ハリー・ポッターと十六進数の女   作:‌でっていう

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良くも悪くも、なにか思うところがありましたら、感想でお伝えいただけると幸いです。



第一章 アルーペ・ミーティスと賢者の石
第01話 アルーペ・F・ミーティス


「一番線ご注意ください、各停高尾山口ゆき参ります。黄色い線までお下がりください」

 

その放送は、杉の宮駅のまだ新しい自動改札に駆け込んだ少女の耳にも聞こえてきた。

彼女は相当な読書好きで、今日も図書館で借りてきた『ハリー・ポッターと死の秘宝』『魔女の宅急便 その五』を鞄に収めていた。

一刻も早く家で読むために、今こうして階段を一段飛ばしで駆け上がっている。電車のモーター音らしき響きが背中を押す。

 

幸いにも、電車はまだホームに差し掛かったばかりだった。坂を駆け下り、階段を駆け上がりと休む暇もなかった彼女は、やっと呼吸を整えることを許された。

電車がすぐ近くまで迫ったとき、ふと背後に人間の気配を感じた。少女はゆっくり振り向くが、誰もいない。気のせいだったのだろう。

前に視線を戻すと、自分の目が、身体が、おかしな位置にあることに気づいた。何故、真横に電車の連結器が見えるのだろうか。

 

——彼女は、非常ブレーキをかける電車の向こうに消えた。

 


 

運転士および目撃者の「少女が線路に転落した」との証言を受け、しばらく周辺の捜索が行われたが、人間が線路に立ち入った形跡は見られなかった。線路に飛び込む霊といった心霊現象の類は珍しいことではあるが、前例のないものではなく、今回もそういうことだったのだろう、ということで一時は納得された。

 

しかし、翌日、それと同時に行方をくらませた少女が存在することが判明した。また、当初は無関係と思われていた、ホーム上に落ちていた鞄から発見された身分証は、その少女のものだった。目撃者の語る外見もその少女のものとほぼ一致し、心霊現象で片付けることはできなくなった。

 

目撃証言によれば、少女のほかに人影はなく、ふらついていた様子もなかったため、誰かに突き落とされたり誤って転落したりしたのではないと考えられる。しかしながら、遺された鞄にはまだ手を付けていない状態の図書館の本が入っており、それを読まずにこの世を去る理由はなかった。

 

結局、彼女の『消滅』は謎に包まれたままとなった。

 


 

一九八一年・二月二日。イギリス郊外の森にある一軒の屋敷。一般家庭の十倍はあろう大きさであるが、ここにある人影は二つだけだった。

そのうち一人は使用人のアリスという名の女で、手のひらほどの大きさの札の束を持ち、もう一人である赤ん坊と向き合っていた。札は十六枚あり、0から9の数字とAからFのアルファベットがそれぞれに書かれていた。

 

「ではアルーペ。どれか一枚を選んでください」

 

赤ん坊の名はアルーペ・F・ミーティスといった。今日、一歳の誕生日を迎えたばかりである。アリスが札を数字のある面を下にして無作為に並べると、アルーペは迷いなくそのうち一枚を、餅のような柔らかい、しかし力強い手で掴んだ。書かれた数字を確認すれば、「0」であった。

 

アリスは札を再び無作為に並び替え、同じようにアルーペに選ばせることを二度繰り返した。しかし、アルーペの選んだ札はすべて「0」であった。

 

「0、0、0、ですか……。0番なんてありましたっけ……」

 

十六種類の札を三回選ぶ方法は、順番を考えれば四〇九六通りである。ある数字が選ばれる確率は等しく四〇九六分の一で、「000」だからといって変わるものではないのだが、これは普通ではないことだとアリスは思った。そして、札を回収すると、アルーペを残して部屋を去った。一歳児を一人で放置するのは褒められた行為ではないかもしれないが、どういうわけか、アリスはこれが問題のないことであると確信していたようだった。

 

しばらくしないうちに、アリスは再びアルーペの前に戻ってきたが、今度は札ではなく一本の棒を持っていた。木製で、指揮棒の持ち手以外の部分を太くし、握りやすい持ち手つけたらこんな感じだろう、という大きさと形をしていた。目を引くのは、持ち手の一番端の部分にある、五つの宝石だった。その色は、アルーペの瞳のそれととても近いものに見えた。

 

アリスはこの棒をアルーペにしっかりと握らせた。すると、アルーペはしばらく好き勝手にそれを振り回した後、満足そうに微笑んだ。

 

「よしよし、大丈夫そうですね。えーっと、これは使えるようになるまではおあずけですよ」

 

これはアリスにとっても好ましい結果であったようだったが、棒はアルーペの手からは取り上げられた。アルーペは寂しそうに微笑みをくずしたが、アリスは譲れないようだった。

 

「だめですよ、お腹が空いたからといって家を吹き飛ばされてはたまりませんからね」

 


 

「向ヶ丘遊園、向ヶ丘遊園です。お出口右側です。急行の止まらない生田、読売ランド前、百合ヶ丘へお越しのお客様は後からまいります各駅停車をご利用ください」

 

はぁ、やっとついた……。箒で飛べたら一瞬なのに、電車って不便だ。猫も乗せてもらえないし……。ようやく最寄駅に着いた電車から降りると、今度は『夏』に襲われた。つまり、とてもじめじめしていて、とても暑い。熱された地面から離れた空の上なら、もう少しマシなはずだ。

 

細い路地を抜け、川を渡り、線路沿いのマンションまでは四分ほどだったが、その一瞬で、汗だくになるには十分だった。

 

「ただいまー。あっジジ、外に出たら蒸し猫になっちゃうわよ」

 

玄関を開けると、いつも通り黒猫のジジが出迎えてくれた。とりあえず、まずは水を飲まないと干からびてしまう。台所でコップをひっつかみ、冷蔵庫へ直行、お茶を飲み、とりあえず生き返った。おやつにパンでも食べようとそのまま冷蔵庫を漁っていると、呼び鈴が鳴った。

 

「桔梗、出て〜!」

「はーい」

 

かあさんに代わって玄関まで戻って戸を開けると、訪ねてきたのは見慣れない服装の女性だった。黒いローブに三角帽子を被り、まるでハロウィンの仮装のようだ。魔女を意識しているのだろうか。すこし歳を取っているのが余計にそう思わせる。

 

「——えぇと、どちらさまで?」

「こんにちは。渡邉桔梗(ききょう)さんのお宅ですか?」

「はい、あたしが桔梗ですが……」

「私、ホグワーツ魔法魔術学校のミネルバ・マクゴナガルと——」

 

なんと、本当に魔女らしい。

 

「あ、うちはそういうの結構です……」

 

そんなわけないでしょ。怪しい宗教の勧誘か何かかと思い、とっさに断ろうとした。しかし、マクゴナガルとやらは食い下がる様子なく話を続けた。まるで借金の取り立てにでも来たようだ。

 

「まあまあ、そう言わずに聞いてくださいお嬢さん。これを——」

「えぇと、これは……」

 

自称魔女の老婆は、なにやら豪華な装飾の施された黄ばんだ封筒を取り出した。中を開いてみれば、二枚の羊皮紙が入っており、そのうち一枚に目をやると、こんなことが書いてあった。

 

『ホグワーツ魔法魔術学校

校長 アルバス・ダンブルドア

親愛なる渡邉殿

このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書ならびに必要な教材の一覧を同封いたします。

新学期は九月一日に始まります。

敬具

副校長 ミネルバ・マクゴナガル』

 

なんと、魔法学校なるものがあるらしい。魔法というだけでも十分おかしいのに、それを学校で教えようというのか。なかなか凝った設定だ。しかし、『入学を許可』? そんなもの求めた覚えはない。

 

「べつに許可していただかなくて結構ですから帰ってください。警察を呼びますよ?」

「いいえ、真面目なお話ですよ。とりあえず、説明のために、保護者の方とお話ししたいのですが……」

「えーっと……」

 

確かに面倒だし代わってもらおうか、とかあさんの姿を探すと、何故か嬉しそうな顔で、すでにお茶の準備を始めているのが見えた。これを家に招こうというのか。

 

「……とりあえず上がってください」

「ありがとうございます。ところで、産まれは日本ではないのですか?」

「え? 日本生まれ日本育ちですが……」

「いえ、カーテシーをされていたので」

「カーテシー?」

「今のお辞儀です」

 

思い返すと、無意識のうちに片足を下げてお辞儀をしていた。そういえば、『現世』ではこれはヨーロッパ式のお辞儀だったか。『前世』では普通にやっていたが、あそこはヨーロッパだったのだろうか。

すっかり忘れていたが、その『前世』には『魔女』が実在していたのだった。何を隠そう、自分が魔女だったのだから。じゃあ、この副校長様の言うことが信じられるかといえば、そうではない。魔法は『魔法学校』で学ぶものでは決してなかった。

『前世』の存在を知った、思い出した? のは最近のことであるが、そのときにはすでにあたしの常識は『現世』のものだった。『魔法』を非常識だと断じてしまえたのは、少し寂しい気もする。

 

「はい、うちの娘が、魔女!? すごいじゃない! えぇ、本人さえよければ、ぜひ!」

 

いつのまにかかあさんとマクゴナガルの間で話がまとまっていた。なんというか、疑う心というのはないのだろうか。『前世』ですら、自分が魔女だと明かした時、周囲の反応はとても良好とは言い難かったのに。何ヶ月もかけて、やっと信頼を得たのである。

うん? では、自分がそちら側ということもありえるのではないか。すぐに信頼できないような『非常識』に遭遇し、しかしそれが実在するのであれば。自分が魔女というのもありえていいのではないか。それならば——。

 

マクゴナガルを居間に通しているかあさんの横をすり抜けて、自室に飛び込むと、一本のデッキブラシが目に入った。この家に来た時からなぜか置いてあったが、今思えば、『転生』前に使っていたのと全く同じやつだ。そして、ジジに話しかけた。

 

「ジジ、あたし、ここでも魔女だと思う?」

 

話しかけてから気づいたが、猫と話せるのは、魔女の特権だ。なんだ、とっくに答えは出ていたというわけだ。デッキブラシにまたがって——そうそう、これこれ。感覚がいきいきと蘇ってきた。そして、いつもやっていたように——

 

「飛べ!」

 


 

「えぇ! なんではやく言ってくれなかったの! 自分の子が魔女だなんて、これ以上ない誇りよ!」

 

案の定、かあさんは自分の子が魔女『であった』ことをすんなりと受け入れてしまった。親とは元来こういうものだ。それが分かるのは、自分も親『だった』からだ。

 

「で、桔梗さん。ホグワーツは……」

「もちろん、行きたいですね。あたしが知ってた魔法とはなにか違うようですし……」

 

『前世』で自分が使えた魔法は、飛ぶこと、『くしゃみの薬』を作ること、ジジと会話することだけである。しかし、『昔はもっと色々な魔法が使えた』なんて話を聞いたことがある。もしかしたら、この世界はその『昔』なのかもしれない。魔女として、魔法を学ぶ機会を逃すという選択肢はなかった。

 

「やっぱり——いや、なんでもないです。ではこちらを」

「リストとやらね。えーと——」

 

マクゴナガルは何か言おうとしていたが、重要なことではなかったのか、購入品の一覧を渡すことを優先した。変身術やら魔法薬やらの教科書や、杖やら大鍋やらの道具が列挙されていたが、一番重要そうなのは、『ペットはフクロウ・ネコ・ヒキガエルの持ち込みを許可します』と、『一年生は、個人用箒の持参は許されていないことを、保護者はご確認ください』だった。

 

ジジは猫であるから、持ち込みができないのであれば、ここに置いておかなければならないことになる。それは少々どころではなく寂しいので、許可されていて助かった。箒についてはもちろん乗り慣れたもののほうが嬉しいが、書きぶりからすると共用のものならあるのだろう。いざとなれば掃除用の箒でも使えばいい。

 

「色々あるんですね。これ、どこに売ってるんですか?」

 

隣で手紙を読んでいたかあさんがマクゴナガルに聞いた。確かに、近くでこんな奇妙なものを売っているのは見たことない。

 

「全部、ロンドンで買えますよ」

 

え……? 今なんて?

 

「ロンドンってイギリスの……ですか?」

 

いや、確かにこの魔女は日本人には見えなかったし、さっきから平然と英語で話しかけてきているし、嫌な予感はしていたが。よりによって、ロンドンなのか。日本から見れば、大陸の向こう側。距離にしておよそ一万キロメートルである。日本かせめてアメリカに魔法学校とやらはなかったのか。というか英語なんて喋れ……あれ、今あたしが読んで、聞いてるの、英語だよね? 戸惑っていると、かあさんがちょうどよく質問をしてくれた。

 

「そもそもイギリスって、日本語通じません、よね……?」

「そのへんは心配しなくて大丈夫です。イギリスまでは『付き添い姿あらわし』の魔法で一瞬ですし、私が今しゃべってるのも英語です」

「えっ……そういえば、英語だ……あれ……?」

 

かあさんも遅れて今英語で喋られ、それを聞き取っていることに気づいたようだ。日本語を話しているのと全く同じ感覚で英語が耳に入っている。一体どういうことだ。

 

「実は、英語が使えるようになる魔法をかけさせていただいています。でも、学校でずっとそうしていることはできないので……」

 

なるほど、魔法か。どうやら『こっち』の魔法はずいぶんなんでもありらしい。超常現象はすべて魔法で説明がつくかもしれない。それで、マクゴナガルが取り出したのは銀色の……指輪? だろうか。

 

「これに魔法をかけておきました。これをつけてれば大丈夫ですよ」

「へぇ……すごい……」

 

どうやら指輪に魔法を定着させることもできるようだ。受け取って指にはめてみると、サイズはぴったりだった。というか今ぴったりになるように変形した? とりあえず呪いがかかっていたりとか、そんなことはなさそうだ。

 

「では、八月はじめごろまたお伺いしますね」

「あっはい、よろしくお願いします……」

 

状況をいまいち飲み込めていないが、マクゴナガルは玄関を出るとつま先で一回転し——その場から消えた。

 


 

私が『姿現し』した先はロンドン郊外の森の中。少し歩くと、大きな屋敷が見えてきた。門の横の看板には「御用の方は門が開くまでお待ちください ミーティス」と書かれている。行先はここで間違っていなさそうだが、待てとはどういうことか。書かれている通りにそこに十秒ほど立っていると、両開きの門がひとりでに開いた。

……入れ、ということでいいのだろうか。そう信じて目の前の屋敷の玄関へ歩いて行った。どうやら間違ってはいなかったらしく、金髪の少女が出迎えてくれた。

 

「いらっしゃい! なんのご用事ですか?」

「私、ホグワーツ魔法魔術学校のミネルバ・マクゴナガルという者です。アルーぺ・ミーティスさんですか?」

「わたしがアルーペですが。えっと、魔術学校?」

「はい。今回はミーティスさんが魔女として入学を許可されたことをお伝えしに来ました」

「えと、あの、学校? 許可? わたし、魔法は学校じゃなくて、あー……! もしかして……」

 

なんだか様子がおかしい。魔法の存在を知っているのだろうか……? 私が派遣されたということは、彼女はマグル生まれ、つまり、非魔法族であった人のはずだが……。

 

「もしかして?」

「わたしたちがまだ知らない種類の魔法、それを学べるとかですか?」

 

なるほど、別の種類の魔法……。さっきの桔梗という子もただのデッキブラシで空を飛んでいたし、違う種類の魔法を使っていたのかもしれない。教師をやっている以上、魔法に詳しいつもりではいたのだが、この世界は思ったより広いようだ。……自分も使えたりしないだろうか。

 

「……かもしれません。少なくとも我が校では、ミーティス家の生徒をお迎えするのはこれが初めてです」

「——ちょっと、中で詳しくお話を伺えませんか?」

「ええ、構いませんよ。今日の訪問はあなたで最後ですし」

「じゃあ……」

 

アルーペは胸ポケットから紙と万年筆を取り出した。魔法界ではまだ羽ペンが優勢であり、万年筆を見たのは久々だ。

 

「ここに、名前を書いてください」

「はい。——何故ですか?」

 

疑問に思いながらもサインをすると、紙が消え去ってしまった。少女が相手なのでよく考えなかったが、魔法がかかっているかもしれないものに軽率に名前を書くべきではなかったかもしれない。

 

「先祖の魔女が遺したこの家の護りのひとつですよ。どうやらマクゴナガルさんは有害な者ではないと判定されたみたいです」

「なるほど……。もしかして、門のところもそうですか?」

 

そういえば、この家にいると根拠はないが安心感がある気がする。護りとやらの効果なのだろうか。

 

「はい。お客さんが来ると家の人にわかるようになってて、危ない人だったらその場で拘束、そうじゃなければ門が開くようになってます。心を読んで判定してるのかな? わたしにはまだ手の届かない魔法でよく分からないんですけど……」

「なるほど……。そうとう高度な魔法なんですね」

「すごすぎてわたしが一生かけても使えるようになるかどうか……。あぁっ、わたしったら、こんな暑いのに長々と外で……。ごめんなさい。どうぞ入ってください」

 

あの日本とかいう国よりはよっぽど涼しいのだが。というか、日本にも魔法学校はあるのに、桔梗はなぜホグワーツに迎える必要があるのだろうか。校長から特別な話は聞いていないのだが……。

 

アルーペについていくと、応接間と思われる部屋へ案内された。こんな山奥なのに、そこそこ客が来るということか。あるいは、かつては来ていたのか。

 

「特製の紅茶です、どうぞ」

「ありがとうございます……。これは美味しいですね。——なにからお話すればいいですかね?」

「うーん、マクゴナガルさんたちの使う魔法っていうのは、どんなものなんですか? なにか使ってみてくれますか?」

「では……」

 

実際に魔法を披露するのは、マグル生まれに説明する際によくやることだ。ひと目で魔法だとわかりやすい呪文を使うのが定番。

 

「『ウィンガーディアム・レヴィオーサ(浮遊せよ)』!」

 

美味しい紅茶のカップが宙に浮いた。こぼれないように安定して浮かせるのはそれなりに難しかったりする。アルーペはカップや杖、私の顔を興味深そうに眺めている。

 

「今唱えたのは呪文、ですよね。これは唱えないと発動できないんですか?」

「そういうわけではなく、無言呪文というのもありますが、唱えたときと比べると若干効果が弱まってしまいますね」

「そっかぁ。それは面白いですね。わたしたちの魔法は、自分で使ってる魔法をわかりやすくする時に『魔法名』を唱える以外は頭の中で杖から選ぶだけです」

 

呪文について説明すると、アルーペも自分の魔法について語りはじめた。全く知らないものの説明を聞くというのは、なんだか学生時代を思い出して、年甲斐もなくわくわくする。

 

「杖から……? 杖に魔法が記録されているのですか?」

「うーん、自分の杖に全部書いてあるってわけじゃなくて、ほかの杖にも分散して記録されてるんです。四〇九六本だったかな、家にあるたくさんの杖がネットワークとかいうので繋がってて、まあ、最終的に自分の杖から読み込むようになってます」

「四〇九六!?」

 

それは、なかなか規模の大きな話だ。ネットワークというと、煙突飛行ネットワークのようなものだと思われるが、イギリス全体でもそんなに魔法使いの暖炉があったかどうか。その量がこの家の中で、ということのようだ。

 

「はい。むかしは自分の作った魔法を自分の作った杖に入れる、って感じだったらしいんですけど、杖の出来を競っていたら、ちょっとヤバい感じの魔法まで出てきちゃったらしくて……。それで優劣を決めようと決闘なんてしようものなら大惨事、ということでいつだか全部つなげて共有することになったらしいです」

「なるほど、理屈は分かったような気がします。自分の杖、とおっしゃいましたが、やっぱり他の杖ではダメということでしょうか?」

「そうですね。一本だけ選んで、それを一生使います。たしか一歳の時に選ばされたとかなんとか、ぜんぜん覚えてないんですけどね。杖に選ばれたと言ったほうが近いかもしれません」

 

アルーペは木の棒を取り出した。なるほど、見た目は我々の杖によく似ているらしい。持ち主との結びつきがあり、それも杖に「選ばれる」というのも同じだ。違うところばかり聞いていたので、類似点もあるというのは少しほっとする。

 

「そうだ、さっきのを『魔法名』で検索をかけてみたいんですけど、呪文をもう一度唱えていただけますか?」

「えぇと、かまいませんが。『ウィンガーディアム・レヴィオーサ』です。伸ばすところはしっかり伸ばして、正確に発音しないといけません」

 

聞かれてもいないことまで、それも『変身術』の範囲でないのに答えてしまったが、まあ間違ったことは言ってないので問題ないだろう。

 

「なんか、ちょくちょく『既知感』っていうんですか? なんか知ってるような気がするんです。取り入れたことがあるのかもしれないです。えっと、ウィンガーディアム・レヴィオーサ……」

 

アルーペは杖を握って目をつぶった。取り入れた、とは一体どういうことだろうか。『魔法名』とやらと呪文は違うのではなかったのか。検索をかける、というのもなかなか魔法らしくない言葉である。マグルのコンピュータ、だっただろうか、目に見えない情報の記録というと、それに似ている気がする。

 

「あった、ありました。でも……」

「でも?」

「魔法名だけ登録されてて、その他の情報がなにも……。少なくとも使える状態じゃないです。なんでだろ、今までこんなことなかったのになぁ……。うーん、魔法本体が記録されてないってことは、知らないって考えていいかも……しれません」

 

逆に言えば、魔法名とやらには記録されているということか。いまいちよく分からないので、もう少し質問をしてみることにする。

 

「さっき言っていた、取り入れる、というのは?」

「えーっと、文字通りです。知らない魔法を知ってる魔法に変換するというか、使えるようにする、というか……。実際やってみたことも具体的な話を聞いたことも無くて、よく分からないんですけど」

 

そういえば、アルーペの両親はアルーペが産まれてすぐに亡くなっている、という話だけは校長から聞いていた。ならば、この娘は今までどうやって魔法を学んできたというのか。杖たちに記録されている情報というのは、両親からの教育以上のものなのだろうか。まだまだ聞きたいことは色々あるが、他界した家族の話というのはあまり気軽なものではない。それに——

 

「でも、ホグワーツ……? に入学を許可されたってことは、わたしもさっきみたいな魔法を使える……ようになるんですよね」

 

——学びたいことがあるのは、私だけではない。むしろ、彼女こそがこれから学ぶべき「生徒」であることを忘れてはいけない。

 

「もちろんです。ホグワーツはそのための場所であり、あなたは魔法が使える見込みがあるからこそ入学を許可されたのですから。あぁ、こちら、先にお渡しすべきでした」

 

桔梗の時と同じ、入学許可証と教材の一覧を渡した。アルーペは許可証のほうをさっと読み通すと、教材のほうを見て首を傾げた。

 

「うーん、聞いたことないのしかない……。うちの図書館にあれば早かったんですけど。これ、どこで買えるんですか?」

 

これまた桔梗のときと同じ反応だ。

 

「全部ロンドンで買えますよ」

「えぇっ。見たことないですよ、こんないかにもなもの。どっかに隠されてるとか……?」

「そうですよ。魔法使いの商店街があって、そこへの入り口は魔法族にしか見えなくなっているのです」

 

魔法使いの商店街、という響きはアルーペの興味を惹くには十分だったらしく、さっきまで少し大人びた雰囲気を醸していた少女は、やっと年相応の輝きを見せた。

 

「えっと、それの入口はどこにあるんですか?」

「『漏れ鍋』って店なんですけど、それは後ほどまたお伺いしますので、そのときにご案内しますね」

「あ、はい。よろしくお願いします」

「では、今日はこれで失礼させていただきます」

 

席を立ち玄関へと向かうと、外に出る直前で呼び止められた。

 

「あ、帰るのは、転移魔法かなにかですか?」

「はい。『姿現し』で……」

「それなら門の外で使ってくださいね。敷地内で使おうとすると閉じ込められちゃいますよ」

「えぇっ」

 

そういえば、この屋敷には『護り』がかかっているのだった。これもその一種だろう。ホグワーツにも姿あらわしを妨害する呪文はかかっているが、『閉じ込められる』とはどういうことなのか……。

 

「なんか、異空間に送られてしまうとかなんとかで、入ったら最後、そこからは出られないらしいです。いつもなら注意書きの看板があるんですが、間違って爆破しちゃって……。いま、作り直してるところなんです」

 

異空間……。少し背筋がぞくっとした。確かにそれでは悪事を働く気にはなれない。

 

「では、お邪魔しました」

「お気をつけて〜」

 

自分の身体がミーティス家の敷地をしっかりと出ていることを確認して、姿あらわしでホグワーツへと戻った。……さっき爆破したとか言ってませんでした?

 


 

あとがきに、本編とは直接関係ない裏設定などを載せておきます。邪魔なら非表示にしてもらっても大丈夫です(たぶん)。




原作の設定についてですが、基本的に小説本編1-7巻で判明している時点での設定のみを採用します。スピンオフなどで情報が後出しされる度に合わせるのは無理がありますので、矛盾があったりこれから増えたりするかもしれませんがご了承ください。

ロンドン郊外の森
 そんなものあるの?

電車にネコ
 桔梗は知らないが、ケージに入れれば猫も乗れるらしい(小田急の場合)。

渡邉桔梗
 お気づきの通り、『魔女の宅急便』のキキ。ジブリ映画が一番有名ですが、原作の小説があり、そちらはキキの子世代まで話が続きます。
 「きき」じゃキラキラネームすぎたので「ききょう」であだ名を「キキ」に。ちょっと無理ある。
 ちなみに、原作ジブリともに日本人であるという描写はありません。

翻訳指輪
 いつかAIで実現するかな?

姿現し
 原作本編では特に触れられていなかったと思いますが、スピンオフの映画とか見る限り、公式設定では国境を超えるのは想定されていなさそうですね。先述の通り、今作では独自設定とさせていただいてます。

アルーペ・F・ミーティス(Alupeg F Meetith)
 ふわっとした感じの金髪をイメージ。
 性格は「ロロナのアトリエ」のロロナみたいな感じ。
 庭にある看板を爆破するぐらいにはおっちょこちょい。

 苗字はラテン語で「温厚」という意味らしいですが、適当に響きがいいのを選んだだけです。アルーペはたぶん温厚です。たぶん。

魔法名
 コンピュータプログラムでいう関数名的な。アドレスが分かっていれば関数名が分からなくても関数を呼べるのと同じイメージで、いちいち唱えなくても魔法は使える。

ちなみに今回一番迷ったのは「数字の表記方法」だったりします。縦書きを想定して全角アラビア数字か漢数字を使うのが適切なのですが、今回は10進数を漢数字、16進数をアラビア数字としました。ASCII文字は半角にすることにしました。書式の設定はプレーンテキスト上ですべきではないです。

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