば案内してくれる」
「そう。わかった」
その短い了承の言葉を残し、三日月は教室の後ろの方で生徒の相談を受けている真耶の方に向かう。その時に千冬が見えた三日月の顔が、いつもと比べ少しだけ柔らかく感じたのは、おそらく錯覚ではない。
学園が舞台のためか、何故か教師視点が一番書きやすいです。
やりたい展開、晒したい設定は多々あるのですが、焦らずじっくりやっていきます。
皆さんの期待に沿えるかどうかは断言できませんが、面白い話にできればと思います。