インフィニット・ストラトス 〜プラスワン〜 作:アルバトロス
「ただいまー」
誰もいない家に響く自分の声を聞きながら、靴を脱いで家へ上がった。
祖父母から受け継いだこの家は、一人で住むには過剰なほど大きい。
資産家だったらしい祖父母が結婚した当時に買った二階建ての家なのだが、小まめに手を入れていたからか老朽化しているところもほとんどない。
お陰でそのまま使えるのはありがたいのだが……正直、一人で住むなら一階だけで十分だ。それすらも、各部屋がそれぞれ半分の広さでも事足りるだろう。
そのせいで普段足を踏み入れない二階には手が回らず、掃除も年末と季節の変わり目以外はしていない。
売ろうかと考えたこともあったが、祖父母との暮らしが色濃く残るこの家は取っておきたかったのだ。
俺など前世持ちの変わった子だったろうに、祖父母は普通の子と変わらない愛情を注いでくれた。
歳を取って動くのも楽ではないだろうに、小学校の授業参観に来ない日は一度も無かった。
実の両親の顔も覚えていない俺にとって、今世の親はあの二人だ。
惜しむらくは、親孝行が何も出来なかったこと。迷惑ばかりかけているうちに、事故に巻き込まれて逝ってしまった。
俺にできる唯一の親孝行は、祖父母に胸を張れるような人生を送ることだ。
――今世こそ、定職に就く。
そのために……とりあえず飯を作るか。腹減ったし。
◆ ◆ ◆
最近、織斑はある女子にご執心だ。
「こら、先生にはちゃんと挨拶をしろ!」
「いったッ!?何するんだよ!?束さんの頭が不具合を起こしたらどうしてくれるんだ!」
「既に故障しているだろうが。叩けば直るんじゃないのか?」
「束さんの頭は昭和のテレビじゃないよ!?」
……早速朝から騒いでいるが、柳韻先生の長女である篠ノ之束だ。
近い将来ISを開発する稀代の天才であり、身内(妹と織斑姉弟のみ)以外を凡人と断じて存在価値すら認めない、かの“天災”である。
その片鱗はこの時期から現れており、今も校門の所で挨拶をしてきた先生を視界に入っていないかのようにスルーして織斑に叩かれている。
この二人は出会いもこんな感じで、教師を無視しまくってた篠ノ之を見た織斑の堪忍袋の緒が切れて制裁を下したところからの付き合いらしい。
織斑は尊敬する師の娘だから「知るか」と無視することもできずにその姿勢を矯正しようとするし、篠ノ之もこれまで周りから浮いていて誰も関わろうとしてこなかったことに少しは寂しさを感じていたのか何度無視しても罵倒しても関わってくる織斑のことを少しずつ認めつつある。
俺の知る原作のように「束」「ちーちゃん」と呼び合う
……俺?多分、空気から道端の木にジョブチェンジした程度だ。
織斑と割とよく話すせいか認識はされているが、俺には話しかけてこない。だから俺も篠ノ之に挨拶をする義務はないと思うのだが。
「おはよう織斑。篠ノ之も」
声を掛けないと織斑の手がこちらにも伸びてくるので、リスク回避のために挨拶をする。
「ああ、おはよう」
「……」
織斑はちゃんと返してくれたが、予想通り篠ノ之は無視。そして上げられる織斑の手。
「いたッ!?そんなポンポン叩かないでよ!」
「言っても聞かんやつには殴って聞かせるしかないだろう」
「うぅ……大体、何で人ってこんなに挨拶が好きなのかなあ」
「そりゃ人ってのは『自分はここにいるぞ』って主張しないと不安になる構ってちゃんだからだよ」
俺も含めて。
そう言うと、何故か二人とも目を丸くして俺の方を見た。
「お前は……どうしてそう、捻くれた考え方をするんだ」
「そう褒めるなよ。照れるだろ」
「一ミリも褒めてない」
あれ。
――そんな風に織斑とふざけていたから、篠ノ之が
「……へぇ」
と小声で呟いたことには気がつかなかった。
◆ ◆ ◆
「来週は、遠足に行きます」
というのが、今日の学活の話題だった。
行き先は学校からバスで2時間ほどのところにある広い公園だ。
そこでクラスでのレクリエーションやカレー作り、班別レクリエーションを行う。
カレー作りはこういう遠足では定番だが、うちの学校では4年の時から毎年遠足でカレー作りをする。
そのため、2年目の今年はそう大きな失敗は無いだろう。
ということで。
「では、4人1組の班を作ってみてください」
先生の言葉に騒がしくなるクラスメイト達に耳を塞いでいると、近寄ってきた織斑に声を掛けられた。
「恩田、私と組もう」
「俺は良いけど……こういうのって普通、女子同士で組むもんじゃないのか?」
「私もそう思ったのだが……何故かみんな、目を逸らして離れていってしまってな」
織斑は、先ほどの休み時間まで普通に話していたのだが……と首を傾げる。
――唐突だが、ここで我が学年に伝わる話を一つご紹介しよう。うちの学年の、とある女子生徒の話だ。
去年の遠足で、その生徒の班がカレーを作った時のこと。
最初は、女子ということで玉ねぎのみじん切りを頼んだ。
すると、玉ねぎは文字通り
怒った班員が何故切る前に皮を剥かないのかと問うと、
「カレーに使う玉ねぎは『あめ色』のものを使うと美味しいのだろう?だから、せめて少しでも近付けようと皮を剥かずに切ったのだが……」
これは駄目だ、と一瞬で結論づけた班員は野菜のカットを別の人に託し、彼女には野菜やジャガイモの皮むきの仕事が与えられた。
ピーラーで皮を剥くだけならば誰にでも出来るだろう、と。
ところがどっこい。少し目を離した班員達が次に目にしたのは、表面を大きく抉られた野菜達の無惨な姿だった。
この惨状の犯人と思われる女子生徒に目を向けると、今度は流石に決まり悪そうに頭を掻いていた。
「すまん……少し力を入れすぎてしまった」
どう考えても
両者を見比べた班員達は、溜息を吐いて(カレー作りのルールとして全く作業に関わらない生徒を出してはいけないため仕方なく)彼女を別の仕事に回すのだった。
その後も少女はその力を存分に発揮し、「落としても割れないように」という大人達の優しい心遣いで用意されたプラスチック製の食器を見事に割るなどの犠牲を出した。
最終的に後始末に奔走した班員達は、美味しいカレーや楽しい時間と引き換えに、「織斑に料理をさせてはいけない」という教訓を得たのだった。
とまあ、そういうわけである。
要は、織斑は料理に関しては不器用な上になまじ力が強いもんだから、とんでもない被害が出るのだ。剣を握っているときはあんなにも器用なのだが。
織斑と仲のいい女子たちが離れていったのも、この話を聞いてのことだろう。
このまま行くと今年は俺が後始末に奔走しなきゃいけなくなるのだが、去年の遠足では確か幾つか備品を破損して学校が弁償していたはずだ。
先生も去年の二の舞は避けたいだろうが……例のルールにより、カレー作り不参戦は基本的に認められない。
となると――。
「なあ織斑、篠ノ之は誘わないのか?」
「む?……そうだな。どうやら周りも決まってしまったようだし、私たちはあいつと組むか」
因みにだが、うちのクラスは35人いるので3人組の班が一つ出来ることになる。
他のクラスメイトたちも、“あの”篠ノ之や織斑と同じ班になるぐらいなら少々仲が良くなくても他の人と4人で班を作ってくれるだろう。
「おい、篠ノ之。私達と組もう」
ノートに何やら一心不乱に書きまくっていた篠ノ之は、最初は無視しようと思ったようだが、一瞬間が空いて頭をさすった後にしかめ面をこちらに向けた。
脳内シミュレーションの結果、殴られた上で強制的にこちらを向かされるよりは抵抗しない方が幾らかマシだという結論が出たのだろう。
「何の話……ああ、遠足とかいうくだらない行事か。私は行かないからどうでもいいよ」
「なっ、お前――」
激昂しかけた織斑を手で制する。
「まあ落ち着け織斑。……なあ篠ノ之、お前は『遠足なんか時間の無駄だ』と思ってそんなことを言うんだろうが、多分行かない方が面倒だぞ?」
「……」
篠ノ之は相変わらず俺に対しては無言だが、今回は珍しいことに目を細めてこちらを向いた。
よし、聞いてはいるみたいだ。
「いいか篠ノ之。遠足ってのは一年の中でも割とでかい行事だ。つまり、お前の親はその存在を知ってる。その日に休んだら、きっと色々言ってくるぜ?お前はそれも無視するのかもしれないが……食事の度に説教されるのは、正直ウザいだろ」
その状況が想像できたのか、篠ノ之の眉間に僅かにシワが寄る。或いは去年経験済みなのかもしれないな。
「遠足でみんな仲良くってのもそれはそれで面倒かもしれないが、カレー作りは俺に任せてもらって構わん。午後の班別行動も付いてくるだけでいい。午前中も……多分、篠ノ之は見学っていうのを先生達に呑ませられると思う」
篠ノ之に「集団で楽しくて遊ぶ」などという行為は不可能だ。が、学校側も篠ノ之に「来るな」とは言えない。
「みんなが楽しむため」というお題目を盾にすれば、先生達も渋りはすると思うが最終的に呑むだろう。
その辺は語りはしなかったが、この頭脳明晰な天才は察したのだろう。
一つ息を吐いて、初めて俺に向けた言葉を発した。
「何故そこまで束さんを遠足に行かせたいのかは分からないけど、君の言うことは一理ある。お望み通り行ってあげようじゃないか」
「そうか……それは良かった」
説得に成功し、思わず息を吐いた。
いや、本当に良かった。
篠ノ之に「俺が篠ノ之を遠足に行かせたがる理由」が分からないのは当然だ。
何せ、こいつには友達はおろか会話をする相手すら織斑以外にはいない。そして、それ以外の会話は全て意識に入ってこない。
つまり、
いやあ、篠ノ之が行くと言ってくれて本当に良かった。
「篠ノ之の相手をしていてくれ」と頼めば、織斑のカレー作り参戦は免れるだろう。
これで今年の遠足も安泰だな。
――世の中思い通りには行かないという言葉の重さを俺が身をもって味わうのは、それから約一週間後のことである。