カルデアの落ちなし意味なしのぐだぐだ短編集   作:御手洗団子

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今回は少し長めです。
そしてメルトリリスのキャラが崩壊している部分があります。苦手な方は用心してお読みください。


ミニック・メルトリリス

「————?」

 

 彼は何かを決心したかのように私に過去に電話をすることは出来るか? と聞いてきた。勿論とは言えないが出来る、此処はある意味出来ると思えばなんでも引き出せる虚数空間に似た空間だ、私が少しハッキングすれば過去にだってつながることが出来るだろう。

 だがそれは気軽にできる方法と比べてとてつもなく危険な行為である。不確定な未来とは違い、それは正に歴史を変える、人類史を破壊する原因にもなりかねない。

 人理を救った彼が人類を破壊する可能性のある方法を取る。この人は未来に希望を持ち、過去の後悔に引きずられる様な人ではない。

 彼らしくない、私はそう思って極少ないリターンと大きすぎるリスクを説明した。出来るだけ思い直すように。

 それでも彼は「頼む」と一言いうと、すがるような目で私を見てきた。それは私が今まで見たことのない彼の顔だった、弱弱しく、子供の様。

 

「……私は、忠告したわよ」

 

 その目に負ける様に私が通信機を渡すと、彼は震える手で番号を押し始めた。

 

 

 

 

 

 

「まったく、なんで私が……あのドンファン顔の言うことなんか……」

 

 それは日も落ちかけてカルデアに夕食の時間が迎えたころ。 誰もいない静かなダ・ヴィンチちゃん技術工房に足元に広がるガラクタか発明品か見分けのつかない物に足を取られながら一人の少女が踏み入れていた。

 白鳥のように美しく、儚げな印象を持たせる誰もが振り向く美少女であったが、その足はおおよそ人間の物としては固く鋭すぎる鉄の具足であり彼女が人間ではない事を一目で分からせるに十分な要素であった。

 彼女の名はメルトリリス。カルデアに召喚されたサーヴァントでありプリマドンナである。

 そんな彼女は今その可憐な顔に精一杯皺を寄せて最後に目撃されたというダ・ヴィンチちゃん工房に足を運んでいた。

 なぜ彼女がわざわざダ・ヴィンチちゃんの工房にその足を踏み入れなければいけなかったのかそれは、絶賛夕食に遅刻中のマスターを呼び出すためであった。

 

 

 

 

 

 カルデアに存在する食堂は、エミヤ(おかん)率いる母性溢れるサーヴァントたちの尽力の元、早い、安い、旨いの三拍子がそろった人気の食堂で、決められた時間内に来ればいつでも愛情籠った暖かいご飯を食べれるとして標高六千メートル、雪山の中のインスタントとヌードルしか作れない職員たちにもありがたられていた。

 無論カルデアのマスターも食堂を利用している一人であり、幾つもの旅を超えて大人びるようになった顔が好物の時に子供の様な顔に代わる様は母性を刺激されると料理好きのサーヴァントと某の母には密かに人気でもあった。

 なので某の母が食事当番の時は時々メニューをマスターの好物と金時の好物にしてその笑顔で食べる顔を体をくねらせながら幸せそうに眺めるのが日課だったのだが、今日のマスターはなぜか食事の時間になってもやってこない。それどころか金時とベアー号でゴーでもしていると思ったら金時が先に来る始末である。

 

「折角今日はあの子の好きな料理を、よよよ……」

 

 と時計の秒針が一つ進むたびにその大きな胸を悲しみにいっぱいにして某の母が涙を目に浮かべはじめたので、大体こういう時はまな板が犠牲になると知っているエミヤは丁度食券を買おうとしていたメルトリリスにマスターの捜索依頼を出したのだった。

 メルトリリスからすればそんな依頼蹴り飛ばしてさっさと食事にしようと思ったのだが、ドンファン顔が頭を下げる姿は気持ちよかったし、デザート無料券を出されたため仕方なくマスターの捜索を了解したのである。

 

 

 

 

 

「まったく、いないじゃないの……」

 

 という経緯でダ・ヴィンチちゃんの

 

「確か工房を見てみたいと言ってたからそこじゃないかな、確かにあそこは様々な発明品が転がっているから彼が夢中になるのも仕方がないだろうね、いやぁ少年の心をいとも簡単につかめる自分の才能がおそ──」

 

 という発言の元、技術工房に足を運んでいるのであるが、当の技術工房は何かの絵画や模型、それに大量の計算式やメモが書かれた紙が散らばっているだけでマスターの姿なんて姿形も見当たらない。

 作業場と倉庫が兼任されているような部屋は広く、背の高い絵画や天井からぶら下がっている物もあって見通しは悪い、日々マスターが交換に利用している部屋はその氷山の一角であったらしい。本当にこの部屋にマスターが来たのも怪しい所である。

 だが、部屋の入出ログにはたしかにマスターが入ったらしい記述があった。それもダ・ヴィンチちゃんが言った通り昼過ぎに一回である、だが不思議なことに退出のログには誰もそのあとこの部屋から出ていないのだ。

 ということは先ほどの天才が言った通り、時間も忘れるほど発明品などに夢中になっているか、いつもの様に眠気が襲ってきて場所も選ばずにヒュプノスの導きあるままに惰眠をむさぼっているかのどちらかである。

 そしてマスターの場合後者の確率が高いため、メルトは見つけたらどうしてやろうかと脳内でマスターをけちょんけちょんにしながらマスターの捜索を開始し始めた。

 

「まったく、さっさとしないと夕食に──……?」

 

 ふとメルトの瞳に一つの痕跡が映る。

 それは埃が被った芸術品のテーブルに着いていた手形であった。埃が被っていると知らずに手を置いてしまったのだろうか、くっきりと手の跡が残っており、メルトはそれに目を近づけて分析を始める。

 

「掌、指の太さに第一から第二関節の長さ……あの人ね……」

 

 メルトは以前にマスターから手を包まれた時にマスターの手の形を記憶しており、その記憶を頼りにこの手の跡がマスターであると推察する。

 

「足りないのは、温かさだけ……か」

 

 これはメルトにとっては好都合であった、このまま痕跡を辿っていけばいずれマスターが転がっているであろう床に辿りつけるからであり、その分早くマスターを見つけて夕食にありつける。

 

「メモを踏んだ後、此処に手をついてさらに奥へ……一直線ね何かを見つけたかしら。ドジ、ここで転んで手を床についてる、そしてそのまま部屋の隅に……?」

 

 そのままマスターの痕跡を辿りつつ、部屋の奥へと進んでいくと、不自然にマスターの痕跡が途絶える。

 行動を追っていたメルトの目の前には木製の宝箱が埃をかぶって忘れ去られたかのように置いてあり、マスターの痕跡はこの宝箱を開けてから途切れていた。

 足跡などから判断するとマスターは此処から一歩も動いていないことになるのだが、現にマスターの姿はどこにもなく羽でも生えて飛んでいくか、霊体化でもしない限り土台無理なことであり、メルトは普遍的なホラーかミステリーの中にいる様な感覚に一つため息をついた。

 

「あとは、この宝箱に……いえそれこそ馬鹿らしいわね」

 

 残る可能性としてはこの宝箱の中にマスターが入って、昼過ぎから夕方の今現在までミミックのようにそこを住処として宝箱ライフを満喫していることであったが、それこそ有り得ない事であった。

 確かに人が入れるぐらいの大きさの宝箱であるが、寝転がるスペースもないし蓋を閉めればマスターの背では屈んでも閉じるのに苦労するであろうし。さすがに誰かが来る確証もないこの部屋でそんなところにわざわざ入って今の今まで宝箱の主になるほどマスターは変態ではないとメルトは思っていたし、思いたかった。

 だが、その宝箱を見ていると何だか中から聲が聞こえてくるようでメルトはなんだかその宝箱の中身を確かめたくなってきてしまう。

 

「いや、いやいやありえないわ、ありえない」

 

 ————匣の中には少年がぴったりと入ってゐた。

 

 なんて魍魎な匣的な展開が待っているわけはないが、どうにも一度気になると確かめられずにはいられない。

 マスターがこの中にいるわけない、馬鹿じゃあるまいし、とメルトはこの宝箱が空であることを祈りつつその蓋を足でゆっくりと開けてみる。

 宝箱は深淵の蓋を開いたかのように不気味に軋んだ音を立てながら開いていく、部屋の光が宝箱の中をゆっくりと照らしていき、そこには──

 

「————ほうー……」

 

 ————匣の中には少年がぴったりと入ってゐた。

 

「……………」

 

 静寂が部屋を包み込み、数瞬してゆっくりと宝箱の蓋が閉じられる音が部屋に反響し、また静寂が部屋を包む。

 メルトリリスは下がっていた両手をゆっくりと震わせ、苦労しながら顔へと持って行き自分でもガラでもないと思いながら小さく

 

「神様……!」

 

 とここカルデアでは何人かが振り向きそうなセリフを呟いた。

 なにが、どうして、どうなって、高性能AIでも追い付けない目の前の光景にどうにかして落ち着こうとメルトは深呼吸をするが目の前の現実が虚像であったという痕跡など見つかるはずもなく、メルトはまたゆっくりと確かめる様にまた宝箱を開けていく。そこには──

 

「————あ、あはは」

 

「ふん!」

 

 ————匣の中には少年がてへへと入ってゐた。

 

 勢いよく閉められる蓋。

 部屋に響く音。

 メルトはいよいよ宝箱に体操座りで入っている変態が亡霊でも幻覚でもなくマスターだと認めざるを得なくなった。

 二回目も蓋を閉じられたからであろうか、宝箱が跳ねるように動いて此処にいるぞとさらに自己主張しており、メルトは頭痛持ちのスキルを獲得したような面持ちで勢いよくまた宝箱を開けた。

 

「何をやってるの貴方……」

 

「————……」

 

「箱に入ってるのは見ればわかるわよ! なんでこんな時間まで宝箱に入ってるか聞いてるの!」

 

 そのメルトの言葉にマスターは怪訝な目をして周りを見渡し、今が何時かメルトに尋ねる。

 カルデアは標高六千メートルの雪山の中にある、もちろん部屋の中は窓なんてなく疑似景観描写窓でも見なければ外の景色で時間を判断をすることなんてできない。

 

「もう夕食の時間も過ぎてるわ、早くしないとあのリップほどじゃないけど無駄に脂肪が付いたバーサーカーが泣くわよ、泣いてるけど」

 

「————……?」

 

「はい? 宝箱に入ってから十分程度しか経ってない? そんなことあるわけないじゃない、さっさとそこから……!?」

 

 メルトから時間を聞いたマスターが慌てて宝箱から出ようと足を外に出すが、何かが可笑しい。

 宝箱から出た足がマスターの体と比例して大きいのだ、まるで遠近法の二つの物体を無理矢理同じ空間に持ってきたかのような屈折した光景だが、宝箱を境にマスターの体のサイズが変化しているのを見るとそれが逆だと分かる。

 宝箱に入ったマスターが小さくなっているのだ、宝箱に納まらないサイズの物でも収まる様にその物体が収縮されているのである。

 

「まるで世界が分けられて……屈折現象……いえ、私がそう認識しているから……?」

 

「———……?」

 

「へっ……?」

 

 その光景を見て、思い当たる節があったのか考え込むメルトであったがそれがいけなかったのか、自分のさらけ出しているお腹へ急接近するマスターに気付かなかった。

 マスターもすき好んで——嫌いではないが——美少女のお腹に突っ込むわけではない、マスターが宝箱の中から見ていたメルトはもっと遠くの場所にいたはずなのだ。

 それが宝箱から出た瞬間、目の前にはメルトの柔らかそうなお腹。マスターは呆気にとられて避ける暇もなくそのままメルトの柔らかな腹部にへと幸せな衝突を起こしてしまう。

 

「……」

 

「…………」

 

 ぷに、という擬音が付きそうな衝突と共に今日何度目か分からぬ沈黙が部屋を包んだ。

 双方の顔はダイナマイトの導火線に火が付くように徐々に赤くなっていき、爆発までにそう時間はかからないように思えた。

 

 

「にゃ、なーーーー!?」

 

「————!?」

 

 打って変わって双方の絶叫が部屋を包むんだ。

 思わず足を振り上げるメルトに驚いたマスターは後ろの宝箱に足を取られまた宝箱の中に尻もちをついてしまうが、そのまま底が浅いはずの宝箱に上半身全部がぬるりと入って言ってしまい、足だけが宝箱から真直ぐに飛び出している状態で止まってしまう。

 まるでどこかの金田一な映画で見たことのある殺人現場の様であった。

 

「ひゃっ、えっ、ちょっと————」

 

 それに巻き込まれたのはメルトである。

 マスターが宝箱にスケキヨる直前に咄嗟にメルトの服の裾を掴んでしまったためにバランスを崩したメルトが振り上げた足を入れたのは宝箱の中、190センチの身長の約半分を補っているメルトの足が宝箱の中に吸い込まれ、そのままメルトも宝箱に落ちるように収納されていってしまう。

 その騒動で宝箱が揺れたのか、宝箱の蓋はそのまま軋みながら口を閉じていき、

 

「あいたぁ!?」

 

 メルトの頭を押し込むように勢いよくぱたん、完全に二人を中に入れたまま閉まってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿! ヘンタイ! トーヘンボク! シシオドシ! アオイロムッツリ!」

 

「————!」

 

 真っ暗な空間の中でペシペシと何かを叩く音が鳴る。

 空間の中には顔を真っ赤にしてマスターの頭をその袖で叩いているメルトとそれを正座しながら受けているマスターがいた。

 宝箱の中身は柔らかいクッションで囲まれているものの、物理概念は全てが淀んでいると言っても良かった。標準男性より背が高いマスターをさらに超えるメルトでさえすっぽりと収納しているが手を伸ばしても天井に着くことは無い。

 だが、マスターがまばたき

 蓋が閉じてから出口でさえも元々なかったかのように宝箱から外の空間は遮断され、メルトがサーヴァントの力で高くジャンプしても蓋に辿りつくことも出来なかったのだ。

 まるで一寸先も見えない暗闇の迷路に閉じ込められたかのようであった、しかも出口は無く、入り口さえも閉じられている。

 だがメルトはその迷路に閉じ込められたことに怒っているわけではなかった、自分のせいで落ちてきたメルトを庇おうとマスターがメルトの下敷きになったからである。

 メルトもサーヴァント、それも元々は女神を融合したハイ・サーヴァントである。自分で体勢を整えて着地出来たのにマスターが下にいたせいで鋭い脚を下に向けることが出来ず、体ごとマスターに当たらなければいけなかったし、その際にマスターの顔が自分の谷間——果たして深さがない谷間を世間一般的に谷間と呼ぶかは置いておいて——に埋まって呼吸までされた。

 つまりはその超幸運的破廉恥、またの名をラッキースケベに憤っているわけであり、どちらかと言うと落ちてくる自分を庇おうとしたマスターは騎士ぽかったし密かにそこらへんは評価しているのであった。

 

「まったく、なるほどね。これなら出られないはずだわ」

 

「————……?」

 

 十分後、叩き飽きたのか落ち着いたメルトが状況確認のために周りを見渡すと一つため息をつく。高性能AIであるメルトはこの空間の正体に察しがついたようだが、只の一般人で魔術も素人なマスターには何が何だか分からない。

 

「さて、何が何だか分からない顔をしている貴方のために説明……しても無駄ね、ええ」

 

「————!」

 

「あらそう? じゃあ少しだけ掻い摘んで説明するけど、ここは虚数空間に似て非なる場所よ。これのベースは多元宇宙論を元にしているみたいだけど、これはそこまで再現は出来ないみたいだから認識宇宙を元に作り出されたみたいね。つまりこの箱に入りさえすればどんな物体もそこに入ったと認識されてどんな物もすっぽりと収まるわけ、蓋が閉じると認識は入っているか入ってないかの0と1の間に分解されて虚数の中に」

 

「————……」

 

「あらそう? 素直が一番よ、重要なのはここがどんなところじゃなくて、どうやって此処から出るかが問題よ、なにか通信手段は持っているかしら?」

 

 素直じゃないのはどちらかと心の中でぼやきながら、マスターは胸元から一つの機械を取り出す。それは前時代的な折り畳み型の携帯電話であり、アンテナが先端から伸びていた。

 いつも近未来的なモニターなどで会話をしている光景からは思いもつかない機械の登場にメルトの顔は疑問符で埋め尽くされる、彼女にしては珍しい困惑した顔である。

 

「……何それ?」

 

「————」

 

「あぁ、そりゃあこの空間で通信は出来ないでしょうけど……」

 

 それはマスターが最初にこの空間に落ちた時に拾った物であった。何を隠そうマスター自身宝箱にこの携帯電話を見つけ、拾おうとして落ちたのである。

 マスターはその時からこの携帯電話を持っていたが、電源は点くがそれ以外では全く操作を受け付けないので無用の長物として胸ポケットに今の今まで閉まっていたのだが、通信手段と聞いて、とりあえず出してみたのだった。

 メルトはマスターが持っているそれを物珍しげに見た後、何か閃いたように自分の手に携帯電話を持たせると、そのままじっと見つめはじめる。

 

「————?」

 

「ちょっと黙ってなさい。なるほどね、機械が得意ってわけじゃないけど、ここまでシンプルなら弄りやすいわ」

 

 その数秒後、携帯電話の画面から謎の光が溢れだしたかと思うと謎の文字列が大量に流れ始める。携帯のアンテナが一人でに伸び出したかと思うと、何かを探すように四方八方に回りだす。

 

「んんっ、ちょっと安定しないけどこれで大丈夫なはずよ」

 

「————?」

 

「これでもAI生まれってこと忘れてないかしら? 古い機械に無理矢理新しいプログラムを組み込んだわけ、これで通信ができるかもしれない」

 

「————!」

 

「ふふん、当たり前の事を褒められても嬉しくもないわね」

 

 そういう割には、得意そうな顔をしているメルトから携帯電話を受け取ると、マスターは早速誰かと連絡を取るために携帯を見る。どうやらカルデアの内線に繋がる様に改造してくれたらしく画面にはカルデアの部屋番号がそれぞれ選択できるように割り振られていた。カルデアにはそれぞれの部屋にモニター付きの固定電話が取り付けられているので何とかそれを利用するという手であった。

 マスターはとりあえずその時間は分からないが、人が居るであろう休憩室の番号を選択する。職員であれサーヴァントであれ誰かが出てくれればここまで助けに来てくれる、宝箱の蓋さえ開けてくれればよいのだ。

 

「はい、こちら……あれ? 画面が出ないな……」

 

 幸運なことに数コールで男性職員らしき声が電話に出てくれた、慌ててマスターの職員に事情を説明しようと自らの名前を名乗る。

 

「あれ? マスター君じゃないか、どうしたんだい?」

 

「————!」

 

「ダ・ヴィンチちゃん工房? ははは、何言ってるんだい今君は時計塔に行ってるはずだろう?」

 

「……?」

 

 だが、職員から帰ってきた言葉にマスターは困惑してしまう。時計塔にも何もマスターは今ダ・ヴィンチちゃんの工房の宝箱なのだし、そもそも時計塔に行くなんて話はこれまで一回も出ていなかった。行く理由もない。

 

「あっ、もしかして燕青さん? もーこの頃マスター君がサーヴァント連れて行かなかったからって悪戯が多すぎますよー?」

 

「————!?」

 

「ははは、ダメダメその手にはもう乗りませんからね。あ、もうそうそろ時間だ。それじゃ燕青さん、イタズラもほどほどにしてくださいよ」

 

「——、————!」

 

 そのままマスターだと信じないまま電話が切れてしまう。切れた電話を持ったままマスターはただ唖然としているのみであった。

 何時の間に自分はイギリスに旅行に行くことになっていたのか、考えれば考えるほど謎は深まるばかりで釈然としないし分かりそうなメルトも先ほどの会話を聴いて考え込んで話かけられる雰囲気でもなかった。

 

「————……」

 

 しかしこのまま悩んでも仕方がないのでマスターは次はマシュの部屋番号にかけてみることにする。こういう時に一番信頼出来て安心できる人物であるが、問題は部屋にマシュが居ることが分からない事である。

 

「はい、こちらメンタルケアルームで……あらマスターではありませんか」

 

「————……?」

 

 が、出た声の主はマシュではなくどこか色気のある大人の女性であった。マスターは思わず携帯の番号を確認してみるが間違いなくマシュの部屋番号である、マシュがこんなに色気のある大人になるにはまだ数年の時間が必要であるし声色からして別人なのは分かっているが、相手は自分の事を「マスター」と言った。

 つまりはサーヴァントなのであろうが、一度会ったらと言うか召喚したらこんなに色気のあるサーヴァントを忘れるだろうかとマスターは思ってしまう。

 だがどこかで聞いた覚えはある声なのだ。それが何処で聴いたかが思い出せていないが。

 

「————……?」

 

「あら、あらあら私が誰かと……? そんな、あんなに情熱的な時を過ごしたというのにお忘れなのですか、それとも私に焼きもちを焼かせたいのでしょうか……? うふ、初心なのに可愛らしい所があるのですね……なんだか滾ってしまいます……」

 

「……!?」

 

 まるでマスターと親密な関係かのように甘い声を出す電話の主に、マスターは電話越しに頬が赤くなるのを感じた。

 一体いつ知り合ったというのか、電話越しに聞こえる荒い息にマスターは増々パニックになるのを感じながら声の主の正体を聴こうとするがその前にメルトがそんなマスターの横足を出してマスターの携帯電話を無理矢理奪い取った。

 だが、顔は真剣そのものでむしろ何かに警戒しているようなそんな雰囲気まである。

 

「忘れたくても忘れることが出来ないその声……貴方、なんでカルデアに存在しているの。殺生院キアラ」

 

 それは何時ものメルトとは違い怨敵を見る様な敵意と憎しみがこもった声であった。

 それと同時にマスターの顔も一瞬で元に戻り引き締まっていく。

 殺生院キアラ、以前、最早存在したことさえ無いことになった場所で対決した一人のビーストである。

 キアラはサーヴァントたちの激闘の末、今やマスターの記憶にだけ残るメルトリリスの決死の攻撃で消滅したはずであった。なぜ目の前の魔性は自分と話せているのか、マスターは自分の手を力強く握りしめていた。

 

「あら……誰かと思ったらまた貴女ですか……まったく、良い所で邪魔をするのがお好きなのですね。いつもいつも、マスターに触れるという所で邪魔を……不快です」

 

「そのままそっくりお返しするわ、なぜカルデアに貴方がいるか分からないけれど今すぐ場所を教えなさい、次は化けて出てこれないように魂の一片まで蹴り潰してあげる」

 

「これまた異なことを、この前カルデアを巻き込んで大騒動したというのに……二人まとめて正座させれたのがそんなに屈辱的でしたか? それともマスターが私の方へ心を寄せていくのが我慢なりませんか? まったく、この間は貴女が喧嘩を仕掛けてきたおかげで患者の目の前で角を生やしてしまう始末……ぐぅたらアルターエゴの貴女と違って私にはちゃんと職業という物が……」

 

 瞬間、メルトが力の限り足を床に叩きつける。空間自体にはダメージは無いようだがその威力は爆発の様な音となって周りに響いていく、キアラの方にも聞こえたらしく、メルトを挑発するような声が掻き消える。

 

「ちょっと、待ちなさい。あなた自分を何ていったのアルターエゴ?」

 

「……? そちらこそ何を……あ、ええどうぞお入りください。 喧嘩を売るのもご自由ですが、少しは自分でQPを稼ぎになって来てください、こっちはマスターからの禁欲生活で……」

 

「してやらないわよ」

 

 そのまま通話が切れる。何であろうか、宿敵との会話のはずなのに何故かお説教をされた気がするメルトは納得のいかない表情を浮かべて、ゆっくりと電話をマスターへと返す。

 しかし先ほどのキアラは自らをアルターエゴと表現した。ビーストではなくアルターエゴ、つまりはサーヴァントで召喚されていることにメルトも気付くと何か合点がいったように顔をあげた。

 

「————?」

 

「大丈夫よ。それと、さっきなんでキアラに電話がつながったのか分かったと思う」

 

「——?」

 

「ええ、もう一回どこかに電話して見なさい。それで貴方にも分かると思うわ」

 

 メルトに促されるまま、マスターは番号を入力していく。今度はハイリスクハイリターンではあるが自室であるマイルームの番号を入力していく。

 これならば清姫などのマイルーム不法侵入勢のサーヴァントたちが気付いてくれるだろうし、一瞬で駆けつけてくれるはずである。

 問題は密室でメルトと二人っきりの状況をどう取られるかであったが、この状況で贅沢はいえない。

 電話は2コールもしないうちに取られた、さすがサーヴァントである。

 

「————?」

 

「あら、ダーリンじゃない?」

 

 電話口から親しみのある声が聞こえてきて、マスターは思わず安どのため息をつく。

 電話の相手はメルトリリスであった、これならば事情を話せば助けに来てくれるだろう。ダーリンと呼ばれるのは初めてだが……

 

「……?」

 

 そこでマスターは思考が固まる、電話の相手がメルトリリス? じゃあ横にいるのは……?

 マスターはゆっくりと横に立っているメルトリリスに目を移した。メルトの方はマスターのこの現象に気付いたと思ったのか頷いてマスターに小さな声で説明する。

 

「そう、どうにも此処から電話したら違う場所に繋がってしまうみたいね、それも未来であれ別世界であれお構いなしに。この認識空間のせいだと思うけれど……どうしたの?」

 

 目を大きく開くマスターに首を傾げるメルト、どうやらメルトの方は電話の相手が自分だと気付いていはいないらしい。

 というかそれではだめではないか、先ほどの二人も別世界や未来の人ならば助けを呼んでこれはしない。そう思うマスターだが遠慮なしにあちら側のメルトは喋りはじめる。

 

「どうしたのこんな時間に。ちょっと特異点が長引いたからって寂しくなったの? ふふ、寂しがり屋さんなんだから」

 

「……—————、————……」

 

 なんだろうか、ある意味先ほどの電話よりも謎である。マスターはあーやらうーやら言うしかないが、さらに電話の向こうのメルトは話しかけてくる。

 

「もう──仕方のない人ね、ダーリンったら♡ でもいいわ、丁度私も特異点で怪我していないか心配になって眠れなかったの」

 

 凄い声色で話しかけてくるメルトは何と言うか凄いことになっていた。先ほどのキアラとはベクトルが違う甘い声でデレッっとしている、砂糖と蜂蜜で煮詰めたような、公衆の面前で抱き合って相手しか見えない恋人達のような、そんな名状しがたい幸せのビームを電話から送られてマスターは只々口元を引くつかせることしかできない。

 

「————、————……」

 

「なにごにょごにょ言っちゃって? また特異点で苦戦しているわけ? ふふっ、仕方のない人。ダーリンたらピンチの時はすぐ私に頼るんだから♡」

 

 なんだろうか、言っていることはいつも同じで高圧的、上から目線の様なのに言い方が違うだけでここまで違うものなのか。

 何時もの声がスイートボイスに代わるだけでこの破壊力。言葉だけなのにハートマークが見えてしまう。

 そしてそんな声を聴いて青筋を隠しきれていないすぐそこの脅威(メルト)。隣にいる身としてはいつ爆発するか分からないダイナマイトを隣に置いている気分であった。

 

「いいわ、すぐにそっちに行ってあげる。私の活躍を見て、まだまだ底なしに惚れて貰っちゃうんだから。覚悟は良いかしら? 私のダーリン(マスター)♡」

 

 何と言うか聞いているマスターが耐え切れないほどの甘さであった、何が、なぜ、どうやって。 もはやショックを超えて笑いしか出てこない、しかも隣のメルトのおかげで砂漠のように水分一つもない乾いた笑いである。

 

「何を笑っているの、ちょっとその携帯貸しなさい」

 

「————!」

 

 必死にやめた方が良いと忠告するマスター。よせよせ。自分との戦い何て碌なものじゃないぞ。赤い弓兵の言葉が甦るが、メルトはそんなことは意にも介さず、鉄の具足で携帯電話を上手くはじくとそのまま上手く耳と肩に挟む。

 

「いいから貸す。なんだか分からないけどその女の声を聴くと妙に鳥肌が立つの! 液体になれるのに!」

 

「あら――ダーリン、誰かしら今の女の声?」

 

 電話越しでも分かる空気が割れる音、マスターに日々培われている修羅場センサーに巨大な反応がキャッチされる。

 しかもメルトリリスvsパラレル・メルトリリス。マスターはもう空間の端っこで縮こまりたい気分であった。

 

「もしもし、リップでしょう?」

 

 いきなりの断定、その発想が若干怖くなるマスターである。

 

「はぁ――? そういうあなたこそ誰――あぁなるほどね……」

 

「誰って……」

 

「あぁ、そう。また新しい泥棒猫なのね、せっかく一掃したと思ったのに。ダーリンたら特異点に行くと大体英霊に気に入られるんだから、どうせ性格の悪い混沌・悪らへんが私と縁を切れって迫っているんでしょう? まったく人の物に手を出すなんて恥知らずにもほどがあるわね」

 

「な――そういう貴女こそ、正気は到底思えないほどの声で月の女神みたいにダーリンやらキスの音やら、本当に理性が蒸発しているんではなくて?」

 

 同一人物の噛みつき合いに、若干状況は違うがアルトリア達は本当に平和だったのだと思うマスター。これが顔を合わせた状態ならとっくにカルデアが壊滅するまでの喧嘩に発展しているだろう。お互いがお互いに気付いていないのが本当に救いであった。

 

「どこの誰だかは聞かないわ、でも貴女みたいに散々相手を甘やかすような人はマスターには、あぁいえマスターが不釣り合いよ。あのむっつりスケベには厳しく、演目を間違ったら軌道修正させてあげる様なサーヴァント、言うならばパ・ド・ドゥの相方のようなサーヴァントよ。おわかりかしら、そんな100%純粋蜂蜜のように甘ったるい貴女じゃそんな演目をこなせる要素なんて一つもない、分かったら幕を下ろして一からやり直すことをお勧めするわアーティストさん?」

 

「————……」

 

 若干馬鹿にされている様な気がして涙目になるマスター、それを聞いたあっちのメルトはふっ、っと一つ鼻で笑った。

 

「呆れたわ、たとえ間違いでもダーリンが気を許したサーヴァントだからまぁまぁ見どころはあるかもと思ったのだけれど、貴方も彼の優しさに絆されているだけの人ってわけね。軌道修正? パ・ド・ドゥ? 分かってないのは貴女よ、彼がその程度で自分の弱さを見せると思いかしら? いいかしら、彼は私でさえ何年も手を焼くほどの頑固者なの、雨垂れ石を穿つって言葉知っているかしら? 何回も何回も固い心に愛を一滴ずつ垂らすこと少しずつ彼の心を開かせていく、必要なのは引っ張っていく力じゃなくて一滴の献身的な愛なわけ。

 分かるかしら、貴方の考えはもう古臭い演目なの、凄く古いわ。具体的に言うと三年前ぐらいの私を見ているようで恥ずかしさで死にそうになるぐらいね!」

 

「…………」

 

 緊迫していく空気、マスターはカルデアの月の女神に祈る。

 

 ──私は、一体何をしてしまうのですか

 

 と。数年後の自分は一体どうなっているのだ。

 

「……くっ、ま、まぁ口だけならなんとでも言えるわ。どうせあのむっつりスケベの事だわ、貴女が下品な色仕掛けでもしてホイホイと誘われたんでしょう。まったく本能で動く単細胞にはピッタリだわ。後で教育ね……」

 

 負け惜しみの様なセリフを言うメルト、修羅場は未来のメルトに軍配が上がりつつあった。

 鋭い眼光で睨みつけてくるメルトにこっちの自分は何もしていないのにとマスターは身の危険を感じてしまう。なんだか何を選んでもデッドエンドな予感がヒシヒシと伝わっており、マスターはとりあえず太陽の女神にも祈りを増やす。

 

「待ちなさい」

 

 その時であった、電話の向こうから未来のメルトの冷たい声が聞こえてマスターとメルトは固まってしまう。そのぐらいに冷ややかで殺気の籠った声であった。

 

「別に私が何を言われようとかまわないけど、口論で負けたからと言って彼の体と心どれか一つでも傷つけてみなさい、貴女を殺すわ。何処に逃げようと追い詰めて苦しませて殺す。いいわね?」

 

「……っ」

 

 愛が重いというか怖い。ある意味清姫たちよりも容赦なくキルしにくる様が想像できてマスターはさらに頭を抱える、いったい向こうのマスターは何をどうしてメルトをここまでにしたのか、もはや一種の特異点なのではなかろうかとまで考えてきていた。

 

「言ってくれるじゃない、普通のお優しいサーヴァントとは違うのね。でもハッキリ言っておくと趣味が悪いわよ、このマスターはね肝心なところで乙女心が分からないスケコマシよ? なんでそこまで入れ込まなきゃいけないの?」

 

 抗議の声をあげようとすると先にメルトの足が上がるので結局マスターは隅で体操座りをするしかない。

 

「————————」

 

 だが、以外にもその返答は沈黙であった。完全に軍配は向こうのメルトに上がっていたはずであり、妙な沈黙にこちらのメルトも少しばかり動揺してしまっている。

 

「なにか、反論はないのかしら?」

 

「————————」

 

 更に沈黙、メルトはその沈黙が気になるのか眉をあげて一つ相手を挑発する。

 

「そう、貴方もやっぱりその程度なのね、貴女もマスターはあまちゃんだって」

 

「そう、その全部が好きなの————」

 

 マスターとこちらのメルトの脳天が揺さぶられる。

 メルトは立ちくらみを覚えて、マスターはその率直な言葉に耳まで赤くなってくる。

 

「は、な……」

 

「むっつりスケベな所も、人をやきもきさせるところも、妙なところで鈍感なのも、子供っぽい所も、他人に涙を見せたがらないところも、人のために傷を負うところも全部、全部愛しているの。素直になりなさい、貴方もそんなところが愛おしく思ってきているのでしょう?」

 

「んなっ、ふざけないで! 私は本気でそういうところが————!」

 

「ええ、ええ。今は分からなくていいわ。でもプリマ、私は彼を変えようとはしないわ、彼の一挙手一投足全部を私の愛にして彼に還してあげるの、彼の涙も受け取って愛の一粒にして返すわ。実をいうとね、彼と一緒に幸せなんてならなくていいの、彼を問答無用で幸せにしてその姿を見るだけで私はもうずっと彼を愛していける、生きていけるの」

 

「そ————そんなの絶対にわかりっこ……ぐっ、この人が自分だけ幸せになろうとはしないでしょうけどね! いいわ、好きにすればいいじゃない! 私はそんな人はもう知らないったら!」

 

 流石のメルトも顔を赤くして、電話を睨みつける。その眼は少しだけ潤んでいるように見える。

 

「ええ、好きにするわ。だって私達は最高のパートナーですもの。ねぇそうよねダーリン? 私達は相思相愛、何をやったって恥ずかしくないわ。だ・か・ら、電話越しでもいいからキスを頂戴♡」

 

 それが止めになったのか、頭で何かが切れたメルトが電話に向かって捲し立てて携帯電話を上へと投げる。

 

「ええ、こんな男幾らでも持っていきなさい! 何がダーリンよ月の女神じゃあるまいし! 白馬の王子様もアルブレヒドも全部幻なんだから! 理想を抱いて溺死すればいい……!」

 

 そのままメルトは空中の携帯電話に向かって足を一閃、携帯電話はそのままどこまで続くか分からない暗闇の空へと高く高く昇って行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 特異点並の衝撃が二人を襲ってさらに十分が経った、蹴り上げられた携帯電話はいまだに落ちてこずなんだか気まずい雰囲気が二人の中に漂っている。

 それもそのはず未来のメルトがなんともまぁお砂糖たっぷり添加されてマスターにラヴだったのだから。メルトリリスは気付いてはいなかったが、気付いて無くとも先ほどの会話の内容はマスターとかなり親密な仲である女性との会話であり、しかも口論では相手に軍配が上がった。

 プライドの高いメルトリリスは、もっと怒ると思っていたが携帯電話を蹴り上げた後は悔しげに歯ぎしりをしただけ、マスターには特に何も言わずただ暗闇の中で立っているだけだった。

 

「————……」

 

 マスターもまた朝の来ない夜空を見る気持ちで青天井ならぬ黒天井を見ていた。メルトが携帯電話を蹴り上げたことで連絡手段は失われてしまった。

 そもそもが未来に繋がったり別のカルデアに繋がってしまうので、あまりあてにはできないが、それでも連絡手段があるというのは大きな希望であった。

 数十分しか入っていないのに、外では数時間以上たっていたことを思い出すと一時間以上が経った今外がどうなっているのか見当もつかない、いきなりマスターが消えたからどこも大騒ぎであろうことは予想できた。

 

「————」

 

 だが不安であるがここから出れないことは無いとマスターは自分を励ますように少しだけ笑った。彼はしばしば周りから楽観しすぎだと言われるが、ときにそれは彼に底なしの希望を持たせるようにも見えた。

 

「————……!?」

 

 その希望に神が答えたもうたかのように蹴り上げられた携帯が空から降ってくる、ただしマスターの頭に落ちる形で。

 子気味の良い音を周りに響かせながら携帯電話はマスターの頭へと衝突し、マスターに鳥の首を絞める様な悲鳴を出させた。

 中々に痛かったらしいマスターは涙目になりながら日々鍛えてくれているサーヴァント達に感謝しながら携帯電話を開いていく。

 

「ちょっと、大丈夫なの?」

 

 マスターの素っ頓狂な声を聞いてか、メルトも慌てて駆け寄ってくる、なぜかマスターと目を合わせないようにしていたがそれでも心配はしているようである。

 

「————……」

 

「あぁ、やっと落ちてきたのね。少しばかり飛ばし過ぎたと思ってたところよ」

 

「————……?」

 

「良く壊さなかったって? それはそうよ、壊さないように改造していたもの」

 

 ハッキングするついでに外側も強化していたらしい、通りで固いチーズが頭に飛んできたような衝撃が来たと、納得するマスター。実際あと少し固かったらマスターの頭蓋骨は砕け散ってたかもしれない。

 

「さぁ、携帯を見せて」

 

 メルトがマスターの携帯電話をじっと見ると、また画面が明るく光だして様々な文字列が流れていく。今度は緑色の文字であった。

 

「アップデート完了。これでタイムラインを選択して通話が出来る、これでまっとうに助けを呼べるはずよ」

 

「————?」

 

「え? えぇ、さっきの通話からこの空間の特性を解析してたわけ、さぁさっさと誰かにかけてこの空間から出ましょう」

 

 さっきの通話を思い出したのか、少しだけ顔を赤らめるメルトを見ながらマスターは携帯電話に番号を打ち込んでいく、今度は医務室の番号であった。

 医務室なら交代勤務で二十四時間誰かがいるし、ナイチンゲールなら埃っぽい部屋にいると言ったらすぐさま駆けつけてくるだろう、その後に来る殺菌地獄に目をつぶれば良い判断であり、これで宝箱生活も終わりを迎えることになる。

 

「…………」

 

「何を、しているの?」

 

 だが、発信しようとする直前でマスターの指が止まった。一向にそれから動かないマスターを不審に思ったメルトがその顔を覗き込むと、その眼には明らかに動揺の色が見て取れる。

 マスターの額から汗が流れ、それが顎から落ちた時、静かにマスターがメルトに一つの疑問を投げかける。

 

「————……?」

 

「ええ、未来に繋がるわ。少し調整すれば一年二年の単位でつながることが出来る。でも、未来と言うのは無限の選択肢を持つわ、出る世界はあやふやね。だから、通話の相手に一人として同じカルデアの人間は出なかった……サーヴァントもね。もしかして未来に電話かけたいというわけ?」

 

 マスターは唾を飲むと、黙って首を横に振り、散々悩みながら一つの決心をするともう一つだけといってマスターはメルトに問いかけた。

 

「————……?」

 

「過去へ……?」

 

 それは未来を見る事よりも代償が大きすぎる行為であった。

 

 

 

 

 

 

 

「いい、過去に干渉するということは未来を破壊するということと同義なのよ? 下手すれば地球の量子記録固定帯を壊すことにもなりかねない、そうなったら人理を救った貴方が人理を壊すことになるわ、人理定礎のために犠牲になった人々の侮辱に他ならないわよ」

 

「————……」

 

 マスターがやろうとしているのはまぎれもない過去への干渉であった。歴史を変える、その罪の重さは幾つもの時を超え、人理を修復してきたマスターが一番よく分かってるはずである。それは今まで生きてきたものと死んで来たもののすべての侮辱に他ならない。

 それでも、とマスターは自分が何をやろうとしているか承知でメルトにすがるような目つきで見る。その眼差しはいつもマスターが持っている爛々とした輝きではなく弱弱しい子供の様であった。

 

「……はぁ、こうなったら最後まで付き合うわ……忠告はしたわよ」

 

「……頼む」

 

 その眼に負けるかのように、メルトは携帯電話にハッキングをしてマスターに手渡す。メルトは人理ではなくマスターの縁で呼ばれたサーヴァント、こうなったら世界が崩壊するまで付き合うらしい。

 メルトから受け取った携帯電話を開くと、マスターは一文字一文字を震える手で押していく、場所は先ほどの医務室と同じ。だが今度は時が違う、時はこれより遡って約二年前の夏である。

 

「————っ!」

 

 番号を打ち終わった後、マスターが目を固く閉じながら発信ボタンを押すと、電話は何のとどこおりもなく発信されていく、発信中の音が鳴るたびにマスターは胸が締め付けられているような痛さを感じる。

 目指す相手はもはや、どの世界、過去、未来にもいない存在である。だが人理が救われたことが確定した未来から、未だ人理が救われていない自分の世界の過去にならもしや、とそれは一抹の願いであった。

 

「はい、こちらドクター……? あれおかしいなぁ、画面が映らない? レフに相談してみるかな……?」

 

 マスターの心臓が大きく跳ねた。もう聞くことのないと思ってた声が鼓膜を振動し、脳を揺らす。賭けに勝ったのだ、この時代このタイミングだけならまだ彼は存在していた。魔術王の陰謀が始まるほんの少し前、世界が彼をいない事にするまでにある、ほんの少しの取りこぼし。

 

「……っ、……!」

 

 声を出そうとするが、上手く声が出ない。何をしゃべればいいのか、何と伝えたら良いのか、ただ口が開くだけでそこからは声の一つもでない。

 一つ、声が出せればいいのだ、なんでもいい。そしたら電話の向こうの男性に未来からの電話だと伝えて、いまから起きることの顛末を語ればいい、それで声の主は救われる、消えなくていい。

 自由に生きていける、何だってできるのだ、彼ならば信じてくれるだろう。

 

「あれ? もしもーし? おかしいなぁ声まで聞こえない」

 

 だが、彼の声を聴けば聞くほどマスターは何も喋れなくなる。胸が締め付けられ、息さえもままならない。

 電話越しからでも彼の顔がありありと思い浮かぶ、一言でいいのだ、いいのに、マスターはそのまま震える手で通話終了のボタンを押すと床へへたり込んだ。通話の切れた携帯電話が持ち手を失いそのまま床に落ちていき、音を立てた。

 

「マスター……?」

 

 力なく俯き、手で顔を覆うマスターにメルトは近寄ると、その床に幾つもの水滴が落ちていることに気付いた。涙の跡である。

 

「貴方……」

 

「————ごめん、なさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 ただ誰かに謝りながら涙を流す姿は、メルトが今まで見たことが無いマスターの姿であった。それは強い意志を持つ英霊たちを率いるマスターでも、メルトにいつも見せる様な優しい青年でもない。

 酷く、ひどく、ただ後悔に叩き潰され、無力さに慟哭し、ただ泣き伏せる姿は何の衣も纏っていないマスターの心そのものであった。

 ここまで、小さく、弱弱しいものなのかとメルトは初めて見た少年の姿に、ゆっくりとその感覚をしないその時間をかけながらも手を広げて後ろからぎこちなくマスターに回しゆっくりと抱き締めていく。

 

「————……?」

 

「何も言わなくていいわ、落ち着くまで傍にいてあげる」

 

 柔らかな温かみがマスターを包み、長い髪がマスターの鼻をくすぐる。しばらくするとマスターの方からもメルトの手を握りしめ、そのまま二人は長い時間を過ごしていく。

 音もなく光もない空間で二人の鼓動だけがお互いの場所を知らせる様に伝わり、メルトはその暖かさと鼓動に愛しさを募らせながらただ柔らかく抱きしめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……? ————?」

 

 マスターが目を覚ますと、そこは覚えのある自分のマイルームであった。重く感じる体を動かしながら起き上がってみると、部屋のソファーにメルトが座っておりマスターに気付くとそのまま声をかけた。

 

「起きたのね、運んでいくのは大変だったんだから感謝しなさい? まぁ部屋まで運んだのはナイチンゲールだけれど」

 

「————?」

 

 マスターが起きると同時に、メルトがソファーから立ち上がってマスターの近くに寄っていく。

 どうやらあの後マスターは眠ってしまったらしく、そのままメルトが救助を要請したらしい。気付けば宝箱に入っていた時間は二時間ちょっとのはずなのに外では三日が経過しており、マスターは長い間カルデアを留守にしてしまったことに焦りを感じてしまう。主に清姫たちが黙っていない予感がヒシヒシと伝わるのだ。

 

「貴方の考えている通りカルデアは大騒ぎよ、後片付けは覚悟しておいた方が良いわね、そこ座るわよ」

 

 予感を的中させられベットの端で頭を抱えるマスターにメルトは顎でベットを指した。横に座ると思ったマスターは端の方へ移動するが、メルトは首を振りながらマスターに近づいていく。

 

「違う、ベットじゃなくて、こっちよ」

 

「————!?」

 

「動くと怪我するわよ?」

 

 だが、メルトが座ったのはベットではなく、マスターの膝の上であった。そのままメルトはマスターに体を預けるので様々な所が柔らかい感触に包まれマスターは数秒もしないうちに顔が沸騰していく。

 

「————!?」

 

「別に、したくなったからやるだけ。ちょっと、腕前に回してくれないと落ちちゃうじゃない」

 

 メルトに言われるままにメルトに手を回して抱き締める方にすると、マスターは宝箱の中でメルトから抱きしめられたことを思い出した。あの中でもメルトは柔らかく、良い香りがしてマスターはいつの間にか眠ってしまっていたのだ。

 わんわん泣いてそして抱きしめられて眠るなんてなんにせよ恥ずかしい所を見られたのは間違いはなかった。

 

「————……」

 

「なんのことかしら? 覚えてないわ」

 

 だがメルトはそんなことなかったかのように振る舞い、ただ自分が乗りたかったから膝に乗ったとしか言わない。

 マスターはそんな不器用なメルトの優しさに微笑むと、感覚が鈍いメルトにも分かる様にすこしだけメルトを抱きしめている力を強くする。

 あの時と同じように、静かな部屋の中に二人の鼓動だけが通じ合う。

 

「私も、あんなふうになっちゃうのかしらね」

 

 胸に集まっていく暖かな気持ちを感じながらメルトは自嘲気味に呟く。

 

「————?」

 

「いいえ、なんでもないわ」

 

 何か言ったかと聞き返すマスターに否定しながらメルトは胸元へと後頭部を埋めていく。

 

 ————すぐ上にはあの人の顔、顔を伸ばせば届く距離、何時奪ってあげてもいいけれど今この時はまだ、このままで行こう

 

「……支えてあげる、ダーリン」

 

 誰にも本人にも聞こえないような声で、小さくメルトは呟いた。

 

————彼らの明日はどっちだ。

 

 




ぐだメル書けって天啓が……さらにアタラクシアのネタを加えて倍率ドン。
エクストラの新作出るって聞いて夜な夜な死霊の盆踊りをしています。
ミリタリーザビーズ好き。
今回の話は苦手な人もいるかもしれませんが、ご容赦ください、書きたかったんです。

感想&誤字報告、ありがとうございます。一層の努力を続けていきたいと思いますのでどうかゆっくりと見守っていただければ嬉しくおもいます。

それでは楽しんでいただければ僥倖です。

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