Fate/cross silent   作:ファルクラム

23 / 116
第8話「衛宮邸攻防戦」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い地下室の中にあって、複数の影が立ち並んでいるのが見える。

 

 響、イリヤ、美遊、凛、ルヴィア。

 

 いつものメンバーである。

 

 そしてもう1人。

 

 そもそもの騒動の発端とも言うべき黒イリヤが、一同に囲まれていた。

 

 もっとも少女の身は十字架に磔にされ、何重にも拘束符でぐるぐる巻きにされている。

 

 特に両腕は魔力を封じる布で、ガッチガチに固められていた。

 

 これだけ厳重に拘束しても尚、油断ならない相手である。何しろ、たった1人でこの場にいる全員を翻弄してのけたのだから。

 

 一同、厳しい眼差しで黒イリヤを見据えていた。

 

「・・・・・・・・・・・・この扱いはあんまりじゃない?」

 

 嘆息交じりに言う黒イリヤ。

 

 とは言え、誰も彼女の言葉に耳を貸さない。

 

 これまでの経緯を考えれば、皆がこれは当然の措置だと考えていた。

 

「まったく、ここまでしなくても危害は加えないわよ」

 

 殊勝な事を言う黒イリヤ。

 

 だが、それも一瞬の事だった。

 

「イリヤ以外には」

「それが問題なんでしょーが!!」

 

 余計な一言に、イリヤが激昂して机を思いっきり叩く。

 

 ともかく、今はまだ安全が確保されたとは言い難いのは確かである。その為、黒イリヤの拘束は厳重にせざるを得なかった。

 

「さて、尋問を始めましょうか。言っておくけど、貴女には黙秘権も弁護士を呼ぶ権利も無いわ」

 

 言いながら、凛は黒イリヤの正面に置かれた机に肘をついて腰かける。

 

 ちょうど、刑事ドラマの取り調べ風景のようだ。

 

「とにかく判らないことだらけなの。全部答えてもらうわよ」

「全部・・・・・・ね」

 

 凛の言葉に対し、思わせぶりな言葉を残してそっぽを向く黒イリヤ。

 

 明らかに、はぐらかす気満々な態度だった。

 

 構わず、凛は始める。

 

「まずは、そうね、あなたの名前を教えてもらおうかしら?」

「名前? そんなの決まってるじゃん。イリヤよ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

 

 あっさりと答える黒イリヤ。どうやら、これくらいは話しても大丈夫、と言う事だろう。

 

 とは言え、

 

 半ば予想していたことだが、名前が「イリヤ」と来た。

 

 これはますます、イリヤ本人との関係が気になる所である。

 

「・・・・・・・・・・・・ちなみに、嘘をつく権利も認めないわよ?」

「心外ね。嘘なんてついてないわよ」

「どうだかね」

 

 肩を竦める凛。

 

 とは言え、少なくとも今のところ、嘘を言っているようには見えなかった。

 

「続けるわよ。貴女の目的は?」

「まあ、イリヤを殺す事かなー」

「なら、自分の首を絞めれば良いでしょ」

「わたしじゃなくて、あっちのイリヤだってば」

 

 あくまでもぶれない黒イリヤ。

 

「ああ、もう!! どっちも『イリヤ』じゃややこしい!! えーと・・・・・・黒・・・・・・クロ!! 黒イリヤだからクロで良いわ!!」

「わたしは猫か? まあ、良いけど・・・・・・」

 

 呆れ気味に返す、黒イリヤ改めクロ。

 

 名前も決まったところで、尋問は続けられる。

 

「・・・・・・で、イリヤを殺そうとする理由は何? まさか、オリジナルを消して私が本物になってやるーとか、そんな陳腐な話じゃないでしょうね?」

 

 古今からある、ホラー物の定番パターンである。

 

 ドッペルゲンガーの証明みたいな話だが、意外な事にクロはニッコリと笑みを浮かべた。

 

「よくわかったね。まあ、おおむねそんな感じかな」

 

 これまでの言動からして、あながち嘘とは言い切れない部分がある。

 

 そもそも、イリヤとクロが、見た目以上に何らかの繋がりがある事は間違いないのだ。それを考えれば、「本物になり替わる」という動機事態、充分に成立しうるだろう。

 

「・・・・・・・・・・・・あなたは、何者なの?」

「核心部分? んー・・・・・・ネタバレには、まだちょっと早いんじゃないかなー」

 

 どうやら、ここが境界線(ボーダーライン)らしい。

 

 ここから先は、話す気はない、と言う事だろう。

 

「・・・・・・・・・・・・まあ、良いわ」

 

 そう言うと、凛は立ち上がる。

 

 どうやら、尋問はここで打ち切りのようだ。

 

 ここまでのクロの態度から言って、無理に聞き出そうとしても答えないのは明白である。

 

 ならば時間をかける必要がある。わずかずつでも、手掛かりを探していくのだ。面倒くさい作業だが、今はそれしか手段が無かった。

 

 そんな凛の様子に、クロは拍子抜けしたように首を傾げた。

 

「あら、全部聞き出すんじゃなかったの?」

「聞き出すわよ。いずれわね。でもその前に、イリヤに関する抑止力を作っておきましょうか」

 

 そう言うと、凛はルヴィアに目配せする。

 

 その意図を汲み取ったルヴィアは、突然、イリヤを背後から羽交い絞めにした。

 

「え、な、何?」

 

 戸惑うイリヤ。

 

 そんな少女に対し、ニヤリと笑みを見せる凛。

 

 その手には、1本の注射器が握られていた。

 

「えッ ちょッ ・・・・・・まさか・・・・・・」

 

 この後至る展開を予想して、青くなるイリヤ。

 

 小学生くらいなら、大抵の子供は注射が苦手であろう。

 

 イリヤも、その例に漏れず、注射は嫌いだった。

 

「イ、イヤァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 少女の絶叫が、館中に響き渡った。

 

 

 

 

 

「ひ、ひどい・・・・・・・・・・・・」

「ちょっと血を抜いただけよ。大げさね」

 

 腕を押さえて涙を浮かべるイリヤに、凛が呆れ気味に告げる。

 

 そんなこと言われても、嫌いなものは嫌いなのだから仕方がない。

 

 そんな姉に、響がよしよしとばかりに頭をなでてあげていた。

 

 そんな姉弟の微笑ましいやり取りを他所に、凛は準備を進めていく。

 

 皿に入れた宝石を、採取したイリヤの血で浸していく。

 

「・・・・・・・・・・・・何をする気?」

 

 流石に不安になって来たのか、クロは声を低めて言う。

 

 対して、ニヤリと笑う凛。

 

「言ったでしょ。抑止力よ」

 

 そう言うと、人差し指にイリヤの血を付ける。

 

 そして、衣装の関係で露出しているクロのお腹、ちょうど可愛らしいおへそを中心に、文様を描く。

 

 それと同時に、ルヴィアがイリヤの手を取って、クロのお腹に書かれた文様に押し付ける。

 

 詠唱を始める凛。

 

 同時に、文様が輝きを増す。

 

「ちょ、な、何これ!?」

 

 イリヤが驚きを増す中、衝撃と閃光が地下室を満たした。

 

「い、いったい何が・・・・・・」

「さあ?」

 

 見守る響と美遊も固唾を飲む中、

 

 縛られたままのクロがキッと顔を上げた。

 

人体血印(じんたいけついん)の呪術・・・・・・・・・・・・いったい何をしたの!?」

 

 叫ぶクロ。

 

 しかし、それには答えず、凛はイリヤを手招きする。

 

「何?」

 

 怪訝な顔つきで近づくイリヤ。

 

 と、

 

 ゴンッ

「あだッ!?」

 

 何を思ったのか、いきなりイリヤの頭にゲンコツを落とす凛。

 

 すると、

 

「あだッ!?」

 

 突然、クロも頭に衝撃を覚え、悲鳴を上げる。

 

 だが、そこで終わらない。

 

 ギュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ

「いややややややややややややッ!?」

「いだだだだだだだだだだだだッ!?」

 

 凛がイリヤのほっぺをつねり上げると、それに合わせてクロも頬に強烈な痛みを受ける。

 

 ギリギリギリギギリギリギリギリ

「ギブギブギブ!?」

「ウーマンリブ!?」

 

 今度はイリヤの腕を取ってプロレス技を掛ける凛。

 

 するとやはり、クロの方も腕に痛みを覚えていた。

 

 ・・・・・・ちょっと余裕そうだったが。

 

 全てが終わった後、イリヤと黒は2人そろって荒い息をついていた。

 

「これは、いったいどういう事なんですか?」

 

 美遊が、イリヤとクロを見比べながら尋ねる。

 

 その一方で、響は2人の様子を眺めていた。

 

「面白そう・・・・・・やってみて良い?」

「やめておあげなさい」

 

 どうやら凛の真似をしてみたかったようだが、呆れ気味なルヴィアに窘められていた。

 

 それはともかく、

 

「痛覚共有よ。ただし、一方的な、ね。主人(マスター)が感じた肉体的な痛みを、そのまま奴隷(サーヴァント)に伝え、主人(マスター)が死ねば、その『死』すら伝える。けど、その逆は無い。シンプルな・・・・・・それ故に強固な呪いよ」

「・・・・・・・・・・・・やってくれたわね」

 

 歯噛みするクロ。

 

 つまり、クロがイリヤを殺そうとして危害を加えれば、その痛みは即座にクロ自身に返ってくる事になる。

 

 それどころか、万が一殺してしまったりしたら、クロも死んでしまう事になるのだ。

 

 勿論、クロが受けたダメージはイリヤに返る事は無い。

 

 抑止力とはよく言ったものである。これで、クロはイリヤに手出しできなくなったわけだ。

 

「そう、つまりこれであなたは・・・・・・・・・・・・」

 

 ルヴィアはクロに、ビシッと指を突きつける。

 

「イリヤスフィールの、『肉奴隷』になったッ と言う事ですわ!!」

 

 自信満々に、とんでもない事を言い放つお嬢様。

 

「いや、ルヴィア・・・・・・それ、違う」

 

 呆れ気味にツッコむ凛。

 

 その傍らで、響が首をかしげていた。

 

「・・・・・・肉・・・・・・団子?」

「ヒビキも違うから」

 

 そう言うと、イリヤは呆れ気味に嘆息するのだった。

 

 

 

 

 

 紆余曲折はあった物の、取りあえず当初の目的だった黒イリヤ(クロ)の捕獲には成功したわけで。

 

 成果としては満足のいくものだった。

 

 その後、クロはとりあえずエーデルフェルト邸の地下室へと監禁しておくことと決まった。

 

 痛覚共有の件も考えると、クロがこれ以上、イリヤに手出しする事は無いだろう。少なくとも当面は。

 

 監禁は、あくまでも「念の為」である。

 

「と言っても、絶対じゃないわ。2人とも、気を抜かないでね」

 

 エーデルフェルト邸の門の前で、響とイリヤを見送りに出た凛が、警告するように言った。

 

 何しろ、自分たちをあれだけ翻弄したクロの事だ。どんな手を使ってくるか分かった物ではなかった。

 

「念のため、これを渡しておくわ」

 

 そう言って凛が差し出したのは「槍兵(ランサー)」のカードだった。

 

 イリヤなら、これを使いこなす事も出来るだろう。

 

「もしもの時は、そいつで遠慮なく貫いてやりなさい。ブスッと」

「わーい、ばいおれんす・・・・・・」

 

 とは言え、ここはありがたく受け取っておくことにした。

 

 「ランサー」のカードをポケットに収めつつ、イリヤは響を伴って向かいの自宅へと戻っていく。

 

「結局・・・・・・あいつが何だったのか、判らないままかァ・・・・・・」

《ややこしい存在っぽいのは確かですけどねー》

 

 嘆息交じりのイリヤに対し、ルビーがノーテンキに返事をする。

 

 確かに、さっきの尋問でも、正体に尋ねたらクロは徹底して答えをはぐらかし、核心に近づけようとしなかった。他の質問にはあっさりと答えたのに、である。

 

 クロの正体。

 

 あるいはそこにこそ、全ての発端があるのかもしれなかった。

 

《イリヤさんの殺害も、何か壮大な目的があるのかもしれませんね》

「壮大ねー」

 

 肩を落とすイリヤ。

 

 向こう(クロ)にどれだけ大きな目的があろうと、巻き込まれるイリヤとしてはいい迷惑以外の何物でもなかった。

 

 玄関をくぐる響とイリヤ。

 

 と、

 

「あれ?」

 

 妙に、リビングの方が騒がしい事に気づき、2人は足を止めた。

 

「お客さん?」

 

 呟きながら、覗き込む響とイリヤ。

 

 次の瞬間、

 

 2人そろって、思わずその場でずっこけた。

 

 なぜなら、

 

「ねえねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは、どんな女の子が好きなの?」

「な、何だよイリヤ。突然そんな事・・・・・・」

 

 夕飯の支度としてインゲン豆の皮をむいている士郎。

 

 その士郎に背後からまとわりついているのは、見紛うはずもない、今まさに、エーデルフェルト邸の地下室に監禁されているはずのクロだった。

 

 あれから1分くらいしかたっていないと言うのに、さっそく脱走してきたことになる。

 

 いくら何でも、ザルすぎだった。

 

「良いじゃない、教えてよー」

「別に、お前に話すような事じゃ・・・・・・」

 

 しかも、イリヤと同じ容姿なのを良い事に、士郎にべたべたしまくっていた。

 

 当然、イリヤ本人としては心中穏やかなハズもない。

 

「ど、どどど、どうしてあいつがここに!? しかも、な、何でお兄ちゃんと一緒にいるのよー!?」

「士郎、モテ期到来?」

 

 取りあえず、響の戯言は置いておいて、

 

《ははぁ・・・・・・そういう事ですか》

 

 何かを悟ったように、ルビーは言った。

 

「ルビー?」

《判りましたよ。恐らく、クロさんは段階を一つ、繰り上げたのでしょう》

「どど、どういう事?」

 

 部屋の中の様子を伺いながら尋ねるイリヤ。

 

 対してルビーは、一気に核心を突いた。

 

《にゃろうの目的は、ずばり士郎さんです。その為に、本物のイリヤさんが邪魔だったのですねー。けど、手出しできなくなったから、今度は直接接触しに行った、と》

「昨日セラが、そんな感じのドラマ見てた」

 

 暢気な事を言う響を他所に、イリヤは割と深刻な悩みに陥りつつあった。

 

 考えられる限り、最悪の事態である。

 

 このままでは、あいつ(クロ)に自分のポジションを奪われかねなかった。

 

 しかも当然と言うべきか始末の悪い事に、当の士郎はクロがイリヤだと完全に思い込んでいた。

 

 そんな事をしている間にも、リビングの中では会話は続いていた。

 

「そういやイリヤ、何か日焼けしてないか? そんなに肌黒かったっけ?」

 

 そう、唯一、イリヤとクロを見分ける事ができるポイントは、肌の色である。

 

 しかし、

 

「んー 気になる?」

「まあ・・・・・・」

 

 士郎としても、妹の容姿が一変すれば、それは気になるだろう。

 

 対して、クロは見せつけるように脇を露出させながら、挑発的に士郎に迫る。

 

「お兄ちゃん、妹の肌がそんなに気になるんだ。エッチー」

「へ、変な言い方するなよ。俺はただ・・・・・・」

「お兄ちゃんの肌フェチー」

「肌フェチ!?」

 

 完全にクロペースだった。

 

 一方、玄関ではイリヤが、恥ずかしさのあまり悶死しそうな程にのたうち回っていた。

 

 自分と同じ顔であんな大胆な事をされたら、それは恥ずかしいだろう。

 

「何て事・・・・・・テロだわ!! これは兄妹の仲をやばい感じに破壊するテロ行為だわ」

「何で士郎がモテると、イリヤが困るの?」

 

 崩れ落ちるイリヤに対し、不思議そうに首をかしげる響。

 

 そんな響の前に、ルビーがフヨフヨと飛んできた。

 

《おやおや~ 響さんは、まだ気づいてなかったんですか?》

「何が?」

 

 思わせぶりなルビーのセリフに、キョトンとする響。

 

 対して、ルビーはやれやれとばかりに嘆息して言った。

 

《イリヤさんはですね、士郎さんの事が好きなんですよ。だから、あんな風にクロさんが士郎さんにベタベタしているのを見ると、気が気じゃないんです》

「ちょ、ルビィィィィィィ!!」

 

 自分の赤裸々な心情をあっさり暴露してくれた相棒を、引っ掴んでガクガクとぶん回すイリヤ。

 

 対して響は、ますます訳が分からないと言った調子で眉を顰める。

 

「士郎なら、好きだけど?」

 

 要するに、自分も士郎の事が好きなのに、今更そんな事を言われても、と言った感じである。

 

 しかし、

 

《いえいえ、響さんの言う「好き」と、イリヤさんの「好き」は、ちょっと違うんですねー》

「何が?」

 

 反応の薄い響に対し、ルビーは更に続ける。

 

《要するに「Like」ではなく「Love」な訳ですよ~ イリヤさんは士郎さんを、男性として好きなんですね~》

「もうやめてェェェェェェェェェェェェ!!」

 

 床をゴロゴロと転がるイリヤ。

 

 そんなイリヤを、響は首をかしげながら見つめる。

 

「・・・・・・よく判んない」

《響さんだってお年頃なわけですし~ 気になる女の子の1人や2人、いるんじゃありませんか~?》

 

 言われて、

 

 響は自分の周りにいる女子の事を思い浮かべる。

 

 雀花、那奈亀、龍子、美々。

 

 皆、それぞれ仲の良い友人達である。彼女達と一緒にいると楽しいのは確かである。

 

 だが、それでルビーのような存在に彼女たちが当てはまるかと言われれば、しっくりこないのも確かだった。

 

 彼女達とは友達であって、それ以上ではない。と言うのが響の考えである。

 

 では、

 

 美遊、は?

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 いつも無表情で、周りには素っ気ない態度を崩さない美遊。それでいて、響とイリヤにだけは、親愛の情を示してくれる。

 

 なんでもこなす完璧少女でありながら、どこか危うい儚さを持った美遊。

 

 その事を思い浮かべた瞬間、

 

 響は自分の中で、不自然に心臓が高鳴るのを感じた。

 

 この感情はいったい何なのか?

 

 響にはまだ、判らなかった。

 

 とは言え、今はそれよりも解決を急がなくてはならない喫緊の事情があった。

 

 尚も恥ずかしそうに悶えているイリヤに対し、ルビーが口調を改めて言った。

 

《イリヤさん。そうやって恥ずかしがっている場合ではないと思いますよ》

「・・・・・・・・・・・・どういう事?」

 

 意味ありげなルビーの言葉に対し、顔を上げるイリヤ。

 

 ルビーは、そんなイリヤに諭すように言った。

 

《クロさんがしている士郎さんに対するアプローチは、私には本来、イリヤさんが望んでいた事のようにも見えますよ》

「は? 何言って・・・・・・」

《本当は「兄妹の枠を壊したい。それ以上の関係になりたい」。そんな風に思っているイリヤさんの気持ちを、クロさんは直接的に表しているように見えるんですよ。少なくとも、私には・・・・・・・・・・・・》

 

 ルビーの指摘に、イリヤは黙り込む。

 

 確かに・・・・・・・・・・・・

 

 認める事はイリヤにとって、いささか以上に業腹だが、自分の中で、義理の兄である士郎に対する想いが存在しているのは確かだ。

 

 だが、それをストレートに形にするのは、やはり気恥ずかしい。

 

 対してクロは、そんな煮え切らないイリヤの態度を代弁しているかのように、士郎に隠さずに好意を向け甘えている。

 

 見ようによっては、クロの行為はイリヤにとっての理想形であるとも言えた。

 

「だからって・・・・・・・・・・・・」

 

 俯きながら震えるイリヤ。

 

 なるほど、事情は理解した。

 

 クロ(あいつ)の意図も分かった。

 

 しかし、理解はできても、受け入れる事は出来なかった。

 

「許せるわけないでしょうが!!」

 

 次の瞬間、イリヤは大きく腕を振り被った。

 

 

 

 

 

 突如、

 

「ひぶッ!?」

 

 楽しそうに士郎に言い寄っていたクロは、左頬に強烈な衝撃を受け、思わず悲鳴を上げた。

 

「イリヤ、どうした?」

 

 突然見せた妹の奇行に、士郎は思わず豆を剥く手を止めて振り返る。

 

 しかし、今のクロには、それにこたえる余裕すらなかった。

 

「こ、この痛みは・・・・・・・・・・・・」

 

 明らかに殴られた痛みを頬に感じ、目にいっぱい涙を滲ませるクロ。

 

 しかし、どう見まわしても、殴った相手の姿は見えない。

 

 と、なると、残る可能性は・・・・・・・・・・・・

 

「イリヤ、本当に大丈夫か?」

 

 心配そうにのぞき込んでくる士郎。

 

 対して、クロは無理やり笑顔を作る。

 

「だ、大丈夫」

 

 ほっぺの痛みを無理やり堪えながら答えるクロ。

 

 しかし、

 

「何でもないよ、お兄ちゃ、ばあッ!?」

「お兄ちゃば!?」

 

 言いかけた直後、今度は右のほっぺに衝撃を受け、再び奇声を発するクロ。

 

 少女は今度こそ堪えきれず、床の上でのたうち回った。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 加害者たる少女も、壁一枚隔てた玄関でのたうち回っていた。

 

「うう、い、痛い、痛い~~~~~~」

《だ、大丈夫ですかイリヤさん? 自分で自分にマジビンタを・・・・・・》

 

 両方のほっぺを真っ赤に腫らしたイリヤが、床にはいつくばってマジ泣きしている。

 

 そう、クロを突然襲った衝撃は、イリヤが自分のほっぺを自分で張り飛ばしたことが原因だった。

 

 当然、イリヤが感じる痛みは、クロにもフィードバックされる。それが、現状の珍妙な状況を作り上げたわけだ。

 

 痛覚共有の意外な活用法もあったものである。

 

 しかし、今ここで、イリヤが出ていくわけにはいかない。そんなことをしたら「2人のイリヤ」を見た士郎が混乱するだろうし、何より、クロの存在は伏せておかなくてはいけないのだから。

 

 イリヤにとって、クロを止めるにはこれしかなかったのだ。

 

 と、いつの間に限定展開(インクルード)したのか、響が刀を出して立っていた。

 

「峰打ちで手伝う?」

《武士の情けです。やめてあげましょう》

 

 取りあえずルビーが止めておいた。

 

 

 

 

 

 そんな中、

 

 リビングでは、クロが最後の力を振り絞って立ち上がっていた。

 

「クッ 最後にせめて!!」

 

 士郎にのしかかるクロ。

 

「うわッ イリヤ、何を!?」

「お兄ちゃんにッ キスを!!」

 

 

 

 

 

「させるかァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 涙交じりの絶叫と共に、

 

 イリヤは自分の足の小指を、思いっきり靴箱の角に蹴りつけた。

 

 

 

 

 

 ちょうどその直後だった。

 

 玄関の扉が開き、凛、ルヴィア、美遊の3人が、険しい顔で衛宮邸に飛び込んで来た。

 

「イリヤ、無事!?」

「クロが脱走しましたわ!!」

 

 その3人が見たものは、

 

 足の小指を押さえ、声も上げられないほどに悶絶しているイリヤの姿だった。

 

「・・・・・・・・・・・・何してるの?」

「ん、壮絶な戦いがあった」

 

 そう言って、肩を竦める響。

 

 実際のところ、イリヤとクロの(物理的に)目に見えない攻防は、壮絶さと裏腹にギャグ過ぎて、どう説明したらいいか分からなかったのだ。

 

「それより、クロならリビング」

《今なら動けないはずですよ!!》

 

「ハッ そうだわ。ちょっとお邪魔するわよ!!」

 

 そう言うと、凛とルヴィアは、尚も床に転がっているイリヤをまたいで、リビングへと突入する。

 

「クロッ!!」

「観念なさいッ 逃がしは・・・・・・・・・・・・」

 

 そこで、凛とルヴィアが見たのは、

 

「あれ、遠坂? ルヴィアも・・・・・・いったいどうしたんだ?」

 

 クロを心配して、解放しているクラスメイトの男子。

 

 突然の来訪者に、士郎は驚いて目を丸くしていた。

 

「衛宮君・・・・・・・・・・・・?」

士郎(シェロ)・・・・・・・・・・・・」

 

 思わず高まる胸の鼓動に、2人は茫然とした声を出す。

 

 衛宮士郎。

 

 その存在は、凛とルヴィアにとって、特別な意味を有していた。

 

 次の瞬間、

 

『 『な、何その反応は!?』 』

 

 乙女チックな凛とルヴィアの様子に、期せずして、イリヤとクロは同じことを考える。

 

 やはり同じ想い人(義兄)を持つ者同士、至る答えは一緒と言う事だろう。

 

 今まさに、イリヤとクロ(2人のイリヤ)は、想いを同じくしているのだった。

 

 ・・・・・・・・・・・・こんなタイミングではあるが。

 

 それはそうと、

 

 イリヤの介抱の為玄関に残った美遊も、リビングの様子に聞き入っていた。

 

「・・・・・・衛宮・・・・・・シェロ・・・・・・?」

 

 その2つの単語が、少女の心にざわつきを齎す。

 

 まさか・・・・・・・・・・・・

 

 そんなはずがない・・・・・・・・・・・・

 

 ある訳がない・・・・・・・・・・・・

 

 そう、心に言い聞かせる。

 

 だが一同、呆けているのはそこまでだった。

 

「ごめん衛宮君ッ イリヤちょっと借りていくわね!!」

 

 言うが早いか、凛は床に転がっているクロを抱え上げ、一目散に玄関へと向かう。

 

「それではシェロ、ごめんあそばせッ」

 

 続いて駆け出すルヴィア。

 

 呆気に取られたのは士郎であろう。

 

 いきなりクラスメイトの女子2人が乱入してきたかと思うと、妹を誘拐同然にかっさらっていくのだから。

 

「お、おい、遠坂ッ ルヴィア!!」

 

 慌てて追いかける士郎。

 

 しかし、

 

 士郎が玄関に出ると、そこに凛とルヴィアの姿は無く、代わりに弟と、たった今、連れ去られたはずの妹、そして2人と同じくらいの背格好をした少女が1人だけだった。

 

「あ、あれ? イリヤ、それに響も・・・・・・」

「どどど、どうも、お兄ちゃん」

「ん、ただいま」

 

 まさに間一髪と言うべきか、凛とルヴィアがクロを抱えて外へ飛び出すと同時に、士郎が出てくる前に、3人が玄関の扉を閉めたのだ。

 

 その間、僅か1秒前後の早業であった。

 

 1人、全く訳が分からない士郎は、嘆息しながら頭を掻くしかなかった。

 

「それより、遠坂とルヴィアはどこに行ったんだ? いや、その前に、2人とも、あいつらと知り合いだったのか?」

「あははー、いやー ちょっとね・・・・・・」

「最近、よく遊んでる」

 

 そう言ってごまかす2人。

 

 そんな中、

 

 背を向けていた美遊は、高鳴る鼓動と共に、己の中にある感情が急速に膨らむのを感じていた。

 

 予感はあった。

 

 もう1人、高校生の兄がいると言っていたイリヤと響。

 

 衛宮と言う苗字。

 

 間違いだ。

 

 偶然だ。

 

 そんな事あるはずはない。

 

 考えてもいけない。

 

 ずっと、そう考えていた。

 

 しかし、

 

 聞いてしまった。

 

 その声を。

 

 優しくて・・・・・・でも、どこか孤独な声・・・・・・

 

 いけない。

 

 振り返ってはいけない。

 

 見てはいけない。

 

 出会ってはいけない。

 

 そうすれば、全てが終わってしまうかもしれない。

 

 しかし、

 

 湧き上がる感情の誘惑に、

 

 美遊は逆らう事が出来なかった。

 

「あれ、君は?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 視線が合う。

 

 隠しきれない感情が溢れ出す。

 

 美遊は、殆ど無意識に、口を開いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・お兄ちゃん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第8話「衛宮邸攻防戦」      終わり

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。