3月のラプソディー   作:スズカサイレンス

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第1話

「いい気になんないでっっ!ゼロのくせにっ!」

 

勝負に負けた彼女は、癇癪を起こしたように相手をはたきつけた。

 

「ちょっ!姉さん!?」

 

傍らで観戦していた俺は、思わずそう声を出していた。

 

「何も殴ること…」

 

「何よ歩。アンタゼロの味方するの!?」

 

「(こ、こえぇぇ…)」

 

こちらを睨みつけてそういう彼女に思わずそうこぼす。

視界の片隅には、頬を押さえてうずくまる零の姿が見えた。

 

嗚呼、ホントどうしてこんなことに。

複雑すぎる我が家の日常を前に、俺はそんな何度目か分からない事をまた思った。

 

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

どうやら、自分は生まれ変わったらしい。

そう気付いたのは赤子として育てられてしばらく経った頃だった。

 

ぼんやり。とにかく目の前がぼんやりして、フワフワしてよく見えない。

しかし不思議と意識というか、自我だけははっきりと持っていて。

そんな、ただ漂うようにしていたら、いつの間にか見える景色が広がっていた。

 

最初に目に入ったのは取り替えたであろうおむつを片す女性の姿。

おそらく、彼女が自分の母親なのだろうと思った。

 

そして聞こえてきたのは、パチン、パチンと何かを置く音。

不規則なその音は不思議と心地よくて、俺は自然と微笑んでいた。

 

 

「あら、笑ってる…。やっぱりあの人の子なのね…」

 

どうやらこの心地のいい音は、自分の父親が出しているらしかった。

優しく笑う母親を見ながら一体何の音かと思っていると、一人男性が部屋へやってきた。

 

「母さん、どうだ歩は?」

 

 

一目見て思ったのは、なんだか真面目そうな人だなぁという事。

だけどこちらを見る目には、確かに愛情が感じられた。

 

そうか、この人が俺の…。

 

「ああお父さん。見て?歩ったらさっき笑ったのよ?それも将棋を指す音で。

私なんだかおかしくって」

 

「そうか。それは将来が楽しみだな。果ては名人か獅子王か」

 

父親なのか…。

 

 

◆◆◆◆

 

 

棋士、という仕事がある。

その名の示す通り、将棋を指すことを仕事とする職業だ。

それは己のすべてを賭けて相手と自分の存在を削りあう。

まるで、修羅か羅刹のような人種だった。

 

 

◆◆◆◆

 

 

赤ん坊になってからというもの、俺は暇を持て余していた。

なにせやることがない。食べるか寝るしか仕事がないのだ。

 

体を動かしたくても自分の知っている動かし方通りに動かない。

まぁ、生後いくらも経っていない赤ん坊がスタスタ歩いたりビュンビュン走ったりしていたらそれはそれで不気味でしょうがないのだが。

 

テレビを見て暇をつぶしたくても、俺のいる部屋にはテレビがないし、母が見る番組は興味のもてないものばかりだった。

いやまぁ、生まれたての子供がドロドロしたサスペンスや下世話なバラエティを見て喜んでいたらそれはそれは不気味なのだろうが。

 

とにかくまぁそんなわけで、日がな一日寝ているしかない俺は、あぁこのままだと脳が退化しそうだとか益体のない事ばかりを考えていた。

 

「ねぇお母さん?ここにいるのー?」

 

「えぇそうよ香子。寝ているかもしないから、静かにね?」

 

するとある日そんな声と共に、部屋へと迫る気配を感じた。

一人は、聞きなれた声。母のものだろう。

だがもう一つの幼い声は誰だろう。

俺は開けられるだろうドアへと視線を向けた。

 

「あ、起きてるよお母さん!」

 

「あら本当ね。歩-?お姉ちゃんが会いに来てくれましたよー?」

 

「歩!私がおねーちゃんよ!」

 

快活な笑顔でそう告げる少女。彼女がどうやら、俺の姉らしい。

多少面食らっていると続けて彼女はこう言い放った。

 

「これからはおねーちゃんが歩の事守ってあげるからね!」

 

思わず、ハッとした。

そしてとても暖かな気持ちになった。

彼女は、まだ幼くとも、ちゃんと姉なのだ。

初めて会った俺をしっかり弟と認識していて、守ると言っているのだと。

 

 

前世の記憶を薄ぼんやり覚えているからなんなのだ。

今自我を持っているからなんなのだ。

そんな事、大した意味はないんだと俺は思った。

ただ、この人たちの家族として生まれてきたことに意味を感じようと。

 

大事にしよう。この先何があっても。

俺は一人、心にそう誓ったのだった。

 

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

フゥーと吸い込んだ煙を吐き出す。

制服のままの喫煙は、なかなかにリスクとスリルのある行為だが、たまにはこんな日もある。

 

父さんと、零との対局。

気にするなという方が、無理な話だった。

 

久しぶりのリーグ入りがかかった一局。気合が入らないわけもない。

それを受ける方も、意味を知っていれば殊更。

 

どんな気持ちだろう。もう一度咥えた煙草を深く吸い込む。

勝負なんだから、お互いプロなんだからと、割り切れる奴ではないだろう。

 

「零…」

 

 

◆◆◆◆

 

 

部屋に行っても、そこに零の姿はなかった。

どこに行ったのか…。瞬間一つの可能性を思いつく。

 

 

 

「夜分遅くにすいません川本さん。零の奴が、来てないかと思って…」

 

「うん…。でももう寝ちゃってるから…。今日はうちに泊めておくわ」

 

「すみません…。よろしくお願いします…」

 

「すごい汗…。走ってきたの?」

 

「ええ、いや…。何かしないか心配で…。兄としては情けない話ですけど…」

 

「そんな事ないわ」

 

「え?」

 

「そんな事、ない」

 

 

 

幸田歩。高校二年生。特筆事項―――転生者

 

俺は、混沌の中を、生きていた。

 

 

 

 


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