あべ☆こべ   作:カンさん

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第六話 気づいたこと 知らないこと

「つかさ~。お風呂空いたよ~」

 

 肌寒い日々が続くなか、心も体も温めてくれる柊家の風呂はこの時期に関しては大人気だった。この家を建築した匠の粋な計らいによって、一般家庭の物よりも広々とした作りとなっている浴槽には、少し前までは下の姉弟三人が一緒に入っていた。思春期が到来した弟の抗議が無ければ、もしかしたら今も尚入っていたのかもしれない。

 妹たちに取られてそういう経験が浅いことを気にしていた次女・柊まつりは、少しだけ彼女たちに嫉妬していたりする。大学生となった今では叶わない夢だ。

 それでも広い風呂を独り占めできるのでそこまで気にしていないが、ふと思うことがある。

 

「つかさ~? 居ないの~?」

 

 ガラリと戸を開けつつ四女・柊つかさの名を呼ぶも反応は無し。

 自分の部屋にでも行っているのだろうか? そんなことを考えつつ件の妹を探すも、リビングに居るのは弟の柊キョウのみ。先ほどまで寒いから自分が入りたいと言っていたのは誰だったのだろうか。

 

「あれ? つかさは居ないの?」

「……あ~、えっと」

 

 末っ子の分際で一番風呂を頂いたキョウにつかさの所在を尋ねるまつり。

 しかし返ってきたのは曖昧なものだった。

 どうしたのだろうか? 疑問に思ったまつりの視線は彼へと向かい、そこで違和感に気づいた。彼が入っている炬燵が妙に膨らんでいる。

 何だなんだ? と興味が沸いて彼に近づいて覗いてみると――思わず目が点になった。

 

「……何してんの、この子」

「風邪引くって言ったんだけど、そのまま寝ちゃった」

 

 確かに炬燵で寝ると風邪を引くのは良くあることだ。特に今日はいつもよりも寒く、正直風呂から出た身としてはもう一度入りたい気分。だからこそ、つい睡魔の誘惑に身を委ねて寝てしまうのは仕方がない。それが温かい炬燵なら尚更だ。

 しかし、まつりには一つだけ疑問がある。たった一つのシンプルな疑問だ。

 

「なんでキョウの膝を枕にして寝ているの? というか中でどうなっているの?」

「ははは……」

 

 苦笑しつつキョウがとある方向を指さすと、そこには人の足があった。

 どうやら中では体を丸めているらしい。通常のものよりも大きいサイズだからかそこまで窮屈には感じないようだが、それでは背中が熱いのではないか?

 そう思いつつまつりが炬燵に入ると……。

 

「って、これ微熱じゃん」

「うん。つかさ姉さんが熱いって言ってきて。俺もちょっと熱いし」

「そりゃあ熱くなるよ。そんなに密着していたらさ」

 

 というか、この弟はつかさに甘くないだろうか? 

 わざわざ炬燵の温度を下げるなど……。普通の男性はこんなことさせてくれないだろうし。漫画などでは男性が女性に膝枕などをするシチュエーションがあるが、実際は『疲れる』と言って実現することは無い。

 

 ――つかさもブラコンだけど、キョウもシスコンだよなぁ……。

 

「それにしてもさ」

「うん?」

「つかさがそんなにベッタリだと、キョウを婿にする女は大変そうね」

 

 絶対険悪な仲になりそうだ。

 容易にそんな未来が想像できたまつりはからかいつつそう言った。

 実際、キョウが修学旅行を終えて帰ってきた時に、メアドをたくさん登録していたのを知ったつかさの暴走は洒落にならなかった。唯一つかさを止めることができる三女・柊かがみによって事は穏便に済ませることができたが……。

 

「うーん……どうだろう。でも何時かは弟離れしてくれると思うし」

「いや、無いでしょ」

「ははは……そこまで言い切らなくても」

 

 しかし当の本人は少し楽観視しているようで、思わずまつりは力強く否定した。

 問題は起こさないと思うが、時々不安になる自分は情けない姉だろうか。

 

「そういうまつり姉さんはどうなの? この前同じ講義受けていた人と仲良くなったって聞いたけど……」

 

 呑気にそんなことを考えていたからか、まつりはキョウから思わぬ鋭い一撃を喰らった。

 風呂上りで快適な気分だった彼女は、大学で発覚したとある悲劇を思い出して沈み込んだ。姉の急な変貌にキョウも戸惑い『ど、どうしたの?』と問いかける声にも動揺が表れる。

 

「――った」

「え?」

「――そいつ、女だった……!」

「……へ?」

 

 絞り出すように出したまつりの言葉に、キョウは思わず目が点となった。

 目の前の姉の表情は形容しがたい凄まじいもので、今にも叫びそうなほど激情に駆られていた。とりあえずつかさが起きるのでそれは勘弁して欲しいが。

 しかしそれ以上にまつりの言葉が信じられなかった。

 

「……それって本当(マジ)

「……マジ。しかも……」

「……しかも?」

「そいつ、レズだった……!」

「――」

 

 押し殺した声で何とか言葉にした姉に、キョウはかける言葉が見つからなかった。

 

「おかしいとは思ったのよ。キョウみたいに優しくてさ。私がドラマとかの話をしても嫌がらないし、もしかしてキョウみたいに女性に偏見のない人だと思って……」

「とりあえずその『キョウみたいに』って言うのやめようか」

「処女の前に童貞卒業するところだった……」

「……」

 

 ――女だと思って声を掛けたら男で、そいつはホモだったっていうことか。

 

 姉に起きた出来事を自分の基準に置き換えて考えて、ようやくキョウはまつりの気持ちを理解した。

 大学に行ってなかなか出会いが無いなか、自分と仲良くしてくれる女性と出会い、時を重ねるに連れて抱いたのは恋慕の情。加えて相手も自分に対して満更でもない態度を見せ、日々の大学生活に潤いを感じてきた。

 しかし相手は同性だった。

 

(うん、こりゃあ酷い)

「しかも、そいつ結構有名な人でさ。そっちの趣味は無いって言ったらあっさり振られた。告白していないのに失恋した気分だよ……」

「えっと、その……どんまい?」

「同情するなら男紹介してくれよー」

 

 地雷を踏んだ手前無下にはできず、しかし本当に掛ける言葉が見つからないキョウは当たり障りのない言葉を投げかける。

 するとまつりは男を紹介してくれという。大学生が中学生に手を出すのは犯罪なのではないか? そんなことを思いつつ、キョウは告げた。

 

「俺、男友達居ないよ……」

「あっ……」

「なんかさ、修学旅行の一件以来影でビッチって言われてるみたいでさ。この間も金持ってきた上級生が血走った目で迫って来て……」

「ごめんキョウ。私が悪かった」

「その時は若瀬さんが追っ払ってくれたけど、その若瀬さんも最近挙動不審だし。しかもその噂のせいで男子たちは俺を腫れ物扱い。相談しようにも姉さんたちにはどうしようもないし、メアドに登録しているのも女子ばっかり――ああ、なんだ。こりゃあビッチですわ。ぼっちでビッチですわ。若瀬さん以外で仲良いのも女子ばっかりだし」

「キョウ! ホントにごめん! 今度なんか奢るから! だから元気出して!」

 

 結局、つかさが起きるまでこの話題は続いたのであった。

 

 

 第六話 気づいたこと 知らないこと

 

 

「ん? どうしたのつかさ、かがみ?」

 

 今日は珍しく遅刻せずに時間通りにやって来たこなただが、もしかしたらそれがきっかけだったのかもしれない。

 それでも生活リズムはいつものままで、昨夜もネトゲをしていたからかまだ眠そうだ。こなたは目元を擦りつつ突如あらぬ方向を見ているつかさとかがみに尋ねる。

 

「あれ」

「ん? あれって……」

 

 問われたつかさは視線の先を指差した。

 示されるままそちらの方へと向くと、そこには二人の弟である柊キョウが居た。

 男が一人で外出? よくつかさが許したものだ。そう思ってつかさの方を見るも、首を傾げて様子がおかしい。どうやら彼女は認知していなかったようで、何故こんな所にキョウちゃんが? と疑問をそのまま言葉にして出している。

 

「どういうこと? 流石に危ないんじゃない?」

「確かにそうね。キョウからは特に何か聞いたわけじゃ……」

 

 かがみの方へと向き、今の状況はあまりよろしくないと指摘するこなた。昔に比べて減っているとはいえ、男性が被害に合う悪質な事件は未だにあるのだ。

 彼女も分かっていたのか、同意しつつ動こうとするも何かを思い出したのかその場に留まるかがみ。

 

「そういえば今日、あの子(キョウ)外に遊びに行くって言ってた……」

「え? 私聞いていないよ」

「一週間前くらいに言われていたから忘れていたわ。多分父さんたちは知っていると思うけど……」

 

 言葉に出せばどんどんその時のことを思い出すかがみ。確かあの時かがみは送っていこうか? と申し出ていた。家族の心配をするのは当然のことで、それが大切にしている弟なら尚のこと。

 しかし他ならぬキョウ本人が断った。友達が居るから大丈夫だと。

 確かにそれなら大丈夫だと判断したかがみは渋々それを受け入れた。干渉し過ぎて嫌われたくないという気持ちもあった。それに友達と一緒だと言っていたのが大きい。

 そんなかがみとキョウは苦笑し、彼女の優しさを確認して礼を言われたのを覚えている。……その時の嬉しさで忘れたわけではないよな? つかさではあるまいし。

 と双子の妹に対して少し失礼なことを考えながら、かがみはつかさを安心させようとこう言った。友達と一緒らしいから大丈夫だと。それに学校でも色々と助けてもらって頼り甲斐がある人物だとも。

 

「あー、前に言ってた」

「ん? 知っているの?」

「この前にゲームをしていた時にね。でもその子には同情しつつ嫉妬するね。キョウくん本人はまだその気は無いとは言え、最もフラグ立てている女の子だしっ」

「またゲームか。いつも言っているけど人の弟を使って――」

「え? どういうこと?」

 

 いつもの漫才のようなやり取りをしていたかがみとこなたは、突如感じた悪寒に体を震わせてつかさの方を見る。

 目がやばい。

 一目見て分かるほどつかさのようすは変わっていた。

 

「お姉ちゃん。キョウちゃんの友達が女の子って本当……?」

「え、いや、その、なんていう……」

 

 柊かがみという少女は物事をはっきりと言う人間だ。それがこうして言い辛そうにしているということは……。色々と察したこなたはとりあえず安全圏に避難しつつキョウの動向を見ることにした。

 

「キョウちゃんの友達って男の子じゃないの?」

 

 どうやらこうなることを危惧して真実を彼女に告げていなかったらしい。そしてそのことを知ったつかさはどういうことだと尋ね、というかその友達とはどういう関係なんだと問い詰める。いや、友達だが。

 それを横で聞きつつ少し前に抱いていた違和感に気づいたこなた。

 そもそも弟を溺愛している彼女が、彼と友好関係にある女性に対して何も思わず言及しなかったことの方が不自然だ。つまりはそういうことである。

 

「安心してよつかさ! その子はあんたが思っているような子じゃないって!」

「仮にそうだしても気になるよ! そりゃあキョウくんが信頼している子だったら私も任せることができるけど、でも気になるもん!」

「気持ちは分かるけど……」

「……よし、追いかけよう」

『はい?』

 

 何とか説得しようとするかがみだが旗色が悪く、珍しく姉であるかがみの方が言い包められ始めている。弟が絡むと覚醒するなぁ、と普段見られない勝気なつかさに一つの萌えを感じているこなた。そんな彼女の耳に思わず振り返って聞き返してしまうような言葉が届いた。それはかがみも同様だったらしく、彼女とハモってしまった。

 しかしそれも無理もない。何処の世界に己の弟を尾行する姉が居るだろうか。……よく考えたらアニメではありそうなシチュエーションだ。やはりキョウは二次元から来た存在……?

 

「見つかったら帰ってって言われそうだし、バレないように行くよ!」

 

 二人が肯定する前に、つかさは一人先に進んでいきキョウの死角の物陰へと回り込む。

 学校での体育の成績は当てにならないではないか。

 そんなことを考えつつかがみとこなたも後に続いた。

 

「つまり、私たちはこれからリア充のデートを見せられるって事か」

「おいやめろ、その事実を私に突きつけるな」

 

 違う、あれは勘違いしてただけなんだ……! と過去に起きた苦い思い出に苦しめられているかがみを尻目に、つかさは追いついた二人に対して呟いた。

 その声には何がなんでも目的を達成してやるという覚悟があり、二人は知らず知らずのうちに力が入った。何だかんだと言ってもこの二人も気にはなっているらしい。キョウと仲良くしているその友達とやらを。

 

「二人とも、キョウちゃんが動いたよ。準備は良い?」

「……いつもこうやって機敏に動けたら男にモテるのにねぇ」

「……その前にブラコン直さないとね」

 

 しかし理由が理由だからか、今一モチベーションが上がらないのはご愛嬌。

 

 

 

 

 今日も寒いなぁと呑気に思っているキョウは、姉二人+αに尾行されていることなど知らず近くの駅へとやってきた。上りの電車に乗ってそのまま街に直行するつもりのようだ。

 乗る時間を誤ったからか、それとも休日だからか人が多い。しかし次に来る電車を逃せば約束の時間に遅れてしまう。丁度いい時間を選んだつもりだったが、早めに出た方が良かったか……? 

 次からはもっと余裕を持って行動しようと決めたキョウの元に電車がやって来た。電車内にもチラホラと人が居るが、それでも満員という訳でもない。それでも幾つかの駅を過ぎれば乗車数は増えるだろうが。

 ただ、この肌寒い時期の電車は暖かいのでそこまで嫌いではないが。そんなことを考えつつキョウは電車に乗った。

 

 そして尾行していたつかさたちはキョウが乗った車両の隣に乗った。安全を考えて同じ車両に乗りたかったようだが、流石にバレる可能性を判断して妥協した模様。

 

 一駅、二駅と目的地に近づくに連れて電車内の人数が増えてきた。

 なるべく隅に居ようとしていたキョウだったが人ごみに流されてしまい、前後左右を囲まれて身動きができない状態になった。

 

(やっぱり女の人が多いな……)

 

 そしてそれはつかさたちも同様で、予想以上の人の多さでキョウの姿を確認できないでいた。

 

「き、今日祭りか何かあったっけ?」

「う~。此処からじゃあキョウちゃんが見えないよ」

「……あの子大丈夫かしら」

 

 一方、一人かがみはとあることを危惧していた。

 それは痴女。前世では男を魅了する単語だが、この世界では全く別の意味を持つ。

 周りを見る限り、当然というか女性が多い。そんな中背が小さく抵抗できなさそうな男の子が、自分と密着しても特に気にせず、無防備な所を晒したらどうなるか……。

 

(つかさには悪いけど、次の駅に止まったら無理矢理にでもあの子の所に行かないと……」

 

「あっ、すみません」

「い、いえお気になさらじゅ!」

 

 ガタンッ! と電車が揺れると同時にキョウの体が傾き、隣の女性に寄りかかってしまった。キョウが謝るとその女性は顔を赤くさせつつ噛んだ。急な呼び出しに死にそうな気持ちだったが、今ので蘇生されたようである。少なくとも今日一日は戦える。

 一方社畜にザオリクを無意識にかけていたキョウはというと。

 

(うーむ……何とか移動したいが)

 

 ギュウギュウ詰めで少し息苦しく感じていたキョウは、それ以上にここから脱したかった。

 男女逆転しているとはいえ、キョウからしたら申し訳なさでいっぱいだった。体中に当たる女性の柔らかい体に羞恥で頬を赤く染めるのに留めるのが辛い。生理現象とはいえ、反応すると男女関係なくヤバい。まず間違いなくバレる。

 体の至る所から感じる人の温度にどうしたものかと思っていると、キョウは思わず背筋を伸ばした。突如ゾワリととある部分から嫌な感触を感じたのだ。思わず足をもつれさせて他の人に縋りそうになり態勢を整えようとしてさらに嫌な感触が先ほどよりも強く彼を襲った。

 

(……もしかしてこれって――)

 

 痴漢! あ、いや痴女だ。

 視線を後ろへと向けると、そこには自分の体にピッタリと触れている人の手があった。

 向こうもキョウが気づいたのを確認したのか、ニヤリと笑みを浮かべるとグイグイと体重をかけて彼へと詰める。倒れそうになったキョウは何とか倒れないようにするも、不安定な場所なせいかバランスが取り辛い。

 

「身体を押し付けてくるなんて……もしかしてノリ気?」

 

 それが相手には身を委ねているように思えたらしく、調子に乗った痴女は彼の耳に口元を寄せて囁いた。興奮しているらしくその痴女の吐息がキョウの耳に吹きかかり、さらにゾワワッ! と鳥肌が立つ。

 

(――なるほど。そっちがその気なら……!)

 

 お灸を据えてやらねばいけない。

 キョウはその痴女の手を掴もうとし――。

 

「――次の駅で降りて貰えますか?」

 

 ――その前に、横から伸びた一人の女性……いや、少女の手が痴女の手を力強く掴んで上へと上げた。

 

 

 

「私は痴女なんてしていないわよ!」

 

 あの後、キョウ、痴女、そしてキョウを助けた眼鏡をかけた少女は駅員室にて警察同伴の下取り調べを受けていた。眼鏡をかけた少女はキョウに自分が引き渡すと言っていたが、自分も居た方が取り調べもスムーズに進むと思い同行した。

 そして現在。痴女をした女性は力強く否定した。あくまでも自分の非を認めないと言っている。

 

「そのガキが勝手に勘違いしただけよ! それどころかいきなり人の腕掴んで無理矢理連れ込んで……横暴よ!」

「もし貴女が実際にしていないのなら、私たちはこんなところには居ません。女性なら女性らしく、認めて反省してください」

「言わせておけば……!」

 

 正義感が強いのだろう。口調は穏やかだが声に籠っている感情には目の前の女性に対する怒りが含まれていた。加えて、キョウに謝罪せず無実を訴え続けることを快く思っていないらしい。対して認めてしまえば自分の立場が悪くなる女性は無駄な足掻きだと分かりつつ喚く。

 しかし、この場には被害者が居る。

 

「触られました。耳元でもそれらしいことを言っていました」

 

 キョウは自分から告げることにした。

 自分を助けた少女の行動に敬意を示して。普通、あそこまで勇気ある行動をできる人間は居ない。それを為した少女に任せたままというのは、どうにも彼の性格上見過ごせるものではなかった。

 ゆえに痴女をした女性にとっての終わりの言葉を告げる。彼が自分から言うとは思っていなかったのか顔を青く染める痴女。警察も駅員も終わりだな、と思った。そしてそれは目の前の女性も同様であり――自暴自棄になった。

 

「な、何が触られたよ! 男一人で電車に乗ってあんなに無防備に居てさ! あんなの触ってくれって言っているようなものじゃない! ア、アンタだって本当は触られたかったんじゃないの? は、ははは。はははははは――」

「――それ以上は、何も言わないでください」

 

 女性の心無い言葉を止めたのは警察でも駅員でも無かった。キョウを助けた少女だった。

 少女はキョウを背に庇うようにして立って、強い意志を持った眼で痴女を見返した。

 これ以上キョウに心労をかけたくない。怖い思いをしたであろう男の子にこれ以上傷ついてほしくない。

 先ほどまで抱いていた怒りよりも、そちらの思いの方が勝ったのか彼女の言葉には今まで以上に感情が宿っていた。

 思わず女性が黙り込んでしまうほどの。

 

「……詳しくは署で聞きます。ご協力ありがとうございました」

「……くそ」

 

 結局最後は、痴女をした女性は何も言わず連行された。

 

 

 

「助けていただきありがとうございました」

 

 その後、駅員から解放された彼らは駅を出て、キョウは自分を助けた少女に礼を述べていた。

 今まではかがみやつかさと言った姉たちが居たため痴女に合うことがなかったが、今回はキョウの軽率な判断によって起きたことだ。ゆえに誠実な彼女に礼儀を持って応対するのは当然のこと。

 

「い、いえ。私は女性として当たり前のことをしたまでですので。

 ただ、厚かましいとは思うのですが、今後は男性専用車両を利用するかご家族の方と同伴するようにした方が……」

「あ、はい。確かにそうですね」

 

 ……キョウとしては男性専用車両はご免被りたいところだ。

 おっさんの加齢臭に充満したあの空間は色々とキツい。しかし今回のようなことがあったため、そうも言っていられないかと認識を改めるキョウ。

 少女はキョウがそこまで傷ついていないことを確認するとどこかホッとした様子を見せる。この世界の男性は女性に対して警戒心が高いため、それがそのまま敵意や恐怖に変わらなくて安堵しているようだった。トラウマにならなくて良かった、と。

 

「宜しかったら送りましょうか? 先ほどのようなことが無いとも限りませんし」

「あっ、大丈夫です。丁度この駅で降りる予定だったので。それにすぐ近くに友達も居ますし」

「そうですか? では、私はこれで失礼します」

 

 正直なところ不安が残るが、あまり関わって負担をかけたくないと思った少女はキョウの言葉に従って素直に引き下がった。

 最後に『お気をつけて』とその場を後にしようとするが……。

 

「あの、お名前をお聞きしても? 俺は柊キョウって言います」

「名乗るほどの者ではありませんが……高良みゆきと申します。ご縁がありましたらまたお会いしましょう」

 

 「では、私はこれで」。その言葉を最後に少女――高良みゆきはその場を後にした。

 どうやら彼女が降りる駅は此処では無かったらしく、それでもキョウを心配して同伴したらしい。

 

(ああいう人のことを淑女って言うらしいけど――人間として憧れるなぁ)

 

 駅に戻っていくみゆきの背中を見送っていた彼だったが、ふと携帯を見て思わずあっと言葉が出る。約束の時間から三十分経っておりメールも何通か来ている。初めは茶化すように急かしているが、最新のメールはこちらを心配しているのが良く分かる文面だった。いつもすぐに返信している分余計に心配させてしまっているようだ。

 彼は急いで待ち合わせの場所へと向かった。

 

 

「あっ、居た!」

「まさか逸れるとは思わなかったね……コミケ以外の人ごみはもう勘弁だよ」

「二人とも、早く行くよ!」

 

 改札口越しにキョウを見つけた三人。電車を降りる所を確認したようだが、人ごみのせいで近づくことができず逸れてしまっていたようだ。駅内を探し回っていたからかそれぞれ額に汗を垂らしている。

 すぐさま追いかけるべく動き出す彼女たちだが……。

 

「ん?」

「どうしたのかがみ?」

「いや、なんか見たことある影が」

 

 ふとすれ違った人物に見覚えがあったかがみだけは立ち止まり振り返る。

 しかし先に向かっているつかさに呼び掛けられたかがみは、気のせいだったかと己を納得させて妹の後を追う。はっきり見ていなかったというのもあるが、それ以上に気になることがあるからだ。同じタイミングで降りた筈のキョウがこの時間に改札口を出たことに、かがみは何かがあったと確信していた。遠目に見る限りキョウ自身は普通だが、妙に気になる。だから、先ほどの人影は気のせいだと。今はキョウを追いかける方が先だ、と。

 

 しかし彼女は知らない。

 すれ違ったその少女が、かがみが危惧した事を解決してくれたことに。大切な弟を助けてくれたことに。

 

 


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