第十八話 新しい生活
「ったく、柊は本当に冷たいよなー。私らは背景かよ」
「ああもう。だからさっきから謝ってるじゃんっ」
私立陵桜学園3年C組の教室にて、かがみは級友から物言いを受けていた。いつもならズバッと言い返しているのだが、今回は彼女に非があるため強く出れないでいた。
そもそもの原因は進級と共に行われるクラス替えにあった。
彼女、かがみは親友であるこなたたちと同じクラスになりたいと密かに思っていた。しかし、実際に口にすれば揶揄われるために己の胸の奥に仕舞い込み、一人この日を楽しみにしていた。
結果は、彼女の思い通りにならなかったが。
その気持ちが表に出たためか、普段ならこちらを煽る発言をするこなたも大人しかった。
だが、かがみは気にしていない風に装い、別れてから一人静かに気持ちの整理を付けていた。そんな時だ。彼女――日下部みさおに背後から声を掛けられたのは。
「五年連続でそこそこ付き合いあるはずなんだけどなー。そんなに妹と同じクラスになりたいのかよ~」
彼女の言うように、みさおともう一人の級友である峰岸あやのとは五年連続で同じクラスだ。
しかし、目先の事に囚われていたかがみはそれに気づかず、こうしてみさおからブーブー文句を言われていた。
そんな二人のようすを見ていたあやのは、みさおをいい加減諫めようと動く。
「みさちゃん。もうそこまでにしておいた方が……」
「でもよ~」
それでもみさおは納得しておらず、かがみは仕方ないと言わんばかりにため息を吐いた。
「……はぁ。また今度購買で何か奢るわよ」
「お? マジで? いや~やっぱ持つべきものは友だな~」
現金な奴だ。先ほどまでのようすをコロッと変えて明るい笑顔を浮かべるみさおに呆れるかがみ。
そんな彼女だからこそ、こうして交友を持っているのだろうが。
「あっ、そういえば。妹で思い出したんだけど、弟くんも今年入学しているんだよな?」
「お前……」
「みさちゃん……式の時寝てたでしょ?」
「ヴぁ!? な、なんで分かったんだ!? あやのはエスパーだったのか!?」
それはギャグで言っているのか、と思うかがみだったが、見る限り本当に驚いている。
相変わらず単純な性格だな、と本日何度目かになるため息を吐くかがみであった。
あやのもだいたい同じことを考えているのか、いつも浮かべている優しい微笑みにほんの僅かな苦笑が入り混じっていた。
そんな二人の視線に気づかず、みさおはどうしてだ? と未だに首を傾げている。
「弟さん、新入生代表の挨拶をしてたよ?」
「マジで?」
「寝てたからアンタは知らないんだろうけどな」
「なんだ。そうだったのかー」
「それにしても、弟さん凄いよね。ああいう経験無かったんじゃないの?」
「その筈なんだけどね」
かがみは思い出す。普段はそこまで動じないキョウが、新入生代表の挨拶に四苦八苦していたことを。両親や自分たちを相手に練習をしていたことを。あやのがそう言うのなら、苦労のかいがあったものだ、と少し嬉しくなったかがみ。
「なぁなぁ、あやの」
「なに? みさちゃん」
「あのさ……」
右、左と周囲を見渡したみさおは、己の顔をあやのの耳に近づけて小さな声で尋ねた。
「……弟くんの背って伸びてた?」
「!!?」
ほんのりと頬を赤らめて、笑みを浮かべながら。
「ちょ、みさちゃん!?」
「いや、ほらさ。弟くんって将来性がありそうだから、この時期は伸びそうだなーって。で? どうだった?」
「ど、どうだったって……」
みさおの浮かべる顔はいわゆるエロガキのそれで、あやのの動揺はエロネタに耐性のない初心な少女そのものだった。一応彼氏が居るのだが……。
問われて壇上に上がったキョウを思い出したのか、それともそういう目線で見ることに恥じらいを感じたのか、あやのの顔はどんどん赤くなっていく。
「どうなのさ? さぁさぁさぁ!」
「いや、その――あ」
「あ?」
瞳を忙しなく動かしていたあやのだったが、ふいにみさおを……いや、その背後の人物を見た瞬間赤くなっていた顔がサッと元に戻った。それどころか徐々に顔が青くなり、先ほどとは反対の色に染まっていく。
そんな彼女の異変に間抜けな声を出すみさおだが、後ろから囁かれる言葉にそんな余裕を無くす。
「私も、その話聞かせてよ、日下部」
「あ゛」
恐る恐る振り返るみさお。彼女の顔も青くなっていく。
果たしてそこに居たのは。
「話せるものならね」
弟が大好きなお姉ちゃんであった。
第十八話 新しい生活
時は少し遡り、かがみがクラス表を見て固まっていた頃。
キョウもまたクラス表を見ていた。
「あ、あった。1年D組か」
ABCと頭の組から探していたため、なかなか見つからなかったキョウ。
周りの生徒が自分たちのクラスに行くなか、人ごみを分けるのは少し苦労した。やはり、この小柄な体が原因だろうか。この世界の男子では平均的だが、彼の知る男性はもっと背が高くガッシリとしていた。
しかし、陵桜の制服を発注する時のサイズが彼に現実を突きつけた。慈悲は無い。
(小早川さんの名前もあったな……)
先日知り合い友人となった小早川ゆたか。彼女は体が弱いため、こなたからそれとなく気にかけてくれと頼まれていたキョウ。同じクラスになったのなら丁度良いし、それに友人と一緒なら気が楽だとほっと安堵の息を漏らした。
そして、中学からの友人である若瀬はと言うと……。
「――」
「あの……若瀬さん?」
真っ白になって口から魂を出していた……かのように落ち込んでいた。
理由は、彼女が1年E組である、と言えば全て理解できるだろう。
そのことを知った時、キョウは残念だと思っていたが……今では激しく落ち込んでいる若瀬が物凄く不憫に思えた。彼の姉と同じ目に遭っている彼女を、キョウは放って置けなかった。
「せっかく……頑張って陵桜に受かったのに……」
「そ、そこまで落ち込まないで良いじゃんっ。別に会えないって訳じゃないんだし」
「うん、そうだね……」
「そっちのクラスに遊びに行くから。ほら、元気出して」
まるでマンガやアニメのような展開。しかし実際に経験すると分かるこの悲しさ。若瀬の今までの頑張りを思うとなんとも……。
「うぅ……上げて落とされた気分だよ」
「あはは……でもそこまで残念に思われるとちょっと照れるね」
「そりゃあそうよ……ん?」
薄っすらと赤く染まった頬を掻くキョウ。そんな彼の言葉に答えていた若瀬は、己が口走った言葉に違和感を覚え、何を言ったのかを認識し、意味を理解した途端――爆発した。
「あ、いや、その、これは……!」
羞恥によって顔を真っ赤にさせた若瀬は、目をグルグルと回して弁明の言葉を出そうとする。
しかし、混乱した頭では何を言えば良いのか、その正常な判断を下せず、結果単なる言葉の羅列へと成り下がった。
自分よりも取り乱した相手を見ると冷静になるというが、それは正しかったようで、キョウは苦笑を浮かべて若瀬を落ち着かせた。その際に、なるべく先ほどのことに触れないようにするのがポイントだ。そうしないとさらに時間が取られる。
「そろそろ時間だし、俺行くね」
「うん、わかった……」
羞恥で吹き飛んだのか、若瀬は幾分か持ち直した。それでもキョウと同じクラスになれなかったことを引き摺っているようだが……こればかりは仕方がない。
また後で会うことを約束し、二人はそれぞれの教室へと向かった。
キョウが1年D組に行くと、見覚えのある顔をチラホラと見かけた。キョウと同じ中学の生徒たちが何人か居るようだ。
(柊くんと若瀬さんが別れた!)
(つまり、彼女は別のクラス!)
(このチャンスを逃すな!)
キョウと仲良くなり、年齢=彼氏無しを卒業するため、彼女たちは行動にでた。
「久しぶり、柊さん!」
「あ、えっと、よろしく」
「同じクラスだね。一年間よろしく」
「そうだね、よろしく」
「そ、その制服、に、ににに、にあっふぇいるひょ?」
「え? いまなんて言ったの?」
キョウが教室に入ると共に、かつて彼と同じ中学に通っていた女子生徒たちが群がってくる。まるで何日も食事にありつけていなかった肉食動物が、ようやく獲物を捕らえて我先に喰らい付きに行く……そんな飢えがあった。しかし、それも仕方のないこと。共学に通う男子は少なく、もし居たとしても彼女持ちが多い。そのお零れに有り付こうとしても、跳ね除けられるのが常だ。それに、毒のある肉を食べて腹を壊してしまえば笑えない。流石の彼女たちもメンヘラはご免被りたいようだ。ゆえに、若瀬と離れ無防備となったキョウの元に殺到する。
そして、そのようなことが起きれば教室中の注目を集めるのは必然で……。
「なにあれ?」
「さあ?」
「確か、新入生代表の子だったよね?」
「へー。結構イイじゃん?」
このように、かがみが危惧していたことが起こり始めていた。彼女たちもまた、出会いに飢えており、キョウはロックオンされていた。本人はそのことを知らない。
「王子様気取りっていうのかな」
「おれ、あまりああいうの好きじゃないんだよね……」
そして、数少ない男子生徒たちの視線もキョウたちに向けられており、あまり良い印象を抱いていなかった。彼らから見れば、キョウは複数の女子を侍らしているように見えて、それがお気に召さないご様子。進学校に入学したからか、そういう不純なことに敏感なのかもしれない。
密かに同性の友達を作ろうと考えていたキョウが、このことを知ったらどう思うだろうか……。
「よーし。お前ら。席に着けよー」
そんな風に、キョウの第一印象の方向性が定まりかけた頃、このクラスの担任教師がやって来た。
それを見た生徒たちはそれぞれ自分の席に着いていく。
担任教師からの軽い挨拶が終わると、まずは自己紹介から始まることとなった。
「じゃあ最初は……朝倉さんよろしく」
「は、はい!」
教師の進行の元、『あ』から始まる名前の生徒が教壇の前に立って自己紹介をしていく。
名前、好きなこと、やりたいことなどを一言言い、質問があればそれに答える。
そんなあり触れた光景を何処かボーっと見ていたキョウは、ふと視界の隅に何処かで見たことのある影を見つけた。
(あれは……入試の時の)
以前自分が助けた少女が同じクラスだと知り、偶然とは凄いなぁと驚くキョウ。
後ろから見る限り今日は大丈夫そうで、後で声でも掛けてみるか。
そう考えたキョウは、余所見を止めて再び視線を前へと向けて意識を自己紹介している新たなクラスメイトへと向ける。
「岩崎です……よろしく……」
(……ん?)
静かに、簡潔に己の名を言う、緑色の髪をショートカットにした大人しい雰囲気の綺麗な女の子。
何処にでも……というには美少女であるが、普段ならあまり気にしないキョウは何故か既視感を覚えていた。
会ったことがあるような、ないような……そんな奇妙な感覚に首を傾げるキョウ。
そんな彼の傍らで小さな声で囁き合う二人の男子生徒が居た。
近くに座っていたからか、それとも丁度考えていたからか、彼らの話し声がキョウの耳に届く。
「あの人、結構イイじゃん」
「やめときなって。岩崎さん倍率高いうえに、告白してもOKしないんだ」
「へ? なんで?」
「さぁ? でも噂だと好きな人が居るってさ。でも、それっぽい人はうちの中学には居なかったから他校の人かもー」
そこまで聞いて、キョウは情報をシャットアウトした。
噂で色々な目に遭って来た身としては、変な先入観を持って接したくないと考えてのことだったからだ。これから同じ教室で過ごす仲間相手なら尚更だ。
それに、このまま聞いていてもこの既視感は晴れないし、そこまで考え込む必要がないと判断したからというのもある。
その後何人かのクラスメイトが自己紹介を済ませると、クラスで一際小柄な少女――小早川ゆたかが前に出た。
友達の番ということもあり、キョウは姿勢を正して耳を傾ける。
少し動きが鈍いことから緊張しているのを察したキョウは、心の中でゆたかに向かって応援のエールを送った。
「こ、小早川ゆたかですっ。こんななりですが、飛び級小学生じゃないですよー……なんて」
「……飛び級?」
「漫画のネタか何かかな?」
「確かに小さいよねー」
「あ、あれ? あれ?」
笑いを取って空気を和ませようとしたのだろう。しかし、上手く伝わらず微妙な空気となってしまった。
スベッている訳でもなく、かと言って受けているわけでもない。ただ単に理解されていない。
クラスメイトたちは特に何も思っていないが、当事者であるゆたかは物凄く恥ずかしい思いをしていた。
それを何となく察したキョウは、かといって今は何かできる訳でもなく、後で慰めてあげようと心に誓った。
(あと、こなたさんには色々と聞かないと。これ絶対あの先輩の影響だ)
なんとなく、ゆたかをそっち方面に行かせたら色んな人に怒られる気がする。
そう思ったキョウは、アニメにおける師であるこなたに尋問を行うことを決めた。
それから少しして、キョウが助けた少女が前に出た。
黒い長髪に眼鏡をかけた、如何にも文系少女といった風貌の少女。
彼女は一つ息を吸って吐くと自己紹介する。
「た、田村ひよりです。一年間よろしくお願いしますっ」
田村ひより。それがキョウが助けた少女の名前。
その名を覚えたキョウは忘れないように、顔と名前を一致させようとし少女の顔を見つめて、その時ふと視線が交わった。途端、今初めて気づいたのかひよりの目が驚きによって開かれる。
そのことに気づいたキョウは、微笑んで小さく手を振った。何となく、今のリアクションが面白かったからだ。
すると、ひよりは口を噤んで視線を逸らすとそそくさと自分の席に戻った。それを見た教師がどうしたのかと首を傾げるが、時間の都合上追求せずに自己紹介を進めた。
一方、視線を逸らされてしまったキョウは地味にダメージを喰らっていた。
この男、何気にメンタル弱いところがあるのだ。
肩を落とした彼は、一人落ち込む。
「はい、次は……柊さん」
「はい」
気を取り直して、キョウは教室の前へと出る。
先ほど注目されたからか、クラスメイトたちのキョウを見る目が何処となく力んでいる。
しかし、そんな妙な期待をされても困るだけである。某アニメの団長のような破天荒な挨拶をする度胸は彼には無いのだ。どちらかと言うと、やれやれとため息を吐きつつ平凡な日々を送るモブAの方が性に合っている、と彼は思う。それに、ゆたかの二の舞にはなりたくない、とちょっと酷い理由を頭に浮かべつつ彼は無難に自己紹介した。
「○○中学出身の柊キョウです。一年間よろしくお願いします」
「それじゃあ、誰か質問は――」
「はいはーい!」
担任教師の声を遮って手を挙げるクラスメイト。
その少女は、自分の自己紹介の時にボケて笑いを取る……良く言えば明るく元気な、悪く言えばお調子者な性格の人間だった。
そんな彼女の勢いに担任教師は苦笑し、その少女を指名する。
その時点で、キョウは何となく質問される内容が分かり、内心ため息を吐いた。
「柊さんって、彼女とか居るの?」
「いえ、居ません」
「じゃあ、気になっている人とかは」
「秘密です」
淡々と答えるも、クラスメイトたちは興味津々といったご様子。
やはり注目を浴びたせいなのだろうか。
それにしても、とキョウは質問を続けるクラスメイトの少女を見る。
(中学の時にも、同じこと聞いていたじゃん……)
その少女はキョウと同じ中学の者だ。つまり、聞かなくても分かっていることを聞いているということ。
おそらく、注目されている知人を使って笑いを取ろうという魂胆なのだろう。もしこれが悪意あってのものならキョウは冷たく跳ね除けたのだろうが……そうではないので強く出れないでいた。
他の人より多少長く時間を取られて、キョウの自己紹介は終わった。
少し疲れたキョウであった。
「それじゃあ各委員会の役員を決めようと思うけど――」
全ての生徒の自己紹介が終わり、次に行われたのは委員会の取り決めだった。
しかし、そこで教師の言葉がつまる。というのも……。
「学級委員長を立候補する人は……居ないよなぁ」
そう、ほとんどの人間がやりたがらない学級委員長。
初めに決めようとするも十数分経った後に、諦めて他の委員会から決めて余った者が罰ゲームの如くやらされる貧乏くじ。仕事が多く教師と頻繁に関わり、真面目な仕事だから人気などない。
そのことを理解しているゆえに、担任教師は困った表情を浮かべる。
「岩崎ー。お前中学の時やってたんだからやったら?」
「おっ、そうなのか? 岩崎、頼んでもいいか?」
「……ごめんなさい。他に希望する委員会があるので……」
「そうかー。経験者なら任せられるんだけどなー」
長くなりそうだ、と誰もが思った瞬間、一人の女子生徒がみなみを推薦した。
それを聞いた教師がみなみに問いかけるも、彼女は別の委員会に入りたいと断った。
残念そうにしながらも、教師はみなみの言葉を受け入れ他の者は居ないか? と教室を見渡す。
「ねぇねぇ。どの委員会に入りたいの? 図書委員とか?」
そんななか、ゆたかはこっそりとみなみに希望する委員会について尋ねた。
すると……。
「……保健委員」
恥ずかしそうに、しかし優しい声でみなみはそう答えた。
楽そうだからとかそういう理由ではなく、本当に保健委員になりたいという意思が感じられる声だった。入試の日に助けられただけに説得力がある。
「せ、せんせい! 私が立候補します!」
「お、そうか? じゃあよろしく頼むなー」
ゆえに、その衝動のままゆたかは立候補した。何としてでも保健委員にならせてあげたいと思ったのだろう。ゆたかもまた、心優しい少女であった。
しかし……。
(え!? 小早川さんどうしたの?)
そのことを知らないキョウからすれば、突拍子のない行動に見えた。
(学級委員長って結構忙しいみたいだし……大丈夫かな?)
体が弱いことを知っているがゆえに、キョウはゆたかのことを心配し、かと言って反対するのも得策ではない。
本人が立候補した以上、その意思を尊重した方が良い。
何かできることがあれば、フォローしてあげようと彼は心に決めた。
「じゃあ、次は副委員長を決めようか。女子が委員長になったからなるべく男子になって欲しいかな。まぁ、強制はしないけどねー」
「あ、じゃあ俺なります」
『!?』
そしてその機会はすぐに訪れた。
キョウが立候補すると、委員長に決まったゆたかがこちらを見て、彼の意図を察すると嬉しそうに、かつ照れ臭そうに微笑んだ。そして、キョウを狙っている女子たちはただ単に驚き――すぐにそれぞれ同じ答えに辿り着いた。
「そうか。じゃあ学級委員はこれでー」
「――あのっ。先生! やっぱり私学級委員長に立候補します!」
「え?」
「私も!」
「私も!」
「あ、じゃあ私も。なんか面白そう」
次々と挙がる立候補の声と手。
突然の事態に教師は目をシロクロさせ、察したキョウの目は冷めていく。
「小早川さん。ごめんけど譲ってくれない?」
「え? え?」
「いやいや。ここは私が。小早川さん体小さいし、体力のある私がした方が」
「何言ってんの。学級委員長はクラスの顔だぞ? その責任をアンタが取れるの?」
私が、私が、私が、と学級委員長に立候補する者たちが言い争う。
先に決まっていたはずのゆたかは既に解雇されて、誰がなるべきかと討論を続けている。
その光景をゆたかと他のクラスメイトたちはポカーンと見ており、教師はどうしたものかと決めあぐねていた。
「先生」
「ん? なんだい?」
「俺、やっぱり止めておきます」
『え゛?」
キョウが放った言葉に彼女たちは動きをピタリと止めた。
担任教師は不思議そうに受け答えをする。
「大丈夫なのかい?」
「はい。俺よりも熱心な彼女たちの方が適任だと思ったので。どうせならあの中から両方決めたら良いかなっと。小早川さんは?」
「え? えっと……私も譲っても大丈夫です」
「はい。という訳で俺たち二人は降りるので――」
「ちょ――」
「いやー、先生は嬉しいぞ。ここまで熱心な生徒が多くて」
『……』
もし、ここで降りようものならなんて言われるか。どんな目で見られるか。
かと言って立候補した理由を馬鹿正直に答えようものなら、この先一年肩身の狭い思いをしそうだ。ゆえに、彼女たちは諦めてじゃんけんで勝った者から委員長になることにした。人生初めてかもしれない。ここまで負けたいと思ったのは。
その後も各委員会を決めていくことになり、結局キョウもゆたかも委員会に入ることはなかった。
☆
「なるほど、そういうことだったんだ」
「うん。ごめんね? 心配かけて……」
「いや、良いよ。こっちが勝手にしたことだし」
休み時間。キョウはゆたかが委員長を立候補した理由を聞いて納得していた。
友達思いなところにほっこりしつつ、件の少女――みなみへと視線を向ける。
「岩崎さん、だったよね。さっきクラスの前で自己紹介したけど、俺は柊キョウ小早川さんの友達。よろしくね」
「……うん、よろしく」
手を差し出すと彼女は快く応じた。
表情をほとんど変えず言葉数が少ないため、何処か冷たい印象を覚えられがちな彼女だが、キョウはゆたかから入試の時のことを聞いて『優しい人』という先入観があったため、そのような印象を抱くことはなかった。
「……二人は、同じ学校だったの?」
「ううん、違うよ~」
「姉と従姉妹が友達で、その縁で知り合ったんだ」
「そう……」
「……」
「……」
しかし、会話がなかなか続かない。
元々そういう性格なのだろうが、何処となくキョウを……というよりも男子に対して苦手意識を持っているように見えた。
先ほどのクラスの男子の会話から、異性からの人気はあったようだが……それが原因だろうか。
似たような境遇のため、何とか打ち解けたいと思って、取り合えず雑談をして徐々に仲良くなっていこうとすることにしたキョウ。
「そう言えば、二人とも好きなものってある?」
「好きなもの?」
「うん」
「そうだなー……あっ、私は動物かな? 特に犬とか。め○ましテレビの『今日のわんこ』とか見ていると飼いたくなるなーっていつも思うよ」
「なるほどー。俺も犬好きだなー。岩崎さんは?」
「……私、飼ってる」
「え?」
「本当?」
「見る?」
『見たい見たい!』
何処か表情を柔らかくさせて携帯を取り出すみなみ。どうやらこの話題は正解だったようで、一気に距離がぐっと近づいた気がしたキョウ。
「はい」
「わー、おっきい!」
「シベリアンハスキーかな?」
「うん。私が子どもの頃から飼っている子。ちょっとイタズラ好きだけど、可愛い」
「うんうん。そうだよね! 犬ってかわいいよねー!」
白い毛並みがもふもふしていて、実際に撫でてみたいなーっとキョウの頬が綻ぶ。
若瀬の家にも犬が居るが、みなみの犬は大型で別の良さがある。
今度、小早川さんと一緒に遊びに行って良いか、尋ねようと顔を上げたところで――キョウは思い出した。
(あっ)
自己紹介の時に感じた、みなみへの既視感。それが今、彼女の家の愛犬を見て思い出した。
それは、痴女から助けてくれたみゆきの元にお礼を言いに行った日。母がメモを片手にみゆきの家を探していた時に、不意に見つけてしまったとある一軒家の庭。
そこに居たのはシベリアンハスキーと戯れる少女――みなみの姿。それも、彼女にとって恥ずかしいであろう場面で。
(あの時の人かーっ!)
「今度遊びに行っても良い?」
「うん……良いよ」
「ありがとう! 柊くんも一緒に来る?」
「え!? あ、うん、ソウダネ」
『??』
思わず片言になってしまうキョウ。二人は彼の行動に不思議に思ったのか首を傾げるも、キョウは何でもないと誤魔化した。
(なるべく、バレないようにしておこう……)
そしてキョウは、みなみのイメージを崩さないためにもこの事は胸の奥に仕舞っておくことにした。
下手に羞恥心を煽る必要もない。
しかし、彼は何となく罪悪感を感じていた。何と言うか、弱みを握ってしまったような……。
(……でも)
キョウは、ゆたかと話すみなみを見る。
先ほどまで感じていた既視感の理由は判明した……したのだが。
(本当に、あの時のことなのかな?)
何故か、別の理由があったような気がした。
☆
「ん? あれってこなたさんじゃない?」
「え? あ、本当だ。おーい、お姉ちゃーん」
「んお? おおう、ゆーちゃん。それにキョウくん」
身体が弱いゆたかのために、前もって保健室の場所を確認しようと廊下を歩いていたゆたか、みなみ、キョウ。その道中偶然にもこなたと出会った。自販機に行っていたのか、手には飲料水を持っていた。
声をかけられたこなたは、ゆたかとキョウに気づくと振り向き、しかしすぐに沈黙するとキョウを凝視しだした。突然黙った彼女にゆたかとキョウは首を傾げる。
「どうしました?」
「ん、いや。こうしてみるとさ……」
こなたの視線の先はキョウの着ている制服だ。
何処か変だろうか、似合っていないのだろうか。何となく気になったキョウは己の制服を見下ろして確認する。
特に気になるところはない。ますます分からず、キョウはとりあえずこなたの次の言葉を待った。
「あれだね。エロいね」
『!?』
予想以上に酷かった。
「DKキョウくんって、そこはかとなく18禁臭がして危険な気が……」
「危険なのは今のこなたさんですっ。なんですか、出会い頭に『エロい』って。勘弁してくださいよ、ここ学校ですよ!?」
「いやー、やっぱり姉弟だね。まるでかがみんみたいだ」
常識とかモラルとか、そういうのを吹き飛ばした言葉にゆたかとみなみは絶句していた。去年の夏から鍛えられたキョウはツッコミができる程度には耐性があったが、彼女たちには刺激が強すぎたようだ。
「で、その子が例の?」
「あ、うん! 岩崎みなみちゃん。この前助けてくれた人」
「……はじめまして」
さっきのことは無かったことにしたのか、挨拶を交わす三人。
ゆたかは得意げに自分の言った通りになったでしょ? と胸を張る。こなたはそんな彼女に苦笑しながらそうだね、と同意を示す。その辺りの詳しい事情を知らないキョウとみなみは不思議そうに見ていた。
「そういえば、こんな所でどうしたの?」
「えっとね、保健室の場所を確認しようかなって。私、こんな身体だからお世話になると思うし……」
「岩崎さんは保健委員ですし、俺は入試の時に行ったことがあるので丁度良いかと」
「へー。よく覚えているねー。私、使わないから何処にあるか分かんないや」
「お、お姉ちゃん……」
「流石にそれは……」
こなたらしい言葉に、ゆたかとキョウは苦笑い。
「それにしても……」
ジッと三人を見るこなた。
見られた三人は、自然と身構えた。先ほどの強烈な言葉がそうさせるのだろう。
しかし、それは不要なことだった。
「良い友達ができたみたいだね。良かったねゆーちゃん。キョウくん」
この時だけは、先輩で、姉であるこなただった。
不意打ちで言われた二人は、驚いた表情で彼女を見て、しかし次には笑顔を浮かべて頷いた。
「……うん!」
「そうですね」
「ふっふっふ。岩崎さん。この二人のことよろしくネ? どっちも良い子だから」
「……はい」
その優しい言葉に、みなみはうっすらと笑みを浮かべて応えた。
「あっ、でもキョウくんには気を付けてね。フラグ建てにくいのに、心擽ってくるから」
「ふら……ぐ?」
「こなたさん。色々と言いたいことありますけど、とりあえずもう少し先輩としての威厳を保ってください」
一般人相手にも容赦ないこなたに、ため息を吐きながらキョウは彼女の暴走を止めるべく動いた。
☆
「え? 若瀬さん学級委員長になったの?」
「うん。中学の時してたし、まぁ良いかなーって」
午前の授業が終わり、キョウは若瀬のクラスに訪れていた。
別れる前に約束していたため、こうしてやってきたのだが……その時の若瀬の表情が本当に嬉しそうであった。どうやら、休み時間になる度にドアを見て、それでも来なかったため寂しい思いをしたらしい。
それを聞いたキョウは思わず苦笑した。
そして昼食を取っているなか、委員会の話になり、キョウは若瀬が学級委員長になったことについて驚いていた。
「少し意外だったかなー」
「そういう柊さんだって。去年副委員長してなかったっけ? 推薦とかされなかったの?」
「推薦は無かったけど……立候補はしたかな? でもクラスの他の人が凄いやりたそうだったから譲ったよ」
「……あー」
キョウの言葉を聞いて、若瀬はだいたいのことを察したのか、納得しつつキョウのクラスの委員長に合掌した。何となく、気持ちは分かるので何も言えないというのもあるが。
「そういえば、
「え? うんそうだよ」
「そっかー……」
「……どうしたの?」
是、と答えられた若瀬は何処となく表情が暗い。
疑問に思ったキョウが尋ねると、彼女は言い辛そうにしつつも答えた。
「いや、今の私って自分で自分の眉間に銃を突き付けているような気が……」
「あー……そういう意味ね」
若瀬の言いたいことを理解したキョウは、しかしそれを否定することができず視線を逸らした。それはつまり彼女の思っていることが正しいという意味であり、自分もそう思っているということ。
「……もしもの時は、ゴメンネ?」
「凄く不安になるんだけど……」
「あっ、そう言えばかがみ姉さんから紹介してよって言われてた」
「わざわざこのタイミングでそれを言う!?」
涙目になって震える若瀬。キョウと同じ中学に通っていた女子は知っている。柊キョウに手を出した女子がどのような末路を辿るのか。
体目的で近づいた者は漏れなく排除された。
自分は違うと思うが、この想いを知られればブラックリストに載ることは間違いなし。
結論。顔を合わせたら若瀬はやばい。
「一応ここの先輩に止めて貰うように言っておいたから大丈夫だよ……多分」
「うー……なんだか色々と先行きが不安だよー」
キョウとはクラスが別れ、怖い先輩に目を付けられている。
入学したてというのもあるのだろうが、若瀬の心中に暗雲が立ち込める。
「まっ、度が過ぎたら俺から言っておくから。そこまで気にしなくて良いよ」
「できればその前に言って欲しいかなー」
「はは。そうだね」
適当に答えつつ、キョウは弁当の唐揚げを頬張った。
「あっ、そういえば……」
「?」
「入試の時に助けたって子は居たの?」
「あー……居たんだけど……」
「……?」
キョウは自己紹介の時のことを若瀬に話した。
その話を聞いた若瀬は、キョウを慰めつつその少女の気持ちを何となく理解していた。
(男の子に手を振られたら、そうなるよねー)
キョウと仲良くなる前の自分を思い出しながら、南無とひよりに手を合わせる若瀬。キョウからすれば何て事のない行動なのだろうが、男に耐性の無い人からすれば破壊力抜群だ。つまり萌える。もし自分だったらノックアウトされていただろうに。
「馴れ馴れしかったのかなー……」
「んー……まぁ、そこまで気にしなくて良いんじゃない? いつか話しかけてくれるよ」
「そうだと良いんだけど……」
普段彼女のことを気にしいさんだと言うキョウだが、彼もまたそうなのだと心の中で思う若瀬。
(というか、私的にはやばいかなー、これ。漫画だとフラグ建つよね。いや、男女逆だけど)
しかしそれ以上に危機感を抱く若瀬であった。
☆
「う~ん……結局話せないまま一日が終わってしまった」
自宅の私室にて頭を抱える少女の名は田村ひより。
机の上にはハンカチが置いてあり、それを渡してくれた少年のことを思い出しながら、彼女は悶えていた。
自己嫌悪に陥っているのだろうか。助けてくれた恩人に対して失礼な態度を取ってしまったことに……。
「それにしても、描きたいな~……結構イイシチュだと思うんだけど」
……いや、どうやら彼女は己の中の欲望と締め切りに苦しめられていたらしい。
彼女はとある同人サークルに所属している人間で、コミケでは自分の描いた本を販売している。
入試の時に気分が悪くなったのもこれが原因で、勉強と同人で睡眠を取れず徹夜が続いて体調を崩してしまった。そこをキョウに助けられたのだが……。
「うぅ……あの純粋な顔を見たら、ますます罪悪感が……」
どうやら、その実体験を本のネタとして使用してしまったらしい。
そして、そのネタの提供者であるキョウと目が合ってしまい、咄嗟に目を逸らしてしまった……と。
「とりあえず、明日このハンカチを返そう。そしてちゃんとお礼を言わないと」
しかし、しっかりとキョウに対して感謝しているようで、明日こそはお礼を言おうと心に決める。
「……その前にネタ帳に書いておこう。うん。まだ描いていないからギリギリセーフギリギリセーフ」
ちゃっかりと愛用のメモ帳に今日体験したことを書き込みながら。