俺もそろそろ部屋に戻り、戸塚と風呂でも入るか、と考えていると、突然視界が真っ暗になった。
「へ?」
ひんやりとした細い指みたいな物が、目の辺りにあてがわれているようだ。いきなりすぎて思考が追いつかない。あとなんかいい匂いがする。
「だ~れだ♪」
甘ったるい声が耳をくすぐる。間違いなくクラスの奴じゃない。そもそもクラスメイトは俺にこんな事はしない。するとしても戸塚くらいのものだ。いや、待てよ?
「そっか、戸塚……ついに……」
「え?」
「ついに……本当は女の子でしたって言う気になったんだな」
やべ。泣けてくる。
「何、言ってるのかな?」
甘ったるい声に呆れの色が混じる。違うのか?違うのか。違うんだな……。
「わり。誰だかさっぱりわからん」
「そっかぁ。まあ、そうだよね」
ひんやりとした細い指がゆっくりと離れる。
それと同時に恐る恐る振り返ると、そこには、もう会うこともないと思っていた彼女がいた。
「えーと……ミナミンスキーさん?」
「間違ってる……」
彼女は少し頬を膨らまし、ジト目になる。
「元気そうだな」
「ごまかしたね」
「……そっちも修学旅行か?」
「違うよ。京都が見たくて、お母さんの仕事について来たの」
「そうか」
こんな偶然もあるのかと感心していると、いつの間にか距離を詰められ、顔を覗き込むように見られていた。
なんとも形容しがたい距離感を意識しながら、顔を逸らす。
「どうかしたのか?」
「……お疲れ様」
「は?」
突然の労いの言葉に、呆けた表情になってしまったかもしれない。その温かな声音がじんわりと胸に染みていくのを感じながらも、俺は気づかないふりをした。
「別に……疲れてない」
「それでも、お疲れ様」
真っ直ぐ向けられた笑顔にどう反応していいのかわからない。彼女はさっきの出来事をどこまで見ていたかはわからない。ただ、俺の行動に対する評価等は一切なしに、純粋に労ってくれていた。
俺はそれをそのまま受け取る事を恐れながら話を変える。
「……もう遅いけどいいのか?」
「うん、もう少し夜の京都を見たくて」
「そうか」
「うん、だから……今から一緒に行かない?」
「……は?」
その言葉に思考が追いつくまで、少々時間がかかったのは言うまでもない。
*******
竹林を出て、駅まで並んで歩く。観光客はまだ、そこそこの数がうろついていた。
「よかったぁ~。実は一人だと不安もあったから」
「まあ、どーせ、やる事もないしな」
別に俺の帰りが遅くても気づく奴はいないだろう。
「それで、ミナミンスキーさんはどこ行きたいんだ?」
「ミナリンスキーだよ……あ、ごめん。自己紹介してなかったね」
ミナリンスキーさんは俺の正面に立ち、メイドの時のような恭しさを見せる。
「私の名前は南ことりといいます。よろしくね、比企谷八幡君」
「あ、ああ……」
ミナミンスキー、割とニアピンだった。