【完結】Fate/Epic of Gilgamesh 作:kaizer
──聖杯戦争。
マスターと呼ばれる、七人の魔術師の闘争。他のマスターを全て殺し尽くすまで終わらない、命賭けのゲーム。
それぞれのマスターは、サーヴァントと呼ばれる使い魔を召喚する。戦闘代行者であるサーヴァントを使役し、他のマスターを全て倒し、最後まで残ったただ一人に、聖杯と呼ばれる景品が与えられる。
聖杯とは、所有者の願いを叶えるモノ。万能の願望器という、有り得ぬはずの秘宝。
つまり。冬木の聖杯戦争とは、聖杯を巡るバトルロイヤルに他ならない──。
──要約すれば。遠坂凛の語った説明は、そういう内容だった。
「……待て。なんだよ、それ。いきなり何言い始めるんだ、遠坂」
震える声で、遠坂の説明を遮る。
正直、信じられない。半人前とはいえ、俺だって魔術師だ。常識をひっくり返すのが魔術であることくらいは知っている。だけど……これは、あまりにも荒唐無稽だ。
「信じられない気持ちは解るわ。
──けどね、衛宮くん。貴方、もう巻き込まれてるのよ。その令呪と、そこにいるサーヴァントが何よりの証拠だわ」
そう言って、アーチャーと呼ばれた青年を示す遠坂。
居間の壁に寄りかかり、腕を組んでいる黄金の男。無造作に部屋に入ってからというもの、アイツは口を開かず、ただ無表情にこちらを見ている。
アーチャーの眩しいばかりの威容から目を逸らし、遠坂が口にした情報を整理する。
令呪を宿し、マスターに選ばれたという自分。
同じく、マスターであると名乗った遠坂。
サーヴァントだという、黄金の男と小柄な少女。
確かに、遠坂の言うとおりなら説明はつく。でも、いくら証拠を突きつけられたからと言って、そう簡単には受け入れられない。第一、俺はその聖杯戦争なんていうバカげた名前すら知らなかったのだ。
そう告げると……やれやれとばかりに、遠坂は肩を竦めた。
「──呆れた。貴方、もう逃げられないって解ってる? ランサーに襲われたこと、もう忘れたのかしら」
「────」
遠坂の話によれば、俺はそのマスターなんてものになってしまっているらしい。
聖杯戦争という儀式が、マスターを殺し尽くすことによって成り立っているなら……マスターである俺は、既に他の魔術師の標的になっている。
つまり──どんなに現実を拒否したところで、連中は俺を付け狙う。
先程の邂逅を思い出す。
俺を襲ったランサーの、圧倒的なまでの力。あんなものに抵抗するなど、出来る訳がない。
俺が今まで積み重ねて来た鍛錬なんて、アイツの前では無意味に過ぎる。鼠がいかに暴れようと、猫の前では殺されるだけの弱者なのだから。
「……まあ、無理もないか。ガラスの修復も出来ないような素人だし……聖杯戦争のことも知らないなんて、重症だわ」
「……ぐ」
呆れた目で俺を見下ろす遠坂。それもまあ、当然の話だと思う。
俺がぶち割ったガラスは、遠坂の手によって修復された。俺にはさっぱり分からないそれが、どれほど高度な魔術なのかと思ったら……魔術の中では初歩の初歩、寧ろできないのがおかしい、というレベルらしい。
俺にできる魔術は、たった一つだけ。その強化魔術も、遠坂曰く「微妙なモノ」とのことで、哀れみを通り越して生温い視線を向けられた。
「そんなヤツ相手に、一方的にどうこうするのも不公平な話だし。ま、一通りの説明はしてあげるわ」
ふん、と偉そうに腕を組む遠坂。
……なんというか。俺が想像していた姿と遠坂の本性は、随分とかけ離れていたらしい。
ただ損得だけを考えるのなら、まるっきり素人に近い俺を倒してしまえばいい。聖杯戦争の仕組みを聞く限り、サーヴァントはマスターが倒されれば存在できないのだという。なら、俺を殺してしまえばアーチャーも道連れにできる。労せずして、遠坂は敵の一人を倒せたはずなのだ。
しかし……遠坂はそうしなかった。俺を傷付ける事もせず、ただ不公平だと言って、右も左も分からない俺に、状況を説明してくれた。
それは間違いなく──俺が憧れた、遠坂凛という少女だった。
そんなことを考えていると、遠坂の隣に控えていた少女とぱっちり目が合ってしまった。その宝石のような瞳には、アーチャーに見せた敵意の色は映っていない。
遠坂は、あの女の子を
サーヴァントとは、死亡した英雄──人間を超え、精霊の域に達した超人たちを引っ張ってきて、聖杯の力によって実体化させた存在なのだという。その話が本当なら、セイバーと呼ばれたあの少女も英雄だった人間なのだろうか?
もう一人のサーヴァント、俺の横で壁にもたれかかっているアーチャーが英雄だというなら、まあ分からなくもない。あんな甲冑を着た人間が現代の一般人であるワケがないし、何よりも存在感が桁違いだ。
けれど、この少女。遠坂の用いた、英霊は怪物じみているという比喩が、この少女にも当てはまるなんてどうにも気に食わない。
聖杯戦争が殺し合いだというのなら……この少女も、誰かを傷付け、或いは誰かに殺される側の存在なのだろうか。
サーヴァントの力は確かに強大だ。俺はランサーに、ろくな抵抗すらできず二度も殺されかけた。
あれだけの力を持つ連中──それは、地震や津波と同じ脅威だ。普通の人間に、あんなモノに対抗するなどできるわけがない。
理不尽で、不条理なまでの暴力。
魔術師たちの闘争とはいえ、この儀式は「戦争」なのだ。運悪くそれに巻き込まれる人間がいればどうなるか、その結果を俺は身を以て味わった。
俺の脳裏に浮かぶのは、必死に逃げようと、或いは立ち向かおうとする人々。
しかし、絶対的な暴力の前に、人の努力など意味を為さない。人間の営みは容易く蹂躙され、凌辱され、崩壊する。
ああ、その光景は正に──
──十年前の大火災、そのものだ。
「……気に食わない。そんなバカげた儀式なんて、一体誰が始めたんだ」
「それは、私が答えることじゃないわ。その辺りはいずれ、この聖杯戦争を監督してるヤツに聞きなさい。
わたしから言えることは──貴方はもう、戦うしかない。そして、サーヴァントは貴方の手札だから、上手く使えってことだけよ」
それだけ言うと、遠坂は俺から顔を背けた。その視線の先には、傲然と壁に背を預ける黄金の男。
気のせいか、遠坂の表情には微かな緊張を感じる。何かを躊躇うかのように目を動かすと、遠坂は静かに口を開いた。
「さて、衛宮くんへの説明はこの辺りにして。今度は貴方に質問するわ、アーチャー」
滑らかに俺に説明していた時とは違う、硬質な声。
明らかな緊張感を見せる遠坂に、隣に控える少女も反応する。その翡翠の瞳は、油断なくアーチャーの挙動を監視していた。
「貴方──いったい、何者なの」
サーヴァントは英雄である以上、歴史上に弱点や能力といった情報を残している。故に、サーヴァントの正体は秘匿しなければならない。
そう言ったその口で、遠坂はアーチャーに問いかけた──おまえは何者か、と。
先ほど、俺も同じ問いをアーチャーに投げた。しかし、俺と遠坂では質問の意味合いが違う。
わけもわからず、ただ自分の状況を知りたいためだけに口を開いた俺。だが遠坂は、明確な目的を以て、確固たる意思の下にアーチャーを詰問していた。
「──ほう」
半眼で俺たちを眺めていた黄金の男が、僅かに口の端を歪める。
そこに浮かんでいるのは、微笑。この場の緊張感には不釣り合いな笑みを浮かべて、アーチャーは端整な唇を開いた。
「娘。貴様はその小僧に、サーヴァントの名は伏せておけと言ったばかりではないか」
「違うわ。わたしが聞いているのは、そんな単純なことじゃない。
──貴方、本当にサーヴァントなの?」
え?
おかしい。遠坂の説明だと、コイツは俺が召喚したというサーヴァントのはずだ。
俺はコイツを召喚した覚えなんかないけど、あの土蔵で突然現れたことと、ランサーのサーヴァントから俺を助けてくれた事実……そして、コイツが明らかに人間以上の存在であることに疑いはない。
にも関わらず、奇妙な質問をする遠坂。そこに重大な意味が隠されているような気がして──気が付けば、勝手に鳥肌が立っていた。
「遠坂。それ、どういう意味だ」
「言葉通りの意味よ。衛宮くん、サーヴァントについての説明は聞いてたでしょう?」
ああ、と頷く。
サーヴァントは、聖杯の力で呼び出された過去の英雄だ。
言ってしまえば幽霊みたいなものだが、何の力も持たない霊などとは格が違う。魂を再現し、固定化した、確たる英霊の現身。
故にサーヴァントは、霊体と実体を使い分ける能力を持つ。普段は目に見えない霊体として控えているが、必要とあれば実体化し、今そこにいるセイバーやアーチャーのように現れることもできる。
……という内容を、遠坂がさっき説明してくれた。
「そう。つまり、サーヴァントっていうのは基本的に霊体なの。実体化することもできるけど、その本質は変わらない。
けれど──そこのアーチャーは、霊体なんかじゃない。アイツには、確固とした肉体があるわ」
「……は?」
断言する遠坂に、思わず間抜けな返事をしてしまう。
俺には判らない。遠坂の横にいるセイバーも、壁際で佇むアーチャーも、霊体とか実体とかいう違いがあるようには見えない。
けど、遠坂が嘘をついているようにも見えない。その顔は緊張で強張っているし、控えているセイバーの厳しい瞳も、遠坂の言葉が真実なのだと語っている。
……頭がこんがらがってきた。一回、落ち着いて情報を整理しよう。
サーヴァントが霊体だというなら、それに肉体があってはおかしい。聖杯の力で実体化はしていても、それはあくまで仮初の生命に過ぎないはずだ。
なら、確固とした肉体があるというのはどういうことか。それでは、アーチャーはサーヴァントという存在ではなく、全く別のナニカだという結論になってしまう。
しかし、それこそおかしな話だ。
人間を超えた英雄であるサーヴァントと戦えるのは、同じサーヴァント以外には有り得ない。その理屈が合うなら、先程ランサーと剣を交えていたアーチャーは、まぎれもないサーヴァントだ。
そして何より……薄く、今にも千切れそうに細いものではあるけど、俺とアイツの間には何か繋がりのようなものを感じる。左手の令呪の輝きが、その何よりの証拠だ。
ここまで情報を整理して──ようやく、遠坂が警戒している理由を理解した。
サーヴァントでありながら、サーヴァントでは有り得ない存在。そんなヤツがいること自体、おかしいに決まってる。
やっと納得した俺をよそに、遠坂はアーチャーをじっと睨んでいる。その隣に控えるセイバーも、明らかな警戒心と敵意をむき出しにして、遠坂を庇うようにアーチャーの前に立ちはだかる。
今にも斬りかかられてもおかしくない間合いだというのに、アーチャーは壁にもたれたまま動かない。一体何がおかしいのか、口の端に浮かんだ笑みは一層深まっている。
その明らかな余裕に、遠坂はむっとした表情を浮かべる。
「衛宮くんに訊いても意味がないだろうから、もう一度貴方に聞くわ。何者なのか、今すぐ答えなさい。場合によっては──」
「──セイバーに襲わせる、か?
ふん……無粋ではあるが、そも力とはそうして使うものだ。道化の類かと思ったが、中々どうして頭の回る女よ」
鷹揚に頷くアーチャー。
品定めをするように、遠坂を冷たく観察すると……アーチャーは、腕組みを解いて壁を離れた。
一歩足を踏み出したアーチャーに、セイバーが立ち塞がる。いつの間に取り出したのか、手に握られた透明な剣は弓兵の首元に向けられていた。
セイバーとアーチャーの距離は、数歩と離れていない。もしセイバーがアーチャーに襲い掛かれば、反応すらできずにアーチャーは斬り伏せられるだろう。
そんな状況にも関わらず──黄金の弓兵は、悠然とそこに立っていた。
「剣を引けセイバー。そこな雑種の厚顔ぶりに免じて、今の問いに答えてやろうではないか」
どこまでも傲慢に、セイバーを見下ろす黄金の青年。その超然とした余裕は、一体どこから生まれるのだろうか。
その余裕ぶりに何かを感じたのか、セイバーは剣を一層強く握り締める。武器も持たずに佇む男が、何よりの脅威であるというように──セイバーは、最大級の警戒心をアーチャーに向けていた。
自分に向けられる敵意を意にも介さず、不満げに鼻を鳴らすアーチャー。まあいい、と小さく呟くと、男はセイバーの背後に立つ遠坂へ向き直った。
「我の正体を知りたいと言ったな、小娘。では教えてやろうではないか。我の正体は──」
ゆらり、と男が右手を上げる。
意味の解らぬその動作に、全員がそこに注目する。まるで指揮者のように優雅な動きは、一見何の意味もなさそうで……それ故に、この状況では不気味だった。
自分に向けられた三つの視線を受け、傲然と胸を張るアーチャー。絶対的な自信を以て、青年は再び口を開く──!
「──秘密だ」
……空気が、凍った。
おい、ちょっと待て。
あれだけ自信満々にしておきながら、コイツ今、絶対有り得ないコトを言った気がするぞ──!?
「──ふざけるな、アーチャー。この期に及んで戯れ言を弄するか!」
全員の怒りを代弁するように、セイバーがアーチャーを一喝する。
怒りをぶつけられたアーチャーはというと、深刻そうに眉を寄せている。その態度からは、先程までの自信は感じられない。
「たわけ、これがふざけているように見えるかセイバー。……はて。我は誰だ?」
むむ、と首を傾げている黄金の英霊。
口にしている言葉こそおかしいが、その表情はあくまで真剣だ。今まで傲然と周囲を見下していたアーチャーは……困惑するように、その顔を曇らせていた。
青年の挙措には、あれだけ見せていた余裕など見られない。その異様さに、セイバーが訝しがるような目線を向ける。
当たり前だ。突然、「自分は誰だ?」なんて言い出すヤツは、怪しいなんてもんじゃない。誰がどう見ても、明らかな不審者だ。
「アーチャー。それはどういう意味ですか」
「うむ。普遍的な知識やこの時代の常識、聖杯戦争などという遊戯については理解している。
だが……肝心の、自分が何者かという部分が抜け落ちているな。素性どころか、名前までもが思い出せぬ。まあ、然したる問題ではないが」
うむうむ、と何やら一人で頷いているアーチャー。
……って、記憶がないって、そりゃ大問題じゃないのか──!?
「はあああああ!? なによそれ、アンタわたしのことバカにしてるワケ!?」
あまりに予想を超えた告白に、遠坂が声を荒げる。
俺だって混乱している。いきなり出てきた訳の分からないヤツが、自分が誰かも判らない、などとのたまったのだ。
俺たちの視線をどう受け取ったのか、アーチャーはふてぶてしく腕を組むと、傲然たる態度を取り戻してこちらを見下ろした。
「ふん。大方、召喚の際に不手際があったのだろうよ。そこな雑種は、サーヴァントを召喚する意思すらなかったのであろう?そんな状況で、十全なサーヴァントを呼び出せる道理もない。いわば、不完全な召喚のツケというヤツだ」
じろり、と睨まれる。
ぐ……確かに、アーチャーの言うとおりかもしれない。俺はそもそも聖杯戦争なんて知らなかったし、サーヴァントなんてものを召喚する気もなかった。
考えてみれば、聖杯戦争では英霊などという規格外の魂を召喚するのだ。そんな大それた儀式にはそれ相応の準備が必要なはずだ。
それをたまたま、正規のマスターどころか一人前の魔術師ですらない俺が、何かの偶然でサーヴァントを召喚できてしまった。準備すらない、事故にも等しい強引な召喚で、呼び出された側の英霊に不具合が生じないと考える方がどうかしている。
つまり……アーチャーの記憶喪失の原因は、俺のせいか。
「……はぁ。マスターがマスターなら、サーヴァントもサーヴァントか。まあいいわ、そっちのサーヴァントの正体については不問にしましょう。記憶がないヤツに聞いてもどうしようもないでしょうし」
半眼で俺を睨んでいた遠坂が、呆れたように口を開く。その視線が「へっぽこ」と言っているような気がして、思わず気圧される。
そんな冷たい目を向けながらも──遠坂は、真剣に俺を見ていた。
「貴方たち、この後どうやって戦っていくわけ?」
トドメを刺すような、遠坂の詰問。それは、冷たい現実を突きつけたものだった。
マスターに選ばれたという俺は、聖杯戦争についての知識どころか、魔術師としての力すらろくに持っていない。
サーヴァントとして呼び出されたアーチャーの方は、自身の記憶が欠けている。それだけではなく、生身の肉体を持っているという規格外。
控えめに見ても、この組み合わせは異常に過ぎた。だからこそ──俺はその問いに、明確な答えを持てない。
そもそも、俺はこの聖杯戦争とかいうバカげた儀式に巻き込まれただけだ。好き好んでマスターに選ばれたわけじゃない。戦わなければ殺されるからといって、はいそうですかと言えるものか。こんなふざけた戦いは、やりたい奴だけがやればいい。
だが……事実として、俺はサーヴァントを召喚してしまっている。遠坂の話によれば、英霊は自分の願いを聖杯に託すために、サーヴァントとして召喚されるのだという。そうだとすれば、この黄金の青年にも大切な願いがあるはずだ。
俺が「戦わない」と言うのは簡単だ。だが、マスターとサーヴァントは二人で一組。マスターである俺が、戦いを放棄するということは──それはサーヴァントであるアーチャーの心を、土足で踏み躙るのと同じことだ。
ランサーと戦い、俺を助けてくれたアーチャーの願いを、自分勝手なエゴの為に犠牲にする……そんな決断が、できるわけがない。
押し黙る俺の代わりに口を開いたのは──どこまでも偉そうな、黄金の英霊だった。
「その前に一つ言っておこう、雑種ども。
──これは我の戦いではない。我はただ、その小僧の道化ぶりを愉しむのみ」
その言葉に、再び空間が凍り付く。
理解が出来ず、呆然と立ち尽くすセイバーと遠坂を退屈そうに一瞥し……アーチャーは、俺に向き直った。
「そこの雑種──衛宮士郎、と言ったな。我は貴様の思想、価値観に毛ほどの興味もない。単に、貴様という人間を観賞するだけだ」
アーチャーの紅い瞳は、俺だけを冷たく見つめている。情など一片も感じさせない、冷酷な裁定者の瞳。
──理解できない。
こいつは本気で、「衛宮士郎を観賞する」と言っている。
確証はないが、断言できる。忘れている自らの記憶にすら、この英霊は執着していない。
「それは……どういう意味だ、アーチャー。アンタは、サーヴァントなんじゃないのか」
「たわけ。貴様にとって、我は頼り奉る者。それ以外の何者でもない。間違っても味方などと思わぬことだ。
──フン、まあ安心するがいい。今のところ、貴様の置かれた立場は面白い。聖杯などという願望器に興味はないが、当面は貴様のサーヴァントとして力を振るうとしよう」
そう皮肉げに呟くとアーチャーは、無聊の慰みにはなろうからな──と一言付け加えた。
嘲笑と共に向けられた台詞に、絶句する。
驚くべきことに、こいつは「聖杯に興味はない」と言い放った。記憶がないと言い張る以上……こんなヤツが何故召喚されたのかすら、俺には判らない。
アーチャーの興味は、ただ自分の愉悦のみに向けられている。
今すぐ契約を打ち切りたいという衝動に駆られるが……自身にとって不要になったと断じれば、この男は躊躇いなく俺を殺すだろう。
──恐ろしい。
未知のモノへの恐怖で、背筋に冷や汗が伝う。
召喚された英霊は、何かしらの望みを持っているのではなかったか。たとえ記憶を失っているにせよ、この男も聖杯に託すだけの願望があったから、召喚に応じたのではないのか。
にも関わらず……この男は、そんなものに微塵の関心も寄せていない。聖杯戦争という大儀式すら、この英霊は暇潰しと言い切ったのだ。
このサーヴァントは、常軌を逸した存在だ。その思考、価値基準は、俺に理解できるモノではない。
「アーチャー。その少年は貴方のマスターでしょう。それを、味方ではないと言うのなら──貴方は、なんのために召喚に応じたのですか」
黄金の男の異常性に、セイバーが怒りも露わに詰め寄る。返答如何では斬り捨てると、言葉ではなく激怒を以て告げている。
その光景に、アーチャーが微笑を浮かべる。それは俺に向けられていた嘲笑でも、冷笑でもなく──この男には不釣り合いな、優しいとも形容出来る笑み。
だからこそ、それは不気味だった。一体こいつが、何を考えているのか解らない。
男の雰囲気に呑まれまいと、不可視の剣を突き付けるセイバーを見下ろし……アーチャーは、愉快げに喉を鳴らした。
「知らぬ。そもそも、我は聖杯などに興味はない。記憶こそ持たぬが、それは断言できる。
だが──この聖杯戦争という遊戯は、中々に痛快だ。英霊どもが潰し合う姿を見るのも悪くはない」
嘲笑と共に放たれた言葉に、セイバーが凍り付く。
このサーヴァントは、異常過ぎる。聖杯戦争を遊戯と言い切っただけでなく──この青年は、他のサーヴァントたちが殺し合う様すら暇潰しの娯楽としか考えていない。
「な──聖杯を求めて集った、我ら総ての英霊の願いを侮辱するかアーチャー! 御身とて、サーヴァントとして現界した英霊のはず!」
そうセイバーが詰め寄った瞬間、高らかな哄笑が響いた。
少女の真剣さを、まるで道化の冗談とでも取ったかの如き笑い。最早嘲笑を越え、侮辱としか思えぬ高笑いは、叩き付けるようにセイバーを嬲っていた。
いっそ悪辣と言っても過言ではないアーチャーの態度に、セイバーの面持ちが怒りに染まる。それの何が楽しいのか、黄金の青年は額に手を当てて大笑している。
黄金の英霊が見せた余りの狂態に、遠坂も俺も動けない。屈辱に震えるセイバーだけが、アーチャーに激情の眼差しを向けていた。
永遠に続くかとも思わせる爆笑の後、アーチャーは息も絶え絶えに口を開いた。
「ハ──願いと言ったか、セイバー? この我を、凡百の英霊どもと一緒くたにするな。
我は小僧の苦楽に付き合い、戦いを肩代わりし、顛末を楽しむのみ。願望器風情に託す願いなど、端から持ち合わせておらぬ」
そう言い切ると……アーチャーは、徐に意味ありげな目つきをしてみせた。
ねっとりと絡みつくような、おぞましささえ感じさせる視線。黄金の青年は、喜悦に歪んだ笑みを宿してセイバーの肢体を舐め回していた。
その邪悪な双眸を向けられた刹那、稲妻のようにセイバーが動いた。
これ以上の侮辱は耐えきれぬとばかりに、アーチャーの首筋に突き付けられる剣。その先端は皮膚を突き破り、僅かに流血を強いている。
だが──ここに来てもアーチャーは、顔色一つ変えなかった。今にも首を貫かれようとしているにも関わらず、その表情には余裕さえ見せている。
その傲岸不遜ぶりに、セイバーが歯軋りする。無抵抗の相手を傷付けるのは躊躇われるのか、ギリギリの所で少女は踏み止まっている。
止めるべきだと理解していても、止められない。今のセイバーは、それ程までに真剣に怒っていた。
「アーチャー、貴方は……貴方はまた──ッ!」
「あーはいはい、分かったから二人とも落ち着いて。ケンカはその辺にして、そろそろ行くわよ」
と。
険悪な状況を仲裁しようとしたのか、二人を遮り、遠坂はいきなりわけのわからないことを言い出した。
その言葉に我に返ったのか、セイバーは渋々と剣を収める。アーチャーもまた、肩を竦めて口を閉ざした。これ以上の論争は無益だと、二人とも悟ったのだろう。
アーチャーに言いたいことはあるが……今の話を続けるのは傍目に見てもまずい。何もなかったような自然さを装い、俺は遠坂に向き直った。
「……ん? 行くって、どこに行くんだ?」
「貴方が巻き込まれた聖杯戦争について、良く知ってるヤツのところよ。衛宮君、聖杯戦争の理由について知りたいんでしょ?」
もちろん、と頷く。
聖杯戦争の理由だけじゃない。他にも、訊きたいことは山ほどある。
何より──あの、理解を超えたサーヴァント。聖杯戦争について詳しい人物だというのなら、サーヴァントについての知識も持っているに違いない。
今の遠坂の説明だけでは……正直、俺は聖杯戦争というものに対して明確な認識を持てない。巻き込まれてしまった、というのは理解しているが……この後、自分がどう振舞うべきなのか。アーチャーという男に、自分はどう接したら良いのか。今の俺には、それすら判らないのだ。
状況を判断するためには、正確な知識と情報が必要だ。時間は既に深夜を過ぎているが、今すぐ聖杯戦争に詳しい人間を訪ねるという選択肢は間違ってはいないだろう。
帰りが遅くなることが心配だが、幸い明日は日曜日だ。徹夜したところで、大した問題ではない。
覚悟を決めた俺を見て、遠坂は満足げに微笑んだ。
「じゃ、行きましょうか。行き先は、隣町の言峰教会。そこがこの戦いを監督してる、エセ神父の居所よ」
***
深夜の街を歩く。
既に日付は変わり、時刻は午前一時。
人どころか鳥や犬すら見当たらない、寝静まった夜の街。なんとなく不気味な気分になり、隣にいる連れを振り返る。
「────」
俺のすぐ隣を歩いているのは、黄金の弓兵。
しかし、あの甲冑は纏っていない。あの鎧は目立つし、何よりも金属音がうるさい。
親父の古いクローゼットを漁ったところ、よくバイクに乗っている人が着ているような革の服──ライダースーツという服だろう──を見つけたので、アーチャーにはそれを着てもらうことにした。
あの鎧はアーチャーの魔力で編まれたものとの事で、脱着は本人の意思で自由に出来るらしい。必要とあれば服の上から鎧を纏うことも可能らしく、中々に便利だ。
「…………」
その一方……奇怪な格好をしているのは、俺のすぐ後ろに続くセイバーだった。
どうしても鎧は脱がないと主張したため、仕方なく鎧の上から雨合羽を着てもらったのだが……なんというか、怪しすぎる格好になってしまっている。
だが──外見こそ奇妙でも、彼女の緊張感はどこまでも本物だ。
隣の遠坂を守るように、甲冑姿のまま夜道を歩くセイバー。その緊張と警戒心は、敵意の眼光となってアーチャーを穿っていた。
先程のやり取りからすれば、それも無理のない話だろうが……アーチャーの隣を歩く俺からすると、どうも居心地が良くない。
俺と遠坂、或いはそれに加えてセイバーの三人なら、弾む話もあったのかもしれないが……このサーヴァントの影響で、俺たちと遠坂たちの間には微妙な距離がある。そのせいで、俺たちは沈黙を保ったまま歩き続けていた。
真夜中とはいえ、この辺りの道は知り尽くしている。歩くこと自体に抵抗はないが、互いに口を開けない緊張感は俺の精神にとって良くない。
意を決して、隣を歩くアーチャーに声を掛けてみる。
「なあ、アーチャー。アンタは──あのセイバーと、知り合いなのか?」
「知らぬ」
俺の方を見ることすらなく、アーチャーは冷たく切り捨てる。
コイツとは、まともな会話すら困難なのか……と諦めにも似た感情が湧き上がるが──予想外にも、アーチャーは口元に笑みを湛えていた。
「我にはそもそも記憶がない。故に、あの女が何者であるかは知らぬ。だが──英霊の座という概念を念頭に置けば、彼奴が我を見知っていた理由にも想像は付く」
「それって……もしかして、生前の知り合い、ってことか?」
遠坂の受け売りになってしまうが、英霊という連中は、生前に偉大な功績を残した英雄や豪傑だ。
歴史の教科書を読めば判るが、英雄というのは何も一時代に一人だけではない。物語の中にしたって、例えば三国志などは、短い時代の話でありながらも大勢の英雄が描かれている。
その理屈が正しいなら、生前に顔見知りだった英雄が、聖杯戦争に召喚されている……という可能性もあるはずなのだ。
それなら、セイバーの反応にも納得が行く。宿敵だったとか、裏切られたとか……このアーチャーとの間に、そういう関係があったとしても不思議ではない。
俺の言葉に、アーチャーは軽く驚いたような表情を浮かべた。
「ほう? 存外に頭が回るではないか、小僧。だが、貴様は一つ失念している」
……ん?
我ながら、いいところを突いたのではないかと思ったが……何か、俺はヘンなことを言っただろうか。
はてな、と首を傾げる俺を見て、アーチャーは上機嫌に笑みを浮かべて見せた。
「解らぬか。では糸口を与えてやろう──雑種、貴様が今巻き込まれている遊戯は何だ?」
「……聖杯戦争、じゃないのか?」
「然り。時に問うが──貴様は、此度の聖杯戦争が何度目だと思う?」
「──な」
アーチャーの質問。その意味を理解して……衝撃のあまり、その場に躓き掛けた。
聖杯戦争は、英霊という存在をサーヴァントとして召喚する儀式だ。
それが過去にも行われているというのなら……セイバーとアーチャーが、何度か前の聖杯戦争で戦っていたという可能性も確かにある。その仮定が正しいとすれば、セイバーがアーチャーを知っていた事にも納得が行く。
「まあ、それは些か考えにくいが。この聖杯戦争は、『本物』の英霊を呼び出しているわけではない。当世の概念で言えばクローンに近い存在故、サーヴァントの記憶が『本体』、或いは別に召喚されたサーヴァントに完全に引き継がれるという可能性は低かろう」
何の気紛れか、アーチャーは歩きながら親切に説明してくれている。
だが──俺の耳には、その言葉は入ってこない。それ以上の衝撃が、俺の脳を揺るがしていた。
アーチャーは、「この聖杯戦争は何度目だ?」と言った。それは、つまり……過去にも、この凄惨な殺し合いが行われてきたということではないのか。
サーヴァントという規格外の怪物が、互いを狙い合う大儀式。
そんなものが、何度も行われているならば……そこに巻き込まれた人間が、存在しないわけがない。
ランサーの槍を見た。
アーチャーの双剣を見た。
セイバーの剣を見た。
俺はこの目で、三人のサーヴァントの武器を見てきた。故に、断言できる。アレは武器という範疇に収まるモノではなく……桁外れの、「兵器」だ。
ただ振り回すだけで、大地に罅を入れ衝撃波を発生させる異形。巻き込むつもりがなくとも、アレはただの余波ですら人を切り刻める。
事実、俺はランサーとセイバーの戦いを見ていただけで殺されかけた。過去に、サーヴァント同士の戦いを見てしまった者が口封じをされているとすれば……こんな規模の戦いが、今まで話題にも上らなかったことの説明もつく。
思い返してみれば、冬木市では行方不明事件や原因不明の……それこそ、オカルトのようなニュースも多い。与太話にしか思えなかったそれらは──もしかすると、聖杯戦争に関係しているのではないか。
「…………」
ぞっとする。
聖杯なんてものを奪い合うためだけに、一体どれほどの人間が殺されてきたのだろう。
馬鹿げている。こんなものは、馬鹿げている。
一体誰が、何のためにこんなことを──
「あれ。衛宮くん、そっち、道が違うんじゃない?」
その遠坂の声で、はっと我に返った。
後ろを振り向くと、遠坂とセイバーが、小道に入っていく俺を怪訝そうに見つめていた。
……あ、そうか。無意識のうちに入ってしまったけれど、この道を知らない人は結構多いのだ。
「橋に出ればいいんだろ? なら、こっちの方が近道だぞ」
アーチャーを睨むセイバーに気圧され、つっけんどんな口調になってしまう。俺に向けられた視線でないとはいえ、近くに居る側からすると心臓によくない。
踵を返して小道を進むと、二人は素直に付いてきた。セイバーの警戒心を向けられるアーチャーはというと、どこ吹く風という様で周りの民家を眺めながら歩いている。
……まったく。その豪胆さ、少し俺にも分けてほしい。
ランサーと戦った時も、セイバーに剣を向けられた時も、アーチャーは眉一つすら動かさなかった。冷静というより、胆力そのものが違い過ぎる。
テレビに出ている腹黒そうな政治家にも、コイツほど豪胆な奴は居ないだろう。というか、アーチャー程に自信と余裕に満ち溢れた存在を、俺は今まで見たことがない。
なんとなく偉そうだし、コイツ、何処かの王様や指揮官なんかがぴったりじゃないだろうか。
……と、そんなことを考えながらしばらく進むと、川辺の公園に出た。
ここは結構な広さを持つ公園で、昼間には元気な小学生たちで賑わっている。で、ここから見える大きな橋を渡って、隣町の新都へ向かうのだが──
「へえ、こんな道あったんだ。こっちは滅多に通らないから、思わぬ発見ってところね」
驚いたように、橋を見上げる遠坂。新しい発見に喜んでいるその横顔に、思わず見惚れてしまう。
「さっさと行くぞ、遠坂。気になるんだったら、また今度来ればいいだろ」
遠坂に声を掛けると、橋へ向かって再び歩き出す。通り慣れた階段を上り、一直線に続く長い歩道橋へと足を踏み入れる。
予想はしていたが、相変わらずここは人通りが少ない。
というのも、そもそもここを歩いて通ろうとする人はほとんどいないからだ。新都までは距離が離れすぎているため、電車かバスを使って行くのが普通だ。
……でも、そういえば、うちの学校の陸上部が昔ここを走ってトレーニングしてたという噂を聞いた事がある。
わざわざ好き好んでこんなボロい橋に来る連中が居るとは思えないが、この橋はやたら長い。ひょっとしたら、長距離走のトレーニングに使うような猛者もいるのかもしれない。デートなんかでここを通るよりは、そっちの方がまだ可能性がありそうにも思える。
「…………」
デート、という単語を思い浮かべて、ふと後ろの二人を振り返ってしまった。
上機嫌そうに橋を歩く遠坂は、夜というシチュエーションのせいか、いつもより綺麗に見える。美人だと思ってはいたけど、こうして改めて見ると、なんというか……学校で見ていた時よりも可愛く見えて、まいる。
その隣を歩くセイバーは、緊張感に身を包んだままだが……橋から見える夜景のせいか、先程よりも幾分か和らいだように感じる。凛々しい雰囲気がとても似合っているけど、静かに街並みを眺めている横顔も、もう文句なしに可愛い。
……って、馬鹿らしい。何考えてんだ、俺。
後ろからついてくる二人を意識しないように、歩く速度を速める。気のせいか、隣のアーチャーがニヤニヤ笑っているように思えて少し腹が立った。
***
橋を渡り終えると、新都に着いた。
てっきり、駅前のオフィス街に行くのかと思ったが……郊外に向けて案内し出した遠坂を見て、目的地の場所を思い出した。
──言峰教会。
その場所だけは、一応俺も知っていた。といっても、あそこが昔孤児院だった、という情報を知っている程度だが。
なだらかに続く坂道を登っていくと、あれだけあった建物の数も徐々に減っていく。代わりに見えてくるのは、無数の墓標。
……そう。この丘の斜面には、外人墓地が建てられているのだ。
「この上が教会ね。
……あそこの神父、一筋縄じゃいかないから、衛宮くんも気を引き締めた方がいいわよ」
それだけ告げると、セイバーを引き連れた遠坂はどんどん先へ進んでいく。
その方向を追っていくと……ぼんやり、建物らしき影が見えた。おそらく、あそこが目的地の教会なのだろう。
しかし、遠坂に「エセ神父」「一筋縄じゃいかない」と評されるとは、そこの神父は一体どんな人物なのか少し気になる。
神父という職業は、信仰心の厚く、敬虔な人物にこそ相応しいというイメージがあるが……遠坂がああ言うのだから、俺の想像している人物像とは違うのだろう。
ふと思い出したが、以前商店街で「すごいバイクに乗った神父がいた!」と話題になっていたことがあった。まさかとは思うが、アレは事実だったのだろうか?
「──む。見てみろ雑種」
そうアーチャーに促され、考え込んでいた頭を上げる。すると、そこには──
「うわ──すごいな、これ」
とんでもなく豪勢な教会が、夜の闇に浮かび上がっていた。
この高台の殆どが教会の土地なのか、丘の上は見渡す限り平らに整地されている。
その奥に建てられた教会は、夜にも関わらず、荘厳な雰囲気を醸し出していて……迫力というか、威圧感を感じさせる。
信仰心の薄い俺には、今まで縁の無かった建物だが……これだけの厳粛さを前にすると、本当に神様という存在が居るようにも錯覚してしまうから不思議だ。
これからこの中に入るのだろうが、それには少しばかり勇気が要りそうだ。何となく、隣のアーチャーを振り返ってしまう。
「────」
黄金の青年は、難しい顔をして教会を睨み付けていた。
その顔は妙に真剣で、声を掛けることすら躊躇われてしまう。何を考えているのか、アーチャーは眉根を寄せて立ち尽くしている。
首を傾げているところから見て、何か疑問を抱いているようだが……この教会に、何か不思議な点があるのだろうか。
数秒ほど悩んでいたアーチャーは、何処か釈然としない表情を浮かべながらも、俺を見て静かに口を開いた。
「雑種。我は此処に残る。所用があるなら、貴様だけで済ませて来るがいい」
「……え? 折角ここまで来たのに、アーチャーだけ置いてけぼりなんてできないだろ」
「たわけ。我は教会に赴いたのではなく、享楽がてら貴様の行脚に付き合ってやったに過ぎぬ。
それに──此処に残るのは、どうやら我だけではないらしい」
そう嘯き、意味ありげに横に目を向けるアーチャー。その視線の先には、甲冑姿の少女。
……ああ、そういうことか。
遠坂もセイバーも、この黄金のサーヴァントを信用していない。俺と遠坂が教会に行く間は、セイバーがアーチャーを見張っているつもりなのだろう。
あちらの立場からしてみれば、それは当然の判断だが……先程のセイバーの様子を見る限り、この二人だけが残って何も起こらないとは思えない。
俺は遠坂と戦うつもりはないし、今のところはあちらも同様だと信じたい。だから……できるなら、揉め事を起こして欲しくはない。
「アーチャー。アンタ、セイバーと仲が悪いみたいだけど……俺は、遠坂たちと事を構えるつもりはない。だから、アンタからは手を出さないで貰えるか?」
「ほう」
俺の頼みに、アーチャーは興味深げな目を向けてきた。
……これでも、譲歩はしたつもりだ。
本来互いを殺し合うはずのサーヴァントに「戦うな」と頼んでいるのだ。今は戦い合ってはいないが、公然と戦わないと明言したわけではない以上、どう事態が動くかは判らない。
だから、俺は「絶対に戦うな」とは言えない。この英霊が俺の頼みを素直に聞くとは思えないが、それでも筋は通しておきたい。
そんな俺の葛藤を見て取ったのか……俺を一瞥すると、黄金の英雄は鷹揚に頷いた。
「良かろう。我はセイバーには剣を向けぬ」
「……えっ?」
予想外の言葉に、思わず目を見開く。
この傲岸な男のことだから、俺の話など無視するか、或いは一蹴されるかのどちらかだと思っていたのだが……。
「なんだ、貴様はあの女どもと戦わぬつもりなのであろう? これが我の戦ならば一切の容赦なく殲滅しているが、所詮は遊興に過ぎん。マスターの意向には、それなりに従ってやるさ」
本当に従ってやろうなどとは欠片も思っていない口調で、アーチャーは傲然と呟いた。
……よく分からないが、とりあえずは聞き入れてくれたらしい。安堵で、僅かに息が漏れた。
頼みを無視されていたら、正直俺にはどうしようもなかった。コイツは俺なんか足元にも及ばないほどの力を持っているし、この左手に光る令呪も、正直使えるかどうか判らない。
この男のことは、まだほとんど理解できてはいない。しかし……何故だかは解らないが、何となく、コイツは自分が口にした言葉は守る人間なのだろう、という確信があった。
「それに、この場所は──いや、言うまい。雑種に一々拝聴を許す事でもなかろう」
どこまでも倨傲に振舞う金色のサーヴァント。
だが……気のせいか、この一瞬。謎の言葉を紡いだ僅かな一瞬だけ、傲慢な威圧感が薄らいだように思えた。
目を瞬いてみれば、アーチャーは再び無表情に腕を組んでいる。その圧倒的なまでの存在感は、この青年が人を超えた英霊なのだと改めて実感させる。
きっと、気のせいに違いない。まさかこの男が──懐かしいものに出会ったように、無防備な表情を見せるなど。
「──さて。そっちも話は纏まったみたいね。じゃあ行きましょうか、衛宮くん」
セイバーと何やら話し込んでいた遠坂が、こちらを見計らったようなタイミングで声を掛けてきた。
おう、とそれに返事をすると、アーチャーに一声掛けておくのも忘れない。
「じゃあ、行ってくる。ちょっと待っててくれ、アーチャー」
俺の言葉に、アーチャーは反応を返さない。その無言を肯定と受け取り、俺は立ち尽くす青年に背を向けて教会へと歩き出した。
待っていてくれた遠坂に続き、教会に向かう。その直前、静かに佇むセイバーがふと気になってしまった。
「────」
黄色い雨合羽に包まれたセイバーは、張り詰めた雰囲気のまま、少し離れた場所で立っていた。
珍妙な格好と刃のような警戒心は見事に噛み合っていないが、セイバーはそんな瑣事を気にしてはいない。彼女が気にしているのは──傲然と腕を組む、黄金のサーヴァントだけ。
本来は戦い合うサーヴァント同士、警戒するのは至極当然。しかし、それにしてもセイバーのそれは、度が過ぎているように思う。
セイバーとアーチャーの会話を聞いている限り、どうもあの二人は相性が良くないようだが……セイバーの敵意は、多分それだけが原因ではない。
実際、アーチャーの方はセイバーの敵意を欠片も気にしていない。それどころか、愉快げな視線すらあの少女に向けていた。
サーヴァントであるという一点を除いて、殺意に近い敵愾心を向けられるほど、アーチャーに非があるとは思えないが……あの二人には、過去に何があったのだろうか。
一抹の不安を覚えながら、俺は遠坂に続いて教会の扉を潜った。