天界ーー
誰しもが平穏無事に過ごす天界。
たまに比那名居家の娘が起こす騒動はあるものの、それも慣れてしまえば天界人はどうということもない。
そんな天界には一年程前に新しい住人が増えた。
最凶最悪の双子の姉である依神紫苑だ。
例の異変後、紫苑は天子に気に入られて行動を共にし、晴れて人間界から嫌われてしまう。
そんな縁で行く宛のない彼女は天子に言われるがまま天界にやってきた。
比那名居家の当主(天子の父)に天子が『この子、住むところもないし私の友達だから住まわせるわよ』と強引に話をまとめ、誰も使っていない比那名居家の離れに住まわせたのだ。
しかし紫苑は貧乏神。
どんなに行き届いた比那名居家の離れも、たちまち妹に掻っ攫われ、天界でも家なき子になってしまう。
そんな紫苑がとぼとぼと宛もなく天界を彷徨っていた時、紫苑は運命の出会いをした。
足場である雲と雲の割れ目から、大きな大きな白銀の龍が現れたのだ。
突然のことに驚いた紫苑は足を踏み外し、雲から落ちてしまう。
そんな紫苑を龍は背で受け止め、そのまま紫苑を背に乗せて安全な場所まで運んでやった。
やがて龍は天界でも一際美しい景色と
紫苑は一生懸命助けてくれたことへの礼を龍に伝えた。
すると龍が眩く光りを放ち出す。
紫苑はすぐにまぶたを閉じた。
やがて光りが弱くなり、紫苑がまぶたを開けると、そこには細い身体でありながら長身の壮年男性が立っていた。
その男性は濃くもあっさりと整った目鼻立ちで、肩まである白銀色の髪を頭の後ろで金の紐でまとめ、琥珀色をした瞳を持ち、純白の着物を着用している。その髪や着物は光りを反射してキラキラと輝き、紫苑はそんな男性に……自分とは全く住んでいる世界が違う男性に目を奪われた。
口を開いた男性は名を
そしてこの神湖は自分の住処で、その証拠に湖の片隅に小さくも立派な祠が建っていた。
幸白との出会いは紫苑の放つ負のオーラが招いた奇跡的な出来事。
紫苑自体、圧倒的な幸オーラに眩しくて溶けるかと思ったが、幸白の少年のような笑みと無邪気さを前に毒気を抜かれた。
そして二人で気ままに話をしていると、紫苑のこれまでの経緯に幸白は哀れに思い、好きなだけ自分の所に居てもいいと約束。
紫苑は最初は断ったが、本気で自分を心配してくれる幸白の誠意に負け、住まわせてもらうことにした。
勿論、お世話になった天子にもありのまま告げ、天子もそういうことならと快く頷いたという。因みに紫苑が住んでいた離れを掻っ攫った女苑は天子と衣玖によって人間界へ強制送還されたとか。
ーーーーーー
そしてそんな出会いから半年程が経過したある日、
「幸ちゃん……遅いな……」
紫苑は今、龍同士の定例会議に向かった幸白の帰りを湖を眺めながら今か今かと待っている。
幸白の元での生活はこれまで紫苑が過ごしてきた生活を一変させた。
清潔で綺麗な着物、整った寝床、三食の食事……そして、いつも笑顔をくれる人。
これまで貧乏神として生き、どんな不幸なことも仕方ないと思ってきた。
そこへ幸白が現れ、手を差し伸べてくれた……そして二人は今恋仲の関係にあり、それも幸白が『お前を放っておけねぇや、だからずっと俺の隣に居ろ』とプロポーズ並みの告白で今に至る。
「幸ちゃん……幸ちゃん……」
湖の水面を見ながら、待ち人の名前を呼ぶ紫苑。
今回はいつものよりも帰りが遅く、紫苑に不安が募っている。
すると、
「何、彼氏の名前を何度もつぶやいてんの、あんた」
背後から声をかけられた。
その声の主は天子で、その手には何かを包んでいる風呂敷を提げている。
「幸ちゃんの帰りが遅いの……」
「そりゃあ、龍神様だもの。会議となればそれなりに遅くなるでしょ」
そもそも神様って基本ノロマだし……と嘲笑うように付け加える天子だが、紫苑に至っては「でもいつもより遅いもん」と頬を膨らませて不満の色を見せた。
「毎日毎日あんだけイチャついてるくせに……あぁ、だからか。幸龍様依存性ってやつ」
天子はそう言って紫苑の膨れた頬を軽く指で突く。
紫苑は恋仲になってから、天子が言うようにいつも幸白に引っ付いていて、天界でも有名なバカップルなのだ。
「そ、そんなんじゃない、もん……」
「お耳まで真っ赤にしてか〜いい♪」
「ふんだ」
プイッとそっぽを向く紫苑だが、天子はお構いなしで紫苑の隣に座った。
こういうのももう慣れっこなので、紫苑は黙って視線を水面に戻す。
「はい、これ。お父さんが龍神様と仲良く食べなさいって」
「桃?」
「あんたたちと違って、天界人は桃しか食べないわよ。あ、ちゃんとお父さんには言っておいたから」
「何を?」
「仲良く食べなさいって言わなくても、あの二人は口移しで食べるわよってね!」
ドヤァとにんまりして言う天子だが、そのドヤ顔が紫苑の神経を逆撫でていると知らない。寧ろ確信犯である。
しかしそこで怒っては天子の思う壺……なので紫苑は「そう……」とだけ返すと、天子は欲しかった反応と違ってつまらさそうに口を尖らせた。
なので、
「じゃあ、龍神様と私があんたの目の前で口移しで桃を食べちゃおうかな〜?♪」
天子はわざとらしくそんなことを言って紫苑がどんな反応をするか様子を見る手に出る。
しかしそれはなんとも浅はかさなことだと、天子は次の瞬間に思い知ることとなった。
何故ならーー
「やれるもんならやってみろっ!!」
ーー紫苑がぶちギレたから。
紫苑はかなりの喧嘩口調で天子を射抜かんばかりに鋭い視線で見つめ、負のオーラが青く立ち込め、紫苑の周りにある草花が枯れ始めていた。
「じょ、冗談よ、冗談! 天界人のおしゃれな天界ジョークよ!」
天子が慌てて取り繕うと紫苑のオーラは元に戻り、その場にまた平穏が訪れる。
天子は自分でやっておいて、
(今、私は天界を救った!)
などと勝手に自画自賛していた。
すると湖の水面が大きく揺れ動く。
ズザザァと湖の水が左右に割れ、その割れたところから紫苑お待ちかねの幸龍が登ってきた。
すぐに人の姿になった幸白が紫苑たちの元へ降り立つと、
「おかえりなさい♡」
紫苑は彼の胸にギューッと抱きついて、顔をスリスリと擦り当てる。
それはまるで飼い主の帰りを待っていた愛犬状態で、仮に尻尾があればブンブンと千切れんばかりに振っているだろう。
「ただいま、少し時間が掛かっちまって悪かったな」
「うん、もう平気♡」
ご機嫌の紫苑の頭を軽く撫で、幸白はやっと天子を見た。
「おう、比那名居の嬢ちゃん」
「どうも。桃持ってきたからあとで二人で食べて」
「そいつぁいい。ご両親に礼を伝えておいてくれ」
「はーい。それじゃ私は行くわね。二人揃うと私は胸焼けするから」
天子はそんなことを言うと、ピューンと帰っていく。
そんな天子を見送った後、幸白は未だ胸に引っ付く紫苑を受け入れながら、桃が包まれた風呂敷を拾って住まいへと入った。
ーーーーーー
「幸ちゃん、どうして今回は遅かったの?」
土間で桃を器用に包丁で剥く幸白。そんな幸白の背中にしがみつき、左肩に顎を乗せる紫苑は遅かった理由を訊ねている。
「いやぁ、会議は早く終わったんだけどよぉ、ちっと捕まっちまってな」
「私の幸ちゃんを汚い手で触ったのは何処の誰!?」
幸白の言葉を聞いた途端、紫苑はまた物凄い負のオーラをまとって問いただす。
しかし幸白は違う違うと首を横に振った。
「ほら、俺とお前が恋仲になって初めての会議だったろ? だから、みんなに恋人とはどうなんだって質問攻めされたのさ。天界ってのは変化が無ぇから、こういう話題はみんな好きなんだ」
「そうなんだ……なんて訊かれたの? 貧乏神なんかと別れろとか?」
「お前は相変わらず後ろ向きだなぁ……」
紫苑のネガティブ思考に思わず苦笑いすると、幸白は隠すことでもないのでどんな質問をされたか話した。
恋人が居ると周りに薔薇が見えるって本当か?
これまでの世界が明るくなるって本当か?
可愛いのか?
ABCで言うならどこまで行ったのか?
可愛いのか?
その話を聞き、紫苑はカァーッと顔が熱くなる。
何しろ幸白はそんな質問に平然と答えていたから。
「可愛いのか、なんて訊かれても可愛いに決まってんじゃんか、なぁ?」
「なぁ、って言われても……♡」
身体を巡る全部が火照りながらも、紫苑はデレデレと幸せに頬を緩めて言葉を返していた。
そして、
「私ね、幸ちゃんと出会えて幸せ……これからも離さないでね?♡」
紫苑は幸白の耳元で愛を囁く。
これまでの紫苑からは想像も出来ない甘いおねだりに、
「まだ俺がお前を手離すとでも思ってんのか?」
ニッと笑って質問を返した。
それに紫苑は「思ってません♡」とだけ返し、幸白と桃よりも甘い口づけを交わすのだったーー。
依神紫苑編終わりです!
ちょいヤンデレっぽくなりましたが、お互いが好き同士なら問題ないよね?ってことで!
お粗末様でした♪