「先輩? 起きていますか? もうそろそろ朝食の時間ですが……」
此処は人理継続保障機関カルデア、世界を救っても亜種特異点の出現によりカルデアのマスターが家でくつろげるのはまだまだ先の事の様であった。
それでも、カルデアでの日々は彼にとっての日常へと化している。 少しぐらいは彼の支えになろうとマシュはマスターに世話を焼き、今朝もカルデアでの日課であるモーニングコールをしようとマスターの部屋の前で呼び出し鈴を鳴らしていた。
熟年夫婦かとクーフーリンから突っ込まれてはいたが、マシュにとっては大事な日常の一つ。 サボるなんて有り得ない……
「先輩? せんぱーい? 入りますよー?」
のだが、肝心のマスターが何時まで経っても起きてこない。 こういう場合はレムレムレベルが最大値の時か、他のサーヴァントがマスターの部屋に入り込んでいるかの二つであったため、マシュは深呼吸をしてマスターの部屋へと入っていく。 前者だった場合は起こすのに時間がかかり、後者の場合はサーヴァントの対応にさらに時間がかかるからである、マシュは気合を入れた。
「せんぱーい! 早くしないと朝食の時間に! ……あれ? 起きてたんですね」
「――」
マシュが部屋に入った時に目に入ったのは、ふらふらと服を着替えようとしているマスターであった。 マスターはいつもの様に笑顔でマシュに朝の挨拶をするがどうもどこかが可笑しい、どうも目の焦点が合っていないようだし、マシュが話しかけてもどこか上の空である。 心配になってマシュがマスターに近づくと、その顔がいつもより真っ赤になっている。
「先輩……? 大丈夫ですか? どこか体調でも……」
「――……」
「きゃっ……!? 先輩大丈夫ですか!?」
その赤くなっている額にマシュが手を伸ばすと、その手を交わすようにマスターはマシュへと倒れ込んでしまう。 息が荒く、何時ものマスターよりもずいぶんと重く感じる。 マシュが額に手を当ててみると、その熱は平常時よりもずいぶんと高いようであった。
「これは……は、早く誰かに伝えないと……!」
「
とその時、二人が遅いからであろうか心配して部屋へと入ってきた清姫がマシュ達を見て絶句する。 マスターが倒れているからではない。いやそれもあったが、マスターの恰好が下着だけの恰好であり、そのマスターをマシュが抱き締めているという一見すると今にもお楽しみの最中な光景だったからである。
朝一のこの光景はさすがの清姫にも大打撃であった。
「あぁ、清姫さん丁度良かった。 先輩が……清姫さん?」
「は……は……」
「は……?」
「はれんちなーーーーー!!!」
早朝のカルデアに少女の叫びが木霊した。
静かに眠るマスターを見て緋色の目が穏やかに細まる。 手袋を付けた指でマスターを起こさないように静かにその額へと触れると、身をひるがえしてマスターに背を向ける。
銀のように美しく生糸のように滑らかな髪が揺れ、軍靴の足跡だけが部屋の中に響いていた。
彼女はナイチンゲール、クリミア戦争に従軍し、兵士からはクリミアの天使、権力者からは小陸軍省とまで言われたその人はその身全てを人を救うために費やした近代看護教育の母とも言われる貴人である。
その性格は患者の為ならば決して譲らず、決して妥協しない、鋼鉄の衣を着た天使と言うべきものであり、その性格はカルデアに召喚されてからもいかんなく発揮されていた。
「過労による風邪ですね。 精神、肉体の疲れによって体の免疫機能が著しく低下したのでしょう」
「過労、ですか……」
叫ぶ清姫に慌てて事情を説明した後、マシュ達はマスターを医務室へと運んでいた。 常駐しているナイチンゲールがマスターをベットへと運び、氷水の入ったビニール袋をタオルの上から頭に乗せて優しくその頭を撫でると、少しばかり落ち着いたようでそのまま穏やかな寝息を立てはじめた。
その姿に少しばかり微笑んだ後、ナイチンゲールはその後相変わらずの鋭く厳しい目で別室にいるマシュ達に説明を始めていた。
「あぁ、おいたわしや
「……」
「……」
「なんです?」
マシュからは困惑した、ナイチンゲールからは呆れを含んだ視線を向けられ純粋に顔を傾ける清姫。 このカルデアの欠点は自分だけは真面だと思っている人物が多いことであろう。
「とにかく、マスターは絶対安静です。 今はただの風邪ですが、衰弱している今他の病気を連れてくる可能性もあります。 二日、三日は安静にさせる様に」
「魔術で回復させることは出来ないのですか? そちらの方が先輩も早く治ると思うのですが……」
「はぁ? 魔術? そんな得体の知れない物で患者を治せと?」
ナイチンゲールが此処にいるのもその魔術のおかげではあるのだが、この英霊の状態であってもナイチンゲールは魔術と言うものを信用していない。 人を癒すのは魔術より人による純粋な医術である、というのがナイチンゲールの主張であった。
だがマスターも何時緊急事態が舞い込むか分からない体である、早く治るならばそちらの方が良いと清姫もマシュに賛成するがナイチンゲールは断固として首を縦に振らない。
「人間で最も尊重するべきものは何か、変えの利かない物は何か、それは心です! いいですか、腕が無くなれば義手があるでしょう、足が無くなれば義足があるでしょう。 だが腕を無くしたという心の傷は治る物ではありません。 貴方たちが言う魔術でマスターの病気が一瞬で治ったとしても、心の疲れは一瞬では治ることは無い。 肉体が精神を癒す、確かにそれも一理ある。 ですが精神こそが肉体を治すものなのだと私は強く主張します! マスターは療養すべきです! いえ、させます! 例えマスターが死ぬことになろうとも!」
「わ、分かりました! 分かりましたから落ち着いてください!」
ナイチンゲールの目が燃え上がり赤に染まると同時に、言葉の端々に興奮の色が見え、右手にメスを持ち始めたので堪らずマシュ達の方が首を縦に振ることになった。
因みにナイチンゲールのクラスはバーサーカー、清姫と同じである。 なので基本的には人の話をあまり聞かない。
「よろしい、それではマスターには最低でも四日は療養させてもらいます。 良いですね?」
「あの、三日なのでは……」
「なにか?」
「い、いえ……なんでもありません……」
こうしてマスターの臨時入院が決まった。
マスターが風邪を引いたという事実は、マスターが病に倒れたとやや誇張的な表現も加わってカルデア中に広がることになった。
その反応もまた三者三様であり、ある者は心配してお見舞いに行き、ある者は風邪を引けたのかと驚いて、ある者は一笑すると普段通りの生活をしていた。
中でもジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィは何処をどう聞き間違えたのかマスターの余命が三日と聞いてわんわんと泣きながらマスターの病室へと飛び込んできて、マスターがあやして一日一緒に寝るまで病室を離れようとはしなかった。
基本マスターへの面会はフリーであったが、ナイチンゲールにより規定時間以外の面会――リリィはマスターの強い要望により例外――またはマスターの療養の障害となる人物の入室は禁止されていたため、夜中に忍び込もうとするサーヴァントには遠慮なくナイチンゲールの銃が火を噴くことになった。
マスターの方も一人の時間が少なかったため、病室に一人っきりと言うのは少しだけ寂しい思いをしていたが、トレーニングもなく悩み相談室もなく、ただ一人で本でも読みながら大人しく過ごすという静かな時間はカルデアに来てからなかった一人だけの時間という物を思い出させ、マスターを大いにリラックスさせた。
何より朝起きたらいつの間にか誰かが自分の隣で寝ているという恐怖を感じなくて良いということがある意味一番マスターをリラックスさせた。
そうしてマスターの熱も下がって、あと二日もすればナイチンゲールからの退院の許可も得られるというところで、問題が起こった。
まず、海賊たちの酒の量が普段は戒めるマスターがいないことをいいことに膨大に増え、次にサーヴァント同士の喧嘩を仲裁するマスターがいないため腕試しと言う名のインド同士の喧嘩が勃発しトレーニングルームが半壊、さらにランサーであるアルトリアの愛馬「ドゥン・スタリオン」が謎の失踪。
止めにそれを解決しようとナイチンゲールがいない間にマスターが病室を抜け出して熱がぶり返し、その夜「料理でハートをキャッチ!」と意気込んだ何者かがマスターにおかゆと言う名の赤黒い何かをマスターに差し入れ、マスターがそれをパエリアか何かと勘違いして食して、緊急治療室へと運ばれた。
これにはナイチンゲールも激怒し、面会を一切禁じた上に自らがマスターを二十四時間監視して熱が下がるまで半ば幽閉状態にしたため、いよいよ問題を解決する者がいなくなり事態はサーヴァントたち自身で解決することを強いられることになった。
正にカルデアは荒野のウェスタン。 ルーラー達が新撰組の面々を雇ってこれ以上騒ぎを起こさないためのカルデア警察を作ったが、どっかの教授が嬉々として悪のプランニングをしているためそう簡単に成果を上げることは出来ていなかった。
「いやぁ、どこもかしこもどったんばったん大騒ぎ。 あれだね、マスターの存在はある意味サーヴァントたちのストレスの発散にもなっていたんだね」
「……なぜ人の部屋に我が物顔で居座っているのかね?」
広くもなく狭くもない一人が生活するには十分な空間の部屋の中に動物の毛皮や、干し肉、香りの強い薬草などが細々とぶら下がっている。 他の近代的な部屋と違い部屋の主によってまるで先住民が暮らしているかのように生活空間が整えられており、部屋の中央に置かれたIHヒーターに乗せられた鍋からは独特な匂いと共に煮立つ音がコポコポと小気味良く鳴っていた。
背の高く、黒い肌をした男がその鍋をお玉でかき混ぜ、少しだけ皿に乗せて味見をすると、一つ頷いてからぶら下げてあった一つの薬草をその鍋の中に入れてかき混ぜていく。
「なんでって……何を作っているか気になってね。 中々美味しそうじゃないか。 あまり食事なんてしないからよく分からないけど」
その後ろから花のように美しく、夢の中の霧のように儚げな男が面白そうに声をかける。 恰好、態度、仕草、どれをとっても奇妙という印象をぬぐえないが一番奇妙なのはその足元から絶えず花が咲き乱れていることである。
この男の名はマーリン。 言わずと知れたアーサー王伝説の中に出てくる魔術師であり、キングズメーカー。 そして大体の女性からの評判が悪い男であった。
「いや、実を言うとドゥン・スタリオンが居なくなったって珍しくアルトリアから相談されたから、探すことにしたんだけど。 途中で食事に誘った女性職員に見つかってしまってね。 慌てて逃げてきた先が此処だったというわけさ」
「……そのまま食事に行けばよかったのでは? と言うか食事はしないのではなかったのか?」
「別にできないってわけじゃないからね、女性を誘う時ぐらいはするさ。 でも丁度その女性は二人組でね、しかも一人は昨日、もう一人は一昨日食事に誘ったばかりで、さらに丁度良く二人とも『昨夜はとても楽しかったです』なんて言ってしまうものだから。 いやぁ、あはは」
「……」
「そんなチベットスナギツネみたいな顔しないでくれたまえよ。 それにジェロニモ君だって確か八人ぐらいと結婚してたよね?」
「アパッチは一夫多妻が認められている。 軽薄な女性好きと一緒にしないでもらえるかな?」
呆れる様に言いながらジェロニモと呼ばれた男は、鍋をかき混ぜてIHヒーターの電源を落とすと鍋に蓋をした。
ジェロニモ、アメリカでのアパッチ戦争と呼ばれる凄惨を極めた戦いにおいて先住民として戦い抜いた男。 敵にとって守護聖人の名前に代わるほどの恐怖を相手に植え付た、アパッチ族の戦士である。 だがその口伝で伝わるような苛烈な性格でも、残忍な性格でもなく、ジェロニモは相手に恐怖よりも安心の印象を持たせるほど理知的で穏やかな性格であった。
「しかしなんだいそれ? お粥っぽいけど」
「半分当たりだ、マスターの国にあるお粥という病人に効く料理と、アパッチに伝わる薬草を使ったスープを合わせたものだ。 これならば食にトラウマを負ったマスターでも食べられるだろう」
「なるほどね、君がナイチンゲールに何か話していたと思ったらそういうことか。 まぁ僕も食べた瞬間エーテルを放出し続ける料理なんて見たこともなかったしね」
ジェロニモもマーリンもその光景を思い出したのか少しだけ真顔になる。 それほど凄まじい光景だったのだ。
「そういうことだ、さて、冷めないうちに持っていくとしよう。 ついてくるかね?」
「そうだね、ドゥン・スタリオンを探すついでにナイチンゲールを食事にでも誘ってみるかな」
「それは無理……ん?」
それでは移動しようとジェロニモが鍋を持ち上げた時、廊下からどこかの職員だろうか大声を上げながら走ってくる音が聞こえてきた。 どうも異様に焦っているらしく誰彼構わず助けを求めているようで、ほっとくわけにも行かないジェロニモ達は鍋を置いて、職員に声をかける様にした。
「落ち着きたまえ、どうしたんだ一体?」
「あぁよかった! 大変なんです! 食堂でオリオンさんが……!」
「オリオン? あの熊の様な物体がどうかしたのかね?」
いつもの様にオリオンが女性にちょっかいかけてアルテミスから天罰を受けているのであれば、それは平常運転という物であり職員がそこまで焦る必要はないはずである。 となると、オリオンの身に洒落にならない危険が及んでいる可能性があるが、大体アルテミスからチョコにされたりなどあまり洒落にならない扱いを受けているのでジェロニモはいまいち想像が出来ない。
「オリオンさんが……」
だが目の前の職員は真っ青な顔でジェロニモとマーリンにその大事件を伝えた。
「パッションリップちゃんの谷間に落ちましたッ!!」
パッションリップ、最近このカルデアに入ったサーヴァントである。 クラスはアルターエゴと言う特殊なエクストラクラスであり、化け物ともとれるような巨大な金属製の手を持つ女の子である。
と言ってもその手を含めても相手から守ってあげたいと思わせるような庇護欲を掻き立てる可憐で儚げな少女であり、性格も――本人いわく成長したらしい――大人しく可愛らしい良い子である。
そして何と言ってもその胸。 カルデアには豊満な胸を持つ女性は多くいるが、パッションリップの胸は正に規格外であり、すれ違った男どころか女でさえ皆その胸を凝視してしまうぐらいである。
こういう要素もあってパッションリップは召喚されてから、本人からして「こんなにしてもらって良いのでしょうか」と思うくらいに甘えに甘やかされ、召喚されて数日で男性たちの親衛隊が出来上がってしまうぐらいであった。
そんな彼女の胸にオリオンが潜り込んだ。 只そう聞けばアルテミスと親衛隊が殺意をマシマシにしてくるぐらいで他の人からすれば只々羨ましい話にしか聞こえないが、これにはパッションリップのスキルである「ブレストバレー」が問題となっていた。 彼女のトレードマークとなっている胸には虚数空間で作られた廃棄場があり、そこには彼女が潰したデータならば無限に収納が出来る所謂パソコンで言う「ごみ箱」の様な存在となっていた。 正に一度入ると這い上がることは不可能な死の谷であった。
「あわ、あわわわわ! どうしたら、どうしたらいいんですかー!? クマさんが、胸の中に入っちゃいましたー! 」
「本当に困ったわね……いえ、本来だったらそのまま放っておいていいのだけれど……女神アルテミスの恋人なわけだし……てかオリオンがあんなクマってどういうことよ……」
騒ぎを聞きつけてサーヴァントたちが食堂に集まると慌てるパッションリップと、それを見て頭を抱える一人の少女がいた。
その少女はパッションリップとは色々な意味で正反対な少女であった。 スレンダーな体、氷を感じさせる冷たい視線、そして巨大な鉤爪の代わりに鉄でできた茨の様な具足。
その下半身は大胆に露出し、パッションリップと同じく道行く人々の視線を釘付けにすることは間違いない。
名をメルトリリス。パッションリップと同時期に召喚されたアルターエゴであり、パッションリップとは姉妹の様な関係であるらしい。
性格はパッションリップと違って冷淡であり、嗜虐的にさえ見える。
そんなメルトリリスであるが、マスターは彼女にどこか感じるところがあるようで率先して世話を焼いており、彼女も最初は厳しい言葉と共に拒絶していたが、最近は厳しい言葉は変わらずもまんざらでもない様子である。
「うわーん! ダーリーン! こうなったらとりあえず権能でも使って無理矢理その谷をこじ開け……」
「タイーム! アルテミスちゃんタイムデース! 下手したらここが潰れマース!」
「そうよ何やろうとしてんの! とりあえずやるならマアンナで転移させてから……」
「イシュタルちゃーん、お姉さんそういう問題じゃないとおもうのー」
「ダーリンって……」
パッションリップの胸の前ですったもんだしている神々を見て微妙な顔をするメルトリリス。 何を隠そう彼女達アルターエゴはハイ・サーヴァントと呼ばれる者であり、その体は三人の女神を混ぜ合わせて作られている。
その一柱であるアルテミスはメルトリリスを構成する女神の一人なのであるが、いざカルデアに召喚されてみたら自分の尊敬するアルテミスはだらしない体をしたスイーツ脳。 彼女の女神像は破壊されてしまった。
それでもまぁ尊敬する女神なのだしと、前向きに考えているのだが目の前の女神のお惚けを見てしまうと何だかやりきれない。 好きなアイドルがいつの間にか結婚していたような気分である。
「ふふ……何なんでしょうねこの気持ち……バカップルって……」
死んだような目でアルテミスを見ているメルトリリスの肩に手が置かれる、ふと下を見てみると獣耳をした狩人が無言で同じく死んだような目でアルテミスを見ている。
メルトリリスはその姿を見て自分と同じアルテミスの
「まったく、やってる場合かね……」
「いやぁ、面白いことになってるね!」
とそんな中にジェロニモとマーリンも食堂に入ってくる。 他にも続々とサーヴァントたちが食堂に集まっていた。
「やれやれ、誰かマスターを呼びにいった者は?」
パッションリップの脱出不可のブレストバレーであるが、本人の努力によってマスターだけは例外的にそこから出し入れできるようになっておりこういった場合はマスターに頼るのが一番早い――傍から見れば少女の胸に手を突っ込む男子という非常に不味い絵柄になるのだが。
「行ったけど、ナイチンゲールから通して貰えなかったわ。 『今マスターは謎の物体を食してしまい高熱を出しています、話を聞く限り自業自得なのですから数日間そのままでも問題ないでしょう』ですって。 子イヌったらなんでそんなもの食べちゃったのかしら?」
「ソウデスネーナンデデショウネー。 まったく何でマスターがいないときに限って飛び込みますかねあのクマは」
健康たっぷりのお粥を上げたのになんでかしらと悩むエリザベートの後ろで落ち込んで面倒くさいから指摘するな、とロビンフッドがジェスチャーで周りに伝える。
兎にも角にも、何とかして助けださなければならない。 ぶっちゃけ放っておいていいのならマスターが完治するまで放置したいのだが、そうすると月の女神がどんなトラブルを起こすか分からない。
あぁ見えても立派な神様、しかも我が道を行くでなく、我が道を作る邪魔したら潰す系の神様である。ある意味導火線に火が付いたダイナマイトよりも危険なのだ。
「ロープを垂らすとか?」
「ダメだろう、入ることは出来ても出ることは不可能なのだから」
「キャスター勢が空間転移でもして連れ出すってのは?」
「ダメね、あっちは虚数空間なのだから転移しようと思ったらこっちが吸い込まれるわ」
「こんなに大きい胸をしているのが悪いのだわ! 牛だってこんなに大きくないもの! おもちゃ箱をひっくり返すように、この子もひっくり返してみるのはどうかしら!」
「はわぁ! 胸で遊ばないでくださいぃ……」
「あぁ、駄目ですよナーサリー! パッションリップさんが困っているじゃないですか! それにパッションリップさんの体重は一tです! そんなの持ち上げるだけで一苦労です!」
「うぅ……ひどぃ……」
あぁでもない、こうでもないとサーヴァントたちが議論を重ねるがどうも良い案が浮かんでこない。 やはりこのまま放置して、アルテミスが何かをやらかさないように監視するのが良いというアンの案で決定しようとした時、勢いよく食堂のドアが開かれたと思うと一人の少年が馬に乗って乱入してきた。
「ハイヨー! シルバー!」
白い馬に乗ったその少年は、黒いサンタムマスクを着けており、なんだか袋に入れた物体を片手で持ちながら得意そうに面々を見渡す。
「やぁ、皆。 どうやらお困りの様だね? いくら歴史に名を残す英雄たちでもこういった問題には頭を抱えるらしい」
「侵略者の小僧……何やってる? あとなんだそのマスクと馬は?」
「あっ!? ドゥン・スタリオン!? なんでビリーに乗られているのです!?」
ランサーの方のアルトリアが声を上げる、確かに良く見てみると覆面の少年が乗っている馬はランサーアルトリアがいつも乗っている愛馬のドゥン・スタリオンである。
「ビリーじゃない! 僕はアウトロー仮面! お宝の匂いを嗅ぎつけ、参上した次第さ! 因みにこの馬は主人達の日々の食費に悩んでいた所に僕が食券をちらつかせて雇った!」
「スタリオン!?」
「いや、もう誰がどう見ても侵略者の小僧だろう。 変なマスク付けた変なテンションの侵略者の小僧だ」
「違うと言っているだろうトント! 声が似ているだけだ! ドレイクかもしれないだろう!」
「なーにいってんだ! BBAがそんなぺちゃぱいなわけねーだろうが! BBAはなぁ、もっと背が小さくて余計な脂肪が付きまくりなんだよバー」
銃声が響いて、誰かがダストシュートに入れられた音がした。
「とにかく、君たちは解決手段を探していて、そして僕は持っている。 どうだい、取引しないかい?」
「取引……?」
「これを見てみなよ」
謎の少年が抱えていた袋を取ると、なんと中からはマスターが出てきた。 なんだか白目をむいて泡を吹いて意識が無いがとにかくこの状況を打開するマスターであった。
「マスター!? どうやってナイチンゲールの監視から連れ出してきたのだ!」
「簡単さ、この名馬シルバーの突進力さえあれば薄い壁の一枚や二枚……」
「つまり隣の部屋から壁を突き破って入ったと……?」
返事の代わりに口角を上げて得意そうな表情を作る謎の少年。 部屋の中の何人かが青ざめ、そそくさと食堂を後にする。 それはつまりナイチンゲールの所から無理矢理患者を連れ出したということであり、その怒りたるや想像するだけで近くのラーマの背筋に冷たい物が走る。
「ふふ、正直に白状すると今この時も看護士が迫ってきているという時点でギャレットから追われるよりも怖いから早く済ませたいんだけどいいかな? 報酬は食堂バイキング無料券十三枚で」
「いいからさっさとクマを取り出してここから去れ! お前はカルデアを壊滅させるつもりかね!?」
ジェロニモには珍しい焦った表情で、謎の少年を急かすと少年ははいはいと返事を返すと、馬から降りて、なんとマスターを頭からパッションリップの谷間へと突っ込んでいった。
「ひゃあああああ!?」
「いや何やってんだアンタ!?」
まさかの行動に思わずパッションリップが叫ぶ横で同じく思わず突っ込みを入れるロビン。 そのままマスターはどんどんと谷間に沈んでいって上半身が谷間に埋まってしまっている。
非常に名状しがたい光景に、キャスターの方のジルが何かを思い出したかのように顎をさすって感傷に浸り始めた。
「マスターなら出入りできるんでしょ? なら、マスターを突っ込んであっちから掴んでもらうのを待つのさ!」
「いや得意そうな顔して行ってるけどそれ只の力技じゃねぇか! うわ、これ大丈夫なのか……」
もはや凄惨な光景には慣れているはずのサーヴァントたちでもドン引きの光景である。 そんな中マスターの体が陸に打ち上げられた魚の様に跳ねるのを見逃さず捉えた謎の少年は、マスターの足を掴むと、そのまま勢いよくパッションリップの谷間から引き抜いた。
「うひゃあああああん!?」
「うわぁ……こんなマハトマな光景の映画何処かで見たわね……確かエイリア……」
「おい! 大丈夫かね、君! 」
謎の少年がマスターを引き抜いてもマスターの痙攣が収まらないため慌ててジェロニモがマスターの近くへとよると、マスターの顔面になんだか茶色の物体が張り付いていた。 どうやらそれがマスターの呼吸を阻害していたらしい。
「ダーリン! よかったー! もう何処にも行かせたりしないんだから!」
「お、おう……心配かけたな……あとその言葉なんか怖いから止めて……」
その物体はオリオンであった。 辛うじてしぶとく生きていたらしく、若干二名の死んだ目で見られながらアルテミスは半泣きになりながらオリオンを抱きしめる。 普段の行動がどうあれ神話で語られるカップル、なんだかんだでお似合いであった。
「それはそれとしてお仕置きね」
「戻してー! 戻してくれー!! 死ぬときはでっかいおっぱいに埋もれて死にむぎゅう!」
改めて止めを刺されるオリオンを横目に見ながら、謎の少年は満足そうに微笑むと、ジェロニモに話しかける。
「さて、仕事は済んだし僕はお暇するかな。 あぁ報酬はビリーの部屋によろしく。 他意は無いけどね!」
「待て! マスターを連れて行け! 私達に責任を負わせるつもりか!」
「ははは! 待てと言われて待つ人はいないよ! ハイヨーシルバー……とぉっ!?」
ナイチンゲールの怒りの矛先を食堂にいるサーヴァントたちに向けて自分は悠々とバイキングでも楽しむつもりであろう謎の少年は、そのまま周りの人々に手を振ってドゥン・スタリオンに合図を出すが、どうにもドゥン・スタリオンは動こうとしない。
何故かと、ビリーが前を見てみるとそこには一匹の狼が唸りながらドアの前に佇んでいた。 狼王である。
「ヴルルルルルル……」
「そういえば、この狼に料理を運んだのは何日前だ……?」
そういえばロボに料理を運ぶのはマスターが率先してやっており、そして今回のこの騒ぎである、誰もが料理を運ぶのを忘れていた。 皆がゆっくりと謎の少年から後ずさりする。
そんなロボは床に転がっているマスターを見て、更に唸りを上げると、謎の少年を見る。 どうやら目の前のドゥン・スタリオンと共に獲物として見ているらしく、謎の少年は口を引くつかせるしかない。
「ビリー・ザ・キッドォォォォ! 何処にいますか! 重体の患者を連れ出すとは、私は貴方を殺してでもマスターを病室に戻します!」
さらに、もう一人ある意味狼より恐ろしい声が廊下から聞こえてくる。 完全に怒り心頭であり、時々銃声も聞こえてくる。
「どうやら、僕達ってピンチかな……?」
若干震えた声で謎の少年はジェロニモへと顔を向ける。 ジェロニモはと言うと、一人ダストシュートに入ろうとしている途中であり、クールな表情が途切れようとしている少年に笑いかける。
「俺達? 達とは誰の事かね? それではさらばだキモサベ」
皮肉たっぷりにそういうとジェロニモはダストシュートの中へと消えていく。 それを皮きりに他のサーヴァントたちも緊急離脱していき、着々と食堂から人が消えていく。
「あー……なるほど、映画みたいにはいかないってわけだね……」
謎の少年、ビリーはマスクを取ると、目の前で唸る狼に向かってぎこちない笑顔を向ける。 いつの間にか乗っていたはずのドゥン・スタリオンも消えていた。 どうやらアルトリアが呼び寄せたらしい。
怒れる狼と怒れる看護婦が迫ってくる。 どうやらバイキングの夢は潰えたらしかった。
「はぁ……嘘だわ……女神アルテミスがああだっていうなら私もいつの日かバカップルになるっていうのかしら……」
それから一週間が過ぎマスターも完治して退院した後、メルトリリスは一人部屋で頭を抱えていた。 悩みの種はアルテミスの事であった、自分の尊敬していた女神が外見も性格も想像の540°も違ったショックは未だに癒えそうになかった。
それもそうだ、自分よりも前に来た獣耳の狩人もいまだに癒えていないのだから。 そう思ってメルトリリスは溜息をつく、因みにその狩人とは時々「信仰を頑張っていこうの会」と言う名目で共に食事をして励まし合っている。
「人に臆面もなくダーリンだなんて……いえ相手はクマだったけど……ダーリン……」
ダーリンと言う言葉を呟きながら繰り返すメルトリリス。少しだけ憧れていないというと嘘になった、自分の体にアルテミスが組み込まれているからかは分からないが何だか素敵な響きに聞こえるのだ。
無論一度も呼んだことはない、これからも呼ぶこともないだろう。 しかしああやって無邪気に人に好意を伝えられるというのは素直に羨ましいとメルトリリスは思う。
「ダーリン……ダーリン……」
鏡の前で笑顔を作って呟いてみる、笑えるほどに似合っていないとメルトリリスは自嘲気味な笑みを鏡の自分に向ける。
「やっぱり相手がいないと駄目ね……いやいやいや、何を考えているのよ馬鹿らしい」
ふと脳裏にどこかの
「あんな人に向かって言うぐらいだったらどっかのトリ頭に言った方がマシよまったく……まったく……」
だが、まぁ、案山子か何かと思って練習してみるもいいかもしれない、とメルトリリスは心の中で思うと少しだけ想像する。
__自分の後ろにはいつもみたいに間抜けな顔で笑っているお馬鹿さん、私はゆっくりとターンして女神アルテミスがしているように、出来るだけ可愛く笑って、心まで溶かすように甘い声で……
「ダーリン!」
「――……」
と振り返ったところでマスターの顔と鉢合わせた。 手にはメディアなどから貰ってきたであろうドールマニア向けの雑誌を持っており、そういえば強請ったんだったなと冷静にメルトリリスは思うが、数瞬して顔が沸騰するような感覚に襲われた。 それはつまり目の前のマスターがまぎれもなく本物と言うことであり……
「あ、あ……その、これは、そう。 あれなのよ、そう」
最高峰の演算処理能力を持つメルトリリスの頭がパニックになり、もはや言葉が出てこない、恥ずかしい、顔が熱い。 完全にオカンから痴態を見られた思春期の少女である、何でもないと澄ました笑顔を作ろうとするが口がヒクついて上手く行っていない。
「――……」
一方のマスターもメルトリリスをフォローしようと言葉を選んでいるらしく、色々と言いよどみながらも脳をフル回転し、最適解を出して、とりあえず笑顔でこう言うことにした。
「――は、ハニー……?」
「……っ! ノックぐらいしなさい、このあんぽんたんーーーーっ!!」
部屋の中で何かが衝突する音が響き、マスターがドアを突き破って大量の水と共に廊下へ飛んで行った。
錐もみ回転する体で風を感じながら、また入院かなぁ、でも笑顔は可愛かったなぁ、と思いながらマスターは静かに意識を手放すのだった。
因みに今度は全治一週間であったが、打撲痕は無く、原因は水に濡れて風邪を引いたことであった。
――マスターの明日はどっちだ。
約三カ月ぶりの更新……遅くなりすぎて申し訳ありません……
あとジェロニモ回とも申しましたがジェロニモの過去を描写しようとすると絶対にシリアスに行ってしまうので、某映画のキモサベを参考にしました……
あとメルトリリス尊い……というかアルターエゴ皆尊い……ただし菩薩観音テメーは駄目だ。
感想&誤字報告いつもながらありがとうございます。 これからもまたゆっくりと更新していくのでどうか生暖かい目で見守っていただけると嬉しいです!
ではまた次の回で!