これは、彼が陵桜に入学して数日経った頃のこと。
(はぁ……憂鬱だなぁ)
表情を暗くさせて、深くため息を吐くキョウ。
何故彼がこんなにも憂鬱そうにしているのか。それは……。
「はいはい。出席番号順に並んでね~」
それは、今日が身体検査の日だからだ。
男性教師の指示の下、制服を脱いで下着姿の生徒たちは体重や座位等を測る。
全クラスの男子生徒が集められたからか、そこそこに人数が居り待っている生徒は友達同士で雑談をしていた。
「和夫、また体重増えたんじゃないの?」
「え~、うそ!」
「わ~。智樹のトランクス超イケてるじゃん!」
「え~、ほんとに~? そういう辰五郎だってー」
(キメぇ)
キャピキャピと騒ぐ男子生徒たち。体の変化をからかったり、下着を褒め合ったりしている光景を、キョウはなるべく見ないようにと視線を下へと下げる。
前世の価値観を持つ彼にとっては、男が男に下着姿でベタベタしているのは、色々とダメージが大きいようだ。
しかし、彼がここまで辟易としているのはそれだけが原因ではない。
キョウの下に向けていた視線を、とある方向へと向ける。そこには――。
「うわ! 二宮さんまた背が高くなっている!」
「うわ~……羨ましい……」
「ちょ、やめてよ~。恥ずかしいよ~」
「……」
身長計。そこで騒ぐ男子生徒たち。それを見たキョウは、壁に立てかけている鏡を見て、自分の姿を確認すると再びため息。
努力はしてきたつもりだった。しかし、それが実るとは限らない。
(他の人から見たら、今の俺は胸の大きさに悩む女の子みたいなものだろうか……)
そんなことを考える程度には、キョウは身長を気にしていた。
(早く終わらないかな……)
「次、柊キョウさーん!」
「あ、はーい」
教師に呼ばれたキョウは返事をし、そして――。
その後、しばらくキョウの瞳から光が消えた。
その陰りは学校が終わっても続いたとか何とか……。
第二十話 見えない繋がり
「え? 岩崎さんってみゆきさんと知り合いだったの?」
「うん。……昔から良くして貰っている」
会話の途中、みなみとみゆきが知り合いだと判明し驚くキョウ。
彼の問いに答えつつも、みなみは何故キョウがみゆきのことを知っているのか気になった。
そのことを聞くと、キョウは話した。自分が痴女にあったこと。その痴女から助けてくれたのがみゆきだということ。そして己の姉たちと友達だということを。
「なるほど……そうだったんだ。……今は大丈夫なの?」
「? なにが?」
「電車……普通、そういうことがあったら怖いと思うし」
幼い頃から過ごしているからか、みなみもまたみゆきと同じようにキョウの心を心配した。そんな彼女に対して、まるで姉妹のようだと思いつつ、彼は大丈夫だと答える。
「あれから出かける時は姉さんたちに同伴して貰っているし」
「そう……」
「でも、ちょっと不便かなーって思う。姉さんたちが居ない時は、尚更気を付けないといけないから」
「……? 男性車両に入ったら大丈夫なんじゃ?」
「うん……その男性車両が問題なんだよ」
何かを思い出したのか、瞳から光を消すキョウ。
薄ら笑いを浮かべて、彼は語る。
男性車両で起きた悲劇を。
「男性車両に乗るってことは、女性に対して何かしら思う所を持っている人なんだよね。
でも、そういう人に限って同性に対する距離が近いんだよ……」
「え……それって……」
「うん、そうだよ。痴漢だよ」
「――」
「あの時は怖かったなぁ。思わず隣の普通車両に逃げちゃったよ」
キョウの話に絶句するみなみ。しかし、これは実際に起きたことであり、故にキョウの受けたダメージは大きかった。加えて今語ったのは氷山の一角だ。他にも香水の匂いが充満していたり、ソッチ系の人がイチャイチャしてたり……キョウ自身全てを語る力は無い。
そのことを察したみなみは、もう言わなくても良いからとキョウを止めた。
「なんか、ごめん」
「いや、良いよ。俺も予想していなかったし」
「うん。……じゃあ、今でも普通車両に?」
「そうだよ。姉さんたちには悪いけどねー」
「……今度から」
向こうから申し出たことだが、それでも申し訳なく感じているキョウ。どうにか解決できないかと考えるキョウに、みなみは言った。
「今度から、私が送ろうか?」
「え?」
「お姉さんたちはこれから受験で、いつも一緒に居られるとは限らない。だから、迷惑じゃなかったら」
「……あー、うん。ありがとう。岩崎さんは優しいね?」
「……別に」
そう言うとフイッと顔を横に逸らすみなみ。慣れない人間が見れば怒ったように見えるかもしれないが、キョウはそれが照れ隠しであることを理解していた。
(……しかし)
キョウは驚いていた。今までの経験上、他人からの好意に敏感な彼は、みなみの今の申し出に下心が全くないことを理解していた。友達が困っているから助ける。
そして、その優しさを彼女は中学時代の頃から老若男女関係なく向けているようで……何時しか彼女はこう呼ばれている。
フラグブレイカー、と。
(確か、岩崎さんと同じ中学だった人がそんな感じのことを言っていた気がする)
女性に関しての話題で盛り上がらない男子が目を輝かせるのだから、よっぽどのことだ。
ルックスが男子の好みだというのもあるが、キョウは何度か男子生徒に告白されているのを目撃している。
しかし、彼女はそれを断っており、それがフラグブレイカーと呼ばれる原因だ。
「ただいまー」
「あ、おかえり小早川さん」
「……おかえり」
「うん。えっと、岩崎さん。さっき廊下で男の子からこれを――」
教室に帰って来たゆたかの手には、一つの手紙があった。
丁度考えていたキョウと何度も経験しているみなみは、それが何なのかを理解した様子だった。
こういう事には縁のないゆたかはドギマギとしつつみなみに手渡し、ふと零した。
「それにしても、岩崎さんって本当にモテるよね」
「……そんなことはない」
「でも、いつも断っているよね?」
なんでだろう、と首を傾げるゆたか。彼女からすればみなみの行動はあまり理解できないことらしい。元々そういう経験が無いというのもあるが、この世界の男女比を考えると告白自体珍しく、それを棒に振るみなみは少し変わっていると言えるのかもしれない。
「やっぱり、この前言っていた
「うん……そっちに集中したいから」
「なるほどねぇ」
恋愛に構っていらえないほど大切な事。
キョウはみなみの様子を見て、習い事とかそういうのではないことは理解していた。しかし、推測で分かるのはそこまでだ。
以前からもあった興味が大きくなったのか、キョウの口が自然と開く。
「そのやりたいことって聞いたらダメかな?」
「柊くん?」
「言い辛いことだったらこれ以上は聞かないけどね?」
「……」
黙り込むみなみ。そんな彼女を見ると、少し強引だったか? と思ってしまうキョウ。
しかし彼の心配は杞憂だったのか、みなみは静かに頷いてから二人を見る。
「二人なら……良いかな?」
「本当? 岩崎さん?」
「俺が言うのもなんだけど、無理はしないでね?」
「……いや、私も誰かに聞いて欲しかったから」
――聞いて欲しかった?
その言葉に首を傾げる二人。一体どういうことなのだろうか。
キョウとゆたかが疑問を抱くなか、みなみはスケジュール表を取り出して確認を終える。
「今度の土曜日、私の家に来る? そこで話したい」
此処ではなく自分の家で話したい。
その彼女の言葉に二人は快く承諾し、こうして二人はみなみの家に遊びに行くこととなった……。
☆
「ここが岩崎さんのお家?」
「……うん」
「ザ・お金持ちって感じだね」
ふわぁ……と口を開いて驚くゆたか。初めてのお金持ちの家という物に圧倒されたようであった。そんな彼女の反応にみなみは些か照れたように頬を掻き、何度か目にしたことがあるキョウは悟られないように曖昧に頷いた。
みなみに促されるまま敷地内に入り、彼女の家に入る二人。
『おじゃましま~す』
「はい……いらっしゃい」
リビングに向かうみなみの後を追うキョウたち。そんな彼らの気配を感じ取ったのか、トテトテと足音を立てて近づく影があった。
「ワンッ!」
「あ、チェリー……ただいま」
岩崎家の飼い犬チェリーだ。
真っ白な毛色のシベリアンハスキーで、小柄なキョウとゆたかが圧倒されそうな大柄な犬だ。
チェリーは、尻尾を左右に振って見慣れない人間である二人の元……というよりもキョウの方へと向かった。
そして……。
「バフッ」
「へ?」
「!? ち、ちょっと、チェリー!?」
チェリーはそのままキョウの下半身に顔を突っ込んだ。突然のことに気の抜けた声を上げるキョウ。そして慌てて愛犬に駆け寄るみなみ。彼女は羞恥と焦燥、そして気まずさから顔を真っ赤にさせてチェリーをキョウから離す。
「ご、ごめんなさい柊さん。うちの子が……」
「は、ははは……犬ってこういうことするよね。気にしなくて良いよ」
しかし、何故犬は人間の股間に顔を埋めるのだろうか……臭うのだろうか?
以前若瀬の家でも似たようなことがあったなと思い出しつつ、キョウはチェリーの前で屈んで首元を優しくさする。
するとクゥ~ンと鳴いてその場に倒れ込んで仰向けになった。
「あ、お腹見せた。可愛いね岩崎さん」
「確か、お腹を見せている時はリラックスしているんだっけ? チェリーちゃんは人懐っこいね」
チェリーの体の大きさに委縮していたゆたかも、みなみに触って良いかと尋ねる。すると彼女は快く許可をだし、キョウの隣に屈んでチェリーのお腹を優しく撫でた。
「うわ~……!」
「小早川さんは、犬が好きなんだっけ?」
「うん!」
輝かんばかりの笑顔を浮かべるゆたかに、ほんわかとした気持ちになるキョウとみなみ。
チェリーの毛並みを堪能した後、彼らはリビングで通された。チェリーもみなみたちに付いて行き、机の下で横になる。そんなチェリーに癒されている二人に、コップに注いだオレンジジュースを渡すみなみ。二人はありがとうと礼を一言言うと、ジュースを一口飲んで一息入れる。
「なんだか、チェリーちゃんを見ていると俺も犬を飼いたくなったなー」
「あ、私も私もー!」
「……その時は、色々と教えてあげる」
「うん、ありがとう……じゃなくて。
今日はあの事を教えて貰いに来たんだった」
「あ……そっか」
「あはは……私もついチェリーちゃんに引っ張られちゃった」
三人は顔を合わせて笑い合う。
穏やかな時間だ、と全員が思った。でも、これからの時間はそうはいかない、のかもしれない。どうなるかはこれから語るみなみの話による。
キョウとゆたかは自然とみなみの方を向き、何処となく真剣な表情になる。
そんな彼らの真摯な態度に、みなみを姿勢を正して、頭の中で話すべきことを整理して……ゆっくりと口を開いた。
☆
彼女……岩崎みなみが小学生の頃、彼女はいじめにあっていた。
当時の少女たちにとっては、からかっている、または遊んでいる感覚だったのかもしれない。現に、この時のことを聞いた彼女たちは『小さい頃にしたことでしょ?』と軽い口調で言ってのける程度の認識だった。
だが、少なくとも幼い頃のみなみは……辛かった。
容姿が整っており男子に言い寄られているからか、それとも普段無口で大人しい性格だったからか。
理由は定かではないが、とにかく彼女は同性の子どもに標的にされていた。
そして、みなみはこのことを親にも、姉のように慕っているみゆきにも悟られないようにしていた。
心配させたくない。いじめられていることを知られたくない。
そのようなことを考えて、彼女は一人で耐えていた。
髪の毛を掴まれても、引っかかれても、転ばされても、耐えて耐えて耐えて……決して涙を流さなかった。
――しかし。
「――返して!」
「へへーん! やなこった!」
今回は違った。
母親に貰った誕生日プレゼント。青く綺麗な石がはめ込まれた首飾り。
それをいじめっ子に盗られた時、みなみは今までの無抵抗が嘘のように必死になって取り返そうとしていた。
いつもと違うその反応に、いじめっ子たちは『面白い』と感じ、仲間同士でパスをし合い、取り返そうとするみなみを翻弄する。
「へい、よっちゃんパス!」
「よっと……へへへ。おい、雪女。ペンダントはこっちだぜ!」
雪女。反応が薄く無口な彼女に付けられたあだ名。
それを口にしつつ、いじめっ子はみなみが自分にある程度近づいたところで別のいじめっ子にペンダントを投げ渡す。
「っ……!」
「お? 泣くのか? 雪女が泣くのか?」
「おいおい。泣いたらお前溶けちゃうんじゃねーのか?」
『あははははッは!』
みなみは限界だった。このまま己の感情のままに全てを曝け出したい。
お母さんやお父さん。みゆきさんに心配させたくない。
そんな彼女の想いが崩れ去ろうとしていた。
辛い……辛い……辛い。
取り返すために動かしていた足が止まり、みなみは顔を俯かせた。
「あれ? もう終わりか?」
「おい、良いのかよ。これお前のだろー?」
「取り返さなくて良いのかよー?」
無邪気な、しかし彼女の心を確実に傷つける言葉が嘲笑と共に耳に響く。
(ごめんなさい……ごめんなさい……!)
あふれ出る涙を止めようとして、顔を両手で押さえるみなみ。
それを見たいじめっ子はヒートアップし、どんどん深みに嵌まっていく。
仲間がいるというのも理由の一つなのだろう。隣に共犯者がいるという安心感が、彼らを間違った判断へと導いていく。
「おい、これどうする?」
「捨てるか?」
「それよりも、姉ちゃんに頼んで売って貰おうぜ。そしてお菓子食おうぜ」
「あ、そりゃあ良い! 私チョコ棒!」
「じゃあアタシはマーブル!」
「じゃあじゃあ、うちは――」
盛り上がる仲間に向かって、みなみのペンダントを掲げながら自分の好きなお菓子の名前を言おうとしていた少女。
しかし、彼女はそれを言う前に何か強い衝撃が顔面に響き、快音が鼓膜を揺らす。
ぶへっ!? という情けない声を上げて後ろに吹き飛ぶいじめっ子。突然響いた大きな音にそれまで笑っていたいじめっ子たちは、一斉にそちらへと向く。
「な、なんだお前は!?」
思わずと言わんばかりに、いじめっ子は叫ぶ。その声には動揺の色が濃く表れていた。先ほどまで自分たちと同じように笑っていた仲間が倒れていたというのもあるが、それ以上にそこに佇んでいた子どもが異質だった。
運動シューズに半ズボン。胸の所に星のマークが描かれた赤いYシャツ。これだけなら夏に外で遊ぶ活発な子どものソレだ。現にいじめっ子たちも似たような服を着ている。しかし、その子どもは何故かお祭りで売っているヒーロー物のお面を被っており、手には画用紙で自作したであろう不格好なハリセンを持っている。先ほどの音はこのハリセンからだろう。
そんな異質な存在がいつの間にか近くに居たことに、いじめっ子たちはビビっていた。
対して、問われた当人である仮面を被った子どもは何も言わず、ただジッといじめっ子の方を見ていた。
表情が見えず、不気味だ。彼女たちは目の前の仮面の子どもの空気に呑まれていた。
「あっ! あいつ雪女のペンダント持ってやがる!」
「あ、本当だ!」
「お前、それ返せよ!」
「……」
「な、なんか言えよ!」
仮面の子どもは答えない。ただ静かに佇んで――しかし次の瞬間、一歩踏み出した。
「!」
ザッザッザッと運動シューズを砂に擦り付ける音を立てながら、いじめっ子たちの方へと歩んでいく。
徐々に、確実に近づいてくるお面。それが物凄く怖いもの見えて、いじめっ子たちは知らず知らずのうちに後ろに退いていた。
「な、なんなんだよお前! なんなん――」
「――ふっ」
ヒュッと下から振るわれたハリセンがいじめっ子の下あごを撃ち抜く。スパァーンッとまたもや快音が響き、いじめっ子は先ほどの仲間のように後ろに倒れた。
そして続け様にハリセンが二度振るわれ、音が二つ響く。
仮面の子どもが、残り二人のいじめっ子をハリセンで打ったのだ。現に、それぞれ打たれた頬の痛みに悶絶していた。
「こ、こいつもしかして……ハリセン仮面!?」
「な、なんだよそのダサいの……」
もう一度、ハリセンの音が響いた。
「知らないのかよお前。隣町の鬼の双子のケツを泣くまでハリセンで叩いたヤバい奴だよ!」
「そ、そんな奴がなんで此処に居るんだよ!」
「知らないよ! で、でもいじめっ子を片っ端からしばき回っているって噂が……」
「……それじゃん」
彼女たちは恐る恐る顔を上げた。そこにはハリセンを肩に乗せて見下ろすハリセン仮面の姿が。
まるでこれからしばくケツを品定めしているように見えて――彼女たちは急いで立ち上がるとその場から逃げ出した。
「に、逃げろー!」
「あんな奴に勝てるわけねー!」
「武器持っているなんて卑怯だー!」
「覚えてろー!」
テンプレのような捨て台詞を吐いていくいじめっ子を見送ると、仮面の子どもは振り返る。
彼、または彼女の視線の先にはこちらを呆然と見つめるみなみの姿があった。いじめっ子を撃退していた光景を見て驚いているようであった。自分にとってどうしようもない存在である彼女たちを一蹴したことが信じられないようであった。
そんな彼女に近づき、仮面の子どもは奪い返したペンダントをスッとみなみに差し出す。
「あ……その……」
「……」
「ありがとう……ございます……」
おずおずとペンダントを受け取るみなみ。
しかし、仮面の子どもはその場から動かない。ジッとみなみを見続ける。
「あの……」
「お前、カッコ悪いな」
「――」
仮面越しに声が響いた。変声期前だからか、男の子か女の子か分からない声だった。
しかし、みなみの中では目の前の仮面の子どもは女の子だった。単純に、あのようなことができるのは女の子だと思ったし、服装からもそうだと思ったからだ。
だが、それ以上に仮面の子どもの言葉が衝撃的だった。
「な、なんで……」
「ん? なんとなく?」
「……」
助けられたことは、嬉しい。
しかしそれ以上に失礼な人だと思った。
仮にもいじめられていた子に向かってカッコ悪いと言い、理由がなんとなく、だ。
みなみの中で湧き上がっていた感謝の感情が消えていく。
――だが。
「それ、泣く程大切な物なんだろ? だったらあいつらぶっ飛ばしてでも取り返さないと」
「……だって、相手は四人だったし」
「ボクは倒したぞ」
「だって、ハリセン持っている……」
「じゃあ、これがあればお前はあいつらに勝てたのか?」
「……無理だよ」
「なんで?」
「私には、できない……」
今のみなみには、いじめっ子に勝てるだけの強さがない。
それも腕っぷしによるものではなく、心の方で勝てない。
元々誰かを傷つけることが嫌いな彼女ができるのは、ただ耐えることのみ。
だが、そうしたために相手が増長してエスカレートしてしまった。
みなみもそのことを理解している。しかし、当人である彼女が穏便に解決することは……難しいだろう。
そう考えての言葉だったが――。
「ふーん」
「いや、ふーんって……」
「だってなー……じゃあ聞くけどさ。もしお前の大切な人が、お前みたいな目にあっていたらどうするの?」
「え――」
それは、彼女にとって見過ごせないIFの話だった。
思い浮かべるのは優しい母と父の姿。そして憧れの存在であるみゆき。
そんな彼女たちが自分と同じ目にあっていることを想像して、仮面の男はさらに続ける。
「自分じゃできないって言って知らんぷり?」
「ち、違う!」
「じゃあ、どうするの?」
「助ける!」
「じゃあ、それで良いじゃん」
あっけからんと仮面の子どもは言った。
まるで何でもないことかのように、それが当たり前みたいなように。
「え、でも……」
「自分で言ったじゃん。助けるって。だったら、自分も助ければ良いじゃん」
「自分を……助ける……?」
「そうだよ。誰かを助けるのも、自分を助けるのも一緒だよ」
「……でも、私なんかに……できるのかな?」
「……」
「自信……無いよ」
そう言って、みなみは視線を足元に移した。
まるで今の彼女の内心がそのまま表れているかのようだった。
そんな彼女を見て何を思ったのか、仮面の子どもはため息を吐いてゴソゴソと何やら動き出す。
「ほれ」
「え? ……うわっ」
突如視界が遮られるみなみ。どうやら仮面の子どもが自分が被っていたお面を無理矢理みなみ被せたらしい。サイズが合っていないのか、紐で締め付けられて変な形で固定されてしまう。それによって本来見える筈の仮面の子どもの素顔が見れず、頭を押さえつけられているのも相まって、みなみの視界に辛うじて映るのは仮面の子どもの胴体のみ。
「な、なにするの?」
「これやるよ」
「え……?」
押さえつけられて抵抗していたみなみがピタリと動きを止めた。
「自分が信じられないなら、そのお面のヒーローを信じれば良い。
ヒーローは弱い奴を助けて、悪い奴をやっつけるものだからな」
「……でも、これあなたの」
「良いんだよ。ボクは強いから。それに、最近動きづらいなーって思って」
「お、押し付けている……!」
「細かいことは気にすんな」
フッと押さえつけられていた力が抜けた。
それと同時に遠ざかっていく足音が聞こえる。
「じゃあ、ボク帰るよ」
「ま、待っ――痛っ。ひ、紐が髪の毛に絡んで……」
みなみは急いで、しかし壊さないように慎重に紐を解いて仮面を取る。
しかし――。
「……行っちゃった」
既に仮面の子どもは居なかった。
右を見ても、左を見てもそれらしい影が見当たらず、その場を立ち去ったのだということだけが分かった。
「……お礼、言ってなかったな」
ペンダントとお面を手に、みなみはポツリと呟いた。
☆
「――それ以来、私は彼女を探している」
「そうだったんだ……それが、岩崎さんのやりたいこと?」
「うん。いつか再会してお礼を言いたい」
「……」
「? どうしたの柊くん?」
ふと、話の途中から黙り込んでいるキョウのことが気になったのか尋ねるゆたか。
ビクッと肩を大きくはねらせたキョウは、冷や汗を掻きながら愛想笑いを浮かべる。
「あはは……何でもないよ、うん。何でもない」
「……? 大丈夫?」
「うん大丈夫大丈夫。いや、本当に……」
首を傾げる二人だが、本人が大丈夫だと言うので深く追求するのを止めた。
それがキョウにとってありがたく、彼に整理する時間を与えた。
(もしかして……それって俺?)
柊キョウ。真実に到達。
(いや、でも
※キョウはかがみに似ています。
(あのお面だってそこまで珍しくないし)
※お面被って暴れたアホは一人です。
(ここら辺まで来れるとは思えないし)
※自転車で来ました。
(ダメだ……言い訳を考えれば考えるほど逃げ道が無くなる……!)
チラリ、とハリセン仮面(笑)の武勇伝の話をしている二人を見るキョウ。
「そう言えば、その後はどうなったの?」
「うん。あれ以来いじめが無くなった。いじめをしていたらあの人が来るって噂が流れて。
……多分、あの人がわざとそうしてくれたんだと思う」
「あはは。ちょっと口が悪いけど、良い人だね」
「うん。でも、そこがカッコいい」
キラキラと目を輝かせているみなみ。学校では見ることができない表情だ。
しかし、ハリセン仮面キョウからすれば、申し訳なさでいっぱいになる。
何故なら、あれは……いじめっ子を倒しまくっていたのはただのストレス発散のためだったからだ。当時の彼は荒れており、しばかれた側からすれば堪ったものではない。
そんな彼の行動に感謝しているみなみを見ていると……キョウの良心がジクジクと痛む。
(どないしよ……)
内心頭を抱えるキョウに、ゆたかが声をかけた。
「柊くんはどう?」
「うぇ!? な、なにが?」
「ハリセン仮面さんだよ。柊くんはハリセン仮面に会ったことがある?」
「もし、何か知っていたら教えて欲しい」
「う……」
純粋な瞳を向けられて思わず唸るキョウ。
もしみなみが全てを知ったらどうなるだろうか。
……少なくとも、一人の少女の夢をぶち壊すことになる。
今のキョウに、それをするだけの図太さはなく……。
「い、いや知らないなー。会ったことないよ、うん」
「そっかー」
「そう……ありがとう」
「み、見つかると良いね!」
「……うん」
キョウの言葉が嬉しかったのか、小さな笑みを浮かべるみなみ。その姿がさらにキョウの胸をえぐる。
(恨むぞ……あの頃の俺)
過去の自分を呪いながら、キョウは盛り上がる二人を他所にチェリーと戯れた。
そんな彼に、ゆたかとみなみは不思議そうに首を傾げたそうな。