月光が導く   作:メンシス学徒

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月光が好きなんです。ただそれだけだったんです。




01

 本を糺せば、大臣の喰らっている肉がどう見ても生であったことだった。

 

 ―――失礼ながら、衛生面への御配慮は? 生肉を喰らい続けた結果、全身を虫に蝕まれた事例は枚挙に暇がございません。

 

 それが廊下ですれ違い、軽く一礼して行き過ぎるだけだった筈の両者の間に雑談を咲かせた種である。

 毒にも薬にもならない会話が暫く続いた。

 

「ああ、ときにご存知でしたかなオネスト大臣。本来寄生虫とはその殆どが、宿主にさしたる悪影響を及ぼさない、共存可能な生物らしいですよ」

「ほう」

 

 大臣は初耳という顔をした。が、この古狸の喰えないところは、例え知っていても知らないふりをする点にある。

 人間、特に己をしてを知恵者と自惚れている者にとって、無智なる輩の蒙を啓いてやる以上の快感はないであろう。その手の人種には、精々好きなだけ喋らせてやっていればよい。そうすればどんどんつけ上がって浮き足立ち、やがては掬ってくれと言わんばかりに無防備な足元を晒すようになる。

 

 ―――では遠慮なく。

 

 とばかりに、この男がどれほどの人間を転倒させてきたか、むろんコジマ・アーレルスマイヤー警察長官は知っている。

 

「寄生虫にしてみても、宿主が健康体でいてくれた方が安定して栄養を横領出来ますからね。体内で穏やかに生を満喫する為には、宿主に栄養が吸われていると、吸っているなにものかが居ると気付かれないことが肝要だ。その辺りの上限を、彼らは本能的に心得ている」

「ははあ、なんとも世渡り上手な連中ですなあ。いやはや感服致しますぞ。虫の生態は勿論のこと、斯くも博識なコジマ長官、貴女にもです」

 

 知っていて尚、彼女は得意げな顔で言葉を継いだ。

 言うまでもなく擬態である。散々利用し、葬ってきた連中と同様に、自分を御することは容易いと油断してくれることを僅かながらも期待した。

 

「寄生虫が宿主を殺してしまうのは、専らそれが本来宿るべきでない肉体の中に入り込んでしまった場合です」

「誤解に基く悲劇ですな」

「全く左様で。すれ違いからの不幸は人間社会の独占物ではないようです。―――ですが時たま、最初から宿主を殺すつもりで体内に侵入してくる奴がいる」

「そんな不届き者が」

「ええ、ロイコクロデ―――いや、ロイコクロル? 私も随分前に『姉』に聞かされたっきりで、正直うろ覚えなのですが。兎に角こいつが喰えない奴でしてね」

 

 ロイコクロリディウムのことだろう。

 この長ったらしく、ある種の鉱物然とした名前の扁形動物は、生まれるまでの卵の期間を鳥の糞の中にて過ごし、それをカタツムリが喰らうのをじっと待つ。

 無事にカタツムリに食べて貰えたならばしめたもの、成長を遂げつつカタツムリの触覚に移動して、脳を操り意のままに動かすようになる。この時、ロイコクロリディウムの膨れきった体が触覚を透かして見えるのだが、これがまた壮絶なのだ。盛んに蠕動を繰り返すその様は、生理的嫌悪感を抜きにしては語れない。

 すべてはカタツムリを芋虫と誤解させて鳥に捕食させるため。そうして今度は鳥の体内にて残る人生を全うし、糞の中に己の卵を忍ばせる。

 最初から他者の死を前提として成立している命の輪。自然の容赦のなさを実感したのは、あれが最初だったろう。

 そうした内容のことを、コジマは時に情感を交えて縷々と語った。最後に、

 

「こういう奴には、昔から抜き難い憎悪を覚えます」

 

 とはっきり言った。

 

「憎悪とは、長官らしからぬ激しいお言葉ですねぇ」

「失礼。ですが、こればかりはどうにもならないのです。分際を弁えて薄暗い腸管の中でせせこましく最低限の栄養素だけ啜っていればいいものを、宿主を害し、あまつ天敵に殺させようとするなど言語道断。こういう輩には絶対に容赦しない。虫下しでも外科的摘出手術でも、何を使ってでも人体から駆逐してやりたくてたまらなくなるんですよ」

 

 爆弾発言と言っていい。

 これが市井の閑話(ひまばなし)なら無害で済むが、語り合っているのは共に国政を左右し得る権力者、大臣と長官なのである。その内容が単なる生物的雑学の披露でないことは、ロイコクロリディウムはカタツムリに寄生する虫と説明したのに、当のコジマがいつの間にかさらりと「人体」から追い出してやると言っていることからも自明であろう。

 この「人体」という単語の裏に、彼女は「国家」という響きをにおわせているのだ。際どいどころではない、ともすれば宣戦布告と受け取られかねない、ぎりぎりの発言だった。

 

 ―――人が次第に朽ちゆくように、国もいずれは滅びゆく。

 ―――千年栄えた帝都すらも、いまや腐敗し生き地獄。

 ―――人の形の魑魅魍魎が、我が物顔で跋扈する。

 

 このような落首さえも貼り出される現下の帝国にあって、コジマの発言はそれ自体が命懸けであった。

 分を弁えない寄生虫とは、国力の低下も気にせず民に対して酷烈無惨な振る舞いを続ける貴族に権力者、腐敗役人どもだろう。それを虫下しでも外科的摘出手術でも―――どんな手段に訴えることになろうとも、必ず一掃してやると気炎を吐いた。

 

(天敵とは、さしずめ異民族のことでしょうねぇ。外敵嫌いは相変わらずのご様子だ)

 

 むろん、その過程でオネスト大臣も抹殺する予定なのだろう。なにせ、帝国を蚕食する「寄生虫」の頭目と看做されている男である。枝葉を幾ら断ったところで、大元が無事ではどうにもならない。まだ何度でも生えてくる。いたちごっこにしかならない。

 そんな同じ輪の中を延々走り続けるに等しい愚行を、この女長官が犯すわけがなかった。いずれ必ず殺すと言っている。

 その内意を余すことなく、舐め上げるように読み取って、されども大臣の笑みは崩れない。不快の色をおくびにも出さないあたり、この男の面の厚さは筋金入りだった。

 

(忌々しい。ですが、この発言のみを梃子に失墜させるのは無理ですねぇ。言い訳の余地が広すぎる。揚げ足を取ろうとすれば、逆捩じを食らわされる未来がありありと見えます。安い挑発には乗らないでおきましょう)

 

「フフフ……」

「ははは……」

 

 互いに「笑み」を浮かべていた。

 にも拘らず、和やかな雰囲気を微塵も感ぜられないのは何故なのか。偶々通りがかった侍女が、この情景を目にした途端即座に踵を返してもと来た道を戻っていった。獣の威嚇めいた原初の意味での「笑み」とも違う、政治という、この人間が生み出した中で最も複雑怪奇な代物に骨の髄まで浸かりきった者だけが浮かべることを許される、なんともおぞましい「笑み」だった。

 

「いや、これはお恥ずかしい。ついつい稚気に駆られてしまうとは、私もまだまだ修行が足りないようです。如何に着飾って見せようとも、この身は所詮毛虫を恐れて早く叩き潰してよと父に泣き付いた少女の頃から、一歩も進めていないらしい」

「でしたら私は果報者ですな。あのコジマ長官の少女の顔など、帝国広しと雖もどれほどの者が見知りましょうか。いや、今日は朝から運がいい。まだまだ良いことに恵まれそうです」

 

 そうして去ってゆくコジマ長官の背を見詰めつつ、オネストは改めて確信する。やはり、コジマ・アーレルスマイヤーだけは、何があっても絶対に殺さなくてはならないと。

 世間ではブドー大将軍を以ってオネストの対抗馬と見込み、彼の動きを熱烈に宿望している者も多いが、オネストに言わせてみればそんな奴らは軒並み揃って眼球の使い方も知らない無能である。

 

(あのでくの坊に、何を期待しておりますのやら)

 

 軍人としての節義を守ると言ってしまえば聞こえはいいが、何のことはない、早い話が頭の中身が濃厚に中世的なだけであり、旧弊を墨守するしか能がなく、ために成せることも高が知れていて、早い話が恐るるに足らない。

 

(仮にアレが思い立って出陣し、反乱軍を掃滅し、然る後に私を含めた帝都の闇とやらを一掃できたと仮定しましょう。で?)

 

 その後に高く掲げて披露して、人心を惹き付け熱狂させるべき華麗な帝国の未来図を、あの男は切れ端たりとて用意していないに相違ない。そもそも描く能力さえないだろう。彼に可能なのは先例を遵守することのみ、現れるのは時代遅れもいいところな何百年も前の帝国の姿だ。

 

(人の心はその時からずっと遠いところまで進んでしまっているというのに。元に戻そうとしても、今更手遅れなのですよ。哀れですねえ、流れに取り残された骨董品は)

 

 確かに帝国の切り札と称される戦闘能力は脅威だが、その脅威は言わば、山中に潜む劫を経た大熊か何かと同質なもので、所詮獣の恐ろしさに過ぎない。あの巨漢から人間的迫力を感じたことなど皆無であった。

 獣など、如何に強力であっても狩人の知恵には敵わない。

 血は流れ、少なからぬ犠牲を払わされるだろう。だがそれでも、最終的に勝利するのは必ず人だ。況してやオネストはその狩人どもを雇い、指揮する権力者ではないか。

 

 そこをいくと、コジマ・アーレルスマイヤーだけが唯一「人間」としてオネストに恐れを感じさせる存在だった。

 曲がりなりにも、「政争」を営める相手だった。

 この帝国で、自分と彼女だけが将来帝国が至るべき明確な青写真を持っているのである。それだけでも許せないのに、その概要も、至る手段も、何もかもが真っ向から正反対とあっては、これはもう殺し合うしかない。

 中途半端は有り得ない。行く所まで行く。どちらかがどちらかを完膚なきまでに喰らい尽して、名誉も尊厳も残らず奪い、懐に秘めた青写真を千々に引き裂き炎にくべて灰を川にばら撒くまでやるしかない。

 

(が、だからといって短慮軽率は禁物ですぞ)

 

 原則として、オネストに挑戦状を叩きつけるような真似をすれば、そいつはまず間違いなく三日以内に死体になる。

 帝国国内にあって、彼の権力はそれほどまでに絶対的なものだった。

 が、何事にも例外はある。彼の神通力が通用しない相手が、たった二人だけ存在する。

 ブドー大将軍とコジマ長官だった。

 この両者に共通しているのは、皇帝からの信任が―――大臣ほどでないにしろ―――極めて厚いという点だ。

 歴史書をちょっと紐解けば分かる通り、アーレルスマイヤーといえば、始皇帝の覇業をその草創期より扶け続けた譜代の重臣。皇室を除けば帝国に於ける最も旧い血筋であり、その由緒正しさは到底大臣などの比ではない。ブドー大将軍を以ってすら一枚落ちることだろう。

 本来ならば、この血筋から摂政が輩出されていても不思議ではなかった。

 が、どこでどう因果がねじれたものか、遥か超深宇宙の彼方より何かの間違いで飛来してしまった啓蒙的真実の一片が、この一族の運命を決定的に歪ませた。

 ある時期を境に、アーレルスマイヤーの人間はひどく閉鎖的になったという。しかもその特徴は代を重ねるごとに悪化して、やがては世のなにもかもが厭わしくてたまらなくなり、中央から離れ、ひたすら辺境の領地に引き籠って毎晩絶えず襲い来る自殺への衝動に耐えねばならなくなったらしい。謂わば、鬱病が遺伝病として根付いてしまった。

 先代のアーレルスマイヤー家当主とてその例外ではなく、いつも胃痛を堪えているような顔色をして、

 

「さっさと娘に家督を譲りたい」

 

 と、しきりに退隠への欲求を口にしていた。

 斯くも不活気な一族が今日のこの日まで血を保ち、多少は削られたとはいえ領地を保ち、家を存続して来られたことは一種奇観の思いがする。目立たないが離れ業であり、神経を病んでいながらこれだけの働きが出来たのだから、元々の資質がどれほどのものか推して知るべしというものだろう。

 そして、当代に至って遂にアーレルスマイヤーは嘗ての如く真実英邁なる姿を取り戻した。

 コジマ・アーレルスマイヤー。

 そして大臣は逢ったこともないが、腹違いのその姉も。

 帝国の、延いては皇室の運命が地響きを立てて揺れ動こうとしているこの時期に、千年前の忠臣の再来が現れるとは―――なんともはや、大衆が喜びそうな演劇的な話であった。

 

(冗談じゃありませんよ。つくづく、血とは厄介なものです)

 

 オネストが戦慄を以ってそれを再認識させられたのは、忘れもしない、コジマが初めて皇帝に謁見した日のことだ。

 彼女が恭しく膝をついた瞬間から、大臣の後悔は始まった。既に両者の間にただならぬ雰囲気がたちこめているのである。礼に則った立ち居振る舞いを保ちつつも、例えば目元の色合いや、例えば肩の線の柔らかさなどの端々に、気心の知れた者同士の格別な馴れがにおっている。王城という権力機構の魔窟にて、長らく生きながらえてきた大臣はそれを敏感に嗅ぎ取った。

 ついに皇帝が、

 

「そちとは他人の気がしない。何か、不思議な懐かしさを感じる」

 

 と言い出すに及んで、大臣の後悔は頂点に達した。

 彼にしてみればやってられない話である。自分が必死の思いで入手した「信頼」という財産を、あの女はただその五体を循環する液体だけを縁として、あっさり獲得してしまったのだ。これだけでも殺意を抱くには十分であろう。

 

(何故、もっと早く血脈から断っておかなかったか)

 

 自らの迂闊さにこめかみの血管が怒張したが、幾ら歯軋りしようと既に遅い。あれよあれよという間にコジマ・アーレルスマイヤーは出世を重ね、警察長官という立場に収まり、更にそこでも功績を積み上げ、帝国の権力構造内に大きく喰い込んでしまっていた。

 もはや適当に罪を被せて始末するというやり方は使えない。使えば、必ず皇帝は取り乱すだろう。彼女が裏切り者だったと如何にかきくどいても、

 

「うそだ」

 

 と容易に信じようとせず、直接対面して真偽を訊き出そうとするに違いない。そして、合わせてしまえばもう駄目だ。謁見の日の再現になる。必ず蕩し込まされるに決まっている。彼女を葬る為の刃が、そのまま自分に跳ね返ってくる破目になる。

 

(先んじて死体にしようにも。―――難しいですねえ、あの『唯一本懐を遂げた臣具』がある限り)

 

 その狂気的と言っていい性能は、コジマの実験に協力しているとある医者(・・・・・)の密告から存分に聞き及んでいるところである。

 結局のところ、反乱軍とぶつけ合わせて疲弊しきったところをこれまた反乱軍の仕業に見せかけて始末する以外に活路はない。

 これなら自分が皇帝の信頼を損なうような目にも遭わずに済む。どころか幼い皇帝はコジマを殺した反乱軍に煮え滾るような憎悪を覚え、視界はますます狭窄し、より操縦し易さが増すであろう。

 幸い、コジマが帝国に反旗を翻して反乱軍と結託する恐れは万に一つも有り得ない。たったひとつの致命的な痛点から、彼女が彼女である限り、そんな展開は起こり得ないのだ。仮にそうしなければオネストを斃せないと天から託宣を下されたとしても、コジマは頑として首を縦には振らないだろう。

 

(険しいですが、道は見えているのです。ならば突き進むまででしょう。私は勝つ、これまで通り、これからも。勝って栄耀栄華を楽しむのです。権力()の座は、決して誰にも譲らない―――)

「……フッ、フフフ、ヌフフフフフッ」

 

 自らの精神がなにやらひどく若やいでいるのを自覚して、大臣は肥満しきった腹部を波打たせ、人知れず湿った笑いを漏らすのだった。

 

 

 

 

 帝都は広い。

 なにせ、面積だけでも二十万平方キロメートルもある。日本列島の本州が大凡二十二万七千九百七十平方キロメートルだから、これとほぼ変わらない計算だ。

 地図を覗けば分かる通り、綺麗な丸型を為しているため、その直径や周の長さも比較的容易に割り出せる。

 直径は約五百四キロ。周は千五百八十五キロといったところで、これに沿って外敵の侵入を防止する城壁が築かれているのだから、建設当時の苦労と、それを命じ、実現させた始皇帝の偉大さが自然と偲ばれるものである。

 王城はこの巨大な版図の丁度中心部に位置していて、ここから貴族達の暮らす城下町は一際馬鹿高い壁によって更に外部と仕切られている。もし日照権などという概念がこの世界にあったなら、さぞや訴訟が相次いだだろう。

 そんな特権意識の塊めいた中心区を起点として、ケーキでも切り分けたように帝都は八地域に分かれている。この極めて広大な帝都の治安を維持するのが帝都警備隊の役目であったが、当然のことながらその隊長が一人だけということは有り得ない。

 大体、一地域に一人づつ。

 人口密度や地形等々も考慮に入れて実際にはもう少し細かく配置されているが、まあそのように考えておけば間違いはない。

 その隊長どもを一手に束ね、管理し、命令し、決裁するのが警察長官たるコジマ・アーレルスマイヤーの役割だった。

 当然、その仕事量は膨大の一言に尽きる。彼女の執務室の窓から灯りが消えたところを見たものはいないとまで噂され、

 

 ―――あの人はいつ寝ているのだ。

 

 と、畏敬をこめて噂されもしたものだ。

 

「が、如何に懸命に働こうと、黴臭い建物の一室に籠りきりではどうにもならんこともある」

 

 とは、本人の弁である。

 

「報告書に書き連ねられた文言とは所詮、何処まで行っても他人の耳目を通して観測された事実に過ぎない。今の帝国ではそもそも事実ですらなかったりもする。やはり時には自ら足を動かし、現実と脳内に構築された風景との乖離を防がねばな」

 

 そうした建前で、コジマはよく各地へ視察に赴いた。

 移動中の車内にさえ書類を持ち込み、これが天井を擦らんばかりだったという逸話さえ残っている。本人の生真面目な性格からして、おそらく真実だろう。彼女にとって視察は骨休めの旅行ではなく、厳粛な職務の一環だった。

 そんな気分の上官が、何の予告もないままいきなり詰め所に乗り込んでくるのである。

 警備隊員どもにすれば、不意打ちもいいところであろう。

 

「近くまで来たので、折角だから足を運んでみた」

 

 と、コジマはあくまでついで(・・・)を装い入ってくるが、こちらが本来の目的であるのは間違いない。日々の業務の繰り返しにより気風が緩み、ともすれば腐敗の温床になることを予見して引き締めのために(とぶら)うのだ。

 コジマが警察長官に就任して間もない頃は彼女を侮る気持ちもあり、ついその目の前でいい加減な業務態度を晒した者も居たが、次の日に彼らが一人残らず消えているのを目の当たりにしていっぺんに油断は吹き飛んだ。

 今となっては何処の詰め所の隊員も、

 

 ―――あんな風に消されたくはない。いつ襲撃(・・)されてもいいように、常に気を張っておかねば。

 

 と、心中恐々として業務に励み、日々の勤めを全うしている。

 

(これでよい)

 

 コジマは満足だったろう。

 彼女の認識上に於ける人間といういきものは、まず以って恩知らずでむらっ気で猫被りの偽善者で、金を欲しがり美味いものは喰いたがり、仕事は嫌で暴力行為が好きという、至って手に負えない代物である。

 これにまともな仕事をさせるには、彼らの欲と恐怖を巧みな按配で刺激して行くしかないであろう。コジマは性悪説論者であった。

 

 

 

 そんな彼女が本日訪問したのは、オーガという、「鬼」と通称される男が隊長を勤めている詰め所であった。

 

「忙しいところ、急に済まんね。ああ、敬礼は要らん。そのまま業務に励んでいてくれたまえよ。私の所為で諸君の仕事が滞るようでは心苦しい」

 

 軽く手を振り、ブーツの音をカツカツ響かせ奥へと向かう。扉を開けると、意外にもオーガは一人ではなかった。部下を伴っていた。優しい栗色の髪の毛をポニーテールにした、幼さを多分に残す顔立ちの女隊員だった。

 

(おや)

 

 と、その特徴に思い当たる節があったが、今はひとまず措いておく。

 

「報告の途中かね? なら、私を気にせず続けるといい」

「いえ! 丁度完了したところでありますから、長官こそどうぞこちらへ!」

 

 溌溂と答え、脇に下がって道をあけ、直立不動で敬礼しながら言うのである。

 その動作が一々きびきびしていて小気味よく、コジマは素直な好感を抱いた。

 

「ありがとう、セリュー・ユビキタス巡査官。相変わらず元気そうでなによりだ」

「はっ、光栄であります! それでは隊長、私は午後のパトロールに出て参りまってうえええぇっ!?」

「なんだ、どうした巡査官」

 

 突然狼狽し、奇声を上げた少女に向かって問い掛ける。一瞬爆弾でも投げ込まれたかと危惧したが、部屋の中に異常はない。何に驚愕したかわからず、コジマは胡乱気な瞳を向けた。

 

「あ、あの、そのっ」

「……長官、セリューのことをご存知で?」

 

 上手く舌が回らない少女を見かねて、オーガが助け舟を出した。コジマは何を愚問な、という顔をした。

 

「そりゃあ知っているだろう、警備隊に於ける数少ない―――本当に、ほんっとうに数少ない帝具保有者だ。頭の私が知らんでどうする。何より適正検査の際、私もあの場に居たことだしな」

 

 ついでながら、帝具について触れておく。

 帝具とは、もとはと言えば千年前に始皇帝が起こしたある煩悶から生まれている。大帝国を築き上げた彼は、その後あらゆる独裁者が罹患した病に取り憑かれた。死への恐怖である。

 ただ、ほとんどの独裁者がこれほど偉大な俺が死ぬなどあってはならないと妄執的自己肥大の方向へ走り、しばしば暴虐の沙汰に及んだのに対し、始皇帝のみは定命ゆえに国を永遠に守れぬ我が身の不甲斐なさを儚み、口惜しがったという点でやはり只者ではないのだろう。

 しかも、彼は永遠の命すら求めなかった。

 ただ国家の永続のみを願い、その為に遥か未来まで伝えられる兵器を遺した。

 伝説に謳われる超級危険種の素材、オリハルコンなどのレアメタル、世界各地から呼び寄せた最高の職人達。始皇帝は彼の持つ莫大な財と権力を惜しみなく注ぎ込み、やがて四十八の超兵器を産み落とすに至る。

 それこそが帝具。その絶対性は千年後の現代に至って尚覆されてはおらず、再現すら不可能というのが定説だ。

 その内の一つに、魔獣変化ヘカトンケイルなるものがある。セリューが適合し、所持を許されたのがこれである。

 適合という言葉が出た。そう、帝具はただの便利で強力な兵器ではない。強烈なまでに使い手を選ぶ。

 後方支援用のものなら兎も角、一騎当千と謳われるほど強力な帝具を選ばれてもいない者が握ろうものなら、最悪の場合即死する。そしてヘカトンケイルは、コジマの見る限り確実に非適合者を死に至らしめる代物だった。

 

「そんなことで部下を死なせるわけにはいかんだろう。だから部屋の隅で待機して、拒絶反応が出たらすぐさま割って入って引き剥がせるよう監視していた、というわけだよ」

「そ、それはコロがお手数をお掛けしたようで―――誠に申し訳ありませんでしたあっ!」

 

 がばっ、と、今度は土下座しかねない勢いで頭を下げるセリューである。

 

(犬の不始末は飼い主の責任、ということか)

 

 にしても、セリューは一々動作が大袈裟だった。こまねずみがあっちこっちへ駆け回るのを見ているような思いがして、どうにも毒気が抜かれてしまう。

 

「気にするな、巡査官。所詮月光を抜かずとも素手で充分片付く仕事、ヘカトンケイルも本気ではなかったのだろう。じゃれつかれたのを宥めてやったようなものさ。ここ最近実戦からは遠ざかっていたからな、いい運動になったと逆に礼を言いたいくらいだ」

 

 気前のいい返事を貰ってセリューは無邪気にほっとして、ありがとうございます! などと笑顔を見せているが、オーガにしてみればそんなものでは済まされない。

 

(アレを素手で鎮圧かよ)

 

 化物としか言いようがない。

 上司として、セリューが持つ帝具の性能を当然オーガは認識していた。その上で試みに、自分がアレに素手で立ち向かう場面を想像してみる。

 

(………)

 

 どう楽観しても不可能だった。

 鎮圧どころではない、逃げに徹したとしても生き残れる自信がない。三分と持たずに捕食されてばらばらになるのがオチだろう。

 が、これを以ってオーガを弱者に分類するにはあたるまい。そも、帝具に人間が立ち向かおうという発想自体が狂っているのだ。もしそんなことが出来てしまったら、そいつはどう抗弁しても人の域を超えている。そして、コジマ・アーレルスマイヤーとはそんな逸脱者の一人に他ならなかった。

 

「―――それでは長官! セリュー・ユビキタス、正義を執行すべく街の巡回に参ります!」

「ああ、君には期待している。いずれまた、今度は卓を囲んでゆっくり話そう」

 

 オーガが戦慄している間に、一通りの会話は済んだらしい。セリューは感激を全身で表現しながら去っていった。

 

「嵐のような娘だな」

「は、はい。まったく左様で」

 

 体内で色濃く渦巻く恐怖の念が、オーガをしてつい彼が付き合っている商人どものような媚びへつらいの言葉を吐かしめた。顔付きまでどこか卑しくなっている。

 

「上手く音頭を取って乗りこなせる奴が居ればいいのだが。アレをただの一過性の嵐に留めてしまうのは、なんとも惜しい」

 

 窓の桟に指を置き、去り行く背中をじっと見詰める。その目付きは、自分が彼女を乗りこなすとしたら、どのような餌と鞭とを与えるべきか既に推し量っているようだった。

 

 

 


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