「――再提出だ」
防衛任務のせいで調理実習に参加出来なかった八幡は、家庭科の補習レポートを提出したところ、なぜか家庭科担当の鶴見先生ではなく現国担当の平塚先生に呼び出されてしまった。
「先生って、現国の教師だったのでは?」
「私は生活指導担当も兼ねているんだ。鶴見先生は私に丸投げしてきた」
件の鶴見先生は、観葉植物に水やりをして見て見ぬふりをしている。そんな先生の事をチラッと見た平塚先生は八幡の方に向き直り、問題のレポート用紙を叩きつける。
「だいたい、薄っぺらい奴ほど人に影響されやすいのと同様、薄く切った方が味がよく染みる。例えるならば葉山とか……。実名を出して皮肉を混ぜるな」
「いや、だってアイツ薄っぺらいじゃないですか。芯がないと言うか、スカスカと言うか」
「誰が葉山の問題提起をしろと言ったか。それでも、同じボーダー隊員なのか?」
「俺とアイツは水と油なので、同じボーダー隊員でも仲がいいとは限りません」
「少なくとも私はお前の方が芯がなく、スカスカと思えるがな。……まあいい。あまり時間を取らせると部活の時間が無くなるだろう。今日は出るんだろうな?」
「正直に言うと、出ても何のメリットもないんですがね。……ま、アイツのおかげで色々と案が浮かんだのは否定しませんが」
「ほぉ。随分と雪ノ下と仲良くなったようだな。感心感心」
「性格は悪いですが、優秀なのは確かみたいですからね。まさか、俺が数か月かけて生み出した暗号を一瞬で読み解いた時は、へこみそうになりましたが」
「そうかそうか。その調子で、雪ノ下と仲良くしてやってくれ」
「……できてもビジネスパートナーぐらいですよ、あれは」
***
「……なにこれ」
部室に入るなり、雪ノ下から分厚い書類を渡された八幡は眉をひそめる。
題目には雪ノ下印のトリガーの草案と書かれており、軽く斜め読みすると複数のトリガーの草案が記載されていた。
「なに、お前。もしかしてハマったの?」
「そうね。新鮮味があって楽しかった事は否定しないわ。……それで、どうなのかしら?」
「どうなのかしらと言われても――」
再び雪ノ下考案の数々に目を通す。今度は実際に製作可能であるのか、有用性が高いのかを加味して。
「先ず言わせてくれ。なんで名前のほとんどが猫絡みなんだ?」
そして一番に目についたのがそれであった。雪ノ下が考案したトリガーの数多くが、と言うかすべてのトリガーの名前が猫に関係した名前である。ばれないと思っていたのかあまり知られていない猫の種類【スクークム】とか【ライコイ】など、トリガーに命名している。
「そ、それは……」
まさか看破されるとは思ってもみなかったのであろう。
「か、勘違いしないでよね。別に私は猫が好きと言う訳ではないわ。ただ、名前を考えるのが大変だったので、たまたま見ていた猫大全集の本から名前を頂いただけで――」
「ああ、分かった分かった。それ以上言うと墓穴が掘るだけだから、黙っていようね」
てか、既に墓穴を掘りすぎていると言っても過言ではなかった。口悪女のイメージが強かったが、猫が好きな事を指摘されただけで照れ隠しする様を見て「意外と可愛い所があるんだな」と印象を改める八幡であった。
「……俺だけでは判断しきれない箇所もあるから、筐体担当の奴にも目を通してもらう事にする。雪ノ下、これはもらっても構わないか?」
「構わないわ。その為に作ってきただけですもの」
「そうか、恩に着る」
この件は一旦保留する事にして、一昨日の続きを始め様とパソコンを広げていると、唐突に弱弱しいノックの音が聞こえて来たのであった。
「どうぞ」
座り直した雪ノ下は、扉に向かって声を掛ける。
「し、失礼しまーす」
緊張しているらしく、来訪者は少し上ずった声と共に入室してくる。奉仕部を訪ねてきた彼女は八幡と目が合うと、ひっと小さく悲鳴を上げて後退りする。
「な、何でヒッキーがここにいんのよ!?」
「どちら様で? てか、人に指をさすなと親御さんから教わらなかったのか」
見知らぬ女性にヒッキーと言われた事に色々物申したい所であるが、明らかに目の前の彼女は八幡が苦手とするリア充属の人間だ。その手の女子と交流した記憶はない故、と言うか総武校で女子と会話した事がある人物など今のところ雪ノ下しかいない。
胸元のリボンの色が赤色故、彼女が同学年である事に気付くが、それでも彼女の様な派手な女子など八幡の記憶の中には存在しなかった。
「由比ヶ浜結衣さん、ね」
「あ、あたのしのこと知っているんだ」
自分の名前を呼ばれて表情を明るくする彼女。
「比企谷君。お客様に椅子を用意してあげるべきじゃないの?」
「おう、そうだな。……とりあえず、座ってくれ」
言われ、客用の椅子を持ち運んだ八幡は彼女に座る様に勧める。
勧められたまま椅子に座った彼女に、紅茶を差出した雪ノ下が話しを切り出す。
「先ずはようこそ奉仕部へ。平塚先生から聞いて来たのでしょ?」
「う、うん。平塚先生から聞いたんだけど、ここって生徒のお願いを叶えてくれるんだよね? てか、そんな部活動にヒッキーがいる事が凄く違和感があるんだけど」
「そのヒッキーって、そこでパソコンをいじくって気持ち悪い笑みを浮かべているひ、ひ……挽肉谷君のこと?」
突然の悪口にお客がいるにも関わらず、口を挟んでしまう八幡。
「おい。俺を挽肉にした所でおいしくないぞ。てか、まだ仕事道具広げていないし」
「そうね。あなたを挽肉にした所で誰も食べてはくれないものね。産業廃棄物扱いになるから、困ったものね」
「挽肉にする肉すらない奴に言われたくねえよ」
「比企谷君。つぎ言ったら容赦なく警察に通報するわよ。あと、女性の価値を胸で決めるのは最低だと知りなさい」
「誰もお前の胸が断崖絶壁の貧乳など言っていないだろ。被害妄想も甚だしい」
舌戦が繰り広げられそうになる中、由比ヶ浜がキラキラした目で八幡と雪ノ下を見る。
「なんか……楽しそうな部活だね」
「別に愉快ではないけれど……。あなたに言っても仕方がないわね」
明らかに視線を由比ヶ浜の胸に向けられている。彼女との戦力差を目の当たりにして、落ち込む雪ノ下の事など放って話しを進める八幡。
「んで、こんな人気もない部活にお前は何しに来たの?」
「……さっきから思っていたけどヒッキーって喋れたんだね? クラスにいる時と全然違うし。そっちの方がいいと思うよ」
「大きなお世話だ。てか、何で俺のクラスの時の事を知っているんだ?」
まさかのストーカーか、と思っていた矢先、その疑問は雪ノ下が答えてくれた。
「あなたね……。由比ヶ浜さんは貴方と同じF組なのよ」
「え、ウソ。マジで?」
「その様子では、知らなかったのね」
「し、知っていたさ」
目を逸らす八幡。
「……なんで目逸らすのよ」
あからさまな態度を見て、ジト目で八幡を見る由比ヶ浜。
「そんなんだから、ヒッキーはクラスに友達がいないんじゃないの? キョドり方、キモいし」
由比ヶ浜の人を馬鹿にしたような視線には八幡も覚えがあった。あの大嫌いな葉山隼人とよくつるんでいる連中の一人であると推測する。
葉山隼人の事を嫌う八幡からしてみれば、そんな彼とつるむ彼女は敵同然。つまり、何の気兼ねなく罵倒してもいいと言う事になる。
「大きなお世話だ、このビッチめ」
「はぁ? ビッチって何よっ! あたしはまだ処――い、今のなし!」
ばさばさと手を動かして、今の発言を掻き消そうとする由比ヶ浜のフォローをするつもりか、雪ノ下が口を挟んでくる。
「別に恥かしい事ではないでしょう。この歳でヴァージ――」
「ちょっと何っているの、雪ノ下さん。高2でまだとか恥かしいよ」
「……くだらない価値観ね。それで、本日はどのような用件で奉仕部に来たの?」
本題を切り出す雪ノ下に対し、由比ヶ浜はアッと声を上げて口を開くのであったが、八幡の顔を見てその口を閉ざしてしまう。
どうやら自分がいると話せないようであるらしい、と踏んだ八幡は、立ち上げたパソコンを第三者が使えない様にロックを掛ける。
「……ちょっと『MAXコーヒー』買って来るわ」
「私は『野菜生活100いちごヨーグルトミックス』でいいわ」
「……なにそれ、そんな飲み物がこの世に存在するのかよ」
さり気無くパシるのは止めろ、とかお前には紅茶があるだろうと言いたい所であるが、反論したら話しが進まないので八幡は素直に「了解」と口にして買いに行ったのであった。
***
「……何してんの?」
戻ってきた八幡が最初に見るのは、人のパソコンを堂々と使っている雪ノ下と由比ヶ浜の姿であった。
「あら、遅かったのね」
「デリケートな話だと思って、少し時間を空けたんだよ。空気を読める俺に感謝しろよな」
「あなたは空気しか読めないでしょ。あと、パスワードは誕生日にしない方がいいわ。直ぐに解除出来ちゃうから」
「いやいや、だからと言って人のパソコンを勝手に使って良い事にならないよね。それに由比ヶ浜! お前、何したんだ! ブルースクリーンが出ているじゃないか!?」
ブルースクリーン。OSに何らかの異常が発生した際に表示されるメッセージおよび、その画面全体を指す通称である。簡単に言えば、由比ヶ浜が弄ってエラーさせたのであろう。
「いや、あのっ! ゆきのんが簡単そうに扱っていたから、私にも出来るかなって思って……」
「だからって……。データは死んでいないだろうな。死んでいたらマジで凹むんだが」
急いで再立ち上げを行い、損傷具合を確かめたが、データが損傷している箇所は見当たらなかった。ほっと一安心した八幡は、これ以上勝手に触られない様に何か対処方法を考えなくえてはいけないと胸の内に秘める事になる。
「……ご、ごめんねヒッキー」
「ったく、人の物は勝手に触るなって教わっただろ。んで、何すんの?」
これ以上、触られて何か不都合な事が起こってはいけない故、仕方がなくすべてのパソコンを回収する事にした八幡が聞く。
「家庭科室に行くわ。比企谷君も一緒にね」
「家庭科室? なんで?」
「由比ヶ浜さんは手作りのクッキーを食べて欲しい人がいるのだそうよ。でも、自信がないから手伝ってほしい、と言うのが彼女の依頼よ」
「……それ、奉仕部がやる活動なのか? それこそ、周りにいる友達に頼むとか、インターネットで調べようと思えばいくらでも調べられるだろうが」
少なくともこんな怪しい部の人間に頼む内容ではないと思われる。けど、断る理由もないので、二人は依頼の為に動く事にした。
「……しかし、いきなり頼んでも家庭科室なんて貸してくれるのか? ウチにもあるだろ。たしか、調理実習部だっけか?」
「それは困ったわね。なら、実行日は明日に変更した方がいいかしら?」
「それは構わないが、明日は俺、普通にバイトがあるから無理だからな」
「あら、そんな話しは一言も聞いていないんだけど?」
「言わなくても分かるだろう。ボーダーに所属しているんだからよ。てか、察せよ学年一位の雪ノ下」
「毒見役がいないのは困るわね。それじゃあ、明後日にしましょう。材料などは私が揃えるわ。由比ヶ浜さん、それでいいわね?」
話しを振られた由比ヶ浜は「毒見云々」の所に物申したい様子であったが、雪ノ下の圧力に負けて小さく頷き返すしか出来なかった。
「う、うん。それでいいよ」
「てか、毒見役とか失礼だろうが。その点はちゃんと抗議するべきだぞ、由比ヶ浜」
八幡の援護を得た由比ヶ浜は頬を膨らませて抗議する。
「そ、そうだね。ゆきのん、それはちょっと酷過ぎだよ」
「さっきから思っていたけど、ゆきのんって私の事かしら? 出来ればその名前は改めて欲しいんだけど」
「なんで? ゆきのんって可愛いじゃん」
不思議そうに小首を傾げる由比ヶ浜を見て、説得するのをあきらめたのだろうか。小さく溜息をついた雪ノ下は明後日の流れを説明し始める。
「生徒会及び家庭科担当の鶴見先生には許可を貰っておくわ。由比ヶ浜さんは約束の時間に家庭科室に来てちょうだい。比企谷君も休まずちゃんと来ることよ」
「分かったよ。ゆきのん……ん? えっ!? ヒッキーってボーダー隊員だったの!?」
「……気づくの遅いぞ」
その後、何気ない会話ばかりが続き、今回の部活動は終了する事になった。