Fate/cross silent   作:ファルクラム

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第29話「湯煙の向こう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その噂の事を耳にしたのは、実家を離れて何年かした頃の事だった。

 

 当時、国外にいた自分は、ほぼ腐っていたと言っても良い。

 

 生きる為なら、何だってやった。

 

 それがたとえ、人の道から外れた事であろうとも。

 

 幸い、自分には「力」があったから、選り好みさえしなければ、食うに困らない程度の額を稼ぐことは、子供でも難しくなかった。

 

 だが、仕事の量が増えるにしたがって、自分の手が汚れていくことだけは理解していた。

 

 そして、徐々に変化していく自分自身が、気にならなくなりつつあることも。

 

 自分は擦り切れつつある。

 

 その事は漠然とだが感じていた。

 

 それで良い。

 

 自分はこのまま、ここで朽ちて死ぬ。

 

 過去に何があったか、どこから来たのかなど忘れて、誰にも知られず路傍のごみずくの如く死んでいくべきなのだ。

 

 そう思っていた。

 

 だが、

 

 その話を聞いた。

 

 聞いてしまった。

 

 ある情報屋から聞いた断片的な噂話。

 

 冬木市

 

 聖杯戦争

 

 カード

 

 大災害。

 

 それらがもたらす不吉な響き。

 

 乾ききり、ひび割れたはずの心に、微かな、しかし確かな鼓動が走るのを感じた。

 

 血が全身に巡り、錆びついていた関節が、軋みを上げて動き始める。

 

逸る想いが、少年を再び立ち上がらせた。

 

「帰らなくては・・・・・・・・・・・・」

 

 自分が捨てた故郷へ、

 

 自分を捨てた故郷へ、

 

 何としても帰らなくては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大切な、あの子を守るために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ます響。

 

 視界の中に広がる風景は、見慣れた物で、そこが自分の部屋である事は考えるまでも無く理解していた。

 

 身を起こす。

 

 時刻は、午前6時より少し前。どうやら、目覚まし時計が鳴るよりも先に起きてしまったらしい。

 

「・・・・・・・・・・・・また、夢」

 

 鬱陶し気なため息と共に、呟きを漏らした。

 

 響はこれまで、幾度か不思議な夢を見てきた。

 

 一つは自分に宿っている英霊、新撰組三番隊組長、斎藤一がたどった人生を再現する夢。

 

 そしてもう一つ。

 

 誰とも知れない、男の夢。

 

「あれって・・・・・・・・・・・・」

 

 その夢について、響はある種の確信めいた物を感じていた。

 

 あの夢は恐らく・・・・・・・・・・・・

 

「・・・・・・本当に、鬱陶しい」

 

 苛立ち紛れに呟く。

 

 あれが「あいつ」の夢だとしたら、強制的に見せられる響としては、迷惑千万この上なかった。

 

 テレビだったら、とっくにチャンネルを変えているレベルである。

 

 あいにく、夢見にチャンネルは無いのだが。

 

 と、

 

 そこでふと、響は壁に掛かった日めくりカレンダーに目をやる。

 

 そこに描かれた日付を見て、思い出したように呟いた。

 

「・・・・・・・・・・・・ああ、そっか」

 

 それは響達にとって、待ちに待った日付だった。

 

 

 

 

 

 その日、

 

 穂群原学園初等部の教室では、担任教師が、どう考えても似合わない事をしていた。

 

「盛夏の候、皆様いかがお過ごしでしょうか?」

 

 そんな入りで始まった口上に、クラスメイト一同、一斉に首をかしげたのは言うまでも無い事だった。

 

 集まる視線の先、

 

 黒板前の壇上では、担任教師である藤村大河女史が、一同を見回していた。

 

「夏空がまぶしい季節ですが、皆さんには暑さにも負けず、元気いっぱいの姿を見せてくださいました。蝉の声が岩にしみいるならば、この校舎には皆さんの声がたくさん染み入っている事でしょう」

 

 口上が進むごとに、教室内のざわめきが増していく。

 

『おいおい、どうしちまったんだタイガーは?』

『最後くらい真面目に締めたいんだろ』

『こんな喋り方できたんだ』

『ん、きっと変なもの食べた』

『有り得るな。何しろタイガーだし』

 

 等々、

 

 しかし大河はそれらのざわつきに構わず口上を続ける。

 

「今、皆さまはどんな気持ちでしょうか? 私は少し寂しくもあり、一か月後が楽しみでもあります。この夏に皆さんがどんな経験をし、何を見、何を知り、何を成すのか、二学期また、皆さんに会えるのを楽しみにしています」

 

 対して、生徒側の反応も様々だ。

 

 真面目に聞いている美遊や雀花。

 

 無駄に長い演説に飽きて欠伸をしているクロ。

 

 「経験」という言葉に過剰反応して顔を赤くしている美々。

 

 「夏休み禁断症状」が出始めている龍子と、それをなだめる那奈亀。

 

 一同を焦らすように長々と演説した大河。

 

 そして、

 

「それじゃあ皆さん、大変長らくお待たせしました・・・・・・・・・・・・」

 

 ようやく、全ての口上を終える大河。

 

 その口元に、ニンマリと笑みを浮かべる。

 

 どうやら「真面目モード」はここまでのようだった。

 

 そして、

 

「夏休み開始だ、オラァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 次の瞬間、

 

 感極まりすぎた龍子が、限界を超えてばったりと倒れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬木中央駅から電車に乗り、着いた地方駅から、専用の送迎用のバスを乗り継いで到着したのは、山間の温泉地だった。

 

 都会の喧騒とは、また違った活気のあるその場所は、冬木市から比較的近い事もあり、多くの観光客が訪れて賑わっていた。

 

「はあ、ようやく到着したねー」

 

 周囲を見回しながら、イリヤは楽しそうに笑顔を浮かべた。

 

 その様子を、彼女の家族は微笑ましそうに眺めている。

 

 石畳によって舗装された道は趣があり、その両脇には土産物や食堂が軒を連ねている。

 

 行きかう観光客の顔には笑顔が見られ、それだけで心が躍るようだった。

 

 夏休みに入り、衛宮家の一同はそろって、温泉旅行に出かけて来ていた。

 

 日程は1泊2日。

 

 県内にある温泉地に家族そろってやって来たのだ。

 

 ところで、

 

「あの・・・・・・・・・・・・」

 

 中の1人が、恐る恐ると言った感じに手を上げた。

 

「本当に、良かったんですか、私が着いて来ても?」

 

 発言したのは美遊だった。

 

 今回は衛宮家の家族旅行と言う事だが、ルヴィアに許可を取って、彼女も一緒に遊びに来たのである。

 

 どうやら、この場にあって部外者と言う事もあり、恐縮してしまっているらしかった。

 

「あら、気にしなくて良いのよ、美遊ちゃん」

 

 そう言って、アイリが美遊に笑いかけた。

 

 響やイリヤが、どうせ行くなら美遊も誘いたいと言ったのを、了承したのは彼女である。

 

 とは言え、大まかな事情を知っているアイリからすれば、美遊も他人の子とは思っていないのかもしれなかった。

 

「もういっそ、うちの子になっちゃう」

「奥様、シャレになっていません」

 

 朗らかに告げるアイリに対し、セラが恐れながらとツッコミを入れる。

 

 何しろ衛宮家には、士郎と響と言う2人の養子がおり、(名目上の)従妹であるクロまで加わっているのだ。放っておくと本当に、もう1人くらい家族が増えそうな気がする。

 

 とは言え、衛宮邸の収容スペックを考えると、そろそろ人員的に限界である。

 

 メイドとして家事一切を取り仕切っているセラからすれば、そろそろ自重してほしいところだった。

 

「そうそう、遠慮する事無いって」

 

 そんな美遊の首に手を回してクロが言った。

 

「クロ、けど・・・・・・・・・・・・」

「『けど』は無し。そもそも、誘ったのはこっちなんだしさ」

「クロの言うとおりだよ」

 

 イリヤも美遊を見て頷く。

 

「美遊が一緒に来てくれた方が、絶対に楽しいもん」

「イリヤ」

 

 親友の誘いに、美遊の緊張も僅かにほぐれた感があった。

 

 と、

 

 少女の手が、そっと取られる。

 

 顔を上げると、目の前に立った少年が、静かに美遊の手を握りしめていた。

 

「響?」

「ん、行こ、美遊」

 

 そう言うと、手を引いて歩き出す響。

 

 これ以上、美遊が無駄に遠慮する前に、さっさと連れて行こうと言うつもりらしい。

 

 そんな末っ子の強引な様子を見て、他の皆も苦笑しながら続くのだった。

 

 

 

 

 

 衛宮家御一行が予約したのは和の雰囲気漂うホテルで、さかのぼれば創業は明治にまでなる老舗の温泉宿だった。

 

 と言っても、古臭いイメージは無く、近年の温泉ブームに対応するため、若い観光客にも合わせた改装を施され、より現代的な施設に生まれ変わっていた。

 

 売りポイントは源泉から直接引いたかけ流し湯と、それに対応したバリエーションの多い風呂の数々だった。

 

 料理長が腕を振るう料理の数々も素晴らしく、それらを目当てに観光シーズンには泊り客で、キャンセル待ちが出るほどだった。

 

 幸い、衛宮家一行が来たのは夏の観光シーズン前だった為、泊り客はそれほどでもなかったのが幸いだった。

 

 

 

 

 

 部屋に荷物を置いた一同は、早速と言った感じで浴場へと繰り出していた。

 

 露天風呂は岩風呂になっており、高級感と自然観とが見事に調和していた。

 

「は~ 気持ち良いね~ 温泉は日本人が世界に誇る文化だよ~」

 

 などと、温泉文化を誇るように言ったのは、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンさん。

 

 因みに彼女は純日本人ではなく、欧州人とのハーフなのだが・・・・・・

 

 まあ、細かい事は気にしないでおこう。

 

 ゆっくりと、お湯の中で手足を伸ばすと、それだけでお湯が全身を包み込んでくる。

 

 西洋風少女のイリヤが裸で湯に入っている姿は、それだけで1枚の絵画のようだった。

 

 そのイリヤの横では、同じようにお湯に手足を投げだした美遊が、微笑みを浮かべている。

 

「うん。外で裸になるのは少し恥ずかしいけど、これはこれで良いと思う」

 

 心なしか、言葉が浮き立っているようにも思える。どうやら、美遊も温泉が気に入ったらしかった。

 

 少女ながら、既に和風美人の風格がある美遊。裸身を晒しているその姿は、既に完成された一個の美と言ってもいいだろう。

 

「ふふん、だから言ったでしょ。来て良かったって」

 

 得意満面なクロが、そう言って笑いかける。

 

 褐色の肌は、和風の温泉とミスマッチ感を出しているが、それが却って一個の異種風景を演出しているかのようだった。

 

「何でクロが勝ち誇ってるの?」

 

 胸を反らすクロに対し、ジト目でにらむイリヤ。

 

 何だか「自分の手柄」みたいな言いぐさが気に入らないようだ。

 

 ともあれ、ここで喧嘩するのも野暮と言う物だろう。

 

 事情はどうあれ、せっかくの夏休み。友達と一緒なら、何をしても大概は楽しい物である。

 

 それにしても、

 

「ふむ」

 

 クロがそれそれ、イリヤと美遊を見比べて呟いた。

 

「どうしたの、クロ?」

「いや~ 何かね~」

 

 意味深な含み笑いを浮かべる少女。

 

「どうやら、この中で一番発育が良いのは私みたいね」

 

 褐色少女の視線が向かった先には、少女たちの胸があった。

 

 既に二次性徴に入り、膨らみかけた胸は、女の子らしい丸みを帯びている。

 

 白い雪原を思わせるなだらかな双丘の上に、ピンク色の突起が恥ずかしそうに自己主張していた。

 

「んなッ!?」

「ッ!?」

 

 クロの発言の意味を悟り、絶句するイリヤと美遊。

 

 とっさに守るように、自分たちの胸を手で隠す。

 

 とは言え、そうした行動は却って、初々しいエロチズムを誘発し、見る者の感情を高める物である。

 

「ク、クロだって似たような物じゃない!!」

「残念でした。どう見ても私の方が大きいしー」

 

 食って掛かるイリヤに、肩を竦めるクロ。

 

 その脇では、顔を赤くした美遊が自分の胸を両手で押さえている。

 

 何とも、ほほえましい光景である事は間違いない。

 

 と、

 

「あらあら、なんだか賑やかねー」

 

 そんな朗らかな声と共に、足音が聞こえてくる。

 

 振り返る3人。

 

 果たしてそこには、

 

「ママも仲間に入れてちょうだい」

 

 優しい笑顔を浮かべた、母、アイリの姿がある。

 

 そして、その母性を現したようなはちきれんばかりの胸は、圧倒的なボリュームを持って鎮座している。

 

 タオルで前を隠しているが、それでも隠しきれていない辺り、その質量たるや推して知るべし、と言ったところだろう。

 

 そのわきに控えているリズもまた、ご立派な双丘を胸に抱いている。

 

 何だか、その後ろにいるセラがかわいそうになってくる光景だった。

 

 とは言え、

 

 アイリとリズ。

 

 2代巨頭が放つ圧倒的戦力差は、小学生同士の「ドングリの背比べ」ごときが敵う存在ではない。

 

 ガックリと肩を落とす負け犬3人組(イリヤ、クロ、美遊)

 

 何とも、哀愁漂う光景だった。

 

 

 

 

 

 少女たちが圧倒的な敗北感を味わっている頃、隣の男湯の方では、

 

 士郎と響の男兄弟がやはり浴室にやってきていた。

 

「ん、くすぐったい・・・・・・」

「こら、動くなって。洗いにくいだろ」

 

 士郎は弟の背中を流してやりながら、そう言って少年を窘める。

 

 そんな士郎の前で、響は縮こまったようにして、無防備な背中を晒していた。

 

 その背中を、士郎は石鹸のついた洗身タオルで丁寧にこすっていく。

 

 対して響は、借りてきた猫のように大人しくなり、士郎にされるがままとなっていた。

 

 脱衣所で服を脱いで、風呂に入るとすぐに、士郎が背中を流してやると言ったのでお願いしたのだが、

 

「結構・・・・・・恥ずかしい、かも・・・・・・」

「うん? 何か言ったか?」

 

 ボソッと呟いた響の言葉は、しかしどうやら士郎には聞こえなかったようだ。

 

 そもそも、士郎と一緒に風呂に入る事自体数年ぶりだ。5年生になってからは、確か一度も無かったはずである。

 

 そんな訳で、響としては奇妙な気恥ずかしさがあるのだった。

 

「それにしても、前から思ってたんだが、」

 

 響の背中をこすりながら、士郎はふと気づいたことを口にした。

 

「響、お前って、結構体小さいよな」

「う・・・・・・・・・・・・」

 

 自分でも気にしている事を言われ、響は言葉を詰まらせる。

 

 実際、響の背は低い。

 

 比較的大柄な森山那奈亀や栗原雀花は勿論、イリヤ、クロ、美遊よりも若干、背が低いくらいである。

 

 クラス内で響より背が低いのは、せいぜい嶽間沢龍子くらいではないだろうか。

 

「・・・・・・去年から、ぜんぜん身長伸びてない」

「そ、そうだったのか」

 

 この背の低さのせいで、クラスでもからかわれる事がたまにある。

 

 図らずも弟が抱えるコンプレックスに触れてしまった士郎は、苦笑するしかなかった。

 

「ま、まあ、小学生の内は男より女の子の方が体は大きいって言うし、そう気にするなって。それに、響の成長期はこれからなんだし。中学生くらいになればグッと伸びるって」

「・・・・・・・・・・・・だと良い」

 

 響は嘆息交じりに呟く。

 

 周りの仲間がどんどん成長していく中で、自分だけ取り残されてしまった感がある。

 

 このまま成長しなかったらどうしようか、などと不安にもなってしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旅館が自慢するだけの事はあり、出された料理はどれも豪華な物だった。

 

 一同はそれぞれ舌鼓を打ち、士郎やセラは食べながらレシピを分析していた。

 

 一部、酔った勢いで、アイリが女性陣にセクハラをかまそうとして、セラが必死に止めようとしている光景が見られたりもした。

 

 何だかんだで、楽しい夜を過ごした一同。

 

 そして、翌朝。

 

 朝早く、誰よりも先に起きた響は、寝ているみんなを起こさないように足音を殺して部屋を抜け出すと、その足で大浴場へと向かった。

 

 この旅館では朝風呂もやっていると聞いて入りに来たのだ。

 

 正直、温泉に来ること自体久しぶりなので、帰る前にもう少し楽しんでおきたかった。

 

 浴衣を脱ぎ、タオルを手に浴室へと入っていく。

 

 寝汗をかいた体を流し、大浴に足を踏み入れた。

 

 途端に、湯に豊富に含まれる酸のピリッとした感触が肌にまとわりつく。

 

「ふう・・・・・・・・・・・・」

 

 お湯の刺激に身を委ねながら、大きく息を吐く。

 

 ここのところ、戦いの連続だった為、これほどゆっくりとした時間を過ごす事が無かった。

 

 刺激の強いお湯が、それらの疲れを一気に洗い流してくれているかのようだった。

 

 と、その時だった。

 

「響?」

 

 湯煙の向こうから駆けられる、聞き覚えのある声。

 

 顔を上げる響。

 

 果たしてそこには、

 

 驚いた顔の美遊の姿がある。

 

「み、美遊ッ な、何でッ?」

「響きこそ、どうしているの!?」

 

 驚く小学生組2人。

 

 響が入った大浴場入り口には、確かに「男湯」の暖簾が掲げられたはず。間違うはずはない。

 

 ならば、美遊が間違ったのか?

 

「わ、私も、女湯の方に確かに入った・・・・・・」

 

 狼狽しながらも、美遊はそう答える。

 

 そりゃそうだろう。寝起きで頭が働かなかったとしても、男湯と女湯を間違えるはずが無い。

 

 実は、響も美遊も知らない事だったが、この温泉には一つカラクリがあった。

 

 大浴場の男湯と女湯は一本の通路で繋がっており、扉1つで自在に行き来できるのだ。勿論、普段はカギが掛けられて通れないようにしてあるのだが、朝の内だけは片方の道を塞ぎ、通路が解放されるのだ。

 

 これは片方の浴場を開放している間に、もう片方の浴場を掃除すると言う意図があるのだが、それと同時に、あえて混浴にする「サービス」でもある。

 

 客の中には、ぜひ混浴で入りたいというカップルや夫婦もいる為、そうしたニーズに答えたものだったが、その結果がこんな形になっていた。

 

 大人勢はその事を知っていたから入ってはこなかったのだが、響と美遊は知らずに入ってきてしまったのだ。

 

「い、今、上がる」

「あ、待って」

 

 戻ろうとする響だったが、その前に美遊が引き留めた。

 

「な、なに?」

 

 なるべく美遊の方を見ないようにしながら、振り返る響。

 

 対して、美遊も直視しないように、視線を背けていた。

 

 間違いなく、今の2人は、湯温以外の理由で顔を真っ赤にしている。

 

「その、響、今入ったばっかりでしょ・・・・・・・・・・・・」

 

 躊躇いがちに美遊は言った。

 

「だから・・・・・・響も入って」

「え・・・・・・でも・・・・・・」

 

 躊躇う響。

 

 言うまでも無く、真っ裸の2人。遠慮するなと言う方が、無理である。

 

「こっちを見なければ、それで良いから」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊の言葉に、響の心は揺れる。

 

 確かに、せっかく来たのに、入らずに帰るのは響としても嫌だった。

 

 

 

 

 

 

~そんな訳で~

 

 

 

 

 

 湯船に浸かる、響と美遊。

 

 今、2人は背中合わせで座っていた。

 

 互いに相手を見ず、それでいて同時に入るのは、これが一番だと言う結論に達したのだ。

 

 とは言え、

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 重苦しくも恥ずかしい沈黙が、2人の間に流れる。

 

 響も美遊も真っ裸。

 

 生まれたままの状態である。

 

 背中越しに感じる互いの鼓動が、心なしか早くなっているように思えるのだった。

 

 ややあって、

 

「「あのッ」」

 

 タイミング悪く(良く?)同時に声を掛けてしまう2人。

 

 その事が、却って緊張の度合いを増してしまう。

 

「み、美遊からどうぞ」

「い、いや、響から・・・・・・」

 

 お互い、ますます動きづらくなってしまう。

 

 高まる緊張感。

 

 正に、先に動いた方が負けるッ と言ったところだろうか?

 

 いや、ちょっと違うが、2人はそれくらい緊張していた。

 

 と、

 

「ッ!?」

 

 響は思わず、ビクッと身を震わせた。

 

 なぜなら、いつの間にか背中合わせの美遊の左手が、自分の右手に重ねるように置かれていたからだ。

 

「み、美遊?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊は答えない。

 

 ただ、

 

 その手はしっかりと、響の手を握りしめている。

 

 それに応えるように、

 

 響もまた、美遊の手を握り返すのだった。

 

 

 

 

 

第29話「湯煙の向こう」      終わり

 




因みに、数年前になりますが、「露天風呂の男湯のみ混浴可」と言う温泉に入った時、若い男女の2人連れが入ってきたことがありました。

ただ、一緒に入る方(特に野郎)は嬉しいんでしょうけど、周りにいるこっちからすれば、嬉しい以前に迷惑でしたね。マナー上、そっちの方を見る訳にもいかないし。ゆっくり入っている事も出来ず、さっさと上がりました。やるなら2人っきりの時にしてほしいと思いましたね。

あ、女の人は美人さんでしたけどね。彼女もそうとう恥ずかしそうにしてました。

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