菫子の恋華想
迷いの竹林ーー
無限に、無数の竹が織り成す迷宮、迷いの竹林。
入った者は余程運が良くないと生きては出られない。
「ーーとか言ってたのに今ではかなり安全よね〜♪」
「まぁ、今は人間も妖怪も隔たりがないからな……拒む必要が無いんじゃ、竹林だって永遠亭まで行けるようにしなきゃいけないんだよ」
竹林の入口付近にある藤原妹紅邸(小屋)には、昼間なのにも関わらず、あの宇佐見菫子が訪れていた。
菫子が幻想郷にいるということは、元の本体は外の世界で就寝中。菫子は高校の授業中でもこうして眠り、幻想郷へ遊びに来ているのだ。
近頃の幻想郷は人と妖の壁が薄くなり、人里でも妖怪が住めるほどにまで溶け込んでいる。それでも悪い妖怪はいるが、それは人間も同じこと……なので善良な者達は人里で共存しているのだ。
そのお陰か迷いの竹林には立札が各所に立ててあり、永遠亭の場所も妹紅の案内無しでも行けるように施されている。
「……それより、私のところにきてていいのか?」
「へ、なんで?」
妹紅の言葉に菫子が小首を傾げると、妹紅は何やら呆れたような感じで頭を掻いた。
「こっちに来たってことは、あいつに会いに来たんだろ?」
「えっと……それはその……まぁ」
菫子は妹紅の指摘に何やら歯切れ悪く返す。更には目は泳ぎに泳ぎ、頬もほんのりと赤くなっている。
「今更何恥ずかしがってるんだ? いつも人里でいちゃついてるくせに」
「いちゃいちゃちゅっちゅなんてしてません!」
「ちゅっちゅとまでは言ってないだろ……てかちゅっちゅってなんだよ、ちゅっちゅって……」
「ちゅっちゅ、ちゅっちゅ言わないでください!」
元々はお前が言ったのに……と妹紅は思ったが、顔や耳を真っ赤にして慌てる菫子が気の毒になったので、妹紅は何も言わずにやんわりと謝った。
「あ、あの人は今お仕事中だもん……だからこうやって妹紅さんのところにーー」
「暇を潰しに来た、と」
「あ・そ・び・に! 来たんです!」
「はいはい、そういうことにしておいてやるよ」
妹紅が珍しくケラケラと笑いながら菫子に返すと、菫子は妹紅を恨めしそうに睨むのだった。
菫子はこの幻想郷に恋人がいる。
それは人里で万屋を営む人間の青年。
きっかけは菫子が質の悪い妖怪に連れ攫われるところを助け出してもらったことからで、それから妹紅と青年が知り合いだったこともあり、妹紅のお陰でお近付きになり、今に至る。
「てか、あいつの家で待ってればいいんじゃないの?」
「いやいやいやいや! 無理無理無理無理無理!」
「何回同じこと言うんだよ……」
「だだ、だって……私これまでお付き合いしたことないし、あの人が初めてだし、勝手に家に上がったら変な子だって思われちゃうし、お行儀悪いし……」
ブツクサとあの手この手の理由をあげ出す菫子。青年は豪快で細かなことは気にしない質だと言うのに、菫子はその真逆で慎重かつ論理的に物事を進める。
妹紅は内心、良くこんなに性格が違うのに上手く行ってるな……と思いつつ、菫子の言葉を止めた。
「大丈夫だって、あいつなら。それに仕事が終わって、家に帰ると出迎えてくれる人がいるって当たり前のようで幸せなことだぞ?」
「で、でも……」
「人里じゃ、二人が付き合ってるって知らない人はいないんだし、勝手に入ったって何も思われないって」
「……妹紅さんも来てくれる……?」
「なんで私がそこまで面倒見なきゃいけないんだよ。それくらい一人でやれよ」
「ですよね〜……」
どうしようどうしようと落ち着きを無くしてしまった菫子に妹紅は小さくため息を吐くと、スッと立ち上がって押入れから一リットルのペットボトルほどの瓶を取り出した。
「これ、私が作ったメンマ。あいつにお裾分けしようとしてたやつ。菫子が持っていって渡して」
「……妹紅さん」
妹紅は菫子に青年の家に行く理由をくれたのだ。それを理解した菫子は妹紅からその瓶を預かると、笑顔でお礼を言ってから、走って青年の家へと向かう。
「私もなんだかんだ言いながらお人好しだねぇ……」
小さくなる菫子の背中を見送りながら、妹紅はそう言って小さく笑うと、竹炭を作る作業へ向うのだった。
人里ーー
青年の家の前までやってきた菫子。荒れた息を整え、服の埃を払い、そして小さく深呼吸。
「お、お邪魔しま〜す……」
戸を開け、小さな声で一言言ってから入る。
当然中には誰もおらず、部屋の隅に畳まれた布団と小さな箪笥だけがちょこんと置いてあるだけ。
(改めて見ると、必要最低限の物しかないって感じ……)
菫子はそう思うと、普段自分がどれだけ青年のことしか眼中にないのかを思い知らされた。それと同時に、
(でもこの素朴な感じ……嫌いじゃないなぁ)
とも思うのだった。
外の世界……普段の自分の周りは物が溢れ、物があることがステータスみたいなところがある。それなのに幻想郷では物がなくても十分生活出来るのだから、凄いと思う。
多少の不便はあっても殆どが許せる範囲であり、ここで普通に生活する分なら何ら困らない。自分のいる世界がどれだけ進歩しているのか、どれだけのことを忘れているのか、どれだけ忙しいのか……そんな雑念、雑音等が無いからこそ、自分は幻想郷が好きなのかもしれない。
「人ん家の中でボーッと突っ立って何してんだ?」
不意に後ろから声をかけられた菫子は思わずビクーンと肩が震え、心臓が口から飛び出すのではないというほど驚いた。
振り返るとそこには顔がすすだらけの愛しい恋人が立っており、自分の顔を不思議そうに見つめている。
すると青年は「まぁ、いいか」とつぶやき、菫子の頭を軽く叩くようにポンポンと撫でた。
「ただいま、菫子♪」
「お、お帰りなさい……♡」
単なる他愛もない挨拶。しかし菫子にとってはそれも胸がときめく瞬間だ。何故なら大好きな人の笑顔がすぐ近くにあるから。
青年は「ちょっと待ってな」と言って菫子を座敷に上がるよう促す。
すると青年は水瓶から桶に水を入れ、手ぬぐいを濡らして汚れた顔や手、上半身、脚と仕事の汚れを取り除いていった。
(良かった……怪我してない)
菫子は青年の背中を見ながら、青年が無事であることに安堵する。
青年は万屋であるが故、危険な仕事も引き受け、怪我をする時もあるのだ。
その証拠に青年の背中や腕、脚には無数の傷跡があり、中でも目立つ大きな三本の傷跡は熊退治で負ったもの。
菫子としては心配で仕方ないが、青年はこの仕事にやり甲斐を感じているのでそれを止めてとは言えない。
「そんなに見てても何も出ねぇぞ?」
「あ……ご、ごめんなさい……」
菫子は急いで視線を逸らして謝ると、青年は服を着直して菫子の隣に座った。
「そんな心配すんなよ。ヤバイと思えば俺だって逃げるからよ」
「でも仕事は完遂するんでしょ?」
「まぁな、でなきゃ万屋なんて名乗れないからな♪」
屈託のない笑みで言う青年を見て、菫子は何も言葉を返せなくなる。それと同時に自分の不甲斐なさが溢れてきた。自分よりも少し歳上、それも自分の周りでは大学生だったり、もっと普通の仕事をしている年齢……。
どうしてこうも違うのか、どうしてこうも立派なのか、どうしてこうも前向きに生きられるのだろうか……本当に自分がまだまだ未熟だと思えて仕方なかった。
「おい」
「え……ふみゅ!?」
突然青年に両頬をムニムニされる菫子。
「湿気た面してんじゃねぇよ。菫子は俺の隣で笑ってればいい。笑顔で俺の帰りを待ってればいい。ちゃんと俺は菫子の所に帰るから」
そう言うと青年は「な?♪」と菫子に笑みを見せる。
菫子はそんな青年の笑顔を見て、自分もそれにつられるように笑みを浮かべた。
「好きだ、菫子……」
「私も……大好きです♡」
二人で愛の言葉をささやき合うと、次は自然と互いの唇を重ね合わせ、二人は幸せな笑みを浮かべるのだったーー。
宇佐見菫子編終わりです!
随分と日が空いてしまい申し訳ありませんでした。
菫子のお話は普通くらいの甘さにしました!
お粗末様でした♪