テキはトモダチ   作:おかぴ1129

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17. 旗艦は電 〜赤城〜

 プレートメイルを脱いだロドニーさんが夕食を乗せたお盆を盛って私のテーブルに来た時、私はちょうど4つ目のお櫃を空っぽにして5つ目のお櫃からご飯をよそい始めていた。

 

「アカギ。夕食を共にしたいが、よろしいか?」

「……どうぞ」

 

 ロドニーさんは私の返答を受け、悪びれることもなく『では失礼する』と私の向かいの席に座り、鳳翔さんのお味噌汁に口をつけた。口をつけた途端ほっと一息ついているところを見ると、お味噌汁はロドニーさんの口にも合っているようだ。

 

「……うまい」

「そうですか」

「日本に来て初めて食事をうまいと感じた……」

「……」

 

 執務室でのロドニーさんしか知らない私から見ると、表情筋を緩めておだやかな表情でお味噌汁を堪能する今のロドニーさんは違和感しかない。

 

「この、魚のグリルもうまい」

「サンマといいます」

「サンマというのか……この白い物体にソイソースをかけてサンマに乗せて食べるとさらにうまい」

「それは大根という野菜をすりおろしたものです」

「名は?」

「大根おろしといいます。そのままですが……」

「なるほど。共に食べると実にさっぱりとして食べやすい。フィッシュ・アンド・チップスとはまた違った趣だな……」

 

 海外艦のロドニーさんが器用に箸を使い、ご飯とお味噌汁とサンマを堪能している姿にも違和感しかないが……彼女が戦艦時代に戦ったビスマルクさんをはじめとした、他の国のみんなはどうなんだろう?

 

 昨日、ロドニーさんがこの鎮守府に来て、あの中将からのふざけきった命令を私達に伝えてきた。残酷な作戦内容を口に出すのをためらった提督に代わって、ロドニーさんが最終目標の集積地さんの名を電さんに告げた際、電さんは大きく取り乱し、ロドニーさんに食って掛かっていた。

 

『敵じゃないのです! 集積地さんは敵じゃなくて電の友達なのです!!』

 

 電さんは涙を流しながらロドニーさんに小さな拳を何度も叩きつけていたが……ロドニーさんはそんな電さんを止めはせず、ただひたすらに彼女の非力な拳をその身体で受け止めていた。

 

『イヤなのです! 集積地さんと戦いたくないのです!!』

『……』

『行かないのです!! 行きたくないのです!! 電は行きたくないのです!!!』

 

 そうしてしばらくの間、電さんはロドニーさんの身体を殴り続けた。電さんの息が上がり次第に殴り疲れて拳に力が入らなくなってきた頃、ロドニーさんは、電さんの右拳を左手で受け止め左手の手首を右手でつかみ、電さんを制した。

 

『……気は済んだか』

『うう……』

『気が済んだのなら、自分の本分を思い出せ』

『……ひぐっ』

『貴公は何者だ?』

『ひぐっ……駆逐艦、電です』

『ああそうだ。貴公は艦娘だ。では艦娘の本分は何だ』

『……』

『敵を倒すことだ。そして我々にとって敵とは……』

 

 不意に、ドカンという大きな音が鳴った。以前に天龍さんがドアを壊しかねない勢いでノックをし壮大な破壊音が執務室に鳴り響いたことがあったが、今の音はそれ以上だ。

 

『ちょっと。ロドニー』

 

 口を開いたのは提督だった。彼の右手が拳を握り、自身の机の上で力を込めてギリギリと握りしめていた。先ほどのドカンという音はどうも提督が机を打ち鳴らした音のようだ。

 

 提督は普段から穏やかだ。故にこんなに大きな音で周囲を威嚇したことはない。唯一怒りを顕にした先ほどですら、その言葉遣いこそ汚く激しいものだったが……声の調子はいつもの穏やかな提督のそれだったというのに。

 

『……なんだ司令官』

『俺のかわいい初期艦になにしてくれとるんよ』

『敵を友達だなどとのたまう艦娘失格の駆逐艦に、再教育をしているところだ』

『……』

『優しいのは結構だ』

『……』

『だがな。戦場でそんな世迷言を言っていては、命を失うのは本人だ』

『……』

『私は仲間の死を見たくはない。故に再教育をしている』

 

 電さんの手を握るロドニーさんの手に力がこもり、ギリギリという音がここまで聞こえてくるようだった。電さんは泣きながら必死にロドニーさんの手を振りほどこうと抵抗していたが、ロドニーさんに力で叶うはずもなく、その抵抗はまったくの無駄に終わってしまっている。ロドニーさんは、少しずつ電さんの両手を上に釣り上げている。次第に電さんはロドニーさんの拘束に対し、抵抗出来なくなっていった。

 

『うっ……クッ……』

『イナズマ、集積地棲姫は友達だと言ったな』

『は、放してほしい……の……です……!!』

『奴は深海棲艦だ。貴公の命を奪う敵だ。友達ではない。幻想は捨て去れ。さもなくば、貴公や仲間が命を落とす事となる』

『やめなさい!』

 

 もう黙っていられない。私は電さんを拘束するロドニーさんの両手に手をかけた。彼女を組み伏せ身動きが取れない状態まで追い込むために、彼女の左手に私の右手をからませた。

 

『邪魔をするなアカギ……ッ』

『これ以上電さんに危害を加えるようなら……私も容赦はしません……ッ!!』

『その甘さが戦場でイナズマを殺すということになぜ気づかんッ!? 貴公たちはイナズマの仲間ではないのかッ!!』

『仲間です! 大切な仲間です!! だから彼女の意思を尊重しているんです!!』

『その大切な仲間を緩慢に殺していることに貴公たちはなぜ気づかんのだッ!』

 

 彼女の腕の力は凄まじく、私が全力で彼女の左腕を折りにかかっているのに、それでもなお電さんを離さない。私が全霊をかけてロドニーさんの左肘関節を逆に曲げようと力を加えたその時だった。

 

『やめないかッ!!!』

 

 提督の怒号が執務室に轟いた。聞いている私たちの耳に圧力を感じるほどの、強烈な怒りが篭った声だった。私の身体から怒気と膂力を抜き取るには充分すぎるほどの衝撃……それはロドニーさんも同じだったらしく、彼女の腕から力が抜け、電さんの手を離していた。電さんの身体がグシャリと床に崩れ落ち、彼女は途端にぐすぐすと鼻音をたてて泣き崩れていた。

 

『うう……ひぐっ……集積地さん……』

 

 呆気にとられた私達には目もくれず泣きながら何度も集積地さんの名を呼ぶ電さんのそばまでやってきた提督は、その場に腰を下ろし、電さんの頭を優しくくしゃくしゃと撫でた後彼女の左肩に右手をポンと置いて、いつもの調子に戻って電さんに声をかけていた。

 

『……電、今日はもう休みなさいよ』

『ひぐっ……司令官さん……電は……ッ!!』

『……赤城』

 

 急に名を呼ばれ、なぜか全身の血液が逆流した。提督の声に対し、私の本能が警鐘を鳴らしているようだ。身体に力が入らない。私の防衛本能が、彼との接触を避けろと必死に叫び続けている。……私の全身は、提督に対し恐怖を覚えていた。

 

『……はい』

『電を部屋まで送ってちょうだい』

『……わかりました』

『頼むよ。もし電が落ち着かないようなら、一晩ついていてあげて』

『了解です』

 

 そう言う司令官の目は、いつもの死んだ魚の眼差しではなかった。

 

 それが昨日。私はその後、電さんを部屋に送り届けてそのまま泣き続ける電さんと共に一晩過ごした。電さんは最後は泣き疲れて眠ってしまっていた。そして今日はまだ姿を見ていない。

 

 そういえば、ロドニーさんはあの後も執務室に残っていた。提督と話をしていたそうだが……提督に何か言われたのだろうか。

 

「ロドニーさん」

「ん?」

 

 美味しそうにサンマを食べるその箸を止めたロドニーさんは、感情を読みづらい表情を私に向けた。昨晩から彼女の意思はどうも読みづらい。

 

「昨晩はあの後、提督とどのような話をしたんですか?」

「……大した話はしていない」

「へぇ……」

 

 お櫃のご飯を空になったお茶碗によそう。ついでにロドニーさんもおかわりがほしそうに見えたので、彼女のお茶碗を奪い去りご飯をよそった。

 

「感謝する」

「いいえ」

「……イナズマの様子はどうだった?」

「あなたのおかげで最悪です。あのあと電さんは憔悴しきってましたよ」

「……貴公たちによって戦えない艦娘にされてしまったイナズマが不憫だ。今のままでは、確実に戦場で命を落とすことになる」

 

 ロドニーさんはそう言いながら、私からお茶碗を受け取っていた。勝手なことを……そこまで追い込んだのは他ならぬ彼女自身だというのに。

 

 しかし、半分はロドニーさんが言いたいことも分かる。

 

 電さんは敵の撃沈すらためらうほど優しい。敵だった集積地さんにあそこまで献身的に接し、彼女の心を開いてしまうほどに優しい。それは電さんの美点だ。

 

 だが、それが戦場でいかに危うい行為なのかは考えなくても分かる。とどめを刺さなかった敵が、こちらに再び砲塔を向けてこないとは限らない。その時命を落とすのは、我々であり電さん本人だ。

 

 もしあの時……電さんが集積地さんを助けた時、集積地さんが電さんに死にもの狂いで攻撃を行っていたら……電さんの助け舟を『反撃の好機』と受け取ってしまっていたら……そう考えると、私にはロドニーさんの考え方も全面的に否定は出来なかった。

 

「ロドニーさん」

「ん?」

「あなたの気持ちはわかります」

「ならイナズマをなんとかしろ。あれでは明日の作戦で沈む」

 

 だが、それでも私は納得がいかない。

 

「あなた、大切な人はいますか?」

「?」

「背中を預けられる戦友……共に笑う友達……心から愛した人……そういった人は、あなたにはいますか?」

「……女王陛下の元に姉がいる」

「もし、あなたがお姉さんを撃たねばならなくなった時、あなたは平然とその砲をお姉さんに向けることが出来ますか?」

「……何が言いたい」

「もしためらいなく出来るというのなら、この話は終わりです」

 

 しばらく考えたロドニーさんは、静かにお味噌汁を口にして飲み干すと、お椀を静かにテーブルに置き、私をまっすぐに見据え、こう言った。

 

「それが女王陛下からのご命令であれば、私は姉を撃たざるを得まい」

「……」

「そして、私がためらうことで他の仲間の命が危険にさらされるのであれば、私は姉をためらいなく撃つだろう」

 

 ……なるほど。ためらいはしないものの、彼女のその敵への容赦のなさは、出発点は電さんと同じく優しさのようだ。その優しさが、電さんとは違って敵に向くことはないだけで。

 

「……ロドニーさん」

「なんだ?」

「電さんは……」

 

 私達は食事を終え、お新香をつまみながらお茶を飲んで会話をしていた。今までロドニーさんとは、まるで戦闘中のような苛烈な空気の中でしか言葉を交わしたことはなく、今のように落ち着いた状況で彼女と会話ができていることがとても不思議だ。

 

『あー……あー……全員、執務室に集まって』

 

 静かな空気を提督の放送が打ち破った。明日の作戦に関する説明が始まるのか……

 

「ロドニーさん。話の続きはまた後ほど」

「分かった。食えない男の顔を拝んでからだな」

 

 ロドニーさん流のジョークを聞き流し、私は彼女とともに食堂を出て執務室へと急いだ。……二人で並んで気付いたのだが、彼女はプレートメイルを着込んでいる時と比べると、身体が若干小さい気がする。プレートメイルがなくて威圧感が鳴りを潜めているためか……意外なほど身体が細く、小さく見えた。

 

「……ロドニーさん、意外と身体が小さいんですね」

「というより、装甲のせいで一回り大きく見えるだけだ。身体の保護のため、身体と鎧の間に空間が出来るように大きめに作ってある」

「なるほど」

「だから案外としぶとく生き残れる」

「ですが、戦闘中はキレイな身体の線が台無しですね」

「おかげで世界一醜い姉妹艦と揶揄されているがな」

「今のあなたにはあてはまらないでしょう……」

「……自分の美醜に興味はないが、礼を言っておこうか。ありがとう」

 

 ロドニーさんと他愛無い話をしながら執務室の前まで来た。ロドニーさんが扉をノックし、中にいるはずの提督に声をかける。

 

「とんとん。司令官。ロドニーとアカギだ。入室許可をいただきたい」

「はいよー。そのまま入ってー」

 

 中から聞こえてくる提督の声がいつもの調子に戻っていることに安堵していると、ロドニーさんがドアノブを握りしめたまま、眉間にシワを寄せている。

 

「……?」

「……どうしました?」

「……いや。テンリュウはこの鎮守府に在籍してるか?」

「してますが?」

「そうか……いや、いい」

 

 ロドニーさんの頭の中にも、天龍さんの『フフ……怖いか?』は響いたようだ。この扉はもうこの鎮守府の名所みたいなものだと考えておこう。

 

 ドアを開く。中にはすでに件の天龍さんだけでなく、球磨さんと鳳翔さんもいた。部屋の中央の席にはいつものように提督がいて、その横では大淀さんがいつもの席で慌ただしく資料の束を次々ホッチキスで束ねている。

 

 電さんは……まだ来てない。

 

「すまん。遅れた」

「いや大丈夫。まだみんな来たばっかりだから」

 

 ロドニーさんの謝罪に対し、提督はいつもの柔らかい口調でこう答えていた。続いて再びドアが開き……

 

「……みなさんごめんなさい。遅れてしまったのです……」

 

 驚いた……電さんがとことこと執務室に入ってきた。彼女はもう立ち直ったというのか……。

 

「電さん……」

「あ、赤城さん! 昨日はありがとうなのです!」

「もう大丈夫なんですか?」

「はいなのです。平気じゃないけど……でも、落ち込んでばかりはいられないのです」

 

 少し赤く腫れた目のまま、そう言って電さんは私に微笑んでくれた。私は、彼女を見誤っていたのかも知れない。彼女は私が思っていた以上に、タフなメンタルを持っているようだ。よかった。

 

 そして電さんがこの場に顔を見せたのはロドニーさんにとっても朗報だったようだ。彼女の顔も心持ちホッとしているようだった。昨日はあれだけ電さんを追い込んだロドニーさんだったが、それも彼女を気遣う優しさゆえの言動だったのだと、改めて実感できた。

 

 そして提督。彼は電さんの顔を見るなり、一瞬だが口角を上げていた。なにか思うところがあるのだろうか……

 

 球磨さんや鳳翔さんと話をしている電さんの元に、提督が歩み寄った。そばまで来た提督は片膝を付き、電さんの左肩に右手を置いて、いつものように柔らかい……だけどいつもと違って覇気のある声で話しかけていた。

 

「電」

「司令官さん、ご心配をおかけしてごめんなさいなのです」

「……大丈夫?」

「はいなのです」

「……よし」

 

 電さんの返事を聞いた後、立ち上がって自身の席に戻っていく提督の左手は、力強く握りしめられていた。憤りを我慢するために拳を握りしめているのとは少し違う……。

 

「それではみなさん、これを……」

 

 提督が自分の席に戻ったところで、大淀さんがホッチキスで止められた数枚の資料を私たちに配ってくれた。

 

「ん? なんだこれ……出撃命令?」

 

 天龍さんが書類の一枚目を見て訝しげな表情をする。作戦名が『敵資材集積地強襲作戦』というそのままストレートなものだから、天龍さんが訝しがるのも分かる。

 

「……おい」

「はい?」

「これ、上からのお達しか?」

「そうよ?」

 

 天龍さんは早速噛み付いていた。球磨さんは球磨さんで、ペラペラと一通り資料に目を通した後、ポイと投げ捨て不快な感情を顔に出していた。アホ毛がピクピクと波打っている。

 

「提督、球磨は降りるクマ」

「……そう言わずにさ。命令だから従ってちょうだいよ」

「却下だクマ。球磨は今まで通り出撃ボイコットするクマ」

「そういうわけにはいかんのよ」

 

 苦笑いを浮かべる提督に対しジト目を向けた球磨さんは、提督を指差して冷静にこう言い放った。

 

「提督、なら聞くクマ」

「うん」

「球磨たちに集積地と子鬼たちを殺させたいクマ?」

「……」

 

 室内の温度が若干下がった。提督の眼差しは変わらないが、眉間に少しシワが寄っているのが分かった。

 

「この質問には慎重に答えるクマよ? 球磨と提督の身の振りがそれで決まるクマ」

「“そうだよ”って言ったら?」

「提督をぶん殴った後、白旗持って集積地のとこに行くクマ」

「場所知ってるの?」

「そんなこと置いてく提督には関係ないクマ」

 

 静かにそう言い放つ球磨さんの言葉にはよどみや迷いがない。恐らく提督が『そうだよ』と言ったその瞬間に提督を殴り飛ばし、その足で深海棲艦の元に走るだろう。

 

「……そんなわけないでしょうが」

 

 眉間の皺を伸ばさないまま、提督がため息混じりにそうつぶやいた。悩みに悩み抜いて出撃命令を呑んだ提督の苦悩が感じられたが、まだ球磨さんは納得がいかないようだった。

 

「だったらなんでこの作戦をボイコットしないクマ?」

「……」

「今までの提督だったら、こんなクソたわけた命令『別に出なくていいんじゃない? 知らんけど』って無視してたクマ」

「……」

 

 この命令を拒否すれば提督は反逆罪で銃殺刑……私達は良くて解体処分になるかもしれないということを球磨さんは知らない。

 

「司令官は当事者ゆえ答え辛いだろう。私が代わりに答えてやる」

「……」

 

 事は全員に関わる。故に全てを話したほうがいいという判断なのだろう。見かねたロドニーさんが提督に代わり、球磨さんに答えていた。

 

「まだ公ではないが……現在、司令官と貴公たちには反逆罪の容疑がかけられている」

「……」

「少なくとも永田町の中将閣下はそう考えておいでだ」

「ほーん……そういうことクマ」

「今回の出撃命令はいわば、貴公たちに与えられた最後のチャンスと思っていただいていいだろう」

 

 ロドニーさんを見る球磨さんの目が険しい。怒りが爆発しそうなのを押し殺しているようだ。涼しい顔でそれを受け止めるロドニーさんに対し、球磨さんがぶつけている怒りが赤黒いモヤ状になって目に見えた。

 

「……提督」

「ん?」

「本当クマ?」

「うん。いわば俺達は、ケツに火がつけられた状態なのよ」

「……悪かったクマ」

 

 提督と私達が置かれた状況を理解出来たのか、球磨さんはそういって退いた。

 

 一方、もう一人の軽巡洋艦はまだ納得がいかないようだった。先ほどから、天龍さんの方からギリギリという小さな歯ぎしりの音が聞こえていた。天龍さんが額に青筋を立てて歯を食いしばっている。

 

「……わりぃ提督。俺ちょっくら行ってくるわ」

「どこ行くの?」

「永田町」

 

 思い立ったように天龍さんは踵を返し、部屋から出て行こうとした。左手が腰にあるサーベルに添えられている。……目を見ると据わっている。さっきまでの球磨さんとは別の方向に怒りの矛先が向いたようだ。

 

 鳳翔さんがドアの前に立ちふさがった。天龍さんが何をやろうとしているのか鳳翔さんも気付いたのだろう。天龍さんを行かせまいとドアの前に立ってまっすぐに天龍さんを見据えており、その目は矢を射るときのように鋭かった。

 

「……なんだよ」

「何をするつもりですか」

「邪魔すんじゃねぇ。いくら鳳翔さんでもぶった切んぞ」

「何をするつもりなのか言いなさい。言わなければここは通せません」

「……中将引きずり出して、ぶん殴ってここまで連れてきて土下座させる」

「……」

「あのクソ野郎……泣いて謝るまで殴って殴って殴り倒してやる」

「……」

「言ってやったぜ。早くどけよ」

「……出来ません」

「鳳翔さんよぉ……どいてくれよ……行かせろよ!!!」

 

 不意に、パシンという平手打ちの音が鳴った。天龍さんの左頬を鳳翔さんが叩いたようだ。呆然としている天龍さんの両目に、少しずつ涙がたまってきていた。

 

「そんなこと……させられるわけがないでしょう……!」

「……でもよ……」

「だからどうか……どうか、こらえなさい……ッ!」

「鳳翔さん……でもよぉ……」

「天龍さん……!」

「あいつさー……俺の二世ってさー。俺の真似してくれてるんだぜ? 俺のことカッコイイって思ってくれてるんだぜ?」

「……」

「おれが冗談半分であげた眼帯もずっとつけててさー……俺のセリフまで真似してさー……そんなやつ殺すなんてかっこ悪くて出来ねーよ……!!」

 

 天龍さんはポロポロと悔し涙を流しながら、ぽつりぽつりと心情を吐いていた。その様子があまりに痛々しいためか、鳳翔さんは天龍さんの首に手を回し、右手で天龍さんの頭を撫でながら必死に天龍さんをなだめている。

 

「天龍さん……」

「くそッ……あいつらと戦うなんて出来るわけねーだろ……そんなかっこ悪ぃ姿、あいつらに見せらんねーよッ!!」

「私だって辛いんです……あんなに美味しそうに私のお味噌汁を飲んでくれる人と、戦わなきゃいけないんですから……」

 

 鳳翔さんもまた、天龍さんの頭をなでながら気持ちを押し殺しているようだった。

 

 皆の士気が最悪のこの状況を、電さんは呆然と見ていた。ロドニーさんが電さんの横に来て、彼女の肩にポンと手をおいた。

 

「イナズマ」

「は、はいなのです」

「これは貴公が招いた結果だ。貴公が集積地棲姫の命を助けたが故、全員の士気が下がり戦うことが出来ず、余計な嫌疑をかけられた。この状況下で出撃すれば、全員の命が危うい。本来なら出撃は避けるべきだ。しかし出撃せねば貴公たちに未来はない」

「……」

「貴公の優しさは私も好きだ」

「……」

「だが現実は見据えろ。さもなくば次に命を落すのは貴公だ」

 

 辛辣な言葉を電さんに浴びせるロドニーさんだが、聞いている私も耳に痛い言葉だった。確かにこの状況は、電さんが集積地さんを助け鎮守府に連れ帰らなければ、起こり得ない状況だった。

 

 そして、それを許した私たちにも責任はある。あの時……電さんが集積地さんを助けると言い出した時、私達が全力でそれを止めていれば……電さんの甘さをキチンと諌めていれば、こんな辛い事態にはならなかっただろう。このような辛い作戦を強制されることもなく、いつものように出撃し、いつものように深海棲艦たちを追い払い、いつものように毎日を過ごしていただろう。

 

 言ってしまえば、この状況は私たちの自業自得といえる。私たちが好き勝手に過ごしてきた結果が今なのだろう。ひょっとすると、この状況は私たちに与えられた罰なのかもしれない。艦娘の本分を忘れ深海棲艦と友情を育んでしまった私たちに課せられた、贖罪なのかもしれない。

 

 だがそれでも。

 

――フフ……コワイカ?

 

 大切な相棒であり、同じ一航戦の名前を与えた子鬼さんと戦いたくない。心を通わせた子鬼さんを殺したくない。子鬼さんに仲間殺しをさせたくない。……そして、子鬼さんとの出会いのキッカケを作ってくれた電さん。その電さんの行為を、私は否定したくない。

 

「……司令官」

「ん?」

「旗艦は誰がやる?」

 

 提督にロドニーさんが言い寄っていた。全員の士気が低く、ロドニーさん以外の誰もが戦いたくない中での旗艦……きっと誰もやりたがらない……私もやりたくない。仲間殺しの命令など、誰もやりたくないに決まってる。

 

 となると、消去法で旗艦はロドニーさんとなるが……部外者で敵に対して容赦のない彼女が旗艦となれば……作戦行動中の艦隊の瓦解は、もはや必然となるだろう。

 

「……もし誰もやりたくないというのなら、私が旗艦を勤めても構わんが……」

「いや、旗艦は決まってるよ?」

「……ほぉ。誰だ?」

 

 意外なほどすんなりとそう答えた司令官は席から立ち上がり、呆然としている電さんの元まで近づくと……

 

「……電」

「は、はいなのです?」

「旗艦、頼むよ?」

 

 そう言って電さんをまっすぐに見据えた。私はその時、提督と電さんの異変に気づいた。

 

「バカなッ!! メンタルヘルスが最悪の状態のイナズマを旗艦にするのか!?」

「そうよ? それともお前さん、旗艦になりたかったの?」

「そうではない! そうではないが……」

「なら命令には従ってちょうだいね」

 

 友の殺害という最悪の作戦を前にし皆の士気が最低まで落ち込んでいるこの状況下で、提督だけが、まだその眼差しに希望の輝きを宿していた。

 

「電……お前さんが今回の作戦の……俺たちの切り札だ」

「……」

「信じてるよ?」

「信じてるって……でも、じゃあどうすればいいのです? 電わからないのです……」

「いつものように……思った通りにすればいいの」

「……」

「頼んだよ?」

 

 そして提督が胸に抱く希望が具体的に何なのかさっぱり分からないが……電さんはそれをキチンと受け止めたらしい。私たちと同じく濁りきっていたその眼差しには、いつの間にか輝きと気力が戻っていた。

 

「はいなのです」

 

 そうして次の日、最悪の作戦が幕を開けた。

 

 

 

 


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