Fate/cross silent   作:ファルクラム

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第11話「不協和音」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 椅子にゆったりと腰かけながら、男は静かに目をつぶっていた。

 

 長い髪に高い背丈。

 

 色の薄い顔は、幽鬼の如く闇に浮かび上がっている。

 

 ダリウス・エインズワース。

 

 エインズワース家の当主であり、美遊を主軸とする聖杯戦争を仕掛けた張本人でもある。

 

 今、ダリウスは大いなる満足感の中にある。

 

 全てが順調の内に運ぼうとしている。

 

 彼は彼の悲願を達成する為に聖杯戦争を起こし、そしてその成就まで、今一歩のところまで来ていた。

 

 計画遂行にあたって多少の瑕疵はあるものの、気にするほどの物ではない。

 

 むしろ、この程度の抵抗が無ければ、張り合いがないと言う物だった。

 

 と、

 

 部屋の中に、新たな気配が入り込んで来たのを察し、ダリウスは目を開いた。

 

「・・・・・・・・・・・・君には感謝しているよ」

 

 話しかけた方角に、人の姿は無い。ただ薄暗い室内の様子が映し出されているのみだ。

 

 しかし、まるでそこにいる人物が誰なのか分かっているかのように、ダリウスは普段の調子で語り掛ける。

 

「君のおかげで、私の計画はより完璧に近い形で成就するめどが立った」

 

 語り続けるダリウスに対し、

 

『お役に立てて何よりですよ』

 

 闇の中から返事が返った。

 

 声の主の姿は見えない。

 

 ただ、不気味な気配だけが、闇の中からにじみ出てきているかのようだった。

 

 そんな相手の様子を見ながら、ダリウスは口元に笑みを浮かべた。

 

「まさか、あのイリヤと言う少女も聖杯だったとはね。聖杯が2つ存在している事の意味は大きい。いざとなれば、2人を基点にして術式を完成させることもできる」

『確かに。聖杯2つ分の魔力を使う事が出来れば、我々の神話が完成する日も早まる事でしょう』

 

 ダリウスの言葉に、闇の中にいる男も頷きを返した。

 

 それにしても、

 

 響達は作戦会議の席上において「エインズワースはイリヤが聖杯である事を知らない」と言う前提で話を進めていた。

 

 しかし結果として、響達の予想は外れていた事になる。

 

 エインズワース側は既に、イリヤが聖杯であるという情報を掴んでいたのである。

 

 いかにして、そのような情報がエインズワースの手に入ったのかは分からない。しかしこれで少なくとも、聖杯の1つが、彼等の手に渡ってしまった事になる。

 

「美遊も間もなく、我々の元へやってくるだろう。その時こそ、計画を最終段階へと進める事になる」

『御意のままに』

 

 ダリウスの言葉に、闇の中にいる男が恭しく頭を下げるのを感じる。

 

 今や、彼らエインズワースを止め得るものは誰もいない。

 

 彼らの悲願は、正にチェックメイトを迎えているに等しかった。

 

 

 

 

 

 そっとドアを開け、周囲を見回す。

 

 右を見て、

 

 左を見て、

 

 もう一度右を見る。

 

「・・・・・・・・・・・・よし、誰もいないね」

 

 イリヤは頷くと、足音を殺しながら廊下へと出た。

 

 暗い城内は、不気味なまでに静まり返っており、殆ど人の気配がしない。

 

 まるで全てが、闇の中に溶け込んでいるかのような印象さえある。

 

 闇の中に、イリヤが着た白いドレスは、いっそ不気味に思える程に美しく映えていた。

 

「うわ~ 何か出そうで怖いんだけど・・・・・・・・・・・・」

 

 先を見通す事の出来ない闇を見つめながら、イリヤは青い顔をのぞかせる。

 

 小学生程度なら当然の事だが、イリヤはホラー系が苦手である。正直、あまり関わりたいとは思わないほどに。

 

 そのくせ止せば良いのに、その手の怪奇番組がテレビがあれば興味本位で見てしまったりするから始末に負えない。

 

 因みに響も、そっち系は割と苦手な方である。

 

 そんな訳で、心霊特番があった夜は、2人仲良く手をつないでトイレに行くのが衛宮家の密かな定番だったりする。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ゴクリと、生唾を呑み込むイリヤ。

 

 怖い。

 

 しかし、

 

 その脳裏に浮かぶのは、昼間中庭で戦っていた弟の姿。

 

 響は危険を顧みず、自分を助けに来てくれた。

 

 ならば、イリヤもここでジッとしている事などできなかった。

 

「何とかして敵の情報を探らないと・・・・・・できれば脱出の手段も」

 

 今のところ、エインズワース側はイリヤを害する気は無い様だ。だからと言って、いつまでも敵の手の中にいる訳にはいかない。

 

 イリヤは恐る恐る、暗がりの中へと足を進めて行った。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・まあ、予想はしていた事だよね」

 

 呟きながら、イリヤは深々とため息をつく。

 

 部屋を出て1時間弱。ある程度城の中を探索したが、特に得られたものは無かった。

 

 大半の部屋はカギがかかっていたし、運よく鍵が開いていたとしても、特にめぼしい物が無かったりするのが常である。

 

「やっぱり、そう簡単にはいかない、か」

 

 悉く徒労に終わった事で、嘆息するイリヤ。

 

 歩き続けて、足が痛みを発している。

 

「・・・・・・こんな時、ルビーがいてくれたら回復してくれたんだろうけど」

 

 ぼやくように呟くイリヤ。

 

 まさか彼女も、相棒が親友の少女と行動を共にしているとは思っても見なかった。

 

 それにしても、予想した事ではあったが、やはり脱出の手段は見つからなかった。

 

 そもそも、捕虜であるイリヤを野放しにするほど、エインズワースは間抜けではないだろう。そう考えれば、塔の部屋にかぎが掛かっていなかったのも、イリヤが逃げられないという自信の表れと言える。

 

「これ以上は何もありそうも無いし、今日のところは部屋に戻った方が良いかな」

 

 また日を改めて探ってみよう。

 

 そう言って、イリヤは踵を返そうとした。

 

 その時、

 

「・・・・・・・・・・・・あれ?」

 

 戻ろうとしたイリヤは、廊下の先に目を止めた。

 

 暗い廊下の中で、そこだけ明るくなっている。

 

 目を凝らしてみるとドアが僅かに開き、そこから光が漏れていた。

 

「誰か、いる・・・・・・・・・・・・」

 

 足音を殺して、そっと近づいてみる。

 

 開いていた隙間から、中を覗き込んでみた。

 

 すると、

 

「あれ・・・・・・・・・・・・」

 

 部屋の中は、意外な程飾り付けられ、どこか幼さを感じさせる印象があった。

 

 壁紙は落ち着きのある白系で統一され、棚にはおもちゃやぬいぐるみの類が並んでいる。

 

 どことなく、女の子っぽい雰囲気が見て取れた。

 

 そして、

 

 部屋の中央のベッドに腰かけて、2人の子供がいた。

 

 1人は女の子。イリヤよりもだいぶ年下で、恐らく小学校低学年くらいの年齢ではないだろうか? まだまだあどけなさの残る顔だちをしている。長い金髪を後頭部でポニーテールに縛り、着ている服もどこか高級感がある。

 

 もう1人は男の子だ。こちらは恐らく、イリヤとそう変わらない年齢のようにも思える。短く切りそろえた髪で、やや華奢な体つきをしている。色白で温厚そうな印象のある少年である。

 

 見れば男の子の方が、困惑顔で女の子に何事か訴えている様子だった。

 

「ねえ、エリカ、そろそろ寝ようよ。夜更かししていると、また怒られるよ」

「大丈夫だよ。だってエリカ、まだ眠くないから」

 

 不安げに告げる少年に対し、エリカと呼ばれた女の子は無邪気にそう答える。

 

 何となく、会話がかみ合っていない。

 

 どうやら、少年はエリカと呼ばれた少女を寝かしつけようとしているが、エリカが駄々をこねているらしい。

 

「だいたい、エリカはもう大人なんだから、まだ眠くなんかないもん」

「ああ、またアンジェリカに怒られる・・・・・・僕が」

 

 そんな2人の様子に、イリヤは何となく微笑ましい気分になる。

 

 元気な子供は、とかく夜更かしをしたくなるものだ。

 

 イリヤや響も、よく遊び足りない時は夜中に起きだして、漫画を読んだりゲームをしたりして遊んだものである。

 

 もっとも、大抵は見回りに来たセラにバレて、2人そろって大目玉を食らってしまったのだが。

 

 と、

 

「だ~れ?」

 

 ふと気が付くと、エリカが不思議そうな顔でこちらを見ている事に気が付いた。

 

 慌てるイリヤ。

 

 見付かってしまった。

 

 どうにか隠れないと。

 

 そう思ってあたふたと周囲を見回す。

 

 だが、

 

「そんなとこいないで、お姉ちゃんも入っておいでよ」

 

 いつの間に傍までやって来たのか、エリカはイリヤの手を引いて部屋の中まで引きいれてしまった。

 

 その無邪気な様子に断る言葉も見つからず、促されるままに椅子に座らされるイリヤ。

 

 どうやらエリカは、イリヤが何者なのか気づいていない様子だった。

 

 と、

 

「あの・・・・・・・・・・・・」

 

 目の前に座った少年が、居心地悪そうに話しかけてくる。

 

 無邪気な少女とは対照的に、彼はイリヤが何者なのか気づいている様子である。その為、この状況をどう扱えばいいのか測りかねているらしい。

 

 無理も無い。捕虜の少女が勝手に部屋を出て、こんな場所をうろついているのだ。戸惑うな、と言う方が無理がある。

 

「ねえねえ」

 

 そんな緊迫した空気など意に介さず、エリカは身を乗り出すようにしてイリヤに話しかけてきた。

 

「エリカはね、エリカっていうの、お名前。お姉ちゃんのお名前はな~に?」

「えっと・・・・・・・・・・・」

 

 少し躊躇ってから、イリヤは口を開いた。

 

 どのみちこうなった以上、黙っていても意味は無いのだから。

 

「イ、イリヤ・・・・・・・・・・・・」

「そっかー じゃあ『イリヤお姉ちゃん』だね」

 

 無邪気にそう言うエリカに、思わずイリヤは感動しそうになった。

 

 思えば彼女はきょうだい達から「お姉ちゃん」などと呼ばれた事は無い。

 

 兄である士郎は仕方ないにしても、妹(とイリヤ本人は強く主張している)のクロや、弟の響まで、デフォルトでイリヤを呼び捨てにしている。

 

 それ故に、エリカからストレートに「お姉ちゃん」と呼ばれた事に対し、軽く感動してしまったのだ。

 

 エリカの無邪気な態度は、いい意味でイリヤの緊張をほぐしてくれた。

 

「えっと・・・・・・エリカちゃんは、ここの子なの?」

「うん、そうだよー ここがエリカのおうちなの」

 

 そう言って無邪気に笑うエリカ。

 

 その笑顔には一切の邪気は感じられず、ただあどけない少女があるだけである。

 

 だが、

 

 同時にイリヤは思う。

 

 エリカはこの城の子。

 

 つまりエインズワース()側の人間だと言う事である。

 

 こんな小さな女の子がいる事には驚いたが、同時に油断していい相手でない事も間違いなかった。

 

「あの・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな中、もう1人の少年が恐る恐ると言った感じに、イリヤに話しかけてきた。

 

「僕が言うのも何なんですけど、大丈夫なんですか? 部屋抜け出したりして」

 

 やはり彼は、エリカと違ってイリヤの正体に気付いているようだ。

 

 もっとも言動を見るに、積極的に咎めるつもりはないらしいが。

 

「えっと、あなたは?」

「あ、申し遅れました」

 

 促されて少年は、自分がまだ名乗っていなかったことに気付いたらしい。

 

 居住まいをただしてイリヤに向き直る。

 

「僕はシフォンって言います。こちらにいる、エリカお嬢様のお世話係を仰せつかっている者です」

 

 丁寧な物腰の挨拶である。

 

 どうやら彼も、イリヤに対して敵対する意思はない様子だ。

 

 これは今のところ、エインズワース全体に言える事だが、イリヤを賓客として扱っている様子がある。

 

 むろん、これは「聖杯としてのイリヤ」に価値を見出しているゆえなのだが、そこのところの事情について、イリヤには知る由も無かった。

 

 と、

 

「ぶー」

 

 何やらエリカが、プクッと頬を膨らませてシフォンを睨みつけた。

 

「もうッ いつも言ってるでしょッ シフォンはエリカの『お友達』だって!!」

「そ、それは・・・・・・・・・・・・」

 

 エリカの言葉に、シフォンは困惑したような表情を見せる。

 

 自分の主人からこのように言われるのは、ありがたいと同時に恐れ多いという感情もある。

 

 まして、エリカのようなあどけない少女に言われると猶更だった。

 

 そのエリカは、イリヤの手を取る。

 

「イリヤお姉ちゃんも、エリカのお友達になってくれるよね」

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 無邪気に手を取ってくるエリカに、少し気圧されるイリヤ。

 

 ある意味、残酷な光景であるのは間違いない。

 

 イリヤとエリカ。

 

 互いに対極に立つ少女たちが、手を取り合っているのだから。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 キラキラと輝く目で見上げてくる少女。

 

 その姿に、イリヤは己の中の価値観が揺らぐのを感じていた。

 

「・・・・・・うん、そう・・・だね」

 

 そう言って笑いかけるイリヤ。

 

 そうだ、こんな無邪気な少女が敵であるはずが無い。

 

 エインズワースにだって、色々な人間がいるのは当たり前なのだから。

 

 そう思って、エリカの頭を優しく撫でてやる。

 

 その時、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私からも、是非お願いするよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!?」

 

 突如、背後から投げかけられた不気味な声。

 

 とっさに振り返るイリヤ。

 

 と、

 

「あ、パパッ」

 

 喜色を浮かべるエリカ。

 

 果たして、

 

 背後にはいつの間に現れたのか、ダリウス・エインズワースが、闇のような瞳でイリヤを見つめ、笑いかけていた。

 

 いったい、いつの間に現れたのか?

 

 全く気配を感じさせる事無く、ダリウスはいきなりイリヤの背後に立ったのだ。

 

 自身に抱き着くエリカの頭を、愛おし気に撫でるダリウス。

 

 一見すると微笑ましい光景のようにも見える。

 

 しかしその姿に、イリヤは背筋から怖気が吹き上がるのを感じていた。

 

 ダリウスの目は、まるで深淵の奈落のように、イリヤを真っすぐに見つめ続けている。

 

 この世の絶望、その全てをため込んだような暗い瞳。

 

 根源から湧き上がる恐怖が、イリヤを縛り付ける。

 

 改めて思い知る。

 

 ここが、敵の城だと言う事を。

 

 そして、

 

 これがずっと、美遊を苦しめていた恐怖の正体なのだ、と。

 

「私からもお願いするよ、イリヤスフィール。これからも是非、娘と仲良くしてやってくれたまえ」

 

 そう言うとダリウスは、不気味な笑みをイリヤに向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の帳が下り、静かな闇が街全体を包み込んでいく。

 

 半ばゴーストタウンと化した冬木市は、不気味なまでの静寂に包み込まれている。

 

 眼下に見える風景には、生活の明かりが全く見えず、ただ沈黙だけが夜の支配者として君臨していた。

 

 屋上のフェンス越しに立ち、美遊は彼方をジッと見つめていた。

 

 その目指す視線の先には深山町の中心、あのクレーターがある。

 

 もっとも、今は闇に閉ざされてみる事は出来ないが。

 

 しかし、

 

 あそこに今、イリヤと、美遊の兄が囚われている。

 

 美遊にとってかけがえのない親友であるイリヤと、自分を慈しみ、自分の為に命がけで戦ってくれた兄。

 

 どちらも大切な存在である。

 

 その2人が今もエインズワースにひどい目に合わせられていると思うと、胸が張り裂けそうな苦しみに襲われる。

 

 叶うなら、今すぐにでも助けに行きたい。

 

 しかし、それはできなかった。

 

 今日の戦いで、エインズワース側がどれほどの戦力を持っているかよくわかった。

 

 闇雲に突撃しても勝てない。現に今日だって、返り討ちに遭いかけた。

 

 作戦を立て、戦力を整えたうえで挑まないといけない。

 

 それは判っている。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 拳は、無言のままフェンスを叩く。

 

 判っていても、理解と感情は別物だった。

 

 そもそも、エインズワースの狙いは美遊1人。

 

 兄もイリヤも、美遊に関わってしまったがために、エインズワースに囚われたようなものだ。

 

 見方を変えれば、2人を苦しめているのは美遊自身であるとも言える。

 

「私が・・・・・・・・・・・・」

 

 いけないと判っていても、負の感情はとめどなく溢れてくる。

 

 自分さえ、

 

 自分さえいなければ、

 

 そうすれば、イリヤも、兄も苦しむ事は無かったかもしれない。

 

 自分と出会ってしまったばかりに。

 

 フェンスを掴む手に血が滲む。

 

 広がる痛み。

 

 だが、こんな物は何でもなかった。

 

 イリヤや兄が味わっている痛みを思えば、こんな物は。

 

 その時、

 

「美遊」

 

 背後から呼びかけられる声。

 

 振り返ると、そこには茫洋とした顔で佇む少年の姿があった。

 

「響・・・・・・どうしたの?」

「ん、ちょっと」

 

 そう言うと、響は美遊のすぐ横に立って、同じように街の様子を見つめる。

 

「・・・・・・・・・・・・暗い」

「仕方ないよ。人が殆ど住んでないから」

 

 苦笑しながら答える美遊。

 

 「あちら側」の冬木市は、夜でもそれなりに明るかった。それを思えば、向こうから来た響には、この暗さは異常に映る事だろう。

 

「・・・・・・・・・・・・何考えてたの?」

 

 響が唐突に、そんな事を聞いて来た。

 

 一瞬、心臓が高鳴るのを美遊は感じる。

 

 突然の質問。

 

 闇を見透かしたような響の目が、真っすぐに美遊を見据える。

 

「・・・・・・何って、私は別に、何も」

 

 僅かに視線をそらしながら答える美遊。

 

 流石に少し、苦しい事は自覚している。

 

 響の予想外の質問に、動揺してしまった事は否めなかった。

 

 その動揺を、響は見逃さなかった。

 

「エインズワースの城に行く気?」

「ッ!?」

 

 一気に確信を突く質問を前に、思わず動揺が大きくなるのを隠せなかった。

 

 図星だった。

 

 双方の戦力差は、改めて語るまでも無い。まともなぶつかり合いでは、こちらが必敗は確定している。

 

 戦っても勝てない。他に取りうる手段も無い。

 

 あらゆる思考を重ね、考えに考え抜いた末、

 

 美遊は、その「結論」に達してしまった。

 

 人身御供。

 

 エインズワースの狙いが美遊の身柄なら話は単純。

 

 美遊は自分の身と引き換えに、イリヤと兄を解放するよう、エインズワースと交渉しようと考えていたのだ。

 

「ダメ」

 

 静かに、

 

 しかし強い口調で響は美遊に迫る。

 

「そんな事、させない」

 

 美遊は確かに聖杯であり、エインズワースにとっては喉から手が出るほど欲しい物だろう。

 

 美遊の案で交渉を持ち掛ければ、あるいは話に乗ってくるかもしれない。

 

 だが、相手が約束を守る保証はどこにもない。

 

 これで美遊が相手の手に渡り、イリヤも美遊兄も帰ってこなかったら、完全にこちらの負けである。

 

 いや、そんな上辺の話ではない。

 

 美遊をエインズワースの手に渡したくない。

 

 好きな女の子を敵に差し出したくない。

 

 響の想いの中で、最も強いのはそれだった。

 

「でも・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊は響から視線を逸らしながら言った。

 

「もう、これしか方法は無い」

 

 エインズワース側の戦力が強大である以上、戦って勝つ事は難しい事は判明している。

 

 ならばこそ美遊が「自分を犠牲にしてイリヤ達を救う」と考えたのも無理からぬ面がある。

 

 だが、

 

「絶対ダメ」

 

 響は尚も言い張った。

 

「行かせない」

「響・・・・・・・・・・・・」

 

 言い募る響に対し、美遊は少し困ったような表情をする。

 

 響がかたくなな態度を取るのは美遊を思っての事である。

 

 それは美遊にも判っている。

 

 だが、こうしている間にも兄やイリヤが苦しめられているかと思うと気が気でない。

 

 一刻も早く助けなければ。

 

 焦燥は、否が応でも美遊の中で募っていく。

 

「クロとバゼットも合流した。次はきっと勝てる。だから・・・・・・・・・・・・」

「無理、だよ」

 

 響の言葉を遮るように美遊は静かな声で言った。

 

「昼間の戦いで響も分かったはず。エインズワースがどれだけ強いか・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊の言葉に、響は黙り込む。

 

 確かに。

 

 敵の戦力、特にベアトリスの雷神トールは厄介だ。

 

 現状、力押しで勝てる要素は皆無に等しいのも分かっている。

 

「だからって・・・・・・・・・・・・」

「危険な賭けは、するべきじゃない」

 

 そう言うと美遊は、踵を返そうとする。

 

 次の瞬間、

 

 その手を、響が掴んで引き戻した。

 

 手首に痛みを感じる美遊。

 

 それほど、響の力は強く、同時に意志の強さを感じさせた。

 

「・・・・・・・・・・・・放して」

 

 低い声で告げる美遊。

 

 その声には、威嚇の要素も孕み始めていた。

 

 だが、

 

「やだ」

 

 頑なな声と共に響は更に力を籠め、美遊の腕をしっかりと握る。

 

「そんな事、絶対にダメ」

 

 そう言って美遊を引き戻そうとする響。

 

 と、

 

「・・・・・・・・・・・・じゃあ響には、何か他に方法があるって言うの?」

 

 ひどく低く告げられる美遊の声。

 

 少女の中で、段々と苛立ちが募り始めていた。

 

 なぜ、判ってくれないのか。

 

 今はエインズワースから、イリヤと兄を助ける事が最優先だ。その為には、美遊が自分の身を交渉材料にするのが最も有効な手段だと言うに。

 

 焦慮を募らせる美遊に、思わず怯みかける響。

 

 そこへ、美遊は更に畳みかける。

 

「他に方法がないなら、もうこれしかない」

 

 今更思い出した事だが、美遊は割と頑固なところがある。

 

 一度こうと決めたら、簡単には意思を覆す事は出来ない。

 

「邪魔しないで、響」

 

 静かに、そして確固たる口調で告げる美遊。

 

 事実上の決別に近い言葉。

 

 その言葉に、響もムッとした表情を作る。

 

 このまま手を放せば、本当に美遊は、1人で城へと向かおうとするだろう。

 

 と、

 

「・・・・・・・・・・・・勝手」

「え?」

 

 ややあって、響は低い口調で言った。

 

 突然の物言いに、足を止める美遊。

 

 対して、少年の瞳は、真っすぐに美遊を見据えて言った。

 

「美遊はいっつも、1人で全部決める。勝手に」

 

 今、響の中には親友である少女に対するいら立ちが募り始めていた。

 

 美遊が自分を犠牲にして、イリヤや彼女の兄を助けようとしている事は響にも分かっている。

 

 確かにエインズワースは強大だ。それは響にも理解してる。

 

 だが、美遊の考えは、「自分達ではエインズワースに勝てない」と言う思いが前提になっている。

 

 その事が、響きをイラつかせていた。

 

 どうして、簡単に諦めるのか?

 

 どうして、もっと自分たちを信じてくれないのか?

 

 そんな思いで、美遊を見つめる響。

 

「結局・・・・・・・・・・・・」

 

 響は小の腕を掴んだまま告げる。

 

 殊更に低い声で。

 

「美遊はみんなを信用していない」

 

 響たちを信用していないからこそ、「自分を犠牲にする」などと言う選択肢を安易に取る事ができる。

 

 響には、美遊が現実から逃げているように見えたのだ。

 

 美遊は自分を犠牲にしているようで、その実、最も安易な選択肢を選んでいる。

 

 響にはそのように思えるのだった。

 

「そんな事は、ないッ」

「あるッ」

 

 否定する美遊の言葉を、強い口調で制する響。

 

 美遊が、

 

 美遊が行ってしまう。このままでは。

 

 その想いが、響の中で膨れ上がっていた。

 

「逃げたって・・・・・・何の解決にもならない!!」

「ッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パシンッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 乾いた音が、静寂の中に響き渡る。

 

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 その音に驚いたのは、他ならぬ美遊自身だった事だろう。

 

 いつの間にか、響の手を振り払っていた美遊。

 

 その手が今、大きく振り切られている。

 

 掌に徐々に広がる、軽い痛み。

 

 そして、

 

 目の前には顔を横に向けた響の姿。

 

 その頬が、みるみる内に赤く染まっていく。

 

 殆ど無意識だったのだろう。

 

 美遊の手は、響の頬を張り飛ばしていた。

 

 驚いた顔で、美遊を見つめる響。

 

 叩いた方も叩かれた方も、あまりにも予想外の出来事だったのだ。

 

 ややあって、美遊の方から口を開いた。

 

「・・・・・・・・・・・・響には、判らないよ」

 

 眦を上げる美遊。

 

 悲哀と苛立ちが混じり合った美遊の瞳。

 

「私が今、どんな気持ちでいるのかなんて、響には判らない!!」

 

 そう言い捨てると、

 

 美遊はそのまま屋上を飛び出していく。

 

 それを追う事も出来ず、立ち尽くす響。

 

 叩かれて赤くなった頬が、今更ながら痛みを発し始めていた。

 

 

 

 

 

第11話「不協和音」      終わり

 


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