人妖狩り 幻想郷逸脱審問官録   作:レア・ラスベガス

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こんばんは、レア・ラスベガスです。
唐突ですが親の責任と子供の責任の線引きって物凄く難しいですよね、もし子供が非行に走った時、世間では責任を負うのは親か子供かどちらか片方だけの方が多いです、親の教育が悪かったんだ、と口にする者もいれば、子供は子供で学んでいるから親の責任だけじゃないと口にする者もいます。
実際はどちらなのかというと・・・・・ケースバイケースの場合が多いです、両方に責任があるという場合もあります、だからこそ子供が非行に走る事件が起きた時、前はこうだったから今回もこうだ、とは考えないようにしたいですね。
それでは二十八録更新です。


第二十八録 船底を伺う二又の復讐者 七

村から少し下流に言った所、一見すればいつもと変わらぬ穏やかな流れの緩葉川の中央に結月と鈴音が乗った小舟が浮かんでいた。

「逸脱者・・・・・・小三郎は漁場を巡って争っていた、だからいつも他三人の船を毎日のように見掛けていた筈だ・・・・・逸脱者は水底に潜んでいる以上、逸脱者は水上に浮かぶ舟底を見て狙っている三人の船かどうか判断していた筈だ」

漁師は一人につき一つ船を持っており漁に出掛ける時は自分の船で漁に出掛けていたようで自分以外の漁師に自分の船を貸したりする事はこの村ではまずないらしい。

それを踏まえるならば船を見るだけで誰が乗っているのか逸脱者には判別できた。

「でもまさか、逸脱者はこの漁師舟に見知らぬ人達が乗っているとは思わないわよね」

一方でそれは逸脱者にはこの船にはこの人が乗っているという先入観があるという事だ。

だから例え古正の船に結月達が乗っていても水底から船底を見上げる事でしか判別できない以上、逸脱者は浮かんでいる船には古正が乗っていると思い込むだろう。

「恐らく逸脱者は村の周辺の川底を移動しながら古正の船を探しているはず・・・・・周りには他の船はない、襲うには絶好の機会ね」

逸脱者を村から離れた所に誘き寄せる以上、こちらが逸脱者にとって都合のいい条件を作る必要性があった。

「ただ・・・・・・誘い出されてくるかは運にもよるだろう、今逸脱者が何処に潜んでいるのか正確な場所は把握できてない、村の周辺にいる事は間違いないがもしかしたら今日はもう何処かに身を潜めて動かないかもしれない・・・・・」

昨日は与助を襲い、今日は重信を襲ったのだ、もし逸脱者が警戒しているのであれば今日最後の一人を襲う確率は低いだろう。

「確かにその可能性もあるけど・・・・・・私はその可能性は低いと思うよ、だって人間をやめてまで復讐をしようとしているのよ、警戒なんて思慮深い事が出来るとは思えないわ」

鈴音は緊張した面持ちで舟を漕ぐ道具を持つと上流に向かって押し上げる。

水は下流へと流れている以上、同じ場所に居続けるには舟を漕がなければならなかった。

「きっと今も血眼になってこの船を探しているはずよ、だから期待して待ちましょう」

期待・・・・・期待する程会いたい奴ではないが来てくれる分には断罪する事が出来るため何だか複雑な心境である。

「それにレミリアも言っていたよね、強い意志は運命を自分達が良い方向へと導いてくれるって、私達には人間の誇りや尊厳そして幻想郷の秩序を保つために逸脱者がいない時でも常に努力を怠る事はしない、なら運命もきっと答えてくれるはずだよ」

強い意志は運命を望んだ方へと導く・・・・・まるで御伽噺の様な話だが運命を操る程度の能力を持つレミリア・スカーレットがそう言ったのだ、そして自分達も実際それを経験したのだ。

「そうだな、ただ逸脱者も復讐という名の強い意志で行動している、どちらの望んだ運命に傾くのは俺達かそれとも逸脱者か・・・・・・」

来れば自分達、来なければ逸脱者である、そこまでくるともう運頼みだった。

だがそれでも結月は逸脱者が誘き寄せられる事を信じていた、鈴音は逸脱者が来る事を望んでいるのだ、自分の望まなければ逸脱者に気持ち負けしてしまう。

何とも非現実的な戦いだがここは妖怪の楽園、幻想郷である、科学では証明できない事がしょっちゅう起こる世界なのでこのような運頼みも決して意味がないわけではなくむしろ比較的重要な要素だった。

しばらく川を漂い続ける事数十分、幾ら流れが緩やかとはいえ流石に鈴音に船を漕ぐ仕事を任せ続ける訳にはいかない、まだ体力には余裕がありそうだが逸脱者の戦いのために温存しておかなければならない。

「鈴音先輩、今度は俺が船を漕ぐ、休みながら周囲の警戒を・・・・・」

うん、分かったと口にした鈴音が結月に船を漕ぐ道具を渡そうとした時だった。

「「!?」」

突然、何かを感じ取ったかのように結月達は体を身構えた。

周囲には特に変わった様子は見られない、しかし結月達の耳は何か大きなものが水を掻き分けて泳いでいるかのような音を捉えていた。

その直後、結月達は水中に何かがこちらの方を注視しているのを研ぎ澄まされた神経で感じ取っていた、心の中に冷たい風が吹き込んだかの様な予感がしたのだ。

「結月・・・・・・どうやら運命は私達が望む方に傾いたようだよ」

結月は鈴音の言葉に返事こそしなかったが鈴音と同じ言葉を抱いていた。

逸脱者の姿を見た訳ではないが今感じた冷たく冷え切った風は水中にいる何かの強い殺意がそのような形で結月達に伝わった事を意味していた。

「すぐ攻撃に出るか、それとも・・・・・・」

束の間の静寂が過ぎた後、結月達の乗る舟が大きく揺れる、波がぶつかったようだ、その場でぐらつく結月達だが転倒する事はなくその場で態勢を立て直す。

「・・・・・どうやらこちらの恐怖を煽っているようだ、もしも乗っているのが古正だったら腰を抜かしていただろう」

しかし逸脱者にとって不幸があるとすれば乗っているのが結月達であるという事だろうか、今まで何度も死線を乗り越えてきた結月達にとってこの程度の脅しでは腰を抜かさない。

その時、鈴音が何かを察知しその方向を見ると水中に黒い影が見えた。

漁師舟より一回り大きい黒い影は溶けていくように消えていった。

「確かわかさぎ姫さんの昔話では化物は三首の人妖だったわね」

何が言いたいかは結月も十分わかっていた、結月もまた何かを察知しその方向を見ると再び大きな黒い影の姿が現れては消えていた。

「屋敷にいた人間を逃がすことなく全て殺した化物・・・・・恐らくとても巨大な逸脱者だったのだったに違いない」

どれ程の大きさかは分からない、だが水面から見える陰から見ても結月が今まで戦ってきた逸脱者とは比べ物にならない大きさをしているのは確かだった。

「結月・・・・・大きさに圧倒されてはいけないよ、大きいという事は動きも鈍重である可能性も高いという事だから」

例え逸脱者だとしても体が巨体であればあるほど動きは鈍くなり攻撃の振りも大きくなる。

巨体が有効なのは大多数を相手にする時であり機動性のある少数を相手する場合はその巨体が仇となるのだ。

「攻撃は避けやすく攻撃は当てやすいか・・・・・・そう考えるならあまり怖い相手ではないな」

最もその巨体から放たれる攻撃を直撃すればまず一溜まりもないだろうが・・・・・。

こんな状況下でも結月と鈴音には冗談を口にする程の余裕が感じられた、それは互いに互いの実力を信頼しどんな逸脱者が相手でも勝てると信じているからだ。

ブクブクブク・・・・・・水面から泡が湧き上がる音が聞こえたかと思うと船の周囲を囲むように大量の泡が水中から湧き上がった。

しばらく泡が湧き上がったかと思うと途端に泡は止み、再び静寂に包まれた。

その静けさはまさに嵐が来る前の夜の様なそんな静けさだった。

だが次の瞬間、結月達は何かがこちらに向かって浮き上がってくるのを察知した。

「今だ、明王」

小さくそう呟いた結月、例えその言葉が明王の耳に届かなくても明王と血の刻印で繋がれているため結月の意志を明王はちゃんと感じ取っていた。

それと同時に船は物凄い速度で陸地に向かって進み始めた。

ザバーン!

数秒前自分達がいた所の水位が急激に下がったかと思うと大きな水しぶきと共にブヨブヨと水膨れしたかのような白く大きな肉の塊のようなものが大きな口を開けて現れそして勢いよく口を閉じた。

「ギリギリだったね・・・・・!」

流石の鈴音も少し冷や汗をかきながら船の揺れに耐えていた。

標的を逃した逸脱者の頭部は再び潜水すると物凄い速度で移動する船を追いかけ始めた。

陸地に近づく毎に逸脱者の影の濃さは増し逸脱者の全貌も視覚で捉える事が出来るようになった。

水面に浮かび上がった逸脱者の影、水膨れしたかのような肥大化した人間の体、手足は退化したのかそれとも水中に適応したのかヒレ状になっていた、そして逸脱者最大の武器である首は三つに分かれ頭部へと近づく毎に首は太くなり顔と思われる部位まで来ると首の幅は五mくらいの大きさになっていた。

「結月!しっかり掴まって!」

言われずとも結月はその場にしゃがみこみ両手で舟をしっかりと掴む。

舟の先端には細くも丈夫に編み込まれた紐がくくりつけられており紐の先を陸地にいる明王が口で咥えており明王の脅威の運動能力を持って舟を引っ張っているのだ。

舟を追いかける逸脱者を陸地へと誘き寄せる事で逸脱審問官が自由に動ける場所で戦わせるのが目的だった。

そして逸脱者を逸脱審問官にとって有利な陸地に深追いさせるためには舟を陸地まで引っ張る事が有効だった、そうする事で逸脱者は船を追いかける勢いそのまま陸地へと突撃し陸地の奥まで入り込んでしまうのだ。

だが当然舟は陸地を進む事を前提に作られている訳がない、しかも陸地は石が無数に転がる河原のため船の揺れは相当なものだった。

「っ!」

舟は勢いよく陸地に乗り上げるとそのまま石の上を走っていく。

舟は激しく揺れ大きく軋むような音をたてながら石の上を滑走する、いつ舟が壊れてもおかしくないような揺れと軋む音が結月達に不安を煽る。

しかしそれでも結月達は冷静だった、一度乗る前に目で確認して使い込んでいる割には丈夫に出来ている事を確認したからだ。

舟は何度も大きな石に乗り上げ浮き上がり石の上に激突しながら河川敷の向こう、森に向かって進んでいく。

その背後、逸脱者が勢いそのままに大量の水と共に河原に打ち上げられる。

それを確認した所で結月は明王に命令した。

「明王、紐を捨てて戻れ」

その言葉と共に森の中を駆けていた明王はその場で急停止をすると噛んでいた紐を離すと河川敷に向かって走り始めた。

推進力を失った船は急激に速度を落とし後五m進めば森という所で完全に停止した、結月と鈴音は船から降りると逸脱者のいる川の方を向いて刀を引き抜いた、そして森の奥から船を引っ張っていた明王と一緒にいた月見ちゃんがやってきて結月と鈴音の傍についた。

臨戦状態で待ち構える結月達の一方で逸脱者はここでようやく舟に乗っていたのは標的である古正ではなく武装した若い男女二人と翼の生えた大きな狐と猫である事を理解した。

地上に引き上げられ日の光に晒され姿が露わになった逸脱者、ブヨブヨと水膨れした白い肉塊のような巨大な体、手足はやはり魚のヒレの様になっており水中での行動に適した体になっていた。

首は二又に別れ体と同じく白くブヨブヨとした水膨れしたかのような肉質の首は首元から頭までの長さが十五mあり一番大きい頭には耳や鼻と言ったものはなく目の部分には赤黒い模様が浮かび上がっていた。

そして小舟なら丸呑みできそうな大きな口には人間の歯みたいな嚙み切るというよりは磨り潰すのに適した歯が綺麗に並んでおり肉食の鋭い歯とは違う別の恐怖が込み上げてくる。

鈍重ながらも圧倒されるような桁外れな巨体はかつて人々を軽く蹂躙したという昔話にも納得がいくほどの説得力があった。

普通の人なら逸脱者と正面を向き合っただけでも竦み上がってしまう程の恐怖を覚えるだろう、だが逸脱審問官はそんな逸脱者に命懸けの戦いを挑みそして断罪しなければいけないのだ。

だからこそ逸脱審問官になれる人間は限られるのだ。

「さて逸脱者はどう仕掛けてくるかしら・・・・・・」

逸脱者は地面につけていた頭を持ち上げると結月達の方を見る。

三つの首が結月達の方を向く、表情は伺いしれないが明らかな敵意を結月達は感じ取っていた。

自分を騙した事に怒っているのか、それとも自分に対して向けられた敵意を感じ取ったのか、もしくは狂気に呑まれ復讐を忘れただただ怒りに身を任せ襲い掛かる化物に成り果ててしまったのか。

理由は定かではないがどちらにせよ逸脱者も結月達を敵と見なしたようだった。

逸脱者の三つの頭の口がゆっくりと開いたかと思うとその直後、顎が外れたかのような大口を開けて耳をつんざく様な轟音を周囲に響かせる、森はざわつき穏やかだった川は荒波と化し森に棲んでいた鳥と妖精が一斉に逃げ出した。

「っ!?結月!何か来るよ!」

轟音と共に逸脱者の三首の正面の地面から大量の水が噴き出し三首が向いている方向一直線上に次々と大量の水が噴き出していく。

そのうちの一つが結月達に迫って来ていた、もし巻き込まれでもしたら上空高く打ち上げられ後は落下死を待つだけか、もしくは水しぶきで体が千切れるかのどちらかである。

「っ!」

迫りくる大量の水の噴き出しを前に結月と明王は左側、鈴音と月見ちゃんは右側に避ける。

勢いよく水が湧きだす様な音と共に結月達の横を大量の水が地面から噴き出した。

取り残された古正の舟は大量の水と共に大空高く打ち上げられる、後ろの断崖の頂上に届くかのような高さまで浮き上がるがその後、重力に引かれるように地面へと急降下、勢いよく地面と激突した舟は一瞬で木の残骸と化した。

「・・・・・どうやらこの逸脱者は話が通じなさそうだな」

先程の轟音で耳の鼓膜が震える感覚を覚えながらも結月はしっかりと逸脱者の方を処刑者のような目で見つめていた。

今まで逸脱者とは何度も対話を行ってきた結月達であったが目の前にいる逸脱者は既に理性を捨て狂気に呑み込まれている様に見えた。

恐らくもう自分が何のために復讐しているのか、自分が何者なのかさえ理解できていないのだろう、理由があってこそ憎しみが生まれ、憎しみがあってこそ復讐が成立するのだ、そう考えるならば憎しみもその理由も失ってしまった逸脱者にとって既に復讐の意味はなくなっているに等しかった。

「逸脱者に小三郎だった頃の人格はもうないようね・・・・・なら残された事は逸脱者を断罪するのみね」

復讐の理由を忘れただただ強い狂気に身を任せる逸脱者、絶大な力を制御できなくなり厄災の化身と成り果てた逸脱者を前にして結月と鈴音は殺人を犯し人間をやめてしまった逸脱者の大罪を断罪する意思を固めて逸脱者に刀を向けた。

 

逸脱者が現れる少し前、村の背後にある断崖の上、そこには逸脱者と逸脱審問官との戦闘に巻き込まれないよう避難した村人と影狼とわかさぎ姫の姿があった。

彼等は小三郎が本当に逸脱者になったのか、一体どのような逸脱者になったのか、本当に逸脱審問官は人間をやめてしまった存在に勝てるのか、村は本当に大丈夫なのか、様々な思惑を秘めながら逸脱審問官の様子を静観していた。

「本当に逸脱者なんて現れるのか・・・・・・?おら、まだ小三郎が逸脱者になったなんてとても信じられねえ」

一人の村人が遠くに見える緩葉川に浮かぶ逸脱審問官が乗った舟を見ながらそう言った。

「あたしだって信じられねえよ、でもさ、あれだけ仲の悪かった重信と与助が行方知らずになって重信が首だけになって帰って来たらもう小三郎がやったとしか思えないだよ」

しかし逸脱者の存在を疑う村人に対して隣にいた40代後半の女性はそう答える。

「人間が妖怪に・・・・・考えただけでも恐ろしいわ、とにかく今は逸脱審問官が逸脱者を断罪してくれることを祈りましょう」

そう言った若い女性の手には数珠が握られておりそれは彼女が命蓮寺の仏教徒である事を意味していた。

「ああ・・・・・・そうだな、今の俺達にはそれしか出来ない、俺やお前よりも若い奴らだが只者じゃない雰囲気をだしていた・・・・・・きっと断罪してくれるさ、その資格があるからこそ逸脱審問官なんだ、信じて祈ればきっと仏さんだってあの二人に力を貸してくれるさ」

仏教徒の女性の傍に寄り添う旦那らしき男の手にもまた数珠が握られており彼もまた命蓮寺の仏教徒であった。

「だがよ・・・・・相手は妖怪化した存在なんだろ?例え元々は人間だとしても妖怪の力を持っているという事なんだろ?本当に大丈夫なのかよ・・・・・」

半日村の村人もまた妖怪は恐ろしい存在だという認識があった、例え妖怪退治を専門とする人でも妖怪を懲らしめる事は出来ても妖怪を消滅させるほどの力を持つ人間は極僅かだ。

その極僅かな人間の一人が博麗霊夢なのである。

「さあな・・・・・ただ、逆をいえば人妖は妖怪化した存在だが純粋な妖怪ではないという事だろう?つまり不完全なんだ、不完全である以上、勝てる見込みはあるんじゃないかな?」

素人的考えではあるが実際、逸脱者・・・・・人妖が不完全な妖怪であるという認識はあながち間違いでもなかった、実際蝙蝠の人妖と戦った際、蝙蝠の人妖には蝙蝠特有の超音波や妖怪特有の気配を感じ取る力があったのにも関わらず逸脱者は人間本来の視覚に頼ってしまっているのが何よりも証拠だった。

だが勝てる見込みはあっても本当に倒してくれるかは全くの未知数であり村人達には漠然とした不安が広がっていた。

そんな村人達の雰囲気を気にしてかわかさぎ姫も何処か落ち着かない様子だった。

「影狼ちゃん・・・・・・本当に鈴音さんと結月さんは逸脱者と戦って生きて帰って来られるのかな・・・・・私とても心配なの、もし昔話のような化物が出て来たら・・・・・」

人間が怖くて仕方のなかったわかさぎ姫が人間である結月や鈴音を心配するのは本来なら有り得ない事であった。

「大丈夫よ、鈴音さんと結月さんは私達から見ても他の人達とは明らかに違っていたし、きっと逸脱者を倒して無事に帰って来るわよ、それに鈴音さんも結月さんも逸脱者を倒すのは初めてじゃなさそうだったからどんな逸脱者が出て来てもきっと大丈夫よ」

そう口にする影狼ではあったが本当に大丈夫かどうか確信はなかった、彼女の心中もまた不安の霧が立ち込めておりそして彼女もまた人間が怖くて仕方がなかったはずなのに結月達の事を心配していた。

だがその一方であの時、結月と鈴音から覚悟は並大抵のものではなく彼等なら本当にやってくれるのではないかという思いも影狼の中にはあった。

(大丈夫よ・・・・・私、結月さんと鈴音さんならきっと逸脱者を倒してくれるに違いないわ)

影狼は自分に対してそう言い聞かせる、あの時自分達が見た結月達の覚悟には一切の迷いが感じられず、本当に逸脱者を断罪して見せる、そんな強い意志を影狼は感じていたからだ。

村人の間に不安と期待が入り混じっていたその時、逸脱者はついにその姿を現した。

「お・・・・・おい!あれ・・・・」

村人の一人が指をさした方向、結月達の乗る舟が突然動き出したかと思うとその舟を追いかけるように黒い影が現れ逸脱者は河原へと勢いよく上陸した。

「ま、マジかよ・・・・・・あ、あれが小三郎だっていうのかよ・・・・・」

かつて一緒に村で暮らしていた小三郎とは大きさも形も全てが違う異形の存在を見て村人は驚きと戸惑いを隠せなかった。

わかさぎ姫は怯えた表情を浮かべると冷や汗を流しながらそれでも逸脱者から目を離さない。

「同じ・・・・・昔話と同じ姿をした化物・・・・・・やっぱりあの昔話は本当に起きた事だったんだね」

怯えた表情から辛そうな表情へと変わるわかさぎ姫、影狼はそんなわかさぎ姫の傍に寄り添う、それくらいしかできなかった。

逸脱者が大きな口を開けたかと思うと耳を塞ぎたくなる様な爆音が響き村人達がいる場所も地面が小刻みに揺れていた。

轟音に驚き反射的に目を瞑ってしまった村人達が目を開けて見たもの、それは宙に浮かぶ古正の舟、村人達にはそれが一瞬何なのか理解できなかった、その舟が地面に落ちて残骸と化したのを見て村人はそれが古正の舟だという事を理解した。

「化物だ・・・・・あんなのに人間が勝てる訳がない、もう俺達の村はおしまいだ・・・・」

人間離れした逸脱者の力を前にして人々の中にあった僅かな希望が途絶え絶望と恐怖が心を染め上げていった。

村人達と一緒に見ていた影狼とわかさぎ姫も逸脱者の力に唖然としていた。

「あ、あれが逸脱者の力なのね・・・・・・」

人間をやめて妖怪化した存在であり人間離れした身体能力を持ち妖怪特有の妖力を使うとは予想していたつもりだったが実際自分の目で見た逸脱者の力は自分の予想を上回るものだった、少なくともそれなりの実力を持った妖怪でなければ勝てないような相手であり自分では到底敵いそうもない相手だった。

「・・・・・・人間って怖いわ」

只の人間だった者が復讐のためだけにあそこまでの化物に変わってしまった事に改めて人間の心の闇の深さを実感した影狼であった。

 

逸脱者の妖力攻撃を避けた結月達、とりあえず逸脱者との距離を開けた結月達だったがどうやら逸脱者は妖力で水を操る事が出来るようだった。

「理性を失って闘争本能だけで戦っている割には器用な事も出来るのね」

人間の体に大量の妖力が入る事で人妖化し逸脱者は生まれるのだが逸脱者でも妖力を操って攻撃を仕掛ける事は容易ではなく力任せではまず妖力を具現化する事すら出来ず攻撃として使える程の妖力攻撃を発現させるためにはある程度の知識と集中力、そして妖力を形にする想像力がなければ難しく妖怪化した存在である逸脱者でも扱える者は限られていた。

しかも妖力攻撃は逸脱者の体内に貯蓄してある妖力を使うため多用は出来ず無理して使い続ければ妖力不足となり妖力を補充しなければ妖怪の体が保てなくなり崩壊する、妖怪の体は体内に妖力があってこそ保てる姿なのだ。

そのため逸脱者の多くが物理攻撃や強力な酸や毒、触手などを使うのは妖力攻撃が容易ではないのと使い過ぎれば体がもたないためとされる。

だが今回の逸脱者は妖力攻撃を行えるほどの力があり体内のかなりの妖力を貯蓄しているようだった。

(これ程までに妖力を体内に貯蓄している事を考えると滝壺様と呼ばれる存在はこれ以上の妖力を持った妖怪であるのは間違いなさそうだ)

只の人間であった小三郎がここまでの化物になる程の妖力を体内に注入した事を考えると滝壺様はこの逸脱者と戦っても余裕で勝てる程の力を持った妖怪であるのは間違いなさそうだった。

自分の脅威になりそうな逸脱者を妖怪がわざわざ作る訳ないからだ。

「逸脱者に接近するよ!結月」

様子を見るため逸脱者との距離を開けた結月達であったが相手は遠距離攻撃できる上、距離の空いた逸脱者に攻撃できる武器はネイビーリボルバーだけと決定力に欠けるため急接近しての近接戦が有効的だった。

「耳栓をするわよ、耳栓をしている間は当然会話できないけどいつも通りやれば大丈夫よ」

逸脱者の中には轟音を響かせて相手の動きを止めるものもいる、動けなくなることは非常に危険なため逸脱審問官の正装の胸収納袋には耳栓が入っていた。

これがあれば轟音をある程度軽減する事が出来るが当然会話も出来なくなるため味方同士の意思疎通も難しくなり連携も困難を極める欠点があった。

しかし結月と鈴音にはそんな不安などあまり感じられず戸惑うことなく耳栓をした。

そして結月は明王の背に鈴音は月見ちゃんの背に乗ると明王と月見ちゃんは逸脱者に向かって走り始めた。

逸脱者はこちらに近づいてくる結月達を乗せた守護妖獣達に対して再び大きな口を開け爆音を響かせる。

それと同時に地面から大量の水が結月達に向かって次々と噴き出してくる。

結月と鈴音は耳栓をしても尚、鼓膜を激しく震わせる爆音に耐えながら相棒である守護妖獣にしがみつく。

一方の明王と月見ちゃんは人間よりも遥かに敏感な聴覚を持ち一般的な犬や猫と比べても優れた聴覚をしているのだがやはりそこは妖怪、聴覚の感度を自在に調整できるため轟音程度では全く怯みもしなかった。

次々と迫って来る水しぶきを華麗に避け逸脱者に接近する。

逸脱者も水しぶきが連続して出せる訳ではない、水しぶきを出すためには大声を上げる必要がありもう一度水しぶきを出すためには一度口を閉じ再び開けるしかない。

首は三つあるため一つ大声をあげている間にもう一つが閉じ三つ目の首が大口を開ければいい事なのだがそれでも噴き出す事の出来る水は一方向のみだ。

噴き出す大量の水を次々と避けられすぐ近くまで接近する明王と月見ちゃんに逸脱者は大声をあげるのをやめ突然大人しくなる。

(なんだ・・・・?)

逸脱審問官にとって最も警戒すべき時は唸っている時でもなく怒っている時でもなく大人しくなった時である。

敵を前にして大人しくなるなんて有り得ない、もし何の理由もなく大人しくなったとしたらそれは何か思惑があってその機会を伺っているほかにない。

結月の読み通りだった、突如逸脱者は三つの首を後ろに反り返したかと思うと正面に向けて勢いよく首を振り下ろし地面に叩きつけた。

しかし守護妖獣の反応は早かった、逸脱者が首を反り返した時点で明王と月見ちゃんは後方へ宙返りをすると空中で翼を羽ばたかせ素早く後方へと移動していた。

真ん中の首は結月達の数m手前で地面に叩きつけられる。

明王と月見ちゃんは地面に着陸すると爪をたてて素早く停止し結月と鈴音を降ろす。

逸脱者は地面に首を叩きつけ勢いを殺しているためすぐに首を持ち上げることは出来ないため今が好機だった。

結月と鈴音は一瞬目を合わせると逸脱者に視線を向けて走り始めた。

そして逸脱者に接近すると結月と鈴音は刀を振り上げた刀を振り落とした。

逸脱者の肉は恐ろしく柔らかくまるで豆腐を斬っているかのような斬った感覚があまり感じられないものだった。

しかし斬られて裂けた傷からは大量の血が噴き出し衣服に飛び散った。

結月と鈴音は振り下ろした勢いそのままに刀の向きを変え切り上げた。

歪な×印を描くように切り上げた傷口からは大量の血が噴き出し先程斬りつけた刀傷と交わる場所からは止めどなく血が溢れていた。

結月達が再び逸脱者を斬りつけようとした時、後ろから何かが走って来た、それは明王と月見ちゃんだった、明王と月見ちゃんは逸脱者の顔に飛び掛かると逸脱者の体に爪を食い込ませ逸脱者の体によじ登っていく。

その間に結月と鈴音は逸脱者にこれでもかといわんばかりに横に一閃、刀で切り裂いた。

六太刀も浴びせられた逸脱者は悶え苦しむように首を空高くあげると口を開けて苦痛の声を響かせる。

しかし逸脱者への追撃は終わらない、体をよじ登っていた明王と月見ちゃんは逸脱者の頭上に陣取ると結月達のいる正面に向き直し手足の爪を逸脱者の体に深く食い込ませ自分の体を固定させる。

逸脱者が空を見上げ逸脱者の首が九十度の直角になるなか、明王と月見ちゃんは大きく口を開け綺麗に生え揃った鋭利な牙で逸脱者の体に噛み付き血肉を噛み千切り腹へと治める。

肉を噛み千切られた逸脱者は必死に明王と月見ちゃんがしがみつく真ん中の首を振り回し時には地面にぶつけながら振り落とそうとするが明王と月見ちゃんは必死にしがみつきながら逸脱者の体を貪り食っていた。

その姿は普段の愛嬌ある可愛らしい姿とは程遠く久しぶりに獲物にありつく血に飢えた野生の狼や熊の様な貪欲さと凶暴さを取り戻したかのような姿だった。

しばらくのたうち回っていた逸脱者であったが急に大人しくなったかと思うと左右の首が明王と月見ちゃんの方を向いた。

左右の首の食道の辺りから下から上に向かって何かが込み上げてくるのが結月達からも見えた。

(何かを吐き出そうとしているのか・・・・・?)

恐らくのたうち回っても明王と月見ちゃんを振り落とせない以上、左右の首の力を借りて明王と月見ちゃんに対して攻撃を加えようとしているようだ。

だが左右の首が何かを吐き出そうとした瞬間、明王と月見ちゃんは手足の爪を使って逸脱者の頭部に素早くよじ登るとそこから結月達のいる方向へ飛んだ。

その直後、明王と月見ちゃんがしがみついていた場所を大きな水の塊が掠めた。

バッ!翼を広げ明王と月見ちゃんは短い間滑空すると翼を畳み其々の契約者の傍に着地する。

「かなり痛手を与えたわね・・・・・それに妖力も大分蓄積できたみたい」

鈴音は結月に聞こえない事が敢えて分かっている上でそう独り言を呟いた。

「復讐の動機を忘れた哀れな逸脱者・・・・・・恨みも怒りも苦しみも全て逸脱審問官が断ち切ろう」

動機のない復讐に囚われる小三郎を解放するための戦いはまだ始まったばかりだった。




二十八録読んで頂きありがとうございます。
いかがだったでしょうか?何処かの本で読んだ事があるのですが人間は自分の意志で動いている様で実は欲望に突き動かされている事が多いようです。
確かに考えて見ると食欲も何かが食べたい、これが食べたいと思う事はそれを食べて欲を満たしたい、つまり食欲に突き動かされているという事になります。
物欲もこれを手に入れて欲を満たしたいという物欲に突き動かされているという事になり禁欲も金を手に入れて欲を満たしたいという禁欲に突き動かさているという事になります。
とはいえ人間を突き動かす欲があるとすれば性欲でしょうか、元々子孫を残すという意味合いで性欲が強くても可笑しくないのですが他の欲は比較的我慢できてもこの欲を我慢するというのは難しいと思います。
勿論生きていく上で食欲など最低限の欲は必要ですし欲で満たす事でストレスを発散する事も出来るので決して欲望が悪とは言えません。
ですが欲望はいわば目先の快楽と考える事も出来ます、欲望は本能的な快楽でありその快楽にしたがってばかりでは他の動物が食欲のまま性欲のまま行動するのと何ら変わりないと考える人達も多いみたいです。
実際古来より仏教では欲望は世俗的な物で断ち切る物であるという教えを説いており七つの大罪も欲望を諫めるものとして使われます。
では自分の意志で動くとはどういう事なのでしょうか、それは何かを大きな事を成し遂げるために様々な欲望を我慢するという事じゃないかな?と考えます。
欲望は断ち切るべきと説いた仏陀も様々な欲を断ち切り厳しい修行をした結果悟りと呼ばれる境地に辿り着きました、孔子もまた欲に捉われず本当の『自由』を手に入れました。
中々難しい話かもしれませんが何かこれがしたい、あれが欲しい、そう思った時は一度これが自分の意思なのかそれとも欲なのか考えてみるといいかもしれません。
それではまた再来週。

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