月光が導く   作:メンシス学徒

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 体内に兵器を仕込むとなると、当然今までとは色々勝手が違ってくる。

 施術の激痛なぞは正義を遂げんとする目的意識の強烈さにより耐えることなど造作もないが、重心の変化はそうもいかない。単純に、腕が重いのだ。おおよそ人体よりも金属の方が比重は大きくなる以上、これは仕方のないことであろう。が、だからと言ってこの違和感をそのまま放置しておくなど有り得なかった。

 

(早いところ、慣れないと。動きに不自然さが混じったままでは、そこから仕込みを看破されるおそれもある。折角の切り札、ちゃんと切り札として使わないと。―――)

 

 セリュー・ユビキタスは悪を滅殺するためならばどんな苦難も厭わない、至って熱心な娘であった。

 そうした次第で、今日もオーガを相手に道場稽古に励むのである。

 組み手がひと段落し、乱れた息と装束を整えている最中だった。

 

「セリュー、お前、今晩ヒマか?」

 

 上司からこのような声をかけられた場合、まず以って酒席の誘いと考えるのが妥当だろう。

 が、セリューはそうは思わなかった。目に、何か含むところがある。

 近頃妙に透明な顔をするようになったこの上司を薄気味悪がる同僚も居たが、セリューはむしろよい変化であると捉え、歓迎していた。

 なんといっても、彼がこうなったのはあのコジマ長官の視察の日以降なのである。セリューの正義の志を汲んでくれた、あの人の、だ。彼女が齎した影響でオーガに変化が起きたのならば、それは問答無用で正義の道に則った、いいものであるに違いない。尊敬できる隊長が、更に尊敬できる隊長になったのだ。セリューの思考回路はこのように組み上げられていた。

 心ない者は、

 

「洗脳でもされたのではあるまいか」

「いやいや、あの長官のことだ。脳髄をそっくり入れ替えるくらいやりかねないぞ」

 

 とひそひそ噂していたが、まったくとんでもない暴言だ。注意はしておいたから、心を入れ替えてくれるといいのだが。

 とまれ、そうした信頼に基いて、セリューはオーガの問いに素直に答えた。

 

「はい、空いています。ご用があるなら、なんなりと」

「よし。じゃあ、日が沈んだらここに記されている住所へ向かえ」

 

 と言ってオーガが押し付けてきたのは、薄っぺらい茶封筒だった。

 

「これは?」

「おっと、ここじゃあ開けるなよ。人目につかない所で読んで、憶えたら燃やして灰を水に流しちまえ。機密保持ってやつだ」

「はっ、了解しました!」

 

 セリューは、そのようにした。

 記載されていた住所はメインストリートを外れ、水はけが悪くいつも地面が湿っているような区画にあった。こんな場所に棲んでいるからか、住民にも生気が薄く、滅多に目を合わせようとしない。

 目的の建物に着いた。壁は不快に黄ばみ、碌に手入れもされていないのか漆喰が剥がれて雑草の出ている部分さえある。周囲の家と比べても一際薄汚い外観に、さしものセリューも眉を顰めた。

 

(機密、と言われたから何らかの特殊作戦―――巨大な悪を消滅させるチャンスかとも思ったけど)

 

 このみすぼらしさを見ていると、膨れた期待が萎まされてゆくのをどうしようもない。

 何やら狐につままれたような心境で、指示通り扉を六回規則的にノックした。

 建てつけまで歪んでいるのだろうか。扉は、老婆のようにしわがれた悲鳴を上げて開いた。

 そこに、コジマ・アーレルスマイヤーが立っていた。

 

「ちょうか―――」

 

 思わず声を上げかけたが、コジマは取り合わず、セリューの腕を掴むなりぐいと引き寄せ、続く言葉ごと黴臭い屋内へと引きずり込んだ。

 

 

 

 

「特殊隠密作戦、ですか?」

「そうだ。君とは担当地区が違うがね、先月のガサ入れの話は聞いているか?」

「ええと、噂話程度なら」

 

 警備隊にとっては耳の痛い失敗談である。

 先月、コジマ自身が指揮する一隊がとある貴族の屋敷に踏み込んだ。以前より黒い噂の絶えないところで、門扉を破って雪崩れ込む警備隊を目にした市民は明日には新鮮な貴族の水揚げが拝めるかと期待した。

 が、思わぬことが起きた。

 空ぶったのである。何時間粘ろうと悪事の証拠は何一つとして見付からず、結局撤退を余儀なくされた。これまで万事抜かりなく、卒なくこなしてきたコジマ長官の初めての躓きに世上は騒然となった。

 貴族は冤罪をかけられたと盛んに主張し、ためにコジマへの風当たりがかなり厳しくなったらしい。これで彼女も沈むか、と早くも見限る者さえ現れた。

 

「勝手なことを言ってくれる」

 

 苦笑しつつ、コジマは言う。蝋燭の灯りに照らされた地下室で、彼女の影がゆらめいた。

 

「あいつはクロだよ、間違いない。似たような犯罪者を散々見てきた経験、それに何より月光が私に告げるのだ。あの場所で流された、夥しい血の遺志を」

 

 貴族のような政治に強い影響力のある者を狙う際、コジマはよく内偵捜査を試みる。

 少し以前、帝都に住まう貴族の間でとある遊びが流行した。地方から帝都にやって来たばかりの若者達を手厚くもてなし甘い言葉で誑かし、心気を緩ませ隙を晒すや一服盛って拘束し、人語を絶した拷問にかけ愉しむのである。

 

「信じた相手に裏切られる悲劇。大事な夢が、それを叶える為の肉体が、どんどん台無しにされてゆく絶望。私にはさっぱり理解できんが、そういうモノが殊更好きな連中がいてなあ。ただ罪人を拷問するのでは得られない、特別な味があるとのたまったものだよ」

 

 セリューの顔付きが既に尋常ではないが、コジマは構わず話を進めた。

 そうした貴族相手に用いたのが密偵だったという。時には「おのぼりさん」に偽装して、時には彼らの雇用する衛兵達に紛れ込み、密かに証拠を得るべく策動させた。

 

「甲斐あって、随分と多くを吊るせたよ。過酷な任務を、彼らは本当によくやり遂げてくれた。感謝してもしきれない」

「やっぱり正義は必ず勝つんですね!」

 

 セリューはうんうんと頷いた。

 この密偵捜査の功績は、実質検挙数よりも貴族達の心理面に及ぼした影響にこそあるやもしれない。今や彼らは「おのぼりさん」を見ても、格好の獲物と考えるのではなく巧妙に擬装された地雷を連想するようになった。

 軽度の疑心暗鬼といっていい。

 貴族達にしてみれば、毒を呑み込む危険を踏んでまでこの行為に執着する気は毛頭なかった。

 何故なら、彼らにとってこれはあくまで「遊び」に過ぎないからだ。遊びで命を落としては馬鹿馬鹿しい、というのである。

 流行は()んだ。

 コジマの愛する一罰百戒、恐怖による治安維持が覿面な効果を発揮したと言っていい。

 

「ほんの僅かな例外を除いて、な」

 

 その一つが先月襲撃した、例の屋敷の貴族共であると言う。

 政界に強い影響力を持つ故に増長したか、拷問趣味が中毒の域まで至ったか、或いはその両方か。いずれにせよ、この一家が何も知らぬ辺境出身の若者を連れ込むことを止める気配は一向なかった。

 

「そのくせ、此方が用意した密偵にはどういうわけだか喰い付かん。セリュー、何故だと思うね」

「勘がいいのでしょうか? 悪の分際で生意気な……!」

「いや、その程度ならば取るにも足らんよ。私が危惧したのはな、警備隊内にモグラが潜んでいることだ」

 

 最初からその心算で入ってきたのか、それとも金でも積まれて転向したか。不自然なまでの危機回避能力を前にして、コジマは水漏れの音を聞き取った。

 

「そんな、正義の味方の警備隊(わたしたち)から、悪に手を貸す奴が出るなんて、そんなこと―――」

「確信したのは実際に邸内に踏み込んでからだ。貴族にも奴が雇った衛兵達にも、不意の捜査に動揺した気配が欠片も無かった」

 

 事前に知らされていなければ、こんなに顔色を保てない。

 まさか、と身内の裏切りを信じたくなさそうにしていたセリューも、この一件を明かされてしまっては認めざるを得なかった。ぎりっ、と音が立つほど奥歯を噛んだ。血の気が退くほどの怒りが彼女を内側から焼いているのは瞭然だった。

 

「結果は、言うまでもないな。風聞の通りだ、証拠はすっかり消されていたよ。が、それでももしかすれば、何処かに僅かな手落ちが見付けられるかもしれない。その可能性に賭けて限界まで粘り、壁紙をひっぺがす勢いで調べ上げた」

 

 その執念が実を結んだか、本宅から少し離れた蔵の中で興味深いものを発見できた。

 棚の下の床板に、明らかに血を拭った痕跡がある。

 もし人血ならば、楽々致死量を超えていよう。

 

「これについて問い質したときの答えが、連中の人間性をよく顕している。なんと言い訳したと思う?」

「………何て、言ったんです?」

家畜の血(・・・・)だとよ。息子に命の大切さを学ばせるため、豚を解体させた痕跡だとぬかしてくれた」

「殺しましょう、長官。生かしておいちゃいけない奴らです。その屋敷の住所を教えてください、今すぐ走って消滅させて参ります」

「落ち着きたまえよ、巡査官」

 

 逸るセリューを、コジマはどうにか押し止めた。

 

「曲がりなりにも『官』に所属する以上、明々白々な掟破りはできん。我々は手続きに拘束される宿命にある。最低限、辻褄を合わせる工作はしておかなくてはならんのだ」

「放置せよと? 眼前に悪を控えながらその粛清を諦めろと、そう仰るのですか長官!」

「そんなわきゃあないだろう」

 

 地獄の底から響いて来るような重苦しい声色に、セリューの興奮は俄かに醒めた。

 

「こいつは吊るす、必ずな。自分の臓物で窒息しながら、これまでの人生を悔いて貰う。だがな、セリュー、覚えておけよ。我々警備隊が犯人を殺害出来るのは、生死問わず(デッド・オア・アライブ)の手配犯を除いては、対象が此方の勧告に従わず、逃走又は攻撃に打って出て来た場合のみだ」

 

 要するに、防衛行動の結果に限ると言う。

 現場の判断で勝手に処刑を執り行う権限など警備隊には無いし、あってはならないとさえコジマは考えていた。このあたりは、彼女の政治哲学に依る。

 

「ゆえに、我々の仕事は連中の悪事の決定的証拠を掴むこと。然る後に捕縛に移るが、この時抵抗された場合に限って武力行使(さつがい)を許可する。この点、順序を履き違えるなよ、証拠を握るまでは殺害はおろか邸内の衛兵に発見されてもいかん。総て隠密裏に事を進める。いいな?」

「っ……、了解しました」

 

 猛獣を鎖に繋ぐ気分である。

 可能であればもう二・三度鎖を引いて、拘束が行き届いているか確かめたかった。

 

「幸いにして潜り込んだモグラの特定も済んでいる、成算は高いぞ。内々に告知したとはいえ、あのガサ入れの予定を知っていた者は限られるのだ。絞り込みは容易だったよ」

「誰だったんです?」

「それを言ったら、君はまた即座に殺しに走るだろう?」

「まさか、まだ生かしておられるのですか!?」

「そちらの方が都合がいいからね。彼は今、此方で用意したダミーの情報を真と信じ、せっせと飼い主に送っているよ。これは敵を油断させる上で非常に役に立ってくれた。が、そろそろ用済みだ。本体を挙げ次第、彼にも退場してもらうさ」

「なるほど、それなら。……でも、これは、あれ?」

「どうした、巡査官」

 

 顎に指を当てて考え込むそぶりを見せるセリューに、コジマが問うた。

 

「あの、悪にこちらの動きが察知される危険はもうないんですよね?」

「そうだな、第二、第三のモグラの存在を危惧して今日まで調査を続けたが、結果はシロだ。奴さえ封じれば、敵の知る此方の動きは全くの幻影にしてしまえる」

「では、何故再び堂々と正門から乗り込まないんです? 証拠を隠滅する暇がないのなら、それでもよいのではないでしょうか。人目を忍んでこっそりと、それも長官自らが潜入する必要性が、ちょっと、どうにも解せなくて」

(ほう)

 

 目の洗われる思いで、セリューを見た。

 

(なかなか、どうして……)

 

 猪突するばかりの獣かとも思ったが、存外細かい処に目端が利く。コジマは内心にてセリューの評価を上方修正した。

 

「いいところに気がついたな、セリュー」

「あ、ありがとうございます」

「実を言うとな、私は更にもう一段罠が張られているのでは、と警戒している」

「もう一段、ですか?」

「うん、ひょっとすると向こうは、モグラが私に発見されることすら想定していたのではないだろうか」

 

 そも、ガサ入れを受けたにも拘らず、何事もなかったかのように「おのぼりさん」をつかまえて屋敷に導き続けていることがおかしいのだ。自分達が目を付けられているのは明白なのだから、少しは自粛なり警戒の色なりが混ざってもいいのではあるまいか。

 

「が、連中の挙動にはそうしたものが一切ない」

 

 この貴族が一ヶ月間に連れ去った地方出身者の総数は十八名。二日に一人以上のペースである。いくらなんでも異常と言えた。

 自己肥大もここまで極まったか、もはや自分達を捕まえられる者など何処にも居ないと驕っているのか、と単純に考えてしまえばそれまでだろう。

 

「しかし私は、そこに挑発の意図を見出した」

 

 むろん、コジマに対する挑発である。

 彼女がこうした行為を許さないと知るゆえに、敢えて見せ付けることで迂闊な一手を誘っているのだ。スパイを見付け、擬装情報を流し、これでもう大丈夫と油断させ、再び踏み込んでみればあら不思議、拷問の証拠など影も形も見当たらない。それもそのはず、ガサ入れの日以降彼らが声をかけた十八人の地方出身者は、軒並みサクラなのだから―――。

 

「同じ相手に、同じ嫌疑をかけ、同じように失敗する。こんな奴は私から見ても無能だよ。警察長官の椅子に座らせておくなど以っての他だ」

 

 相手の貴族は当然「激怒」するに違いない。

 何度も何度もあらぬ疑いをかけおって、もう我慢の限界だ、さっさと辞職せんか小娘が。―――……

 そうねじ込まれれば、抗う術はないのである。コジマの政治生命は終わるだろう。彼女はそこまで予見した。被害妄想、警戒のし過ぎと言われるかもしれないが、コジマから見れば十分有り得る展開である。

 

(なにせ、あの貴族と繋がっているのは大臣だ。奴が何らかの入れ知恵をした公算は高い。サクラ用の人員だって好きなだけ送れるだろう)

 

 が、だからと言って放置など、更に輪をかけて論外である。

 

「我々の使命は帝国臣民の安全と幸福追求を保証すること。ならば、一パーセントでも可能性があるならば」

 

 ―――征かぬことなど許されん。

 

「そうだろう、セリュー・ユビキタス巡査官」

「はい、長官。断固として進むべきです。正義の光を、照らさなくては」

 

 疑問は霧消したらしい。と言うより、これはどうでもよくなったのか。誇りに満ちた表情で、敬礼しつつセリューは言った。

 冷静な第三者的視点から眺めれば、まだまだ突っ込むべき箇所が山のように横たわっているのであるが。セリュー持ち前の乗せられやすい性分を差っ引いたとしても、げに恐ろしきは場の勢いであったろう。

 

 

 

 この夜、雲が厚い。

 空は鎖され、星の流れも弧を描く三日月の光も届かない。絶好の潜入日和だった。

 

「皮肉なものだ」

 

 とある屋敷の塀の影、一際色濃い闇溜りから声がする。

 

「月光を背負うこの私が、月明かりをおそれ、無明の夜を喜ばねばならんとは」

 

 黒装束に身を包んだコジマであった。

 背景に溶け込むこと尋常ではなく、通りがかった者がこれを聞けば闇そのものが喋り出したかとさぞやたまげることだろう。

 

「なあ、君もそう思わんかね、オーガ隊長」

「はっ、心中お察し致します」

 

 そう答えたのは、同じく全身黒で固めたオーガである。

 この男はこの男で、別の経路を辿って装束を改め、現地で集合したらしい。なんとも念の入った手筈であった。

 コジマ、セリュー、オーガ。以上三名が、本作戦に於いて現地で動く実働部隊の顔触れである。

 

「だろう? こんな小細工を弄さずとも済むように、さっさと国を正常化させねばな。これもまたその為の一歩なれば、呑み込むことに否はない。―――始めるぞ。セリュー、ヘカトンケイルには言い聞かせたな?」

「はい、大丈夫です。何があろうと鳴き声ひとつ立てないと、ちゃんと約束してくれました」

「よろしい。君とコロ(・・)の絆を信じよう」

「お任せください!」

 

 感極まって大声を出しかけたセリューの後ろ頭を、コジマは慌ててひっぱたいた。

 

 

 コジマほどの身体能力の持ち主からすれば、生半可な壁など問題にもならない。セリューを投げ上げ、上からロープを垂らしてもらえばそれで済む。

 鉄柵などがついていればもう一工夫必要なのだが、経費を惜しんだか、この屋敷には用意がなかった。

 侵入後は、予定通りに動いた。

 

 ―――まずは蔵だ。

 

 と、事前の打ち合わせで決めてある。広い敷地内を―――主の虚栄心を反映したかのように、本当に広い。この鬱然と繁る屋敷林はどうであろう。数ブロック先のスラムでは、猫の額ほどの土地に人がすし詰めになって生活しているというのに、なんたる格差であることか―――巡回する衛兵達の死角に入り、ときに草の根に顔をつけ、ときに樹の幹と一体化し、蟲や夜烏の鳴き声を歯の間から搾り出しつつ進んだ。

 これが、見かけ以上に神経を使う作業である。

 セリューもオーガも、共に武術経験者である以上気配の殺し方は心得ていたが、その状態でじっとして、獲物が網にかかるのを待てばいいのとはわけが違う。敵と遭遇しても倒してはいけないどころか、気付かれるのも、不審を抱かせるのも駄目なのである。

 両名揃って何度か緊張の糸が途切れそうになっている己を発見せねばならなかった。コジマの先導がなければ、とうに見付かり大騒ぎになっていたに違いない。

 三十分弱ほど費やして目的の蔵へと辿り着いた頃には、二人とも未知の疲労に蝕まれ、辛さに顎を上げたくなっていた。

 

「しっかりしたまえよ、ここからが本番だぞ」

 

 そこをいくとコジマは手馴れたものである。

 詳述は後に譲るが、軍人―――それも佐官として、南方征伐戦に従軍した彼女である。

 

 ―――部隊の士気を昂揚させるには、何よりもまず敵情を知らしめ、これに対する我が軍の配備と計画を知らしめることが肝要だ。

 

 との信条に基いて、散々将校斥候をやっている。

 慣れない気候条件の下、毒虫に喰われ、腐乱し膨張した死体に埋もれ、泥水の中を進んだ思い出に比べれば、今夜の潜入行はほとんど天国を散歩している観がある。翻って云えば、そういう慣れがあったればこそ未熟な二人を引き摺りつつも大禍なく此処まで来られたのだろう。

 

 さて、蔵の内部である。

 

「ほう」

「おっと」

「なんてことを……!」

 

 右から順に、コジマ、オーガ、セリューの第一声である。

 コジマは敵の頭が悪すぎて逆に不意を衝かれるという得難い経験に感心し。

 オーガは匂い立つ新鮮な血臭に、危うくえずきかけたのを抑え込み。

 そしてセリューは、あまりに凄惨な悪逆非道を前にして、顔色を失うほど激怒した。

 蔵の中にあったのは、死体と、死体になりかけている者達と、血と皮がたっぷり付着した拷問機具の数々だった。

 

(まさか本当に、ただ増上慢の赴くままに拷問を重ねていただけとはな。いや、まだ断定するには早いか? ()が一致するからといって早合点は禁物だ。正規のルートで売買された奴隷の可能性が残っている)

 

 やはり、調査は必須であろう。

 コジマにすれば、とうに見慣れてしまった光景である。足元を浸す苦悶の声にもさして動揺することなく、淡々と指示を下していった。

 

「オーガ」

「はっ」

「機具を調べろ。これを売ったのが誰かが気になる。ひょっとすると、前回敷地内を捜索した際遺体の埋葬痕さえ見出せなかった謎を紐解く糸口になるやもしれん」

「了解しました」

「セリュー、君は私と一緒に生存者への聞き取りだ。名前と、出身地を重点的に訊ねろ。リストと照合してみたい」

「………」

 

 懐から平綴じされた紙束を取り出して、ぱらららっと捲くって見せてもセリューは反応を示さない。何のリストです、とも訊かないのである。気のせいか、その後姿からは薄らと、青白い炎が立ち昇っているようにも見えた。

 

「セリュー・ユビキタス巡査官」

 

 少々強めに呼びかけて、漸くセリューは此方を向いた。びっくりするほど虚ろな眼差しだった。が、これを以って中身まで空っぽと考える者は絶無だろう。逆であると、誰もが一見して悟るはずだ。

 ヘリのローターよろしく高速回転する物体が、ときに止まって見えるように。

 激情が限界を遥かに突き破ってしまった場合、人は凪いだ水面のような無表情を呈すのだ。

 

「もう一度だけ言うぞ。生存者を探して、名と、出身地を聞き出せ。間違っても本邸に突っ込んで血風呂にしようなどとは考えるなよ」

「駄目ですか」

「駄目だ。出る前に説明しただろう、順序を守れ。これより言い逃れの目を潰す、ネズミの通り道すら見落とさぬよう徹底的に、だ。身柄確保(おたのしみ)はその後だよ、いいな?」

「っ……了解、しました」

 

 噛んで含めるように言い聞かせ、どうにかセリューを動かすことに成功した。

 そうして本題に移ったものの、これが難航した。

 何分、虫の息の者ばかりなのである。

 おまけに頬の肉を削がれ、舌を切られて喋りたくても喋れなくされている。そうでない輩も居るには居たが、既に正気を失っていてまともな会話を営めなかった。

 コジマが相手をした連中は、見事に全滅といっていい。

 

「―――長官、この人は、まだ」

「喋れるか。待っていろ、すぐ行く」

 

 希望を見出したのはセリューであった。檻の鉄柵越しに、同年代かちょっと下程度の少女の手を握っている。

 ……いや、本当にこれを「希望」と呼んでいいのだろうか?

 ひどいものであった。

 かつては艶やかであったろう黒髪は凝固した血泥によってあらゆる光沢を簒奪されて、もはや見る影もない。

 衣服を剥ぎ取られ、曝け出された表皮には削ぎ痕や刺し傷の他にも赤錆めいた斑模様が浮かんでおり、ルボラ病の末期症状を呈していると見て取れる。

 唯一残されている桜花をかたどった髪飾りが、より一層の悲壮感を演出していた。

 

(よくぞ。………)

 

 ここまでされてよくぞまだ、自我が壊れず残っていたとコジマは称賛してやりたくなった。

 

 

 

「なるほど、サヨというのか。出身は―――ああ、その村なら知っている。雪深く、こぢんまりとしているけれど人情味あふるる良いところだね。私の故郷に見習わせたいくらいだよ」

 

 大急ぎでリストと照合しつつ、セリューに命じて意識が途切れぬよう呼び掛けさせる。それに反応し、ぽつりぽつりとサヨが漏らしたうわごとめいた言葉の切れ切れを縫い合わせると、つまりはこういうことらしい。

 彼女は最初、困窮する村を救うべく、志を同じくする幼馴染み二人と共に村を出た。

 幼い時分より肌を接するようにして育ち、苦難を分かち合い、鍛錬を積んで共に高め合ってきた三人である。彼らを結ぶ絆の強さは、まさかりを以っても断ち切れないと信じていた。

 が、外界は非情である。程無くして夜盗の襲撃を受け、まずは一人と離れ離れに。

 暫くの間残った一人と旅路を急ぐが、今度は危険種の大群と遭遇し、どうにか切り抜けはしたものの、ふと辺りを見回せばすっかり孤立している始末。

 

(どうしよう)

 

 途方に暮れなかったと言えば嘘になる。

 しかし、それでも目指す場所は帝都一つと決まっている以上、いずれは合流出来るだろう。方向音痴のイエヤス―――幼馴染みの名前らしい―――が不安といえば不安だが、なに、あれはあれでいざとなれば頼り甲斐を発揮する男である。

 余計な心配は無用。むしろ誰よりも先んじて帝都で待ち、それなりの地位も確保して、遅れてやって来た男どもにうんと自慢してやろう。うん、そうだそうともそれがいい。

 ……そう、強気に構えて自分を鼓舞し、いざ帝都に足を踏み入れてみればその後は、ああ、そのあとは―――。

 

「あ、あぁ、うぅあああああぁッ………」

「いいんです、もう。それ以上は言わなくていい。大丈夫、必ず私達が救けます。絶対に報いを受けさせてやりますとも。だから、どうか、呼吸を楽に―――」

 

 檻の格子を力ずくで捻じ曲げて―――明らかに筋繊維が纏めて断裂する音がしたが、本人に痛みを感じる様子はない。脳内物質の過剰分泌に依るだろう―――サヨの体を解放し、抱き締めながらセリューが言う。

 こういう行動を計算抜きの本心からやれるのは、紛れもなく彼女の美点といえた。

 

(やはり、リストに一致する氏名は見られない。これで人身売買の逃げ道は潰せたな。この少女さえ抑えれば、無辜の民草の拉致・監禁・殺害未遂で立件出来る。取っ掛かりさえ掴めたならばこっちのものだ、残りも芋蔓式にいけるだろう。しかし、まあ、なんと運の悪い娘であることか)

 

 帝都までの道中にて度重なる襲撃を受け、仲間と散り散りにされた挙句、今や下火になりつつある貴族の「遊び」に引っ掛かる?

 滅多打ちとしか言いようがない。

 不幸の神の抱擁でも受けたのか、と十人が聞けば十人共に同情を寄せることだろう。

 

(が、逆説的に言うならば)

 

 それほどまでに悪い目ばかりを揃えられて、曲がりなりにもなお命を保てているのは地力の高さを物語る。

 貧弱な生命力であったなら、とうに廃人化して自分の名前も言えなくなるか、そもこの帝都にまで辿り着けなかったに相違ないのだ。換言すれば将来有望、そんな良質な人的資源がこんな処で台無しにされてしまうのは、コジマからすれば犯罪的に惜しかった。

 

(いっそ、打つ(・・)か? これならば、或いは()つやもしれぬ)

 

 そろそろと懐に伸びるコジマの手は、

 

「長官」

 

 しかし、厳かな部下からの呼び声によって中断された。

 

「オーガか。調査は終わったのかね?」

「取りあえずは一段落、といった所ですかねえ。率直に言いますと、此処にある拷問機具の殆どは、歴とした官製品です」

「……間違いないのか?」

 

 重大な報告だった。

 

「迂闊にも、所有する拷問官を示す焼印が幾つか残されたままでしたから。確かかと」

「それはまた、杜撰な仕事をしたものだ。給料泥棒もいいところだな。そんな奴にこそ、これらの備品を活用してやるべきなのだが―――しかし、そうか、官品の横流しか」

 

 コジマは人の悪い笑みを浮かべた。王城内に調査の手を突っ込む口実が掴めたことに内心随喜しているのである。

 

(名目上、あそこは近衛の管轄だ。下手に触れればブドーと熾烈な縄張り争いを演ぜねばならなくなるだろうが、やる価値はある。連中の怠慢と見逃しをあげつらい、私の兵を公然跳梁させられるようになれば、事は大きく進むだろう。そう、霊廟にさえ踏み込めたなら、後は―――)

「―――長官!」

 

 コジマの思考(わるだくみ)はまたしても、部下の声によって中断される。

 絹を裂くようなセリューの悲鳴に何事かと振り向けば、サヨの様子が尋常ではない。

 体中の骨を抜き取られでもしたかのようにだらりと四肢から力抜け、セリューに体重を預けきっているのである。慌てて手首を取ってみれば、脈拍、消え入りそうなほどに儚い。

 

「っ、安心して気が抜けたか……!」

 

 容態が急変するのは、主にこうした場合である。うっかり踏み止まるのを忘れ、あれよあれよと幽明の境を越えてしまうのだ。

 それを見越してセリューに話し続けろと命令したが、甘かった。そんな程度でどうにかなる領域は、とうの昔に過ぎていた。

 瞳孔の拡大も起きつつある。血が、沸騰寸前まで高まっているセリューに抱かれているにも拘らず、サヨの体温はびっくりするほど低い。熱を送っても、何処かに空いた穴からそっくり漏れてしまっているようだ。

 

(猶予はない)

 

 隠密性をかなぐり捨てて、強行突破を図ったとしても屯所に辿り着く前にサヨの命は尽きるだろう。

 彼女を生かしたいならば、今、ここで手を打つ必要がある。

 

「………イエヤス………タツ、ミ………」

「……この土壇場で、友の名前を呼んでみせるか」

 

 ともすれば周囲を覆う粘ついた闇に溶かされて、誰にも―――それこそ、本人自身にさえも―――認識されることなく消え入りかねない呟きを、しかしコジマは確かに聴いた。

 

「泣き言でも、恨み言でもなく。いいだろう、それだけの強さがあるのなら―――」

 

 万が一の事態に備え、常にひとつは携行しているそれ(・・)を取り出す。

 ベルベットの内張りが施された、真っ黒なケースだった。

 開けると、注射器とアンプルが納められている。

 それは、と目で問うセリューの疑問に答えてやる暇も惜しく、アンプルからシリンジ内へワインのように真っ赤な液を吸い上げさせた。

 気泡を抜き、注射針をサヨの肌に突き立てる段に至って―――コジマは、俄かに逡巡した。

 

(待て。……場の雰囲気に流されているのではないか、私は。本人の承諾も得ぬままに、これが最善の道であると、手前勝手な判断でぶち込んで、本当にそれでよいのか)

 

 この輸血液を打った瞬間、未来は極端なまでに絞られる。

 便宜上、コジマはこれを「血の医療」と称しているが、どっこい内実ときたら医療などとは程遠い。

 なるほど確かに生きる活力がいや増して、あらゆる病は消えるだろう。不治の病も、代々科せられてきた呪いの如き遺伝病も、疾病と名の付くものは悉皆尻尾を巻いて退散するに相違ない。

 が、それは所詮、黒をもっと濃い黒で塗り潰すようなものなのだ。細菌やウィルスといった常識的な存在では到底太刀打ち不能なる、遥かに邪悪で圧倒的なおぞましき因子が巣食ったゆえに、それ以外の病根が駆逐されたに他ならない。

 やがて、その因子が花開く日が来るだろう。

 それは絶対に避けられない、約束された破滅の日。夢と現実を区別する能力が急速に衰え、視界に有り得ざるモノが混ざり込み、脳内にて何かが蠢く感覚に延々悶えさせられる。

 その不快感を、コジマはよく知っていた。

 どんな拷問技術を以ってしても再現すら叶わない、脳を内側から虐められるあの感触! いったい何度頭蓋骨をかち割って、脳室を這いずるその存在を抉り出してやりたいと念願したかわからない。今でこそ脱却したが、一時期は手足を拘束してからでなくては眠りに就けなかったほどだ。

 行きつく果ては愚かさに敗れて獣に堕ちるか、物質階梯を踏破した高次元暗黒の住人として羽化するか。いずれにせよ、人としての生は完全に終わる。

 荊どころではない、地獄の針山を持ってきてもまだ追っ着かぬ過酷な道だ。

 

(そんなものを歩ませるよりも、いっそ)

 

 このまま此処で、人として死なせてやるのが慈悲というものではなかろうか―――

 

(………。人としての死(・・・・・・)、だと?)

 

 そのフレーズに、凄まじい引っ掛かりを覚える。

 それはそうだろう、我ながら笑止極まりない。帝都の闇のどぶさらいをする中で、下らぬものばかり見せ付けられてきた所為であろうか。ああ、気付かぬ内に随分と毒されてしまっていたようだ。

 

(これのどこが、人の死だ)

 

 何処を探せば尊厳が見付かる。

 人間が人間として在るために必要なあらゆる権利を剥奪されておきながら―――これで、人としての、なんだって?

 畢竟脚をもがれて転がされた虫けらと、何ら変わらないではないか。

 もはや何の希望もなく、早く楽にしてくれと、殺されることだけを希求する命。

 ふざけるのも大概にしろというものだ。

 蟲のまま死ぬな。許していいわけがないだろう、そんなこと。

 どうせ死ぬなら、せめて獣として走って死ね。

 その機会をくれてやる。掴み取ってみせるがいいと、コジマは決然と血の医療を再開した。

 

 

 

「君、君、聴こえているだろうか。私の声が、ほんの僅かでも届いているだろうか」

「………」

「届いていると信じて言う、先達からの忠告だ。どうか気を確かに持ちたまえよ。想像を絶する目に遭うだろうが、決してそれに囚われるな。何を見せられたとしても―――そう、悪い夢のようなものさね」

 

 恋人に睦言を囁くように、耳殻の産毛をくすぐるように。

 耳元でそっとささめいて、コジマはサヨの静脈に、注射器の中身を流し入れた。

 

 

 


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