月光が導く   作:メンシス学徒

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繋ぎ回、若しくは事後処理回。
にも拘らず、今までで最大の難産でした。文章書いてて本気で逃げ出したくなったのは久し振り。
ですが、セリューを主要人物に据えると決めた以上、これは避けられない命題でした。




05

 屋敷の制圧は完了した。

 それはもう、紙の砦を崩すが如く、あっさりと。今は亡き館の主が戦力のほとんどを蔵に呼び集めていた以上、これは当然の帰結であろう。

 本邸に残されていた衛兵達は保身のため、守るべき夫人と子息を自分達の手で縛り上げてコジマを迎えた。コジマは彼らに寛容を以って接し、昏倒させ、拘束して床に転がすだけで済ませている。

 全工程が完了すると、続いてオーガを最寄りの屯所に走らせた。容疑者の連行と被害者の保護、及び証拠品の押収の為に人数を動員させるのである。

 それまで、若干の暇がある。天蓋つきの豪華なベッドにサヨの体を横たえて、コジマは残りの課題を片付けるべく、セリュー・ユビキタスと向き合った。

 

「どうだ」

「えっ?」

「月光に見えた衝撃は。そろそろ精神が均衡を取り戻してもいいはずだが、どうだろう」

「あ、はい、大丈夫です。私は正常です、頭はすっかり冴えています」

 

 棒読みな上、無表情なのである。

 

「いまいち信用の置けない台詞だが、まあいいさ。なら、私に言いたいことの一つや二つ、あるはずだよな?」

 

 遠慮は無用、思うままに述べたまえ、と言われてセリューの皮膚が引き締まった。

 夢の世界に片足を突っ込んでいるような亡羊とした気配が消え、いつもの凜と鳴るばかりのセリューが戻ってくる。

 

「それでは。長官、貴女は私の正義の情熱を『私情』と仰りました」

「言ったな、確かに」

「ショックでした」

「撤回はせんぞ。謝る心算も毛頭ない」

「……そうまでして私の裁きを止めたのに、貴女は結局あの悪を誅している。それも態々挑発までして、銃を撃つよう仕向けさせて」

「気付いていたか」

「はい、態と弾丸に当たりに行ったところから、迷路を出口から解くようにして考えて、やっと」

「辿り着いたと。いやはや、これは一本取られたな」

 

 チェシャ猫のように笑ってみせて、傷痕に指を這わせるコジマである。

 

「私にはさっぱりわかりません、長官は何がしたかったのです。どうせ結果は同じなのに、どうしてああまで長引かせる必要があったのか。長官にとっての正義とは、一体全体なんなのです」

「決まっている。法だ」

 

 言葉を濁したり曖昧さの立ち入る余地を寸土たりとも許さない、まるで沖天を切り落とすかのような、断固たる決意の伝わってくる言葉であった。更に、

 

 ―――そも、法とはなにか。

 

 と続く。

 コジマの認識上に於いて、法こそが国家の基礎を生むものであり、翻っては基礎そのものであり、これによって国民を縛り上げてゆく以外、人間という、この始末に負えない動物をして円満な共同社会生活を営ませる方法はないと信じていた。この点、コジマは言い訳の仕様もなく完全なる国権主義者である。

 彼女に言わせれば、法律とは命令であった。

 それも厳として侵すことの許されない、主権者からの命令である。よって、個々の良心に訴えて、守るか否かは各人の自由意志に委ねるなんて、そんな生易しい微温的な道徳とは峻別されねばならぬだろう。

 

「ご遠慮ください、なんて文章を使った時点でそれはもう法律ではなくなる。そんなものは哀訴であり、陳情だよ。国家の強制力を伴わずしてなにが法か」

 

 と、見方によってはセリュー以上の過激さで法の重要性を物語り、いよいよコジマは個々人の倫理感を淵源とする人情としての正義と、法の正義との違いを持てる語彙力の限りを尽して懇々と説きはじめた。

 コジマの理屈からすると、国家の吏僚として立つ以上、優先すべきは当然後者の、法の正義という流れになる。

 

 このあたり、コジマの真骨頂というべきであろう。

 

 コジマが如何に法の正義を尊重していたかは、血の医療の確立に於いて彼女が強いた、あまりにも膨大かつ酸鼻を極める犠牲を見てもよくわかる。

 輸血液を現在の水準に仕上げるまでに、いったいどれほどの実験があり、その何割が失敗したか。あらゆる意味で、正視に堪えないとしか言いようがない。

 真っ当な感性の持ち主ならば望みなしと判断し、無謀な挑戦と早々に見切りをつけてしまうか、あまりの無道に心折れ、愚かな好奇に突き動かされた過去の自分を深く恥じ、腹を切って詫びようとしたに違いない。

 しかし、彼女は諦めなかった。

 諦めることができなかった。

 血の道と血の道と其の血の道を踏み破り、冒涜には更なる冒涜を、溢れる呪いは杯に注いで飲み干して、血と獣の香り以外確かなものなど何も無い、じっとり湿って絡みつく闇を延々彷徨い続けた果てに―――僅かながら、報われた。

 夢のような神秘に見え、指先の薄皮を触れさせたのだ。

 もしこれを―――例えばナイトレイドのような―――仁義に厚い正義漢が、何かのはずみで知るところになったとすれば、たちまち発狂の(てい)を示すだろう。

 前後の思慮を忘れるほどに怒り狂って、

 

 ―――人皮の獣め、生かしておけぬ。

 

 怒号の下、あらゆる政治的都合を一切無視し、コジマを殺すべく走り出すはずだ。

 下手をすればそうなる以前に、憤激のあまり脳内血管を破裂させて死ぬかもしれない。

 これが冗談にならないほどの行為を、この時点で既にコジマはやっている。

 その上で正義論を語り、自らもまた正しさの裡に在るのだと当たり前に信じていた。

 何故か。むろん、理由はある。

 隠蔽工作が万全で、露見(ばれ)るはずがないと高を括っているから? いいや違う。寸毛たりとて掠りもしない。

 コジマの所業は倫理・道徳・人間性に基いた、人情としての正義から観測すれば黒も黒、暗黒星雲も及ばないほどどす黒い、邪悪の極みといっていいが。

 帝国の現行法に基き裁定を下すとするならば、どのような解釈を以ってしても彼女を黒と、有罪と処断することはできないからである。

 そう、彼女はそれほどまでのことをやりながら、尚且つそれが合法の範囲内(・・・・・・)に収まるように逐一気を配ることを忘れなかった。

 それで正義は守られていると、自らは正当な立場の上で与えられた権限を行使しているだけだと、臆面もなく主張できる人間だった。

 数多ひしめく人類種の中にあっても、これは最悪に分類されるタイプだろう。人間としての根本が致命的にズレている。かつてオーガが感じた通り、近寄らないのが最適解な、どうしようもない異分子だ。

 国乱れ、人倫ほとびる狂気の世だけがこういう人種を必要とするに違いない。その意味では、正しく時代の寵児であったろう。

 

 

 閑話休題。

 

 

 しかしながら、今目の前に座っているセリュー・ユビキタスとて立派な気狂い。この病的正義狂信者が、いつまでも大人しく聞き役に徹していられるはずがなかった。

 なにしろ悪法だと判断したなら頭ごなしに踏み破れ、法律不遡及の原則など知ったことか、悪党には寸刻の猶予もくれてやるな、知覚し次第ぶち殺せ、と誰憚ることなく豪語してのけるセリューである。

 論理、信条、どちらも極端、どちらも苛烈。このため議論は白熱し、怒号が飛び交い机を叩き、蹴っ飛ばして立ち上がり、ついには互いの胸倉を掴み上げて頭突き合う、とんでもない景況さえ現出した。

 そのあいだ、コジマは何度、

 

 ―――それではナイトレイドと変わらんではないか。

 

 と怒鳴りつけてやりたかったかわからない。あの連中もまた、法に則った迂遠な改革を諦め―――というより、いま目の前で流される血をこそ看過できぬと判断し―――自分一個の良心を核とした正義感に重きを置いて、その命ずるままに行動する人種であろう。

 自己を律する規範を、外ではなく内に求めたのだ。

 妥協を許さぬ潔癖そのものなセリューの気質は、実のところ彼らの側にこそ近い。

 

(だが、言えぬ)

 

 言って、本当にナイトレイドに身を投じられては困るのである。それでは何をやっているのかわからない。悲劇にさえもなれやしない、目も当てられぬ喜劇であろう。

 コジマの目的は、あくまでセリューを自家薬籠中のものとすること。この期に及んでも、初志を棄てる心算は毛頭なかった。

 やがて、

 

「勘違いしているようだから言っておくが、警察の本分とは予防力だ、巡査官! 正義が悪を誅したことに一々喜悦しているようではまだまだ未熟、事件が起きた時点で既に我々の敗北であると心得ろ。その後の捜査をどれほど巧みにこなそうが、所詮は敗残処理に過ぎん!」

「馬鹿な! それでは我々にとっての勝利とは、いったいなんだと言うのですか、長官!」

「おお、言ってやろうじゃないか」

 

 セリューの獣性が伝染したかのような表情で、コジマは言った。

 

「そもそも事件を起こさせないことだ。人々が抱えている悪性を顕在化させない世界を創る、予防力の究極形とはそういうものだ。見果てぬ夢と嗤われようが、現実にぶつかり木っ端微塵に砕かれようが、何百年かかろうが諦めん。何度でも立ち上がって進み続ける、いつか現実を屈服させるその日まで―――」

 

 ―――それこそが。

 

「大理想というものだ。仮にも貴様、正義の味方を名乗るなら、この程度の啖呵ぐらい切ってみろォ!」

 

 この喝破を浴びせられて、焔の如きセリューの意気が漸く揺らいだ。

 

(……誰も、悪を行う者がいない世界)

 

 それは確かに、セリューが胸に抱いた夢の形とぴたりと一致するもので。

 

(世に蔓延る悪という悪を、一匹残らず磨り潰してゆけばいずれそんな世界が来ると、私はずっと信じてた。……けれど)

 

 今更になって、コジマによって突き立てられた言葉の棘の一つ一つが疼くのである。その意気や良し、しかし手段までもが幼稚であってしまったら、それは取り返しのつかない惨禍しか招きはしないだろう。理想は幼女の如くあどけなく、しかし手段は魔女の如く狡猾に。それでやっと一人前だ―――……

 

(それに、考えてみれば)

 

 かつてこれほど明快に「正義」というものを定義して、かつ真っ向から自分とぶつかり合ってくれた人がいただろうか。

 否である。誰一人として、そんな酔狂な真似をしてくれる者は居なかった。

 それだけでも、セリューはコジマに対して抱きつきたくなるほどの愛念を感じざるを得ないのである。自分の意見を否定されるのは腹が立つが、それでも曖昧にいなされるよりかはマシであろう。うんそうだね、でもそれは君の価値観だ、真実なんて無数にある、私はこっちの道を行くから君はそっちへ進めばいい。

 一見理解を示しているようで、こんなものは何でもない、ただの断絶であり無関心の変形である。

 そいつの人生に興味がないから、もしくは己の自我をほんの僅かでも傷付けられたくないから、耳ざわりのいい言葉を弄して体よく身をかわしているだけだろう。

 価値観の違いとはあらゆる議論を瞬時に無為へと帰する毒で、便利だからと多用すると、やがては思考停止に陥って、禅坊主の生悟りめいた屁理屈しか垂れ流さないようになる。

 本人は案外幸福かもしれないが、見せ付けられる方にとっては消化不良も甚だしい。ひたすら胸が悪くなる。

 本当に己の信念に自信があるなら、相手のことを想っているなら、傷付き、傷付けるのを覚悟して、角突き合わせて衝突しなければならない。関係の破綻を恐れず、どんなに嫌な顔をされようと、お前は間違っていると面罵してやらなければならない。

 それこそが人間として認めるということだ。当人が見たがらない、不都合な真実を突きつけてやれる者こそ友人だ。

 互いの住まう価値観(せかい)の殻をぶつけ合わせて叩き割らねば、理解も融和もあったものではないのだから。

 帝都を守る暴力装置、武断派の性根である以上、こうした感性を受け入れる受容体を、セリューはもちろん備えていた。

 備えて、しまっていたのである。

 

 

 

 此処が好機と判断し、共に来い、そして夢を叶えよう、道は私が指し示すと、畳みかけるようにコジマは言った。

 

「来いよ、セリュー・ユビキタス。上司と部下などという小さな枠組みから脱却し、真に私と志を一にする同志となれ。国家に創られるのではなく、国家を創る側へと参入しろ。戦火の果てにやがて来る、偉大なる帝国が再び一つに統合されるその日には、御旗の下に集う隊列の、力に満ちた先頭を、君が、君こそが担うがいい。暗黒の時代だからこそ、世には指標が必要だ。私と君とで導こうではないか、この千年帝国に、更に千年の秩序と繁栄を齎さんがため―――」

 

 うるさいだまれわたしがただしいわたしがせいぎだわたしにしたがえ。

 

 コジマ・アーレルスマイヤーがセリューに説いた内容を、あらゆる装飾をひっぺがして要約し、身も蓋もなくしてしまえばこうなるだろう。お前に運転を任せればどうせ地獄にしか行けないのだから、私の指差す方角めがけてアクセルだけを踏み込んでいればそれでよいのだ、是非そうしろと言っているようなものである。

 ふざけるなと、横っ面をぶん殴るのが真っ当な感性であったろう。

 が、弁舌技巧の真髄は、こんな無茶苦茶な内容だろうと言い回しや抑揚のつけかた、身振り手振りの方法等で聴衆にそれを受け入れさせてしまうところにある。

 

(同志。―――)

 

 実際、コジマがさりげなく口にしたこの一言に、セリューは信じられないほど感激した。

 

(私をそこまで買ってくれていたのか、この人は)

 

 確かに、よくよく考えれば常識外れの厚遇である。たかがヒラ隊士一人に同じ目線で議論を交わし、セリューがどんな暴言をぶつけようとも権威をかさに黙らせるなんて真似はせず、どう考えても刎頸ものの狼藉―――胸倉を掴んで引き寄せる―――さえも気にしたそぶりを見せていない。

 コジマ・アーレルスマイヤーはセリュー・ユビキタスの価値を、この世で誰よりも認めている。

 その志を快いと感じている。

 嘆いているのは、それを実現させる上での手段だけなのだ。

 

 ―――売り言葉に買い言葉、ただその場その場の憤激に任せて、自ら制する所以を知らず、徒に小爆発を繰り返すのみでは結局小丈夫に留まるしかないぞ。現世で大事を為す者とは、そうではない。そうではないのだ、セリュー。

 

 そのことを今こそ実感を伴い理解して、すっかり下落していたコジマの株、彼女に対する尊信が、一瞬にして復活した。

 それはもう、不死鳥の如く鮮やかに。現金というか単純というか、ともあれこれがセリュー・ユビキタスなのだろう。

 

「………。白状します、長官」

「自白を聞くのは本職だ。いいぞ、喋れ」

「私はたぶん、いえ、きっと、貴女の言うことを半分も理解できてない。私の正義のいったい何処が未熟なのか、どうしても納得がいかないんです」

「ふむ。それで」

「でも、理解したいとは感じます。やっぱり私には、貴女が悪であるとはどうしたって思えない。長官は私の憧れです。その貴女がこの世の中を、どんな風に眺めてどう動かそうとしているのか知りたい。いつの日か私も同じ足場で、同じ視点に立ってみたい。ですので」

 

 と、そこでぺこりと頭を下げて一礼し、

 

「なにとぞ、末永くご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い致します」

 

 初めて会った時そのままな、きちっとした敬礼の下。

 そんなことを、言ったのだった。

 

「―――」

 

 コジマの瞳孔がほんの僅かに開かれた。芯から驚いているのである。言葉自体は社交辞令として多用される慣用句の類だが、籠められた意味はまるで違う。

 

(つまり、こいつは)

 

 本人に自覚はないのだろう。が、セリューは明らかに、暗に盲従しろというコジマの誘いを撥ね退けて、己の道は己で決めると、自分の眼と頭脳を駆使しながら進むのだと、それらを研ぎ澄ます為にお前を利用してやるのだと、そういう独立独歩の気概に燃えていた。

 己が荒削りの半人前であることは自覚させた。が、自覚の衝撃から波及した意識変化は思わぬ方向へと転がって、こうなってしまえば彼女を自家薬籠中のものとするのは不可能になったと見るしかあるまい。

 

「は―――ははっ、あっははははははははは!」

 

 それを理解し、やがて、コジマは弾けるように笑い出した。愉快で愉快でたまらないとばかりに、彼女は一個の笑い袋と化していた。

 

「ああ―――まったく、素晴らしい。生きている喜びを感じるよ。人生、何がたまらないといっても、予想を覆される以上の快感はないな」

 

 ずれた軍帽を直して、言う。

 

「いいだろう、ならばついて来い。そして学べ。私の背から、足跡から、切り開いた道筋から、何かを掴み取ってみせるがいい。あらゆるものを己を育てる肥やしとせよ。その結果、完成された君が私に反旗を翻そうが、共に夢を見ることを望もうが一向構わん。どの道情けない進化にはなるまいさ。ああ、本当に本当に楽しみだ。期待させてもらうぞ、セリュー・ユビキタスという人間に―――」

 

 

 

 この夜の顛末はこれにて幕引き。振り返ってみるならば、久方振りに月光を抜き、当初の標的であった貴族を見事成敗し、新たなる血の治験者たるサヨを確保し、忠誠心をそのままに、セリューの盲いた眼をほんの僅かながら開いてみせた。

 コジマ・アーレルスマイヤーにとっては大満足といっていい、まこと、実り多き夜だった。

 

 

 

 


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