月光が導く   作:メンシス学徒

8 / 13

お久し振りでございます。
またゆるゆると更新して参りますので、どうかお付き合い下さいませ。





07

 

 

 

 水と油。

 犬猿の仲。

 氷炭相容れず。

 不倶戴天。

 理解も融和も有り得ない、反撥が宿命付けられた関係性を表す言葉は山とある。

 しかしながらこの時代、この帝国にあって多少なりとも耳の使い方を知る者ならば、そのいずれにも先がけて、

 

 ―――コジマとエスデス。

 

 の一句を持ち出すことだろう。

 泥沼の南方戦線で初めて対面して以来、この二人が顔を合わせて和やかな雰囲気が醸し出された(ためし)がない。向かい合えばたちどころに双方巨大な火の玉と化し、視線は赤熱化した鏃の如しで、衝突に伴い飛び散る鉄粉に慄いた鳥が飛び去り猫は逃げ、その凄惨の状、真に人の肝を奪うものがある。

 

「長官があそこまで感情を剥き出しにする相手を、他に知らない」

 

 不幸にもその場に居合わせてしまい、プレッシャーに耐え切れず、重度の胃潰瘍を発症させて病院に担ぎ込まれた警備隊員がベッドの上から医師に洩らした台詞である。

 苦悶に喘ぎつつも、彼の顔にはどこか爽やかな興奮があった。

 事実、そうであったろう。コジマ・アーレルスマイヤーとは本来、その魂胆を隠すことに長けた人間だ。これは女と言ういきものの普遍的素養であろうが―――なべて皆、生まれついての役者である―――、彼女は特にその傾向が強い。腹の底の感情と表情筋の運動とを切り離す技能をよく修めており、一見しただけでその真意を悟れる者は皆無とされた。

 ところがことエスデス将軍相手となると、コジマは途端に童子に戻ってしまうらしい。

 些細な挑発にも本気になって喰いかかり、施策・信条を一々批難し、その烈しさときたら文弱の徒相手ならそれだけでもう千々に砕けんばかりであり、皮膚の薄い頬には朱が差して、軋みを上げる白い歯と歯の間から、

 

 ―――この、原始時代の英雄め。

 

 という悪罵を投げ付けるのである。コジマのエスデス観は、まったくこの一語に集約されていた。

 ……いや、これは本当に罵倒なのだろうか? 字面だけを追ってみると、貶しているのか褒めているのか一寸わからなくなる台詞である。

 この奇妙さはコジマのみに限った話ではない。対するエスデスから観たコジマ評を述べるなら、

 

 ―――蟻の機嫌を窺う獅子が。

 

 であり、

 

「グロテスクなことこの上ない。あいつだけは許容できん。いずれ必ず、私自らの手で矯正してくれよう」

 

 と、度々側近たる三人の帝具使い―――通称、「三獣士」相手に語っていた。

 こちらも讃えているのか扱き下ろしているのか、咄嗟の判断に迷う言い草であろう。

 いや、それ以前に、三獣士がこぞって違和感を覚えたのが、

 

(……矯正?)

 

 その部分である。

 

(跪かせるでも調教してやるでも、ましてや息の根を止めるでもなく、矯正とな―――?)

 

 きょうせい(・・・・・)とは即ち欠点を直すことであり、誤った何がしかを正常な状態に回帰させて正す行為に他ならない。

 嗜虐心の塊めいた(あるじ)の唇が紡ぐには、あまりに穏当な単語であった。

 しかもエスデス自身、その不自然さに毫も気付いた素振りがないのである。思わず顔を上げた部下の様子にきょとんと目を丸くして、

 

「? どうしたお前達、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」

 

 と逆に問うたことからも、それは間違いないだろう。

 

 

 

 コジマもエスデスも、双方互いに相手のことを世に蔓延る有象無象と懸絶された、ある種特別な存在として自身の裡に置いていたのは紛れもない。

 それだけにこの二人の遭遇は危険であり、控え目に言っても火薬庫に松明を投げ込む行為に等しく、北で騒乱が巻き起こり、その平定にエスデスが派遣された際には関係者一同こぞって胸を撫で下ろしたものである。ああ、これで火種が燃料から離れてくれた、と。

 

 そのエスデスが、戻った。

 

 北方異民族四十万を生き埋めにし、勇猛で鳴ったヌマ・セイカ王子を犬の如く辱めてから蹴り殺すという、赫々たる大戦果を引っ提げて、である。

 

(これは、大変なことになる)

 

 普段は壁の絵相手によりかかって管を巻く、スラム街の飲んだくれですらそう予感して、緊張に背筋を寒くした。

 

「……頭が痛い」

 

 が、彼女ら二人と敵対し、殺し殺されの無惨劇を演ぜねばならないナイトレイドにしてみれば、受けた衝撃はそんな程度では済まされない。

 ダークスーツのよく似合う隻眼隻手の首領格、ナジェンダなどは諜報員からの報告書を一読するなり呻きを上げつつ椅子の背もたれに倒れ込み、暫く起き上がることが出来なかったほどである。

 

「単にエスデスという脅威が増えただけじゃない。これでコジマにも火が着くぞ(・・・・・)

 

 かつては将軍の一人として名を連ね、次代を担う俊英として期待されたナジェンダである。彼女がコジマ、エスデス両人の性質に通暁しているのは至って道理であったろう。

 

「警察長官、か。あのいかれた少佐が、今や帝都治安維持の立役者とはな」

 

 ナイトレイドという、この革命軍お抱えの暗殺集団にとって、帝都警備隊とは地味に厄介な目の上のたんこぶであり続けた。

 ヒラ隊士にナイトレイドのメンバーを直接逮捕する能力が無いことは、就任以前より百も承知。ならばとばかりにコジマ・アーレルスマイヤーは、焦点をズラしてみせたのである。

 具体的には、ナイトレイドと民衆との分断工作を開始した。

 風説によると、コジマのデスクには黒い背表紙の「リスト」なるものがあるらしい。

 ナイトレイドに暗殺依頼を出しそうな市民の名を、その危険度ごとに分類した、極めてろくでもない目録(リスト)である。

 これに則り密偵を放つなり、あの手この手で無言の圧力を掛けるなりと、コジマは実にいやらしい手を打ってきた。

 単純だが、やられる側にしてみればたまったものではないだろう。危うく依頼人を敵方の工作員と誤認しかけた事例まである。一歩間違えれば大惨事になっていた。切歯扼腕したくなるほどの悪辣さだといっていい。

 

(我々の帝都に於ける活動が、あいつ一人のためにどれほど抑制されたことか)

 

 更に苦々しいのは、この問題の「リスト」とやらが、どうも帝都市民の密告に基いて作成されているらしいことである。

 これが意味するところは重大だった。

 

(人々は革命軍(わたしたち)による解放よりも、コジマの下での相互監視社会を望むのか)

 

 そう突きつけられたも同然だろう。危うく虚脱状態に陥りかけたというのだから、当時ナジェンダが如何に愕然としたかが窺える。

 この衝撃をそっくりそのまま共有したのが、遥か辺境の地で着々と蜂起の準備を進める革命軍本隊だった。

 

「なんたることだ」

 

 彼らにとって、帝国に英雄が生まれることほど厄介な事態はないであろう。

 民衆が救いを求めて伸ばした掌。その先にある対象はあくまで自分達に限定されるべきであり、そうでなければ革命なぞ、到底成算が見込めるものではない。にも拘らず、現実はどうか。コジマに対する信望はいよいよ高まる一方で、先だっての猟奇的連続殺人鬼―――世に言うところの「首切りザンク」―――の電撃的逮捕により、もはや磐石の重きに置かれてしまった。

 

 ―――この人ならば。

 

 という期待が、彼女を仰ぎ見る誰の目にも宿っていた。

 誰よりも、コジマ自身が一番そう思っているに違いない。

 

 ―――今しばらく私が生きていなければ、この国はどうにもならんよ。

 

 そう言ってせせら笑う狂人の横顔が脳裏をよぎり、ナジェンダはつい咥えた煙草を噛み潰した。

 

「……くそっ」

 

 甘ったるいタールの味も、蠱惑的に揺れる紫煙の姿も、今のナジェンダの心を癒すには足りなかった。

 忌々しいほどの傲岸さ。何時如何なる場合でも絶対的に自分は正しいと臆面もなく言い放ってのけるコジマの態度は自惚れと驕慢の極みであり、しかしだからこそ背骨に確たる芯を持たない浮草のような民衆の心をどうしようもなく引き寄せる。

 この点、ナイトレイドは不利であった。

 闇の住人である彼らにとって自らの正当性を堂々主張できる場などあるはずもなく、よしんば奇跡が折り重なって眼前に出現したとしても―――その、なんというべきか、ナジェンダの仲間達はこぞって人間が出来ている(・・・・・・・・)

 彼らは皆、知っているのだ。如何なる大義やお題目を唱えようとも、所詮人殺しは人殺し。其処に正義などある筈もなく、また宿ってはならないと。

 罪を罪と弁え、いつか業の炎に焼かれることを承知して、それでも行動に踏み切った彼らの覚悟は掛け値なしに素晴らしい。そう、人間性という観点から述べるのならば全く非の打ち所がないのである。

 

(だが、それゆえに)

 

 彼らは理解を求めない。

 受け容れられてはならんのだ、とまで自戒しているふし(・・)がある。目の前に現れた舞台を見ても、自ら登壇を拒絶するに違いなかった。

 実際、それに近しい事例が少し前に起きている。

 タツミという新入りを迎え入れた時のことだ。組織の概要をざっと説明すると、いまだ少年のあどけなさを色濃く残したこの新人は目を輝かせ、

 

「スゲェ―――いわゆる正義の殺し屋ってやつじゃねえか!」

 

 拳を握り、感激も露に賛美の声を上げたのである。

 これに対するナイトレイドの反応は、爆笑だった。

 一笑に付したといっていい。そのあと、

 

「―――タツミ。どんなお題目をつけようが、やってることは殺しなんだよ」

「そこに正義なんてある訳ないですよ」

「ここにいる全員……いつ報いを受けて死んでもおかしくないんだぜ」

 

 と口々に、容赦のない現実認識を叩き込みにかかった。

 

(コジマなら、ああはすまい)

 

 理屈の製造にかけては天才的な彼女なら、さだめし鷹揚に頷いて、

 

「如何にも私は正義である。役に立たない神仏に代わりて、善因善果、悪因悪果の輪を正しく廻らせてやっているのだ」

 

 と堂々主張するだろう。

 現にしている。

 あの女が世界に強いた出血の夥しさときたら、表に出ている数字だけでもナイトレイド全員分の殺害数を総合してもなお追っ着かず、真に膨大と言う他ない。

 にも拘らず、彼女が警備隊内で施している思想教育ときたらどうであろう。

 

 ―――腐敗した局部は父母の身体の一部でも切断せねばならん。

 

 と、のっけから矯激な語句で始まり、

 

 ―――外科治療のメスを(ふる)うのを見て、この医者は親の仇だと言う者が居たら馬鹿でなければ気狂いだ。

 

 以下、徹頭徹尾自分達の正当性を前面に押し出しつつ、公人として戎衣を身に纏った以上、その判断は湿っぽい情緒などではなく乾ききった理性によって下されねばならぬと説き、護民官としての誇りと心構えを強烈に植えつける内容が続く。

 その効能たるや覿面で、警備隊の内情を探るべく派遣した間諜(スパイ)が真実あちらに転向してしまうという、三文芝居さながらの事態を本当に惹き起こしたほどである。

 とどのつまり、人間が好悪を判断する基準は道義上の善悪などでは全然ないのだ。

 ただ、さわやかであるか否か。どうも鍵となるのはそれらしい。

 而して口惜しいかな、コジマにもエスデスにもそれがあった。

 退かぬ、媚びぬ、顧みぬ。傲慢という概念に手足をくっつけたような両人であるが、それもあそこまで徹底されるとなにやら薫風が吹き抜けるような爽快感を伴いだす。

 虐殺だの粛清だのと、極めて邪悪な行為に手を染め尽くしているくせに、息を呑むような華々しさを帯びるのだ。

 対照的に、自罰的なナイトレイドはどうしてもある種の暗さを拭いきれない。

 

(しかし、だからといって)

 

 今更ナジェンダにコジマの模倣をやれなどと、到底無理な相談である。

 彼女の論を受け容れられなかったからこそ、ナジェンダは将軍の地位を捨て、今、この椅子に座っているのだ。

 

 

 

「いずれ立ち塞がるとは思っていたが。まさかここまでの大禍に膨れ上がるとは、夢にも思わなかったぞ、少佐……!」

 

 見通しの甘さを悔いても遅い。

 コジマの狂熱によって練成され直した帝都警備隊はもう、やられ役と揶揄され続けた嘗ての案山子集団では断じてない。

 そんな面影は何処にもないのだ。隊員達を駆動せしめる燃料は、

 

 ―――いずれ、長官が天下をお獲りになる。

 

 という、信仰にも似たその一念。

 コジマがこの国の実質的な主となれば、当然彼女に付き従った自分たちにも相応の報酬が下されるであろう。

 働き次第によっては、立志伝中の英傑にしか為し得ぬような、神懸り的な栄達の道が拓かれるやもしれぬのだ。命を賭すには充分過ぎた。

 

「やってやろうぜ。ここでタマぁ張らずして、いつ張れって言うんでえ」

「ああ、歴史に名を刻む好機なんだ。竦んだりしていられるものか、遅れをとってたまるかよ」

 

 若気の至り、愚かなる英雄願望と呼ぶなかれ。これに興奮しないようでは、もはやそいつは男ではない。

 男として生まれたのなら人間は、例えお山の餓鬼大将にせよいっぺんは、大将として君臨したがるものなのだ。

 が、苦労は人の志を縮小させる。

 他者と交わり、世間に()でて、厳しい風浪に何度か揉まれてしまえばもう、極めて可燃性の高かった嘗ての血潮は失われている。何の面白味もない一家庭人が出来上がる。

 特に現下の帝国に吹き荒れている風ときたらどうであろう、夢見がちな青年の肝さえものの五秒で拉いでしまう前古未曾有の凶風ではないか。

 その影響を抜き、部下どもをして健康的な欲望の発露を取り戻させるため、長官就任からこっち、コジマは随分と長いあいだ骨を折らされたものである。

 

(しかし、まあ、そうするだけの価値はあった)

 

 前途に光輝溢るる栄華を見せて、そうした上で退路を塞ぐ(・・・・・・・・・・・)

 

「敢闘するも、力及ばず取り逃がした、ならばよい」

 

 敵前逃亡をやらかした敗北主義者を吊るし上げつつ、昔日のコジマは語ったそうだ。己が非力さを自覚させられ、いっそ消滅したいほどの口惜しさに苛まれている部下に対し、更なる叱責の鞭を当てるほど、自分は愚劣な女にあらず。

 

「だが、臆病風に吹かれ、果たすべき義務を忘れて遁走する、そんな恥知らずに対しては―――」

 

 こうである、と。

 コジマは時に、地獄の鬼すら蒼褪めさせる惨刑を以って報いてみせた。

 その光景が今も尚、隊員達の網膜に―――それこそ、焼き鏝を押し当てられたほどの鮮やかさで―――刻印されてしまっている。

 彼らにとっての恐怖の極致、それ即ち、コジマなのだ。であればこそ、生半可な脅威ではびくとも揺るがぬ恐るべき戦闘集団が出来上がった。

 退がれば確実に長官の手で屠られる。活路は前方にしかない。ならばいっそ、一心不乱に突入し、遮二無二突破を図った方がまだしも生き残れる率は高い。そして上手く生き残れたなら、あの上官は必ずや、リスクに見合うだけのリターンを与えてくれるに違いないのだ。

 それに最悪、死んだとしても、前のめりに斃れた者の遺族には年金が出る。平均的な生活水準の一家が、生涯食っていけるだけの金額が、だ。この予算を確保するために、コジマはなんと自腹を切った。

 ただでさえ政治活動上の必要性から実家の財を磨り潰す勢いで傾けていたところに、これである。若隠居した両親に冷や飯を喰わせてもまだおっつかず、不足分をどうにか捻出するために、先祖伝来の什器も具足も片っ端から売り払わせたというのだから物凄い。

 この蕩尽ぶりに流石の父もどうやら閉口したらしく、

 

「近頃、屋敷の風通しが随分よくなってしまいました」

 

 と、迂遠で曖昧でねちっこい、如何にもアーレルスマイヤーの人間らしい抗議の手紙を作成し、娘宛に送りつけている。むろん、コジマは黙殺した。

 

 ―――だから諸君、安心して死にたまえよ。

 

 すべてはその一言を暗黙裡に告げるため。敢えて裏を返すなら、ここまでお膳立ててやらねば人間は敢然と死に就いたりしないとコジマは見切っていたことになる。このあたり、性悪説を掲げる彼女の人間不信的傾向が窺えて興味深い。

 本来、国庫ではなく私人の財布を財源に年金を支給するなど、公的機関の私物化もいいところであったろう。

 が、この時代、公私を分かつ境界線は多分に曖昧で整備不十分な代物だった。

 その峻別の必要性を最も熱烈に叫んでいるのが当のコジマときているのだから、誰に止められるものでもない。斯くして事業は実現された。

 果たして兵卒は奮い立った。皆悉く死兵になった。

 すべては飴と鞭、欲と恐怖の匙加減。幾度となく触れたことだが、このあたりの調節がコジマは抜群に上手かった。

 

(帝国広しと雖も、あそこまで完璧に部下を統制してのけたのはコジマとエスデスだけだろうな)

 

 そこはナジェンダとて、不承不承ながらも認めざるを得ないところであった。

 もしこの両名の仲が円満で、帝国を護るという一ツ目的の下、一衣帯水でやっていこうと握手するほどであったなら、国民はどれほど安らげるかわからない。如何に凶悪な侵略者、如何に破廉恥な売国奴が現れようと、帝国の安寧は決して妨げられはしないだろう。

 が、現実の二人が交わす握手とは、万力のような力を籠めて相手の手を握り潰す以外のどんな目的も孕んでいない行為である。

 

(ありがたい。光明も、付け入るべき隙もそこにある)

 

 そこまで考えて、ふっとナジェンダは自嘲した。

 

「民にとっての不安要素を喜ぶか。やれやれ、我ながらいやな大人になったものだ」

 

 しかし、それでも。

 この身をどれほど穢し尽くすことになろうとも、成し遂げなければならぬ使命が彼女にはある。

 苦難は必至。敵の強大さとて、身に染みて嫌というほど理解した。奪われた腕と右目とが、今も生々しく疼くのだ。目の前で為す術もなく死んで逝った仲間達、彼らの痛みを代弁しているかのように。

 ああまでやられてしまった以上、ここまでやってしまった以上、今更退けないのはナジェンダとて同様なのだ。戻り道がとうにないのは、なにも警備隊だけの特質ではない。

 

(考えろ)

 

 事を全うしきるために、これから先の展開を。弾き出された未来図がどんなに不愉快な色彩だろうと、直視しなければいずれもっと不愉快な現実に叩き込まれる。

 

(……大臣がエスデスを帰還させた意図は明白。嫌がらせ程度の対策しか取れていない我々を、本格的に討ち取るためだ)

 

 となれば、それに呼応してコジマも動く。

 損耗を厭い、部下をして遠くから飛礫を投げさせているような時期は去った。これから先は、彼女も本腰を入れてナイトレイドを殺りに来る。指揮官自ら前線に立つ機会も増えるだろう。あいつ(エスデス)に獲物を掻っ攫われて、大きな顔をされるなんて許せないという、極めて小児的な動機によって!

 

「ふざけるなよ、破綻しきった外道どもめが……!」

 

 狩猟祭のトロフィー扱いされるナイトレイドこそいい面の皮であったろう。虚仮にするのもいい加減にしろと叫びたい。が、ことエスデス絡みとなると、コジマは正気でこのような思考を展開させた。

 

「今や帝都は我々にとって死地に等しい。くそ、どこかに圧力緩和の道はないのか―――コジマとエスデス、せめてどちらか一人だけでも排除出来れば―――上手くあいつらを喰らい合わせ、諸共に消し去る方法は―――」

 

 暫くぶつぶつと呟き続け、やがて何かに気付いたようにハッとした表情になると、ナジェンダは苦笑を浮かべ、首を左右に動かした。

 

「……駄目だな、どうも」

 

 堂々巡りになっている。

 気負うがあまり意気が却って空転し、思考の迷路に迷い込み、ふと気が付けば同じ所を延々回り続けている自分の姿を発見したのだ。

 

「何もかもを自分一人で抱え込もうとするのは悪癖だ。張り詰めすぎた風船は、いずれ破裂してしまう」

 

 ナイトレイドの行く末を左右しかねない、こんな大事な判断を自分一個の頭脳で処しきろうというのがそもそも間違っていたのである。

 

「仲間を頼るのは恥ではない。そうだ、まず何よりも先がけて、あいつらと情報共有を図っておくべきだった」

 

 そうすれば思いもよらない別角度からの意見も聞けて、刺激ともなり、思わぬ妙案が浮かんだりするものである。

 一度決断したなら行動は早い。背中と癒着しかけていたのが嘘のような軽やかさでナジェンダは椅子から身を起こし、コートをひっかけ、仲間達を呼び集めるべく部屋を後にするのであった。

 

 

 

 

 

 一方、帝都のコジマである。

 

「………」

 

 エスデスが戻った。

 と同時に、所謂良識派に属する文官達が相次ぎ横死。

 そして初日以降、目撃情報が絶えてない三獣士とくれば、これらの符号が意味するものはただ一つ。

 

(やってくれるじゃあないか、好き勝手絶頂に、盛大に)

 

 相手が相手なだけに、言葉尻がつい乱暴になるのをどうしようもない。

 本当はそこまで腹が立ってはいないのだ。死んだのはコジマの派閥に属さない、彼女から「手を結ぶ価値なし」と看做された連中だし、それに何より三獣士どもは少なくとも、帝都の壁の内側で事を起こしてはいない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)からである。

 被害に遭った文官はみな、何らかの事情で帝都を一時的に離れたか、若しくは元より退隠等の理由で壁の外に居住していた手合いである。彼らが何人死んだところで、コジマにとっては管轄外の沙汰であり、責任を問われる懼れもない。政治的な打撃についても考慮するに足らぬだろう。

 

(むしろ彼らが消えて空になったその席に、どうこちらの人員を送り込むかを考えるべきか)

 

 無能がいなくなったこと、それ自体は喜ばしいが、代わりにやって来たのがオネストにへつらう事しか知らない寄生虫ではどうにもならない。この椅子取りゲームには何としてでも勝利しなくてはならなかった。

 そう、無能。

 連続文官横死事件の詳細な報告を集めるにつれて、コジマのその認識はいよいよ揺るがぬものへと進んでいった。

 最初の一人目が死に、現場にナイトレイドの犯行声明を記したビラがばら撒かれていた時点で、本当の下手人が誰かなど容易に察知出来るだろう。

 

(エスデスの帰還から間を置かずして、コレなんだぞ。明らかに不自然だろう。夜走獣並に慎重なナイトレイドが、態々こんな挑発めいた真似などするものか)

 

 コジマは彼らを暗殺者として、変な言い方だが信頼していた。自己の存在を衒わず、楽しみを交えず、従って無用に苦しめる真似もせず、一切の目撃者を残さずに、淡々と目標を消してゆく。紛れもなく、プロであると。

 

(連中とてエスデスの帰還を気にはしているのだろう。が、そのとき取るべき対応は、奴の出方を窺うことで積極的に足元を荒らしまわることではない)

 

 暫くは「見」に徹し、その活動はなりを潜めるのではあるまいか、とコジマは密かに推察していた。

 これだけでもコジマの知るナイトレイド像と大きく食い違う上に、加えて姿を消した三獣士である。何をかいわんや、というものであろう。

 だから最初の一人が死んだ時点で、身に覚えのある―――大臣に目障りと思われて、かつブドーにもコジマにも保護されていない文官―――連中は、大人しく家にでも閉じ篭ってひたすら身体を小さくし、この殺戮の波が過ぎ去るのをじっと待っておくべきなのだ。

 にも拘らず、現実の彼らときたらどうか。窮乏する村落への支援だかなんだか知らないが、何かと理由をつけては自らコジマの支配領域から離れて行く、まるで逆の対応である。

 

(理解できんよ)

 

 この時期に敢えてそんな真似をするとは、よほど危機意識が鈍いか、分析能力に欠けるか、さもなくば自殺願望に駆られたとしか思えない。

 

(そもそも、なんで政治家が自らそんな真似をする必要がある?)

 

 備蓄米の放出・及び分配などは、代官でも派遣すればそれで済む仕事だろう。態々危険を冒して指揮官陣頭を気取る意味がコジマにはさっぱりわからなかった。

 

(その程度の仕事もろくに任せられないほど、手持ちの人的資源に窮乏しているのか? 常に監視しておかなければ逆に略奪でも働きかねんと? いやいやまさか、そんな阿呆な話はないだろう)

 

 結局、導き出される結論は唯一つ。彼らが極めつけの無能であり、政治家としての力の使い方も、努力の場も、まるで理解できていない馬鹿だったということである。

 そんな連中に対して懸けてやるべき情けはないし、死んだところで困らない。第一、コジマは現在忙しいのである。それはもう、同情なんて余興に耽っている暇などこれっぽっちもないほどに。

 

 

 

「ふむ、やはり齟齬は起きるか」

 

「首切りザンク」の電撃的逮捕と、帝具スペクテッドを無傷のまま奪還した功を出汁に、コジマは警察長官としての権限を更に拡張。警備隊員の中でも特に精強かつ忠勇な者を選び抜き、独自の装備、独自の徽章、独自の旗を付与せしめ、兼ねてよりの念願だった特別治安作戦部隊の結成を遂に成就させていた。

 後に革命軍をして、

 

 ―――一人残らず八つ裂きにして、その肉を(くら)ってやってもまだ足りぬ。

 

 とまで叫ばせるほど憎まれぬいた殺戮機関、「聖歌隊」の誕生である。

 オネストが傍目から見ても性急にエスデスを北から呼び返したのも、この一件が絡んでいるのは間違いなかろう。昇り竜の勢を示すコジマに対する牽制の意も含んでいた。

 が、彼の心配は杞憂であったと、程無く誰もがそう判断した。少なくとも発足当初のこの段階に於ける「聖歌隊」とはまだまだ常識の枠に収まる存在で、ここから後年の彼らの姿を予知し得た者は完全皆無であったろう。

 純粋な戦力分析を試みるに、彼らの技量は近衛の中堅と同等か、若しくはやや下回る程度の水準止まりだ。聖血の拝領に相応しい素体とは、口が裂けても言えなかった。

 

(が、ないものねだりをしても仕方ない)

 

 結局、いつも通りの漸進主義でやる以外にないのである。

 

(時間が要るな)

 

 彼らをして意志と器を鍛え上げ、そう易々と血に呑まれないだけの土台を築き上げる時間が、だ。

 それまでに生じる不便・不利益に対応し、折角作り上げた聖歌隊を解散させぬように取り計らってやることが、差し当たってコジマが対応すべき仕事であった。

 

「……優秀な連中を引き抜いたのだ。むろん、現場の混乱は予期していたし、可能な限り手を打ってはおいたのだが」

 

 やはり、破れ目は出てくるものである。

 最近新たに雇用した、とある優秀な秘書官が纏めてくれた資料には、各地区の隊長からの新たに噴出した問題点の報告と、「せめて奴だけでも返してくれないか」という泣き言めいた懇請がつらつら列挙されていた。

 それらに一々眼を通し、別途用意させた各種データとも照らし合わせて、それが本当に抜き差しならない困難なのか、それともちょっと尻を蹴り上げて激励すれば片付く程度の些事なのかを判別し、解決法の策定までやってしまわねばならない。言うまでもなく激務であり、いつ寝ているのかを疑われるのも納得な念の入りようだったろう。

 三獣士の動向に気を配る余裕がないのも道理である。

 

(私の管轄内で事を起こそうものなら、地獄の果てまで追い詰める。そうでなければ、まあ暫くは放置する。とりあえずはそれでいいだろう)

 

 もしこのとき、規則正しいノックの音が執務室のドアからしなければ、コジマはこの一件を放置して流れに任せていたに違いない。

 

(ああ、秘書官(かのじょ)か)

 

 が、そうはならなかった。書類から顔を上げ、入れ、と短く呼び掛ける。

 

「はい。政務秘書官、サヨ、入室致します」

 

 コジマ、エスデス、三獣士、そしてナイトレイド。

 彼らの運命を思いもよらぬ方向へと叩き込む一枚の書簡を携えて現れたのは、こともあろうに桜花の少女。

 血の医療を施されて以来、ずっと続いていた昏睡から、ついに目醒めたサヨだった。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。