「お兄ちゃーん。冷蔵庫の中何もないから、雨が降る前に買い物行ってきてくれない?」
「え?あ、ああ……」
小町の声で我に返る。……危ねえ。うっかり場の空気に流されるところだった。
俺は特に意味もなく、首筋をぽんぽん叩きながら立ち上がる。
「じゃあ、私も行くわ」
「いや、俺一人でも……」
「遠慮しないの」
「……はい」
絢瀬さんのスクールアイドル活動の話を聞いていたら、割とすぐにスーパーに到着した。
「じゃあ……買うわよ!」
止めて!静かにして!
何故か気合いの入った絢瀬さんと僅かに距離を取りながら(しかし、すぐに詰められる)、買い物カゴをカートにセットする。すれ違いざまに、お年寄り夫婦が微笑みながらこちらを見ていた。……入店早々ダメージを受けてしまった。他には何もないよな?
「…………」
「どうしたの?キョロキョロして……」
「いえ、何でも……」
俺が総武高校に通っているのは、中学時代のクラスメイトと同じ学校に進学したくなかったからだ。なので、基本的に俺の生活圏内で総武高校生と出会う事はない…………はずである。だが、もしもの可能性がある。二人で買い物をしているところなんて見られたら……………。
いかん。警戒しすぎだ。不安定な精神状態で犯罪係数が上昇しているかもしれない。近くに執行官はいないだろうか。
「…………」
気がつくと、絢瀬さんもキョロキョロしている。まさか本当に執行官が……!なんて事はなく、その視線の先には家族連れの客が何組かいた。
「どうかしましたか?」
「いえ、何でもないわ。行きましょう、あなた」
「ああ、はい…………今なんて?」
「どうしたの?あ・な・た♪」
「…………どうしたんですか?次は何ですか?」
くっ!また斜め上な事をやろうとしてんな。
「あなた、今日はお義父さんとお義母さんは帰り遅くなるの?」
「聞く気はないんですか。そうですか」
無理だ。話の通じる相手じゃない。
「ほら、やっぱりいついかなる時でも爪跡を残す努力をしないと」
「お笑い芸人じゃないんですから……」
あなたぐらい爪跡を残されると、こちらは引っかき傷だらけになるんですが。いや、もう既に満身創痍なんですが。
しかし、あまり誤解を生む訳にはいかない。ここはガツンと言うべきだろう。ワイルドに吼えるぜ!
「あの……絢瀬さん」
「ちょっとだけ家族を思い出しちゃった」
少し離れた所にいる家族連れを見つめる絢瀬さんの表情に、僅かに翳りが見えた。雲が月を覆うように訪れたその翳りに、俺は自然と口を噤んでいた。
「実は私の家族って、亜里沙以外は皆ロシアにいるの」
「…………」
「あ、ごめんなさい!いきなりこんな話……」
「別にいいですよ……それより……俺に、料理でも、教えてください」
自分でも何が言いたいかが分からぬまま言葉にした。
しかし絢瀬さんは、クスッと笑って、俺の左腕にしがみついてきた。
「もちろんよ!あなた♪」
……どう考えてもその笑顔は反則だと思う。