会議室から退出した迅はこれから起こりうる未来を覗き見て溜息を漏らす。
「(やっぱり、そう来るよな)」
分かっていた事とはいえ、知り合いの悪い未来を視るのは気分が悪くなってしまう。それが己の可愛い後輩の一人ならば尚更な話しだ。けれど、この未来は遅かれ早かれ必ず通らなくてはいけないイベントの一つ。ならば、さっさと済ませてしまう方が良いと無理やり納得させることにした。
「(翌日の事は何とでもなるだろう。後は、その後か)」
翌日、自身の可愛い後輩三名が上層部に呼び出され、処分を言い渡される事になるであろう。城戸からして見れば玉狛の戦力を削る絶好の機会だ。対策の一つもせずに明日を迎えたら手遅れな状態になるかも知れない。
「……ったく、アイツらが来てから退屈しない毎日だな」
暗躍する機会が増加するばかりであるが、後輩の為だと思えばやる気も溢れてくるばかり。難解だと思っていた本日の問題も見事に乗り越える事が出来たのだ。なら、可能性を信じて自身は自分が思った最高の未来を叶える為にひたすら水面下でもがくだけだ。
「随分と気分が良さそうだな、迅」
顔に出ていたのだろうか。書類の束を抱えて歩み寄ってきた知人が話しかけてきた。本部で今みたいに話しかけてくる人間は少ない。
「誰かと思えば柿崎の兄貴じゃないか。久しぶりだな」
「誰が兄貴だ、誰が」
「じゃあ、会長とお呼びした方?」
「それも止めろ。この前、虎太郎にスマフォを視られて「柿崎さんって会長とか兄貴なんて呼ばれているんですか? 俺も今度からそう呼んでもいいですか?」と聞かれて、誤魔化すの苦労したんだぞ」
学生時代の時に作ったLineのグループで話す同い年達からなぜか会長やら兄貴と呼ばれている柿崎。ちなみに柿崎組とグループ名を命名したのは懐からぼんち揚げの菓子袋を取り出して食べ始めている迅であった。
「相変わらず柿崎の部隊は仲がいいよね」
嵐山隊から脱退した柿崎はその後、自分の部隊を結成してランク戦に挑んでいる。今現在の順位はB級13位とやや低迷していた。
「まぁな。掛け替えのない仲間だし……って、それよりも嵐山から聞いたぞ。あのバカ、ついに弟子を取ったらしいな」
「あのバカって……。あ、もしかして八幡の事?」
八幡が本部所属の時、ちょくちょく面倒を見ていたことを思い出す。
「他に誰がいるんだよ。あのバカ、俺に何の相談もせずに玉狛に転属したと思いきや、それから一度も連絡を寄越さなかったんだぞ。幾らなんでも冷たすぎると思わないか?」
「まぁ、何と言うか……。つぎ会った時にちゃんと言っておくよ。なんなら連絡させようか」
「あぁ、そうしてくれ。近い内にまたサイゼにでも行こう、と伝えてくれよ」
「迅、了解です」
食事を一緒にする仲だった事に驚きを隠せずにいた迅であったが、同い年の仲間の中でツッコミを担当している柿崎は妙に面倒見が良すぎる。今の柿崎隊の仲が良すぎる理由もそれが大半の要因と言えよう。
「……じゃ、俺は忍田さんに先の防衛戦の報告書を提出しないといけないから、これで」
「了解。それじゃ組長。またな」
「組長もやめろ」
***
柿崎と分かれた迅の携帯から着信音が鳴りだす。素早く操作して確認すると、木崎からのLineであった。中身は三雲、空閑を含めた全員が無事に玉狛支部へ帰還出来たことである。
素早く「了解」と返信して「俺も終わったから、直ぐに戻るよ」と追加の文章を送信した。
「さて、急いで戻るとしましょうかね」
いまごろ三雲は八幡を除いた全員から空閑の襲撃事件の全容を問い質され、それについて説教を受けている事であろう。どんな風に戦って勝利を掴んだかは知らないが、エボルイルガーの時と同様に無茶をして勝利をもぎ取った事だけは容易に想像できる。弟子を可愛がっている師匠達がそれを知って何もしないわけがないだろう。
「……おや?」
急ぎ足で支部へ向かう迅だったが、突如現れた木虎によって強制的に動きを止めざるを得なかった。
「よぉ木虎。さっきはありがとな。おかげで助かったよ。じゃ、俺は急いでいるから」
簡単にエボルイルガーの時に付いてお礼を伝えて、木虎の横を通り抜けようとするのだが――。
「……なぜ、彼を玉狛に転属させたのですか?」
――木虎の一言によって振り返ってしまった。
「どう言う意味だい?」
「三雲くんの事です。嵐山さんから聞きました。彼はあなたに誘われて玉狛へ転属したそうですね」
本部から支部へ転属する事はそう難しくはない。けれど、玉狛支部となれば話は大きく変わってくる。
鈴鳴支部を除いた四つの支部は仕事や学業を優先でA級を目指さず、ランク戦に出ない隊員が所属している。彼らは大規模侵攻の時など緊急時の時に市民を避難及び救助するなどの役目を担っている。
本来ならば玉狛支部も他の支部と同様の役目を担わなくてはいけないのだが、この支部だけは他の支部と少々毛並が違っている。
「玉狛は近界民友好派です。三つの派閥の中でも一番異色と言われている派閥に三雲くんみたいな人が入るとは思えません」
「それはメガネくんを褒めているのか、貶しているのか分かりかねる発言だね。メガネくんの性格を鑑みれば、玉狛派に来てもおかしくないでしょ」
「彼の実力が確かならば納得したかもしれませんが」
玉狛に所属している隊員の全てが精鋭揃いだ。そんな少数精鋭の支部に三雲の様な実力の伴わない人間を入れるのは違和感を覚えずにいられなかった。
「おいおい。あの突然変異のイルガーを葬ったのは紛れもなくメガネくんだぞ。木虎の言い方じゃ、まるでメガネくんが弱いみたいじゃないか」
色々と反則級の種を仕込んだのは否めないが、それでも勝利をもぎ取ったのは紛れもない三雲自身の頑張りのおかげである。彼の発想がなければ、未だに突然変異のイルガーを討伐する事は出来ていないであろう。
「確かに最後のあれには色々と驚かされましたが、あんなでたとこ勝負に頼り切るようではまだまだとしか言い様がありません」
「まぁその点については木虎の言うとおりだな。これからビシバシ鍛えて、そのうち木虎以上の隊員に鍛えるつもりだから、その時は覚悟しておくんだね」
「ありえません。彼が私以上の隊員になる事は一生ありませんよ」
「なるさ。俺のサイドエフェクトがそう言っているんだから。間違いないさ」
話しは以上だ、と言いたげに歩みを進め始める。
「まだ、質問の回答を頂いていません」
「お前とメガネくんじゃ見ている景色が違う。だから答えようがないな」
「意味が分かりません」
再び、歩みを止めた迅は振り向く事無く彼女に伝える。それ以上、何もいう事はないと言いたげに歩きだし、今度は木虎が制止の声すら耳に傾けず離れて行くのであった。
ただただ迅の背中が小さくなるのを見守っていた木虎は、彼の言葉を反芻させてその意味を理解しようと試みる。
しかし、迅が告げた言葉を理解する事は出来なかった。見ている景色が違う、と言われても思い当たる節が見当たらない。それに加えてそれが質問の回答が無理である理由になるのか、と分からないだらけであった。
木虎と同世代で活躍するA級隊員は木虎のみ。一つ下に緑川や双葉はいるけど、歳下のせいか対抗意識を持った事はほとんどない。三雲を除いた正規隊員は二人ほどいるけど、木虎とはポジションが異なっているので同様に意識した事はなった。
つまり、三雲修と言う存在は木虎藍にとって初めて意識せざるを得ない同世代の隊員になるのだ。その人物が何かと話題に絶えない玉狛支部に所属している。気にならないわけがなかった。
「……私はA級隊員。決して、三雲くんに負けるはずがないわ」
***
「……今日はやけに絡まれる日だな」
木虎と別れてから数分後、珍しく自分に絡んできた人物を目の当たりにして、迅は肩を竦めた。
「秀次。俺になんか用か」
己の行く手を阻むA級7位三輪隊を率いる隊長の三輪秀次に話しかける。
「……三雲修とは何者だ」
「いきなりだな。メガネくんの事を知ってどうするつもりだ?」
「とぼけるな。お得意のサイドエフェクトで分かっているはずだ。俺達、三輪隊に三雲修の監視の命が下された」
「おいおい。それっていわゆる密命だろ? 被疑者と関係者である俺に暴露するのはどうなんだよ」
「あんたなら既に見えている未来だろ」
「それはそうかもしれないけど」
だからと言って、関係者に暴露していい話しにはならないはずだ。しかも、こんな人の往来が激しい廊下で言っていい内容ではない。
「俺は詳細を城戸指令から確認次第、この命令を受けるつもりだ」
「そっか。なら、頑張ってくれよ」
「……奴を玉狛に誘ったのお前だそうだな」
「なぁ。その情報ってどこから聞き出したの? 人の配属先の情報って確か公にしていないはずなんだが」
秘匿していないから調べようとすれば調べられる案件なのだが、あの木虎でさえ三雲の転属の顛末を知っていた。その情報源に興味を抱いた迅は彼に尋ねるのだが、三輪は当然の如く答えようとはしなかった。
「教える訳がないだろ。奴にどう言った事情があるか知らないが、玉狛支部に入った以上は近界民と同様に敵だ。三雲が黒ならば俺は容赦なく叩きのめすぞ」
「それは無理だ。……秀次、お前はアイツに勝てないよ。その前に倒されるから」
「……どういう意味だ?」
「お前じゃメガネくんを倒す事は出来ないさ。その前にお前は負けちゃうからね」
「俺があんなB級隊員に負ける、だと」
それは聞き逃せない文句であった。己が未熟であることは自覚しているが、それでもA級部隊の隊長として戦い抜いてきた実績がある。その辺のB級風情に足元を掬われる様なバカな真似をするつもりは毛頭ない。
「ま、そん時になったら分かるさ。話はそれだけか? ちょっと急いでいるからまた今度にしてくれよ、秀次」
***
迅が色んな人と絡まれている間、玉狛支部へ帰還を果たした一同は、これからのやるべき事を始める為に各々行動に移していた。
「三雲。これから茶を沸かすから、空閑だったな。空閑を連れてうがい手洗いを済ませて来い。勿論、お前らもだぞ。小南、京介。八幡」
自分の城と化しつつある台所へ移動し、茶の準備に入る木崎。
「あ、師匠。俺はマッカンがいいんですが」
師である木崎が準備しているお茶から、用意される茶の種類を推測したのだろう。
八幡としては紅茶を出されるよりも、愛飲しているマッカンを飲みたい気分であった。
「ダメだ。あれは少々甘すぎる。最低、一日一本にしろ。一日に四・五本とか飲みすぎだろ」
「苦い人生を送っているのですから、コーヒーぐらい甘くてもいいじゃないですか。それに、全国販売される様になったと言え、マックスコーヒーの知名度はあまり芳しくないんですよ。空閑にもこの素晴らしい飲み物を教えないでどうするつもりなんですか!?」
エキサイトする八幡の姿を見て空閑が「まっくすこーひーってなんだ?」と苦笑いを浮かべている三雲に尋ねる。簡潔に「練乳入りの甘いコーヒーだ」と説明すると「こーひー?」と首を傾げられてしまった。
それに聞き捨てならないと空閑に噛みついたのは八幡であった。
「そんなに興味あるなら飲んでみるか。マッカンなら冷蔵庫にストックが残っていたはずだ」
「くれるなら、イタダキマス」
「よし来た」
要望のあったマックスコーヒーを取る為に備え付けられている冷蔵庫の扉に手を伸ばす。しかし、そうはさせまいと八幡の手を握った木崎によって動きを封じられてしまった。
「……師匠、何をするんですか。その手をどかしてくれないとマッカンが取れないじゃないですか」
「お前、なに何も知らない若者に布教しているんだ。空閑がマッカン教に堕ちたらどうするつもりだ」
「歓迎します、当然でしょ。大丈夫です。影浦隊全員が気に入って飲んでいる代物ですよ。絶対に気に入ります」
「アイツらが飲む様になったのは、やっぱりお前のせいか!」
ある時を境にB級影浦隊の隊員全員が愛飲していると噂になった事がある。初めは甘すぎるコーヒーを毎日飲むことにドンびく者ばかりであったが、そのおかげで狂犬と恐れられた影浦隊の隊長影浦雅人が大人しくなったと言われている。
「お前。他の連中には布教していないよな」
「……」
「そこで顔を背けるな。誰だ! 他に、誰に布教した!?」
「えっと……」
言い難いのか頬をポリポリ掻いて、言い渋る八幡に詰め寄る木崎だったが、次の光景を目の当たりにして唖然とするしかなかった。
「……修。あの二人は何を争っているんだ?」
缶コーヒータイプのマックスコーヒーを飲んでいる烏丸と。
「レイジさんが動揺するなんて珍しいわね。ゆりさんから連絡でもあったの?」
ペットボトル型のマックスコーヒーを嗜む小南の姿があった。うがい手洗いに行ったはずの二人が戻ってくるとマックスコーヒーを手にしている。その事実を知った三雲も木崎と同様に唖然とするしかなかった。
「……ふむ。これは中々」
気が付くと隣からグビグビ咽喉を鳴らす音が聞こえてきた。まさかと思って、そちらを見やるといつの間にかマッカンで咽喉を潤す空閑の姿があった。
「く、空閑? お前、それはどこから……」
「……ん? どこからって、こいつからもらったんだが」
と、下を呼び指す。三雲が唖然としている間に玉狛支部で飼われている雷神丸がそこにいた。当然、雷神丸がいるならばこの子の飼い主である陽太郎もいるはず。その陽太郎はお昼寝中だったのか、雷神丸の背中に跨り気持ちよく寝息を立てていた。
空閑が飲んでいるマックスコーヒーは陽太郎が飲んでいた奴であった。それを知った木崎は珍しく額に青筋を浮かべて、この状況の原因を作ったであろう張本人に問い質す事にした。
「さて、八幡。申し開きはあるんだろうな?」
「……ま」
「ま?」
「まったく、マックスコーヒーは最高だぜ!!」
次の瞬間、木崎の鉄拳が八幡の脳天に振り下ろされたのは言うまでもないだろう。