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瓦礫の山を軽々と飛び越え、深紅の英傑馬が駆けてくる。
巨像にも匹敵するかのような巨体は、それだけで戦車の如き様相がある。
対して、
迎え撃つイリヤ。
手にした斧剣を腰に構え、全膂力でもって横なぎに振るう。
「ハァァァァァァァァァァァァ!!」
気合と共に、斧剣を叩きつける少女。
大気を叩き割るかのように、振るわれる武骨な斧剣。
致死の一撃は、
しかしシフォンを捉える事はない。
その前に、赤兎はひらりと跳躍。イリヤ頭上を飛び越える形で攻撃を回避する。
巨体とは思えないほど、軽快な動きだ。
「クッ まだ!!」
イリヤは逃がすまいとして、追撃を掛ける。
背を向けて駆けるシフォンに、背後から迫る。
「ヤァァァァァァ!!」
振り下ろされる斧剣。
だが、
武骨な剣は、またも空を切り、虚しく地面を抉る。
赤兎は、まるで背後から迫るイリヤが見えているかのように、ひらりと跳躍してイリヤの攻撃を回避してのけたのだ。
「クッ!?」
舌打ちするイリヤ。
ならばと、再度斧剣を振り翳す。
だが、その前にシフォンは手綱を引き馬首を返すと、方天画戟を振るってイリヤに攻撃を仕掛ける。
「■■■■■■■■■■■■!!」
咆哮を上げるシフォン。
大地を踏み抜くほどの踏み込みを見せる赤兎。
振り下ろされる長柄の得物を、斧剣を翳して防ぐイリヤ。
しかし、衝撃は殺しきれず、イリヤは吹き飛ばされる。
「ッ!?」
どうにか体勢を維持しつつも、大きく後退を余儀なくされる。
周囲の瓦礫を弾きながら、どうにか踏み止まるイリヤ。
「イリヤスフィール!!」
バゼットが声を上げる中、どうにか立ち上がる。
だが、
「・・・・・・・・・・・・強い」
イリヤは口の中に広がる苦みを飲み下しながら呟いた。
その視線の先では、赤兎に跨ったままゆっくりと近付いてくるシフォンの姿がある。
赤兎に騎乗して以後、シフォンの動きは格段に素早くなっている。
否、速度だけではない。
完全に息の合っている
互いに、相手が次にどう動くかを完璧に把握し、己が最適の動きをしている。
完璧以上の相互支援。
阿吽と言っても過言ではない。
「人中の呂布、馬中の赤兎」とは、三国鼎立以前の後漢において、民の間で語られた言葉だ。その意味はまさに、人として最強の武を誇る呂布と、馬として最強の赤兎。この2つの組み合わせが、究極である事を現している。
英雄は英雄を知ると言うが、それは動物においても起こり得る。
赤兎と言う馬は、当代最強の武人を背に乗せる為に生まれて来た馬だった。
呂布を背に、中元を思うまま駆け抜けた赤兎。
呂布の死後は、
関羽もまた、呂布に匹敵する武将であった事から、赤兎はこの新たなる主を背に乗せて戦場を駆け巡る事になる。
しかし関羽が呉の奸計に嵌り、敗れて処刑された後、今度は関羽討伐において、たまたま手柄を立てただけの下っ端の武将に下賜された。
しかし誇り高い赤兎は、呂布、関羽の武に足元にも及ばないような小っ端な武将を背に乗せる事を良しとせず、そのまま自ら餓死する道を選んだと言われている。
その赤兎が今、かつての最高の主を背に乗せて戦っている。その様は、正に最強と言って過言ではなかった。
「イリヤスフィール、ここは私が」
見かねたバゼットが、前に出ようとする。
無論、イリヤでも攻めあぐねている相手に、いかに人間離れしているとはいえ、バゼットが敵う物ではない。
だがバゼットには一つ、切り札が存在する。
「
向こうの世界で、8枚目のカード(ギル)と戦うために用意した切り札。
用意した大半は消費し尽くし、手元に材料となる触媒も無い為、補充もままならない。
しかしまだ、最後一発がバゼットの手元に残っている。
フラガラックは、相手の切り札を完全にキャンセルし、発動前に巻き戻して自身の攻撃を先に当てる事が出来る。
すなわち、発動すれば確実にバゼットが勝つ事になる。
だが無論、発動条件として相手に切り札、この場合「宝具」を使わせる事が条件となる。
今の状況では、バゼットが「
しかし、このままではイリヤの方がじり貧になるのは目に見えている。
ならば、賭けに出るのも一手だった。
「大丈夫だよ、バゼットさん」
気丈に応え、イリヤは立ち上がる。
その可憐な双眸は、自身に向かってくる馬上のシフォンを真っすぐに見据えた。
「手は・・・・・・まだあるから」
「手・・・・・・まさかッ!?」
驚愕するバゼット。
思い出されるのは、昨夜の作戦会議。
アンジェリカから、カードの特性を聞いたイリヤは、一つの作戦を考えた。
それは
アンジェリカ曰く、カードを
だが、
掲げる、イリヤの掌。
その手に握られたのは、
「
次の瞬間、閃光が少女を包み込む。
構わず、突っ込んでくるシフォン。
その手にある方天画戟が振り被られた。
次の瞬間、
突如、伸びて来た巨大な蛇が、赤兎の首に巻き付いた。
突然の事に、さしもの英傑馬も驚いて嘶きを上げる。
シフォンもとっさに手綱を引き、相棒を助けようとする。
しかし、
その一瞬の隙を突き、
小柄な影が、剽悍に飛び掛かって来た。
両手に生えた長い爪を一閃する少女。
その一撃が、
動きを止めたシフォンの甲冑を切り裂く。
少女はそのまま、シフォンを飛び越える形で後方に着地した。
「これが、最後だよ、シフォン君」
告げるイリヤ。
その姿は、一変している。
英雄、
否、
最早、その姿は「怪物」と言って良いだろう。
長い銀髪は後頭部で纏められ、可憐な双眸の内、左目は眼帯で覆われている。
異様なのは、その四肢だ。
手は肘から先、足は膝から下が、蛇のような鱗で覆われている。
更に、お尻からは太い尻尾が生え、その先端が蛇のようになっている。
すなわち、これがイリヤの用意した切り札。
その姿はまさしく「異形」と言うべき物だった。
蛇女、
否、
蛇少女としか言いようがない、禍々しい存在感を放っていた。
「行くよシフォン君ッ 今度こそ、あなたを止める!!」
イリヤは凛とした声で言い放った。
狂気とかした悲鳴が鼓膜を劈く。
地獄の底から響いて来るかのような雄叫びは、それだけで魂を引きちぎられるような錯覚に捕らわれる。
宝具「
あらゆる魔術効果を打ち消す能力を持つ「
その読みは、ある意味において正しかった。
もがき苦しむ桜の様子を見れば、それは間違いない。
だが、
「ちょっと、効果が予想の斜め上なんだけど?」
傍らで見守るクロエが、唖然とした調子で呟く。
しかし、それだけではなかった。
それまでの甲冑姿が崩れ去り、その下から現れた姿。
それは、更におぞましい姿だった。
顔はのっぺりとした仮面に覆われ、全身も漆黒の衣装に包まれている。
そして、衣装の裾が、まるで触手のようにうねっているのが見えた。
「畳みかけるッ!!」
「了解!!」
美遊の指示に、クロエも動く。
錫杖を掲げる美遊の周囲に複数の魔法陣が浮かび、クロエは投影魔術で多数の剣を展開、射出態勢に入る。
遠距離からゴリ押し。
相手の正体がわからない以上、近付くのは危険。
ならば、大出力攻撃で押しつぶすべき。
それが、少女2人が同時に至った結論だった。
美遊の魔法陣が一斉に輝き、クロエの剣が放たれる。
圧倒的火力を、2人の少女から叩きつけられる桜。
だが、
美遊達の攻撃が届く直前、
触手のような帯がひとりでにうねり、全ての攻撃を叩き落してしまった。
「なッ!?」
「ウソでしょッ!?」
飽和攻撃に近かった2人の攻撃を、こうもあっさりと叩き落すとは。
だが、
「武器は奪えてないッ なら、ゴリ押しで行ける!!」
更に武器を投影して、射出しようとするクロエ。
クロエが射出した剣は、先程までのように所有権を奪われる事は無くなっている。
ならば、一気に畳みかければ倒せるはず。
好機を捉えて攻撃態勢に入るクロエ。
だが、
まさに武器を射出しようとした瞬間、
伸びて来た無数の触手に触れた瞬間、今まさにクロエが射出しようとしていた全ての武具が、呑み込まれるように消失してしまった。
「なッ!?」
溶け落ちる武器。
攻撃手段を失い、驚くクロエ。
だが、それのみに止まらない。
桜は一斉に触手を伸ばすと、それをクロエに向けて殺到させたのだ。
「やばッ」
あの触手はまずい。
武器を一瞬で消失させたことからも分かる通り、何らかの方法で魔術を解除、あるいは無効化できるのだ。
となれば、体を魔力で構成しているクロエにとっては天敵。
恐らく触れただけで、クロエの身体は呑み込まれてしまう。
だが、もう間に合わない。
触手はクロエの眼前に迫る。
もう、逃げる余裕はない。
次の瞬間、
「クロッ!!」
割って入った美遊が、とっさにクロエの身体を抱えて、その場から飛びのいた。
間一髪、
桜の放った触手は、少女たちを霞めるて行くにとどまる。
クロエを抱えたまま、離れた場所に着地する美遊。
だが、
「美遊、あんた、それ・・・・・・」
クロエに指摘されて、美遊もハッとする。
現在、美遊は
しかし今、その可憐な衣装がズタズタに引き裂かれ襤褸布のようになっていた。
否、
引き裂かれた、と言うよりは、溶かされて吸収されたような印象だ。
「これはッ 魔力を、吸われた!?」
そのおぞましい状況に、美遊も戦慄を禁じえない。
いったい、間桐桜とは何者なのか? なぜ、このような事が可能なのか?
その時だった。
《架空元素「虚数」》
サファイアの通信機越しに聞こえてきたのは、衛宮邸で戦況をモニターしていた凛の声だった。
シェルドの攻撃を士郎が押さえている為、凛達は辛うじて管制を続ける事が出来ていたのだ。
《五大元素のいずれにも属さない極めて稀有な属性。その生まれ持った虚数属性を、間桐の魔術特性である吸収、束縛と言う指向性で発露しているんだわ。その力をもって、人の身でありながら英霊の力を呑み込んで、自らを作り変えている。あれはもう、元の「間桐桜」じゃないわ》
どこか、哀し気な凛の言葉。
凛がなぜ、見ただけで桜の正体を看破できたのか、それは判らない。
しかし話が事実なら間桐桜は、
否、
目の前に立つおぞましい存在は、全ての英霊の天敵と言う事になる。
あらゆる英霊は、その体を魔力によって構成される。
英霊が桜に触れれば、たちどころに飲み込まれ溶かされて吸収される事だろう。
だが、通信管制もそこまでだった。
何らかの妨害が入ったらしく、通信が途切れてしまったのだ。
「・・・・・・いろいろ気になる事言ってたけど、説明しきる前に切れちゃうのが、リンらしいと言うか、何と言うか」
嘆息するクロエ。
しかし、要点は判った。
要するに、何とかしてあの触手に触れずに倒さなくてはならない、と言う事だ。
しかし、
今や桜を中心に、周囲の物が何か別の物に変換されつつある。
周囲に漂う霧が恐らく「虚数域」なのであろう。だとすれば、あの霧に触れただけでもアウトである。
その範囲は徐々に拡大しており、近付く事は事実上、不可能に近い。
ならば、
美遊は決断する。
今、自分にできる事の中から、最大限の効果が期待できる手段を選択する。
「
掛け声とともに、
同時に、掲げた
「最大の魔力砲で、一気にこじ開ける」
最大出力の魔力砲なら、属性を無視し、吸収される前に虚数域を突破する事が出来る筈。
「ま、それしかないわね。魔力砲のゴリ押しは、魔法少女の華だし」
呆れ気味のクロエだが、その実、最も理に適った戦術である事は理解している。
この際、派手さこそ正義だった。
その時だった。
桜の注意が、美遊へと向いた。
「ああ、思い出しました」
再び、怖気を振るうような声が聞こえてくる。
「黒髪に、先輩と同じ色の瞳・・・・・・貴女、先輩の妹さんでしたよね。ごめんなさい、わたし、・・・・・・最近、物忘れが多くて。でも、ようやく思い出しました」
しゃべる毎に、空気がひび割れるような感覚。
魔力砲の斉射準備をしながら、美遊は込み上げる怖気に必死に耐えていた。
「貴女だけは殺すなって、言われてるんでした。先輩の言いつけを忘れるなんて、駄目な後輩ですねよね・・・・・・ああ・・・・・・でも・・・・・・いいなぁ・・・・・・やっぱり妹さんって大事にされてるんですね。いいなぁ兄妹っていいなぁ・・・・・・微笑ましいなぁ・・・・・・妬ましいなぁ・・・・・・」
そして、
「手足くらいなら、落としても良いですよね?」
完全に破綻しきった論旨の桜。
否、
そもそもからして存在が壊れ切っている桜に、今更常識を当て嵌めようとすること自体、間違いなのだろう。
不気味に迫る桜。
その姿を見ながら、
美遊の脳裏には、恐怖とと共にあり得たかもしれない未来が思い浮かばれた。
もし、
桜と自分が、もっと早く出会えていたら?
もし、聖杯戦争などなく、普通に女の子同士として出会えていたら?
衛宮士郎という存在を介して出会っていたら?
きっと、自分達は友達に慣れていた筈なのに。
ともに他愛のない事で笑い合い、一緒に台所で並んで料理を作り、休日には揃って街に買い物に出かけて、たまに鈍感な兄の事で愚痴を言い合ったり、自分は兄と桜の仲を見てやきもきしたり、
そんな日常が、あったはずなのだ、自分達には。
しかし、
現実には桜は死に、今、自分達の前におぞましい姿で立ちはだかっていた。
そして美遊は、桜を倒さなくてはならない立場にあった。
哀しいが、それが現実だった。
高まる、美遊の魔力。
桜も虚数域を広げ侵食してくる。
勝負は一瞬で決まる。
目を見開く美遊。
次の瞬間、
魔力砲を解き放つ。
解き放たれる、極大の閃光。
対軍宝具の解放にも匹敵するその一撃。
桜が生み出した虚数域を吹き飛ばし、触手の群れを消滅させながら迫る。
しかし、
着弾の直前、
事もあろうに桜は、触手を使って橋その物を持ち上げ、巨大な盾にして魔力砲の一撃を防いで見せた。
だが、
「まだッ!!」
魔力砲が防がれるのは計算の内。
凛とした叫びと共に、美遊は次の手を打つ。
その先端に、惜しげも無く、莫大な量の魔力を投入する。
臨界に達したタイミングで、ステッキを振り抜く魔法少女。
「
地面を切り裂き、走る斬撃。
その一撃たるや、桜が跳ね上げた橋の残骸を一刀の下に斬り伏せる。
イリヤの必殺技である
例えるなら、イリヤの
だが、
それでも桜を仕留めるには至らない。
とっさに回避するのが見えた。
致命傷には程遠い。
だが、
魔力砲と斬撃の連続攻撃で、道は開けた。
勝負を決するなら、ここだった。
「クロッ!!」
「ええッ!!」
伸ばした美遊の手を、クロエが掴む。
同時に、
消失する、美遊の姿。
少女は、
現れる。
桜の頭上に。
手に握られているのは、
槍を掲げる兵士の絵柄。
「
美遊の手に握られる朱槍。
魔力砲と斬撃で虚数域を払い、その上でクロエの転移魔術で死角へ転移、必殺の一撃を仕掛ける。
全ては、美遊の作戦だった。
これで、決める。
美遊の可憐な双眸が、眼下に立ち尽くす桜を捉える。
既に回避は不可能。
「
急降下する
垂直に走る穂先。
朱の閃光と化した一閃は、
狙い過たず、桜の胸を刺し貫いた。
刃が、体を抉る感触。
手応えは、あった。
虚数域を一時的に失い、トドメとなる一撃を放った。
これで確実に勝てる。
そう思った。
だが、
「・・・・・・い、嫌・・・・・・痛い・・・痛いです」
「なッ!?」
驚愕する美遊。
少女の目の前で、
心臓を刺し貫かれて息絶えたはずの女が、のたうち回っているのが見える。
同時に、朱槍の穂先が、ズルリと桜から抜け落ちる。
迂闊、
と言うべきか、
しかし、
相手が初めから心臓が無ければ、その限りではなかった。
「痛い・・・・・・痛い、痛い痛い痛いッ 助けて・・・・・・助けてください」
もがき苦しむ桜。
斬りかかるクロエ。
それを回避する桜。
しかしその先には、
泥で満たされたクレーターがあった。
あ、
と言う間も無かった。
落ちる桜。
絶望に満たされた泥の海の中。
一瞬にして呑み込まれ、姿が見えなくなる。
その様子を、
勝者たる少女たちは、橋の上から眺める。
「一応・・・・・・撃退って事で良いのかしらね?」
「多分・・・・・・油断はできないけど」
答えながら美遊は、通信が切れていた事に胸をなでおろす。
あんな姿の桜を、兄には見せたくは無かった。
何はともあれ、こちらの戦線は美遊達の勝利に終わった事は間違いなかった。
他の皆は、どうなっているのか?
イリヤは、バゼットは、
そして、
響は?
「響・・・・・・どうか、無事で」
離れた場所で戦う彼氏を想い、そっと呟く美遊。
今まさにこの時、
ベアトリスの思わぬ反撃に遭い、響が瀕死の危機に陥っている事など、
美遊には知る術も無かった。
第56話「怖気」 終わり