Fate/XXI   作:荒風

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ACT19:『死神』は誰に微笑むか

 

 

『UUURRRYYYYYYYYYYYYYY!!』

 

 笑う。

 猛る。

 叫ぶ。

 吠える。

 

 それは、産声だった。

 

 雷鳴響く雨の夜、血の臭いに汚れた屋敷にて、彼は生まれた。

 

 人間であったディオは死に、新しいディオが生まれた。

 

 彼は指から血を啜りながら、共に青春を過ごした相手を見下ろす。

 

 その男、ジョナサン・ジョースター。彼が養子となった家の、一人息子。

 

 当初、ディオが義兄弟となった少年に行ったことは、陰湿な攻撃であった。いじめと言えばそれまでだが、全てを効果的に計算し、彼の大切なものをことごとく奪い取っていった。生活を狂わせ、友人を奪い、身も心も叩きのめし続けた。

 だんだんとジョナサンを弱らせていった彼であったが、ディオが不用意に、ジョナサンと想い合う少女、エリナ・ペンドルトンを傷つけた時、流れは変わってしまう。

 ジョナサンは自分が傷つくことには耐えられても、自分の大切なものを傷つけられることには、感情を爆発させて攻撃に転じるタイプだったのだ。

 

『君がッ! 泣くまでッ! 殴るのをやめないッ!!』

 

 ディオからの攻撃をくらいながらも、ジョナサンは怯まずに踏み込み、己が拳をディオに叩き込んだ。

 そしてディオは涙を流した。今までに流したことのない、心からの涙だった。初めて味わう敗北と屈辱の苦みに、彼は涙を流した。

 

 その時、ジョナサンはディオの敵となった。

 

 そして、敵と認識したからこそ、ディオはジョナサンと表向きに敵対するのをやめた。態度を改め、仲直りをし、親しくつきあい、友情を築いた。義父ジョージ・ジョースターを殺し、ジョナサンを殺し、ジョースター家を乗っ取ったとしても、誰も怪しまないように。そのために彼は7年の時を費やした。

 

 しかし、その歳月もまた、ジョナサンによって無駄になる。

 

 もはやディオに打つ手はない。だがディオは諦めず、あがいた。この窮地を切り抜ける為に、あがいてそして、彼は打つ手を見つけた。

 

 その時、ディオは世界の敵となった。

 

『俺は人間をやめるぞ! ジョジョーーーッ!!』

 

 

   ◆

 

 目覚めた綺礼は、再び見た夢を回想する。

 

「……なんだこれは?」

 

 アサシン、ディオ・ブランドーの記憶。ジョナサン・ジョースターとの出会いから始まる、奇妙な物語。

 その夢から目覚め、彼は酷く乾いているような気がした。もっと。もっと。

 

「もっと……見たいだと?」

 

 ディオの犯す邪悪。

 ジョナサンを傷つけ、ジョージ1世を殺し、そして、人の道を外れた。

 信仰に生きる聖職者として、それは決して受け入れられないもののはずだった。なのに、綺礼はディオの物語を、心から愉しんでいた。

 

「愉しむだと? 馬鹿な……そんなことが」

「何が馬鹿なのかね?」

 

 背後のアサシンが問いかけてきた。その存在に気付いていなかった綺礼は、驚きを押し殺して平静を装う。

 

「……何でも無い。それより、今後の方針について話がある」

 

 綺礼は、昨夜ライダーの宝具について時臣に報告した後でなされた、今後の方針について説明する。

 ライダーの宝具を見たことで、全てのマスター、サーヴァントについての情報が集まり終わったと見て、とうとう時臣自身も出陣し、戦闘を行うということだ。

 

「全て……集め終わった、か」

 

 アサシンは含みのある呟きを漏らす。綺礼は、それがアサシンから自分に対する一種の挑発であると理解する。

 

(確かに……私も時臣師も、このアサシンが隠している何かを、まだ知らない)

 

 何か隠し、企んでいると知っていてもアサシンにそれを白状させないのは、令呪とギルガメッシュの力があれば、どんな企みにも対処できるという、時臣の余裕なのだろう。

 

(だがそれは……私には致命的な失点に思えてならない)

 

 だがそれを時臣に進言する気には、綺礼にはどうしても思えなかった。危険を知っていて黙認するなど、裏切りに近しい行為であるというのに。

 

「もういい加減わかってもいいと思うのだがね。君も存外、頑固だな」

「何をわかれと言うのだ?」

 

 噛み付くように言う綺礼に、アサシンは意地を張る駄々っ子に対するようにため息をつき、

 

「今夜、君に見せるものがある。それで、少しは受け入れるだろう。自分自身というものを」

 

   ◆

 

 ライダーは不機嫌に唸っていた。昨夜、アインツベルン城に押し掛けて酒盛りをした件を叱責され、行動を制限されたのだ。これからは許可なく出歩くことはできない。

 しかし、ライダーの不機嫌な理由はそれではない。少なくとも外出制限は、不機嫌の原因のせいぜい2割程度にすぎない。

 根本の原因は、昨夜のケイネスとの会話にある。

 

『何をやっているのだ貴様は!!』

 

 まあ、そんな怒声くらいは浴びるだろうと思っていた。できれば内緒にしておきたかったが、宝具まで使ってしまっては、さすがにパスを通じて悟られる。

 外出制限もされるだろうと覚悟はしていた。

 

『他のサーヴァントと、敵の陣営で酒盛りなど、もはや愚かを通り越して理解不能だ。たわけめが!!』

 

 客観的に見て、これはケイネスの方が正しいと言えるだろう。しかし、その後がいけなかった。

 

『しかも、宝具を見せておきながら何もしなかっただと? 他のサーヴァントやマスターも固有結界の中に取り込めたのなら、なぜそいつらも殺しておかなかった!?』

 

 ライダーは激昂するケイネスに答えた。

 

『何を言う。王の誇りにかけて、宴の席で最低限の礼節をわきまえた相手を、攻撃するわけにはいかぬであろう』

『何が王だ!! 貴様はサーヴァント、魔術の技で現身を得たというだけの影! 有象無象の兵士を引きつれているからといって、何が王か! 貴様に従うという臣下とやらも、所詮は貴様に依存する傀儡だろう! 令呪には逆らえぬ操り人形ごときが、誇りを語るなど片腹痛いわ!!』

 

 ギチリと、ライダーの歯が鳴った。どんなに怒っていても、どちらに非があったとしても、言ってはならない言葉というものがこの世にはある。ケイネスは決して愚鈍でも邪悪でもないが、他者の心をおもんばかる想像力というものに欠けていたと言わざるを得ない。

 もっとも想像力以前に、ケイネスはそもそもサーヴァントに心というものを認めていなかった。本当に、彼はライダーをただの道具としてしか見ていなかった。だから、想像力を働かせるという時点からして想像できなかった。

 ウェイバーのように相手を対等に心あるパートナーとして見るのでもなく。時臣のように心があると理解し、表面上だけでも相手を敬い、機嫌をとるのでもなく。切嗣のように相手の心と相容れないがゆえに、叱責さえすることもなく、完全に相互の交流を断ち切るのでもなく。相手の心を認めず、偽物として捉え、道具として扱った。

 ゆえに結局、この主従は最後には致命的な断絶を迎えることは必定であった。

 

『ケイネス』

 

 重く沈殿したような、暗い殺意の籠った声。この地に召喚されてから、どのような敵に対しても発されなかった、征服王の陰の声だった。

 

『もうしゃべるな。よかろう、余にも聖杯にて叶えたい願いがある以上、契約を切りはしない。命令にも従ってやる。だが、もう余のことを部下であるとは思わぬことだ』

 

 殺気に気圧され言葉を出せないケイネスに言い捨て、ライダーは霊体化し、ケイネスの前から消えた。

 

 ケイネスは気付いていない。ライダーと、その部下たちへの誇りを、侮辱したということ。

 そして、この世には『侮辱するという行為に対しては、殺人さえも許される』という価値観が存在すること。これに関してはケイネス自身、魔術師としての誇りを傷つけられれば激昂するだろうに、他者にもそういうものがあるのだと、わかっていなかった。

 そして、ライダーにとって自分が必要だから従うというだけの対象であり、裏を返せば、必要なくなれば、代わりが見つかれば、切って捨てられるだけの存在に成り下がってしまったことに、ケイネスは気付いていなかった。

 

(とはいっても、別のマスターの当てなど無いしのぉ。今後、サーヴァントが脱落した後でも戦う気概がある奴が現れれば、そやつに鞍替えするくらいしかないか……)

 

 裏切りの未来を思い描くイスカンダルだが、この場合は彼に裏切りの意識は無い。裏切りとは互いの信頼関係を前提として成り立つ行為だが、征服王はケイネスとの間に信頼関係など無いと判断している。ケイネスがサーヴァントを道具として見る限り、信頼関係は築きえない。

 

(ランサーやバーサーカーの陣営のような者たちが持つ、あのような関係があって、初めて裏切りと言う概念は成り立つものだ。ケイネスめは、はなから余を信じておらん)

 

 従ってこれは裏切りではない。ゆえに罪悪感はない。ただ、不愉快であった。

 

「大丈夫? ライダー」

 

 問いかけられ、ライダーは視線を向ける。そこには、ソラウが立っており、貴族的優雅さに溢れる頬笑みを浮かべていた。だが、その頬笑みにライダーは、魔女の毒を感じずにはいられなかった。

 

「ご機嫌斜めのようね。まったく、ケイネスは機微と言うものがわからないから困るわ。ふふ」

 

 ソラウはケイネスさえも圧した、ライダーの厳めしい怒気を浴びながらもなお、微笑み続けていた。

 

「でも大丈夫よ。きっと今夜はいい夜になるわ。ええきっと……神様もうっとりするような、いい夜に」

 

(……これは本格的にヤバイかもしれんな)

 

 ライダーは先ほどまでの不機嫌ささえ忘れて、ソラウの在り方に寒気を覚える。その目は間違いなく狂っていた。バーサーカーのように理性を失くして暴走するような、わかりやすい狂気ではない。正気なままに思考し、確固たる強い意志を持って、狂った行動を突き進む。彼女は今、そんな存在であった。

 何があったかはわからないが、運命が悪い方向へ転がっていることは理解できた。そしてその運命を、乗り越えることは期待できない。

 

(悪い夜に、なりそうだ)

 

   ◆

 

 日の暮れた冬木の駅前は、多くの人が歩いていた。会社から帰宅してきたサラリーマンや、まだまだ遊び回ろうと言う友人グループやカップルたち、ティッシュを配るバイトや、焼き鳥の屋台もある。そんな毎日見る様な光景の中に、異質な影が一つあった。

 

「WRyyy……」

 

 黒いローブを纏った、妙に魚類や両生類を連想させる異相の男。男がいつからそこにいたのか、誰にもわからなかった。

 男は滑るように軽やかな動きを見せ、ある一組の男女の前へと回り込んだ。

 

「ああ? なんだオッサン、どけよ」

「邪魔しないでよ!」

 

 髪を金に染め、幾つものピアスを耳や鼻に付けた若者が、顔をしかめ、隣の女性が怒声を浴びせる。しかし黒衣の男は睨みつける二人に対し、柔和の微笑みを浮かべた。

 

「若者よ。貴方は神の慈悲が与えられることを信じますか?」

 

 厳かな口調で言われた言葉に、若者は気色悪いものを見るかのような視線を送り、

 

「てめー、宗教かよ。気持ちわりいんだよ近づくんじゃねえ! 消えろよ!!」

「サイテー、もー私こーいうのホント駄目」

 

 嫌悪感をあらわにする二人に、しかし男は怒る事も無く、しみじみと頷いた。

 

「おお……神を信じられないのですね。罪深い。ですが、大丈夫です。何も問題はありません。神を信じぬ貴方は、神に救われることはないでしょう。ならばこの私が救いましょう」

 

 謳うように滑らかな言葉を並べた後、彼は自然に腕を伸ばし、二人の内、男の方の胸にその手を触れさせ、金髪の若者が文句を言うよりも早く、

 

 バキャグジャリ

 

 胸骨を突き破り、心臓を握りつぶした。

 

「へ?」

 

 隣で何が起こったのか、理解が追いつかなかった女の方が、呆然と眼を見開いた。

 

「神を愛せぬものよ! 神に愛されぬものよ! この私が愛します! 共に永遠を生きましょう!! 我が慈悲、我が愛の下に、諸人よ、救いある死と、新たなる運命を!!」

 

 叫ぶように言い放ち、男はいまだに若者の左胸を貫いたままの腕を、激しく振り抜いた。若者の肉体が抉れ散り、鮮血が舞い上がった。若者の死体が横倒しになり、そして雨のように降り注ぐ。

 

「い、いやあああああああああああ!!!」

 

 血の雨を浴びながら、ようやく状況を認めた女性が悲鳴をあげる。それが、開幕であった。

 

「ひ、人殺し!」

「ええ! 何コレ、なんかの撮影じゃないの?」

「だ、誰か警察……!」

 

 その惨劇に気付いた周囲が騒ぎ出すが、その原因となった男、キャスターは子供を宥めるかのように落ちついた態度で言った。

 

「ああ、ああ、お嬢さん、そんなに恐れなくてもいい。確かに君の恋人は、命を落とした。けれどね、それは終わりではないのだから」

 

 腰を抜かしてへたり込み、逃げることもままならずに怯えている女性に、キャスターはたった今殺したばかりで、若者を指差した。すると、心臓を潰された若者の体が、動いた。

 

「え……ユ、ユー君?」

 

 信じられないと言う思いで、しかしかすかな希望と喜びを滲ませた声をあげた女性であったが、次の瞬間、更なる絶望にその思考は真っ白に消し飛ぶことになる。

 

「GUOOOOOOOooooOO!!!」

 

 若者は立ち上がると同時に雄叫びをあげた。その顔は邪悪に歪み、眼には獣性と食欲に濁っていた。

 

「おぉぉぉ、キョーコぉぉぉ」

 

 恋人の名を呼びながら、ゴキリゴキリと首を回す。その声、その動き、その気配、それだけで周囲の誰もが感じ取る。ソレはもう、人ではないと。

 

「おおおお!! キョォォォコォォォ!!」

 

 顎が外れそうなほどに大きく口を開けて、若者だった存在は女性に覆いかぶさり、女性を抱きしめた。

 

 メキボキッ! ブチュグチュッ!! グシャリ ガブチッ!! ブチチッ!! グチュ

 

 ただ抱きしめただけで、女性の腕と胴は砕けて潰れ、骨も内臓も破壊される。そして首筋に噛みついて、その血肉を引きちぎった。そのまま血をすすり、肉を貪る。

 もはや、恋人であったという記憶は無いのか、あるいは恋人だからこそ喰らおうとするのか、どちらにせよ、その有様はどうしようもない悲劇だった。

 

「ああ、ああ、愛するものを喰らい、愛するものと一つとなり、共に永遠を生きましょう。それこそは、最も美しい在り方です。神に愛されざる人々よ、天国に迎えられざる人々よ。私が救いましょう。新たなる在り方を!! 永遠の命は、死の果てにこそ与えられます。天国に行けぬのであれば、この大地で栄え続けましょう。我らは愛に満ちた永遠を生きるのです!!」

 

   ◆

 

 セイバーたちがメルセデス・ベンツ300SLを駆り、駅前にまで辿り着いたのは、報告を受けておよそ10分後のことであった。

 アインツベルンの城がキャスター、ケイネス、ライダーといった、度重なる襲来によって結界を破壊されたアインツベルン城に代わる本拠地となった、深山町の邸宅の土蔵を、工房として改造し終わった時のこと。警察無線を傍受した舞弥から、アイリスフィールに連絡があった。

 

 キャスターが公然と一般の人々を殺戮していると。

 

「な……これは……」

 

 舞弥がキャスターの所業を知ったのは、キャスターが行動を開始してから約5分経過してのこと。セイバーたちが現場に到着したのは、約15分後のこととなった。

 そしてその間に、キャスターは駅前を既に血の海としていた。この一区画には結界が貼られているらしいが、それは出ることを禁ずる、閉じ込めるための結界であり、入ることに関しては全くの自由。連絡を取り合うことも可能で、事態隠蔽の役には立たない。

 その中を、屍生人が歩き、海魔が蠢き、そして罪なき人々が悲鳴をあげて逃げ惑い、そして殺されていた。

 

「ああ……ようこそジャンヌ。今宵は貴方と私の血の宴、どうか共に歌い踊りましょう」

 

 血に濡れたキャスターが一礼する。

 

「貴様と言う奴は、どこまで……もはや貴様には、自らの行いを後悔する時間さえ! 与えぬ!!」

 

 爆発したかのように跳躍するセイバー。剣をまとう【風王結界(インビジブル・エア)】を解放し、吹き荒れた風を推進力として利用した、最速の突撃である。魔術師のサーヴァントに正面から防御できるような攻撃ではなかった。

 

「――ああ、やはり素晴らしい」

 

   ◆

 

 アサシンがキャスターの前に姿を現したのは、深夜2時をまわった頃だった。巨大海魔による襲撃が失敗に終わった後、キャスターはンドゥールに運ばれ、獲物を集めていた龍之介と合流した。

 三人で工房に戻ったものの、そこは既にバーサーカーたちによって破壊され尽くした後で、使いものにはならなかった。

 

「ヒデェ……あんまりだ……ッ! こんな、こ、これが人間のやることかよォッ!!」

 

 自分たちの作品の惨状に、嘆き悲しむ龍之介と、傷ついた体でありながらもマスターを慰めるキャスター。そして、それを興味無さそうに傍で聞きながらたたずむンドゥール。その三人だけの空間に、彼は現れた。

 

「お取り込み中すまないね。久方ぶりだなキャスター、リュウノスケ、そして……」

「お、おお……!!」

 

 それまで何事にも無関心で、キャスターの保護についても、ただ自分をこの世界に具現させている魔力の供給源であるというだけの、義務的なものであったンドゥールが、初めて感情を露わにし、感動のあまり、声にならぬ声をあげてその場にひざまずく。

 

「ンドゥールよ。よく来てくれた」

「勿体ないお言葉です。DIO様……!!」

 

 鋭敏なる感覚によって、DIOの気配は察していたンドゥールであったが、アインツベルン城では挨拶をする余裕もなかった。こうして出会えたことに、最大限の喜びを表す。

 

「アサシン、貴方は……」

 

 戸惑いと警戒の目を向けるキャスターに、アサシンは安心させるように微笑む。

 

「何、ひとつは我が部下の顔を見たくて。そしてもうひとつは、我が部下を召喚し、再び逢わせてくれた君に、お礼をしなくてはと思ってね」

 

 アサシンが右手を差し出す。その手には、一つの仮面があった。材質は白い石のようで、無表情であるようにも微笑んでいるようにも見える、怪しい表情だった。ひび割れたような模様で、裏側には謎の文字が刻まれている。

 キャスターのスキル【芸術審美:E-】に微かに触れるものがあったらしく、真名はわからないまでも、その禍々しい効果が察せられた。

 

「それは……確かに私に更なる力を与えるものであろうことは、感じられます。それを、本当に私に?」

「ああ、私は君の力を必要としている。君は私に更なる部下をもたらしてくれるだろう。そして、君には私に重なる部分もある。だから、願いを叶えてもらいたい」

「重なる……部分?」

 

 キャスターは首を傾げる。眼前の魔王と、自分の共通項というものが理解できなかったからだ。確かに共に邪悪の所業を行使し続けた者ではあるが、立場も目的もまるで違うように思う。

 アサシンに首を垂れるンドゥールの方が、むしろ近いのではなかろうか。絶対的な崇拝を向ける対象を持つと言う意味で、その心情は理解しやすかった。

 

「確かに何もかも違うだろう、君と私は。だが共通点はある。いやむしろ、あらゆる存在がある共通点で結ばれているのだ。すなわちそれは、『運命』を背負っているということだ」

 

 運命。あまりにも漠然とした概念であるように思われたが、アサシンはむしろ酷く明確な目的として、それを口にしているようだった。

 

「そうだ。私は神や悪魔などがいるのかどうかは知らないし、いようといまいと興味は無いが、『運命』というものの存在は信じている。私とジョースターの一族との関係こそは、その『運命』であるとしか考えられない。それも、他の何よりも巧みに仕込まれた『運命』だ」

 

 アサシンは手にした【石仮面】を、複雑な感情の色を宿した眼で眺めながら、そっと撫でる。

 

「かつて私は、この仮面によって吸血鬼の力を手に入れた。この仮面を研究していたジョナサン・ジョースターがいなければ、私は力を手に入れることはできなかっただろう。だが、吸血鬼となり世界を支配しようとする私を邪魔したのもまた、ジョナサン・ジョースターだった。ジョナサンの手で肉体を破壊された私は、首だけになった。だが、その後、私は奴を殺し、その肉体を乗っ取った」

 

 自らの胸を指で叩きながら、宿敵の肉体であった、己の体を睨むアサシン。更に言葉は続く。

 

「しかしジョナサンの最後の抵抗により、私は100年もの間、海の底に沈んでいた。地上に復活し、新たな力を得たのはよかったが、その力はジョナサンの肉体を通じて、ジョナサンの子孫たちにまで影響を及ぼしてしまった。ジョースターの血統は、私を邪魔する力を得てしまったのだ」

 

 アサシンの背後に人影が現れる。アサシンの言う、新たなる力、スタンド『世界(ザ・ワールド)』。だがその凄まじい力は、彼の敵の力さえ呼び起こしてしまった。

 

「私は、ジョースターの血統によって、更なる力を得続けた。吸血鬼の力、新たな肉体、それを馴染ませる血、更なるスタンドパワー。だが、その力を打ち破り続けたのもまた、ジョースターの血統だった。それが、このDIOと、ジョースターの血統の、忌わしき運命。それがこのDIOが背負い、そして打ち破るべき宿命なのだ!!」

 

 一瞬、アサシンが恐ろしい殺気を噴出させる。一陣の突風が吹いたような錯覚を、キャスターは味わった。

 

「そういった『運命』は、このDIOほどのものでないにしても、誰にでもある。君にもあるな? ジル・ド・レェよ。そう、聖処女ジャンヌ・ダルク。彼女が君の『運命』であった」

 

 そのアサシンの言葉に、キャスターは背筋に寒気が走った。既に魔道の悪逆に堕ちきったはずのキャスターをして、アサシンの言葉はなお、悪魔の誘惑のように聞こえたのだ。だが、アサシンの言葉を止めようとは、露ほども思い浮かばなかった。ジャンヌのことについて語られるなら、それを聞き逃すという選択肢は、彼にはないのだ。

 

「ジル・ド・レェ。君のような人間を多く知っている。そこのンドゥールと同じ、力を持っていながら、心に大きな虚無を抱えている人間だ。そのような人間は、どれだけ大きな力を持っていても、満たされることはない。虚無を満たす何かを得られない限り、ンドゥールにとってそれは私で、君にとって、それはジャンヌだった」

「……確かに。しかし、それがどうしたと」

 

 反論すべきところはない。まったくその通りで、キャスターにとっては、今更言われるまでもないことだった。しかし続けて言われたことは、キャスターが考えたこともないことであった。

 

「ジャンヌ・ダルクの存在があったからこそ、君の心は救われた。ではジャンヌの方は?君の助けがあったからこそ、ジャンヌ・ダルクは救国の英雄となれたのではないか? 当時のジャンヌは、自分の名前もろくにかけないような、田舎の農民だったという。彼女には他にも多くの協力者、支援者はいただろうが、果たして当時の国王以上の財力を誇っていたと言う君の助けなくして、ジャンヌは伝説となれただろうか?」

「な!? そ、それは、そんなことは」

 

 今までジャンヌから与えられたことばかりを思い続けてきた彼にとって、自分がジャンヌに与えることができたなど、彼女の運命に何がしかの影響を与えていたなど、思いもしないことだった。彼にとって、ジャンヌに己の全てを与え、捧げることは当然のことだったから、それが無いジャンヌのことなど、想像の埒外であった。

 

「そう、ジャンヌが英雄に、麗しき聖処女になれたのは君の存在あってこそだ」

「お……おお……そ、それは、そんな、こ、この私が、あの、あの美しき奇跡を、生み出したと……!?」

 

 それは、恐れ多くも甘美な発想だった。全てを差し出すべき、神にも勝るラ・ピュセルを完成させたのが、自分によるものなどと。キャスターは思わず、陶然としてしまった。その無防備な心に牙を突き立てるかのように、アサシンは言葉を紡ぐ。

 

「しかし、救国の英雄になってしまったから、ジャンヌ・ダルクはその威光と功績を邪魔に思う者たちの策略で囚われの身となった」

「!!?」

「そしてそのために、ジャンヌは殺された。魔女として、あらゆる名誉を剥奪されたうえで。そしてジャンヌ・ダルクが死んだからこそ、君は絶望の底に堕ち、邪悪に手を染めることになった」

「う、うううう…………ああああああああ!!」

 

 絶頂から地獄へと転落したような、キャスターの悲鳴だった。実際にその通りであったろう。

 ジャンヌ・ダルクを輝かせたのが自分であったという至福から、その命を奪ったのもまた自分であるという結論に、キャスターは涙を拭うことも無く、泣き叫ぶ。

 

「そう、わかっただろう。ジル・ド・レェよ。君もまた運命を背負っている。君たちも、というべきかな? 君の栄光と転落は、ジャンヌ・ダルクのそれと、あまりにも重なっている」

「わ、私のせいで、私のせいでジャンヌが……!?」

 

 悲嘆にくれて地に伏すキャスターに、DIOは優しく手を差し伸べ、とどめを刺すべく声を投げた。

 

「そんなに絶望することはない。君には、私の言葉の完全な理解が、まだ及んでいないとみえる。いいかい? 君とジャンヌの運命が重なっているということは、君が絶頂に立ち昇れば、ジャンヌもまた栄光に返り咲ける。そういうことにはならないか?」

「!! ま、まことに!?」

「ああ。アインツベルンの森で、絶頂の力を行使し海魔の軍勢を操る君を前に、彼女が放った威光はどうだ? 転落し、魔女として哀れに火刑に処された少女ではなく、まさしく輝かしい正義の聖女であっただろう?」

「!!……ああ、ああ!! 確かに、確かに!!」

「君が高みに昇るとき、彼女もまた輝きを増す。それが君たちの運命。そう」

 

 アサシンは、会心の笑みを浮かべ、キャスターの【石仮面】を差し出す。

 

「……君たちは、『二人』で『一人』だったのだ!!」

「――――ッ!!」

 

 もはや言葉を発する余裕もなく、大いなる神託を告げられた信者のように、キャスターは愕然とした表情を浮かべていた。

 

「私は君に新たな力を与える。より力を、より輝きを増した君によって、ジャンヌもまた強く奮い立つだろう。君らの運命がいかなる決着を迎えるのか、私はそれが、見たいのだ」

 

 そしてキャスターの手は、差し出された【石仮面】を受け取っていた。

 

   ◆

 

「こ、これはっ!」

 

 セイバーの剣はキャスターを頭から胸にかけて、竹を割るように綺麗に切断していた。本来ならそれだけでサーヴァントを消滅させる負傷となるはずであった。だが、そうまでされてキャスターは、真っ二つにされた顔で微笑みを浮かべ、セイバーの腕がキャスターの霊核の位置にまで振り下ろされる前に、セイバーの右腕を掴んで止めていた。

 

「流石に、霊核への攻撃は死に至りますので。御無礼を」

「くうっ!!」

 

 このまま接触していては不味いと、セイバーの類稀なる直感が危険信号を放つ。セイバーはキャスターの胴体を強く蹴り飛ばし、キャスターの腕を引き剥がして距離を取る。しかし、距離を取ってすぐに気付くことになる。

 右腕の異常に。

 

「これは……私の腕が凍っている!?」

 

 魔術ではない。それならばセイバーの【対魔力:A】によって防がれるはずだ。だが現実に、セイバーの右腕は肘まで完全に凍りついてしまっている。

 

(これでは、思うように剣を操れない!!)

 

 キャスターはセイバーの焦りに、優雅な笑みにて応える。その微笑みには、一対の牙が覗いていた。

 

「気化冷凍法……といいましたか。私が教わった吸血鬼の技の一つです」

「吸血鬼……既に自らまで怪物としましたか」

 

 セイバーの言葉に、キャスターは申し訳なさそうに肩を落とし、

 

「ああジャンヌよ。この無能非才の身には、貴方の輝きをより高めるためには、人であることをやめる他、やりようが無かった。ですが、これだけは保証します。私は貴方を永遠にする! 最も輝ける貴方と、最も汚れた私、その輝きと汚れが極限となった時! 私は貴方の血を抱き、貴方と一つとなる!! 共に絢爛たる永遠を生きましょう!! ジャンヌゥゥゥゥゥ!!」

 

 叫びと共にキャスターが走り出す。足で地を蹴った衝撃だけでアスファルトが砕けるほどの膂力を、セイバーへと振り下ろすために。

 

   ◆

 

「ふむ、少しばかり仮面を被る前とは、精神に違いがあるか? 自らジャンヌ・ダルクの血を欲するとまで望んでいたかどうか……まあ元よりまともではなかったのだ。さして問題あるまい。いやむしろこちらの方が、都合がいいかもしれん」

 

 駅前に並ぶビルの一つから見下ろしていたアサシンは、キャスターの行動を冷淡に評していた。

 

「どちらにせよ、興味深いのは確かだ。なあ、臓硯」

 

 アサシンは隣に立つ、魔物同然の老人に語りかける。

 

「いやまったく、おぬしも酷い男よの。狂えるキャスターの心を更に壊すなど、このわしでさえ、ここまでは思いつかぬ」

「謙遜だね。しかし、別に私はキャスターに嘘を言ったわけではないよ。キャスターの運命の果てを見たいというのは本当だ。だからこそンドゥール『たち』にも、他のサーヴァントの足止めなどをさせているのだから」

 

   ◆

 

 その時の時臣は、常に周囲に見せている余裕を持った姿をまとえてはいなかった。スーツと革靴のまま、汗を流し全力疾走をしている彼に、優雅さを感じる人はいないだろうが、本人に気にしている暇はない。あまりにも、あまりにも状況が最悪であった。

 

「まさか……キャスターがここまでの暴挙に出るとはッ!」

 

 昨夜、アインツベルン城で巨大海魔を召喚したことで、もはや魔術の秘匿どころの問題ではないということは理解できていたが、すぐ次の手段として公然と姿を表し、通信手段などを封じることもなく、人々を殺すとは思いもしなかった。

 既に警察には連絡が入っており、完全な隠蔽は不可能だ。こうなったらキャスターを早々に始末し、ただの狂人の暴走であったとするしかない。既に屍生人や海魔を見られている以上、どうにかして記憶操作をしなくてはならないが、それはこれから対策を考えるしかない。

 

(既にアーチャーが先行しているはずだが、まだ倒したと言う報告はない。あの王のことだ。このような事態になってもまだ、自分が手を下す価値は無いと考え、キャスターの所業を無視しているのかもしれない。そうであればどうにか説得せねば……!!)

 

 いつものように町を出歩いていたアーチャーには既に連絡し、こちらへ向かうように伝えておいた。多少は興味を持っていたようだったから、この場に来ることは来ているだろう。その後に関してはわからないが。

 

(アーチャーがキャスターを倒さなければ、他のマスターに令呪を与えなくてはならなくなる。せめて戦闘に介入させるだけでも……!)

 

 焦る時臣は、アーチャーとの合流を急ぐあまり、警戒を怠っていた。より正確に言えば警戒はしていたが、それは屍生人や海魔との遭遇に対しての警戒であって、他のものに対する警戒ではなかった。

 そのため、気付かなかった。排水溝から伸びあがる、鋭い爪を備えた『腕』の存在に。

 

   ◆

 

 使い魔からの情報でキャスターの行動を知ったケイネスもまた、ライダーと共に現場へと向かっていた。あれだけの仲違いをしながら同じ戦車に乗れるケイネスは豪胆なのか、ことの重大性を理解できていないのか。おそらくは後者であろう。

 始終、ケイネスからの命令にライダーは唯々諾々と従いはしたが、一言も口を利くことはなかった。ライダーの怒りの根強さがうかがえるものだったが、ケイネスにしてみれば道具が扱いやすくなった程度のことで、妙に思いながらも、そこまで気にはしなかった。

 

「キャスターを確認したら、すぐに【王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)】の結界内に取り込め。他のサーヴァントが既にいたら、そいつらも諸共にだ。貴様の宝具なら、複数のサーヴァントを相手にしても勝利できるだろう」

 

 ケイネスは指示するが、やはりライダーは返事を返さない。ケイネスはその態度に苛立ちながらも、余計なことを言うよりはマシと考え、怒りを露わにすることはなかった。

 

(フン、反抗のつもりか。だがサーヴァントなど所詮は令呪には逆らえない操り人形。令呪は残り2画ある。今回のキャスター討伐を成功させれば、もう1画増えるのだ。いざとなれば、使うまで)

 

 己が手の甲に刻まれた令呪を撫でるケイネスだったが、その時、急に戦車が激しく揺れた。下手をすれば戦車から振り落とされかねないような衝撃で、ケイネスは反射的に座席にしがみつく。

 

「な、何事だッ!?」

 

 ケイネスの疑問の声を無視し、ライダーは手綱を握って戦車を引く神牛を抑える。戦車が急に揺れたのは、牛が突如足並みを乱したからだ。

 いまだ暴れる牛を押さえ込もうとしているライダーの目に、神牛の腹に小さな丸い傷がついているのが見えた。そして次の瞬間、牛の右前脚に、また一つ穴が開き、牛が更に暴れ出す。神牛たるもの、この程度で死にはしないが、痛みで力や動きは低下してしまうだろう。

 

「こいつは……狙撃か!!」

 

 ライダーは戦車の下を見下ろす。そこにはビルが立ち並んでおり、どこから攻撃が来たのかはわからない。だが傷の状態からすると、どうも真横から撃たれたように見える。

 

(しかし横には誰もおらんしな……ッ!!)

 

 ライダーは咄嗟に首を振る。頬スレスレを、銃弾が過ぎ去っていくのを肌で感じることができた。

 

「こいつはとんでもない狙撃手だな。さて……どうするか」

 

 そう呟くライダーの目に、捕らえきれなかったものがあった。夜の空を、風船か、海に浮かぶクラゲのように、ふらふらと漂うソレ。洒落た帽子のような、空飛ぶ円盤のような物体。夜の闇に紛れ、気配無く、力無く、ただ気流に乗って漂うだけのそれこそ、彼らを仕留めんとする『狙撃衛星』であった。

 

   ◆

 

「臓硯、貴方にも色々と骨を折って貰ったし……しばらくはこの決闘の邪魔をする者はあるまい」

 

 アサシンは、神の名を持つ男は、実に楽しそうに微笑んだ。

 

「見届けさせてもらおうキャスター。お前の運命の果てが、私のために有用であることを祈りながら、な」

 

 

 

 ……To Be Continued

 

 


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