「来たか、比企谷」
「……説明してくれるんでしょうね、平塚先生」
「あぁ」
八幡が来ることが分かっていたのか、待ち構えていたらしい。職員室に入ると平塚先生が目の前にいた。
「比企谷から見て、雪ノ下雪乃はどう映る?」
「大海を知らない蛙」
即答であった。
「それを言うならば『井戸の中の蛙、大海を知らず』だ。だが、そうか」
平塚先生は苦笑する。
「非常に優秀な生徒なんだがな。優しくなく、正しくもない世界のせいで捻くれてしまったそうだ」
「まるで、雪ノ下がああなった原因を知っている様な口ぶりですね。俺に雪ノ下を宛がう様に仕向けたのも、まさか迅先輩が絡んでいないでしょうね」
まさかな、と冗談めいて言ったつもりであったが平塚先生の肩がビクついたのを見て図星であると悟る。
「マジかよ。あの人、いったいどこまで暗躍の手を広めれば気が済むんだ」
「す、すまない。けど、私も迅君に頼まれなくても比企谷、キミに任せようと思っていた。なにせ、あんな課題を提出するぐらいひねくれているのだから」
「あ、そうですか。……それで、雪ノ下の意識改革を手伝えとのお話しでしたが、何か策があるのですか? むしろ、あの偏屈者を矯正できるとお思いなのですか?」
「そこはお前に任せるとしよう。なに、雪ノ下を変えろと言っている訳じゃない。ただ少し、視野が広がるように仕向けて欲しいだけだ」
「それが難しい事は、先生だって分かっているでしょうに。……火曜と木曜だけです、俺が奉仕部で活動できる日は。あと、そちらも約束はちゃんと守ってくださいよ」
「分かっている。緊急時はボーダーを優先させよう。必要なら助力も惜しまない」
「あと、依頼がない時は暇になりそうなので、仕事用にパソコンを数台持ち込みたいのですがいいすか?」
「……ほぉ。ボーダーでは随分と仕事熱心のようじゃないか、比企谷。分かった、許可しよう」
「ありがとうございます。それでは、平塚先生、今日はこれで失礼します。……早く帰らないと合コンに遅れるんじゃないですか?」
「しまった。もう、そんな時間……か」
失言をした事に気付いて、慌てて手を口元に当てる。やはり、暗躍大好き迅悠一が平塚先生を動かすために切ったカードはそれだったか、と納得した八幡は溜息をこぼす。
「また会う事があったら、言っておいてください。……今度から直接俺に言ってください、って」
***
その暗躍大好き迅悠一が校門の前で待ち構えていた時、思わず懐からトリガーを取り出して襲い掛かってしまおうと衝動に駆られてしまったのは仕方がないだろう。
「よぉ、八幡。ぼんち揚げ食べる?」
「迅先輩。よくノコノコと俺の前に出てくる事が出来ましたね」
「なはは、大変だったみたいだね。けど、俺のおかげで美人の彼女とお近づきになれたんだから感謝してよ」
「……俺が雪ノ下と関わる事は、今後の未来に絶対必要な事だったんですか?」
「実力派エリートの俺としては、お前にも素晴らしい学園生活を送って欲しいと思ってな。先輩のちょっとした粋な計らいだよ」
「……迅先輩」
言いはぐらす迅にトリガーを突き出す。
「はぐらさないでください。俺に三雲を任せると言いながら、部活動に所属させるなど矛盾も良い所だ。あんたは一体その眼で何を見た? どんな未来が見えているんだ」
下手な言い訳をしたら、ただで済まさないと言わんばかりに迅を睨み付ける。
観念したのか、迅はぼんち揚げを一枚頬張り――。
「A級比企谷隊を復活させるためだ。その為には奉仕部? だっけか。その部活動に所属してもらわないといけないみたいなんだよ」
「……なんだと」
A級比企谷隊。それはかつて八幡が率いた本部職の部隊名である。
「はっ。まさか、アイツらと部隊を再結成しろと? 既に己の道を突き進んでいるあいつらを?」
「そうだ八幡。それがメガネ君の為にもなるし、今後の大規模侵攻の時、絶対に必要になる」
「その話、アイツらにもしたんですか?」
首を横に振る。まだ、その話しは八幡以外の誰にも話していないらしい。
それを聞いて、胸をほっと撫で下ろす。
「A級比企谷隊は、既に解散した部隊です。俺達が再び集う事は今後二度とないでしょう」
「……今はそれでいいさ。だが忘れないでくれ八幡。遅かれ早かれ、お前は再び部隊に所属する事になる。……メガネ君の為にな。あと、中二君がホークの試作品が完成したから、見てくれってさ」
「え!? アイツ、あれをたった一日で完成させたのか?」
「ほんと凄いよね、中二君。小説を書く才能はないのに、設計図を描かせたら天才なんだもんね」
「こう言ったら、付け上がるから言いたくありませんがトリガーの筐体技術はあいつにかないそうにありませんね。プログラム面ならまだしも」
「なに言っているんだい。グラスホッパーとカメレオンを開発した八幡だって充分凄いさ。それで、中二君と一緒になってどんなトリガーを作っているんだい? この実力派エリート、迅悠一に教えてくれないかな?」
「そんなに気になるなら、これから一緒に見に行きますか? もしかしたら、その眼で確かめる事が出来るかもしれませんよ」
しばし考え込んだ迅は「面白そうだな」と笑みを繕い「じゃあ、お言葉に甘えようかな」と言って、八幡に同行する事にした。
***
「……は、八えモン」
玉狛支部、材木座義輝に宛がわれた研究室に入ると、待っていたのは今にも霊魂が口から飛び出してしまいそうなほど弱りきった材木座の姿があった。
「おいおい、材木座。たかが三日ほど徹夜したぐらいで……。って、例のあれはどこだ? 見当たらないぞ」
今にも死にそうな材木座を無視して、出来上がっているはずのトリガーを探す八幡。あまりの材木座の扱いに退いた迅は苦笑いしつつ、二人の後について来た少年こと陽太郎に食事を持ってくるように頼んだのである。
「そ、それが八えモン。迅殿に頼んだ後、強度的な問題がある事に気付いて、それで……」
「は? じゃあ、まだできていないのかよ。ったく、見せて見ろ。どこが問題なんだ」
「いや、そ、それが……」
材木座が告げようとした時、研究所に彼の食事を持って来た三雲が現れる。
「あ、先輩。迅さん、お疲れ様です」
「おう、お疲れメガネ君」
「悪いな、三雲。今日は面倒見れなくて」
「いえ、大丈夫です。今日は烏丸先輩、アルバイトがなかったみたいなので」
「……なに?」
記憶が正しければ今日も烏丸は別のアルバイトの為、三雲の指導は行えなかったはず。
そこで思い当たるのは八幡の横でヘラヘラと笑っている迅だ。この男、既に烏丸まで手回しをしていたようである。
「(いったい、なん手先まで読んで裏で動いているんだ、この男は)」
いくら未来が見えるからと言って、手回しが良すぎる。流石は玉狛支部が誇るS級ランクのボーダー隊員と感心したい所であるが、ここまで動けると末恐ろしさすら感じてしまう。
「はい、材木座先輩。あまりものですみませんが、お食事です。……あと、例のホークなんですが、僕なりに改善策を考えて設計し直してみたのですが、いかがでしょう?」
「「「……は?」」」
まさかの三雲の言葉にこの場にいる全員の目が点になる。
「え、えっと……ごめんなさい。やっぱりいけなかったでしょうか」
三人の反応に余計な事をしてしまったかと怯える三雲に、材木座は渡された食事に手を出す事無く尋ねる。
「智将三雲殿。ま、まさかお主。あの高翼、ホークの問題点を解決したと言うのか!?」
「え、あ……はい。その素人考えかもしれませんが――」
「拝見しよう。データを」
「あ、はい。これがそうです」
渡された記憶メモリーを受け取った材木座は手早くパソコンを操作して、三雲が草案した高翼、愛称ホークの設計図を閲覧する。
「こ、これは……。ふむふむ、なるほどなるほど。こんな方法が」
「どうだ、材木座。行けそうか?」
「行けそうも何も、これは凄い。我が設計した時よりも、初動が一秒も短縮されている。お主が考えたイグニッションもこれならば……」
興奮気味に尋ねてきた八幡に応える。よほどテンションが上がったのか、材木座は受け取った食事の事も忘れて、三つのキーボードを操作して瞬く間に新トリガー、ホークの設計を完成へと進めていく。
「ぬおー、たぎるたぎるぞ。我の血がたぎってやまない。悪いが八幡、もうしばし待たれよう。一時間ほどで完成させて見せる」
「おう。これに関しては全面的に信じてやる。……無理はするなよ、材木座」
「愚問だな、八幡。この程度、我にとって夕飯前だ」
邪魔をすると悪いと思った一同は、一人奮闘する材木座を残してその場から立ち去る。
三雲の改善策が功を奏したのか、あれから三十分ほどで材木座と八幡が前々から考案していた新トリガー、高翼【ホーク】の試作品を完成させたのであった。