Fate/XXI   作:荒風

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 こちらは、今回ハーメルンに掲載するにあたって、新しく書き下ろした、旧エピローグとは別の展開のものです。


IFエピローグ

   エピローグ1:Fate/ZERO

 

 

 頭部を完全にウイルスに喰い尽された言峰綺礼の胴体が、仰向けに倒れる。倒れ込んだ場所は、手榴弾の爆発で発生した炎の中だった。衣服に火が点き、肉体が徐々に燃えていく。

 吸血鬼として堕ちた神父は、このまま肉体さえも、完全に滅び去ることだろう。

 

「……ぐっ」

 

 綺礼の死を見届けた切嗣は、ついに膝を床につける。体内の血管が破れ、内出血が起こった。筋肉から内臓まで、あらゆる部位が傷つき、呼吸するだけで全身に激痛が走る。多くの骨に罅が入り、筋肉がちぎれている。四倍加速の負荷によるものだ。

 今にも気を失いそうだが、脳の血管が切れてしまったり、激痛のショックで心臓が止まったりしなかっただけ、運が良かったというところだろう。

 

「大丈夫ですか、切嗣」

 

 舞弥が駆け寄り、切嗣の体に億泰から引き抜いた【全て遠き理想郷(アヴァロン)】を差し込む。聖剣の鞘は切嗣の体を癒していくが、その力が先ほどまでより弱くなっていた。おそらく全快はできないだろう。

 元来の主であるセイバーが消滅したことで、鞘の効力も消えかけているのだろう。セイバーが消えた後でも鞘が使えたのは、本来の所有者であるセイバーが、直接に鞘を手にしていたことで、最高に活性化した鞘の力がまだかろうじて残っていたというだけだ。もうこれで完全に鞘は使えなくなるだろう。

 傷が癒えていく切嗣の様子を見ながら、形兆は次のことを思案する。

 

「何とか勝てたが……後は聖杯をどうするか」

 

【この世全ての悪】に蝕まれた聖杯。残しておくわけにもいかず、破壊しても何が起こるかわからない。

 

「っ……おいッ! あのババア!!」

 

 億泰が色を変えて叫ぶ。指差す先には、全身に弾痕を刻みながらも起き上った、キャスター・エンヤ婆の姿があった。

 

「ハァ、ハァ……おのれ……カスどもめが」

 

 彼女の手には、綺礼が被り、その身を魔物と変えた【石仮面】があった。切嗣たちは冷や汗を流す。もし、彼女が吸血鬼となれば、今の傷も治り、逆転も可能だ。

 しかし、エンヤ婆の顔には絶望と悲痛の影に染まっており、勝利への渇望は見えなかった。

 

「今……クッ……DIO様が消えた。DIO様の骨を通じて召喚されたわしには、それが伝わった……」

 

 その眼から涙が溢れ、滝のように皺だらけの頬を伝い、流れ落ちる。

 

「おのれ……おのれッ!! お、おの、れぇぇぇぇぇぇッ!! よくも! よくもぉッ!!」

 

 その場にしゃがみこむと、床に向かってガンガンと思い切り頭を叩きつける。かなり遠慮も躊躇も無く、叩きつけていると見え、床がだんだんへこんでいく。

 

「許さんっ! こうなれば、貴様らも皆、殺し尽くしてくれる……!!」

 

 エンヤ婆が【石仮面】を強く握る。やはり、それを使って吸血鬼になるつもりかと、阻止する方向で動こうとする形兆たち。

 しかし、エンヤ婆は予想外の行動をした。

 

「こうやってのぉ!!」

 

 妖婆はその【石仮面】を素早く、聖杯に目がけて投げたのだ。【石仮面】は回転しながらフリスビーのように飛び、聖杯に当たる。

 そして、

 

 ズガァァァァァアアンッ!!

 

 仮面が火を噴き、爆発した。天井まで昇る火柱が立ち、壇上を炎と熱風が舐めあげ、聖杯を呑み込む。

 

「キャハハハハハハ!!」

 

 炎が広がっていくコンサートホールに、エンヤ婆の笑い声が響く。

砕けた幻想(ブロークン・ファンタズム)』――元々はアサシンの宝具である【石仮面】。エンヤ婆が使用することなどできないが、アサシンがこの世からいなくなった今、魔力を注いでアサシンと共に消えることを防ぎ、己と縁を繋げて所有物としたうえで、暴発させる。仮にもキャスターのクラスにあるエンヤ婆であれば、できないことではない。

 

「フフヒヒヒヒヒ……もうおしまいさ。このわしもいずれ消えるが、貴様らもだ。少なくとも、この町は地獄になるじゃろう……DIO様以外の誰にも聖杯は渡さん。生きていることも、許さん……クヒャヒャヒャヒャ!!」

 

 狂気の笑いをあげ続けるエンヤ婆の言葉は、『空』で何が起こっているのか知らない切嗣たちにとっては意味不明だったが、危険が迫っていることは、その場の誰もが理解できた。

 

「くっ……とにかくここにいたら火に焼かれて死ぬ。外に避難するぞ!」

 

 形兆が言い、切嗣も頷く。舞弥が切嗣を、億泰が形兆を、フーゴがナランチャを、動ける人間が動けない人間をそれぞれ運び、コンサートホールから駆け出て行く。

 後には、ますます燃え盛る炎の中、エンヤ婆の笑いが響いていた。

 

   ◆

 

 一方、外ではウェイバーたちが青ざめた顔で、空を見上げていた。

 空にポッカリと開いた黒い孔。その奥から、いわく言い難い、冒涜的とも言えるおぞましさを内包した『泥』が湧き出てきているのがわかったのだ。わかりたくないのに、本能が『酷い何か』が湧き出てくることを訴えている。

 このままいけば、『泥』は地に落ち、辺り一帯を汚染するだろう。この場にいれば確実に呑み込まれる。

 

「どうするんだよ……あんなの」

 

 ウェイバーや雁夜はもちろん、霊核が傷ついたランサーも、『泥』の湧く『孔』をどうしようもできない。

 

「自動車で、逃げるか?」

 

 雁夜が提案するが、ウェイバーは力無く首を振る。今からでは逃げ切れるとは思えない。

 

「申し訳ありません、主よ……ここまで来て……」

 

 苦渋の表情のランサーが、絶望を滲ませた声を漏らす。

 三人が諦めることしかできない中、ガチャリと言う足音がたつ。

 

「ここは私にお任せください」

 

 涼しげな響きの声が、彼らの背後からかけられた。

 

「お前、バーサーカー……」

 

 振り返った雁夜が目を丸くする。

 常に妄執の悪鬼として、殺気を振り撒いていたバーサーカーは、物静かな、湖面に映し出される月を思わせる、憂いを帯びた美青年として立っていた。

 この姿が、かつてアーサー王の朋友、騎士の中の騎士として謳われた、サー・ランスロットなのだろう。とはいえ、その身は満身創痍、あと少し早く立ち上がっていたとしても、アサシンとの戦いには役立たないくらいに消耗していた。けれど、まだできることはあった。

 

「私ももう、消えゆく身ですが、それゆえか、理性がこの身に戻ったようです。あの『孔』は、私が断ち斬ります」

 

 右手に【無毀なる湖光(アロンダイト)】を掲げ、力強く言い放った。

 

「この身に残された全ての魔力を、爆発力に変えてあの『孔』に叩きつければ、きっと破壊できるでしょう」

「お前……自分の全てを使って『砕けた幻想(ブロークン・ファンタズム)』を行うつもりか」

 

 バーサーカー――サー・ランスロットはウェイバーに頷き、次に雁夜に対し、深く頭を下げた。

 

「申し訳ありません、雁夜……私の狂気に、貴方を巻き込んでしまった」

「え……いや、バーサーカーのクラスで呼んだのは俺なんだし、むしろバーサーカーにされたことを怒るのはそっちの方じゃないか?」

 

 今までの暴走状態とは逆の、礼儀正しい行動に、雁夜は現状の危うさも忘れて面食らう。

 

「いいえ。私は望んで狂気に堕ちたのです。かつて我が王、アーサー王は、私の罪を許した。決して責めはしなかった。ですが、それが私にとっては苦痛でした。罰を与えられていれば、償うこともできましたが、そもそも許されてしまっては、私にできることは何も無くなってしまう……。深い罪の意識と懊悩の果て、私は狂気を求めました。狂ってさえしまえば、もう悩むことなく、存分に恥知らずに、王を恨むことができると」

 

 完璧な騎士と褒め称えられた男は、己の罪を告白する。己の身勝手な行為を告白する。

 彼の反逆は、理性なき獣であれたからできたのだ。理性の戻った今、残っているのはかつてを遥かに上回る、悔やんでも悔やみきれぬ罪の意識しかない。

 

「ええ、あのアサシンの言った通りです。全て私の望んだことです。王へと怒りをぶつけ、王を苦しめ、絶望に落としたいと、私は確かにそう望み……そして叶った。叶ってしまった」

 

 バーサーカーは嘆きを湛えた目で、今にも零れ落ちそうな『泥』を見上げる。

 

「憎悪を、怨嗟を、周囲を顧みず振り撒いて、今なお敬愛し続ける貴き主君の心を、この手で切り裂き……何をやっているのやら」

「バーサーカー………」

 

 自嘲するランスロットに、雁夜は胸を痛める。確かにランスロットの行為は愚かだったのだろうが、それでも絶望したまま終わってほしくは無かった。泣きながら消えて行ってほしくはなかった。

 バーサーカーは、雁夜のサーヴァントであり、パートナーであったのだから。

 

「最後の償い……にもならない、自己満足ですが、あの『孔』の始末はつけます」

「あ、あのな、バーサーカーがどう思っていようとだ」

 

 雁夜がおずおずと口を開く。この濃密な戦いの時間を共に過ごしながら、初めて言葉を交わす相手。深く理解しているわけではない。その苦悩を知るなどおこがましい。それでも、言うべきことがあった。言いたいことが、確かにあった。

 

「俺と一緒に戦ってくれたこと、感謝している。お前じゃなくちゃ、アサシンには勝てなかった。時臣の願いを、叶えられなかった。だから、その」

 

 自分の心を表せるような言葉が中々見つからず、もどかしく思いながらも、精一杯の想いを込めて、雁夜は口を開く。

 

「自分の全てを否定しないでくれ。お前は、俺の最強の騎士だった」

 

 その言葉を受け、バーサーカーは少し恥ずかしそうに、微かな微笑みを見せた。相変わらず影は背負っているが、僅かなりとも慰めにはなっただろうか。

 

「……では行きます。おさらばです、雁夜。世話になりました、ウェイバー殿、ディルムッド殿。どうか、ご壮健で」

 

 剣を抜く。強い力を込めるでなく、仰々しい構えをとるでもなく、あくまで自然体に軽く、【無毀なる湖光(アロンダイト)】を両手で握る。

 そして剣を頭上にまで振り上げ、剣先を天に向ける。腰を落とし、右足を前に踏み出し、左足を後ろに退く。

 

「……ハッ!!」

 

 呼気を一つ。大地を打つ音がしたかと思えば、バーサーカーの姿は既に、何十メートルの上空に昇っていた。もはや朽ちた体は、その跳躍に耐え切れずに脚が砕けたが、もう戦うことも無い身を、バーサーカーは気にかけない。

 

 オオオォォォォオオオォオォォォオオオオオ

 

 亡者の呻きの如き、不気味な唸りをあげ、『泥』がいよいよ溢れだそうとする。『孔』の縁から、『泥』がこぼれ始めた、まさにその瞬間、バーサーカーの剣が『孔』に届いた。

 サー・ランスロットは、誇り高き剣撃を今、振り下ろす。

 

「【無毀なる湖光(アロンダイト)】ッ!!」

 

 かつて、誰よりも偉大なる王と仰いだ人と共に、戦場を駆けた日々において、常にその手にあった存在の名を、高らかに叫ぶ。

 かつて幾多の騎士を屠り、幻想種の王たる龍をも切り裂いた、星が生み出せし神造兵器。

 その不滅の輝きは、ドス黒く濃縮された悪の塊を照らし、斬り滅ぼす。

 

 ズオォォォォオオッ!!

 

 雁夜たちの目には、黒い巨大な『孔』が、光の刃に両断された光景がはっきりと見えた。そして次の瞬間、『孔』の中心部で白い閃光がはじけ、『孔』を灼き裂いた。

 悪しき『泥』が、騎士の『光』に塗り潰される。やがて光が弱まり、消えた後には、空は星が瞬く、『孔』の無い本来の夜空へ戻っていた。

 

「……なんだ今の派手な音は」

 

 ちょうどその時、ナランチャを担いだフーゴが、市民会館から姿を現した。

 

「フーゴ! 良かった、無事だったか」

「ああ、ナランチャも無事だ。そっちは、無事とは言い難いようだな……」

 

 雁夜に対し頷くフーゴは、倒れたブチャラティとアバッキオの姿や、姿さえ見えないバーサーカーから、状況を察して表情を暗くする。

 フーゴの背後には、切嗣たち続き、どうやらエンヤ婆の目論見は達成されなかったようだと、安堵していた。

 

「……僕たちはもう行かせてもらうよ。聖杯を手に入れられなかった以上、ここにいる意味は無い」

 

 わずか数日で、多くのものを失った切嗣は、酷く老け込んだ様に見えた。けれど、その眼にはまだ、ギラギラとした熱意が燃えている。まだ、やるべきことがあるのだ。

 その場を歩き去っていく切嗣を、舞弥は当然のように追って行った。

 

「あ、兄貴、俺たちは……」

「……しょうがねえ。行くぞ」

 

 とはいえ、聖杯は砕け散ってしまい、雇い主であるアインツベルン家の悲願は果たされなかった。この分では、報酬である魔術知識も与えてもらえるかどうか。下手をすれば失敗の責任をとらされる羽目になるかもしれない。

 

(始末される前に逃げた方がいいかもな……)

 

 今後の事に頭を悩ませながら、形兆たちもまた疲れた体を引きずるように、切嗣の後を追うのだった。

 

「…………」

 

 彼らの背中を、ウェイバー・ベルベットは見送った。

 ほとんどの魔力を使い果たし、気を緩めると意識を失ってしまいそうなほど消耗した彼は、鈍い動きで水の入ったペットボトルをポケットから取り出し、中身を飲み干す。

 

「う、ぐ、う、うぉぉぉぉぉ~」

 

 水を飲むとすぐに、ウェイバーの目から尋常ではない量の涙が溢れ、零れ落ちる。足元が水たまりになるほどの涙が流れた後では、朦朧としていたウェイバーの思考は澄み渡っていた。

 キリマンジャロの5万年前の雪解け水の効果である。

 

「ふう……」

 

 はっきりとした意識を取り戻し、一息ついたウェイバーは、ランサーへと振り向く。ウェイバーの目にしたランサーは、既に光へと転じて消え行こうとしていた。

 アサシンに砕かれた霊核で、ここまで良く保ったというべきだろう。だが、もうすぐランサーは消える。いや、もっとはっきり言えば――死ぬ。ここに存在しているディルムッド・オディナにはもう会えない。たとえ同じディルムッド・オディナを召喚できたとしても、それは別のディルムッド・オディナだ。

 

「ランサー……ディルムッド・オディナ」

 

 ウェイバーはここまで共に戦い続けてきた戦友と向き合う。忠義を捧げてくれた騎士へ、もう2度と会うことのできない相棒へ、告げるべき言葉を懸命に探す。

 

「主よ……申し訳ありません。貴方へ聖杯を捧げたかったのですが、それは果たせませんでした」

「何言ってんだよ馬鹿。あんな『孔』が開くようなことになってるんだ。聖杯なんていっても、まともなものであるか疑わしい。大体、僕が欲しかったのは、聖杯そのものじゃなく、友達に自慢できるような武勇譚だ。彼らと肩を並べられるような、英雄譚だ。それは手に入れられた。僕たちは最後まで戦い抜き、最後に勝ち残ることができた」

 

 ウェイバーは今まで張り続けた意地を、しばし忘れる。強がりを消し、ただ素直な心情を、口にする。

 

「お前の捧げてくれた勝利は、僕の一生の自慢になるだろう。お前の忠義も、お前の武勇も、教えてくれた詩の形式も、朝に卓を囲んで飲んだ茶の味も、僕はいつまでも憶えていよう。良くやった。本当に良くやってくれた……お前は僕の、自慢の騎士だ」

「有難き……有難き幸せ……」

 

 ランサーは感涙しそうなほどに心を震わせ、今生の主からの称賛を受け取った。彼の悲願は、生前の最後の心残りは、これで完全に果たされた。

 けれど、

 

「貴方と共に戦場を駆けた日々……私が望む全て、望む以上の多くを、与えてもらいました。だからこそ、悔しい。この幸せが終わってしまう。もっと、貴方に仕えていたかっら。貴方の誇る友人たちにも、会ってみたかった。貴方の成長を見守りたかった。ふふ、全く自分がこれほど度し難い欲深とは、思いもしませんでした……生前の心残りが消えたと思ったら、また心残りができてしまった」

 

 言葉で自嘲しながらも、ランサーの顔はそんな自身を慈しむように笑っていた。

 もっと生きていたいと願うほど、良き時間を過ごせたということ。別れたくないと悲しめるほど、良き主人と巡り合えたということ。だから、この悔しさの痛みも、心残りの苦みも、きっと良いことなのだろう。

 

「けれどそれも仕方ない。せめて笑ってお別れとしましょう。それがケルトの騎士の流儀……ご壮健を願います。我が主よ」

「大儀だった、我が騎士。座で待っていろ。僕もいつか行ってやる。ああ、行ってやるとも!」

 

 高らかに言うウェイバーの手は、拳をつくって強く握られ、表情はやや硬く、引き締められている。そうやって力を入れていないと、先ほどあれだけ溢れ出させた涙が、まだ出てきてしまいそうだった

 ディルムッド・オディナは、『座に登録されるほどの英雄』になるという、ウェイバー・ベルベットの宣言を、欠片も否定することなく、真面目に受け取り、

 

「ええ、楽しみにしています」

 

 その言葉を最後に、ついに全身を光に転じさせて消え去った。

 

 それを見送るウェイバーの目は熱を帯びていたが、涙をこぼすのを堪えた。泣いていては、ランサーに顔向けできない。

 幸い、バーサーカーのおかげで、町は無事だ。冬木市民会館は火事で燃えてしまうだろうが、人的被害はない。もう問題あるまい。

 

「『悲しみの歌をうたえ。勇士は地に倒れ伏して久しくなるが、また勇士の日が訪れるであろう』……僕も帰るよ。あんたたちは?」

 

 ランサーより教わった詩歌を口ずさむと、ウェイバーは雁夜たちに目を向けた。フーゴは既に自動車に傷ついたブチャラティたちを担ぎ入れに行き、この場には見えない。

 

「……まだ俺の戦いは終わっていない。これまでありがとう。後は俺が始末をつける」

 

 詳しい話は聞いていないが、雁夜には相当に重い事情があることはウェイバーにも予想できた。これから彼がどうするのかはわからないが、その切羽詰まった表情は、危ない橋を渡るつもりであると語っていた。

 助けてやりたいが、魔力もサーヴァントも失ったウェイバーに、できるようなことはないだろう。

 

「……わかった。せめて武運を祈るよ」

「ありがとう。君とランサーのことは、死んでも忘れない」

 

 それが、彼らの交わした最後の言葉となった。二人は互いに背を向け、反対の方向へと歩き出す。

 かくて、最後の決戦が行われた地からは誰もいなくなり、聖杯は砕け、戦争は終わった。

 

 第4次聖杯戦争は、勝者のいない結末を迎えたのだ。

 

 

   ◆

 

 

   エピローグ2:間桐雁夜

 

 

 間桐雁夜は間桐の館へ足を踏み入れる。己が生家のはずなのに、そこで心安らいだことは一度も無く、己が住む場所と思えたことも無かった。

 むしろ敵地に向かう心地で、雁夜は足を進める。門を開き、階段を下り、蠢く蟲どもを振り払い踏み潰し、やがて表情の壊れてしまった少女のもとに辿り着く。

 

「桜ちゃん……助けに来たよ」

 

 少女の虚ろな目を覗きこみ、雁夜は悲願であった言葉を口にした。

 力無く、蟲どもに蝕まれるに任せている桜を立たせ、しっかりとその小さな手を握り、共に呪われた蟲蔵を出て行く。

 

「おじさん……どうして外に出るの? お爺様に怒られちゃうよ……?」

 

 首を傾げる幼女に、雁夜は柔らかに微笑みをつくり、首を振る。

 

「大丈夫。もうあいつの手の届かないところへ行くんだから」

 

 雁夜を見張る蟲はもういない。このまま町を出れば、臓硯とてそう簡単に足取りをつかむことはできないだろう。この冬木を出るまでに、見つからなければの話だが。

 

 雁夜は、ここに来る前にフーゴとかわした会話を思い出していた。

 

   ◆

 

『しかし、これからどうするつもりだ? 聖杯は手に入らず、臓硯との約定は果たせなかった。臓硯と戦おうにも、ブチャラティたちはこの傷……とても、戦力にはならない』

 

 自動車を運転しながら言うフーゴは、一見して冷静に見えたが、その顔色はいつもより血の気が引いていた。

 ナランチャは軽傷だが、ブチャラティとアバッキオは重傷。特にブチャラティは腹を貫かれ、今も生きているのが不思議なほどだ。リーダーが致命傷に陥り、心配でないわけがない。

 そんなフーゴに対し、それまで強く唇を結んで黙っていた雁夜は、ポケットから小さな一つの薬瓶を取り出した。

 

『それは……』

『アーチャーから貰った、【再生薬】だ。これを、ブチャラティたちに使ってくれ』

 

 それは、雁夜と桜のためにブチャラティが雁夜に渡したもの。それを譲るということは、雁夜の肉体を癒す手段は無くなるということ。

 

『いいのか?』

『……ブチャラティを死なせるわけにはいかない』

 

 雁夜の声と表情に決意を見たか、フーゴは真摯に頷いて受け取り、ただ一言、

 

『感謝するよ』

 

 とだけ、言った。それ以上のものも、それ以外のものもお互いに必要なかった。

 自動車をいったん交通量の少ない小道の脇に停め、ブチャラティたちに薬を塗る。その効果は劇的で、ブチャラティの腹に開いた穴は埋まり、アバッキオの骨折も繋がる。しかし、彼らが目を開けることはなかった。

 

『致命傷は脱したが、もう少なくなっていた薬を3人で分けて使ったせいか、完全には治りきらなかったようだ。擦り傷や打撲のような細かい傷はそのままだし、体力も戻っていない。すぐには動けないだろう』

 

 フーゴはブチャラティたちの様態を診て、そう判断した。雁夜はフーゴの見解を聞くと、静かに覚悟を決めて、【再生薬】とは別の薬瓶を取り出す。

 桜のつらい記憶を消すために、ブチャラティが雁夜に渡した薬。

 

『【忘却薬】だ。これを使って、ブチャラティたち3人から、この戦いの記憶を消してくれ』

『…………!!』

 

 フーゴは【再生薬】を渡された時よりも長い時間、無言で驚愕した後、

 

『一人で行くというのか?』

 

 あの臓硯を相手に、桜を助けに、一人で行くと。ブチャラティたちがいても、どうなるかわからない未知数の相手に、一人で行くと。

 

『ブチャラティたちが目を覚ますのを待っている時間はない。俺の体にはもう蟲がいないから、見つかることもない。臓硯を出し抜くには、この戦争終結直後のゴタゴタだけがチャンスなんだ』

『…………』

 

 フーゴは何も言い返さない。頭のいい少年は、雁夜の言うことに理があるとわかっているのだ。桜を救い出すには、今この時が最大のチャンスであり、今この時にブチャラティたちは動くことができない――ゆえに雁夜一人で行くしかない。

 無論、フーゴだけならついていけるが、意識不明のブチャラティたちを残して、雁夜についていくという選択肢は、フーゴにはない。冷静に、冷酷に、人間と状況を天秤にかけて、正解を導くのがフーゴの役割であり、ブチャラティのチームのためには雁夜はここで切り捨てることが最善なのだ。唯一の問題であるブチャラティの感情は、【忘却剤】を飲ませれば解決する。

 一人分しかない【忘却剤】だが、3人に使った上で、雁夜の魔術で偽の記憶を植え付ければ、まず完璧に記憶を改竄できるだろう。

 

『ただ……【忘却剤】を渡す代わりと言ってはなんだが、無事に桜ちゃんを助け出せたら、イタリアに渡る。そうなったらかくまってほしい』

『なるほど……そういう取引か。【忘却剤】なしであんたを見捨てたら、僕とブチャラティは気まずくなる。そうなりたくなかったら、救出成功後の生活の面倒を見てほしいと。いいだろう。まだ自分の損得も考えられる程度には冷静なようで、少し安心した』

 

   ◆

 

 少し前のことを思い出し、雁夜は内心で自嘲する。

 

(中途半端だな)

 

 フーゴへ別れを提案した理由は、確かに今の彼らでは戦力にならないというのもあるが、やはり彼らをこれ以上付き合わせたくなかったからだ。桜のためなら、自分の命も捨てるし、他人の命も生贄にすると誓った身でありながら、自分に味方してくれる者を犠牲にする覚悟は、どうしても決まらなかった。

 もしブチャラティという人間の人となりを深く知らずにいたなら、彼らを捨て石にすることもできたのだろうが、今となってはそれはあまりに罪悪感をもたらす行為となっていた。人間の温もり、優しさを思い出してしまったがゆえに。

 

(けれど……)

 

 自分の至らなさを嘆くことをやめ、より重要なことに意識を集中させる。まずはタクシーを拾うか、適当に道行く自動車の運転手を催眠で操ってでも『足』を手に入れなければならない。

 住宅地を歩み、もう一区画を抜ければ、この深夜でも多くの自動車が走る、大きな車道に出られるというところまで来た。だがその時、

 

 ぐぉん

 

 夜の闇で何かが捻じれた。

 

「どこに行く気かえ? 雁夜よ」

 

 それはごく普通の老人の声であるはずだ。だが雁夜にとっては、聞いているだけで神経を掻き毟るような、不快感を催す、蟲の羽音や足音のような声。

 

「……臓硯」

 

 答える雁夜の声は、意外にも静かなものだった。戦意や敵意はあっても、恐怖は無い。

 そのことに臓硯も気付いたようだった。

 

(小癪な……)

 

 臓硯の感情が凶暴さを増す。元よりこの老怪の機嫌は非常に悪い。この老魔術師の当初の目的は、達せられているというのに。

 

(元より、様子見に徹するつもりであった聖杯戦争。雁夜ごときに期待はしていない。目的としていた、聖杯の欠片は手に入った。次回の戦争では、これを上手く使えばアインツベルンを出しぬける。万事はわしの都合のいい展開……だが!!)

 

 腹の底から、臓硯自身も制御できぬ、熱く黒い塊のような感情が溜まっていく。

 アサシンの敗北と言う結果が、臓硯に想像以上の怒りをもたらしていた。久しく感じぬ失意と悲嘆。自分の認めた『悪』が、取るに足らない『正義』に倒されるという、彼にとっての理不尽な運命への憤怒。

 

「よもや貴様ごときが生き残るとはのぉ……あのアサシンを打ち破るなど……奇跡をどれだけ積み重ねたのやら」

 

 臓硯の憎悪を反映するかのように、周囲の空を無数の魔蟲が羽ばたく。一匹を相手にしても、雁夜ではあっさりと殺されるだろう。

 

「しかしそのような奇跡も、もはや打ち止め……聖杯を取れなかった貴様に、報酬を得る権利は無い。にもかかわらず、桜を連れて行こうとしたのだから………罰を受けてもらう」

 

 臓硯の右腕が上がり、蟲たちがいななく。聞く者の耳を痛める、甲高い声に、桜が身をすくませる。けれど、雁夜はそんな桜をかばって、前に立つ。

 

「へえ、臓硯。あんた、あのアサシンを随分買っていたみたいだな。それなのに俺たちがアサシンに勝っちまって、怒り心頭ってところか?」

「ッ……黙れいッ!!」

 

 魔蟲が牙を剥いて飛びかかる。臓硯にしては直情的な、厭らしい工夫の無い攻撃だった。雁夜相手であれば、正攻法でも充分であるのは確かであるが、何より雁夜に見透かされたという屈辱感が、臓硯を更に怒らせ、単純な行動を取らせたのだろう。

 

「燃え尽きろ……ッ!」

 

 対する雁夜は冷静に、ポケットから一粒の赤い宝石を取り出し、投げつけた。時臣より譲り受けた、宝石の一つ。最後の戦いでほとんどを使ってしまったが、片手で数えられる程度の数は、残っていた。

 

 ゴオオォオオオォォォォッ!!

 

 火のついた魔力の塊は、爆炎となって迸り、殺到する蟲どもを焼き飛ばし、雁夜と桜を護る、炎の壁となる。

 

「ふん、その程度の防御、時間の問題よ。そう長くは持つまい」

 

 攻撃を防がれた臓硯は、焦りはしなかった。臓硯の見積もったところ、その炎の防御壁は、もって3分程度しか存在してはいられない。無論、臓硯が本気になれば、いくら遠坂の宝石を使ったとはいえ、雁夜の魔術程度はすぐに破れる。

 けれど、臓硯は敢えてそうせず、炎の壁が消えるまでの数分で、雁夜をじわじわと苦しめてやろうと考えた。壁が消えた瞬間、その身を蟲で喰らい尽くしてやろうと、数百、数千の異形の蟲が、雁夜と桜の周囲に群がり、その時を待っている。

 そんな悪趣味な慢心が、運命を分けた。

 

 パキャ

 

 アスファルトの道路で、何かが割れる軽い音がした。

 

「?」

 

 臓硯が反射的に振り向いた時には、もう遅かった。

 

 ボキャリ

 

 臓硯の脚が崩れた。

 

「な、にぃ?」

 

 倒れ込む臓硯の目に、更なる惨状が映る。周囲に飛び交う蟲たちが、ドロドロと崩れ、落ちていくのだ。雨のように次から次へと落ちていく、魔蟲の群れ。すぐに、その場は蟲の残骸で、汚泥の沼となる。

 

「こ、こいつはっ!」

「……【パープル・ヘイズ】」

 

 突如、明かりが生まれる。自動車のライトだ。

 そのライトに照らされて浮かび上がる人影がある。

 穴だらけのスーツに、苺柄のネクタイを身に着けた変わった少年――パンナコッタ・フーゴ。

 

「き、さまぁっ!!」

 

『殺人ウイルス』に侵され、死にゆく臓硯が憎悪の声をあげる。しかし、それを酷く冷淡な目で見下し、言い放った。

 

「貴方の自慢の蟲蔵にも、今頃アバッキオがこのウイルスを持ち込んでいるはずです。お気の毒様。貴方の可愛いペットは絶滅です」

 

 臓硯は、操る蟲たちの様子を確認し、フーゴの言葉が事実だと確認した。彼の魔術の大半を占める蟲が滅ぶ。それは、臓硯にとってあまりに大きな痛手だった。

 

「許さんッ!!」

 

 流石の臓硯も、我を忘れ、崩れかけの腕を伸ばし、まだかろうじて生きている蟲たちに命じて、フーゴを殺そうとした。だが、

 

 バババババババババッ!!

 

 夜の空気を引き裂く轟音と共に飛来した、無数の弾丸によって、魔蟲はことごとく穴だらけにされて、ついに一匹たりとも、フーゴには届かなかった。

 

「【エアロスミス】」

 

 フーゴをライトで照らす自動車から、降りた少年――ナランチャ・ギルガ。彼の操る、戦闘機の姿をしたスタンドが、仲間を護り切る。

 

「くう…………!」

 

 臓硯は認めるしかなかった。最初から全力で対処していたのならまだしも、油断を突かれ、完全に後手に回ってしまった現状で起死回生はできないと。

 

「こ……これで終わったと、思うな……! 貴様らごときが、この儂の……!」

 

 ここでは負ける。だが最終的には自分が勝つと、臓硯は信じていた。自分は死なない。

 

(この人間の姿をした体は、本体ではないっ!)

 

 臓硯は、既にその魂を蟲へと移しており、本体は一匹の蟲であった。人間体を傷つけられても、多少の苦痛はあれど、死には至らない。今回は思っていた以上の損害を被ったが、いずれ力を取り戻し、しかるべき報いを与えてやると、心に誓う。

 

(後悔させてやるわ……!)

 

 ドロドロと煮え立つ穢れた恨みを抱え、臓硯は次の機会を待つことにした。だが、

 

「いいや、これで終わりだ」

 

 新たな声と共に、臓硯は、自分の『本体』が捕まったことを感じ取った。

 

「え……ああ……?」

 

 既にウイルスで半分崩壊した臓硯の人間体の顔が、呆然と自分の『本体』を見ていた。

 

「この『蟲』が、本物の間桐臓硯だというのか?」

「ああ。ま、この手の奴の常套手段だよ」

 

 臓硯の『本体』を握るのは、鍵穴型の模様をあしらったスーツを来た少年――ブローノ・ブチャラティ。

 そして、その隣に立ち、ブチャラティに説明している少年は――ウェイバー・ベルベット。

 

 雁夜は、彼らを見ながら、ここに来る前の会話を思い出していた。

 

   ◆

 

『その取引は、却下だよ。雁夜』

 

 雁夜とフーゴの会話に、別の声が割り込んできた。同時に、雁夜の手から【忘却剤】が奪い取られる。

 

『っ!』

『……ブチャラティ。もう目が覚めたんですか』

 

 秘密の話を聞かれた、気まずげな表情でフーゴが、自分のリーダーと向き合う。ブチャラティは、勝手に話を進めたフーゴを責めることなく、【忘却剤】を片手に、雁夜に話しかけた。

 

『……雁夜。俺の不甲斐なさのせいで、君に余計な気を回させてしまったようだな。謝罪する』

『な……そ、そんなんじゃないっ! ただ俺は……!!』

 

 必死でブチャラティに言うべき言葉を探す雁夜を、落ち着かせるようにブチャラティは首を振る。

 

『いいんだ、雁夜。そんなことより……君は、死にに行くつもりだな?』

 

 ブチャラティが真っ直ぐに雁夜を見る。その眼差しに耐えきれず、雁夜は言葉を失う。何も言い訳ができない。

 このまま、ブチャラティたちと別れ、桜を助けに行っても、十中八九は臓硯に嗅ぎつけられて死ぬだろう。

 

『万が一……という可能性はあるさ。だが、あまりに分の悪い賭けだ』

『けど、それでも賭けないわけにはいかないだろう……!!』

 

 それでも雁夜に、桜を助けに行かないという、選択肢だけは無いのだ。

 

『わかってる。けれど、それなら少しでも、勝率を上げるべきだ。違うか?』

 

 それは、雁夜にまだ協力してくれるということだ。このどこまでも優しい男は。

 その優しさが、雁夜にはつらい。その優しさを向けられるほど、自分が価値のある人間であると、どうしても雁夜には思えないのだ。

 救いを求めるようにフーゴに視線を向けるが、フーゴは諦め顔で肩をすくめる。こうなった以上、ブチャラティを止めることはできないと、その仕草で示して見せたのだ。

 

『君は、俺たちのために【万能薬】を使ってくれた。もう残り時間の少ない君が、自分の命と引き換えに、俺たちを助けてくれた。命の恩は、命で返す。だからどうか、雁夜。俺たちを恩知らずにしないでくれ』

 

 そこまで言われて、もう雁夜にブチャラティを止める手立てはない。このギャングなどという悪党の道に堕ちてなお、真っ直ぐにものを見ていられる男を止めるなど、はなから無理な話であったのだ。

 

『……すまない、ブチャラティ』

 

 情けない表情で、雁夜は頭を下げた。

 

 その瞬間、

 

 コンコン

 

 自動車の窓を、誰かがノックした。

 

『だ、誰だっ!?』

 

 雁夜が慌てふためく。だが、ブチャラティとフーゴは、まるで動じていなかった。ノックの主が近寄っていることに、気づいていなかったのは、雁夜だけだったのだ。

 

『あ~~、さっき別れておいてなんだけど、手伝いはいらないかい?』

 

 窓の外に、きまり悪げな少年魔術師の顔。頬を掻くウェイバー・ベルベット。

 やはり気になり、後ろ髪を引かれ、使い魔を放って雁夜たちを探してしまった、どうにも、お人よし過ぎる、魔術師らしからぬ魔術師であった。

 

   ◆

 

「話を聞いただけだけど、推理してみたんだよ。人間の体が本体じゃないってとこまでは、わかっていたからさ」

 

 どうして人間体が臓硯の本体ではないのかを、見抜いたのか――それはナランチャの【エアロスミス】によるものだった。

 二酸化炭素を探知する能力を持つ【エアロスミス】によって、ナランチャは臓硯の体が人間としての正常な呼吸を行っておらず、その身は既に生きているとは言えないと見抜いたのだ。

 そこから推察するに、まず、本体はおそらく、もはや人間ではない。いくら魔術師といえど、人間のままに数百年の時を生きるのは困難だ。人間は不老不死ではないし、不老不死となったものは、もはや人間とは呼べない。永い時を生きるには、人間をやめるしかない。故に多くの魔術師は死徒化の研究を行うのだ。

 次の推測は、本体そのものには大した力は無い。物語の吸血鬼のような、強い力を持っているのなら、偽の体など使わず、堂々と本体のまま姿を現していたらいい。それをせず、操り人形を使っているということは、本体がばれれば危険になるということ。

 人ではなく、弱い。その二つから、更に『蟲使い』と呼ばれる間桐の、マキリの業をかんがみれば、

 

「本体は、どこぞの蟲の一匹……そして、どこにいるのかだけど、まず、嫌いあっている相手を聖杯戦争に参加させた状態なら、当然危惧することがある。英霊という、現代の魔術師じゃ到底かなわないような手駒を、敵対しても当然の相手に与えることになるんだから」

 

 臓硯は考えたはずだ。雁夜がバーサーカーの力を使って反旗を翻し、臓硯を殺そうとする可能性を。その下剋上が起こった時のことを考えれば、臓硯は準備をしておく必要がある。たとえ圧倒的な強さをもってしても、臓硯を殺すことはできない状況を。

 一番手っ取り早いのは人質だ。都合のいいことに、桜という、雁夜が執着している少女がいる。けれど、人質をとれないような状況にある時を狙われたらまずい。

 確実に、桜を盾にできるようにしなくてはいけない。本体が蟲であるという推察が当たっているものとして、魔術師という生き物の外道的な思考法を、重ねて考えれば――

 

「桜という少女の体内……それが、答えだ」

 

 ウェイバーによって導き出された、臓硯の居場所。

 そして、ブチャラティの【スティッキー・フィンガーズ】で桜の体にジッパーを張り付けて開き、体内にいる臓硯の『本体』を引きずり出すことに成功したというわけだ。

 

「さて……冥途の土産には十分だろう」

「や、やめろ……」

 

 臓硯が、哀れな声を出す。恐怖の底に墜ち、懇願する、数百年を生きた老怪とは思えぬ、弱弱しいものだった。それでも、ブチャラティは露ほどの同情心も見せず、

 

「……さよならだ(アリーヴェデルチ)

 

 手の中の蟲を、握り潰した。

 

「…………ッ!!!」

 

 音のない絶叫。ウイルスによって朽ちた体は、呆気なく崩壊していき、ついに、跡形もなく滅び去った。雁夜たちを、ずっと昔から虐げ、支配してきた化け物の、正真正銘の幕引きであった。

 

 全てが、終わった。

 

 間桐は、今滅んだ。

 

 臓硯という、絶対的支配者の死と共に。

 

「…………」

 

 間桐桜は、口を半開きにして、何が起こったのかまるで分らないというように、固まっていた。

 間桐臓硯は、恐怖の具現だった。逆らいようのない、間桐の家の神だった。抗えば死ぬか、死ぬよりも悪いことになる、邪悪な主人だった。

 それが、いなくなってしまった。その事実を、上手く呑み込めずに、桜はただただ茫然としていた。

 

「桜ちゃん」

 

 そんな彼女に、雁夜は優しく話しかけ、少女の頭を、優しく撫でる。

 

「もう大丈夫だよ、桜ちゃん。あのクソジジイはもういない。あんな奴、自分より強い奴を相手にだって立ち向かう、本当の勇気を持った人たちに比べれば、なんてことなかったってことさ」

 

 そして、その手に残った最後の宝石を、桜の小さな手に握らせる。美しい桜色が輝く、ピンクトルマリン。

 

「宝石言葉は、忍耐、努力、そして幸福。強い出会いを呼ぶ、『恋の石』でもあるそうだよ。あいつが、遠坂時臣が、君のお父さんが、桜ちゃんを助けるために、俺にくれた宝石だ。君を愛している人はいた。だから君は助かった。これからもきっといる。それを忘れないで……そして幸せになるんだ。君はもう……幸せになれるんだ」

 

 雁夜は言う。ブチャラティが、自分と桜に言ってくれた言葉を。

 

「君は、独りじゃない」

 

 言われた桜の方は、じっとピンクトルマリンを見つめ、やがて、自分の現状がだんだん理解できていく。その目にはじわりと涙が溢れていく。

 頬を伝い、流れていくまで、時間はかからなかった。

 

「…………」

 

 桜は、音もなく静かに泣き続けた。今まで、人間性さえも蟲に食い荒らされてきた哀しい少女が、ようやく、傷ついた自分のために泣くことが許されたのだ。

 そんな桜を前に、雁夜の目にも涙が浮かぶ。

 

 恐ろしく醜悪な牢獄より、ようやく解き放たれた二人は、時を忘れて、ずっと泣き続けていたのだった。

 多くの友に、見守られながら。

 

   ◆

 

 それは、聖杯戦争が終わってから半年後のことであった。

 

 雨の降る日、遠坂の一族による葬儀が行われた。先代・遠坂時臣を送る葬儀は、まずつつがなく行われ、静かに終わった。弔問客が帰っていく中、墓地に残ったのはただ二人――次代の遠坂家当主となる少女と、その母親。

 

 遠坂凛と、遠坂葵。

 

 いまだ幼き少女である凛は、それでも涙一つこぼすことなく、父親の墓前に立つ。

 

「お父様……凛は、遠坂の魔術師になります」

 

 その眼には、悲しみよりも強い決意と覚悟が輝いていた。

 少女の背後で見守っていた葵は、年齢と比べてあまりに強過ぎるその心に、母として喜びながらも、悲しみを抱く。もう、凛は子供ではない。早過ぎる親離れをしていく娘に、寂しさを感じ、娘のこれからの苦難の道を想うと、手助けもろくにできないだろう自分に情けなさを覚える。

 

「お父様のできなかったことは、私が受け継ぎます。どうか、安心してください」

 

 その手には、一振りの短剣が、鞘に納められた姿で、握られていた。

 その短剣――『アゾット剣』が、遠坂家に郵送されてきたのは、聖杯戦争が終わって、一月ほど経ってからのことだ。

 

 送り主の名前のみが記された小包だったが、その名前は凛も葵も知っていた。

 

 間桐雁夜。

 第四次聖杯戦争にも参加していたと思われる、彼女たちの顔なじみだった。

 

 聖杯戦争の結果について、協会も教会も、完全な情報は無く、最終的な結果はおろか、時臣を殺したのが何者かもわかっていない状況だった。

 だが、不安と期待が半ばした心境で小包を開けてみると、そこにはアゾット剣と、雁夜からの手紙が入っていた。

 

 そこには、自分と桜は、現在イタリアにいて、聖杯戦争で受けた傷を療養しているということを前置きに、聖杯戦争で起こった事柄が綴られていた。

 時臣を殺したのが、時臣を裏切った言峰綺礼とアサシンであったことや、そのアサシンも敗れ去り、綺礼も死に勝者なしで聖杯戦争が終わったこと。間桐臓硯には桜をまともな魔術師にするつもりがなかったこと。

 そして、死ぬ間際に、時臣が雁夜に、アゾット剣を託し、凛に渡すように申し伝えたこと。雁夜に、桜を救ってほしいと頼んだことも。

 アゾット剣――それ自体は、おそらく時臣が礼装の一つとして持っていただけのものであろうが、師から弟子へと与えられる、魔術修行の卒業の証としても扱われる。それを渡されたという事象を、凛はもう、自分は見習いではいられない。一人前と同等であらねばならないということだと、受け取った。

 同時に凛は、雁夜が手紙の結びに書かれた言葉を心に刻みつけた。

 

『桜ちゃんは少しの間、俺が責任をもって預かります。安全に暮らせる算段がつき次第、日本に戻ってきます。葵さん、どうか時臣の分まで、幸せになってください。凛ちゃん、どうか、立派な大人になってください』

 

 魔術師の道に背を向けた雁夜は、立派な魔術師になるようにとは、書かなかった。だが、凛はその言葉から決意する。ただ魔術師としての大成ではなく、人間として、全てにおいて、高みにあろうと。

 できないとは思わない。

 

「お父様。どうか、私を見守っていてください」

 

 期待され、託されたのだから。

 

 

   ◆

 

 

   エピローグ3:ウェイバー・ベルベット

 

 

 ウェイバー・ベルベットがマッケンジー家に帰還したのは、夜が白々と明ける頃だった。

 間桐臓硯を屠った後、

 聖杯戦争の終わった後、魔力をほとんど使い切り、その上で使い魔を放ったうえ、更に雁夜たちを手伝い――結局、徹夜で死力を尽くしていたのだ。

 

「さすがにだるいな……」

 

 老人は朝が早いというが、幾らなんでもマッケンジー夫妻が起きていることはないだろう。いくらトニオの水を飲んだとはいえ、全く寝ないでいるというのも調子が狂う。そっと家に入ってベッドに潜り、少し眠ろうと考えていた。

 けれど、予想外にも帰ってきた彼にかかる声があった。

 

「おかえり、ウェイバー」

 

 頭上からの声。見上げると屋根の上に座る、グレン・マッケンジーの姿があった。

 

「お、おじいさん? どうしたのさ、そんなところで」

 

 慌てるウェイバーに、グレンは穏やかな声と表情で答えた。

 

「何、明け方に目が覚めてみたら、まだお前が帰っていないと解ってな。久々に空の星でも眺めながら、孫の朝帰りを待ってみようか、とな」

 

 この夜にどれほどの惨劇が起こったのか知らないだろう老人に、ウェイバーは内心呆れる。同時に、惨劇を知らなくて良かったとも思った。この善良な老人の心がかき乱されるのは、あまり愉快なことではない。

 

「そうかい。けど眠らずにそんなところにいたら危ないし、風邪をひくかもしれない。早く中に入った方がいいよ」

「はは、優しいなウェイバー……お前が本当に、わしらの孫だったらいいのになぁ」

 

 ウェイバーの動きが固まり、心が凍る。驚愕に見開かれた目を見返すグレンは、変わらぬ優しい微笑みを浮かべていた。

 

「なんでわしもマーサも、お前さんのことを孫だと思い込んでいたのか不思議だが……お前さん、わしの孫にしちゃ、日頃から優し過ぎたわなぁ」

 

 人生の酸いも甘いも体験した老人は、異常事態を柔らかく受け入れているようだった。

 一方、ウェイバーはそれどころではない。別に恐怖を抱いたというわけではない。相手はただのお人好しの老人で、たとえ警官を呼ばれたとしても、逃げるくらいなら可能だ。これまで色々なトラブルに巻き込まれた経験上、逃げ足には自信があった。

 問題は、ただのお人好しの老人に、魔術による暗示を破られたことだ。どうしようもない恥だった。穴があったら入りたい。真っ赤になっているであろう顔を、手で押さえながら、それでも聞くべきことを問う。

 

「……怒って、ないんですか?」

「ハハ……確かに怒って当然のところかもしれんがな、マーサのやつ、ここ最近は本当に楽しそうによく笑うようになったからなぁ。その辺はむしろ、お前さんがたに感謝したいくらいでな。とても不思議で、奇妙なことが起こっているとは思うが、その辺りは大したことじゃない。見たところ、お前さん、わし等に悪さをしようと思って、この家に棲みついているわけでもなさそうだし、お前さんも、ランサーという若者も悪い人間じゃなさそうだ。ならまあ、それで、いいんじゃないか、とな」

 

 魔術師としての、いや、もっと一般的な常識に照らし合わせても、グレン老人の考えはあまりに甘過ぎるというものだろう。ウェイバーは他人ごとながら、この老人が詐欺などに引っ掛からないか、酷く心配になる。だが、今はそこを気にする状況じゃない。

 

「むしろな、わしとしてはもうしばらく、お前さんたちに、この家に住んでいてほしいんだ。マーサはまだ気付く様子はないし、もう少し、孫たちと共に過ごす幸せな夢を見せていては、くれんかね?」

「…………」

 

 自ら騙されることを望むような甘い老人にさえ、催眠暗示を破られたことを、魔術師として傷つき打ちのめされながらも、ウェイバーはその恥に耐える。今は自分のことではなく、グレン老の心からのお願いに、答えることの方に想いを向けるべきなのだ。

 

「ランサーは、もう、いません」

 

 ウェイバーの言葉に、グレンは哀しそうな眼差しを向ける。グレンほどの歳にもなれば、平凡ながらもそれなり以上の経験を積んできたことだろう。その経験によってか、ランサーがどうなってしまったか、ウェイバーたちがなぜここにいたのかを、おぼろげながら察することができた。

 

「命がけだったのじゃな……」

「ええ……もう終わってしまいましたが」

 

 今後、何をするかはまだ決めていない。もともとついカッとなって参加した聖杯戦争だ。結果として時計塔を飛び出してしまった身で、帰ってもどうしたらいいのやら。将来の目標というものを、ウェイバーは持っていない。

 

(ランサーの教えてくれた詩歌について、もっと学ぶのもいいが……)

 

 何をするにせよ、必要なのは先立つものだ。とかく社会は世知辛い。

 

(何か仕事を探して……金が貯まるまでは、この家に厄介になるのも、いい話しかな)

 

 それに、別れを体験してすぐのウェイバーは、正直、人の温もりを感じていたかった。共にいたいのは、マッケンジー夫妻ばかりではない。

 

「ちゃんとした次の目標が定まるまで……もう少し、ここにいさせてもらってもいいですか?」

 

 グレン老はウェイバーの悲哀を受け止めるように、感謝と共に頷いてくれた。

 かくて、ウェイバー・ベルベットはもうしばらくの間、日本にとどまることになる。

 

 

 この後、ウェイバーはケイネスの遺体と魔術刻印を、エルメロイ家へと送り出し、託された役目を果たした。役目を行ったことにより、エルメロイ家と縁が繋がり、間桐桜を、彼女自身の優秀すぎる素質を狙う多くの者たちから護ることに役に立つのだが、それはまた別の話である。

 更にその後では、魔少年が結果を聞きに来訪したり、とあるゲームと人形集めが趣味なスタンド使いと知り合い、命を賭けたギャンブルに巻き込まれたり、色々ないざこざがあったのだが……ひとまずウェイバーが時計塔に帰った時には、両手でも抱えきれないほどのテレビゲームのハードやソフトを持っていたそうである。

 

 

   ◆

 

 

   エピローグ4:衛宮切嗣

 

 

 アインツベルンの城。冬木ではなく、遠い異国の、雪の積もる地、アインツベルンの本拠地にある城。

 その中で、二人の少年が、一人の老人と向かい合っていた。

 

「……失敗か」

「ああ。衛宮切嗣は敗退。聖杯は最後に残ったサーヴァントに破壊された。勝利者は無しということだな」

 

 老人の名は、ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルン。通称、アハト翁。

 アインツベルンの現当主。第2次聖杯戦争の時点より存在し続ける、アインツベルンの管理者。

 

「よそ者を招くという屈辱を耐えてまでした結果がこれか。役立たずめが」

 

 ここにはいない切嗣に、老人は憤り、吐き捨てる。

 

「ところで……どうも冬木の聖杯はもう壊れているらしいぜ?」

「何?」

 

 聞き捨てならないと、アハト翁は形兆を睨み付ける。形兆はどこ吹く風で、説明をした。

 

「何でも、第3次聖杯戦争であんたたち、アインツベルンの召喚したアヴェンジャー『アンリマユ』とやらのせいで、聖杯は汚染されてしまったそうだ。悪の化身が聖杯に取り込まれたせいで、聖杯の機能が歪み、願いを叶える機能がねじ曲がったらしい。願いは叶えることは叶えるが、敢えて邪悪な方向で叶えるようになってしまった。例えば、金が欲しいといえば、他人を皆殺しにして、そいつらの持っている財産を願った者に与える、という感じにな」

「ふん……そうか」

 

 特に慌てることもなく、アハト翁は頷いた。信じていないというわけでもなく、そういうこともあり得ると受け入れているようだった。

 

「案外冷静だな。壊れていると聞いて、血相変えると思ったが」

「何か問題があるのか? 機能が歪んだとはいえ、本来の役割は問題なく働いている。なるほど、周囲に多少の被害が出るようになったようだが、我らの悲願、第3魔法へと到達できるならそれでいい」

 

 たとえそれで、全人類がどうなろうとも。結局、彼も筋金入りの魔術師なのだ。

 

「そうか……まあ、自分の目的が他の何よりも一番ってのは、俺も同じだがな」

「それで、貴様らは何をしに来た」

「報酬を受け取りにきたのさ。衛宮切嗣の補助という仕事をすれば、俺たちに魔術の知識を教える――忘れたとは言うまいな?」

 

 強気な態度の虹村形兆。対照的に、億泰はビクビクとしている。何せここは相手の領土だ。戦闘用のホムンクルスも配備されている。いくらスタンド使いと言えど、分が悪い。

 

「……ああ覚えている。だがな……教えると思うか?」

 

 老人の言葉を合図としたように、美しい女性たちが姿を現す。数は十余名。アインツベルン家特製のメイド服をまとい、一人一人が重量のある武器であるハルバードを、こともなげに構えている。怪力を備えた、戦闘用のホムンクルスだ。そのパワーは近距離型スタンドにも匹敵する。

 

「魔術の基本は神秘の秘匿……魔術師でもないお前たちに、それも任務の失敗者に……教えるつもりはないな」

「俺たちは用済みか。まあそんなことだろうと」

 

 メイドたちが跳ぶ。虹村兄弟を囲んで、八方から長柄の戦斧が襲い掛かる。

 

「【ザ・ハンド】!!」

 

 それよりも、億泰がスタンドを使う方が早かった。離れた場所にいたアハト翁は、【ザ・ハンド】によって引き寄せられ、瞬間移動させられる。目の前に現れた老人を、億泰のスタンドが締め上げる。

 当主が人質に取られたことで、メイドたちは動きを止め、こちらを睨んで様子をうかがう。臨機応変な行動をとることが苦手なのが、ホムンクルスの弱点だ。こうなると、アハト翁の支持なしでは何もできない。

 

「……これで勝ったつもりか? わしを人質にしたくらいで、助かると思うか?」

「それくらいじゃ無理だろうな。だがもうそろそろだ」

 

 形兆がアハト翁に答えた、まさにその瞬間であった。

 

 バッグオォォォォォンッ!!

 

 爆発音が轟いたのは。

 

「ッ!?」

「噂をすれば、か」

「貴様ら、何をした!?」

 

 アハト翁がついに冷静さを捨て、怒りを露わにして形兆に怒鳴る。

 

「切嗣だよ。今頃、イリヤを連れ去ったころだろう」

「…………ッ!!」

 

 アハト翁は忘れていた。衛宮切嗣が、アインツベルンの魔術防御を突破できるほどの、凄腕の魔術師殺しであることを。

 アハト翁は思ってもみなかった。衛宮切嗣が、親として、イリヤを魔術師の宿命から救おうとすることを。

 アインツベルンの本願、第3魔法『魂の物質化』『天の杯(ヘヴンズ・フィール)』――その達成しか頭になかった老人に、親が子を幸せにしたいと思う、当たり前の感情は理解できなかった。ましてや、あの人間としてあまりに歪な切嗣が、そんな当たり前な行動を取ろうとするなど、余計に。

 

「おのれっ! イリヤスフィールは次の戦争の聖杯ッ! 渡すものか――」

 

 ボッゴォォォォォォンッ!!

 

 アハト翁はたとえ自分の身と引き換えにでも、イリヤを取り戻そうとするが、次の爆発が起こる。

 

「さて、幾つ爆弾を仕掛けたか……俺にもわからない。ひょっとしたら、アインツベルンの重要な施設にも仕掛けたかもな。早く調べないと、色々大切なものを失くしてしまう……か、も、な?」

「~~~~ッッ!!」

 

 アハト翁はあまりの屈辱に声も出ず、憤怒の眼差しを形兆に送る。流石の形兆も、その視線に呪いでも仕掛けられていたら死ぬかもしれないと心配するほどの、凄まじい眼光であった。

 

「……お前たち、すぐに城中を調べよ」

 

 アハト翁はホムンクルスたちに命令する。メイドたちはすぐに命令に従い、形兆たちを置いて、散らばっていく。

 

「貴様らは追わん。とっとと出ていけ。だが、これで済むと思うな……!」

 

 これ以上ない怒りを込めて、アハト翁は言う。今は、切嗣たちに構っていられる状況ではないから、見逃すが、必ず追って、始末をつけると誓う。

 だがその老人も、次の瞬間には頭部を吹き飛ばされていた。

 

「うぇえええっ!?」

 

 いきなり、自分のスタンドが捕まえていた老人の頭が破壊され、血と脳漿が飛び散ったことに、億泰は慌てる。一方、形兆は落ち着いて、顔を横に向ける。

 

「よぉ、上手く行ったみたいだな」

「ああ、イリヤはもう舞弥が連れて逃げた。あと、どうしてもイリヤの傍にいたいというホムンクルスが2体ついている」

「……それ大丈夫なのか?」

「イリヤへ害をなすことはないように生み出された存在だ。アイリとも仲が良かった。大丈夫だろう」

 

 切嗣の判断に、形兆は是非を判別できなかったが、切嗣が大丈夫だと言うのなら、それ以上の心配する義理もないと、その話は終わりにした。

 

「この爺を殺して良かったのか?」

「一応念のためだ。こいつが本体とは限らないが、『起源弾』で撃った以上、これが偽物だったとしても、操っている本体にもダメージは行く」

 

 冷徹。残酷。そのやり方は変わらない。むしろ、家族を想う心を得た代わりに、敵への容赦なさは更に恐ろしくなった気がする。

 

「もう数分でこの城は崩壊する。急ごう」

「……重要施設どころか、何もかも滅ぼすつもりなわけだな」

 

 形兆も引くほどの『魔術殺し』の本領を見せつけ、切嗣はアインツベルンを後にする。そして、二度と彼がそこを訪れることはなかった。

 

   ◆

 

 それからのことを、簡単に述べていこう。

 

 その後、イリヤは切嗣、舞弥に連れられ、初めて外の世界に出る。

 一度は母親の死を聞かされ、涙したが、切嗣と共に、アインツベルンを捨て、人間として生きることを受け入れる。宿命を超えること、それが母・アイリスフィールの願いであったから。

 虹村兄弟は、『殺し』のプロフェッショナルである切嗣が知る限りの、異形・怪物の殺し方を、イリヤ救出の囮となった報酬として受け取り、切嗣たちと別れて日本に帰った。

 

 虹村兄弟が去った後、切嗣は舞弥と共に、聖杯戦争の拠点として購入した日本家屋に住むこととした。イリヤを慕ってついてきた、セラとリーゼリットも一緒にだ。

 

 それから更に数年後、この不思議な家族に、更に一人、少年が増えることになる。

 紛争の続く地から、切嗣と舞弥が探し出してきた、黒髪の少年。感情を浮かべない氷のような表情が、どこか舞弥に似た少年を。

 

 その後も色々とあった。

 

 億泰が時々、冬木を訪れるようになった。切嗣の教えた方法では、父親は結局殺しきれなかった。しかし『殺し方』と一緒に教えた『殺しの防ぎ方』によって、形兆は九死に一生を得たのだという。

 その後、形兆は思い直すことがあったのか、父を殺そうとした中で犯した、殺人をはじめとする罪を自白し、警察に自首した。多くはスタンドを使っていたため、罪が立証されることはなかったが、最終的に懲役5年ということになった。

 億泰は相変わらずのようだった。頭は悪いが、明るく優しい。それが彼の強さなのだろう。彼とリーゼリットは気が合い、よく一緒にテレビゲームをしている。セラとはよく言い争いをしているが、仲が悪いというわけではない。どこか兄に似た几帳面さを持つセラを、億泰は嫌いではないようで、セラにしても出来の悪い弟を扱うように、億泰を叱るのだった。

 切嗣に妙になつくようになった少女、藤村大河と共に、良いムードメーカーとして慕われている。

 

 また、一度だけ、ブチャラティの仲間だった男と再会した。綺礼との戦いで共闘した、殺人ウイルスのスタンド使い。出会ったことは何の含みもない偶然であったが、切嗣は彼に、ブチャラティがどうしているかを聞いた。

 切嗣の態度、雰囲気に何か思うことがあったのか、相手は答えてくれた。

 

『ブチャラティは、黄金のような夢を見つけました』

 

 ブローノ・ブチャラティは自分の信じる、光の道を歩いているのだという。命の危機もあったが、仲間の蟲使いが、その危機を救ったのだと。

 

『拾った当時はお荷物だと思っていたけど、意外と拾い物だったようで』

 

 

 そして今、切嗣は銃を手に取っている。

 第4次聖杯戦争から10年経った今、再び戦いが起ころうとしている。あの日、できる限りの被害を与え、力の限り徹底的に破壊し、叩き、息の根を止めようとしたアインツベルンが、ついに力を取り戻したのだ。

 そして彼らはこの冬木に来る。切嗣たちに復讐するためではない。

 

 冬木の聖杯。自分たちが創り上げたものを護るためだ。もはや、自分たちの存在理由にも近いそれを、保つためだ。

 

 近々、聖杯を解体する計画が、魔術協会で練られている。周囲に自然災害にも匹敵する破壊を撒き散らすような魔術儀式は、神秘の秘匿という点で問題があるという主張によるものだ。裏には、聖杯を解体することで、聖杯という優れた魔術の秘密を盗みたいという考えもあるのだろうが。

 しかし、聖杯解体など、持ち主であるアインツベルンが許すはずもない。間違いなく、聖杯存続派と聖杯解体派で、聖杯戦争にも匹敵するほどの魔術師同士の戦いが起こるだろう。

 

(悪くすれば、この町一つなくなるかもしれない)

 

 魔術師にとって神秘が秘匿できさえすれば、何がどうなってもいいと考えるのが普通だ。町中の人間が死んだとしても、魔術ではなく、自然災害なり、病気なり、テロリズムなり、別の理由に押し付けることさえできれば、それは許容されてしまう。

 

(させない)

 

 イリヤのために。舞弥のために。家族みんなのために。

 それに……こんな自分をこの町に住ませてくれた、この町の人々のことも、切嗣は好きになっていたのだ。この町を、守りたいと思うようになっていたのだ。

 

(『信じられる道』『光の道』……おこがましいかもしれないが、僕の過去のことなんかどうでもいい)

 

 今まで散々、邪悪な行為をしてきた自分が、今更正義の味方気取りなんて笑い話もいいところだ。だが、切嗣に戦う資格が、人々を護る資格があるかなんて、関係ないのだ。重要なのは、家族が、この町の人々が、これからも平和な日常を過ごすことなのだから。

 

 

   ◆

 

 

   エピローグ5:――プロローグ

 

 

 第4次聖杯戦争が終わってから10年後。冬木の町は、かつてここで人外が跋扈する戦争が起こったこと、多くの罪無き人が死んだ事実をうかがわせることはない。

 けれど、それは確かにあったのだ。世界を破滅させるかもしれなかった戦いが。

 もう二度と、行ってはならない戦いが。

 

「……そういうことで、この町が騒がしくなる。悪いが巻き込ませてもらうぞ」

 

 冬木の町に数年前から開かれた、こじんまりとしたイタリア・レストラン。大通りから遠く、駐車場もないため、人の入りは決して多くない。テレビや雑誌の取材も受け付けない。しかし、その味は一流店をも超える。そんな知る人ぞ知る、隠れ家的な店であった。

 

 店名は、『カリヤ』。

 

 休日はなく、毎日開けているのだが、この日だけは正面口に『臨時休業』の札が下がっていた。

 その中で、一人の男性がカプチーノを片手に、店主と話している。

 

「避けては通れない、か。わかったよ。できる限り協力はさせてもらう。ただ桜ちゃんは……」

「わかってる。元々、彼女はあてにしてない。彼女の実力はよくわかっている……何せ教えたのは私だからな。彼女の力は自分を護るのがせいぜいだ。戦うには力不足……それ以前に、性格的に向いてない」

 

 店主は、やや体の動きがぎこちない、白髪の男性。しかし、老齢というわけではない。外部には、大病を患ったため、治った今でも後遺症が残ってしまっていると説明している。

 名は、間桐雁夜。この冬木の町の名家である間桐家の次男。

 

「正直、あの才能を磨かないとか殺意を懐くレベルだが、本人にその気がないのならどうしようもない。ち……彼女の父親が惜しんだわけがよくわかる。畜生(ファック)……! 私にあれの三分の一でも才能があれば……!」

 

 対する男は、背の高い西洋人。彫の深い顔立ちは、中々に整っている。髪は黒く、長く伸ばしており、今はその感情の熱に呼応するように揺れ動いていた。

 彼の名はウェイバー・ベルベット。しかし、彼の仕事仲間は本名ではなく、ロード・エルメロイⅡ世と呼ぶことが多くなっていた。最近では、『聖杯解体派のリーダー』として、あちこち動き回っている。

 

「桜ちゃんを話題にするときに汚い言葉を使うなよ……。ほれ、パスタでも食べて落ち着きな」

「ほお……ペスカトーレか」

 

 トマトソースと魚介類のパスタを出され、ウェイバーはその香りに胃袋を刺激される。

 

「師匠と違って、体を健康にすることはできないけど、味は自信があるぜ」

「味の方とて、師匠に比べればまだまだだろう……それでも、そこらの有名店などよりはずっといいがな」

 

 雁夜の料理を教えた師匠――トニオ・トラサルディー。そして、雁夜の体を治してくれた恩人でもあった。

 10年前、臓硯を殺した後、雁夜は兄である鶴野(びゃくや)と相談し、間桐家を後にした。鶴野は生まれたころからの恐怖の対象であった臓硯が死んだことは、泣くほど嬉しいことだった。雁夜に感謝し、嫌な思い出ばかりの間桐邸は封印し、別の家を買って、息子の慎二ともども移り住むことになった。

 なお、間桐の魔術的な遺産は、後にウェイバーの仲介で、エルメロイ家にわたった。

 

 家族の誰もが歓迎したとはいえ、魔術の重鎮の一人である臓硯の死は、それなりに大ごとだ。

 まかり間違えば、臓硯の死に付け込んだ別の魔術師が、桜の類まれなる才能に、目をつけないとも限らない。雁夜が守ろうにも、蟲に侵された肉体は既に限界で、余命いくばくもない。

 そこに助け船を出したのがウェイバーだった。イタリアに住む、『体を健康にする料理を作る能力』を持った料理人、トニオを紹介したのだ。ブチャラティたちと共にイタリアに渡った雁夜と桜は、トニオの料理を食べて、肉体を癒していった。

 トニオの料理も、雁夜たちの体をすぐに全快とはいかなかった。より効き目のある料理を作るため、良い食材が必要となった。そのために、『京都の陰陽師に伝わる幻の山桃』を手に入れねばならなくなり、日本に残っていたウェイバーが巻き込まれ苦労する羽目になったのだが、それは割愛する。

 重要なのは、多少の後遺症は残ったものの、雁夜たちの体が健康になり、まだまだ生きることができるという事実だ。

 そして健康になった雁夜は、当初の予定通り、ブチャラティたちと同じギャングになった。ギャングの一員となる試験も、魔術を駆使して合格し、中々に有能な働きを見せることができた。敵対するギャングなど、もはや怖い相手ではない。

 同時に、トニオに深い恩義と感謝、そして料理人への憧れに目覚めた雁夜は、ギャングの仕事がないときは、トニオの下で働くことになった。

 親切なトニオの下、雑用しつつ、料理を教えてもらい、少しずつ、腕を上げていった。しかし1999年、様々な事情によって、トニオはイタリアの店を締め、日本で新たな店を出すことになり、雁夜はイタリアに残された。それでも雁夜の腕は並みのレストランならば充分通用するまでになっており、トニオがイタリアを去って以降もコックの仕事は続けていた。

 

 桜の方は、魔術の基礎の基礎程度までは雁夜が教えた。その後は日本を後にして、時計塔に戻ったウェイバーの元へ送り込まれた。安心して魔術を教えてもらえる相手が、他にいなかったのだ。もちろん、ブチャラティの許可を得た雁夜も一緒に、時計塔のあるイギリスに渡った。雁夜が桜を、ウェイバーとはいえ若い男に任せるなんてするはずがない。

 とはいえ、イギリスに滞在した時間は長くはなかった。邪な心の相手から身を隠す術、逃げる術、抵抗する術などを仕込むと、桜は一月程度で完全にものにしてしまったのだ。

 ウェイバーはふてくされた。

 

 もう自分の身をどうにか守れるくらいには力をつけたという評価を得た桜は、はれて遠坂の家に帰り、母や姉と再会できるようになった。しかし同時に、イタリアのギャングとなった雁夜との別れは避けられなかった。

 桜は泣いて、一緒に雁夜も来てほしいと駄々をこねたが、雁夜は辛抱強く、桜を諭した。

 桜は本当に渋々とだが納得し、日本に帰ることになったのだ。もちろん、母である葵も、姉である凛も、涙を流して喜び、桜を迎えてくれた。桜だって当然嬉しくてたまらなかったが、一抹の寂しさは拭えなかった。桜が、雁夜と再会するのは、それからまた数年後。ブチャラティのチームに、新たなメンバー――ジョルノ・ジョヴァーナという少年が入ってきてからのことだ。

 ジョルノがメンバーになってからのことは、とても少々のことでは言い尽くせない。ただ結果として、それまで麻薬売買を行っていたギャングのボスを始末し、代わりにジョルノがボスの座についたのだ。

 

 それまでに多くの戦いがあったが、雁夜も全力を駆使して戦い、ブチャラティたちを護った。ウェイバーの仲介で、ギャングの暗殺チームと和解することもできた。ブチャラティのチームは誰一人死なず、欠けることなく、勝利することができた。

 そして雁夜はこれを機に、ギャングから抜けることにした。ブチャラティは反対しなかった、どころか、そもそもギャングを抜けることを雁夜に勧めたのはブチャラティだ。ギャングの傍ら、コックとして修行している雁夜を見てきたブチャラティは、『もう自分たちは大丈夫だから、自分の進みたい道を行ってくれ』と、雁夜に助言したのだ。

 

「ブチャラティの恩義に応えるためにも、一流の、いやそれ以上の料理人にならなくてはいけないからな」

「せいぜい頑張ることだ。応援してやる。応援するだけならタダだからな。それはそうと、確か桜は、この店でバイトしているんだったか?」

 

 日本に帰り、まず遠坂家に顔を出した雁夜を、桜は子犬のようにはしゃぎつつも、歓迎してくれた。葵や凛ももちろん歓迎してくれたが、桜の熱の入りようは度が過ぎるほどだった。

 その後、冬木に料理店を出すことを告げると、桜は勇んで手伝いを買って出た。バイト代などいらないとまで言う桜であったが、流石にそれはいけないと、ちゃんと給料は出している。当時はまだ十代前半であった彼女だから、大した手伝いなどできないが、元々可愛く、気が利き、頑張り屋の少女は、すぐに店の看板娘として人気者になった。

 店を出してから数年、今では桜がいなければ店が回らないほどだ。

 

「最近は料理も教えているんだよ。店に出すわけじゃないけど、この調子だといずれはあの子も料理人になるかもなぁ」

「ふぅん……うん、美味い。いいトマトを使っているな」

「ありがとう。たださぁ、最近なんか葵さんが会うたびに、こう、警戒しているような視線を向けてくる気がするんだよなぁ……」

 

 何か悪いことしたかな。と、首を傾げて悩む雁夜だったが、ウェイバーはさもありなんと内心で呟く。

 今や高校生となった娘が、独身の成人男性の下に足繫く通っていれば、それは色々と心配するだろう。桜の懐きっぷりは、見ていて相当なもので警戒心は全く見受けられない分、母親が注意を払っているのだろう。

 

(人生の恩人であるのだから好いているのは当然として……その方向性はどちらを向いているのだろうな? まぁいいか。他人の恋愛事情に首を突っ込むほど暇ではない)

 

 早々とパスタを食べ終えると、代金をテーブルに置く。

 

「別に支払いなんていいのに」

「もう少し商売っ気を出せ。金は大切だぞ」

「桜ちゃんみたいなことを言うなよ……」

 

 情けない顔で雁夜はうなだれる。既に財布の紐は握られ、尻に敷かれつつあるようだ。

 

「時間の問題かもしれんなぁ」

「へ? 何が?」

「……何でもない。悪い事ではないさ、きっとな。それより、聖杯解体のときは頼む」

 

 雁夜は魔術師としては弱いが、信頼できる仲間は実力以上に貴重だ。

 

「これから遠坂家に行った後、衛宮切嗣と会う予定だ。また夜に来る」

「そうか、ならとっておきの肉を出すかな」

「……あまり気前よくしすぎると、また桜に怒られるぞ?」

 

 迫る戦いの前に、友人の将来について心配してしまうウェイバーであったが、実のところ、それは他人ごとではないのだった。

 

 

   ◆

 

 

 遠坂邸。今では、遠坂凛が、時臣に代わって当主となり、魔術を受け継いでいる。

 母親の葵は、凛に家を任せ、実家である禅城家に戻っており、今この屋敷に住んでいるのは、凛と桜の姉妹だけだ。

 

 しかし、今は姉妹の他に、一人の少女が、この家に訪れていた。

 

「ケーキよし。お茶よし。準備は完了。あとはコトネさんの愛情だけです!」

 

 テーブルに備えられた歓迎の用意を確認し、桜は握り拳を胸の前に掲げて叫ぶ。

 

「そ、そんな、愛情だなんて……」

 

 顔を赤くして俯く少女が、ソファーに座っている。桜より年上であるが、内気で大人しいため、せいぜい同い年に思える。

 

「張り切ってるわねー、あんたたち」

 

 その二人を、面倒くさそうに見る遠坂凛。本来、客人が来るのは凛に用があってのことであるが、その場はすっかり凛への用事の方がオマケになっている。

 

「当たり前じゃないですか姉さん! コトネさんは同志なんですから!」

「同志って……」

 

 コトネの事情は知っている。これからやってくる、魔術師ウェイバー・ベルベットが、命の恩人であることも。ちなみに、コトネは魔術師ではないが、紆余曲折あって、魔術の存在はバレている――主に凛のうっかりのせいであったが、そのことは今はいい。

 第4次聖杯戦争以降、ウェイバーは日本にいたのだが、その頃にコトネとウェイバーが出会うことは無かった。彼らが再会したのは、2001年、雁夜が出店祝いを開いたときのことだ。雁夜に招待されたウェイバー、凛に招待されたコトネとが顔を合わせたのは。

 ウェイバーの方はかなり背が高くなり、顔つきも変わっていたが、コトネにはすぐにわかった。今も微かに残る、背中の【破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)】の傷と、右足の【必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)】の傷。その二つの傷が、ほんの少し、コトネに教えるかの如く、疼いたのだ。

 それからというもの、ウェイバーが来日するたびに、傷が疼くのを感じるようになった。凛はそれを聞き、その傷は、魔術的な『霊障』にでもなっているのかもしれないと考えたが、敢えて調べたことはない。無粋だと思えたからだ。

 そうして、コトネはウェイバーと幾度も出会い、親しくなっていった。それを桜も知っており、桜としては他人事とは思えず、二人をもっと親しくさせたいと考えているのだ。

 凛としては、ウェイバーのやってくる用事は遠坂家および冬木の命運にも関わる、超重要事項であり、流石に色恋より優先させられるべきものだと思うのだが、桜の考えは違うようであった。

 

「悪漢に攫われ、希望も持てない中で差し伸べられた手! その優しい手を握ったら、もう離してはいけません! 何がなんでも捕まえなくてはいけません! 手段や方法など……どうでもいいのです!」

「う、うん……私頑張るよ桜ちゃん!」

 

 コトネが顔を上げ、やる気を出してしまう。

 凛は頭を抱えるが、もう止められない。

 

 もうすぐ、ウェイバー・ベルベットがやってくる。

 何が待っているのかも知らずに。

 

   ◆

 

 そして時は流れ、過去は未来へ想いを託さんがため、現在を歩み続ける。

 

 誰もが何かを求め、より貴いものを得ようとし、そんな想いをまた誰かへと受け継がせていく。

 それが人の営み。命が運び、受け継がれていく、血と心と、勇気と正義の物語。

 

 

 

 

 

 

   『Fate/XXI』―――完

 

 

 

 

 

 ……To Be Continued?

 

 




荒風「感想に刺激されてIFを書くのはいいが、雁夜の体を治すにはどうすればいいんだ」
雁夜「ンまぁーい! 味に目覚めたー!」
荒風「どーとでもなるな」

 そういうことになった。

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