タクシーが軽やかなスピードで京都の街を流れていく。
車の中では誰も喋らず、沈黙を保っていました。でも決して居心地が悪い訳ではなく、穏やかな沈黙です。車のエンジン音だけ聴きながら、お母さんは正面を、比企谷君は左側、私は右側と……時々、比企谷君を見ていました。
比企谷君は折り返しの電話をかけてからずっと黙っていた。お互い端っこに座っているのも相まって、何だか遠く感じてしまう。彼は今、何を考えているのだろうかなぁ。やっぱり戻った時の事かな。それとも家に帰ってからの事だったりするのかな。……さっきまでの時間を思い出したりはするのかな……。
考えている内に、こちらを向いた彼と目が合った。
「…………」
「…………あ」
言葉を上手く紡げない。口がパクパクと動き、恥ずかしくなり、俯く。
彼の少し疲れたような、でもどこか優しい瞳だけが胸に刻まれた。
「…………」
「…………」
私は彼に何て言葉をかけたいんだろう。
どんな感情を届けたいんだろう……。
「…………とう」
「?」
そっと耳に入ってきた声に反応すると、比企谷君はこちらにやや顔を向けたような姿勢で、目を合わせるのを少し恥ずかしがっているような表情をしていた。
「ありがとう……」
「え?」
「いや、その、今日……楽しかった」
「……あ、そ、そう?どういたしまして……わ、私も……」
そこで車が止まった。スピードを緩めた事にすら気づかなかった。
「着いたわよ」
お母さんがにこやかに告げる。
振り返って私と比企谷君を見比べると、何故か申し訳なさそうな顔になった。
「邪魔しちゃったかしら?」
「え?あ、いや……」
「そ、そんな事ないよ」
比企谷君が財布を出そうとすると、お母さんが止めた。
「私達はこのまま戻るからいいわよ」
「あ、でも……さすがに……」
「ほら、早く戻らないとまずいんじゃないの?」
「あ、じゃあ……」
比企谷君はお母さんに頭を下げた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
次いで私の方を向いた。
「……じゃあな」
その響きが少し切なくて、私は彼の制服の袖を掴んだ。彼の驚きがそこから伝わってきた。
探るように目を合わせ、その切ない響きを上書きするようになるべく明るい声のトーンを心がけ、精一杯の言葉を届ける。
「比企谷君……またね!」
「……あ、ああ……また、な」
ほんの一瞬だけだけど、確かに彼は微笑んでくれた。
暗闇にぽうっと灯る、頼りないけど温かな灯火のような小さな笑みだった。
*******
ホテルの部屋に戻ると、お母さんが珍しく悪戯っぽい笑顔を向けてきた。
「ふふっ、ことりもようやく恋愛に興味を持ったのね。お母さん、安心したわ」
「ち、違うよぅ。た、たまたま会っただけだから……」
「その割には……ねえ」
「も、もう!お母さん!」
どんなに確かめても、この気持ちが何なのかは未だにわからない。
ただ……今日は、いつもより長い夜になりそうな気がした。