インフィニット・ストラトス 〜プラスワン〜 作:アルバトロス
生まれた時から意識があった。
頭をぶつけた拍子に、あるいは高熱で死に掛けた時に記憶が蘇った。
最初の記憶は祖父母が両親を亡くした俺のことを引き取りに来た時のものだが、どうやらその時には既に俺は俺となっていたようだ。
――こうして昔のことを思い出すのは、歳をとった証拠だろうか。前世から数えてもまだそんな歳ではないはずなのだが。
そんなことを思っていると、誰かに肩を掴まれて揺すられた。
「――おい、恩田」
「……ああ、織斑か。どうした?」
「もう帰りの会は終わった。帰るぞ」
「マジで?」
周りを見回すと、教室に残っている人はかなり少なくなっていた。
一人黄昏ているうちに自動操縦モードに切り替わってたのか……気が付けば帰りの支度も終わってるし。
「ほら、早くしろ。日が暮れてしまう」
「まだ秋で定時も5時ぐらいなんだから、お日様はそんなに早く帰宅しないっつーの」
手を引くせっかちな友人に苦笑し、ランドセルを持って立ち上がる。
「今日こそお前に勝たねばならんのだ。早く行こう」
「はいはい」
負けん気の強さは人一倍だな、とひとりごちて、生真面目な性格が現れてか少し固い口調の少女――織斑千冬の背を追った。
俺――恩田海斗と織斑千冬がまだ小学5年生の、秋のある日のことだった。
◆ ◆ ◆
「こんにちは、柳韻先生!」
道場に入り師に大声で挨拶をするなりすぐ防具の置いてあるところへ駆けていく織斑を見送り、急いで防具を付ける彼女を温かい目で見守る師に礼をする。
「先生、こんにちは」
「こんにちは。今日もやるのかい?」
「ええ……織斑にも困ったものです」
「ははは。いいじゃないか、それだけ負けん気が強いということだ。海斗君からしたら大変かもしれないけどね」
「大変どころじゃないですよ」
思わずため息。
織斑とは、4年生の時に俺がここの道場に入ってからの仲だ。
祖父母が亡くなり、その葬儀や遺産の整理、相続など諸々を終えて身辺も落ち着いてきたその頃。ふと思い立って、近所にあったこの篠ノ之道場の門を叩いたのである。
理由としては、大人になってから「学生の頃に何か運動をやっておけばよかった」と思ったことがあったのが一つ。大人になってからは海外にいることが多く、「何か日本伝統のものをやってみたい」と思ったのが一つ。
あとは、
“インフィニット・ストラトス”。
ISという略称で呼ばれることも多い、前世で読んだライトノベルの一つだ。
ざっくり言えば、主人公の織斑一夏という少年が自分以外全員女子のIS学園でフラグを乱立しながらラッキースケベをかましまくるという作品だが、まあ内容はいいとして。
その作品の中に篠ノ之道場は登場する。
ヒロインの一人やISの開発者の実家であり、主人公とその姉が剣を教わった場所でもあるこの道場に入れば、原作キャラの誰かしらに会えるのではないか、と思ったのも理由の一つだ。
目論見通りというかなんというか、既に同年代に敵は居なかった織斑千冬とここで出会い、最初の試合で
「――おい、恩田!早くしろ!」
「はいはい、今行きますよ〜と」
準備万端で仁王立ちする織斑に呼ばれたんで、行きますかね。近寄ったら斬られそうで怖いけど。
◆ ◆ ◆
後の先、という言葉がある。相手の動きを読み、それに応じて動くという戦い方だ。
これを実際にやるには、相手の次の手を正確に読むことが要求されるのだが。
「――め「――胴!」」
仮に相手の予備動作を完璧に見切れるようになったら、これはもう敵無しと言ってもいいのではないか。
そんなことを、現実逃避気味に思うわけである。
「――ッ」
何から逃避って、目の前の織斑の眼光からだ。
こっちを睨む織斑の目が本当に怖い。
小5の女の子に使う言葉ではないかもしれないが、マジで怖い。
「こらこら千冬君。悔しいのは分かるが、そう睨みつけてはいけないよ」
「はッ……すいません先生。恩田も、悪い」
「いや、そろそろ慣れつつあるから大丈夫」
今なら、カジノで勝ちすぎた時に出てくる怖いお友達とも楽しくお喋りできる気がする。結果として楽しいことになるのは俺の身体かもしれないが。
「しかし、海斗君の読みは本当に鋭いねえ。千冬君も相当に腕を上げてきてるんだが」
「実際かなり読みづらくなってきてますよ」
そろそろ土をつけられるかもしれない。
まあ、それはそれで荷が軽くなっていいかもしれないが。
さて、ここでちょっと説明すると。
人間、動く際には僅かにでも予備動作というものが存在する。剣道において剣を振るときも同じだ。そのため、これを見切ることが出来れば相手の次の手を読めるというわけであるが。
そもそもとして、普通は相手の撃ち込みの予備動作を見切ることはかなり難しい。というか、簡単に出来るならばこういった一対一での試合など成立し得ないわけで。
では俺はどうなんだというと。
俺は前世で、相手の僅かな表情の動きや目の動き、まばたきの回数やその他諸々などから相手の心理を読む技法を習得している。
その過程で観察眼が磨かれ、ほんの僅かな動きすらも察知できるようになったのだ。
まあそれでも柳韻先生のような達人級は動きが洗練されていてほとんど見切れないのだが、織斑はまだ小学5年生。
持って生まれた剣才と弛まぬ努力で既に同年代を突き放してはいるものの、俺から見るとまだまだ粗がある。
というか、この技法は一度危ない目を見てから必死こいて磨いたものだ。
指さえ見えれば拳銃の弾丸も避けられる俺からしたら、いくら未来の“
……大人気ないと言われたら返す言葉もないのは事実だが。
だって多分剣で勝てるのは今だけだし、と自己弁護しつつ、防具を外す。
いつまでも着けていると「恩田、もう一本やろう!」……こうして織斑が何度も誘いをかけてくるのである。
「一日一本って約束したろ?」
「う……つ、次は明日の分だ」
「そう言って次の日になったら『昨日のことは昨日のことだ。さあやるぞ!』とか言い出しただろうが」
しかも断ったらあまりにも落ち込むので、仕方なくその日も相手をしてやったのだ。
それに味を占めて同じことを繰り返さないように、しっかり報復はしてやったが。
いやあ、あの織斑千冬がメイド服を着て真っ赤な顔をして「お……お、お帰り、なさいませ……ご、ご主人様」って言うんだぜ?
あの日撮った写真を十数年後に公開したら、興奮のあまり倒れる奴とか大勢いそうだ。さすがに他の誰かに見せたら俺の命が危ないので、そんなことはしないけれども。
「む……仕方ない。私も素振りをするか」
織斑は、面倒だからと防具を着けたまま素振りを始める。
……相変わらず鋭くて綺麗な太刀筋だ。
俺は動きを読ませないことに意識を向けすぎていて、肝心の撃ち込みの鋭さに関しては織斑に二歩も三歩も譲る。
俺がこいつに抜かれる日は、そう遠い未来のことではないだろう。
だが、せめて少しでも長くこいつの壁で在りたい。
そう思って、柄にもなく無心に剣を振った。