Fate/XXI   作:荒風

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ACT17:『星』の下で宴を

 

 

 その場の全員が呆気にとられる。あの英雄王でさえ、子供のように素直な驚きの表情を見せていた。

 

「なに、折角異なる時、異なる地を駆けた英雄たちが、奇跡の如く一堂に会しておるのだ。戦うばかりでは面白くない。一つ酒を酌み交わし、語らうというのも良いではないか」

 

 自分の言葉をおかしいとは欠片も思っていないらしいライダーは、戦車に乗せたオーク製のワイン樽を撫でて笑う。

 

「い、いや……良いではないかと言われても……っていうか、こんなことあのケイネスが許すのか?」

 

 あの男が、自分の道具としてしか見ていないサーヴァントの暴走を、許すわけがない。そう思ったウェイバーだったが、

 

「奴には内緒だ。今、奴は休息をとっていて、こちらのことは何も知らん」

「ああ……道理で」

 

 あっさりと言うライダーに、ついケイネスに同情を抱いてしまう。

 そんなどこか抜けた空気に、不意に鋭い殺気を帯びた一声が突き刺さった。

 

「おい雑種。貴様、酒を酌み交わすと言ったな。王を名乗りながら、王たる我に対し、それを言うということは、宣戦布告に等しいぞ?」

 

 先ほどの驚きの表情が嘘であったかのように、怒りの形相をさらすアーチャー。対するライダーはその怒気を容易く受け流し、言い放つ。

 

「おうよ。つまりはそういうことよ。どちらがより、『王』であるか。それを問うということよ。『王』として、『英雄』として、聖杯に相応しい者を、酒と共に問い質す。剣に依らぬ戦いということよ」

 

 ライダーが言い切ったと同時に、戦車を引く神牛が動きを見せる。

 

「会場はもう一人の『王』であるセイバーのいる、アインツベルンの城だ。恐れる気が無いなら『王の宴』に来るといいぞアーチャーよ。それに、坊主とランサーもな! 待っておるぞ!!」

 

 勝手に言うだけ言うと、【神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)】を猛らせ、空を突っ切って一直線にアインツベルンの森にすっ飛んで行く。流れ星のようなその様を見送りながら、ウェイバーはどうしたものかと首を捻った。

 

(誘いに乗る理由は無いけれど、逃げたと思われるのも癪だしな)

 

 明確な損も得も無い。行かなければ何事も無いだろう。しかし、ウェイバーのプライドが少々傷つくことになる。意地だけは人一倍ある彼にとって、他者から軽く見られることは大問題だ。しかし、行ったとしたらどうなるか。酒を飲みかわすだけと言っていたが、果たして本当にそれですむだろうか。特にセイバーのマスターの悪辣さを考えれば、いつ隙を突かれて殺されても、全く不思議ではない。

 悩むウェイバーだったが、そんな迷いは無駄に終わることになる。そう、ここにいたのはウェイバーとランサーだけではなかった。

 

「ち……どいつもこいつも安い挑発ばかりしてくれる。だが、このまま捨て置くのも気分が悪い。少しばかり付き合ってやるとしよう」

 

 アーチャーは、パチリと指を鳴らす。すると背後から、黄金とエメラルドによって形成されたような、美しく輝く何かが現れた。尖った穂先をした、中央部に座席のあるパワーボートのようである。しかし翼を持っており、空中に浮かんでいる。

 

「インドにおいて【天翔ける王の御座(ヴィマーナ)】と呼ばれることになる、空飛ぶ舟の原形よ。ライダーめの戦車よりも速く飛べよう」

 

 自慢げに言い、軽やかに跳躍して、中央座席に座る。そしてウェイバーたちを見下ろし、

 

「何をしている雑種ども。早く乗らんか」

「え、ええ?」

 

 どうやら、アーチャーにとってはウェイバーたちが一緒に行くことは決定事項のようだった。

 

「よもや……我が舟が気に入らぬとは言わぬだろうな?」

 

 目に見えて機嫌を悪くし、睨みつけるアーチャー。対するウェイバーは、何だか知り合いの漫画家を思い出しつつ、舟に乗ることにした。頑なに断ったら、無意味にアーチャーと戦う羽目になるだけだ。それなら飲み会に付き合った方が、ずっとマシであろう

 

「行くぞランサー」

「わかりました」

 

 ランサーもやや疲れた表情で頷く。二人が乗り込むのを見届けると、アーチャーは座席から操縦桿を出し、握る。

 

「では堪能するがいい。我が宝の素晴らしさを」

 

 直後、【天翔ける王の御座(ヴィマーナ)】は動いたと同時に、いきなりトップスピードに昇りつめ、音より速くかっ飛んだ。

 

   ◆

 

 そんな英雄たちの行動を、陰から見ていた者がいた。

 

「……ということだ、綺礼。どうする? うん……ああ、わかった。すぐに追うとしよう」

 

 その者は、キャスターの工房があった排水溝をチラリと見つめ、

 

「さて……彼らはどう出るか。それも楽しみだ」

 

 薄く邪笑を浮かべると、その身を霊体化させ、アインツベルンの森へと向かうのだった。

 

   ◆

 

 どのくらいの間飛んでいたのか、ウェイバーには判断できなかった。さすがに神話の飛行装置だけあって、どういう理屈か、音速で飛びながらも体に重圧がかかったり、呼吸に苦労したりということは無かった。しかし、シートベルトはおろか、外と機体を隔てる壁さえ無い飛行機というのは、ウェイバーにとって気が気ではなかった。

 英霊や、熟練の魔術師ならともかく、飛行魔術などという上等なものを使えない三流新米魔術師にとって、落ちたら死ぬような状況は、ストレスが激しすぎる。

 声も無く、周囲の景色を見る余裕さえなく、まあ見ていたとしても、ウェイバーの動体視力で景色を満足に見ることができたかは怪しいが、とにかく座り込んで首を垂れ、じっとしていたウェイバーだったが、やがて【天翔ける王の御座(ヴィマーナ)】が停止したことに気付いた。

 

「む……と、止まった?」

 

 顔を上げると、どうやら【天翔ける王の御座(ヴィマーナ)】は地表スレスレのところに浮かんでおり、目の前には柄杓で赤ワインを掬い取るライダーと、向かい合っているセイバー、セイバーを見守るアイリスフィールの姿があった。

 セイバーとアイリはウェイバーたちに気づき、気まずげな顔する。さすがに彼女たちは切嗣のした行為を気にせずにはいられないのだろう。

 その微妙な空気も気にせず、ライダーはまずアーチャーに声をかける。

 

「おお来たか。しかし、貴様そんなモノまで持っとったのか。物持ちなことよのぉ。ま、ともかく駆けつけ一杯」

 

 荘厳とさえ言える【天翔ける王の御座(ヴィマーナ)】を前にしても、ライダーはやはり自分の調子を崩すことなく、アーチャーに酒を差し出す。アーチャーは厳めしい顔つきながらも、柄杓を受け取り、素直に飲み干した。

 

「何だこの安酒は。こんなもので英雄の格が量れると思ったのか?」

 

 舌が汚れたと言わんばかりに顔を歪めるアーチャーの周囲で、空間が歪む。歪曲した空間から、澄んだ色の液体に満たされた、黄金の壺と、宝石で飾られた酒器が現れた。

 

「見るがいい。そして思い知れ。これが『王の酒』というものだ」

「おお、これは重畳」

 

 ライダーは子供のようにはしゃぎ、現れた酒を五つの器に酌み分ける。

 

「ほれよセイバー。王ではないが、坊主にランサーよ。ついでにおぬしも飲むがいい」

 

 差し出された杯に、やや警戒感を抱く、セイバー、ウェイバー、ランサーを尻目に、いの一番に酒をあおったのも当然ライダーだった。

 

「むほォ! 美味いっ!!」

 

 飲んだ途端に喝采するライダーを見て、セイバーも続いて飲む。更にそれにランサーが続いた。そして二人とも、その衝撃的なまでの美味に打ちのめされる。もはや麻薬に近いほどの圧倒的な味覚の快感に、彼らほどの武人が、一瞬なれど、完全に隙だらけになるほどの代物だった。

 

「凄ぇなオイ! こりゃあ人間の手になる醸造じゃあるまい。神代の代物じゃないのか?」

 

 敵であるはずのアーチャーから振舞われた酒を、正直に絶賛するライダーに、まんざらでもなさそうに微笑むアーチャー。しかしそこに、更なる宴の参加者が現れた。

 

「ほほう……そこまでの酒とは、私も味わってみたいのだが……いいかな?」

 

 夜の闇が急に人の形をとったかのように、その男は英雄たちの誰にも気配を悟られることなくそこにいた。

 

 アサシン――『世界王』DIO。

 

 その男がそこにいるだけで、ウェイバーはつららで突き刺されるような、冷たい痛みを精神的に感じていた。セイバーの澄んだ闘志、ライダーの燃える覇気、アーチャーの冷酷な威圧、そのどれとも違う、呑み込まれそうな暗黒が、アサシンから放たれている。

 アサシン以外の三人の王からは感じられない、おぞましさというものが、アサシンからは滲み出ていた。キャスターからもそういうものはあったが、キャスターのように錯乱していない分、逆にその内に籠った闇が、冷静に、濃厚に、凝縮されているように思えた。

 

「無論、遠慮はいらぬ。王の言葉は万民に向けて発するもの。共に語ろうという者は、誰であっても受け入れるぞ」

 

 それをわかっていないはずもなかろうに、豪放なライダーは警戒する様子も見せずに、酒を差し出す。

 

「ありがとう」

 

 感謝の言葉に、悪魔の誘惑めいた危険な甘さを乗せながら、アサシンは杯を受け取り、口をつける。

 

「むう……これは確かに素晴らしい。このような酒がこの世界にあったとは……しかし」

 

 至高の美酒を口の中で転がし、味わいながらも、その美味に浸りきることなく、こう言い放った。

 

「人間の生き血には及ばんな。特に若い女の、次世代の命を生む力のある存在のエネルギーというのは、ただ舌や腹を満たすだけではない。言葉では言い表せぬ格別なものがある」

 

 高潔な武人であるセイバーとランサーが、顔をしかめる。人間を食料としか見ない化物への殺意を込めて、アサシンを睨みつけていた。

 ライダーも、アーチャーさえも、さすがに眉をひそめる。

 

「ふざけた口をきくな。『蚤』めが。この世界は全て我のものであり、我の庭。その庭を荒らすなど、不愉快極まる。そのうえ、我が宝たる聖杯を盗もうとするとは、宴の席でなくば即刻断罪しているところだぞ」

「ん? おい、我が宝ってのはどういうことだ? 聖杯はまだ誰のものでもなかろう?」

 

 聞き咎めるライダーに、アーチャーは鼻で嗤って言い返す。

 

「馬鹿め。この世界の全て、財宝の全ては、最初から我の所有物であると決まっている。宝であると言うだけで、それは我が物であることは明白だ。それを勝手に持ち去ろうなどと、この『蚤』ばかりでなく、貴様らはどいつもこいつもおこがましいにも程がある」

 

 あまりといえばあまりの傲慢さに、ウェイバーは呆れる。表情からして、セイバーたちも皆、同じ感想を抱いているようだ。

 しかしその中でただ一人、ライダーだけが何かしらの理解を示したように唸る。

 

「ふーむ。その物言い、ただの大言壮語や誇大妄想ではないな。どうやら貴様の真名が見えてきたぞ。まあそんなことより、聖杯が貴様の物なら、貴様の許可さえとれば、聖杯を物にしてもよいということか?」

「然り。だが貴様らごとき雑種に、我が宝を賜わす理由などない。別に聖杯の一つや二つ、惜しいとも思わぬ。叶えたいと思うような願いも、全ての愉悦を味わい尽くしたこの英雄王たる我には、今更ありはしない。しかし、我の宝を狙う賊がいるとあらば、しかるべき裁きを下さねばならぬ。そう」

 

 一度言葉を切って、杯の中の酒を飲み干してから、

 

「我が王として敷いた、我の『法』によってだ」

 

 アーチャーは自らの在り様をその言葉によって示した。

 

「ふむ。完璧だな。自らの法を貫いてこそ、王。他者に依存せず、自身を法とし、望むまま、思うまま、誰にも左右されず、全てを我意によって決定する。泰然として、誰にも侵されることなく、最初から最後まで至高である。さしずめ貴様の王道は『君臨』というところか。しかしなぁ、それでも余は聖杯が欲しくてたまらんのだよ。そして欲した以上は略奪するのが余の流儀だ。余の王道は『征服』……すなわち『奪い』『侵す』に終始するのだからな」

「是非もあるまい。お前が犯し、我が裁く。問答の余地などどこにもない」

「うむ。そうなると、後は剣を交えるのみだ」

 

 妙に理解し合うライダーとアーチャーに、置いてけぼりをくっている気分のウェイバーは、口を挟んだ。

 

「巻き込んでおいて、勝手に話を進めて行くんじゃないぞ、ライダー。まず言いだしっぺのお前から、自分の願いを言えってんだよ」

「む? それもそうだな。余の願いはなぁ」

 

 少し照れくさそうに笑ってから、ライダーはウェイバーに答えた。

 

「受肉、だ」

 

 答えられたウェイバーは、その簡潔な言葉の意味を脳に沁み通らせるのに、3秒ほど必要とした。

 

「え……いや待て、それだけか? いや現世への復活、蘇りはまあわかるけど、聖杯の力なら、もっと色々できるだろ。いっそ、復活と同時に世界征服を完了させておくこともできる」

 

 そう言うウェイバーを、しかしライダーはため息をつき、生徒の物分かりの悪さを嘆く、教師のように首を振って肩をすくめる。その様がケイネスを思い起こさせ、ウェイバーを苛立たせたが、ライダーは気にせず言い放つ。

 

「馬鹿者。世界征服は余自身の夢。聖杯なんぞにその夢を奪われてたまるかい。自分の手で成し遂げねば意味が無い。いや、それ以前に面白くもなんともないであろうが」

 

 酒を壺から掬って煽り、喉を潤して言葉を紡ぐ。

 

「身体一つの我を張って、天と地に向かい合う。それが征服という〈行い〉の総てだ。そのように始め、推し進め、成し遂げてこその我が覇道なのだ。だが今の余にはその『身体一つ』にすら事欠いておる。これではいかん。前提にさえ達しておらん。このイスカンダルのためだけの肉体がなければならん」

 

 馬鹿馬鹿しいと、ウェイバーは吐き捨てられなかった。聖杯と比べ、自らの人生こそが尊いと言い切れる自信を持てるような生き方をしてきた男を嘲笑える者は、逆に自分こそが、自信を持てぬ、つまらない生き方をしてきた者だというだけなのだ。

 言葉を失うウェイバーに、ライダーはふと気付いたように言った。

 

「ん? おい坊主。貴様、まだ酒に口をつけておらんではないか」

 

 言われ、ウェイバーも気付く。確かに、ウェイバーの手の中の杯の酒は、一滴も減っていない。しかし気付いたからと言ってすぐに飲もうとは決められない。臭いだけで気分が悪くなるほど、酒に弱いウェイバーである。

 

「なんだ、酒も飲めんのでは宴に誘うには早かったのう。思いのほかお子様であったわ」

 

 やれやれがっかりだと、わざとらしく首を振るライダーに、ウェイバーは一瞬で頭に血を昇らせ、

 

「ば、馬鹿にするな! こんなものはなぁ!!」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴り、手にした酒を一気に飲み干した。

 

「ぐほうっ!?」

 

 そして、一瞬にして仰向けにぶっ倒れた。

 

「あ、主!?」

 

 ランサーが慌てて手を差し伸べ、抱き起こす。

 

「ぐ・お・お・お・お・お……ら、ランサー、お前、いつから三つ子になったぁ……?」

 

 視線を彷徨わせ、誰がどう見ても泥酔しているとわかる様子で、ウェイバーはやや呂律が怪しくなりながらも言葉を出す。

 

「き、気を確かに! 主よ!!」

「む、ぐぉぉぉ……頭痛がするぅぅぅ……は、吐き気もだ……くっ……ぐう」

 

 ウェイバーは震える手でポケットを探り、やっとのことでプラスチックの瓶を取り出した。

 

「ランサー、こ、これを僕に」

「これは……ああ、わかりました、主よ」

 

 ランサーは瓶の蓋を開け、中から白く丸い粒――チーズを取り出し、ウェイバーの口元に持っていく。ウェイバーは今にも失いそうな意識を必死で繋ぎ止めながら、そのチーズを口に含んだ。

 ウェイバーがチーズを噛み砕いて呑み込むと、すぐに彼の肌から汗が湧き出てきた。汗はまさに滝のように流れ落ち、ウェイバーという人間が実は氷でできていて、今、猛烈に溶け出しているのだと言われても、納得できそうなほどの有様だった。

 

「お、おい大丈夫かよ。ちょっと尋常じゃないぞ。肌がだんだん乾いて、ミイラみたいになってきとるぞ?」

「問題無い。肌は一時的なものだそうだ」

 

 ランサーは、今までにおけるこの『特別食』を使った治癒効果を思い返し、断言する。

 

「そうか……ああついでにランサーよ。王ではないといえ、この場にいるのだ。貴様も聖杯にかける願いを語ってはみんか?」

「ついでとはまた言ってくれるが……そうだな。生憎、俺には聖杯にかける願いは無い。ただ騎士道を貫き、今の主であるこの方に、聖杯を献上するのみだ。今度こそ、裏切りも無く、報いも無く、最後まで主に仕え尽くし、騎士の本分を全うしたい」

 

 聞いたライダーは、少し表情をしかめた。

 

「騎士の本分か。しかし、自分を召喚したというだけの、見知らぬ相手を主とできるのか?」

「ああ、それは召喚されて最初に、主に言われたことだ。忠誠を尽くして騎士道に生きる自分に酔いたいだけで、マスターなど誰でもよかったのだろうと言われて、返す言葉も無かったよ。しかし、そんな愚かな俺を、ウェイバー殿は受け入れてくれた。この方は、唯々諾々と俺の在り方を認めはしない。しかし、そういう在り方もいいと、受け入れてくれる度量の大きな人間だ。そして、今までの戦いの中で、俺は本当に心から、この方を主として忠義を捧げたいと思うようになった。だから、今、既にして、俺の願いは叶っているのだよ」

 

 その澄みきった笑顔に、セイバーは羨ましさを感じた。アーチャーと共にウェイバーとランサーが現れた時は気まずさを感じた。しかし、彼らはこちらに対し、負の感情を向けてはこなかった。

 それは、あの策略が彼女の意に則したものではないと、理解してくれているからだと思うが、それにしたってセイバーは策略を止めることはしなかった。そのうえ、その外道を行った切嗣をついには是とした。いくら戦いとはいえ、いかに悲願のためとはいえ、切嗣の行動を見逃した、許容したという事実は消えること無く、セイバーに罪悪感を刻みつける。

 しかしランサーには、このような自分の道に反した行動をとることの苦しみなど、無縁なのであろう。心を通わせ合うことのできるマスターがいるのだから。自分をただの駒でなく、戦場でのパートナーとして、受け入れてくれる人間がいるのだから。

 それが、セイバーには酷く羨ましかった。

 

 一方、ライダーはなるほどと納得し、頷いて、また酒をあおっていた。その表情は、セイバーほどではなくとも、羨みの色が混ざっていた。彼にも、今のマスターには思うところがあるのだろう。その頃には、少年魔術師は汗を流し終わり、しわくちゃになっていたはずの肌も綺麗になっていた。

 

「ふうー……よし……まだ少し、酔いはあるけどもう大丈夫だ」

 

 今のウェイバーは、体に毒と判別されるだけの酒を体外に放出し、ほどよい酔い加減を与える程度の微量な分だけが残った状態であった。

 

「おう、もう大丈夫なのか」

「ああ、このチーズはたとえコブラだろうとフグだろうと、多分核の放射能だってきっちり解毒してくれる。それに凄く美味いんだ」

 

 ウェイバーが言いながら手を出すと、ランサーはチーズの入った瓶を返すために差し出す。しかし、その脇から、巨体に見合わぬ早業で、ライダーがチーズの瓶をかっさらった。

 

「なっ!」

「ちょ、お前、何やってんだ!!」

 

 驚くランサー、騒ぐウェイバーを無視してさっさと蓋を開けたライダーは、まず一粒を口に放り込む。

 

「もぐもぐ……ん、ん!? ンまぁ~~いっ!! こいつは凄え! これを今の人間が作ったってのかい! ほれ貴様らも食ってみろ!」

 

 チーズが数粒ずつ、セイバー、アーチャーに配られる。一つ残らず分配されてしまい、ウェイバーは空になった瓶を指差し、怒鳴る。

 

「お、お前何勝手に配ってんだよ! てかセイバー、受け取るなよ! お前はもう一回食べただろ!!」

「私は食べてないわよ? 一個頂戴セイバー」

「はい。どうぞアイリスフィール」

「勝手に分け合うな!!」

 

 しかし誰もウェイバーの怒声など聞かずに、チーズを口にした。

 

「!! 美味しい……! これ、アインツベルンの料理に出たチーズのどれよりも、ずっと美味しいわ」

「アインツベルンの料理……私は食べていませんでしたが、そちらも美味しかったのですか?」

 

 少女のように驚きはしゃぐアイリスフィールと、アインツベルンの料理に興味を示すセイバー。そしてアーチャーは、

 

「……フン、雑種にしては中々やるというところか」

 

 そう言いながら、残ったチーズをまた一粒、口に運ぶ。どうやら口調とは裏腹に、かなりの美味と認めたようだ。そうでなければ、さっさと吐き出し、投げ捨てているはずだから。

 

「まあけちけちすんな。こんな美味い物は独り占めするのではなく、分け与え、共に楽しむのものだぞ? 料理人もその方が喜ぶだろう」

 

 盗人猛々しく、がはははと笑うライダーの言葉に、ウェイバーは若干怯む。さすがは『征服王』。強奪しておいてなお、『あれ? 間違っているのはこっちなのか?』とウェイバーが勘違いしそうになるほど、全く悪びれない。

 

「ぬ……いや確かにトニオは、料理を食べた人が喜んでくれることが、料理人の生き甲斐であり、存在理由の総てだと常日頃言ってるような奴だけど……」

「ほらな。こうして皆で食うのがいいのだよ。それよりも、貴様もランサーのマスターであるということは、小規模ながらも一人の王と言っても過言ではない。多分。で、王である貴様が、聖杯にいかなる願いをかけるか。それを聞きたいのだがのう?」

 

 何だか怒るのさえ疲れてきたウェイバーは、がっくりと肩を落とし、チーズのことは諦める。

 

「別に僕にも聖杯に叶えてもらいたいような願いはない。ただ、お前のマスター、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトに思い知らせてやりたいだけさ」

 

 ウェイバーの言い様に、ライダーはケイネスから聞いた、この少年の事柄について思い返す。

 

「余のマスターが言うには、貴様は『愚にもつかない論文を提出したので、考えを正すために教導したのを逆恨みして、復讐するために聖杯戦争に参加した身の程知らずの、不出来な弟子』ということだが、実際どうなんだ?」

 

 ウェイバーはケイネスが自分をどう他者に伝えるか、かなりリアルに思い描いてしまい、頭に血を昇らせる。しかし、ここにいない者に怒っても仕方無いと、何とか自分をなだめ、ライダーへの返答を口にする。

 

「……あいつが、僕の論文を、目の前で破り棄てたってのは確かだ。大勢の生徒の前で、僕を扱き下ろしたってのもあってる。恨みを晴らすために聖杯戦争に参加したってのも、間違いじゃあない。ただ……根本の理由を、ケイネスはわかっていないみたいだな」

 

 おそらく、どこまでも魔術師であるケイネスに、ウェイバーの気持ちなど一生わかるまい。魔術師としての思考しかしようとしない、それ以外の考え方を侮蔑さえしている彼には、わかりようもない理由。魔術師という、自分の目的と、そのための研究にのみ総てを費やし、我が子さえも、自分の家系を繋ぐ道具としてしか見ないことが普通である生き物には、むしろ失笑さえするだろう理由。

 

「あいつは、僕の論文を破り棄て、『家系の浅い、底辺の魔術師がすがる、無意味な夢』と嘲笑った上に、こう言った。『小耳にはさんだ話だが、君は魔術師でも無い凡俗と、親しい関係にあるらしいな。そういった魔術師らしからぬ行為が、このような夢想の元になるのだ。まず君のすべきことは、そんなくだらない者たちとの縁を切ることだ』ってな」

 

 ぞわりと、ウェイバーの黒髪が揺らめき蠢く。筋肉などあるはずのない髪の毛にしては、あまり不自然な動き。それは彼の独自の魔術『死髪舞剣(ダンス・マカブヘアー)』の副作用のようなもので、感情が昂ると、時々ではあるが、髪の毛が無意識のうちに動いてしまうのだ。つまりそれだけ、今のウェイバーは怒りを燃やしているということになる。

 

「他にもまあむかつくことを散々言ってくれたが、重要なのはだ……あいつが、僕の友達を、侮辱したってことだ!!」

 

 ウェイバーの髪の毛が天を突くように逆立った。酒の酔いも手伝って、感情は更に昂ぶり、そしてその昂ぶりを内から外に放つように叫ぶ。

 

「主義主張はその人間の勝手だ。僕の論文を破ったことに関しては、我慢してやってもいい……しかし、どんな理由があろうとも、僕の友人を侮辱することは許さない!! くらわせてやらねばならない!! 然るべき報いを!!」

 

 言い切った後、しばしの静寂が場を支配する。誰もが意外だったのだ。この少年が、そんな理由で聖杯戦争に参加していたということが。

 周囲の、呆れと感心と驚きが混ざったような表情に気付き、ウェイバーは残っていた酒の酔いから一気に醒めた。

 

「……あ、いや待て、今のは無しだ。魔術師たる僕がそんな、俗な理由で参加するはずないだろう。僕はひとえに、僕の価値を認めない旧時代の石頭どもに僕の力を認めさせるためにだな」

「照れることはなかろう。立派な理由じゃんか。だがなぁ、それだけなら余とケイネスを討ちとれば満たされるのであろう? ランサーの奴も聖杯には興味は無いわけだし、余だけと戦えばいいのではないか? 他の奴と戦わなければならぬ状況と言うのもそりゃあるだろうが、それにしては余だけに集中しているわけではない。集中力が足りぬというわけではなく、むしろ逆に戦争全体にしっかりと集中しているように見えるが、その辺どうなのだ? やはり別に、聖杯を得ようと言う理由があるのではないか?」

 

 ライダーの疑問に、ウェイバーは恥ずかしさに表情を歪めながらも、もう今更だから全部言ってしまおうとやけくそ気味に、口を開いた。

 

「やるからには、ケイネスの邪魔だけじゃ面白くない。ケイネスが取れなかった聖杯を、僕が取ってこそ本当の意味であいつを見返してやれるんだ。それに……」

 

 ウェイバーは酒を少しばかりすくって、舐める程度に口に含む。これ以降は、酒の力を借りないと、ウェイバーの意地っ張りな部分が許してはくれない。

 

「……僕の友人はな、結構、その『やる』奴らばっかりで、さ。さっきのチーズを作った料理人や、芸術家って言ってもいいような、凄腕の漫画家。凍りつくような暗殺者のメンバーに、世界中の賞を総なめにしてきたエステシャン。怪物じみた天才的な魔少年に、星の痣を背負った一族……」

 

 最後の部分で、一瞬ばかり、アサシンの目つきが鋭くなったが、誰も気付きはしなかった。

 

「どいつもこいつも、トラブルに僕を引っ張りこんで、巻き込んで、酷い目に逢わせてくれるよ。なあライダー、あんた、ナチスドイツが秘密裏に兵器の研究開発を行っていたと言う廃工場で、狂った殺人ロボットに追いかけ回された経験ってあるか?」

 

 ウェイバーの語気が荒く、強くなる。

 

「アーチャー、あんたはサハラ砂漠をろくな装備もなしに三日間さまよって、乾き切った時にオアシスに辿り着いて飲んだ水の味って知ってるか? はっきり言ってこの酒の何倍も美味いぞ」

 

 ウェイバーは喋りながら、胸ポケットから手帳を取り出した。手帳が開かれると、そこには幾枚かの写真が貼られており、そのうちの2枚は、壊れた機械をバックに、金髪のどこか魅惑的な少年とウェイバーが並んで撮られた写真がある。その隣には、スケッチブックや画材一式を手にした、どこか我儘そうな少年と、ラクダに跨るウェイバーが写った写真が貼られていた。

 

「中国じゃあ奇怪な植物人間……怪我や病気で動けない人間ってわけじゃないぞ。本当に植物でありながら人間みたいに動くんだ。変な魔術や能力を使ってな。言葉は通じないし、こちらを食べようとして来るけど。セイバーはそんな奴らに、取り囲まれたことはあるか? アメリカに潜む『竜種』の生き残りと遭遇したことは?」

 

 白衣のコックが薬草を山のように抱えている写真や、巨大な宝石の見間違いそうな、美しく輝く『鱗』が散らばる中で、カウボーイ姿の男と、髪を逆立てたフランス人が掴みあって喧嘩しているのを撮った写真を、ウェイバーは指差す。

 

「そんな命が幾つあっても足りないようなトラブルに、巻き込まれ続けてきた。そう、結局巻き込まれてきただけだ。トラブルの中で、僕はいつだって護られてきた。あいつらは、そんな常識外れのトラブルを、足手まといを護りながらも切り抜けられるくらいの力がある。そうだ。はっきり言って、あいつらは本物の『英雄』だ。お前たちと同じように」

 

 もしも彼らの持ち物を用いて召喚を試みていたら、きっと彼らをサーヴァントとすることができていたと、ウェイバーは思えてならなかった。

 

「別に、力がないからって、あいつらは僕を切り捨てやしないだろう。けどそれじゃあ嫌なんだ。あいつらと肩を並べるくらいにならないと駄目なんだ」

 

 いつもいつも死ぬような目にあいながら、彼らと縁を切ろうとしたことはなかった。絶交だと叫ぶことはあっても、本気でそうしようとしたことはなかった。ウェイバーは、口に出すことは絶対に無いが、彼らが本当に好きだった。彼らのあまりにも眩い生命の輝きに、憧れていたのだ。そして、いつしか願った。自分もそうなりたいと。

 

「僕は聖杯を手に入れる。僕にだってできることがあるってことを、僕自身に証明するためにだ」

 

 ウェイバーの語りが終わると、ライダーは深く頷いた。

 

「『修行』か。ケイネスのように魔術師として箔をつけるということでなく、『人生』の『修行』。奪い合いに乗りながら、野望は無い。殺し合いに加わりながら、悪意は無い。無鉄砲で考え無しで、しかし……まさに『男の世界』」

 

 頷きそして、ライダーはこう評価した。

 

「面白い。坊主、余は貴様をランサー抜きにして、本気で配下としたくなったわ」

 

 それはおそらく最大級の賛辞。『征服王』に認められると言う、只人には余る栄光。

 続いて、アーチャーが評価する。

 

「ふん……まあ、時臣よりは面白みがあるか。凡庸でありながら、英雄に憧れるばかりでなく、肩を並べようと欲するとは。愚かではあるが、それだけのために命を捨てられるなら、多少の価値はあるだろう」

 

 アーチャーがそう言ったのに、ウェイバーは驚く。この他者を見下しきっている男が、いくら上から目線であっても、『価値がある』などと言うとは。喜びや光栄を通り越して、恐怖でさえある。

 しかし、アーチャーの目は、ウェイバーを見ながらも、どこか遠くを見つめているような視線を放っていた。見つめているのが、何なのか、あるいは『誰』なのか、ウェイバーにはわからなかったが。

 

「友の名誉のために、戦いを挑む。友と共に歩くため、己を磨く。騎士の道としても、男の道としても、貴いものです。ウェイバー殿、やはり、貴方は我が主に相応しい。今改めて自分が、貴方に相応しい騎士であれるよう、更なる努力と精進をすることを、心に誓いました」

 

 ランサーからはやはり褒めすぎと言える評価だと、ウェイバーは受け取った。ウェイバーはランサーに、自分の聖杯戦争の参加理由を詳しく話していない。ただ、魔術師としての名誉を求めてのことだとしか。

 こうなるだろうとわかっていたからだ。ウェイバーは褒められるのに慣れていないせいか、褒められたい、認められたいと思っている割に、いざそうされるとむず痒くてたまらなくなってしまうのだ。

 頬を赤くして、ランサーからの熱意に溢れる視線から逃れつつ、ウェイバーは無理に話題転換を試みた。

 

「ぼ、僕はもう自分のことを言ったんだからもういいだろ! それよりも、騎士王! あんたの願いは何なんだ!」

 

 急に話を振られたセイバーは、慌てるでもなく落ちついて、答えを口にする。

 セイバーにとって、アーチャーの言い分は最初から聞く意味さえないとしか思えず、ライダーの願いも個人としてはともかく、王としてはただ我欲に塗れた暴君のものとしか映らない。

 ランサー、ウェイバーの想いも、騎士として称賛できるものだが、個人から見た狭い範囲でのもの。王として国全体を救おうと言う願いと、比べられるものではない。彼らには負い目があるが、この願いだけはそれよりも重要なものだ。

 そんな確信から、セイバーは胸を張って堂々と答える。

 

「私は、故郷の救済を願う。ブリテンの滅びの運命を変える」

 

   ◆

 

 アサシンと五感を繋げた綺礼からの報告を、自らの工房で聞きながら、遠坂時臣は思案していた。

 アーチャーの行動については、もはや文句をつける気にもならない。ひとまず位置がわかっていればいい。幸い、今回はあくまで酒を飲み語らうだけ。王としての誇りに賭けて、向こうから攻撃されない限り、アーチャーが力を振るうことはないだろう。

 アーチャーの情報が現状以上に露呈することはない。

 

「むしろ問題はアサシンだな……情報収集のために召喚したものの、扱いが難しすぎる。影から見張っていればいいものを、自分まで酒盛りに参加するなどと。強力すぎるのも善し悪しだ。アーチャーとの仲も最悪であるし、いっそここでライダーと戦わせてみるか……?」

 

 今、時臣が一番危険視しているサーヴァントはライダーだ。

 バーサーカーは魔力の供給が膨大で、じきにマスターを食いつぶし自滅するのが眼に見えている。キャスターは既に四面楚歌で、アサシンからの報告で、工房が破壊されたこともわかっている。この二組は思案するまでも無い。

 ランサーも手の内はわかっているし、マスターも貧弱な魔術師だ。これも考慮せずとも問題無いだろう。

 セイバーの実力はまだ計りきれていないが、持っている宝具は真名からすぐにわかる。その威力は不明だが、注意する対象がわかっているだけ対処は可能だ。

 だが、ライダーに関しては対処のしようが無い。まだ実力を秘めていると思われるが、その底がわからない。ならばここでアサシンを使い捨てる気で戦わせ、その実力をあばいてみるか。

 そう時臣は考えたが、

 

「お待ちを、時臣師。この状況でアサシンにライダーを攻撃させると、アサシンに殺意を抱いているアーチャーも参戦してしまうかもしれません。セイバー、ランサーもどう出るかわかりませんし、乱戦となったら思わぬ隙が生じ、アーチャーが討たれる可能性も無いとは言えませぬ。ここは、手出しするべきでないと思います」

 

 綺礼の反対意見が、時臣の案を押しとどめた。

 

「ふむ……確かに、今は余計なことはしない方がよいだろうな。わかった、そのまま報告を中継してくれ」

 

 時臣は頷き、傍らのティーポットを手にとって、紅茶をカップに注ぐ。上品な味と香りに浸りながら、次の報告を待つことにした。

 

   ◆

 

 場が沈黙する。ウェイバーが見るとライダーとアーチャーは困惑、ランサーは悲痛、そしてアサシンはどこか興味深げに聞いていた。

 

「運命を変える? それは過去を、覆すということか?」

 

 沈黙を破り、言葉を口にしたのはまずライダーだった。その声音は戸惑いに満ちている。どんな難解な哲学を聞いたとしても、ここまで首をかしげはしないだろうと言うほどに。そんなに意味不明の言葉を使いはしなかったはずだと、疑問に思いながらもセイバーは肯定する。

 

「そうだ。我が祖国が滅んだあの結末を、私は覆す。悔やんでも悔やみきれぬ、我が責であるがゆえに、この私が変えねばならない」

 

 彼女が統治したケルト人の国は苦難の果てについに滅び、アングロ・サクソン人が変わってイングランドの支配者となった。そのアングロ・サクソン人も、デーン人のヴァイキングに敗れて支配者の地位を奪われた。その後も幾度となく戦いが起こり、王朝は移り変わっていった。まさに栄枯盛衰。不滅の国家などないと歴史が証明している。

 けれど、それでも王として、手段があるのならば見過ごすわけにはいかないのだ。たとえそのために、どれほどこの手を汚そうとも。地獄に落ちる外道に身を染めようとも。

 凛とした面持ちで、セイバーが断言した瞬間、アーチャーの哄笑が迸った。

 

「クッ、クックッ、クックッフヒヒヒ、悔やむ? 王が? ホハハハ、フフフフ、フホホアハハハ!! 王を名乗り、王と讃えられる者が、悔やむ? ケケケ、ノォホホノォホ!! 傑作だ! セイバー、貴様は極上の道化だな!! ウヒヒヒヒヒ!! ハハハハハハーッ!!」

 

 笑い転げるアーチャーの横から、ライダーが口を出す。

 

「ちょっと待て騎士王よ。貴様、よりにもよって、自らが歴史に刻んだ行いを否定するというのか?」

「そうとも。なぜ訝る? なぜ笑う? 王として身命を捧げた故国が滅んだのだ。それを悼むのがどうして可笑しい?」

 

 セイバーの答えに、ライダーは同情の面持ちで口をつぐみ、アーチャーは更に笑う。それこそ腹を抱え、息が出来なくなるほどに、遠慮なく。

 

「おいおい聞いたかライダー! この騎士王とか名乗る小娘は……よりにもよって! 『故国に身命を捧げた』のだと、さ! カッハッハッハッハーーーッ!!」

「笑われる筋合いがどこにある!? 王たる者ならば身を挺して、治める国の繁栄を願うはず!!」

「いいや違う」

 

 断固とした否定を、ライダーが示した。

 

「王が捧げるのではない。国が、民草が、その身命を王に捧げるのだ。断じてその逆ではない」

「何を言う! それは暴君の治世ではないか!! ライダー、アーチャー、貴様らこそ王の風上にも置けぬ外道だぞ!!」

「然り、我らは暴君であるが故に英雄だ。だがなセイバー、自らの治世を、その結末を悔やむ王がいるとしたら、それはただの暗君だ。暴君よりなお始末が悪い」

 

 ウェイバーは考える。どちらに理があるか。

 王には国を治める権利と義務がある。王には国を動かし、犠牲にする権利がある。だが動かすならば、良い方向に動かす義務がある。どちらに重きを置くかの問題だろう。

 

(この場合、どちらも天秤が極端に傾いてる。セイバーは私心を殺して国に尽くす。ライダーは私心全開で国を振り回す。乱世を鎮め平穏を目指した王と、乱世を巻き起こして繁栄を求めた王。これでは水と油、方向性では決着はつかない。どちらが間違っているというわけじゃないんだから)

 

 ウェイバーが思考している間にも、二人の問答は続いている。

 

「イスカンダル。貴様には悔いは無いのか? 貴様もまた世継ぎを葬られ、築き上げた帝国を引き裂かれたはずだ。今一度やり直せたら故国を救う道もあったと……そうは思わないのか?」

「思わん。余の決断、余に付き従った臣下たちの生き様の果てに辿り着いた結末であるならば、その滅びは必定だ。後悔は無い。ましてそれを覆すなど! そんな愚行は余と共に時代を築いた総ての人間に対する侮辱である!!」

「いいや、滅びを誉れとするのは武人だけだ。民の望むものは滅びではなく、救済だ。正しき統制。正しき治世。それによる救済こそが、総ての臣民の望むものだ」

「で、貴様は正しさの奴隷か?」

「そうだ。王とは、国民のために己を捨てて尽くし、正しさを貫く者だ。欲望を消し去り、理想に殉じる者だ。人は王の姿を通して、法と秩序の在り方を知る。王が体現するものは、王と共に滅ぶような儚いものであってはならない。より貴く不滅なるものだ」

 

 その言を聞き、ライダーは憐れみの表情をつくる。

 

「そんな生き方は、ヒトではない。セイバーよ。理想に殉じるなどと言う茨の道に、いったい誰が憧れる? 聖者はたとえ民を慰撫できたとしても、決して導くことなどできぬ。確たる欲望をカタチにしてこそ、極限の栄華を謳ってこそ、民を、国を導けるのだ」

 

 ライダーは、セイバーの王道とは正反対の在り方をかざした。

 

「王とは誰よりもヒトでなくてはならん。誰よりも強欲に、誰よりも豪笑し、誰よりも激怒する、清濁含めてヒトの臨界を極めたる者。そう在るからこそ臣下は王を羨望し、王に魅せられ、自分もまた同じように在らんと、憧憬の火を灯すのだ!!」

「そんな治世の……一体どこに正義がある?」

「無いさ。王道に正義は無い。だからこそ、悔恨も無い。騎士どもの誉れたる王よ。確かに貴様が掲げた正義と理想は、ひとたび国を救い、臣民を救済したやも知れぬ。だがな、ただ救われただけの連中がどういう末路をたどったか、それを知らぬ貴様ではあるまい」

「何――だと?」

「貴様は臣下を救うばかりで、導くことをしなかった。道を見失った臣下を捨て置き、ただ独りですまし顔のまま、小奇麗な理想とやらを思い焦がれていただけよ。故に貴様は生粋の王ではない。王と言う偶像に縛られていただけの、小娘にすぎん」

 

 セイバーに言い返したい言葉はいくらでもあった。だが、そのたびに彼女の最後の光景、カムランの丘の、屍山血河が脳裏に浮かぶ。もしも、自分がライダーと同じ、覇王の道を進んでいたら、きっと乱世はより大きくなり、多くの犠牲を生んでいただろう。だが最後に滅びと言う結末は、避けられたのだろうか。

 そんなセイバーに追い打ちをかけるように、声をあげた者がいた。

 

「セイバー、これは俺も、貴殿の意見には賛同できない」

 

 セイバーは、驚きに目を見開き、声の主の方に首を向けた。それはセイバーが騎士として認める英雄、ランサーだった。

 

「王に仕えた者として、俺はやり直しは望まない。俺の死後、我が主君も友も、戦いの果てに滅んだ。それは哀しいと思う。けれど、俺はグラニアを攫い逃亡する前に戻れればいいと思うことは無い。俺はその時において正しいと思えることをした。グラニアの想いを断ち斬ることはできなかった。その後の戦いにおいても同様だ。今考えても、俺の力ではあれ以上上手くはできなかったと思える。たとえやり直しても、同じ道をたどるだけだろう」

 

 ランサーは我が身を省みて断言する。

 

「だがフィンの方にやり直してほしいとも思わない。我々は全力を尽くしたうえで散ったのだ。それを気に入らないからやり直すと言うのでは、俺たち騎士も、民も、国そのものが、主君が望む結末を迎えるために動く、ただの駒と同じではないか?」

 

 セイバーは絶句する。この聖杯戦争で召喚された中で、最も、いやむしろただ一人、認められるサーヴァントに否定されたことに、流石に言葉を出せなかった。

 

「決して、貴殿が部下たちのことを軽んじているわけではないことは、わかっている。民を、国を、想うゆえ、救いたいゆえだろう。しかし、それでも騎士として俺は、ただ救われるだけでは足りないのだ。無理矢理救われるよりも、納得して滅びたい。そう考えてしまうのだ。まして、幼子を利用するような外道を是としてまで行うとあらば、なおさらだ。仮に俺が貴殿の部下であるなら、俺たちのために、貴殿に汚れ仕事をさせてしまったことを悔いるだろう。だからセイバー、俺は貴殿に賛同できない。」

 

 セイバーを悼みながら、それでもその道を否定する。

 

「だ、だが私は……」

 

 救いたい者たちと、同じような立場の者に、願いを否定され、それでも願いを諦めきれないセイバーであったが、そこに更なる声が上がる。

 今までずっと、会話に参加していなかった男、

 

「セイバーよ。どうしてそう動揺している?」

 

 アサシンがゆったりと、しかしおぞましい存在感をもって、語り始めた。

 

   ◆

 

 アサシンと視覚、聴覚を同調させながら、綺礼は思う。時臣への反論、アサシンを今、ライダーにぶつけるのは良くないという助言。

 しかし、それは時臣の勝利を思ってのことではないと、彼は自覚していた。

 

(今、アサシンを失っては、セイバーを使役している切嗣と戦うことができなくなる)

 

 切嗣を討つと心に誓った彼にとって、アサシンは手放してはならないものだった。いかに綺礼が経験を積んだ代行者とはいえ、サーヴァントを相手にはできない。

 しかしこのままでは、いつまたアサシンを使い潰す命令が出るかわからない。どうにか、アサシンを残すための理由をつくらなくてはならない。

 

(ライダーの実力を明らかにさえすれば、ひとまずアサシンを潰す理由は消える。だがどうすれば……ライダーとキャスターを上手く遭遇させて、戦わせるようにできれば……)

 

 アサシンに双方の居場所を探らせれば、誘き寄せることもできるはずだ。

 

(最終的に時臣師が勝てば問題はない……少し、戦いを操作するだけだ)

 

 既に綺礼には、父や時臣への忠誠や、教会からの命令に従う義務感は薄れていた。

 

   ◆

 

「自分の願いだろう? それが正しいと思ったのだろう? ならば、外野にいる者がどう反対しようが構わないだろう。貫くに足る信念であれば貫けばいい。己が『いい』と思えるなら、どれほど他者に誹られようと『いい』ではないか。たとえその行いが『悪』であっても、何が『悪い』? ただ己が意のままに進めばいいではないか」

 

 一見、セイバーの言葉に賛同するようであったが、セイバーはその甘さを感じる声の中に、こちらを弄ぶ蛇の如き、悪意を嗅ぎ取る。ゆえに、セイバーはアサシンの言葉に、むしろ怒りさえ覚えていた。

 それは、ライダーも同じようだった。侮蔑さえ感じられる眼差しを、ライダーはアサシンに向ける。あれだけその在り方を怒り、否定したセイバーにさえ向けなかった、軽蔑の眼差しだ。

 

「口を開いたと思えば、悪を正当化すること無く、悪のまま是とするとな? まさしく貴様は邪悪の化身よな。まあよい。口を出すなら貴様も語ってもらおうか。己が王道を!」

「フン、そうだな。語ってやってもいい。そもそも……人は一体何を望んで生きているのだと思うね?」

 

 アサシンは座り、両手を組んで下唇に当てた体勢で、己の思想を口にする。

 

「『人間は誰でも不安や恐怖を克服して、安心を得るために生きる』。名声を手に入れたり、人を支配したり、金儲けをするのも安心するためだ。結婚したり、友人をつくったりするのも安心するためだ。人のために役立つだとか、愛と平和のためにだとか、すべて自分を安心させるためだ。それだけよ。安心を求める事こそが人間の目的だ」

 

 人間の行動原理を、全て、ただそれだけだと断言する。セイバーの正義も、ライダーの野望も、全てただそれだけだと言い切った。

 

「王を求める心も同じだ。王に仕えることで安心したい。自分より大きな存在に認められ、受け入れられることで、自分の存在意義を確かめ、安心したい。王の役に立つことで、自分が無能ではないと安心したい。それゆえに、人は王を求める。ならば、王はただそいつらを存分に利用すればいい。それが彼らの安心に繋がるのだ」

「貴様にとって、民も臣下も、道具に過ぎぬか。彼らの捧げる信頼や忠誠心さえ、ただ安心のための自己満足だと言うのか」

「そうだ。道具であることで、彼らは安心できる。何と言っても……」

 

 ライダーから向けられる、汚物を見る様な視線も笑って受け入れ、アサシンは肯定する。

 

「このDIOと敵対するという不安を抱えなくてよいのだからな」

 

 次にアサシンは、セイバーに嘲りの視線を向け、

 

「ゆえに、私もライダーの意見に賛成だよ、セイバー。貴様は王ではなく、ただの小娘だ。貴様は、たかだか問答によって、自分の王道への自信を揺るがした。自分の正しさを貫くことができなかった。自分が間違っているかもしれないと恐れた。それではいけないな。貴様の精神は、王たりえていない」

 

 アサシンは、セイバーの王としての在り方や願いの是非ではなく、ただ意志の強さのみを問題にした。

 

「王とは、『真に恐怖を克服した者』『完全なる勝利者』。そういう存在だ。頂点に立つ者は、ほんのちっぽけな恐怖すら無い者のことだ。国土も、臣下も、財産も、血統も、力も、使命も、王の証にはならない。そんなものは、王であれば後から勝手についてくるものに過ぎん。民を救うだの、臣下を導くだのも、王が王であれば、奴らは勝手に救われる。王を王たらしめるのは、ただ『精神』だ」

 

 アサシンの思う『王』の在り方が語られたところで、アーチャーはフンと鼻を鳴らす。

 

「蚤がこんなにもよく囀るものだとは知らなかったぞ。だがどれほど謳ったところで、所詮は国を治めたこともなく、乱したこともない、ただ多少異能があるもので寄り添い合い、はしゃいでいただけであろう。そんなものが王を説いたところで、むしろ哀れで笑ってしまうところだぞ?」

「国など王の付属物に過ぎんといったぞ? まあ、この世の頂点に立っているなどと、勘違いしたところで満足してしまっている貴様に何を言われても、こちらの方が笑うだけだが」

 

 お互いに笑いながら、視線は地獄のように冷たく、空気が鳴動するほどの殺気を放ちあう。ウェイバーなど、その場にいるだけで押し潰されそうな思いだった。

 

「……いいだろう。いずれはこの我が叩き潰すのだ。酒の席ゆえ、ここは見逃してやる。だがこの我が潰すと言った以上、敗北が貴様の運命よ」

「運命……ね」

 

 運命。アーチャーが何の気なしに言った、その単語にアサシンは奇妙に表情を歪めた。この場にいる何者でもない、何か別のモノを見ているような、そんな眼をしていた。

 

「貴様の王道についてはわかった。ではその王道に基づき、貴様は何を聖杯に願う?」

 

 ライダーが本来この宴の目的である問いを、ついにアサシンにも投げかける。

 

「……ライダーよ。お前は迂遠なことを言っていたな。聖杯に、世界征服を願うつもりなど無い、それでは意味が無いと。私に言わせれば、そんなものはつまらん感傷だ。全ては結果だ。過程や方法などどうでもよかろうに」

 

 ライダーの在り方を否定しながら、アサシンはただ己が意を貫き、語る。

 

「このDIOに、そういった感傷は無い。あるのはただ一つのシンプルな思考……『勝利して支配する』。それだけよ、それだけが満足感よ」

「では貴様の願いは、聖杯に世界征服を願うということなのか?」

「いいや違う。私の目的はそんな簡単なことではない。人は安心を求めて生きていると言っただろう? 世界を征服することは、このDIOにかかれば容易いことだが、それでは真の安心は、真の勝利はもたらされない。私の目的はより高みにある。だがそこへ行くためには、断ち斬っておかねばならないことがある」

 

 アサシンのまとっていた、超然とした、他者を見下す神のような隔絶した態度が崩れた。泣き、怒り、笑う、そんな感情を持った、ただの人間と変わらぬものになった。

 だがそれは弱体化したのではない。むしろ邪悪な存在感はより濃厚に、強烈に、暴力的なまでに周囲を威圧していた。遠く隔てられていたものが、いきなり触れあえるまで至近に現れたようだった。ただ存在し見下ろすだけだった者が、実際に罰を与えられるところまで降りてきた。

 アサシンがそうなったのは、これから語る願いが、まさにアサシンの真の願い。アサシンの心をさらけ出すことになるからであろう。

 

「運命を断ち斬らねばならない。このDIOの前に、幾度も立ちはだかる、1世紀を超える、忌わしい『運命』を」

 

 アサシンの最大の願い。『勝利』も『支配』も『その先』も、結局はそれさえ叶えば、確実に手に入る。

 

 世界征服を容易いと豪語するアサシンをして、あなどれぬと感じる、唯一の存在。

 アサシンに苦渋と屈辱を味あわせ続けた、対極の存在。

 

 最後に残った――『ちっぽけな恐怖』。

 

 どんな卑劣卑怯な手段を使おうと、非道無道な行為に手を染めようと、確実に、絶対に果たすべき、その願い。それこそは、

 

「我が宿敵――『ジョースターの抹殺』」

 

 そう、それこそが。

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 

 


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