Fate/cross silent   作:ファルクラム

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第31話「白い街」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一面の銀世界。

 

 幻想的な風景は、同時に絶望を孕む、狂気とも言える光景だった。

 

 全てを呑み込むかのように増え続ける白は、いっそ不気味な静けさを持って、全てを圧し潰していく。

 

 音すら飲み込んだような、静寂。

 

 まるで世界から、生命の一切が消え去ったかのような印象さえある。

 

 そんな中を、

 

 彼は歩き続けていた。

 

 重い足を引きずるように。

 

 ただ、前へと進み続ける。

 

 いったい、どれだけの時間を歩き続けた事だろう?

 

 着ていた服は既にボロボロで、もしその姿を見た者がいれば、浮浪者と間違えられたかもしれない。

 

 否、

 

 事実として浮浪者である事は否定できないのだが。

 

 だが、構わず歩き続ける。

 

 やがて、長い坂を上ると、目的の場所が見えてきた。

 

 前庭を通り、奥の建物へ。

 

 古めかしい扉を開く。

 

 仰々しい音と共に開かれた扉の中へと足を踏み入れる。

 

 そこが教会だという事は、すぐに判る。

 

 整然と並んだ長椅子。

 

 数段高い祭壇の上には十字架が掲げられているのが見える。

 

 そして、

 

「よく来た、迷える子羊よ。我が教会において、君のゆく道を照らし出そう」

 

 中央に立つ人物が、大仰に手を掲げてこちらを迎え入れる。

 

 次の瞬間、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 絶句した。

 

 無理も無いだろう。

 

 祭壇の前に立ち、こちらに手招きしている人物は、目付きが鋭く、更に慇懃な口調ながら、どこか油断できない雰囲気を醸し出していたからだ。

 

 そして、

 

 何より、

 

 筋骨隆々とした肉体を柄無しの半袖Tシャツで覆い、頭には三角折りしたバンダナを巻いている。

 

 更に、腰にはエプロンを付け、その表面には丸で囲んだ「麻」の字が描かれた居たのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・すいません。来るとこ間違えました」

「待ちたまえ」

 

 速攻で踵を返そうとしたのを、男は呼び止める。

 

「軽々に判断するのは愚者の所業だ。恐らく、君の目的地はここで間違いない」

「いえ、ラーメン屋に用はありませんので」

 

 そう言って立ち去ろうとするのに対し、背後からこれ見よがしに深々としたため息が投げかけられた。

 

「嘆かわしい事だ。見た目で人を判断するのは、現代における悪弊の一つだな」

「そう言う事は、まともな服装をしてから言ってください」

 

 辛辣にツッコミを入れる。

 

 そもそも、何でラーメン屋が教会の主然として構えているのか?

 

 対して、ラーメン屋の親父は再度、ため息をついて口を開いた。

 

「やれやれ仕方がない。では私も、君に芥子粒程度の信心があると信じて装いを正すとしよう」

 

 そう言って奥へと入っていくラーメン屋の主。

 

 しばらくして戻ってきた時、宣言した通り、彼の着ている服は一変していた。

 

 黒いゆったりとした法衣。胸元には十字架の意匠がある。

 

 れっきとして神父服。

 

 相変わらず胡散臭い剣呑さはある物の、確かに場にあった格好である事は間違いなかった。

 

「改めて自己紹介させてもらおう。私はこの冬木教会を預かる神父の、言峰綺礼(ことみね きれい)だ」

 

 成程、神父であるのは間違いないらしい。

 

 真偽のほどは果てしなく怪しいが。

 

 取りあえず、話が進まないので信じる事にするが。

 

 そう思っていると、言峰はフッと笑った。

 

「もっとも、君には聖堂教会から派遣された監督官。と言った方が、通りが良いかね?」

「ッ!?」

 

 まるで、心の奥底にある物を見透かされたようなざわつく感触に、思わず息を呑む。

 

 聖堂教会。

 

 それは魔術協会と共に、魔術界を二分する一大組織である。

 

 そして、

 

 この冬木の地で行われている「ある魔術儀式」にも深く関与しているという。

 

 そんな表情を読まれたのか、言峰はフッと笑みを浮かべた。

 

「どうやら、話を聞く気になったようで何よりだ」

「・・・・・・・・・・・・噂は、本当なんですね?」

 

 こちらの考えを見透かされたのは癪だが、これ以上拘泥しても話は進まない。

 

 何より、自分の「目的」の為には、どうしても目の前の似非神父(兼ラーメン屋主)から話を聞く必要があるのだ。

 

 こちらが何を言いたいのか察したのだろう。言峰は頷きを返す。

 

「君の考えている通りだよ。もう、それほど時は無いと言っても良いだろう」

「ッ!?」

 

 息を呑む。

 

 まさか、事態がそれ程早く進行していようとは。

 

 噂を聞き、取る物も取りあえずと言った感じに駆け付けたというのそれでも遅きに失した感は否めない。

 

「間もなく、第5次聖杯戦争が始まる。既にエインズワースは準備の9割を完了し、儀式を始める段階まで来ているそうだ。私のところにも一応、話が来たよ。フン、彼らなりの義理立てと言ったところなのだろう」

「そんな・・・・・・・・・・・・」

 

 聖杯戦争。

 

 この冬木の地において行われる魔術闘争。

 

 万能の願望機たる聖杯を降臨させるための儀式。

 

 その最大の特徴は、7人の魔術師が、それぞれ過去に実在したとされる英霊を自分自身に憑依させ争う事にある

 

 そして、

 

 その聖杯戦争を主導的に取り仕切る存在こそ、エインズワース家に他ならなかった。

 

 1000年続く魔術の名門でありながら協会に所属せず、使用する魔術も下位の置換魔術に特化された一族。

 

 だが、彼らはこの冬木の地において、紛れもない支配者だった。

 

 過去に4度起きた聖杯戦争は、いずれも失敗。聖杯が降臨する事は無かった。

 

 特に第四次聖杯戦争は凄惨を極めた。

 

 戦いの終盤に起こった事態により、冬木市深山町はその中心部に巨大なクレーターが生じ、一般人にも多くの犠牲者が出た。

 

 一応、魔術協会と聖堂教会が隠ぺいに動き「天然ガスの爆発事故」と言う事で処理されたが、惨禍の爪痕たるクレーターは、今も深山町に残っている。

 

 あの悲劇以来、深山町の人口は減り続け、今では殆どゴーストタウンに近い様相になっているとか。

 

「・・・・・・・・・・・・じゃあ、もう」

 

 絶望が、胸の内を支配する。

 

 自分は、遅かったのか?

 

 何もかもが、手遅れだったのか?

 

 そんな思いにとらわれる。

 

 だが、

 

「早計な上に軽率だな。人の話は最後まで聞くものだ」

 

 そんな少年の心情を見透かしたように、言峰は言った。

 

 顔を上げる先で、神父は真っ直ぐに少年を見据えていた。

 

「どういう、事ですか?」

「さっき言っただろう。エインズワースは9割がたの準備を完了した、と」

 

 つまり、まだ完全に儀式の準備は完了していない、と言う事だ。

 

「彼らはまだ、肝心な『聖杯』を手にしていない。それが手元にない事には、彼らは儀式を始める事は出来ないのだろう」

 

 奇妙な話である。

 

 聖杯戦争の発起人たるエインズワース家が、聖杯を保持していないとは、いったいいかなる事なのか?

 

「聖杯は今、別の場所にある。エインズワースもまた、必死に探している事だろう」

 

 言いながら、言峰は法衣の懐に手を入れる。

 

「君が聖杯を手にいれんと欲するならば、聖杯戦争に参加し、勝ち取る以外に道は無い」

 

 言いながら、言峰が取り出したのは、1枚のカードだった。

 

「それは・・・・・・・・・・・・」

「エインズワースが聖杯戦争の際、英霊召還の触媒に用いる魔術礼装。俗に『クラスカード』、あるいは『サーヴァントカード』と呼ばれる代物だ」

 

 ゴクリ、と息を呑む。

 

 噂には、聞いたことがある。

 

 時代に名を馳せ、伝説にまで語られる英雄達。

 

 その英雄の魂を宿したカードが、今まさに目の前にあった。

 

 その存在を知る魔術師であるならば、恐懼せずにはいられない事だろう。

 

「今より少し前、先走った魔術協会の尖兵がエインズワースの工房に潜入し、彼らの抹殺を図ろうとして返り討ちにあった。フン、バカな連中だ。いかに戦闘に特化した魔術師であろうと、英霊を操るエインズワースに勝てるはずが無いと言う事が分からんとは」

 

 吐き捨てるようにいながら、言峰は続ける。

 

「だが、生き残った1人が、1枚だけカードを奪って帰還した後、ここまでたどり着いてこと切れた。それが、このカードと言う訳だ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 言峰の視線が、少年を刺し貫く。

 

 ただ、それだけで、少年は全身の筋が硬直したような緊張に見舞われた。

 

 圧倒的な存在感に、押しつぶされそうになるのを必死に堪える。

 

 そんな少年の心情を見透かしたように、言峰は口を開いた。

 

「さて、君には選択肢がある。今この場で、このカードを手に取り、聖杯戦争に参加するか? あるいは、全てを忘れてこの場より去るか」

 

 前者なら、望む物は手に入るかもしれない。が、同時に古代の英霊との戦いの場に身を投じる事になる。

 

 後者は命は助かるだろうが、聖杯は諦めざるを得ない。

 

「・・・・・・性格、悪いですね」

「なに、迷える子羊に道を示しているだけさ。さて、どうする?」

 

 眦を上げる。

 

「『聖杯』は、今どこに?」

 

 答えなど、初めから決まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 衛宮士郎(えみや しろう)は少々、おせっかいが過ぎるきらいがある。と、友人一同から言われる事が多い。

 

 本人にそのようなつもりはなく、至って「自分がやるべき事」をしているだけのつもりであるのだが、どうにも、周りからはそうは見えないらしい。

 

 おかげで友人一同からは「進んで苦労を背負い込む妙なやつ」と思われている部分もあるとか。

 

 もっとも、当の士郎本人からすれば、そんな周囲の噂など気にも留めていないのだが。

 

 元々、機械いじりや雑用は彼の趣味である為、四六時中やっていても苦にはならない。

 

 手先が器用だから、細かい部分の修理もお手の物だった。

 

 今日も士郎は、頼まれもしないのに生徒会室に押しかけ、壊れたストーブの修理にいそしんでいた。

 

 もっとも、生徒会長からすれば、そんな士郎の事を煩わしいと思いつつも、黙認しているのが現状だった。

 

「修理終わったぞ、生徒会長」

「そうか、ごくろう」

 

 扉を開けて入って来た士郎に、生徒会長はねぎらいの言葉を掛ける。

 

 煩わしくとも、雑用を積極的にこなしてくれる士郎は、人員不足の穂群原学園高等部生徒会にとって貴重な「戦力」である。無碍にはできないと言う事だろう。

 

「壊れているストーブ、まだあるだろ? 次はどこだ・・・・・・」

 

 士郎は生徒会長の顔を見て、尋ねた。

 

「ジュリアン?」

 

 言われて生徒会長、一義樹理庵(いちぎ じゅりあん)は振り返った。

 

「そうそうテメェに回す仕事がある訳ねえだろ。俺たちを何だと思ってんだ?」

 

 苛立ったような声を発するジュリアン。

 

 普通の人間なら、相手の機嫌が悪いと察して身を引く事だろう。

 

 だが、生憎(誰にとってか、は置いておく)士郎は、その程度で退くような繊細な精神の持ち主ではなかった。

 

「そうか、まあ、また何かあったら言ってくれよ」

 

 言いながら、士郎は予め置いておいた自分のカバンを開けて、中をさぐる。

 

 取り出したのはハンカチに包まれた弁当箱である。

 

 昼はいつも、ここで取ると決めていた。

 

 そんな士郎の行動に、ジュリアンは更に舌打ちした。

 

「衛宮士郎。お前は何で、いつも生徒会室で昼食を取るんだ?」

「そうだな・・・・・・・・・・・・」

 

 士郎はしばらく考えてから答えた。

 

「一番の理由は、お茶が飲めるって事かな?」

 

 確かに、生徒会室には急須とポット、お茶のパックが常備されている為、お茶を淹れる事ができる。

 

 一応、校内には自販機もあるが、淹れたてのお茶を飲みたい士郎としては、生徒会室に足を運ぶのが常だった。

 

 余りにもあっさりとした理由に、ジュリアンは舌打ちするしかなかった。

 

 彼としては、昼時の喧騒を避けて、静かな生徒会室を独り占めしていたのに、そこへ士郎が毎日押しかけてくるものだから溜まった物ではなかった。

 

 とは言えジュリアン自身、渋々ながら士郎の存在を許している辺り、別段本気で嫌っていると言う訳でもなさそうだ。

 

 と、そこでふと、士郎はジュリアンが食べている物を見て顔をしかめた。

 

「お前、今日の昼飯もそんな物かよ?」

 

 ジュリアンはいつも、昼食は市販の栄養バランス食品しか口にしない。

 

 食事には気を遣う士郎としては、その事がいつも気にかかっていたのだ。

 

「別に、俺の勝手だろ」

「そうは言うけど、そんなもんじゃ足りないだろ。だから、前々から、俺がお前の分も弁当を作ってきてやるって言ってるだろ」

「気色悪い事言ってんじゃねえ」

 

 邪険に言い捨てるジュリアン。

 

 対して、士郎は気にも留めずに言う。

 

「まあ、飯時くらい、話し相手がいても良いだろ。ただでさえ、この学校は人が少ないんだからさ」

 

 士郎の言うとおりである。

 

 現状、穂群原学園の全学生数は全盛期の半数近くまで減ってしまっている。

 

 併設された初等部は既に廃止され、来年度には中等部の規模縮小も検討されているとか。

 

 それもこれも、学校に通えるだけの子供が、この冬木市からいなくなっている事が原因だった。

 

「人が少ないのは学校だけじゃないだろう」

「そうだな・・・・・・・・・・・・」

 

 ジュリアンの言葉に、士郎は頷きを返す。

 

 今から5年前。未曽有の大災害が、冬木市を襲った。

 

 町の地下深くに蓄積されていた天然ガスが何らかの事情で突然引火。冬木市の人口密集地である深山町の中心で大爆発が起こったのだ。

 

 死者、行方不明者多数に上る大災害。

 

 今も深山町の中心には巨大なクレーターが穿たれ、事故のすさまじさを物語っている。

 

 これにより、冬木市から去る者は後を絶たず、街自体がゴーストタウン化しつつあるのが現状だった。

 

「けど、あれはガス爆発なんかじゃない」

 

 士郎は神妙な顔つきで言った。

 

 そう。

 

 世間一般に知られている情報は、明らかに間違っている。

 

 冬木市に住む人間なら、誰でも知っている事である。

 

 あの時、士郎は見た。

 

 冬木市全体を覆いつくさんと広がった闇。

 

 ありとあらゆる絶望を凝縮した闇は、とてもこの世の物とは思えないおぞましさに満ちていた。

 

「衛宮・・・・・・・・・・・・」

 

 と、そこで、士郎の思考を遮るように、ジュリアンが声を掛けてきた。

 

 心なしか、普段よりも固く感じられる友人の表情に、士郎は怪訝な面持ちになる。

 

「お前は、あの闇が晴れた瞬間は見たか?」

「・・・・・・・・・・・・晴れた瞬間?」

 

 突然の質問に、怪訝そうな顔をする士郎。

 

 ややあって、首を横に振った。

 

「いや、見てないな」

「・・・・・・そうか」

 

 士郎の答えに対し、ジュリアンは納得したように頷くと、首を横に振る。

 

 その表情は、士郎から見ると、どこか安堵しているようにも見えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弓を構え、精神を極限まで研ぎ澄ます。

 

 イメージする。

 

 矢が飛んで行く軌跡を。

 

 鷹の目の如き視線は、既に的の正中を捉えていた。

 

 指を放す。

 

 風を切る鋭い音と共に、矢は空中を疾駆する。

 

 そして、

 

 タァンッ

 

 狙い過たず、的の真ん中へと突き立った。

 

 呼吸を整えると同時に、居住まいを正す。

 

 「残心」は、いかなる武道においても、重要な所作である。

 

 衛宮士郎は、学校では弓道部に所属している。

 

 とは言え、部としての体裁は辛うじて最低限保たれている程度である。

 

 先述した通り、冬木市の人口減少に伴い、穂群原学園も学生数が減っている。

 

 部活動も規模縮小され、殆どが廃部に追い込まれている有様だった。

 

 弓道部は現在、2年生の士郎を部長として、3名が在籍している状態だった。

 

 と、

 

 パチパチパチパチパチパチ

 

 手を打つ音が聞こえて振り返ると、後輩2人が笑顔をこちらに向けているのが見えた。

 

 対して、士郎もまた照れ臭そうに笑顔を返した。

 

「何だ2人とも、見てたのか」

「はい」

 

 答えたのは、唯一の女子部員である間桐桜(まとう さくら)だった。

 

 肩下まで伸ばした長い髪をストレートにした少女。どこか儚げな美しさを感じる。

 

「すみません、何だか見とれちゃって」

「見とれ・・・・・・って」

「わたし、先輩の射形見るの好きなんです。一射一射がぶれなく無駄なく純粋で、まるで先輩自身が弓のよう」

 

 そうストレートにべた褒めされると、流石に恥ずかしくなってしまう。

 

 と、

 

「あはッ」

 

 もう1人の人物が、意味ありげな笑みを向けてきた。

 

 こちらも桜と同じ学年の男子である。

 

 嘆息しながら、士郎は振り返る。

 

「何だよ日比谷。言いたい事でもあるのか?」

「言いたい事なら、まあ、それなりに」

 

 士郎に言われて、少年は肩を竦めながら答えた。

 

 華奢な少年である。どちらかと言えば細身な士郎よりも、更に小柄だ。

 

 日比谷修己(ひびや しゅうき)は、この弓道部に所属する3人目である。

 

 入部理由は「弓が好きだから」との事。

 

 その理由に反せず、確かに練習には熱心に参加している。

 

 しかし、残念ながら、なかなか結果が伴わないのだが。

 

 弓道の腕前的には、部内では士郎、桜、修己のみとなっているのが現状だった。

 

「間桐もさ、衛宮先輩といちゃつくんなら、部活終わってから2人でゆっくりやってほしいんだけど? 見せつけられる僕の身にもなってよ」

「い、いちゃ・・・・・・わ、私は別に」

 

 修己の言葉に、たちまち顔を赤くする桜。

 

 確かに、先程の士郎と桜のやり取りは、傍から見ると恋人同士のそれに見えない事も無い。

 

 桜は士郎に心酔している為、よく彼が弓を引くのを傍らで手を止めて見ていたりする。

 

 そんな桜の様子を見て、修己はこんな風にからかったりするときもあるのだった。

 

「おいおい、あんまり桜をいじめるなよ」

「別に苛めてませんよ。いわゆる、スキンシップの一環というやつです」

 

 そう言って肩を竦める修己に、士郎も苦笑するしかなかった。

 

「さ、さあ、もう良い時間ですし。そろそろ上がりましょう。他の部活も終わっているでしょうし」

 

 そう言って、逃げるようにいそいそと片づけを始める桜の背中を、士郎と修己はジト目になって睨む。

 

「逃げたな」

「うん、逃げましたね」

 

 わざとらしい桜の態度に、士郎と修己は揃って苦笑する。

 

 3人しかいない弓道部。

 

 正直、部として成立しているのかどうか怪しいが、自分達3人は、これで噛み合っているから面白い。

 

 願わくば、この時がいつまでも続けばいい。

 

 そんな風に、心から思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部活が終わり、家路へと着いた士郎。

 

 友人一同とのやり取りは、彼にとって心の安らぎを得られる貴重な時間でもあった。

 

 ぶっきらぼうながら、何だかんだで自分につき合ってくれるジュリアン。

 

 後輩として自分を慕ってくれる桜。

 

 一緒にいれば、場の雰囲気が和む修己。

 

 そんな彼らとの日常を、士郎はとても大切なものと思っている。

 

 だが、

 

 そんな彼らに対し士郎は、

 

 たった一つの、

 

 それでいて大きな嘘をついている。

 

 冬木市にある自宅。

 

 広大な敷地を有する和風邸宅の門をくぐり、家の中へと入る。

 

 扉を開けて玄関に入ると、奥からパタパタと小さな足音が聞こえてくる。

 

「おかえりなさい、士郎さん」

 

 出てきた小学生くらいの女の子が、静かな紅い瞳を向けて挨拶をする。

 

 対して、

 

 士郎は小さな同居人に対し、柔らかい笑みを返した。

 

「ああ、ただいま。美遊」

 

 

 

 

 

第31話「白い街」      終わり

 


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